大阪シルバーバーチの会 亀水忠茂

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(平成24年12月)  “本当の自分”を知るとは

(平成25年12月) 顕幽の交信 
(平成25年11月) 意識について

(平成25年10月) 精神統一とは その二

(平成25年9月)  精神統一とは その一

(平成25年8月)  老い

(平成25年7月)  真我

(平成25年6月)  あなたは一人ではない

(平成25年5月)  本当の自分と人生の目的
(平成25年4月)  霊的なバイブレーションと物的なバイブレーション
(平成25年3月)  霊眼で観察する
(平成25年2月)  テレビニュースを最近は見なくなった
(平成25年1月)  インドは世界の宗教の“るつぼ”

(平成26年12月) 本物の霊能者とは
(平成26年11月) 本物の宝物とは

(平成26年10月) 我は神なり

(平成26年9月)  泰然自若

(平成26年8月)   内外から霊力を引き出すとは

(平成26年7月)   利他とは

(平成26年6月)   背後霊とのコンタクト方法

(平成26年5月)   霊力について
(平成26年4月)   友人の死にあたって
(平成26年3月)   魂の兵器庫を開き、神の武器をとりだすとは

(平成26年2月)   “天国は心の中にある”とは

(平成26年1月)   試練の意味

(平成27年12月) “霊的摂理の普及”

(平成27年11月) “本当の自分”霊魂はなぜ隠されているのでしょうか

(平成27年10月) 幽界の続き

(平成27年9月)   幽界の存在意義と類魂仲間

(平成27年8月)   地上に再生する目的

(平成27年7月)   霊界と物質界

(平成27年6月)   霊こそ実在

(平成27年5月)   霊的成長は孤独
(平成27年4月)   瞑想・精神の統一 その四
(平成27年3月)   瞑想・精神の統一 その三

(平成27年2月)   瞑想・精神の統一 その二

(平成27年1月)   瞑想・精神の統一 その一

(平成28年12月)  霊的知識を正しく理解した人

(平成28年11月)  霊的成長に合わせたより高度な叡智

(平成28年10月)  真の宝”とは、その宝を手に入れる“カギ”とは

(平成28年9月)  困難・試練に際して

(平成28年8月)  道具意識

(平成28年7月)  神は悪や憎しみの中にも存在する

(平成28年6月)  苦難の目的と対処法 その2

(平成28年5月)  苦難の目的と対処法

(平成28年4月)  宇宙の法則への絶対的信頼があれば苦しみを感じなくなる

(平成28年3月)  車窓の景色

(平成28年2月)  心の分類と霊的成長

(平成28年1月)  霊的摂理の実践と信仰

(平成29年12月)  幽体離脱で他界直後の母と会う

(平成29年11月)  すぐそこまで来ている新しい地球の夜明け

(平成29年10月)  本当の敵と霊的資質の発揮

(平成29年9月)  霊的時期に来た人とは

(平成29年8月)  霊的教育

(平成29年7月)  死とは その2

(平成29年6月)  死とは

(平成29年5月)  日常的な霊界との交流 その4

(平成29年4月)  日常的な霊界との交流 その3

(平成29年3月)  日常的な霊界との交流 その2

(平成29年2月)  日常的な霊界との交流 その1

(平成29年1月)  最善を尽くせばそれで良いのです

(平成30年12月)  “信念”(信仰)

(平成30年11月)  地上人生の目的は

(平成30年10月)  作用と反作用は正反対であり同じもの

(平成30年9月)  自殺

(平成30年8月)  霊訓にみる挫折克服法

(平成30年7月)  憎しみがなければ愛もありません

(平成30年6月)  奇跡と近代スピリチュアリズム

(平成30年5月)  ナザレのイエスとシルバーバーチ

(平成30年4月)  心配は摂理への信頼に反する不信行為

(平成30年3月)  スピリチュアリストにとっての“自信”とは

(平成30年2月)  劣等感と“地上で為し得る最も偉大な仕事”

(平成30年1月)  スピリチュアリストにとって“苦”とは何だろう

(令和元年12月) “地上人生の霊的成長ガイドライン”

(令和元年11月) “地上での霊的成長プロセスとカルマの解消”

(令和元年10月) “スピリチュアリストにとっての信仰とは一体何だろうか”

(令和元年9月)  キリスト教の“原罪と贖罪説”の間違い

(令和元年8月)  霊的知識への責任と信仰

(令和元年7月)  魂に自由をもたらしていく仕事

(令和元年6月)  この世にあってこの世のものとなるなかれ

(令和元年5月)  この地上を神々のように歩くことができるのです その2

(平成31年4月)  この地上を神々のように歩くことができるのです

(平成31年3月)  シルバーバーチは今も私たちに働きかけている

(平成31年2月)  インスピレーションと良心の声

(平成31年1月)  “人のために役立つことをする”の真の意味

(令和2年12月)  内外の霊力を活用する方法 他 ―霊的摂理の理解をおいて他にない―

(令和2年11月) シルバーバーチの使命

(令和2年10月) どうすれば霊的成長がはかれるか

(令和2年9月)  「気とは何か」を読んでみて

(令和2年8月) 死について

(令和2年7月)  “内部の霊性を発揮させれば”の意味

(令和2年6月) 価値あるものは苦しみと悲しみなしには手にすることはできません

(令和2年5月)  霊力とは何?

(令和2年4月)  信仰実践

(令和2年3月)  どうしたら霊的摂理への強い信仰が持てるのだろうか?

(令和2年2月) コミュニケーションとコミュニオン

(令和2年1月) 霊性の高い人は“本当の自分”を知る必要はないのでしょう

(令和3年12月) 私たちの今の地上人生とは一体何なのでしょうか

(令和3年11月) 自由意志は魂の成長度によって規制されている

(令和3年10月) 完全なる安らぎ

(令和3年9月)  心の奥深くにある内なる霊力

(令和3年8月)  もしも心配・悩み・疑いや不安の念に襲われたら

(令和3年7月)  “キリスト教の間違い”(その2)

(令和3年6月)  “キリスト教の間違い”(その1)

(令和3年5月)  あなた方は今この時も霊的世界に生きているのです

(令和3年4月)  愛とは摂理の成就なり

(令和3年3月)  愛とは感情ではありません

(令和3年2月)  霊力の通路の開き方

(令和3年1月)  私はなぜスピリチュアリストになったのか

(令和4年12月) 死後の世界

(令和4年11月) 神は外の世界だけでなく、あなたの内にも内在しています

(令和4年10月) あなたは完ぺきな信仰をもつべきです

(令和4年9月) 試練・困難への霊的摂理に基づく対処法

(令和4年8月) スピリチュアリストにとっての真実の祈りとは

(令和4年7月) 摂理への信仰と実践による摂理への順応

(令和4年6月) 真の心の平安とは

(令和4年5月) 霊的成長こそが地上人生の目的

(令和4年4月) ウクライナ戦争

(令和4年3月) 摂理を信じ摂理と調和して生きる その2

(令和4年2月) 摂理を信じ摂理と調和して生きる

(令和4年1月) 私たちの今の地上人生とは一体何なのでしょう その2

(令和5年12月) 宇宙で最も強力なエネルギー

(令和5年11月) 霊界からのインスピレーションを正しく受け取るには

(令和5年10月) 完璧な摂理の中で生きているという自覚

(令和5年9月)  ―不安と安心― その5

(令和5年8月)  ―不安と安心― その4

(令和5年7月)  ―不安と安心― その3

(令和5年6月)  ―不安と安心― その2

(令和5年5月)  ―不安と安心― その1

(令和5年4月)  グループ・ソウル(類魂)とは

(令和5年3月)  グループ・ソウル(類魂)と霊的ダイヤモンド(インディビジュアリティ)

(令和5年2月)  インディビジュアリティと再生

(令和5年1月)  睡眠と瞑想(疑似睡眠)

(令和6年12月) 霊こそが実在

(令和6年11月) “本当の自分”(霊)を意識的に発現させるには

(令和6年10月) 死への怖れ

(令和6年9月) 霊の力物の力に勝ることを自ら証明しなさい

(令和6年8月) 心に恐れを宿してはいけません

(令和6年7月) 霊的回路を開く方法

(令和6年6月) 成長、進化、発展が宇宙の大原理

(令和6年5月) 地上人生の意味

(令和6年4月) なぜ苦しみがあるのか

(令和6年3月) 物質の世界にのみ生きていると思い込んでいる

(令和6年2月) 夢幻の出来事

(令和6年1月) 霊界からの指導と援助を求める時に整えるべき条件とは

(令和7年5月) 真に力強い人間になるためには

(令和7年4月) 霊的知識さえあれば楽な人生が送れるようになるのか

(令和7年3月) 一旦ことがあると、なぜ泰然自若の心境にならないのか

(令和7年2月) 宿命と自由意志

(令和7年1月) 霊的知識は実生活に活かさなければなりません

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▼ 項目別バックナンバー

  • 人生の目的
  • 真我
  • 背後霊
  • 霊界
  • 霊の力
  • 瞑想
  • 苦しみ・試練
  • 雑記

(令和7年4月) 霊的知識さえあれば楽な人生が送れるようになるのか

(令和7年2月) 宿命と自由意志

(令和6年5月) 地上人生の意味

(令和6年2月) 夢幻の出来事

(令和4年5月) 霊的成長こそが地上人生の目的

(令和4年1月) 私たちの今の地上人生とは一体何なのでしょう その2

(令和3年12月) 私たちの今の地上人生とは一体何なのでしょうか

(令和2年11月) シルバーバーチの使命

(令和2年10月) どうすれば霊的成長がはかれるか

(令和2年4月)  信仰実践

(令和2年3月)  どうしたら霊的摂理への強い信仰が持てるのだろうか?

(令和元年6月)  この世にあってこの世のものとなるなかれ

(平成30年11月)  地上人生の目的は

(平成30年7月)  憎しみがなければ愛もありません

(平成30年3月)  スピリチュアリストにとっての“自信”とは

(平成30年2月)  劣等感と“地上で為し得る最も偉大な仕事”

(平成28年11月)  霊的成長に合わせたより高度な叡智

(平成28年10月)  真の宝”とは、その宝を手に入れる“カギ”とは

(平成28年8月)  道具意識

(平成28年7月)  神は悪や憎しみの中にも存在する

(平成28年2月)   心の分類と霊的成長

(平成27年8月)   地上に再生する目的

(平成27年5月)   霊的成長は孤独

(平成26年7月)   利他とは

(平成26年1月)   試練の意味

(平成25年5月)  本当の自分と人生の目的

(令和6年12月)  霊こそが実在

(平成27年11月)  “本当の自分”霊魂はなぜ隠されているのでしょうか

(平成26年10月)  我は神なり

(平成25年7月)   真我

(平成25年5月)   本当の自分と人生の目的

(平成24年12月)  “本当の自分”を知るとは

(令和6年7月) 霊的回路を開く方法

(令和2年2月)  コミュニケーションとコミュニオン

(平成31年2月) インスピレーションと良心の声

(平成26年6月)  背後霊とのコンタクト方法 

(平成25年12月) 顕幽の交信

(平成25年6月) あなたは一人ではない

(平成29年12月)  幽体離脱で他界直後の母と会う

(平成27年10月)  幽界の続き

(平成27年9月)   幽界の存在意義と類魂仲間

(平成27年7月)   霊界と物質界

(平成27年6月)   霊こそ実在

(平成25年4月)  霊的なバイブレーションと物的なバイブレーション

(令和7年1月) 霊的知識は実生活に活かさなければなりません

(令和6年9月) 霊の力物の力に勝ることを自ら証明しなさい

(令和6年1月) 霊界からの指導と援助を求める時に整えるべき条件とは

(令和5年12月) 宇宙で最も強力なエネルギー

(令和5年11月) 霊界からのインスピレーションを正しく受け取るには

(令和4年3月) 摂理を信じ摂理と調和して生きる その2

(令和3年9月)  心の奥深くにある内なる霊力

(令和3年8月)  もしも心配・悩み・疑いや不安の念に襲われたら

(令和3年2月)  霊力の通路の開き方

(令和2年12月)  内外の霊力を活用する方法 他 ―霊的摂理の理解をおいて他にない―

(令和2年9月)  「気とは何か」を読んでみて

(令和2年7月)  “内部の霊性を発揮させれば”の意味

(令和2年5月)  霊力とは何?

(令和元年5月)  この地上を神々のように歩くことができるのです その2

(平成31年4月)  この地上を神々のように歩くことができるのです

(平成26年8月)   内外から霊力を引き出すとは

(平成26年5月)   霊力について

(平成26年3月)   魂の兵器庫を開き、神の武器をとりだすとは

(令和6年11月)  “本当の自分”(霊)を意識的に発現させるには

(令和5年1月)   睡眠と瞑想(疑似睡眠)

(平成29年5月)  日常的な霊界との交流 その4

(平成29年4月)  日常的な霊界との交流 その3

(平成29年3月)  日常的な霊界との交流 その2

(平成29年2月)  日常的な霊界との交流 その1

(平成27年4月)   瞑想・精神の統一 その四

(平成27年3月)   瞑想・精神の統一 その三

(平成27年2月)   瞑想・精神の統一 その二

(平成27年1月)   瞑想・精神の統一 その一

(平成25年10月) 精神統一とは その二

(平成25年9月)   精神統一とは その一

(令和6年8月) 心に恐れを宿してはいけません

(令和6年4月) なぜ苦しみがあるのか

(令和4年9月) 試練・困難への霊的摂理に基づく対処法

(令和2年6月) 価値あるものは苦しみと悲しみなしには手にすることはできません

(令和元年12月) “地上人生の霊的成長ガイドライン”

(平成31年3月)  シルバーバーチは今も私たちに働きかけている

(平成30年12月)  “信念”(信仰)

(平成30年10月)  作用と反作用は正反対であり同じもの

(平成30年9月)  自殺

(平成30年8月)  霊訓にみる挫折克服法

(平成30年4月)  心配は摂理への信頼に反する不信行為

(平成30年1月)  スピリチュアリストにとって“苦”とは何だろう

(平成29年10月)  本当の敵と霊的資質の発揮

(平成29年9月)  霊的時期に来た人とは

(平成29年8月)  霊的教育

(平成29年7月)  死とは その2

(平成29年6月)  死とは

(平成29年1月)  最善を尽くせばそれで良いのです

(平成28年9月)  困難・試練に際して

(平成28年6月)  苦難の目的と対処法 その2

(平成28年5月)  苦難の目的と対処法

(平成28年4月)  宇宙の法則への絶対的信頼があれば苦しみを感じなくなる

(平成28年3月)  車窓の景色

(平成28年2月)  心の分類と霊的成長

(平成28年1月)  霊的摂理の実践と信仰

(平成27年5月)  霊的成長は孤独

(平成26年9月)  泰然自若

(平成26年7月)   利他とは

(平成26年2月)   “天国は心の中にある”とは

(平成25年3月)  霊眼で観察する

(令和7年5月) 真に力強い人間になるためには

(令和7年3月) 一旦ことがあると、なぜ泰然自若の心境にならないのか

(令和6年10月) 死への怖れ

(令和6年6月) 成長、進化、発展が宇宙の大原理

(令和6年3月) 物質の世界にのみ生きていると思い込んでいる

(令和5年10月) 完璧な摂理の中で生きているという自覚

(令和5年9月)  ―不安と安心― その5

(令和5年8月)  ―不安と安心― その4

(令和5年7月)  ―不安と安心― その3

(令和5年6月)  ―不安と安心― その2

(令和5年5月)  ―不安と安心― その1

(令和5年4月)  グループ・ソウル(類魂)とは

(令和5年3月)  グループ・ソウル(類魂)と霊的ダイヤモンド(インディビジュアリティ)

(令和5年2月)  インディビジュアリティと再生

(令和4年12月) 死後の世界

(令和4年11月) 神は外の世界だけでなく、あなたの内にも内在しています

(令和4年10月) あなたは完ぺきな信仰をもつべきです

(令和4年8月) スピリチュアリストにとっての真実の祈りとは

(令和4年7月) 摂理への信仰と実践による摂理への順応

(令和4年6月) 真の心の平安とは

(令和4年4月) ウクライナ戦争

(令和4年2月) 摂理を信じ摂理と調和して生きる

(令和3年11月) 自由意志は魂の成長度によって規制されている

(令和3年10月) 完全なる安らぎ

(令和3年7月)  “キリスト教の間違い”(その2)

(令和3年6月)  “キリスト教の間違い”(その1)

(令和3年5月)  あなた方は今この時も霊的世界に生きているのです

(令和3年4月)  愛とは摂理の成就なり

(令和3年3月)  愛とは感情ではありません

(令和3年1月) 私はなぜスピリチュアリストになったのか

(令和2年8月) 死について

(令和2年1月) 霊性の高い人は“本当の自分”を知る必要はないのでしょう

(令和元年11月) 地上での霊的成長プロセスとカルマの解消

(令和元年10月) スピリチュアリストにとっての信仰とは一体何だろうか

(令和元年9月)  キリスト教の“原罪と贖罪説”の間違い

(令和元年8月)  霊的知識への責任と信仰

(令和元年7月)  魂に自由をもたらしていく仕事

(平成31年1月)  “人のために役立つことをする”の真の意味

(平成30年6月)  奇跡と近代スピリチュアルリズム

(平成30年5月)  ナザレのイエスとシルバーバーチ

(平成29年11月)  すぐそこまで来ている新しい地球の夜明け

(平成28年12月)  霊的知識を正しく理解した人

(平成27年12月) “霊的摂理の普及”

(平成26年12月) 本物の霊能者とは

(平成26年11月) 本物の宝物とは

(平成26年4月)  友人の死にあたって

(平成25年8月)  老い

(平成25年11月) 意識について

(平成25年2月)  テレビニュースを最近は見なくなった

(平成25年1月)  インドは世界の宗教の“るつぼ”

 

 

令和7年5月)

“真に力強い人間になるためには”(雑記)(2025.5.10)

―心に怖れを宿してはいけません― (一巻 P141)


私たち霊性に目覚めた者が、真に力強い人間となるために押さえておかなければならない霊的知識について、ここで一緒に考えてみましょう。


⇒ 私たちが霊的に覚醒したからといっても、その後にやってくる数々の試練や困難によって、相変わらず悲しみや苦しみを常に感じています。
先が見通せないことからくる恐れや不安、心配、取り越し苦労などが絶えないからです。

⇒ 霊性に目覚めてからも過去から続いている不安は、頑固な性癖となっていて、物的なものの見方とあいまって、いつまでたっても執拗に頭をもたげてきます。霊的知識を学んだからといって、達観して一気に不安や心配がすっかり無くなるわけでは決してありません。
極端なことをいえば、今はとても恵まれてはいても、将来何が起こるか分からないという不安感に常に覆われています。その背景として、ミャンマーやガザ、ウクライナなどの戦争が毎日のようにこれでもかこれでもかとニュースで報道され、世界は不安という厚い雲にすっぽりと覆われています。また、平和であるはずの国内では若い女性がストーカーに自分の自由にならないからと、まるで人形を壊すかのように簡単に殺され続けています。さらには、物価高による経済問題や高齢化に伴う健康問題など、さまざまな個人的な不安で外も内もあふれかえっているからです。


⇒ このような状況下ではありますが、今まで来た道を霊的視点でじっくりと振り返ってみると、生活の中で単なる偶然としては説明がつかない数々の出来事を経験し、霊界から導きや援助を受けているのではないかと強く示唆する具体的な実例を確認することができます。すなわち、たまたまの偶然として見過ごされてきた奇跡的なことも、よくよく霊的視点で思い返してみると、霊界からの護りや導きを感じとることができるようになってきます。
(もっとも残念ながら、時間が経過するとともに余程の事以外は、そのほとんどの霊的体験をすっかり忘れてしまってはいますが・・・。)


⇒ これらの霊的体験や、霊的摂理を常日頃学び実践することによって、徐々にシルバーバーチの語っている霊的摂理の方がどうも物質科学万能主義よりも真実ではないかということが徐々に感じとられるようになってきます。


⇒ “耐えきれないほどの苦難を背負わされるようなことは絶対にありません”(一巻P52)というシルバーバーチの約束を信じて、それを頼りに頑張って克服することが出来た経験を積み重ねることによって、何が起きようとも霊界からの援助さえあれば必ず切り抜けられるということを信じ切った、そういう信念(信仰)が少しずつ少しずつ育成されていきます。


⇒ そうなると悲しみや落胆がやってきても、霊界への祈りと同時に、救いを求めて霊訓を熱心に読み返すなど霊的摂理に避難場所を求めるようになります。その霊訓によって慰め励まされて力づけられ克服することができた過去の数多くの経験から、いつの間にか耐性ができていて心配や不安が少しずつ小さくなり、それと逆比例するかのように徐々に力強い人間となっていきます。


この大宇宙を創造した力は、絶対不変の法則(摂理)によって顕幽の世界全てを統制しております。その摂理やそれを維持経綸している霊の力に対する“完璧な信仰”に向かって、私たちは地上世界での実体験をとおして、時間をかけ少しずつ少しずつ近づいていくことになるのです。


“私はただただ、宇宙を支配する神の摂理の見事さに感嘆するばかりです。一つとして偶然というものがないのです。偶発事故というものが無いのです。全てが不変絶対の法則によって統制されているのです。 (中略) 私は宇宙を創造した力に満腔の信頼を置きます。” P59


人間の生活に過ちは必須でありつきものです。その過ちを都度改めることによって魂が少しずつ成長していくということが摂理となっています。
地上世界にあって「完璧な人間」ではない私たちは、先が読めないことからくる心配や不安、取り越し苦労など決して無くなりません。
そのため、過ちや迷い、心配がつきない自分自身に絶対的な自信を置くことはできないのです。
そこで、大宇宙を経綸している全能の神、絶対不変の法則を維持している神の力(霊力)に自らの信任をおくようにいたしましょう。
具体的には、神の御胸に飛び込み我が身を委ねて全託するのです。なぜそれが可能なのかというと、私たちは一人の例外もなく“本当の自分”の内に“神の分霊”を宿している“神の子”、すなわちミニチュアの神そのものだからです。
そうなると、霊的知識のある者は、霊的摂理への信仰(信念)の強さの程度によって、心配や不安の受け止め方に強弱の差が出てくるようになります。


“そうした法則(摂理)の全てに通暁(つうぎょう)することは人間には不可能です。どうしても知り得ないことは信仰によって補うほかはありません。盲目的な軽信ではなく、(霊的)知識を土台とした信仰です。(霊的)知識こそ不動の基盤であり、不変の土台です。
宇宙の根源である霊についての永遠の真理は、当然、その霊の力に対する不動の信念を産み出さなくてはいけません。そういう義務があるのです。それも一つの法則です。” P62

繰り返しにはなりますが、次から次にとやってくる日常のさまざまな出来事に対して、先が見えないことからくる不安、心配、落胆や後悔が後を絶ちません。ではそれらを克服し、心を常に穏やかにすることが、一体どのようにすればできるようになるのでしょうか。
そこで、ここでいう「不動の信念」や「完璧な信仰」とは、何に対しての「信仰」のことをいっているのかもう一度再検討してみましょう。


日常生活で霊的摂理を実践するにあたって必要なことは、具体的には次の二つに絞れると思います。


Ⅰ)霊的摂理に対して・・・その霊的知識が人生の土台(バックボーン)となっていること。


Ⅱ)守護霊・指導霊などの背後霊に対して・・・護りや導き、援助、悟りなどが得られること。


霊的摂理に順応する努力をしている限り、意識して背後霊を味方につけるということは、ある意味、至上最強の武器(霊の力)を手に入れたことになるのです。


“あなたが片時も一人ぼっちでいることはないことはご存知でしょう。” (二巻 P17)
私たちは決して一人ぼっちではないのです。目には見えずとも守護霊が常にそばについていて下さっているのです。


もしも、神や摂理に対する信仰ではあまりにも漠然としていて今一つ実感がわかなければ、シルバーバーチが霊訓の中で語っている、誕生より今日まで見守り導いてくれている守護霊や指導霊に対して絶対的な信頼や信念、信仰をもてばよいのです。
しかし、それもまた漠然としていると思うならば、もっと身近な強い味方としてシルバーバーチ霊に全幅の信頼を寄せればよいのです。


“どうか、私のことをあなた方の兄貴だと思ってください。あなたを愛し、いつも側にいて、精一杯あなたを守り導きたいという願望をもって腐心している兄貴と思ってください。”
(「シルバーバーチの霊訓」二巻 P123 スピリチュアリズム普及会発行)


“物質界は生活の一側面にすぎません。あなたの生活の全体ではないのです。人間の多くが悩
みが絶えないのは、無意識のうちに物質の世界にのみ生きていると思い込んでいるからです。本当はあなたと私とは同じ宇宙の中に存在するのです。霊界と地上とが水も漏らさぬように区別されているのではありません。互いに融合し合い調和し合っています。
死ぬということは物的身体による認識をやめて霊的身体によって魂の別の側面を表現しはじめるということに過ぎません。
あなたが直面する悩みごとは私にもよく分かっております。しかし霊的知識を有する者はそれを正しく運用して、物的要素に偏らないようにならなければなりません。霊的要素の方に比重を置かなければいけないということです。正しい視野に立って考察すれば、焦点を正しく定めれば、日常生活での心の姿勢さえ正しければ、物的要素に対して最小限度の考慮を払い、決して偏ることはないでしょう。そうなれば霊的自我が意のままに働いてあなたを支配し、生活全体を変革せしめるほどの霊力がみなぎり、ついには物的要素に絶対に動かされない段階まで到達することでしょう。
永遠なるものを日常の出来事を基準にして判断しても駄目です。あなたはとにかく日常の精神によって色づけされた判断、つまり自分を取りまく環境によって判断を下しがちです。そして、それまで成就してきた成果の方は忘れがちですが、これは物質の中に閉じ込められ、朝目をさました瞬間から夜寝るまで日常生活に追いまくられているからです。
今と昔を較べるために過去のページをひもといてごらんなさい。そこに背後霊による指導のあとがありありとうかがえるはずです。霊的知識に恵まれた者は決して首をうなだれることなく、脇目も振らず前向きに進めるようでなくてはなりません。背後霊は決して見捨てないことをご存じのはずです。人間が神に背を向けることはあっても、神は決して人間に背を向けることはありません。無限の可能性を秘めたこの大宇宙の摂理と調和した生活を営んでさえいれば、必要な援助は必ず授かります。これは決して忘れてはならない大切な真理です。”
(「シルバーバーチの霊訓」一巻 P74~75 スピリチュアリズム普及会発行)

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令和7年4月)

“霊的知識さえあれば楽な人生が送れるようになるのか”(人生)(2025.3.30)

―悲しみ、無念、病気、不幸等は地上の人間にとって教訓を学ぶための大切な手段なのです―


“この交霊会に出席される方々が、もしも私の説く真理を聞くことによって楽な人生を送れるようになったとしたら、それは私が神から授かった使命に背いたことになります。私どもは人生の悩みや苦しみを避けて通る方法をお教えしているのではありません。
それに敢然と立ち向かい、それを克服し、そしていっそう力強い人間となってくださることが私どもの真の目的なのです。” (一巻 P52)

世間一般の宗教は信心して参拝することによって悲しみや禍、病気、苦難、不運などの厄払いとなり、病気の回復や商売繁盛、家内安全で幸せになれると宣伝しています。そのための御守や御札まで売っています。私たちもまたそれを求めて神仏に手を合わせ祈願しております。
そこで私たちは、霊的に覚醒し、霊的知識を学んでさえいれば、苦労もなくスイスイと地上人生が歩めるかのようについつい期待しそれを求めがちですが、それはある意味正しく、ある意味間違いといえるのです。それは一体どういう意味なのでしょうか。
今回の霊訓はとても大切な霊的真理ですので、表現方法を変えて同じ内容が繰り返し出てくるために非常に長い“寸感”となっております。どれも重要で省略する箇所が一つもないために、結果として霊訓の三章全体となってしまいました。
もしもあなたが迷いの多いこの地上人生を本当に力強く、明るく、積極的に生きたいと真剣に願うならば、今回の霊訓はそのための必要不可欠な教訓となっております。
是非ともそれをものにしたいと真に望むならば、潜在意識に透徹するぐらいに何度も何度も時間をかけて繰り返し読み返すことを強くお勧めいたします。


では、霊界から地上世界をみたシルバーバーチの語る話より、悩みや苦しみの多い私たちの地上人生とは一体何なのか、その真実の姿を明らかにしていきましょう。


「シルバーバーチの霊訓」一巻 三章“なぜ苦しみがあるのか” P52~P65より(スピリチュアリズム普及会発行)


苦しみの意味・・・苦しみや試練を通して神とその摂理への信仰心が試され育成されます
[苦難の意味]
“霊的な宝はいかなる地上の宝(お金、名声、社会的地位、権力、健康等々)にも優ります。それはいったん身につけたらお金を落とすような具合になくしてしまうことは絶対にありません。苦難から何かを学び取るように努めることです。耐えきれないほどの苦難を背負わされるようなことは絶対にありません。なんらかの荷を背負い、困難と取り組むということが旅する魂の本来の姿なのです。
それは勿論楽なことではありません。しかし魂の宝はそうやすやすと手に入るものではありません。もしも楽に手に入るものであれば、なにも、苦労する必要などないでしょう。痛みと苦しみの最中(さなか)にある時はなかなかその得心がいかないものですが、必死に努力し苦しんでいる時こそ、魂にとっていちばんの薬(魂の目を覚まさせ悟りにつながる P55)なのです。私どもは、いくらあなた方のことを思ってはいても、あなた方が重荷を背負い悩み苦しむ姿をあえて手を拱(こまね)いて傍観するほかない場合がよくあります。
そこから教訓を学び取り霊的に成長してもらいたいと願い祈りながらです。(霊的)知識には必ず責任が伴うものです。その責任を取ってもらうわけです(学んだ霊的知識を実生活に活かして身につけるための試練がやってくること)。霊はいったん視野が開かれれば、悲しみは悲しみとして冷静に受け止め、決してそれを悔むことはないはずです。
燦々と太陽の輝く穏やかな日和には人生の教訓は身に沁みません。魂が眼を覚まし、それまで気づかなかった自分の可能性を知るのは時として暗雲垂れ込める暗い日や、嵐の吹きまくる厳しい日でなければならないのです。


[悲しみの極みは魂の目を覚まさせる]
悲しみは魂に悟りを開かせる数ある体験の中でも特に深甚なる意味をもつものです。悲しみはそれが魂の琴線に触れた時(悲しみの極み)、いちばんよく魂の目を覚まさせるものです。
魂は肉体の奥深く埋もれているために、それを目覚めさせるためにはよほどの体験を必要とします。悲しみ、無念、病気、不幸等は地上の人間にとって教訓(悟り・叡智)を学ぶための大切な手段なのです。
もしもその教訓が簡単に学べるものであれば、それはたいした価値のないものということになります。悲しみの極み、苦しみの極みにおいてのみ学べるものだからこそ、それを学ぶだけの準備の出来ていた魂にとって深甚なる価値があると言えるのです。


[悟るためにはその時機(とき)が来ていなければならない]
繰り返し述べてきたことですが、真理は魂がそれを悟る準備の出来た時に初めて学べるのです。霊的な受け入れ態勢が出来るまでは決して真理に目覚めることはありません。こちらからいくら援助の手を差しのべても、それを受け入れる準備の出来ていない者は救われません。霊的知識を理解する時機(とき)を決するのは魂の発達程度です。魂の進化の程度が決するのです。肉体に包まれているあなた方人間が物質的見地から宇宙を眺め、日常の出来ごとを物的モノサシで測り、考え、評価するのは無理もないことですが、それは長い物語の中のほんの些細なエピソード(小話)にすぎません。(そのほぼ全てがたかだか50年、100年もすればすっかり忘れてしまうような出来事)
魂の偉大さは苦難を乗り切る時にこそ発揮されます。失意も落胆も魂の肥やし(霊的成長のための薬)です。魂がその秘められた力を発揮するにはいかなる肥やし(薬)を摂取すればよいかを知る必要があります。それが地上生活の目的なのです。失意のどん底にある時は、もう全てが終わったかの感じを抱くものですが、実はそこから始まるのです。


(参考)“実はそこから始まるのです”の意味は・・・
悲哀の極みによって地上世界に蔓延している物質科学万能主義の自我(エゴ)が真底打ちのめされ、その結果、顕在意識上の仮我の力が極度に弱まることにより、もしも時機(とき)が来ておれば霊的な受け入れ態勢が整い、潜在意識下の深奥に埋もれている“本当の自分”(真我・霊魂)に目を覚ますようになります。この本当の自分、“我とは霊魂である”との自覚が実はそこから始まるのです。


[魂という純金を取り出すのに必要な精錬作業]
あなた方にはまだまだ発揮されていない力──それまで発揮されたものより遥かに大きな力が宿されているのです。それは楽な人生の中では決して発揮されません。苦痛と困難の中にあってこそ(魂の力が)発揮されるのです。金塊もハンマーで砕かないと、その純金の姿を拝むことができないように、魂という純金も、悲しみや苦しみの試練を経ないと出てこないのです。
それ以外に方法がないのです。ほかにもあると言う人がもしいるとしても、私は知りません。
人間の生活に過ちはつきものです。その過ちを改めることによって魂が成長するのです。
苦難や障害に立ち向かった者が、気楽な人生を送っている者よりも大きく力強く成長していくということは、それこそ真の意味でのご利益と言わねばなりません。
何もかもがうまくいき、日なたばかりを歩み、何一つ思い患うことのない人生を送っていては、魂の力は発揮されません。何かに挑戦し、苦しみ、神の全計画の一部であるところの地上という名の戦場において、魂の兵器庫の扉を開き、神の武器を持ち出すこと、それが悟りを開くということです(霊的摂理の宝庫の扉を開き、霊的摂理を持ち出すこと)
困難にグチをこぼしてはいけません。困難こそ魂の肥やしです。むろん困難の最中(さなか)にある時はそれを有難いと思うわけにはいかないでしょう。辛いのですから。しかし、あとでその時を振り返った時、それがあなたの魂の目を開かせる(霊的覚醒・悟り)この上ない肥やし(薬)であったことを知って神に感謝するに相違ありません。
この世に生まれくる霊魂がみな楽な暮しを送っていては、そこには進歩も開発も個性も成就もありません。これは酷(きび)しい辛い教訓ではありますが、何事も価値あるものほど、その成就には困難がつきまとうのです。魂の懸賞はそうやすやすと手に入るものではありません。


[悲しみも苦しみも神性の開発のためにこそある]
解決しなければならない問題もなく、挑むべき闘争もなく、征服すべき困難もない生活には、魂の奥に秘められた神性が開発されるチャンスはありません。悲しみも苦しみも、神性の開発のためにこそあるのです。
「あなたにはもう縁のない話だからそう簡単に言えるのだ」──こうおっしゃる方があるかもしれません。しかし私は実際にそれを体験してきたのです。何百年でなく何千年という歳月を生きてきたのです。その長い旅路を振り返った時、私はただただ、宇宙を支配する神の摂理の見事さに感嘆するばかりです。一つとして偶然というものがないのです。偶発事故というものが無いのです。全てが不変絶対の法則によって統制されているのです。霊的な意識が芽生え、真の自我に目覚めた時、何もかも一目瞭然と分かるようになります。私は宇宙を創造した力に満腔の信頼を置きます。
あなたは一体何を恐れ、また何故に神の力を信じようとしないのです。宇宙を支配する全能なる神になぜ身を委ねないのです(霊的摂理に従うこと)。あらゆる恐怖心、あらゆる心配の念を捨て去って神の御胸に飛び込むのです。神の心(霊的摂理)をわが心とするのです。
心の奥を平静に、そして穏やかに保ち、しかも自信を持って生きることです。そうすれば自然に神の心(霊的摂理)があなたを通して発揮されます。
愛の心と叡知(霊的摂理)をもって臨めば、何事もきっと成就します。聞く耳をもつ者のみが神の御声を聞く(霊的摂理を理解し悟る)ことができるのです。愛が全ての根源です。愛──人間的愛──はそのほんのささやかな表現にすぎませんが、愛こそ神の摂理の遂行者です

[霊的摂理の理解に必要な暗闇の体験]
人間にとってその条件(神性の開発のための条件)とは辛苦であり、悲しみであり、苦痛であり、暗闇の体験です。何もかもがうまくいき、鼻歌交じりののん気な暮らしの連続では、神性の開発は望むべくもありません。そこで神は苦労を、悲しみを、そして痛みを用意されるのです。そうしたものを体験して初めて霊的知識を理解(悟り)する素地(霊的な受け入れ態勢)が出来上がります。
そしていったん霊的知識に目覚めると、その時からあなたはこの宇宙を支配する神と一体となり、その美しさ、その輝き、その気高さ、そして厳しさを発揮しはじめることになるのです。


[魂の成長には厳しい試練が必要]
地上の人生はしょせんは一つの長い闘いであり試練です。魂に秘められた可能性を試される戦場に身を置いていると言ってもよいでしょう。魂にはありとあらゆる種類の長所と欠点が秘められております。すなわち動物的進化の段階の名残りである下等な欲望や感情(欠点:本能心、利己心)もあれば、あなた方の個的存在の源泉である神的属性(長所:霊性心、利他愛)も秘められております。そのどちらが勝つか、その闘いが人生です。地上に生れてくるのはその試練に身をさらすためなのです。
人間は完全なる神の分霊を享けて生れてはいますが、それは魂の奥に潜在しているのであって、それを引き出して磨きをかけるためには、是非とも厳しい試練(粗研磨作業)が必要なのです。

[挫折や失敗は成功と一体不離で、硬貨の表と裏の表裏一体関係]
霊的知識を手にした者は挫折も失敗も神の計画の一部であることを悟らなくてはいけません。陰と陽(例:利己と利他、善と悪、愛と憎しみなど)、作用と反作用は正反対であると同時に一体不離のもの(一本の棒の両端)、言わば硬貨の表と裏のようなものです。表裏一体なのですから、片方(成功)は欲しいがもう一方(挫折)は要らない、というわけにはいかないのです。人間の進化のために、そうした表と裏(陰と陽)の体験、つまり成功と挫折の双方を体験するように仕組まれた法則があるのです。神性の開発を促すために仕組まれた複雑で入り組んだ法則の一部、いわばワンセット(一組)なのです。


神は法則として働いている
[神は法則として働いている]
神は一瞬たりとも休むことなく働き、全存在のすみずみまで完全に通暁しております。
神は法則として働いているのであり、晴天の日(成功)も嵐の日(挫折)も神の働きです。


[一分の狂いもなく霊界にまで及ぶ因果律]
有限なる人間に神を裁く資格はありません。宇宙を裁く資格もありません。地球を裁く資格もありません。あなた自身さえも裁く資格はありません。物的尺度があまりに小さすぎるのです。物的尺度で見る限り世の中は不公平と不正と邪道と力の支配と真理の敗北しか見えないでしょう。当然かもしれません。しかしそれは極めて偏った、誤った判断です。
地上では必ずしも正義が勝つとはかぎりません。なぜなら因果律は必ずしも地上生活中に成就されるとはかぎらないからです。ですが地上生活を越えた長い目で見れば、因果律は一分の狂いもなく働き、天秤は必ず平衝を取り戻します。

[霊的知識を土台とした不動の信念]
そうした法則の全てに通暁することは人間には不可能です(それゆえ自分自身さえ裁く資格もない)。どうしても知り得ないことは信仰によって補うほかはありません。盲目的な軽信ではなく、(霊的)知識を土台とした信仰です。(霊的)知識こそ不動の基盤であり、不変の土台です。宇宙の根源である霊についての永遠の真理は、当然、その霊の力に対する不動の信念(信仰)を産み出さなくてはいけません。そういう義務(責任)があるのです。それも一つの法則です。
恐怖心、信念(信仰)の欠如、懐疑の念は、せっかくの霊的雰囲気をかき乱します。私たち霊は信念(信仰)と平静の雰囲気の中において初めて人間と接触できるのです。恐れ、疑惑、心配、不安、こうした邪念は私ども霊界の者が人間に近づく唯一の道を閉ざしてしまいます。
太陽が燦々と輝き、全てが順調で、銀行にたっぷり預金もあるような時に神に感謝するのは容易でしょう。しかし真の意味で神に感謝すべき時は、辺りが真っ暗闇の時であり、その時こそ内なる力を発揮(霊的な力を引き出す)すべき絶好のチャンスです。然るべき教訓を学び、魂が成長し、意識が広がりかつ高まる時であり、その時こそ神に感謝すべき時です。霊的マストに帆をかかげる時です(導きや叡智などの霊の力やインスピレーションを受けて霊的摂理を悟り、霊的に成長する時)。


[神の力に全幅の信頼をおく]
霊的真理を知った者は一片の恐怖心もなく毎日を送り、いかなる悲しみ、いかなる苦難にも必ずや神の御加護があることを一片の疑いも無く信じることができなければいけません(完璧な信仰)。苦難にも悲しみにも挫けてはなりません。なぜなら霊的な力はいかなる物的な力にも勝るからです。
恐怖心こそ人類最大の敵です。恐怖心は人の心を蝕みます。恐怖心は理性を挫き、(活力を)枯渇させ、マヒさせます。あらゆる苦難を克服させるはずの力を打ちひしぎ、寄せつけません。心を乱し、調和を破壊し、動揺と疑念を呼び起こします。
つとめて恐れの念を打ち消すことです。(霊的)真理を知った者は常に冷静に、晴れやかに、平静に、自信に溢れ、決して取り乱す(短気)ことがあってはなりません。
霊の力はすなわち神の力であり、宇宙を絶対的に支配しています。ただ単に力が絶対というだけではありません。絶対的な叡知であり、絶対的な愛でもあります。生命の全存在の背後に神の絶対的影響力が控えているのです。
ハガネは火によってこそ鍛えられます。魂が鍛えられ、内在する無限の神性に目覚めて悟りを開くのは、苦難の中においてこそです。苦難の時こそあなたが真に生きている貴重な証です。夜明け前に暗黒があるように、魂が輝くには暗闇の体験がなくてはなりません。
そんな時、大切なのはあくまでも自分の責務を忠実に、そして最善を尽くし、自分を見守ってくれる神の力に全幅の信頼(完璧な信仰)を置くことです。

[神の力を信じて身を任せる]
その力、(法則として)宇宙を動かすその無窮の力(神の力)に身を任せましょう。誤まることのないその力を信じることです。

 

霊的摂理の実践、他
[どちらを選ぶかは自由意志に任されている]
運命の十字路にさしかかるごとに右か左かの選択を迫られます。つまり苦難に厳然と立ち向かうか、それとも回避するかの選択を迫られるわけですが、その判断はあなたの自由意志に任されています。もっとも、自由といっても完全なる自由ではありません。
その時点において取りまかれている環境による制約があり、これに反応する個性と気質の違いによっても違ってくるでしょう。
地上生活という巡礼の旅において、内在する神性を開発するためのチャンスはあらかじめ用意されております。そのチャンスを前にして積極姿勢を取るか消極姿勢をとるか、滅私(利他)の態度に出るか自己中心(利己)の態度に出るかは、あなた自身の判断(自由意志)によって決まるということです。地上生活はその選択の連続と言ってもよいでしょう。選択(原因)とその結果(因果律)、つまり作用(原因)と反作用(結果)が人生を織りなしていくのであり、同時にまた、寿命つきて霊界へ来た時に待ち受けている生活、新しい仕事に対する準備が十分に出来ているか否か、能力的に十分か不十分か、霊的に成熟しているか否か、といったこともそれによって決まります。単純なようで実に複雑なのです。
そのことに関連して忘れてならないのは、持てる能力や才能が多ければ多いほど、それだけ責任も大きくなるということです。地上へ再生するに際して各自は、地上で使用する才能についてあらかじめ認識しております。才能がありながらそれを使用しない者は、才能の無い人より大きい責任を取らされます。当然のことでしょう。 


[物事は霊的尺度で判断するように努めること]
霊的に見て、あなたにとって何が一番望ましいかは、あなた自身には分かりません。もしかしたら、あなたにとっていちばん嫌なことが実は、あなたの祈りに対する最適の回答であることも有り得るのです。
ですから、なかなか難しいことではありますが、物事は物的尺度では無く霊的尺度で判断するように努めることです。というのは、あなた方にとって悲劇と思えることが、私どもから見れば幸運と思えることがあり、あなた方にとって幸福と思えることが、私どもから見れば不幸だと思えることもあるのです。(人間万事塞翁が馬)
祈りにはそれなりの回答が与えられます。しかしそれは必ずしもあなたが望んでいる通りの形ではなく、その時のあなたの霊的成長にとっていちばん望ましい形で与えられます。神は決して我が子を見捨てるようなことは致しません。しかし神が施されることを地上的なモノサシで批判することはやめなくてはいけません。
絶対に誤まることのない霊的真理が幾つかありますが、その内から二つだけ紹介してみましょう。一つは、動機が純粋(善・利他)であれば、どんなことをしても決して被害をこうむることはないということ。もう一つは、人のためという熱意に燃える者には必ずそのチャンスが与えられるということ。この二つです。焦ってはいけません。何事も気長に構えることです。
何しろこの地上に意識をもった生命が誕生するのに何百万年もの歳月を要したのです。さらに人間という形態が今日のごとき組織体を具えるに至るのに何百万年もかかりました。
その中からあなた方のように霊的真理を理解する人が出るのにどれほどの年数がかかったことでしょう。


[霊的真理を実生活で実践して体験しなさい]
霊的真理は単なる知識として記憶しているというだけでは理解したことにはなりません。実生活の場で真剣に体験(神の力と摂理に全幅の信頼・信仰を置き従うという実践体験)して、初めてそれを理解するための魂の準備が出来あがります。どうもその点がよく分かっていただけないようです。
種を蒔きさえすれば芽が出るというものではないでしょう。芽を出させるだけの養分がそろわなくてはなりますまい。養分が揃っていても太陽と水がなくてはなりますまい。そうした条件が全部うまくそろった時にようやく種が芽を出し、成長し、そして花を咲かせるのです。


[そして、霊界から“霊の力”を引き出しなさい]
そしていったん身につけたら、もう二度と失うことはありません。それを機に霊界との磁気にも似た強力なつながりが生じ、必要に応じて霊界から力なり影響なり、インスピレーションなり、真理なり、美なりを引き出せるようになります。魂が進化しただけ、その分だけ自由意志が与えられます。霊的進化の階段を一段上がるごとに、その分だけ多くの自由意志を行使することを許されます。(恐怖心や心配、取越苦労、怒りなどの囚われから解放されて取り乱すことなく、心が自由となり自由意志が行使しやすくなる)
あなたはしょせん、現在のあなたを超えることは出来ません。そこがあなたの限界と言えます。が同時にあなたは神の一部であることを忘れてはなりません。いかなる困難、いかなる障害もきっと克服するだけの(霊の)力を秘めているのです。霊は物質に勝ります。霊は何ものにも勝ります。霊こそ全てを造り出すエッセンスです。なぜなら、霊は生命そのものであり、生命は霊そのものだからです。”                       

 

[亀水によるマトメ]


●地上人生の目的は、苦難を乗り切る時に魂がその秘められた力を発揮し、魂に内在する神性を開発することにあります。

悲しみも苦しみも、その神性の開発のためにこそあるのです。そうした苦労を体験して始めて霊的真理を理解する素地ができるようになるからです。

 

1.鼻歌まじりののん気な暮らしの連続では、神性の開発は望むべくもありません。


2.シルバーバーチは、苦難を避けて通る方法を教えているのではない。


3.その目的は、苦難に敢然と立ち向かい、克服して強い人間になることにあるのです。


4.悲しみや不幸などはこの教訓(霊的真理)を学ぶ大切な手段となっています。


5.神は摂理(法則)として働き、霊の力による絶対不変の法則で宇宙を経綸しています。


6.人には神の摂理のすべては知りえないので、どうしても摂理への信仰が必要となります。


7.神の摂理に対して静かで穏やかな確信(信仰)があれば、その“霊の力”(神の力)を引き出すことができるようになります。


8.また、摂理(法則)への“完璧な信仰”があれば、すべての恐怖心を追い払うことができ
ます。


9.なぜなら、霊的な力は物的な力よりも強いので、心配したりする必要はまったくないからです。

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令和7年3月)

“一旦ことがあると、なぜ泰然自若の心境にならないのか”(雑記)(2025.2.21)

霊的知識があっても、なぜ、不安や心配、取越苦労や怒り(短気)などが相変わらず無くならないのだろうか?
なぜ、ことあるごとに心に波風が立ち、一向に泰然自若の心境にならないのだろうか?
このように一旦ことがあると、いくら繰り返し霊訓を読んでいても、自らに自信がないためなのか、折角学んだ霊的真理がなぜ不動の信仰をもって日常生活に活かされないのでしょうか?


このことに関して、霊訓からヒントになると思われる箇所を以下抜粋したいと思います。


「シルバーバーチの霊訓」二巻 三章“一(女性)教師の悩みに答える”(P72~76)より(スピリチュアリズム普及会発行)なお、シルバーバーチの語っている個所は“―”で表示します。


シルバーバーチ:
魂を照らす光明へ向けて順調に頑張っておられるのに(霊的成長)、自分では精神的に暗闇にいるように思っておられる(ここの個所は本文の後半で“はじめの問題”と指摘されているところです)それで私が、怖がらずに突き進みなさい、とハッパをかけるのです

すると別の出席者がこう弁明した。
私たち人間は自分の物的な立場からしか自分が見えないのです。自分はやるべきことをやっていないのではないか、と思い始めたら、もう、現実にやっていないということになってしまうのです。あなたからみれば私たちは立派にやっていて、素晴らしい、純心な、光り輝く存在であっても、私たち自身はそうは意識していません。欠点ばかりが目につくのです

“そんなことはありません。あなた方はご自分で意識しておられる以上に立派な方ばかりです。高い知識を身に付けた方はとかく自分をみじめに思いがちなものです。その知識が謙虚さ、真の意味での謙虚さを生むからです。
人間は困難のさなかにある時は、自分の置かれた情況について必ずしも明確な判断が出来ません。また、これで良かったかという動機づけについても、穏やかな精神状態の時ほどの明確な自信が持てないものです。
興奮と衝突と不協和音の中にあっては、冷静な反省は容易に得られるものではありません。
その上、あなた方は全体像がつかめないという宿命的な立場に置かれております。あなた方に見えるのはホンの一部だけです”(私たちが心配や取越苦労をする主な原因)

「人間が自由意志が行使できるといっても、獲得した知識に相当した範囲においてだけということになります」と教師が述べると、

“おっしゃる通りです。でも私はいつもこう申し上げております───自分の良心の命ずるままに行動しなさい、と”

「そう言われると私は困るのです。(良心にそむくことがあるから 亀水注)良心がある事を命じて、もしそれに従わないとペナルティ(報い・罰・罰金)を受けるということですね?」

“そういうことです。結局はじめの問題に戻ってきたわけです”

「それが私の悩みのタネなのです」(霊的摂理への信念・信仰の足りなさの自覚や、我欲に負けた良心の呵責等のために自分をみじめに思い、精神的にも暗闇にいるように感じている)

人生は螺旋階段のようなものです。(行ったり戻ったりを繰り返して少しずつ上がっていきます)単純であって、しかも複雑です。一つのプランのもとに展開しております。難題の一つ一つにはちゃんとそれを解く合カギ(解決方法)があるのです。が、必ずしもその合カギが手に入るとはかぎりません。それで、ドアがいつまでも開かないということになります。
だからこそ、人生の闘いの中にあっては理解力(判断力)や真理の探究心(霊的知識への欲求)といったものが要請されるわけです。それが私どもの世界から見守っているスピリットからの援助を(外から)呼び寄せることになるからです。それ自身の内部(内から)に宿されている資質(神的エネルギー・霊の力)と相まって困難を克服する十分な力を発揮させます”

すると未亡人が「失敗を失敗として自覚する限り、その失敗は大して苦にする必要はないということになるように思います」と述べると、

あなた方には全体像が見えないのです。こちらへ来て霊眼をもって見れば、全てが明らかとなります。ある人が成功と思っていることが実は失敗であることがあり、失敗したと思っていることが実は成功だったりするものです(人間万事塞翁が馬)

亀水注)「塞翁が馬」(出典:淮南子 えなんじ)・・・不運に思えたことが幸運につながったり、その逆だったりするため、幸運か不幸かは簡単には判断できない。(マイナビニュースより)


そこで教師が本当に成功だったか失敗だったかは自分で分かるものであることを述べると、

“その通りです。いわゆる“良心の声”に従えるほど冷静になればわかります。良心はいつも見つめております。それで私は、問題に対する回答は(良心の声によって)必ず自分で得ることができます、と申し上げるのです”

「私もそう思います」と未亡人が相槌を打つと、シルバーバーチは続けて、

でも、それ(良心の声をきくこと)は容易にできることではありません。地上の人間の大きな問題点は、自我を鎮め、内部に安らぎを見出し、波長を整えて調和を取り戻す方法を知らないことです。ほんのわずかの間でもよろしい。
“この世”から(物的な意味ではなく)精神的・霊的に身を引き、代わって、とかく抑えられている内的自我
(本当の自分)を表面(表面意識・顕在意識)に出すようにすれば、人生の悩みに対する回答(解決方法)を見出します。
時には毎日の型にはまった生活を崩して田園なり海岸なりに足を運んでみるのもよいでしょう。精神状態が変わって、ふと良い解決方法を思いつくことにもなることでしょう。しかし本来は、コツさえ身につければ、そんな遠くまで“旅行”しなくてもできるものです”
(坐禅や瞑想の目的がこれです。ブザーや仏具のおりんを利用する中村天風の安生打坐法もこのコツにつながる良い方法です)

「でも、それは大変な努力を要することです」と教師が言うと、

“むろん、とても難しいことです。しかし霊的な宝は容易に得られるものではありません。
もっとも望ましいことは、もっとも成就しにくいものです。努力せずして手に入るものは大して価値はありません。
あなたに申し上げます。迷わず前進なさい。これまでのあなたの人生で今日ほど魂が生き生きと目覚めておられる日はありません。その魂(本当の自分)に手綱を預けてしまうのです。その魂に煩悶を鎮めさせるのです。すべては佳(よ)きに計らわれていることを知ってください。その安堵感の中にあってこそ、あなたの求めておられる魂の安らぎと静寂とを見出されることでしょう。


魂の中でも時に嵐が吹きすさぶことがあることを自覚している人はわずかしかいません。あなたはその数少ないお一人です。


Few know of the raging storm and tempest that goes on within.
猛烈な嵐や暴風雨(すべてに見放され、誰からも顧みられず、絶望の状態に置かれた時の魂の孤独・ゲッセマネの園)が内(内的自我・霊魂)に吹きすさぶことがあることを知っている人はほとんどいません。(亀水訳)


私にはあなたの気持がよく理解できます。私からも手をお貸ししましょう。私達の世界からの愛をもってすれば、けっして挫けることはありません。信じて頑張るのです。頑張り抜くのです。真実であると信じるもの(霊的摂理)にしがみつき通すのです。神は、あなたの方から見捨てない限り、絶対にあなたをお見捨てになりません

 

以上のことから、私たちが容易に泰然自若にならない理由として、


1.人には全体像が見えず、近視眼的でごく狭い範囲の考え方に捉われやすい。(P73)


2.物的な見方に左右されやすく、五感では捉えられない霊界の存在は意識しにくい。(P72)


3.霊的摂理への信仰や意志が弱くて“良心の声”に反する行いも多く、自らに自信がもてないために、精神的に暗闇にいると思っている。(P72、P73) 等の原因が挙げられます。

 

では一体、どうすればよいのかを上記の霊訓から抜き出してみます。


1.その魂(本当の自分)に手綱を預けてしまうのです。 内から
その魂に煩悶を鎮めさせるのです。霊界からすべては佳(よ)きに計られていることを知り、その安堵感の中にあってこそ、魂の安らぎと静寂とを見出されることでしょう。(P76)


2.そして、自分の良心の命ずるままに行動しなさい。(P73)


3.また、霊界から見守っているスピリットからの援助を呼び寄せるのです。(P74) 外から


あとは、
4.全体像をみている背後霊や霊的摂理を信じて頑張るのです。頑張り抜くのです。真実であると信じるものにしがみつき通すのです。神はあなたの方から見捨てない限り、絶対にあなたをお見捨てになりません。(P76)  
となります。


それでは、どうすればこの背後霊を信じて頑張り抜くことができるようになるのでしょうか。
以下そのヒントになると思われるものを霊訓より抜粋いたします。ここはとても大切な内容ですので、決して忘れないようにいたしましょう。


これまでたどってきた道を振り返ってごらんになれば、常に導きを受けておられることがお判りになるでしょう。
霊界からの導きによって全ての悩みが消えてしまうとか、足もとの石ころがぜんぶ取り除かれると言っているのではありません。霊界の援助を得て事にのぞめば、あなた方お二人にとって大きすぎて解決できないような問題は決して生じないと言っているのです。

振り返ってごらんになれば、霊の指先が道を指示してくれていることがお判りになるはずです。それが歴然としているものもあれば、あまりはっきりと認識できないものもありますが、常に進むべき道を指し示しております。難問で四方を取り囲まれていた時でも、結局は無キズのまま平然と切り抜けてこられ、一度も挫折したことはありません。” (二巻  P111)

 

以上、これまでたどってきた道を振り返ってみれば判るように、霊が進むべき道を指し示している体験、何度も何度も繰り返しこの霊の導きによる霊的体験を積むことによって、歴然たる事実(証拠)として、やがて霊的真理を手にしたがゆえの不屈の決意、背後の力に対する不動の確信となっていきます。

そのためにも、すべての人に先天的に賦与されている霊的能力をますます意識し、霊の導きに気づくようにそのアンテナを磨く努力(正しい霊的摂理の学びと実践)に努め、確信にまで至るようにしましょう。

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令和7年2月)

“宿命と自由意志” (人生)(2025.1.28)

「シルバーバーチの霊訓」二巻 二章“宿命と自由意志”より(スピリチュアリズム普及会)


すべての出来事は因果律の絡み合いです。その因果律に従う「運命」は、魂の進化の程度(霊格)と霊的知識によって変えることができます。⇒「立命」 (P51 & P65参照)


未亡人: (P48)
「主人が亡くなったとき私は、これも宿命だったのだと信じる用意は出来ていたので、そのことをある方を通じてあなたに伝えてもらいました。するとあなたは、これは事故(アクシデント)だとおっしゃったのです。私は、アクシデント(事故)と法則(宿命・運命)とが同居できるはずはないと思いました

シルバーバーチ:
“私がアクシデントだと言ったのは、神が過ちを犯したという意味ではありません。法則の内側にも更に別の次元の法則が絡んでおります。その事実を、これから可能な限り判り易く説明してみましょう。私が申し上げたかったのは、ご主人はあの日に死ぬ運命ではなかったということです


―因果律―
シルバーバーチは“すべての出来事は因果律の絡み合いです”と述べてから、さらにこう続けた。
“人生にはその二つの力が作用しております。原因に対し、寸分の狂いもない正確さをもって、それ相当の結果が生じます。結果は原因に従うほかはないのです。その原因もまたそれ以前の原因の結果であり、その関係が人生のありとあらゆる側面に途切れることなく無限に続いております。” (P65)


―因果律という法則の元での自由意志という別の次元の法則―

“人生はすべて法則によって支配されております。天命、宿命、運命――こうした問題は何世紀にもわたって思想家の頭を悩ませてきました。では真相はといえば、法則の内側にも別の次元の法則が働いているということです。宇宙には何人にも動かしがたい基本的な法則(因果律)がまず存在します。そして、それとは別に、自由意志を行使できる法則もあります。ただし自由意志による行為が原因となってそれ相当の結果が生じます。それは絶対に避けることはできないということです。” (P49)


―神の子(分霊)としての私たちの自由意志―

“あなたにも神の計画の発展に寄与する力があるということです。宇宙の無限の創造活動の一翼を担うことができるということです。一方にはどうしても従わざるを得ない法則(因果律)があり、他方には従うべきでありながら自由意志で勝手な行為(原因)に出てもよい法則もあります。その行為の中にはそれ相当の結果を生むタネが宿されているということです”(P50)


⇒ 人間は神のロボットではなく、“神の子”として自己責任である自由意志によって神の宇宙創造活動の一端を担っているのです。

宇宙の基本的法則    因果律という法則の内側の別の次元の法則  
      因果律     ×      自由意志
(原因と結果の法則)         (あなたも神です)


⇒ 限られた範囲内(摂理の中)での自由意志ではあるが、それが原因となって結果を生みます。またその結果が原因となって新たな結果を招くのです。人生はこの因果律の繰り返しです。そして、因果律によって導かれる「運命」は、霊格と宇宙の法則(摂理)への理解度によって自らの意志で人生を規制(コントロール)することがきるのです。

 

[考察]
宇宙の第一原理である“因果律”は、私たちの霊的成長のために神からあたえられたものです。他界も含めて因果律は完璧な公平公正で働いており、私たち人間はこれなくしては自己責任によって霊的に成長することができないのです。
良いことばかりではなく逆も真なりで、“因果律”のベクトルは原因次第で光(善)方向にも暗闇(悪)方向にも自動的、且つ、機械的に進みます。ということは、心がけ一つで人の「運命」(宿命)は変えられるということであり、いわゆる「立命」は可能なのです。


ジェームス・アレンは「原因と結果の法則」(因果律)や「引き寄せの法則」として、“思念は実現する”と語っています。同様に、「成功の実現」の中村天風や経営の神様と世間ではいわれている稲盛和夫は、人生、積極心で良き思いを持ち続け、努力することによって「運命」は好転し、自ら人生を切り開いて「立命」することができると語っています。
これら先人達の教えは、“因果律”という基本中の基本の宇宙の法則の中で、出生前に定めた「宿命」を人間の自由意志によって、良い方向にも悪い方向にも変えることが出来るということを語っているのです。
自らの意志を宇宙に経綸している神の法則に適応(同調)し、“本当の自分”(真我、霊魂)の心である良心の声に従って人生を歩み、利他愛をとおして霊格を高め、且つ、霊的知識を学んでそれを日常生活に実践することによって摂理をより深く理解すれば、すばらしい地上人生を手にすることが出来るとシルバーバーチは語っています。


ちなみに、思念は動機となって行動を伴うため、徐々に周りの環境が思念の方向に向かい、すなわち、強く念じたことが実現する方向へと姿を顕してきます。霊界は思念の世界であり、思ったことがすぐに実現する世界ですが、地上世界はその物的波動がとても粗いために、思念の実現には相当の時間が必要となるのです。霊界とは時間軸が異なるともいえます。
また、他界後の霊界における期間までも含めて因果律は厳然と働いており、地上でつくった原因は機械的に結果を生んで法則として自らにその賞罰は必ず帰ってくるのです。この因果律は宇宙の基本中の基本、第一原理だからです。このように因果律は公平公正、且つ、厳正に機械的に働いているため、その意味では特段、他人の行為に腹を立てて憤慨することもないのです。


[マトメ]
“あなたのすることはそれ相当の結果が生じます(因果律)。ですから、(霊的)知識を増やすことです。霊格を高めることです。そうすれば霊的法則の働きについて一層の理解がいき、それによって人生を規制していくことができます。”(P52)その結果、“人間がその基本的霊的真理にのっとって生活すれば、地上で享受できるかぎりの生き甲斐ある豊かさを手にすることができます。” (P53)

 

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令和7年1月)

―霊的知識は実生活に活かさなければなりません―(霊力)(2025.1.4)

「シルバーバーチの霊訓」 二巻 一章“人のために役立つことを”より(スピリチュアリズム普及会発行) 


“全ての人間には魂に内在する神的エネルギーが流れていて、その力の存在に気づいている限り、その力は絶対にあなたを見捨てることはありません。” 亀水訳(P30 参照) 


“ The power that cannot fail as long as those through whom it flows are aware of its existence. ” (P24  Silver Birch Speaks) 


●この集会には真剣な目的が託されていることを忘れてはなりません。人類の行く手(一面)に横たわる危険な落とし穴(から逃れる方法)を教えてあげる重大な任務を帯びているからです。 
人生に疲れ、あるいは迷う人々が心を軽やかにし、精神を目覚めさせ、指導と助言となるべき霊的な光を顕現してあげようと努力しているのです。 
困難と懐疑と絶望の中にある者には魂の避難場所(神的エネルギーの存在)を提供してあげることができます。 
人間の歩むべき道、つまり(本当の自分・霊魂に)内在する崇高な精神(神性・霊性心)を存分に発現させる方法を教えることができます。 
そして何にもまして、全ての光と全ての愛の大根源(神)より発せられる荘厳な神的エネルギーの存在を自覚せしめます。それは決して遥か彼方の手の届かない場所にあるのではありません。全ての人間の魂(本当の自分)に内在しているのです。 
それは実にこの大宇宙を造り上げたエネルギー(神そのもの)であり、自然界のすみずみまで流れているエネルギーであり、その存在を自覚する者が見棄てられることは絶対にありません。”⇒ 信仰・信念
(「シルバーバーチの霊訓」二巻 P29) 


“獲得した霊的知識は実生活に活かさなければなりません。”(二巻 P26) 


では果たして私たちは、我が内に神の分霊すなわち神の力(神的エネルギー・霊力)が内在しているという上記の霊的知識を堅く信じて(信仰)、実生活で自信をもって実践しているだろうか? 
私たち霊的知識の恩恵を受けた者は、我が内に神の分霊(神的エネルギー)が宿っているという霊的真理に気づき、堅く信じて常にそのことを自覚(信仰・信念)していなければなりません。そして日常生活で発生する一切の出来事に対して、それを克服するための武器としてこの霊的知識を活かすことが求められております。
なぜなら、霊的知識は本を繰り返し読むだけでは決して身につかないからです。学んだ霊的知識は仕事や日常生活に適用し実践してこそ初めて理解ができ、身につくからです。


では、日常生活でこの霊的知識を活かすための具体的な例を上げてみましょう。 


    「シルバーバーチの霊訓」 二巻 一章“人のために役立つことを”より 

    1. シルバーバーチは霊訓の中で、常に“人のために尽くすこと”の重要性を語っています。

      実はこの利他行為にも“原因と結果の法則”(因果律)が機械的に働いているのです。 (P17) すなわち、“善行はそれ自体の中に報酬が宿されております”(一巻 P160)や、“人のために己を捧げる者は必ず報われます”(二巻 P29) という因果律が機械的に発生するのです。(善因善果・悪因悪果)
      但し、霊的成長とは別に、いつ、具体的にどのような形で結果が来るのかまでは、我々人間には予測がつかないのです。ひょっとすると死後の話になるのかもしれません。

    1. “本当の自分”(真我)には“神の分霊”(神の力・神的エネルギー)が内在しているということに気づいている者は、その“神の力”に見捨てられることは絶対にありません。 P30 

    1. また、“人のために生きる者こそ、最も神に近い存在なのです”(P17)というこの霊的知識を、私たちは実生活で実践することが求められています。 P26 

    1. 但し、たとえ私たちに神の分霊が内在しているという知識や利他行為への願望があっても、自我意識上の私(仮我)は、まったくもってとるに足らぬ小さな存在であると常日頃痛感しております。そのため、不安・心配の多い世の中にあって、いくら知識はあってもことにあたってはついついひるんでしまい、霊的知識をすっかり忘れて世間に流され、心が振り回されて気弱になっております。 P29

    1. しかしながら、摂理に順応すべく常に願望を持ち続け希望をもって努力していると、霊界で地上人に尽くしたいという同じ願望を抱いている数多くの霊を自動的に引き寄せることになります。(P18) たとえ目には見えずとも、決して一人で頑張っているのではないということです。

    1. そこで、ことにあたって精一杯の努力をした後は、精神を統一し自分を無にして、その背後霊の導きに全てを委ねるのです。 P18 

    1. そうすると、霊界からの導きによる新たな展開や、助言等のインスピレーションが入ってきて、悟りや勇気、解決のためのアドバイスが得られるようになります。 P18 

“それが私どもの世界から見守っているスピリットからの援助を呼び寄せることになるからです。それがあなた自身の内部に宿っている資質(神的エネルギー)と相まって困難を克服する十分な力を発揮させます。” (二巻 三章)


「心配してはいけません」、「背後霊は常に護り導いています」、「今になって見棄てるはずはありません」等々の霊的知識を、日常のあらゆる場面で実践すべく、霊的約束を堅く信じて、自信をもって摂理に順応していく中で、さらなる霊的悟りや叡智が得られ、一層成長することができるようになっているのです。


問題も困難もトラブルも起きないと言っているのではありません。それは人間としてどうしても遭遇することになっているのです。地上生活を送る魂は有為転変の全てを体験しなければなりません。 (中略)
苦労を通じて霊力の働き、地上への働きかけの原理を理解した者だけが、その霊力との交わりから生まれる内的な喜びを味わうことができることを述べんとしているまでです。
それは地上の言語ではなかなか表現しにくいことです。が、その霊力の恩恵に浴した者は、人生には魂まで傷つけ挫けさせ宿命の成就を妨げるほどのものは絶対に生じないことを知り、自信を持って堂々と生きることができるということです。” 
(「シルバーバーチの霊訓」二巻 P36 スピリチュアリズム普及会)

 

明日は何が起こるかわからない一寸先は闇の中にあって、私たち自身は、非力で過ちを犯しやすく、迷いも多くて自信がなく、本当に取るに足らないとても小さな存在と自覚しております。
そんな表面意識上の自我(仮我)に自信を持つのではなく、決して裏切ることのない“本当の自分”(真我)に宿る“神の分霊”、神的エネルギー(神の力)に全幅の信頼と自信を置くようにすればよいのです。決して見棄てることのない唯一無二の万能のスポンサーが自らについていると考えてもよいかもしれません。
そうすることによって、取越苦労や心配、不安の捕らわれから心は自由になることができます。
正にそのことが、“我が内に神的エネルギーが存在することに気づいている限り、その力は絶対にあなたを見捨てることはありません”という霊的知識を、実生活に活かすことになるのです。

 

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令和6年12月)

“霊こそが実在”(真我)(2024.11.25)

今の世の中は、 
なぜ理不尽なことが多いのか
なぜ国家から個人まで堂々と利己主義が幅をきかせているのか 
なぜ不正が横行し、一見すると正義が弱そうに見えるのか 
なぜ性犯罪が多いのか 
なぜ人を簡単に殺すのか 
なぜ戦争が絶えないのか 
なぜロシア、中国、北朝鮮などの専制(独裁)国家があるのか 
なぜお金や権力など“この世の力は正義なり”なのか 
なぜ人を支配したがるのか 
なぜお金儲けの上手な人や大企業の経営者が、それだけで立派な人物として評価されるのか 
 
このように拝金・唯物主義の今の世の中は、強欲と利己主義と略奪やレイプが横行し、世界中に戦争や不安、怖れ、不公平、差別、貧困などの格差が相変わらず蔓延しており、科学が大きく進歩している一方で、あまりにも悲劇と悪行が目に余ります。 
 
そこで一体何が本当なのか、何が正義で真実の姿なのか、また、何のためにこの地上人生があるのか、を改めて「シルバーバーチの霊訓」一巻 十章“質問に答える”(スピリチュアリズム普及会発行)から再考してみましょう。 
 
“霊こそ実在であるという真理は永久に不変です。これが全ての謎を解き、全てをあるべき位置にあらしめるカギです。” P188 


“This (Spirit) is an abiding truth. The knowledge of this reality is the key that unlocks all the riddles and enables everything to fall into its proper place.” (P110 Guidance from Silver Birch) 


“霊こそが実在は永遠の真理です。この実在を知ることは全てのナゾ(疑問)を解き、(因果律の働きの結果、)全てはあるべき位置に収まるというカギ(解答)となります。” 亀水訳 
 
そこで表題の“霊こそが実在”であるという真理(実相)から、次のことが導かれます。 


その1  ・・・永遠の旅路の中でやり直すことができる 
問 「(死後)もう一度やり直すチャンスは全ての人に与えられるのでしょうか」 
 
答 「もちろんです。やり直しのチャンスが与えられないとしたら、宇宙が愛と公正とによって支配されていないことになります。墓に埋められて万事が終わるとしたら、この世は実に不公平だらけで、生きてきた不満の多い人生の埋め合わせもやり直しもできないことになります。私どもが地上の人々にもたらすことのできる最高の霊的知識は人生が“死”をもって終了するのではないということ、従って苦しい人生を送った人も、失敗の人生を送った人も、屈辱の人生を送った人も、皆もう一度やり直すことができるということ。言いかえれば、悔やし涙を拭うチャンスが必ず与えられるということです。  
人生は死後もなお続くのです。永遠に続くのです。その永遠の旅路の中で人間は内在している能力、地上で発揮し得なかった才能を発揮するチャンスが与えられ、同時にまた、愚かにも摂理を無視し他人の迷惑も考えずに横柄に生きてきた人間は、その悪行の償いをするチャンスが与えられます。 
神の公正は完璧です。だますことも、ごまかすこともできません。すべては神の眼下にあります。神は全てをお見通しです。そうと知れば、真面目に正直に生きてきた人間が何を恐れることがありましょう。恐れることを必要とするのは利己主義者だけです。」  P168 
 

その2 ・・・この地上世界は比較対照の世界となっている 
“とにかく私たちの世界には光と闇といった対照がなく、従って影もありません。光だけです。光の中だけで生きていける段階まで到達した霊は、光とは何かについて完全な理解が出来ております。そうでなかったらその界層におれません。 
その界層に至るまではやはり(物質界同様)光と闇の錯覚の世界である幽界に留まります。進化していくとそういう比較対照を必要としない段階に至ります。そうすれば実在の真相をより正しく理解するようになり、実相(真理)をあるがままに知ることができます。” P174 
 
●光と闇の比較対照の世界:地上世界と幽界
  比較対照によって学ぶ世界として、地上世界(物質界)と地上世界に最も近い霊界の最下層である幽界とがあります。 
 
●光と闇といった比較対照がなく、光だけの世界:霊界 
  幽界を卒業したあとは、霊界で霊性レベルが同一の界層に存在します。 
 

その3 ・・・私たちの地上人生は比較対照によって霊的に成長するためにある 
このように地上世界(物質界)は、“本当の自分”である「霊魂」が成長しやすいように、善と悪、光と闇、利己と利他、愛と憎しみなど比較対照をとおして学ぶようになっています。
そのため、比較対照のない霊界とは下記のようにあらゆる点で異なっております。 
 
肉体・・・誕生・親子家族愛・男女の恋愛・性愛・出産育児・病・加齢老化・死(肉体の消滅) 
霊体・・・人種や男女の別無し・性欲無し・出産育児無し・病無し・死無し(永遠の生命)
      → 肉体を有する場合とは真逆となります。 
 
霊的成長レベルの異なる人々が混在でき、且つ、平等に人生をスタートできるように肉体をまとい、“本当の自分”(霊魂)は、潜在意識下のさらに奥深い深層に隠されます。 
このように、地上では霊性レベルの異なる人々が生身の肉体をもって混在しているため、種々のあつれきや困難が多く、病もあり、これらの出来事から因果律をとおして霊的真理を学び、結果として霊的に成長しやすい環境条件となっています。 


“こうした霊的覚醒、言いかえれば飢えと渇きに喘ぐ魂に霊的真理をもたらすことは実に大切なことです。それ(霊的真理を学ぶこと)が地上での存在の理由の全てなのです。それなのに現実は、大多数の人間が身につけるべきものをロクに身につけようともせず地上を素通りしております。ですから、イザこちらの世界へ来た時は何の備えもできていないか、さもなければ、一から学び直さなければならないほど誤った思想・信仰によってぎゅうぎゅう詰めになっております。本来そうしたもの(霊的真理)は地上の方が遥かに学びやすく、その方が自然なのです。” P162 
 
 
―備考―
●地上世界は様々なレベルの愛を学ぶ場です。・・・親の愛、家族愛、利己愛、男女の恋愛、性愛、夫婦愛、思いやりや哀れみなどの利他愛、神の愛など。 
人間は本能心である自己中心の利己愛からスタートし、利他愛(霊性心)の神を目指して成長しています。
 
●本来、人間は一人では生きていけず、その利他愛を学ぶために他者との関わり合いが必要となっています。 
その動機は必ずしも性欲だけではありませんが、男性と女性は丁度、磁石の+と-のように本能的に異性同士が引き合うようになっています。(人間のさが、煩悩)
夫婦は利他愛を学ぶ最小単位の小さな社会であり、お互いがそれぞれを補完しあっています。 
 
●霊そのものには男女の差は一切無く完全に平等ですが、地上世界(物質界)での自己表現の道具である肉体があるがために、男女で情緒面の違いや身体の一部が妊娠出産に必要な肉体構造の差となっています。 
それは、人間にも動物本能としての性欲が生まれながらにあり、妊娠出産により他の霊にも神の子となって地上世界で霊的成長をするチャンスが与えられるようになっているからです。 
 
●人間は地上世界にあるときから“本当の自分”(真我)は「霊」であり、それは潜在意識下の深層にあって常に表面意識上へ顕現することを自発的に求めています。 
その自発性のため、人間は“本当の自分”に内在している神の分霊、神性(霊性心)を発現する方向に向かって、少しずつ少しずつ成長し進化向上するようになっています。

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令和6年11月)

“本当の自分”(霊)を意識的に発現させるには(瞑想)(2024.11.6)

「シルバーバーチの霊訓」一巻 九章“霊とは何か”& 十一章“おしまいに”(スピリチュアリズム普及会発行)より


霊こそ実在であるという真理は永久に不変です。これが全ての謎を解き、全てをあるべき位置にあらしめるカギです。” P188


“では、いかにすればこの驚異的な潜在的神性(本当の自分・霊)を意識的に発現させることができるのでしょうか。
それに関して地上には各種の学説、方法、技術があります。いずれも目指すところは同じで、脳の働きを鎮め(瞑想・坐禅などによる精神統一)、潜在的個性(本当の自分・霊)を発現させて本来の生命力(霊力)との調和を促進しようというものです。要するに物的混沌(雑念妄想念・不安)から脱け出させ、霊的静寂の中へと導くこと(into the silence of the spirit霊)を主眼としておりますが、私はどれといって特定の方法を説くことには賛成しかねます。
各自が自分なりの方法を自分で見出していくべきものだからです。
自我を一時的に(無念無想状態にして)潜在意識にコントロールさせ、それをきっかけにして内部の生命(霊)とのつながりをより緊密に、そしてより強くさせることを目的とした内観法が幾つかあります。それが次第に深まれば霊界からのインスピレーションを受けることも多くなります。
まず心霊的(サイキック)な面が開発されます。続いて霊的(スピリチュアル)な面が開発され宇宙の内奥に存在する生命力(霊力)がふんだんに流れ込むようになります。
ある種のテクニックを身につければ病気を自分で治し、体内の不純物を排出し、欠陥を矯正することができるようになります。
自我の全ての側面──霊と精神と身体の調和を成就することができます。かくして霊性が本来の優位(霊主肉従)を確保していくに従って、霊的叡知、霊的理解、霊的平穏、霊的自信、霊的静寂が増し、不滅の霊力(これら種々の働きをする生命力)との真のつながりを自覚するようになります。” P155


以上の内容から、潜在的神性(本当の自分・霊魂)を意識的に発現させるには、
まずは、


1. 脳の働きを鎮める P155

 ⇒ 精神統一(心を空にする)によって、自我を一時的に潜在意識にコントロールさせる


2. 霊的静寂の中へ導き、“本当の自分”(霊)を発現させる  P155

 ⇒ 表面意識(顕在意識)が一時的に消えると、無意識状態(無念無想)の中(into the silence of the spirit霊)で、雑念妄想念や不安の霧が晴れるに従い潜在意識下にある“本当の自分”(霊)が相対的に顕現してくる


↓  そうなると、
3. “本当の自分”に内在する本来の生命力(霊力)との調和を促進することになる

すなわち、内部の生命力(霊力)とのつながりをより緊密にすることになる  P155


↓  それが次第に深まれば、
4. サイキック(心霊的)な面が開発されます。次に、霊的に覚醒(霊的自覚)すればスピリチュアル(霊的)な面の開発へと進むことができるようになる P163


↓  そうなると、
5. 霊界からのインスピレーションを受け取るようになる P155

  ⇒ あなたのオーラと背後霊のオーラの融合が強化される



6. 霊的摂理の悟りや叡智、背後霊の導きや護りなど霊的な体験を日常生活の中で数多く経験することによって、霊力の存在(背後霊など)を強く意識し霊界と繋がるようになる



7. 霊的摂理と調和した生活を送ることによって、祈りを通して内と外の“神の兵器庫”から自由に霊力を引き出し利用することができるようになる P192

 ⇒ 但し、これには霊的自覚(覚醒)と霊的知識、及び、霊主肉従の生活が必要となる


魂の真の満足は内的な静寂と輝きとなって表れます。すなわち“真の自我”(本当の自分・霊魂)を見出したことから生まれる魂の平安と自信です
魂がその状態になった時を“悟った”というのであり、“神を見出した”と言うのです。そうなれば人生のいかなる苦しみにも悲しみにも負けることはありません。なぜなら悟りを開いたあなたは、いついかなる時でも神の兵器庫を開けることができるからです。” P189

“もしも地上人類が、その神の心(真我)をわが心(仮我)として摂理と調和した生活を送ることができれば、地上生活は一変することでしょう。その力は(内外の神の兵器庫から)いくらでも授かることができます。神がわが子に施す恩寵ほど気前のよいものはありません。” P191

 

        瞑想
      ↙  ↖
神の兵器庫  →  霊力

 

●ここで夫人が良い講演をするにはどうしたらよいかを尋ねた。


するとシルバーバーチは、
精神統一をなさることです。時には煩雑なこの世の喧騒を離れて魂の静寂の中へお入りになることです。静かで受身的で受容性のある心の状態こそ霊にとって最も近づき易い時です。(心の)静寂の時こそ背後霊が働きかける絶好機なのです。片時も静寂を知らぬような魂は騒音のラッシュの中に置かれており、それが背後霊との通信を妨げ、近づくことを不可能にします。ですから、少しの間でいいのです。精神(心)を静かに統一(無念無想状態)するよう工夫することです。すると次第に役に立つ良い考えが浮かんでくるようになります。背後霊のオーラとあなたのオーラとが融合する機会が多いほど、それだけ高度なインスピレーションが入ってきます。」 
(「シルバーバーチの霊訓」二巻 一章“人のために役に立つことを”スピリチュアリズム普及会発行)


ここで語られている精神を静かに統一するとは、一時の間でもよいので、霊力と背後霊に自らの全てを託して“心を空”にするということです。つまり自分を無にして霊の力に委ねるのです。(「シルバーバーチの霊訓」二巻 P18)


この地上世界で霊的成長をするためには、艱難辛苦の体験が必要不可欠となっております。なぜなら、その艱難辛苦こそがあなたを強くし、他界を身近に感じ霊的覚醒や霊的叡智に繋がるからです。そして、その艱難辛苦が最後には安全の港(悟り・魂の平安と信頼)へとあなたを導いてくれるのです。 P162
霊的に覚醒した私たちは、艱難辛苦に遭遇したとき、この内外の“神の兵器庫”から“霊の力”を引き出して正しく迎え撃てば、最後にはその試練を克服することができます。
そして、それが側の者には分からないあなただけの密かな霊的体験、霊的悟りとなって霊的に成長することができるようになるのです。 P163
これを繰り返していくと、たとえ普段は意識していなくても、いざという時には闇がどんなに深くても決して一人ぼっちではなく、周りには霊界の背後霊がいて護り導いて下さるという信頼と自信が回を重ねるに従って強くなり、心の平安と静寂が徐々に得られるようになってきます。

 

【マトメ】
“人生の背後に秘められた目的を悟り、それと一体となった時、一時的にせよあなたの魂に霊的な静寂(that inner serenity)が訪れます。
内と外からあなたを守る“霊の力”に身を委ねることです。きっと援助を授けてくれます。歩むべき道を明確に示してくれます。問題に遭遇した時は、地上の雑踏、混乱、かんかんがくがくの論争から身を退き、魂の静寂の中へ引きこもり(withdraw to the silence of the spirit)、霊の啓示を待つことです。” P192

 

【最後に】
“困難と懐疑と絶望の中にある者には魂の避難場所を提供してあげることができます。人間の歩むべき道、つまり内在する崇高な精神(神性・霊性)を存分に発現させる方法を教えることができます。
そして何にもまして、すべての光とすべての愛の大根源(神)より発せられる荘厳な神的エネルギーの存在を自覚せしめます。それは決してはるか彼方の手の届かない場所にあるのではありません。すべての人間の魂に内在しているのです。 それは実にこの大宇宙を造り上げたエネルギーであり、自然界のすみずみまで流れているエネルギーであり、その存在(魂に内在する霊力)を自覚する者が見棄てられることは絶対にありません。
(「シルバーバーチの霊訓」 二巻 P30 スピリチュアリズム普及会発行)

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令和6年10月)

“死への怖れ”(雑記) (2024.9.25)

―我とは永遠不滅の霊魂なり―

 

私のような後期高齢者になると、周りの友人・知人の中にはガン等で亡くなる方がどうしても増えてきます。
もしもガン患者の人から死に対する恐怖心を感じとられたら、スピリチュアリストである私はどのように慰めたらよいのでしょうか、また、たとえ霊的摂理の話をしても、果たして少しでも理解できて心の慰めとなるかどうか、その都度悩ましいところです。当人が霊的摂理を受け入れられる時期に来ているかどうかが分からないからです。
唯物・科学万能主義が蔓延しているこの物質世界では、真実であると知っている“地上の死”の実態について“霊的真理”の話をしても、結果として本人の死のイメージとは真逆の話となってしまいます。
治すためには標準治療など最善をつくさなければなりませんが、たとえ治療効果がみられなくて死が直近に迫っていても、私の話はその死を前向きに受け止める話となってしまいます。そのため、理解不可能どころか、真剣な悩みに突拍子もないいい加減な話、死ぬと決めつけた縁起でもない話と受け取られ、おちょくっているのではないか、あるいは胡散臭い宗教の勧誘の話ではないかと感じとる人もいることでしょう。ひょっとすると友人関係解消となるかもしれません。
しかしながら、私としては真剣に悩んでいる人に向けて、真理は真理であるがゆえに真実を知っている立場としての責任があり、また、これが当人にとって霊的摂理の話を聞く最後のチャンスとなるかもしれず、常識的には頑張れと励ますところ縁起でもないと、たとえいやな顔をされてでも、その場しのぎの中途半端な話でお茶を濁すわけにはいかないのです。死後にも影響する問題だからです。
私自身は人の生死をみる予知能力はないので、ガン患者本人が死に至るのか、あるいは無事完治されるのかどうかまではまったく判断ができません。が、たとえ寿命の長い短いの差はあっても、遅かれ早かれいずれ誰もが死は避けられないものです。これも当人にとっての大きな試練であり導きと、可能性は極めて低くてももしも時期が来たならば思い出してくれればよいと割り切って話をするように努めております。それが死の真実を知っている者として、最低限の責任を果たすことになるのではないかと信じるからです。


それではシルバーバーチは“地上の死”について、どのように語っているのでしょうか。
結論から言って、死に対する怖れは霊的無知から来ている、とシルバーバーチは語っています。


“それは無知の産物に他なりません。つまり知らないから怖がるのです。ですから(霊的)知識を携えて霊的理解の中に生きることです。取越苦労の絶えない人は心のどこかにその無知という名の暗闇があることを示しています。そこから恐怖心が湧くのです。” 
(「シルバーバーチの霊訓」 一巻 P73 スピリチュアリズム普及会発行)


では次に、“地上の死”の真実の姿とは一体どういうものなのでしょうか。


死は地上生活の労苦に対して与えられる報酬であり、自由であり、解放です。いわば第二の誕生です。死こそ真の生へのカギを握る現象であり、肉の牢の扉を開け、閉じ込められた霊(本当の自分)を解き放ち、地上で味わえなかった喜びを味わうことを可能にしてくれます
愛によって結ばれた仲が死によって引き裂かれることは決してありません。神の摂理が顕幽の隔てなく働くと言われるのはそのことです。愛とは神の摂理の顕現であり、それ故にありとあらゆる人間の煩悩── 愚かさ、無知、依怙地、偏見等々を乗り超えて働きます。”
(「シルバーバーチの霊訓」一巻 P150 スピリチュアリズム普及会発行)


このことが少しでも理解できるためには、下記の霊的真理を受け入れる意識段階にまできている必要があるでしょう。


“大勢の人が真の実在であり全ての根源であるところの霊性に全く気づかぬまま生きております。こうして生きているのは霊的存在だからこそであること、それが肉体を道具として生きているのだということが理解できないのです。
人間には霊がある、あるいは魂があると信じている人でも、実在は肉体であって霊はその付属物であるかのように理解している人がいます。本当は霊が主体であり肉体が従属物なのです。つまり真のあなたは霊なのです。生命そのものであり、神性を有し、永遠なる存在なのです。
肉体は霊がその機能を行使できるように出来あがっております。その形体(肉体)としての存在はほんの一時的なものです。用事が済めば崩壊してしまいます。が、その誕生の時に宿った霊、これが大事なのです。” 
(「シルバーバーチの霊訓」一巻 P33 スピリチュアリズム普及会発行)


肉体の脳によって意識する心(自我)がつくられているため、肉体の死後は人生の全てが終わり、一切は無に帰すると多くの人々は堅く信じ込んでいるために、死や愛する人との永遠の離別を極端に怖れ寂しがるのです。子供や若い人が亡くなった場合は特にそうです。
だからこそ、今自覚している自分は氷山でいうところの海面上(表面意識上)に出ている極々一部の自分(仮我)にすぎず、海面下(潜在意識下)にあって大部分を占めている“本当の自分”(大我・真我)は永遠不滅の霊魂なのだ、という霊的な覚醒(自覚)が必要となるのです。
つまり、気づいていないだけで私たちの“本当の自分”は、個性をもち神の分霊を内在した永遠不滅の“霊魂”そのものであるということです。そして、死は霊訓によると予め定めてきた寿命がきて地上人生を卒業し、肉体を脱ぎ捨てて第二の誕生である霊界へと移行することであって、物から霊へと身体の波動を切り替えるためには避けることのできない一つの通過点(切り替え作業)にすぎないということです。 
それはちょうど誕生とは真逆のコースをたどることであり、肉体という重いダイビングスーツを脱ぎ捨て、物質界という海中から元来た陸上(霊界)へ引き上げることなのです。このことはパソコンでいう基本ソフトOSを切り替えるための書き換え作業であり、新しいOSをインストールする前に、一旦スイッチが切れるのと非常によく似ております。(須江克則談)


霊性レベルが異なる人々が唯一混在している地上界という学校で学び、霊的に成長するために出生してきています。そしてその成長に不可欠な因果律は、顕幽の別なく他界後も地上時代に行った全ての行為(原因)に対して一分一厘の狂いもなく働き続けます(結果)。(埋め合わせ・償いの法則など)
また、“本当の自分”である私たち霊魂は、永遠不滅であり個性もそのまま霊界へ持ち越されますので、愛する者同士は霊界で再会することができるというのが霊的実相なのです。


ちなみに、今回の“死”のテーマに関して、病死以外にも今国内外を問わず、命があまりにも軽く扱われている理不尽な事件が数多く見受けられます。では、摂理からみてこのことは一体どのように理解したらよいのでしょうか。霊的摂理としてのシルバーバーチの回答が今月の「次回読書会の霊訓の中から」で引用されている内容なのです。
(「シルバーバーチの霊訓」一巻 P168 スピリチュアリズム普及会)

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令和6年9月)

霊の力物の力に勝ることを自ら証明しなさい”(霊力)(2024.8.25)

タイトルの霊訓の意味を真に理解するためには、苦しみや困難の実体験が必須となります。


以下の霊訓は全て、「シルバーバーチの霊訓」一巻(スピリチュアリズム普及会発行)からの引用となります。


●苦しみと困難があることが進化の必須の条件なのです。 P133


霊的に成長するためには、苦しみや困難が必須条件となっています。
例えば、“木々は嵐のおかげでより強く根を張ることができる”のに似ています。
  “Storms make trees take deeper roots”(米国シンガー)


スピリチュアリストには霊的摂理への信仰と、背後霊への信頼が日常生活で試され、鍛えられるために学んだ摂理を常に実践することが求められております。
そして、その体験を積むことによって、この物的世界にあって霊的な力物的な力よりも優れていることを、自らの生活で身をもって証明・確認していかねばならないのです。生涯にわたってのこのプロセスが、摂理を理解し霊性を高める成長の過程なのです。


●そこに苦の存在する理由があります。悲しみの存在する理由があります。光(悟り)が暗闇の中にあってこそ見出せる理由がそこにあります。 (中略) 苦が全てというわけではありません。人生の一部でしかありません。しかし、苦のない世界はありません。苦しみと困難があることが進化の必須の条件なのです。  P133


当然です。苦しみや困難に直面しない限り、霊訓の言葉は決して心に直接響いてこないからです。それには、藁をもすがる程の心の飢え渇きが必要です。喉が渇いていないと水を欲しないのと同じことです。そして、この時から霊の力物の力との綱引きが始まるのです。


●背後霊との協調性が高まれば高まるほど、より大きな成果が得られます。 (中略) かなうものならば、あなたの視界を遮るベールが取り払われ、背後で協力している光り輝く霊的存在を一目お目にかけることができれば、と思うことしきりです。
立ちはだかる困難の一つひとつは、あなたが是非とも迎えうち克服し、そうすることによって霊の力物の力に勝ることを証明していかねばならない、一つの挑戦(修行)でもあります。” P135~P138


Every difficulty is a challenge which you must meet and overcome, thus proving that the power of the spirit is stronger than the power of matter.
(P82 Guidance from Silver Birch)


●苦難にも悲しみにも挫けてはなりません。なぜなら霊的な力はいかなる物的な力にも勝るからです。 P60


They must triumph, for the power of the spirit is mightier than any material force. (P40 Guidance from Silver Birch)

 

霊の力・・・霊的視点で出来事をとらえ、霊的な手段をとおして解決法を探り求めること。すなわち神の摂理への適用や背後霊の護り、支援、導きや“悟り”など千種万様の形をとる霊力を頼りとすること。


物の力・・・物的視点で出来事をとらえ、物的な手段を解決法として求めること。すなわち、心配・不安・取り越し苦労・怖れなどの原因となっているこの世的な物的世界の力に対して、唯物・科学万能主義からくるお金の力や権力、地位、名声など、この世的なもののみを唯一の頼りとすること。霊的知識が無いか、霊界を信じていないとどうしてもそうなります。


霊的な力物的な力よりも優れていることを日常生活の中で自ら証明し続けることは、言い方を変えると、私たちの行動規範が霊的摂理と合致した生活となることです。しかしながら、この霊的な力の体験の感動は時間の経過とともに薄れ忘れてしまうので、繰り返し繰り返し生涯をかけて徐々に身につける仕事(修行)となるのです。


“あなたが行うこと、心におもうこと、口にする言葉、憧れるもの、求めるものがあなたの理解した霊的真理と合致するようになるのは、生涯をかけた仕事と言えるでしょう。” P118


その理由として、
1.“どうかすると、毎日の雑事に心を奪われ、霊的実相を忘れてしまいがちです。” P121


2.“一見すると物が強く霊が弱そうに見える世界では、それ(霊的実相)は容易に思い出せないものです。” P116


霊的摂理と合致した生活を送るようになるためには、苦難の体験を積み重ね霊の力物の力よりも優れていることを数多く“悟る”ことによってのみ可能となります。なぜなら、書物からだけでは霊的摂理は真に身につかないからです。霊的体験によって霊の力の証を積み重ねないと、単に知っているというだけの信仰では、逆境すなわち厳しい体験の嵐(修行)が来ると直ぐに崩れてしまいます。


●自分が本質において永遠なる存在であり何事も修行であることを忘れぬ限り、何が起きようと意気消沈することはありません。霊性は書物からは得られません。先生(組織・団体)が授けるものでもありません。自分自身の生活の中で、実際の行為によって体得しなければなりません。それは個性の内部における神性の発芽現象なのです。 P148


●苦難から何かを学びとるように努めることです。耐え切れないほどの苦難を背負わされるようなことは絶対にありません。 (中略) 私は宇宙を創造した力に満腔の信頼を置きます。
あなたはいったい何を恐れ、また何故に神の力(霊力)を信じようとしないのです。宇宙を支配する全能なる神になぜ身を委ねないのです。あらゆる恐怖心、あらゆる心配の念を捨て去って神の御胸に飛び込むのです。 P52

 

苦しみや困難がやってきたら、まず始めにこれは霊的成長のための試練(鍛錬)であり、霊的約束(摂理)に基づき背後霊からの護りや導きによって、必ず克服できるという結果がまずありきと捉えることです。そして、何事も自らを鍛える修行と心得て、できる範囲内で精一杯励めればよいのです。そのあとは、背後霊を信頼しその護りと導きに全て委ねる決意をすればよいのです。霊の力物の力に勝ることを注意深く観察することです。それには、霊的視野で観ることが不可欠となります。だからこそ、私たちには霊的視点で判断するための正しい霊的知識が必要となるのです。

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令和6年8月)

“心に恐れを宿してはいけません” (苦しみ・試練) (2024.7.26)

―あなたはいったい何を恐れ、また何故に神の力を信じようとしないのです―


「シルバーバーチの霊訓」一巻 八章“愛の力”より(スピリチュアリズム普及会発行)


人生では、例外なくさまざまな予期せぬ危機や苦難、悲しみ、病などが試練として必ずやってきます。一人の例外もありません。そして、当然のごとく心に恐れや心配、不安を宿す結果、意気消沈や悲哀の念、気力喪失などに陥り、霊的回路が塞がれ霊力の流れが遮断されます。
そのため体調をこわすことにもなるのです。
そこでシルバーバーチは私たちに向かって、試練を怖れず背後霊からの護りや導き、インスピレーションを得て克服しなさいと語っています。実は、試練の真の目的は、その霊的体験を経験して悟りにつながるところにあるのです。
では、どのようにすれば援助にあたっている背後霊が意識でき、魂を取り巻いている暗雲が晴れ、確信の陽光が差し込むことができるのでしょうか。


心に怖れを宿してはいけません。完全に拭い去らないといけません。誕生以来今日までずっとあなたを導いてきた霊が、今になって見捨てるはずがありません。
これまで日夜あなたの生活の支えとなってきたのであり、これ以後もずっと支えとなることでしょう。なぜなら、あなたに絶対成就してもらわねばならない仕事(霊的摂理の普及)があるからです。
霊がこの世へ携えて来た能力(神性)がこれからもその役目を果たしていきます。こちらから援助に当たる霊の背後には宇宙の大霊すなわち神の力が控えております。それは決して裏切ることはありません。宇宙は無限・無窮の神的エネルギーによって存在しております。
しかし地上の人間の圧倒的多数は(大自然の営みなど)そのエネルギーのごくごく僅かしか感識しておりません。受け入れる条件が整わないからです。ですから、あなた方人間はその神の恩寵を存分に受け入れるべく、精神と魂を広く大きく開く方法(潜在意識下の“本当の自分”(霊魂)に内在する神を顕在意識上に引きあげる方法)を学ばねばなりません。
それには信念と信頼心と信仰心穏やかさと落ち着きを身につけなければなりません。
そうしたものによって醸し出される雰囲気の中にある時、無限のエネルギーから莫大な豊かさを受けることができます。それが神の摂理なのです。そういう仕組みになっているのです。
受け入れ、吸収する能力に応じて、エネルギーが配給されるということです。受容力が増せば、それだけエネルギーも増します。それだけのことです。
悲哀の念が消えるに従って、魂を取り巻いていた暗雲が晴れ、確信の陽光がふんだんに射し込むことでしょう。” P141



“自分が本質において永遠なる存在であり何事も修行であることを忘れぬ限り、何が起きようと意気消沈することはありません。


霊性は書物からは得られません。先生(組織・団体)が授けるものでもありません。自分自身の生活の中で、実際の行為(霊的摂理の実践や試練の克服)によって体得しなければなりません。それは個性の内部における神性の発芽現象なのです。” P148


⇒ 霊性が高まればそれだけ多くの霊力が流入するようになりますが、霊力の受容力は背後霊を信じ味方につける程度に応じて大きく変わります。神や摂理への信仰、背後霊への信頼が強い程、心が冷静・静寂となり、霊的回路が広く大きく開く結果、閃きやヒントなど霊界からの受容力が増すことになります。
残念ながら、日々の生活で背後霊を具体的なイメージで日常意識することは本当に難しいことです。そのため何度霊訓を読み返してみても、一旦、身の回りの世界に目を向けると心配の念が大きければ大きい程、直前に読んだ霊訓さえも記憶にすら残らず、不安や怖れ、取り越し苦労が一向に心から消えないのが私たちの現実の姿ではないでしょうか。
このことは、神の御胸に飛び込み、光り輝く霊的存在に身を委ねて怖れを心から完全に払拭しなさいという霊訓を守りきれていないということです。それは取りも直さず、本当は神や背後霊、霊的な約束(摂理)を心の底から信じていないという証左でもあります。何故なら、それらは表裏一体の関係にあるからです。また当然のことながら、やってくる試練のハードルも霊的成長とともに上がっていきます。
だからこそ“苦”や“悲哀”によって何度も何度も霊界への信仰心や、今学んでいる摂理実践への覚悟がその都度試されるのです。生涯にわたって霊的摂理や背後霊への信頼心が繰り返し試され鍛えられ強化されて、霊的に成長し続けるのです。


誕生以来今日までずっとあなたを導いてきた霊が、今になって見捨てるはずはありません。(P141)また別の個所でも、これまであなたを包んできた(神の)愛が今になって見放すわけがありません。(P148)とシルバーバーチは繰り返し語っています。
確かに私自身の来た道を振り返ってみても、過去さまざまな克服不可能と思われるような試練や困難、悲しみに包まれてきました。その試練を受け止め最善をつくした後は霊界からの“導き”に身を全て任せると、紆余曲折はあっても最終的には想定外の奇跡的な展開によってすべてを克服することができました。今の私にとっては、それらの霊的な“導き”の体験が唯一の確固たる財産であり、紛れもない霊界の“証”となっています。
そこにはやはり“絶対に成就してもらわねばならない仕事”(霊的真理の普及)があったためであったことが、今となってはよく理解できます。
このように霊界からの具体的な“導き”の体験をとおして、光り輝く霊的存在(背後霊)を認識する他はないように私には思われます。そのためには、私たちには常に霊的視野で観ることが強く求められております。


“あなたを今日まで導き、これ以後もより一層大きな霊的回路とするための受容力の拡大に心を砕いてくれている背後霊の愛に目を向けてください。” P140


“ですから、私達は愛をもって導いてくれるこの力に安心して身を任せようではありませんか。その愛の導きに身を委ね、いついかなる時も神の御手の中にあることを自覚しようではありませんか。完全なる愛は恐怖心を駆逐します。知識も恐怖心を駆逐します。恐怖は無知から生まれるものだからです。愛と信頼と知識のあるところに恐怖心は入り込めません。進歩した霊はいついかなる時も恐れることがありません。なんとなれば、自分に神が宿る以上は人生のいかなる局面に遭っても克服できぬものはないとの信念があるからです。これまであなたを包んできた愛が今になって見放すわけがありません。それは宇宙の大霊から放たれる無限なる愛であり、無数の回路を通して光輝を放ちつつ地上に至り、人のために役立たんと志す人々の力となります。気力喪失の時には力を与え、悲しみの淵にある時は慰めを与えてくれます。あなたの周りに張りめぐらされた防御帯であり、決して破られることはありません。神の力だからです。” P148


背後霊との協調性が高まれば高まるほど、より大きな成果が得られます。 (中略) かなうものならば、あなたの視界を遮るベールが取り払われ、背後で協力している光り輝く霊的存在を一目お目にかけることができれば、と思うことしきりです。立ちはだかる困難の一つひとつは、あなたが是非とも迎えうち克服し、そうすることによって霊の力が物の力に勝ることを証明していかねばならない、一つの挑戦(修行)でもあります。” P135~P138

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令和6年7月)

“霊的回路を開く方法” (背後霊)(2024.7.1)

地上世界(物質世界)と霊界とは、それを構成している波長が根本的に異なっております。そのため、肉体の五感で感識される物的波長の世界からは、霊界は異次元の世界であり完全に断絶しております。
しかしながら、人間は例外なく“本当の自分”の中に神の分霊を内在している“肉体を具えた霊魂”ですから、霊的法則に従いさえすれば地上世界にいながら霊界との交信が可能となるのです。
では、この霊的回路を開いて霊界の背後霊(守護霊や指導霊など)と交信するためには、どのような方法をとればよいのでしょうか。
次の二つの霊訓にそのヒントが語られております。


“肉眼で見ることができず、手で触れてみることもできない私たち霊界の者が物質の世界と接触をもつことは容易なことではありません。人間側が善良な心(a good heart)と自発的協調性(a willing spirit)受容的態度(a receptive mind)不動の信念(undimmed faith)を保持してくれるかぎり、両者を結ぶ霊的回路が開かれた状態にあり、その人はあらゆる面において、つまり霊的に精神的に物質的に、よりよい方向へと自動的に進んでまいります。
多くの人になかなか分かっていただけないのは、そしてまた人間が望むように事が運ばないのは、その援助を届けるための回路が開かれていないということです本人自らが回路を開いてくれないかぎり他に手段がないのです。 霊力が物質に働きかけるためには、それが感応して物質界に顕現するためのなんらかの連鎖関係がなくてはなりません。分かってみればなんでもない当たり前のことです。”
(「シルバーバーチの霊訓」一巻 P100 スピリチュアリズム普及会発行)


“しかし交信が霊と霊、心と心、魂と魂の直接的なものであれば、つまりインスピレーション式のものであれば、そういった複雑な裏面操作抜きの、霊界からの印象の受信という単純直截なものとなります。その成功不成功は背後霊との合体の確信に基づく静寂(a quietude)と受容性(a passivity)と自信(a confidence based on the certainty)にかかっていますから、不安の念に動かされるほど結果はよくないということになります。いったん精神的動揺をきたすと、その不安の念の本質的性格の為に霊的通信網が塞がれてしまいます。
人間の心に浮かぶ思念が全て霊界からのものであるとは申しません。それは明らかに言いすぎでしょう。しかしその多くが、背後霊が何とかして精神と霊とを豊かにしてあげようとする努力の反映であって、少なくとも単なる心像として見過ごしてはいけないことだけは真実です。”
(「シルバーバーチの霊訓」一巻 P93 スピリチュアリズム普及会発行)


※以上のことから、霊的回路を開いてインスピレーションを受け取る方法を纏めると、次のようになります。

  1. 霊的摂理と背後霊に全面的な信頼(信仰)を寄せることによって、
  2. 自信や、
  3. 心の平静(静寂・冷静)を保ちます。
  4. そして、背後霊との協力関係を維持しながら、
  5. 霊界からの導きやインスピレーションを受け入れ
  6. 利他愛の実践など霊性心(良心)で霊的摂理に順応した生活

を送ることによって、霊界との回路は開かれた状態となります。

 

たとえ内外の環境がいかに厳しい状況であろうとも、上記の要件①~⑥を堅持し、守護霊や指導霊などの背後霊がともに側にいることを常に意識して、霊的視点で物事を捉えるように努めるならば、霊的回路が開かれ背後霊から導きやインスピレーション、霊力等が得られるようになるとシルバーバーチは約束しています。

 

“宇宙は無限・無窮の神的エネルギーによって存在しております。しかし地上の人間の圧倒的多数はそのエネルギーのごくごく僅かしか感識しておりません。受け入れる条件が整わないからです。ですから、あなた方人間はその神の恩寵を存分に受け入れるべく、精神と魂を広く大きく開く方法(霊的回路を開く方法)を学ばねばなりません。それには信念信頼心信仰心穏やかさ落ち着きを身につけなければなりません。
そうしたものによって醸し出される雰囲気の中にある時、無限のエネルギーから莫大な豊かさを受けることができます。それが神の摂理なのです。そういう仕組みになっているのです。
受け入れ、吸収する能力に応じて、エネルギーが配給されるということです。受容力が増せば、それだけエネルギーも増します。それだけのことです。”
(「シルバーバーチの霊訓」 一巻 P141 スピリチュアリズム普及会発行)

 

しかし残念ながら、私たちは毎日の雑務に追いまくられ、一見すると物が強く、霊が弱そうに思える地上世界では、霊訓を何度読んでいても日常生活ではシルバーバーチの言葉をすっかり忘れています。
霊的知識のある我々といえども特に警戒しなければならないことは、恐怖心と心配の念です。何故なら、霊界との通路を開く方法を折角学んでいても、不安の念があると、本人は気づいてはいませんが霊的回路を塞いでしまっているからです。

 

“霊的なものにとって恐れるということがなによりも強烈な腐食作用を及ぼします。
恐怖心と心配の念は、私たちが特に不断の警戒を要する敵です。なんとなれば、それが霊力が作用する通路(霊的回路)を塞いでしまうからです。” 
(「シルバーバーチの霊訓」一巻 P44 スピリチュアリズム普及会発行)

 

そこで、もしも恐怖心と心配の念が横切った時には、次の言葉を思い出しましょう。

 

“私たちは愛をもって導いてくれるこの力(神性・内在する神)に安心して身を任せようではありませんか。その愛の導きに身を委ね、いついかなる時も神の御手の中にあることを自覚しようではありませんか。
(神への)完全なる愛は恐怖心を駆逐します。(霊的)知識も恐怖心を駆逐します。恐怖は無知から生まれるものだからです。愛と信頼と知識のあるところに恐怖心は入り込めません。
進歩した霊はいついかなる時も恐れることがありません。なんとなれば、自分に神が宿る以上は人生のいかなる局面に遭っても克服できぬものはないとの信念があるからです。
これまであなたを包んできた愛が今になって見放すわけがありません。”
(「シルバーバーチの霊訓」一巻 P148 スピリチュアリズム普及会発行)

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令和6年6月)

“成長、進化、発展が宇宙の大原理” (雑記)(2024.5.26)

― 宇宙は両極性であるからこそ発達のチャンスがあるのです ―


“あなた方は神の縮図であり、その拡大が神というわけです。霊性の高揚と成長と進化を通して無限の神性を少しずつ発揮していくことによって、一歩一歩、無限なる神に近づいていくのです。徐々にではありますが、光が闇を照らすように(あなたの霊的)知識が無知の闇を明るく照らしていきます。成長、変化、進化、開発、発展――これが宇宙の大原理です。” 
(「シルバーバーチの教え」一巻 P80 スピリチュアリズム普及会発行)

 

【神は善と悪にも宿る】・・・悪魔(サタン)は人間の創作物

“私はかって一度たりとも神が光と善にのみ宿ると述べたことはないつもりです。善と悪の双方に宿るのです。無限絶対の存在である以上、神は存在の全てに宿ります。宇宙間の出来事の一部だけを除外して、これだけは神とは別個のもの、何かしら、誰かしら、とにかく別種のエネルギーの仕業であるなどとは言えません。私はいつも宇宙は全て両極性によって成り立っていると申しております。
暗闇の存在が認識されるのは光があればこそです。光の存在が認識されるのは暗闇があるからこそです。善の存在を認識するのは悪があればこそです。悪の存在を認識するのは善があるからこそです。つまり光と闇、善と悪を生む力(霊力)は同じものなのです。その根源的な力(霊力)がどちらへ発揮されるかは神の関わる問題ではなく、あなた方の自由意志に関わる問題です。そこに選択の余地があり、そこに発達のチャンスがあるということです
地球は完全な状態で創造されたのではありません。個々の人間も完全な状態で創造されたのではありません。完全性を潜在的に宿しているということです。その潜在的完全性が神からの霊的遺産(神の分霊)であり、これを開発することが個人の責務ということです。それには自由意志を行使する余地が与えられています。善か悪か、利己主義か無私か、慈悲か残酷か、その選択はあなたの自由ということです。”
(「シルバーバーチの教え」一巻 P83 スピリチュアリズム普及会発行)


【比較対照によって学び成長する】

比較対照の一番分かりやすい例を上げてみますと、
愛を理解するためには、その対極にある憎しみを知らなければなりません。
同様に、利他愛を知るためには、自己中心の利己主義とはどういうものであるかをまずは理解しなければなりません。


“人生は全て比較対照の中で展開しております。光も闇もともに神を理解するうえでの大切な要素です。もし光と闇とが存在しなければ、光は光でなくなり闇は闇でなくなります。つまり光があるから闇があり、闇があるから光があるのです。同じく昼と夜がなければ昼は昼でなくなり夜は夜でなくなります。愛と憎しみがなければ愛は愛でなくなり憎しみが憎しみでなくなります。その違いが分かるのは相対的だからです。しかし実は両者は一本の棒の両端に過ぎないのです。元は一つ(愛)なのです。しかしその一つ(愛)を理解するには両端(愛と憎しみ)を見なければならないのです。それが(地上)人生です。
光と闇の両方がなければなりません。温かさと寒さの両方がなければなりません。喜びと悲しみの両方がなければなりません。自我(本当の自分・霊魂)を悟るにはこうしたさまざまな経験が必要です。” (「シルバーバーチの教え」一巻 P72 スピリチュアリズム普及会発行)


このように、“真の愛”という一つのことを理解するためには、比較対照となる真逆の“憎しみ”を知らなければならないのです。
人間は神の操り人形ではなく、神の分霊として自由意志をもっています。そのため、自己責任(因果律)で自由意志の力をどちらへ発揮するか(選択)によって、発達のチャンスがあり、また逆に退化したりするのです。


このように成長・進化して神に近づくためのお膳立てとして、宇宙は全て両極性から成りたっております。それは、“真・善・美”(愛と誠と調和)を理解するためには、反対側の対極にある憎しみ、不正、争いなどとの比較対照をとおして因果律によってそれらを学び、成長・進化できるように神の愛によってこの宇宙は創造されているのです。

 

あなた方が地上という世界に来たのは、霊的な力(利他)と物質的な力(利己)との作用と反作用の中においてこそ内部の神性が発揮されていくからです。
光を有難いと思うのは陰と暗闇を体験すればこそです。晴天を有難いと思うのは嵐を体験すればこそです。物事の成就を誇りに思えるのは困難があればこそです。平和が有難く思えるのは闘争(戦争など)があればこそです。

このように人生は対照の中において悟っていくものです。もしも辿(たど)る道が単調であれば開発はないでしょう。さまざまな環境の衝突の中にこそ内部の霊性が形成され成熟していくのです。” 
(「シルバーバーチの教え」一巻 P46 スピリチュアリズム普及会発行)

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令和6年5月)

“地上人生の意味” (人生の目的)(2024.4.26)

(ページ数は、「シルバーバーチの霊訓」一巻 スピリチュアリズム普及会発行より引用)


誰にでも例外なく寿命があり、死という節目が必ずやってきます。そして、私たちの地上人生は長いようで短い人生でもあります。
どちらかというと嫌なことの方が多い人生であるかもしれません。また、スピリチュアリストといえども“今生の目的”や“真の生きる意味”を忘れて、その日その日の煩わしい雑事に追いまくられ、心配事や悩み事を抱えた生活を送っている人も多いことでしょう。
そこで大多数のただ漠然と日常生活を送っている私たちに向かって、次に行く世界からシルバーバーチはこの地上人生の目的を、次のように語っています。


“あなた方は神の縮図であり、その拡大が神というわけです。霊性の高揚と成長と進化を通して無限の神性を少しずつ発揮していくことによって、一歩一歩、無限なる神に近づいていくのです。徐々にではありますが、光が闇を照らすように(あなたの霊的)知識が無知の闇を明るく照らしていきます。成長、変化、進化、開発、発展――これが宇宙の大原理です。” P80


このように我々人間は未熟なミニチュアの神として、輪廻転生やカルマの解消をとおして永遠の時間をかけて神に近づいていく、とシルバーバーチは語っています。
この輪廻転生とは、“本当の自分”(霊魂)をダイヤモンドに譬えると、一つ一つのカット面が本体の霊的成長を求めて、その都度地上人生で神性を発揮し霊性を向上させるのに最もふさわしい条件や環境をあらかじめ定めて、地上にくり返し出生してきていることを指しています。


“地上に生を享ける時、地上で何を為すべきかは魂自身はちゃんと自覚しております。何も知らずに誕生してくるのではありません。自分にとって必要な向上進化を促進するにはこういう環境でこういう身体に宿るのが最も効果的であると判断して、魂自らが選ぶのです。ただ、実際に肉体に宿ってしまうと、その肉体の鈍重さのために誕生前の自覚が魂の奥に潜んだまま、通常意識に上がってこないだけの話です。” P38


霊的視点から見ると、この地上世界の出来事は全てが夢幻のしょせんは霧であり(P69)、いずれにせよ全ては一時的なものにすぎないのです。(P70) が、そのような状況の中で四苦八苦している私たちは、対極である光と闇、善と悪、愛と憎しみ、利己と利他等の比較対象の中で、どちらを選ぶか自由意志を行使するところに、悟りや霊的成長のチャンスがあるとシルバーバーチは述べています。 (P84)


“光と闇の両方がなければなりません。温かさと寒さの両方がなければなりません。喜びと悲しみの両方がなければなりません。自我(本当の自分・霊魂)を悟るにはこうしたさまざまな経験が必要です。” P72


地上世界での人間一人の一生は、せいぜい百年という一時の夢幻に過ぎない地上人生ではありますが、この地上世界は霊性レベルの異なる霊魂が混在することができる唯一の世界であり、さまざまな軋轢や試練、困難、病気などを通して教訓を学び霊的に成長する場として、いわば学校としてなくてはならないとても貴重な世界でもあるわけです。
その地上世界にあって私たちはさまざまな体験を経て、時期がくると霊の世界をおぼろげながら自覚しはじめます。そして徐々に“本当の自分”(霊魂・真我)に目覚め、霊的摂理を学び、その実践として霊性(神性)を発揮しはじめます。すなわち、己を忘れ人の役に立つ愛の行為を行うことによって霊的に向上進化するように、この地上世界は創られております。


実際に行う無私の施しが進化を決定づけるのです。” P82


己を棄てること――これが進化の法則です。” P83


地上世界では悩みや不安、心配、恐れが絶えることはありません。その理由としてシルバーバーチは、“人間の多くが悩みが絶えないのは、無意識のうちに物質の世界にのみ生きていると思い込んでいるからです。”(P74)と語っています。


では、すでに霊的覚醒をして霊的知識のある私たちは、唯物主義や利己主義が横行する物質界特有の世界に、もはやのみ込まれていないのかというと、まったくそうではありません。
物質世界では、宇宙の法則を維持・経綸している目には見えない手でふれることもできない霊の力や霊的な世界に、いっきに“不動の信念”をもつことは決してできないからです。それは正に、さまざまな体験をとおして一生涯をかけて徐々に信念を不動化していくものなのです。
以下の霊訓は、霊的に目覚めているはずの私たちに向かって語られています。


“人間は物質の中に埋もれた生活をしているためにバイブレーションが低くなっております。朝、目を覚まし、まだ意識が完全に働かないうちから、あれやこれやと煩わしいことや心配事の波にのみ込まれていきます。大きい悩み、小さい悩み、真実の悩み、取り越し苦労に過ぎぬもの等々いろいろあります。(中略)これは真理普及の仕事に携わる人にも“よくある話”なのです。” P70


別の個所では、私たちといえども“その日その日の煩わしい雑事に追いまくられ、心配事や悩みごとを抱えた生活を送っていると、私たちはつい意識の焦点をはずし、支援しようとして待機している背後霊の存在を忘れがちです。”(P68)と指摘しています。


誕生前に計画してきた今生の目的を120%達成するためにも、これらの言葉を決して忘れないように自戒して、霊的視点に比重を置き、日々霊的摂理を実践し、常に支援しようと待機している各自の守護霊や指導霊などの背後霊の存在を、片時も忘れないように心掛けたいものです。


“人間は誕生という過程において賦与される霊的遺産(神の分霊)を携えて物的生活に入るのだということを教えてあげたいのです。生命力(霊力)はいわば神の火花です。本性は霊です。それが肉体と共に成長するように意図されているのです。ところが大多数の人間は肉体にしか関心がありません。中には精神的成長に関心を抱く者も幾らかおります。が、霊的成長に関心を抱く者はきわめて少数に限られております。永続性のある実在は霊のみです。もしも私たちの尽力によって人間を霊的本性を自覚させることに成功すれば、その人の人生は一変します。生きる目的に目覚めます。自分という存在の拠ってくる原因を知ります。これからたどる運命を見極め、授かった霊的知識の意味をわきまえた生活を送るようになります。” P97


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令和6年4月)

“なぜ苦しみがあるのか” (苦しみ・試練)(2024.3.24)

―霊的覚醒と霊的成長―


肉体をまとうことによって、肉体の粗い物的波動のため、“本当の自分”である精妙な波動の霊魂は表面意識上に出て来られなくなっております。
その理由は、霊性レベルの異なる霊が同じ物質界に混在するため、肉体という物質の牢に魂を閉じ込め、奥深く隠される必要があるからです。


次に、苦の意味・目的を以下にまとめると、


Ⅰ. 霊的覚醒 


燦燦と太陽の輝く穏やかな日和では、物的世界にすっかり浸りきって現状に満足してしまい、人間は決して心の救いを求めません。いわばノドが乾かないと水を飲もうとはしないのと同じです。それでは魂の奥に秘められた神性が開発されるチャンスがありません。 (一巻 P59)
そこで悲しみや辛苦という心の飢餓状態になることによって、救いを求め心の奥深くに眠っている魂“本当の自分”を目覚めさせ、霊的真理を理解する素地ができ上がるようになります。
すなわち、辛苦・悲しみ等により自信をなくし仮我(エゴ)の意識が弱くなると、波動の粗い肉体の影響力が弱くなって謙虚さや受け身となり、結果的に奥深くに内在する精妙な波動の霊魂“本当の自分”(真我)が表面意識上に現れる環境が整い、霊的なものを受け入れやすくなるのです。
但し、霊的覚醒や霊的なものを受け入れるには霊性の段階、霊的覚醒の時期が来ていることが前提条件となります。


“酷い辛酸をなめ、試練に試練を重ねた暁にはそうした霊も目を覚まし、自我に目覚め、霊的真理を理解し、自己の霊性に目覚め、神を意識し、同胞と自然界との霊的なつながりを知り、宇宙の大原理であるところの霊的一体性を悟ることができるようになります。” (一巻 P99)


Ⅱ. 霊的真理の学びによる霊的成長 

私たちは霊的覚醒後も物的尺度にどうしても捉われがちですので、霊的に成長し不動の信念をもつためには内に潜在しているその神性(霊性)を引き出し、常に磨きをかけることが必要となります。何度も何度も厳しい試練(磨き砂)で魂が磨かれなければならないのです。


一つのことを理解するためには、光と闇、愛と憎しみ、成功と挫折等の数々の陰と陽のお互い正反対の関係にある苦しみや悲しみという陰の部分を体験し、その両端を見ることによって初めて霊的真理(摂理)を理解することができるようになります。人生は全て比較対照の中で自我を悟り、霊性の開発や霊的成長につながって強くなるということが摂理となっております。単に知識の学習だけでは決して本当の理解にはならず、実習(実体験)が必須となるのです。
霊界とは違い、霊性レベルの異なった人々が混在する外の世界(地上世界)と、我が心の内にみられる善悪の心(本能心と霊性心)という両極端の心をとおして、自由意志による“原因と結果の法則”(因果律)によって、私たちは真理を学び神を理解して霊的成長するように物質世界は創られております。
そして私たちは物質世界にあって、物的尺度の方が正しいのか、摂理に基づいた霊的尺度の方が正しいのかを試す実験を、日常生活を通してしているのです。
その意味で、まさしくこの地上世界は、真理(摂理)を学び霊界への不動の信念をもつための学校そのものなのです。


“苦難から何かを学び取るように努めることです。耐え切れないほどの苦難を背負わされるようなことは絶対にありません。” 
(「シルバーバーチの霊訓」一巻 P52 スピリチュアリズム普及会発行)


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令和6年3月)

“物質の世界にのみ生きていると思い込んでいる” (雑記)(2024.2.22)

―霊的視野で観る―


非常に難しいことではありますが、霊的知識を学んだ者として物的尺度ではなく霊的尺度で物事を観て正しい判断ができるように、今回は「シルバーバーチの霊訓」一巻(スピリチュアリズム普及会発行)からのみ引用し、決意を新たにしたいと思います。
なお、近藤千雄の訳の中から原文のYOUは、二人称の複数から単数のYOUに変換しております。

 

●地上に生を享ける時、地上で何を為すべきかは魂自身はちゃんと自覚しております。何も知らずに誕生してくるのではありません。自分にとって必要な向上進化を促進するためにはこういう環境でこういう身体に宿るのが最も効果的であると判断して、魂自らが選ぶのです。A
ただ、肉体に宿ってしまうと、その肉体の鈍重さのために誕生前の自覚が魂の奥に潜んだまま、通常意識に上がってこないだけの話です。 
あなたがた地上の人間にとっての大きな問題点は、やむを得ないことかもしれませんが、人生というものを間違った視点から観ていることです。つまり、あまりにもこの世的・物質的観点からのみ人生を考えていることです。B 
人生には確かに地上的な要素がありますが、同時に霊的なものであり、永遠に続くものなのです。その永遠なるものを地上的視野だけで眺めてはいけません。それでは十全な判断はできません。神の子には、一人の例外もなく、善悪ともに“埋め合わせの原理”が働くのですが、地上生活のみで判断しようとすると全ての要素を考慮することができなくなります。C P38

 

●神は法則として働いているのであり、晴天の日も嵐の日も神の働きです。有限なる人間に神を裁く資格はありません。宇宙を裁く資格もありません。地球を裁く資格もありません。あなた自身さえも裁く資格はありません。物的尺度があまりにも小さすぎるのです。物的尺度で見るかぎり世の中は不公平と不正と邪道と力の支配と真理の敗北しか見えないでしょう。D 当然かもしれません。しかしそれは極めて偏った、誤った判断です。
地上では必ずしも正義が勝つとはかぎりません。なぜなら因果律は必ずしも地上生活中に成就されるとはかぎらないからです。ですが地上生活を超えた長い目で見れば、因果律は一分の狂いもなく働き、天秤は必ず平衡を取り戻します。C 霊的に見て、あなたにとって何がいちばん望ましいかは、あなた自身には分かりません。もしかしたら、あなたにとっていちばん嫌なことが実は、あなたの祈りに対する最適の回答であることもあり得るのです。ですから、なかなか難しいことではありますが、物事は物的尺度ではなく霊的尺度で判断するように努めることです。D というのは、あなたにとって悲劇と思えることが、私どもから見れば幸運と思えることがあり、あなたにとって幸福と思えることが、私どもから見れば不幸だと思えることもあるのです。
祈りにはそれなりの回答が与えられます。しかしそれは必ずしもあなたが望んでいる通りの形ではなく、その時のあなたの霊的成長にとっていちばん望ましい形で与えられます。神は決して我が子を見捨てるようなことはいたしません。しかし神が施されることを地上的なモノサシで批判することはやめなくてはいけません。 P58

 

●あなたが直面する悩みごとは私にもよく分かっております。しかし霊的知識を有する者はそれを正しく運用して、物的要素に偏らないようにならなければなりません。霊的要素の方に比重を置かなければいけないということです。D 
正しい視野に立って考察すれば、焦点を正しく定めれば、日常生活での心の姿勢さえ正しければ、物的要素に対して最小限度の考慮を払い、決して偏ることはないでしょう。そうなれば霊的自我が意のまま働いてあなたを支配し、生活全体を変革せしめるほどの霊力が漲(みなぎ)り、ついには物的要素に絶対に動かされない段階にまで到達することでしょう。
永遠なるものを日常の出来事を基準にして判断しても駄目です。あなたはとかく日常の精神によって色づけされた判断、つまり自分を取りまく環境によって判断を下しがちです。そして、それまで成就してきた成果の方は忘れがちですが、これは物質の中に閉じ込められ、朝目を覚ました瞬間から夜寝るまで日常問題に追いまくられているからです。B
今と昔を較べるために過去のページを繙いてごらんなさい。そこに背後霊による指導のあとがありありと窺えるはずです。霊的知識に恵まれた者は決して首をうなだれることなく、脇目も振らず前向きに進めるようでなくてはなりません。背後霊は決して見捨てないことをご存知のはずです。人間が神に背を向けることはあっても、神は決して人間に背を向けることはありません。無限の可能性を秘めたこの大宇宙の摂理と調和した生活を営んでさえいれば、必要な援助は必ず授かります。これは決して忘れてはならない大切な真理です。 P74

 

地上生活では勝者がいれば敗者がいるわけですが、霊性に目覚めた人間はそのいずれによっても惑わされてはなりません。やがてはその人間的尺度(物的尺度)があなたの視野から消える時がきます。D その時は永遠の尺度(霊的尺度)で判断することができるようになるでしょう。 P82

 

地上へ誕生してくる時、魂そのものは地上でどのような人生を辿るかをあらかじめ承知しております。A 潜在的大我の発達にとって必要な資質を身につけるうえでそのコースがいちばん効果的であることを得心して、その大我の自由意志によって選択するのです。その意味であなたは自分がどんな人生を生きるかを承知のうえで生まれてきているのです。A その人生を生き抜き困難を克服することが内在する資質(霊性)を開発し、真の自我――より大きな自分に、新たな神性を付加していくのです。
その意味では“お気の毒に・・・”などと同情する必要もなく、地上の不公平や不正に対して憤慨することもないわけです。こちらの世界(霊界)は、この不公平や不正がきちんと償われる世界です(結果の世界・埋め合わせの原理)。あなた方の世界(物質界)は準備をする世界です(原因の世界)。C P110

 

人生の最大の目標が霊性の開発にあることを、ゆめ忘れてはなりません。自分の永遠の本性(本当の自分)にとって必須のもの(霊的真理)に目を向けることです。それは人生について正しい視野(霊的摂理)と焦点をもつことになり、自分が元来不死の魂であり、それが一時の存在である土塊(つちくれの男か女の肉体)に宿って自我を表現しているにすぎないこと、心がけ一つで自分を通じて神の力が地上に顕現するという実相を悟ることになるでしょう。
こうしたことは是非とも心に銘記しておくべき大切な原理です。日常の雑務に追いまくられ、一見すると物が強く霊が弱そうに思える世界では、それは容易に思い出せないものです。B
ですが、あくまで霊が主人であり物は召使いです。霊が王様であり物は従臣です。霊は神であり、あなたはその神の一部なのです。 P116

 

地上の価値判断の基準は私どもの世界とは異なります。D 地上では“物”を有難がり大切にしますが、こちらでは全く価値を認めません。人間が必死に求めようとする地位や財産や権威や権力にも重要性を認めません。そんなものは死とともに消えてなくなるのです。が、他人のために施した善意は決して消えません。なぜなら善意を施す行為に携わることによって霊的成長が得られるからです。博愛と情愛と献身から生まれた行為はその人の性格を増強し魂に消えることのない印象を刻み込んでいきます。世間の賞賛はどうでもよろしい。人気というものは容易に手に入り容易に失われるものです。 P117

 

―最後に―
“自分がいかなる存在であるのか、何のためにこの世にいるのかについての正しい認識を失わないようにしてください。あなたのようにふんだんに霊的知識に恵まれた方でも、どうかすると毎日の雑事に心を奪われ、霊的実相を忘れてしまいがちです。B が、それだけは絶対に忘れぬようにしなければなりません。地上という物的世界において生活の拠り所とすべきものはそれ(霊的実相・霊的真理)以外にはないのです。霊こそ実在です。物質は実在ではないのです。” P121

 

[参考]
A:本当の自分の成長のために、目的にそうように自分の人生を予め選んで出生してきている。
B:この世がすべてと思い込み、日常の雑事に心を奪われ追いまくられている。
C:善悪ともに“埋め合わせの原理”は霊界にまで及び、因果律は一分一厘の狂いもなく働く。
Ⅾ:物的尺度(人間的尺度)ではなく、霊的尺度(永遠の尺度・摂理)で判断すること。

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令和6年2月)

「夢幻の出来事」 (人生の目的)(2024.1.22)

この世の私たちの日常生活では、いろいろと解決困難な問題や心配事、不安、恐れ、お金のこと、対人関係、病気、身体障害、戦争、災害等々、さまざまな出来事がひっきりなしに身のまわりに発生してきます。それではお金持ちには心配事が無いのか、あるいは少ないのかというと、決してそのようなことはありません。お金持ち特有の悩みや、お金では買えないものがこの世には沢山あるからです。
シルバーバーチは、何の困難・試練もない温室育ちのラクな人生では決して精神や霊性が進化向上しない、苦難があってこそ成長できるのですと語り、その意味で苦難・困難は克服することによって成長できる歓迎すべきものであるとも述べています。
ですが、私たちスピリチュアリストは頭ではこれを理解しているつもりでも、現実となると本能的に避けようとしたり、ついつい悩み不安を覚えたりします。
では、地上世界で生きている限り例外なく誰にでもやって来るこれらの諸問題や試練を、一体どのように捉えればよいのでしょうか。
以下に、ヒントになると思われるシルバーバーチの言葉を列記します。


「シルバーバーチの霊訓」一巻 一章“あなたとは何か”より(スピリチュアリズム普及会発行)


“いったいあなたとは何なのでしょう。ご存知ですか。自分だと思っておられるのは、その身体を通して表現されている一面だけです。それは奥に控えるより大きな自分に比べればピンの先ほどのものでしかありません。
ですから、どれが自分でどれが自分でないかを知りたければ、まずその総体としての自分を発見することから始めなければなりません。これまでのあなたはその身体に包まれた小さな自分以外のものを少しでも発見された経験がおありですか。今あなたが意識しておられるその自我意識(顕在意識)が本来のあなた全体であると思われますか。お分かりにならないでしょう。
となると、どれが普段の自分自身の考えであり自分自身の想像の産物(取越苦労や心配、恐れ等)なのか、そしてどれがそのような大きな自分つまり高次元の世界からの霊感(インスピレーション)であり導きなのか、どうやって判断すればよいのでしょう。
そのためには正しい物の観方を身につけなければなりません。つまりあなた方は本来が霊的存在であり、それが肉体という器官を通して自己を表現しているのだということです。霊的部分が本来のあなたなのです。霊が上であり身体は下です。霊が主人であり身体は召使いなのです。霊が王様であり身体はその従僕なのです。霊はあなた全体の中の神性を帯びた部分を言うのです。
それはこの全大宇宙を創造し計画し運用してきた大いなる霊と本質的には全く同じ霊なのです。つまりあなたの奥にはいわゆる“神”の属性である莫大なエネルギーの全てを未熟な形、あるいはミニチュアの形、つまり小宇宙の形で秘めているのです。その秘められた神性を開発しそれを生活の原動力とすれば、心配も不安も悩みも立ちどころに消えてしまいます。なぜなら、この世に自分の力で克服できないものは何一つ起きないことを悟るからです。その悟りを得ることこそあなた方の勤めなのです。それは容易なことではありません。
身体はあなたが住む家であると考えればよろしい。家であってあなた自身ではないということです。家である以上は住み心地よくしなければなりません。手入れが要るわけです。
しかし、あくまでも住居であり住人ではないことを忘れてはなりません。” P26

 

我が人生はこの世限りの唯一の人生であり、死んだら全ては無に帰すと何の疑いもなく私たちは堅く信じ込んでおります。だからこそ、簡単に、且つ、平気で他人の生命を奪ったり、苦難があまりにも大きいと自殺するのです。
一度限りのこの世を少しでも楽しく幸せに送りたいものだと、家内安全、交通安全、無病息災、商売繁盛を神仏に祈願します。しかしながら意に反して、次々と嫌な出来事が身のまわりに発生してきます。そのため取越苦労や悩み、心配事が絶えることはありません。これが私たちが通常意識している日常生活なのです。
繰り返しになりますが、私たちはこの世限りの我が身であり、死んだら全ては無に帰すと信じ切っているからこそ、地上的視点(物的視点)に強くとらわれ取越苦労を繰り返しているのです。同時に、唯物主義と利己主義というガンを生むことになります。
ところが霊的視点から観ているシルバーバーチは、今心配しているこの通常意識(顕在意識)は“本当の自分”のピンの先ほどの“小さな自分”の表面意識に過ぎないと語っています。
私たちの実相は、“本当の自分”のピンの先ほどの“小さな自分”が、体験を通して霊的に成長するために霊界から肉体をまとって、霊性レベルが異なる人々が混在する地上世界(物質界)に誕生してきているというのです。
この世の身体やその心が振り回されている取越苦労や悩み、不安、心配事は、地上世界に居る間のほんの一時的な出来事にすぎないというのです。その身体が地上世界で住む家であるのと同様、この世のさまざまな苦難や困難は、夢幻の世界(地上世界)の出来事であり、しょせんこの世限りの一時のものだというのです。


“朝、目を覚まし、まだ意識が完全に働かないうちから、あれやこれやと煩わしいことや心配事の波にのみ込まれていきます。大きい悩み、小さい悩み、真実の悩み、取り越し苦労に過ぎぬもの等々いろいろあります。が、いずれにせよ全ては一時的なものにすぎないのですが、・・・”
(「シルバーバーチの霊訓」一巻 P70 スピリチュアリズム普及会発行)


“これは、全てが夢幻にすぎない物質界に生きているあなた方にとっては理解の困難なことです。しかし、だからこそ、実在が見えざる世界にあること、おぼろげに見ている世界を実在と錯覚しないようにと警告することが私の任務であるわけです。” 
(「シルバーバーチの霊訓」一巻 P77 スピリチュアリズム普及会発行)


シルバーバーチは、私たちは霊界で永遠に生き続けるという視点で地上生活をとらえているのであり、宇宙の法則(摂理)として完璧なる公正のもと、“償いの法則”や“埋め合わせの原理”が、死後の霊界にわたってのスパンで“原因と結果の法則”(因果律)として厳然と働いていると語っています。それは、神の摂理は完璧で公平だからです。


“あなた方地上の人間にとっての大きな問題点は、やむを得ないことかもしれませんが、人生というものを間違った視点から観ていることです。つまり、あまりにもこの世的・物質的観点からのみ人生を考えていることです。人生には確かに地上的な要素がありますが、同時に霊的なものであり、永遠に続くものなのです。その永遠なるものを地上的視野だけで眺めてはいけません。それでは十全な判断はできません。神の子には、一人の例外もなく、善悪ともに埋め合わせの原理が働くのですが、地上生活のみで判断しようとすると全ての要素を考慮することができなくなります。” 
(「シルバーバーチの霊訓」一巻 P38 スピリチュアリズム普及会発行)


上記の霊的摂理に基づいて、私たちは困難・試練にあったときこそ、この霊的実相にしっかりと目覚め、“本当の自分”と困難・苦難の意味を自覚するようにしましょう。


“自分の永遠の本性にとって必須のもの(霊的摂理)に目を向けることです。それは人生について正しい視野と焦点をもつことになり、自分が元来不死の魂であり、それが一時の存在である土塊(つちくれ)に宿って自我を表現しているにすぎないこと、心がけ一つで自分を通じて神の力が地上に顕現するという実相を悟ることになるでしょう。こうしたことは是非とも心に銘記しておくべき大切な原理です。
日常の雑務に追いまくられ、一見すると物が強く霊が弱そうに思える世界では、それは容易に思い出せないものです。ですが、あくまで霊が主人であり物は召使です。霊が王様であり物は従臣です。霊は神であり、あなたはその神の一部なのです。” 

(「シルバーバーチの霊訓」一巻 P116 スピリチュアリズム普及会発行)

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令和6年1月)

“霊界からの指導と援助を求める時に整えるべき条件とは” (霊力)(2023.12.31)


「シルバーバーチの霊訓」一巻 P48~(スピリチュアリズム普及会発行)より
(●印は近藤千雄訳で、その下に英語の原文と私の訳(青文字)を付け加え比較することによって理解しやすいようにします。)


指導と援助を求める時はそれなりの条件を整えなくてはいけません。そのためには、それまでの経験を活用しなければいけません。それが魂にとって唯一の財産なのです。そして自分に生命を賦与してくれた力がきっと支えてくれるという自信をもつことです。あなたはその力の一部なのであり、あなたの魂に内在しているのです。正しい条件さえ整えば、その神性は、神からの遺産として、あなたに人生の闘いを生き抜くあらゆる武器を用意してくれます。せっかちと短気はその自由闊達な神性のほとばしりの障害となるのです。


If you want guidance and help you must provide the conditions by which guidance and help come to you.
もしもあなたが指導や援助を求めるのなら、それらが来るための条件を整えなければなりません。
You must use the experience to bult your own soul which is the only eternal possession you have.
あなたの唯一で、永遠の所有物である魂を確立(霊的覚醒と霊的自覚)してきた経験を用いなければなりません。
You must have confidence that the power which gave you life can sustain you, because you are a part of it and it resides within your own being.
あなたに生命を与えた力(神・霊の力)は、あなたを支えることができるという信頼と自信をもたなければなりません。なぜなら、あなたはその力(大霊)の一部(分霊)であり、その力があなたの内に内在しているからです。
And if you provide the right conditions, that divine power resident within your own nature, has as part of its heritage the armory of the spirit to give you all the weapons you require for every battle in life.
そして、もしも正しい条件を提供するならば、神の遺産の一部としてあなたに内在しているその神性なる力は、人生におけるあらゆる闘いに必要とする全ての兵器を提供する霊の武器庫を持っているのです。
But impatience and resentment, these are obstacles to the full, free, flowing of divine power.
しかしながら、いらだちと憤り、これらは十分、且つ、自由な神性な力(霊力)の流れの障害となります。

 

●故にあなた方は常にリラックスし、受身的で穏やかで平静で、しかも奥に自信を秘めた状態であらねばなりません。


You must relax, be receptive, calm, passive, quiescent, tranquil, serene, confident.
(Guidance from Siver Birch  P34)

指導や援助を受けるためには、あなたはリラックスし、受動的で、静寂、無活動(空の心・無我無念)によって受け身となり、落ち着きと平静、そして自信を持たなければなりません。

 

●その状態にあるかぎり万事がうまくいき、必要とするもの全てが施されるとの確信をもたなければいけません。
安易な人生からは価値あるものは得られません。困難な人生からのみ得られるのです。
神は決してあなた方を見捨てません。見捨てるのはあなた方の方です。あなた方が神を見捨てているのです。


You must know within that all will be well and in that spirit everything you require that is essential for your needs will come. You will not receive any credit for the easy things of life, only for the difficult ones. The Great Spirit cannot fail, you can fail the Great Spirit.
すべてのことはうまくいくということ、また、あなたが必要不可欠とするものは魂の中に全てやってくる、ということを心の内に知っていなければなりません。(亀水注:なぜなら魂の中に神が内在しているからです。)
安逸(あんいつ)な人生からは霊的摂理が本当であるとの信念や確信は得られません。それは困難な人生からのみ得られるのです。神は決して裏切りません。あなたが神を裏切っているのです。(亀水注:私たち一人ひとりの魂の中に神の分霊が内在しているので、本来、その内なる神を自覚し、神の顕現である霊的摂理に完璧な信頼を置くべきなのです。)

 

●困難に直面した時、その神の遺産を結集し、必ず道は開けるのだという自信をもつことです。不動の信念をもてば道は必ず開かれます。これはすでに私が何年にもわたって説いてきたことです。真実だからです。実践してみればそのとおりであることを知ります。 

Confronted with difficulty, muster the divine reserve and have perfect trust, the way must be shown. This is what I have taught for many years because it is true.
Those who are able to apply this truth know that it does work.

困難に直面したとき、内なる神を招集してそれに完璧な信頼をもつことです。道は必ず示されます。このことは私が何年にもわたって教えてきたことです。何故ならそれは真理(摂理)だからです。この真理(摂理)を実践することが出来る人々は、それがその通りに働くことを知ることになります。

 

ここに述べられている霊性を悟り、神と霊的摂理に完璧な信頼を置くことは残念ながら決して容易にできることではありません。そこに至るには数多くの霊的摂理の実践と経験を必要とするからです。


●霊界からの援助と導きを求めるにあたってのキーとなる霊力は2方向から来ます。
1.内なる霊力 
霊的自覚を確立し、神と霊的摂理に完璧な信頼を置きそれを生活の原動力とすれば、心配も不安も悩みも立ちどころに消えてしまいます。なぜなら、この世に自分の力で克服できないものは何一つ起きないことを悟るからです。それは、あなたには神が内在しておりその神性な力(divine power)を活用することができるからです。
具体的には、心を空にすることによって、表面意識の影響がうすれ潜在意識下の“本当の自分”(霊魂)からインスピレーションや霊的な力が澄み切った心に湧き出てきます。
但し、この霊力が流入するにはリラックスや平静など静穏な環境を必要とします。なぜなら、恐怖心や心配の念は霊力が心や肉体に作用する通路を塞いでしまうからです。


2.外なる霊力(P48より)

まずは、神や摂理(宇宙の法則)への信頼、不動の信念を持つことが、受け身となるためには必須条件となります。


⇒ 次に、指導や援助を求めて神や守護霊、指導霊に心底から全てを託し、霊界からの導きに対して受け身となります。


⇒ そうなると、信頼度に比例して心の重荷がとれ、リラックスして心の平安を得ることができるようになります。


⇒ これがさらに進むと、たとえわずかな間ではあっても無我無念(無念無想)となって空の心、すなわち心が無活動(受け身)となります。


⇒ 霊界からのインスピレーションによる援助や導きを受け取り、霊的摂理への悟りや運命が拓けていきます。それには、霊界からのさまざまな導きや援助のサインとなる現象を見逃すことなく、霊的視点で常にアンテナをはって気付くことが大切となります。


“私は宇宙を創造した力(神)に満腔の信頼を置きます。あなた方はいったい何を恐れ、また何故に神の力を信じようとしないのです。宇宙を支配する全能なる神になぜ身を委ねないのです。あらゆる恐怖心、あらゆる心配の念を捨て去って神の御胸に飛び込むのです。神の心をわが心とするのです。心の奥を平静に、そして穏やかに保ち、しかも自信をもって生きることです。そうすれば自然に神の心があなたを通して発揮されます。愛の心と叡智をもって臨めば、何事もきっと成就します。聞く耳をもつ者のみが神の御声を聞くことができるのです。愛がすべての根源です。愛――人間的愛――はそのほんのささやかな表現にすぎませんが、愛こそが神の摂理の遂行者です。
霊的真理を知った者は一片の恐怖心もなく毎日を送り、いかなる悲しみ、いかなる苦難にも必ずや神の御加護があることを一片の疑いもなく信じることができなければいけません。苦難にも悲しみにも挫けてはなりません。なぜなら霊的な力はいかなる物的な力にも勝るからです。恐怖心こそ人類最大の敵です。 (中略) つとめて恐れの念を打ち消すことです。”
(「シルバーバーチの霊訓」 一巻 P60 スピリチュアリズム普及会発行)

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