▼ 年度別バックナンバー
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- 令和5年
- 令和6年
(平成24年12月) “本当の自分”を知るとは
(平成25年12月) 顕幽の交信
(平成25年11月) 意識について
(平成25年10月) 精神統一とは その二
(平成25年9月) 精神統一とは その一
(平成25年8月) 老い
(平成25年7月) 真我
(平成25年6月) あなたは一人ではない
(平成25年5月) 本当の自分と人生の目的
(平成25年4月) 霊的なバイブレーションと物的なバイブレーション
(平成25年3月) 霊眼で観察する
(平成25年2月) テレビニュースを最近は見なくなった
(平成25年1月) インドは世界の宗教の“るつぼ”
(平成26年12月) 本物の霊能者とは
(平成26年11月) 本物の宝物とは
(平成26年10月) 我は神なり
(平成26年9月) 泰然自若
(平成26年8月) 内外から霊力を引き出すとは
(平成26年7月) 利他とは
(平成26年6月) 背後霊とのコンタクト方法
(平成26年5月) 霊力について
(平成26年4月) 友人の死にあたって
(平成26年3月) 魂の兵器庫を開き、神の武器をとりだすとは
(平成26年2月) “天国は心の中にある”とは
(平成26年1月) 試練の意味
(平成27年12月) “霊的摂理の普及”
(平成27年11月) “本当の自分”霊魂はなぜ隠されているのでしょうか
(平成27年10月) 幽界の続き
(平成27年9月) 幽界の存在意義と類魂仲間
(平成27年8月) 地上に再生する目的
(平成27年7月) 霊界と物質界
(平成27年6月) 霊こそ実在
(平成27年5月) 霊的成長は孤独
(平成27年4月) 瞑想・精神の統一 その四
(平成27年3月) 瞑想・精神の統一 その三
(平成27年2月) 瞑想・精神の統一 その二
(平成27年1月) 瞑想・精神の統一 その一
(平成28年12月) 霊的知識を正しく理解した人
(平成28年11月) 霊的成長に合わせたより高度な叡智
(平成28年10月) 真の宝”とは、その宝を手に入れる“カギ”とは
(平成28年9月) 困難・試練に際して
(平成28年8月) 道具意識
(平成28年7月) 神は悪や憎しみの中にも存在する
(平成28年6月) 苦難の目的と対処法 その2
(平成28年5月) 苦難の目的と対処法
(平成28年4月) 宇宙の法則への絶対的信頼があれば苦しみを感じなくなる
(平成28年3月) 車窓の景色
(平成28年2月) 心の分類と霊的成長
(平成28年1月) 霊的摂理の実践と信仰
(平成29年12月) 幽体離脱で他界直後の母と会う
(平成29年11月) すぐそこまで来ている新しい地球の夜明け
(平成29年10月) 本当の敵と霊的資質の発揮
(平成29年9月) 霊的時期に来た人とは
(平成29年8月) 霊的教育
(平成29年7月) 死とは その2
(平成29年6月) 死とは
(平成29年5月) 日常的な霊界との交流 その4
(平成29年4月) 日常的な霊界との交流 その3
(平成29年3月) 日常的な霊界との交流 その2
(平成29年2月) 日常的な霊界との交流 その1
(平成29年1月) 最善を尽くせばそれで良いのです
(平成30年12月) “信念”(信仰)
(平成30年11月) 地上人生の目的は
(平成30年10月) 作用と反作用は正反対であり同じもの
(平成30年9月) 自殺
(平成30年8月) 霊訓にみる挫折克服法
(平成30年7月) 憎しみがなければ愛もありません
(平成30年6月) 奇跡と近代スピリチュアリズム
(平成30年5月) ナザレのイエスとシルバーバーチ
(平成30年4月) 心配は摂理への信頼に反する不信行為
(平成30年3月) スピリチュアリストにとっての“自信”とは
(平成30年2月) 劣等感と“地上で為し得る最も偉大な仕事”
(平成30年1月) スピリチュアリストにとって“苦”とは何だろう
(令和元年12月) “地上人生の霊的成長ガイドライン”
(令和元年11月) “地上での霊的成長プロセスとカルマの解消”
(令和元年10月) “スピリチュアリストにとっての信仰とは一体何だろうか”
(令和元年9月) キリスト教の“原罪と贖罪説”の間違い
(令和元年8月) 霊的知識への責任と信仰
(令和元年7月) 魂に自由をもたらしていく仕事
(令和元年6月) この世にあってこの世のものとなるなかれ
(令和元年5月) この地上を神々のように歩くことができるのです その2
(平成31年4月) この地上を神々のように歩くことができるのです
(平成31年3月) シルバーバーチは今も私たちに働きかけている
(平成31年2月) インスピレーションと良心の声
(平成31年1月) “人のために役立つことをする”の真の意味
(令和2年12月) 内外の霊力を活用する方法 他 ―霊的摂理の理解をおいて他にない―
(令和2年11月) シルバーバーチの使命
(令和2年10月) どうすれば霊的成長がはかれるか
(令和2年9月) 「気とは何か」を読んでみて
(令和2年8月) 死について
(令和2年7月) “内部の霊性を発揮させれば”の意味
(令和2年6月) 価値あるものは苦しみと悲しみなしには手にすることはできません
(令和2年5月) 霊力とは何?
(令和2年4月) 信仰実践
(令和2年3月) どうしたら霊的摂理への強い信仰が持てるのだろうか?
(令和2年2月) コミュニケーションとコミュニオン
(令和2年1月) 霊性の高い人は“本当の自分”を知る必要はないのでしょう
(令和3年12月) 私たちの今の地上人生とは一体何なのでしょうか
(令和3年11月) 自由意志は魂の成長度によって規制されている
(令和3年10月) 完全なる安らぎ
(令和3年9月) 心の奥深くにある内なる霊力
(令和3年8月) もしも心配・悩み・疑いや不安の念に襲われたら
(令和3年7月) “キリスト教の間違い”(その2)
(令和3年6月) “キリスト教の間違い”(その1)
(令和3年5月) あなた方は今この時も霊的世界に生きているのです
(令和3年4月) 愛とは摂理の成就なり
(令和3年3月) 愛とは感情ではありません
(令和3年2月) 霊力の通路の開き方
(令和3年1月) 私はなぜスピリチュアリストになったのか
(令和4年12月) 死後の世界
(令和4年11月) 神は外の世界だけでなく、あなたの内にも内在しています
(令和4年10月) あなたは完ぺきな信仰をもつべきです
(令和4年9月) 試練・困難への霊的摂理に基づく対処法
(令和4年8月) スピリチュアリストにとっての真実の祈りとは
(令和4年7月) 摂理への信仰と実践による摂理への順応
(令和4年6月) 真の心の平安とは
(令和4年5月) 霊的成長こそが地上人生の目的
(令和4年4月) ウクライナ戦争
(令和4年3月) 摂理を信じ摂理と調和して生きる その2
(令和4年2月) 摂理を信じ摂理と調和して生きる
(令和4年1月) 私たちの今の地上人生とは一体何なのでしょう その2
(令和5年12月) 宇宙で最も強力なエネルギー
(令和5年11月) 霊界からのインスピレーションを正しく受け取るには
(令和5年10月) 完璧な摂理の中で生きているという自覚
(令和5年9月) ―不安と安心― その5
(令和5年8月) ―不安と安心― その4
(令和5年7月) ―不安と安心― その3
(令和5年6月) ―不安と安心― その2
(令和5年5月) ―不安と安心― その1
(令和5年4月) グループ・ソウル(類魂)とは
(令和5年3月) グループ・ソウル(類魂)と霊的ダイヤモンド(インディビジュアリティ)
(令和5年2月) インディビジュアリティと再生
(令和5年1月) 睡眠と瞑想(疑似睡眠)
▼ 項目別バックナンバー
- 人生の目的
- 真我
- 背後霊
- 霊界
- 霊の力
- 瞑想
- 苦しみ・試練
- 雑記
(令和6年5月) 地上人生の意味
(令和6年2月) 夢幻の出来事
(令和4年5月) 霊的成長こそが地上人生の目的
(令和4年1月) 私たちの今の地上人生とは一体何なのでしょう その2
(令和3年12月) 私たちの今の地上人生とは一体何なのでしょうか
(令和2年11月) シルバーバーチの使命
(令和2年10月) どうすれば霊的成長がはかれるか
(令和2年4月) 信仰実践
(令和2年3月) どうしたら霊的摂理への強い信仰が持てるのだろうか?
(令和元年6月) この世にあってこの世のものとなるなかれ
(平成30年11月) 地上人生の目的は
(平成30年7月) 憎しみがなければ愛もありません
(平成30年3月) スピリチュアリストにとっての“自信”とは
(平成30年2月) 劣等感と“地上で為し得る最も偉大な仕事”
(平成28年11月) 霊的成長に合わせたより高度な叡智
(平成28年10月) 真の宝”とは、その宝を手に入れる“カギ”とは
(平成28年8月) 道具意識
(平成28年7月) 神は悪や憎しみの中にも存在する
(平成28年2月) 心の分類と霊的成長
(平成27年8月) 地上に再生する目的
(平成27年5月) 霊的成長は孤独
(平成26年7月) 利他とは
(平成26年1月) 試練の意味
(平成25年5月) 本当の自分と人生の目的
(平成27年11月) “本当の自分”霊魂はなぜ隠されているのでしょうか
(平成26年10月) 我は神なり
(平成25年7月) 真我
(平成25年5月) 本当の自分と人生の目的
(平成24年12月) “本当の自分”を知るとは
(令和6年7月) 霊的回路を開く方法
(令和2年2月) コミュニケーションとコミュニオン
(平成31年2月) インスピレーションと良心の声
(平成26年6月) 背後霊とのコンタクト方法
(平成25年12月) 顕幽の交信
(平成25年6月) あなたは一人ではない
(平成29年12月) 幽体離脱で他界直後の母と会う
(平成27年10月) 幽界の続き
(平成27年9月) 幽界の存在意義と類魂仲間
(平成27年7月) 霊界と物質界
(平成27年6月) 霊こそ実在
(平成25年4月) 霊的なバイブレーションと物的なバイブレーション
(令和6年9月) 霊の力が物の力に勝ることを自ら証明しなさい
(令和6年1月) 霊界からの指導と援助を求める時に整えるべき条件とは
(令和5年12月) 宇宙で最も強力なエネルギー
(令和5年11月) 霊界からのインスピレーションを正しく受け取るには
(令和4年3月) 摂理を信じ摂理と調和して生きる その2
(令和3年9月) 心の奥深くにある内なる霊力
(令和3年8月) もしも心配・悩み・疑いや不安の念に襲われたら
(令和3年2月) 霊力の通路の開き方
(令和2年12月) 内外の霊力を活用する方法 他 ―霊的摂理の理解をおいて他にない―
(令和2年9月) 「気とは何か」を読んでみて
(令和2年7月) “内部の霊性を発揮させれば”の意味
(令和2年5月) 霊力とは何?
(令和元年5月) この地上を神々のように歩くことができるのです その2
(平成31年4月) この地上を神々のように歩くことができるのです
(平成26年8月) 内外から霊力を引き出すとは
(平成26年5月) 霊力について
(平成26年3月) 魂の兵器庫を開き、神の武器をとりだすとは
(令和5年1月) 睡眠と瞑想(疑似睡眠)
(平成29年5月) 日常的な霊界との交流 その4
(平成29年4月) 日常的な霊界との交流 その3
(平成29年3月) 日常的な霊界との交流 その2
(平成29年2月) 日常的な霊界との交流 その1
(平成27年4月) 瞑想・精神の統一 その四
(平成27年3月) 瞑想・精神の統一 その三
(平成27年2月) 瞑想・精神の統一 その二
(平成27年1月) 瞑想・精神の統一 その一
(平成25年10月) 精神統一とは その二
(平成25年9月) 精神統一とは その一
(令和6年8月) 心に恐れを宿してはいけません
(令和6年4月) なぜ苦しみがあるのか
(令和4年9月) 試練・困難への霊的摂理に基づく対処法
(令和2年6月) 価値あるものは苦しみと悲しみなしには手にすることはできません
(令和元年12月) “地上人生の霊的成長ガイドライン”
(平成31年3月) シルバーバーチは今も私たちに働きかけている
(平成30年12月) “信念”(信仰)
(平成30年10月) 作用と反作用は正反対であり同じもの
(平成30年9月) 自殺
(平成30年8月) 霊訓にみる挫折克服法
(平成30年4月) 心配は摂理への信頼に反する不信行為
(平成30年1月) スピリチュアリストにとって“苦”とは何だろう
(平成29年10月) 本当の敵と霊的資質の発揮
(平成29年9月) 霊的時期に来た人とは
(平成29年8月) 霊的教育
(平成29年7月) 死とは その2
(平成29年6月) 死とは
(平成29年1月) 最善を尽くせばそれで良いのです
(平成28年9月) 困難・試練に際して
(平成28年6月) 苦難の目的と対処法 その2
(平成28年5月) 苦難の目的と対処法
(平成28年4月) 宇宙の法則への絶対的信頼があれば苦しみを感じなくなる
(平成28年3月) 車窓の景色
(平成28年2月) 心の分類と霊的成長
(平成28年1月) 霊的摂理の実践と信仰
(平成27年5月) 霊的成長は孤独
(平成26年9月) 泰然自若
(平成26年7月) 利他とは
(平成26年2月) “天国は心の中にある”とは
(平成25年3月) 霊眼で観察する
(令和6年10月) 死への怖れ
(令和6年6月) 成長、進化、発展が宇宙の大原理
(令和6年3月) 物質の世界にのみ生きていると思い込んでいる
(令和5年10月) 完璧な摂理の中で生きているという自覚
(令和5年9月) ―不安と安心― その5
(令和5年8月) ―不安と安心― その4
(令和5年7月) ―不安と安心― その3
(令和5年6月) ―不安と安心― その2
(令和5年5月) ―不安と安心― その1
(令和5年4月) グループ・ソウル(類魂)とは
(令和5年3月) グループ・ソウル(類魂)と霊的ダイヤモンド(インディビジュアリティ)
(令和5年2月) インディビジュアリティと再生
(令和4年12月) 死後の世界
(令和4年11月) 神は外の世界だけでなく、あなたの内にも内在しています
(令和4年10月) あなたは完ぺきな信仰をもつべきです
(令和4年8月) スピリチュアリストにとっての真実の祈りとは
(令和4年7月) 摂理への信仰と実践による摂理への順応
(令和4年6月) 真の心の平安とは
(令和4年4月) ウクライナ戦争
(令和4年2月) 摂理を信じ摂理と調和して生きる
(令和3年11月) 自由意志は魂の成長度によって規制されている
(令和3年10月) 完全なる安らぎ
(令和3年7月) “キリスト教の間違い”(その2)
(令和3年6月) “キリスト教の間違い”(その1)
(令和3年5月) あなた方は今この時も霊的世界に生きているのです
(令和3年4月) 愛とは摂理の成就なり
(令和3年3月) 愛とは感情ではありません
(令和3年1月) 私はなぜスピリチュアリストになったのか
(令和2年8月) 死について
(令和2年1月) 霊性の高い人は“本当の自分”を知る必要はないのでしょう
(令和元年11月) 地上での霊的成長プロセスとカルマの解消
(令和元年10月) スピリチュアリストにとっての信仰とは一体何だろうか
(令和元年9月) キリスト教の“原罪と贖罪説”の間違い
(令和元年8月) 霊的知識への責任と信仰
(令和元年7月) 魂に自由をもたらしていく仕事
(平成31年1月) “人のために役立つことをする”の真の意味
(平成30年6月) 奇跡と近代スピリチュアルリズム
(平成30年5月) ナザレのイエスとシルバーバーチ
(平成29年11月) すぐそこまで来ている新しい地球の夜明け
(平成28年12月) 霊的知識を正しく理解した人
(平成27年12月) “霊的摂理の普及”
(平成26年12月) 本物の霊能者とは
(平成26年11月) 本物の宝物とは
(平成26年4月) 友人の死にあたって
(平成25年8月) 老い
(平成25年11月) 意識について
(平成25年2月) テレビニュースを最近は見なくなった
(平成25年1月) インドは世界の宗教の“るつぼ”
“死への怖れ”(雑記) (2024.9.25)
―我とは永遠不滅の霊魂なり―
私のような後期高齢者になると、周りの友人・知人の中にはガン等で亡くなる方がどうしても増えてきます。
もしもガン患者の人から死に対する恐怖心を感じとられたら、スピリチュアリストである私はどのように慰めたらよいのでしょうか、また、たとえ霊的摂理の話をしても、果たして少しでも理解できて心の慰めとなるかどうか、その都度悩ましいところです。当人が霊的摂理を受け入れられる時期に来ているかどうかが分からないからです。
唯物・科学万能主義が蔓延しているこの物質世界では、真実であると知っている“地上の死”の実態について“霊的真理”の話をしても、結果として本人の死のイメージとは真逆の話となってしまいます。
治すためには標準治療など最善をつくさなければなりませんが、たとえ治療効果がみられなくて死が直近に迫っていても、私の話はその死を前向きに受け止める話となってしまいます。そのため、理解不可能どころか、真剣な悩みに突拍子もないいい加減な話、死ぬと決めつけた縁起でもない話と受け取られ、おちょくっているのではないか、あるいは胡散臭い宗教の勧誘の話ではないかと感じとる人もいることでしょう。ひょっとすると友人関係解消となるかもしれません。
しかしながら、私としては真剣に悩んでいる人に向けて、真理は真理であるがゆえに真実を知っている立場としての責任があり、また、これが当人にとって霊的摂理の話を聞く最後のチャンスとなるかもしれず、常識的には頑張れと励ますところ縁起でもないと、たとえいやな顔をされてでも、その場しのぎの中途半端な話でお茶を濁すわけにはいかないのです。死後にも影響する問題だからです。
私自身は人の生死をみる予知能力はないので、ガン患者本人が死に至るのか、あるいは無事完治されるのかどうかまではまったく判断ができません。が、たとえ寿命の長い短いの差はあっても、遅かれ早かれいずれ誰もが死は避けられないものです。これも当人にとっての大きな試練であり導きと、可能性は極めて低くてももしも時期が来たならば思い出してくれればよいと割り切って話をするように努めております。それが死の真実を知っている者として、最低限の責任を果たすことになるのではないかと信じるからです。
それではシルバーバーチは“地上の死”について、どのように語っているのでしょうか。
結論から言って、死に対する怖れは霊的無知から来ている、とシルバーバーチは語っています。
“それは無知の産物に他なりません。つまり知らないから怖がるのです。ですから(霊的)知識を携えて霊的理解の中に生きることです。取越苦労の絶えない人は心のどこかにその無知という名の暗闇があることを示しています。そこから恐怖心が湧くのです。”
(「シルバーバーチの霊訓」 一巻 P73 スピリチュアリズム普及会発行)
では次に、“地上の死”の真実の姿とは一体どういうものなのでしょうか。
“死は地上生活の労苦に対して与えられる報酬であり、自由であり、解放です。いわば第二の誕生です。死こそ真の生へのカギを握る現象であり、肉の牢の扉を開け、閉じ込められた霊(本当の自分)を解き放ち、地上で味わえなかった喜びを味わうことを可能にしてくれます。
愛によって結ばれた仲が死によって引き裂かれることは決してありません。神の摂理が顕幽の隔てなく働くと言われるのはそのことです。愛とは神の摂理の顕現であり、それ故にありとあらゆる人間の煩悩── 愚かさ、無知、依怙地、偏見等々を乗り超えて働きます。”
(「シルバーバーチの霊訓」一巻 P150 スピリチュアリズム普及会発行)
このことが少しでも理解できるためには、下記の霊的真理を受け入れる意識段階にまできている必要があるでしょう。
“大勢の人が真の実在であり全ての根源であるところの霊性に全く気づかぬまま生きております。こうして生きているのは霊的存在だからこそであること、それが肉体を道具として生きているのだということが理解できないのです。
人間には霊がある、あるいは魂があると信じている人でも、実在は肉体であって霊はその付属物であるかのように理解している人がいます。本当は霊が主体であり肉体が従属物なのです。つまり真のあなたは霊なのです。生命そのものであり、神性を有し、永遠なる存在なのです。
肉体は霊がその機能を行使できるように出来あがっております。その形体(肉体)としての存在はほんの一時的なものです。用事が済めば崩壊してしまいます。が、その誕生の時に宿った霊、これが大事なのです。”
(「シルバーバーチの霊訓」一巻 P33 スピリチュアリズム普及会発行)
肉体の脳によって意識する心(自我)がつくられているため、肉体の死後は人生の全てが終わり、一切は無に帰すると多くの人々は堅く信じ込んでいるために、死や愛する人との永遠の離別を極端に怖れ寂しがるのです。子供や若い人が亡くなった場合は特にそうです。
だからこそ、今自覚している自分は氷山でいうところの海面上(表面意識上)に出ている極々一部の自分(仮我)にすぎず、海面下(潜在意識下)にあって大部分を占めている“本当の自分”(大我・真我)は永遠不滅の霊魂なのだ、という霊的な覚醒(自覚)が必要となるのです。
つまり、気づいていないだけで私たちの“本当の自分”は、個性をもち神の分霊を内在した永遠不滅の“霊魂”そのものであるということです。そして、死は霊訓によると予め定めてきた寿命がきて地上人生を卒業し、肉体を脱ぎ捨てて第二の誕生である霊界へと移行することであって、物から霊へと身体の波動を切り替えるためには避けることのできない一つの通過点(切り替え作業)にすぎないということです。
それはちょうど誕生とは真逆のコースをたどることであり、肉体という重いダイビングスーツを脱ぎ捨て、物質界という海中から元来た陸上(霊界)へ引き上げることなのです。このことはパソコンでいう基本ソフトOSを切り替えるための書き換え作業であり、新しいOSをインストールする前に、一旦スイッチが切れるのと非常によく似ております。(須江克則談)
霊性レベルが異なる人々が唯一混在している地上界という学校で学び、霊的に成長するために出生してきています。そしてその成長に不可欠な因果律は、顕幽の別なく他界後も地上時代に行った全ての行為(原因)に対して一分一厘の狂いもなく働き続けます(結果)。(埋め合わせ・償いの法則など)
また、“本当の自分”である私たち霊魂は、永遠不滅であり個性もそのまま霊界へ持ち越されますので、愛する者同士は霊界で再会することができるというのが霊的実相なのです。
ちなみに、今回の“死”のテーマに関して、病死以外にも今国内外を問わず、命があまりにも軽く扱われている理不尽な事件が数多く見受けられます。では、摂理からみてこのことは一体どのように理解したらよいのでしょうか。霊的摂理としてのシルバーバーチの回答が今月の「次回読書会の霊訓の中から」で引用されている内容なのです。
(「シルバーバーチの霊訓」一巻 P168 スピリチュアリズム普及会)
“霊の力が物の力に勝ることを自ら証明しなさい”(霊力)(2024.8.25)
タイトルの霊訓の意味を真に理解するためには、苦しみや困難の実体験が必須となります。
以下の霊訓は全て、「シルバーバーチの霊訓」一巻(スピリチュアリズム普及会発行)からの引用となります。
●苦しみと困難があることが進化の必須の条件なのです。 P133
霊的に成長するためには、苦しみや困難が必須条件となっています。
例えば、“木々は嵐のおかげでより強く根を張ることができる”のに似ています。
“Storms make trees take deeper roots”(米国シンガー)
スピリチュアリストには霊的摂理への信仰と、背後霊への信頼が日常生活で試され、鍛えられるために学んだ摂理を常に実践することが求められております。
そして、その体験を積むことによって、この物的世界にあって霊的な力が物的な力よりも優れていることを、自らの生活で身をもって証明・確認していかねばならないのです。生涯にわたってのこのプロセスが、摂理を理解し霊性を高める成長の過程なのです。
●そこに苦の存在する理由があります。悲しみの存在する理由があります。光(悟り)が暗闇の中にあってこそ見出せる理由がそこにあります。 (中略) 苦が全てというわけではありません。人生の一部でしかありません。しかし、苦のない世界はありません。苦しみと困難があることが進化の必須の条件なのです。 P133
当然です。苦しみや困難に直面しない限り、霊訓の言葉は決して心に直接響いてこないからです。それには、藁をもすがる程の心の飢え渇きが必要です。喉が渇いていないと水を欲しないのと同じことです。そして、この時から霊の力と物の力との綱引きが始まるのです。
●背後霊との協調性が高まれば高まるほど、より大きな成果が得られます。 (中略) かなうものならば、あなたの視界を遮るベールが取り払われ、背後で協力している光り輝く霊的存在を一目お目にかけることができれば、と思うことしきりです。
立ちはだかる困難の一つひとつは、あなたが是非とも迎えうち克服し、そうすることによって霊の力が物の力に勝ることを証明していかねばならない、一つの挑戦(修行)でもあります。” P135~P138
Every difficulty is a challenge which you must meet and overcome, thus proving that the power of the spirit is stronger than the power of matter.
(P82 Guidance from Silver Birch)
●苦難にも悲しみにも挫けてはなりません。なぜなら霊的な力はいかなる物的な力にも勝るからです。 P60
They must triumph, for the power of the spirit is mightier than any material force. (P40 Guidance from Silver Birch)
霊の力・・・霊的視点で出来事をとらえ、霊的な手段をとおして解決法を探り求めること。すなわち神の摂理への適用や背後霊の護り、支援、導きや“悟り”など千種万様の形をとる霊力を頼りとすること。
物の力・・・物的視点で出来事をとらえ、物的な手段を解決法として求めること。すなわち、心配・不安・取り越し苦労・怖れなどの原因となっているこの世的な物的世界の力に対して、唯物・科学万能主義からくるお金の力や権力、地位、名声など、この世的なもののみを唯一の頼りとすること。霊的知識が無いか、霊界を信じていないとどうしてもそうなります。
霊的な力が物的な力よりも優れていることを日常生活の中で自ら証明し続けることは、言い方を変えると、私たちの行動規範が霊的摂理と合致した生活となることです。しかしながら、この霊的な力の体験の感動は時間の経過とともに薄れ忘れてしまうので、繰り返し繰り返し生涯をかけて徐々に身につける仕事(修行)となるのです。
“あなたが行うこと、心におもうこと、口にする言葉、憧れるもの、求めるものがあなたの理解した霊的真理と合致するようになるのは、生涯をかけた仕事と言えるでしょう。” P118
その理由として、
1.“どうかすると、毎日の雑事に心を奪われ、霊的実相を忘れてしまいがちです。” P121
2.“一見すると物が強く霊が弱そうに見える世界では、それ(霊的実相)は容易に思い出せないものです。” P116
霊的摂理と合致した生活を送るようになるためには、苦難の体験を積み重ね霊の力が物の力よりも優れていることを数多く“悟る”ことによってのみ可能となります。なぜなら、書物からだけでは霊的摂理は真に身につかないからです。霊的体験によって霊の力の証を積み重ねないと、単に知っているというだけの信仰では、逆境すなわち厳しい体験の嵐(修行)が来ると直ぐに崩れてしまいます。
●自分が本質において永遠なる存在であり何事も修行であることを忘れぬ限り、何が起きようと意気消沈することはありません。霊性は書物からは得られません。先生(組織・団体)が授けるものでもありません。自分自身の生活の中で、実際の行為によって体得しなければなりません。それは個性の内部における神性の発芽現象なのです。 P148
●苦難から何かを学びとるように努めることです。耐え切れないほどの苦難を背負わされるようなことは絶対にありません。 (中略) 私は宇宙を創造した力に満腔の信頼を置きます。
あなたはいったい何を恐れ、また何故に神の力(霊力)を信じようとしないのです。宇宙を支配する全能なる神になぜ身を委ねないのです。あらゆる恐怖心、あらゆる心配の念を捨て去って神の御胸に飛び込むのです。 P52
苦しみや困難がやってきたら、まず始めにこれは霊的成長のための試練(鍛錬)であり、霊的約束(摂理)に基づき背後霊からの護りや導きによって、必ず克服できるという結果がまずありきと捉えることです。そして、何事も自らを鍛える修行と心得て、できる範囲内で精一杯励めればよいのです。そのあとは、背後霊を信頼しその護りと導きに全て委ねる決意をすればよいのです。霊の力が物の力に勝ることを注意深く観察することです。それには、霊的視野で観ることが不可欠となります。だからこそ、私たちには霊的視点で判断するための正しい霊的知識が必要となるのです。
“心に恐れを宿してはいけません” (苦しみ・試練) (2024.7.26)
―あなたはいったい何を恐れ、また何故に神の力を信じようとしないのです―
「シルバーバーチの霊訓」一巻 八章“愛の力”より(スピリチュアリズム普及会発行)
人生では、例外なくさまざまな予期せぬ危機や苦難、悲しみ、病などが試練として必ずやってきます。一人の例外もありません。そして、当然のごとく心に恐れや心配、不安を宿す結果、意気消沈や悲哀の念、気力喪失などに陥り、霊的回路が塞がれ霊力の流れが遮断されます。
そのため体調をこわすことにもなるのです。
そこでシルバーバーチは私たちに向かって、試練を怖れず背後霊からの護りや導き、インスピレーションを得て克服しなさいと語っています。実は、試練の真の目的は、その霊的体験を経験して悟りにつながるところにあるのです。
では、どのようにすれば援助にあたっている背後霊が意識でき、魂を取り巻いている暗雲が晴れ、確信の陽光が差し込むことができるのでしょうか。
“心に怖れを宿してはいけません。完全に拭い去らないといけません。誕生以来今日までずっとあなたを導いてきた霊が、今になって見捨てるはずがありません。
これまで日夜あなたの生活の支えとなってきたのであり、これ以後もずっと支えとなることでしょう。なぜなら、あなたに絶対成就してもらわねばならない仕事(霊的摂理の普及)があるからです。
霊がこの世へ携えて来た能力(神性)がこれからもその役目を果たしていきます。こちらから援助に当たる霊の背後には宇宙の大霊すなわち神の力が控えております。それは決して裏切ることはありません。宇宙は無限・無窮の神的エネルギーによって存在しております。
しかし地上の人間の圧倒的多数は(大自然の営みなど)そのエネルギーのごくごく僅かしか感識しておりません。受け入れる条件が整わないからです。ですから、あなた方人間はその神の恩寵を存分に受け入れるべく、精神と魂を広く大きく開く方法(潜在意識下の“本当の自分”(霊魂)に内在する神を顕在意識上に引きあげる方法)を学ばねばなりません。
それには信念と信頼心と信仰心と穏やかさと落ち着きを身につけなければなりません。
そうしたものによって醸し出される雰囲気の中にある時、無限のエネルギーから莫大な豊かさを受けることができます。それが神の摂理なのです。そういう仕組みになっているのです。
受け入れ、吸収する能力に応じて、エネルギーが配給されるということです。受容力が増せば、それだけエネルギーも増します。それだけのことです。
悲哀の念が消えるに従って、魂を取り巻いていた暗雲が晴れ、確信の陽光がふんだんに射し込むことでしょう。” P141
“自分が本質において永遠なる存在であり何事も修行であることを忘れぬ限り、何が起きようと意気消沈することはありません。
霊性は書物からは得られません。先生(組織・団体)が授けるものでもありません。自分自身の生活の中で、実際の行為(霊的摂理の実践や試練の克服)によって体得しなければなりません。それは個性の内部における神性の発芽現象なのです。” P148
⇒ 霊性が高まればそれだけ多くの霊力が流入するようになりますが、霊力の受容力は背後霊を信じ味方につける程度に応じて大きく変わります。神や摂理への信仰、背後霊への信頼が強い程、心が冷静・静寂となり、霊的回路が広く大きく開く結果、閃きやヒントなど霊界からの受容力が増すことになります。
残念ながら、日々の生活で背後霊を具体的なイメージで日常意識することは本当に難しいことです。そのため何度霊訓を読み返してみても、一旦、身の回りの世界に目を向けると心配の念が大きければ大きい程、直前に読んだ霊訓さえも記憶にすら残らず、不安や怖れ、取り越し苦労が一向に心から消えないのが私たちの現実の姿ではないでしょうか。
このことは、神の御胸に飛び込み、光り輝く霊的存在に身を委ねて怖れを心から完全に払拭しなさいという霊訓を守りきれていないということです。それは取りも直さず、本当は神や背後霊、霊的な約束(摂理)を心の底から信じていないという証左でもあります。何故なら、それらは表裏一体の関係にあるからです。また当然のことながら、やってくる試練のハードルも霊的成長とともに上がっていきます。
だからこそ“苦”や“悲哀”によって何度も何度も霊界への信仰心や、今学んでいる摂理実践への覚悟がその都度試されるのです。生涯にわたって霊的摂理や背後霊への信頼心が繰り返し試され鍛えられ強化されて、霊的に成長し続けるのです。
誕生以来今日までずっとあなたを導いてきた霊が、今になって見捨てるはずはありません。(P141)また別の個所でも、これまであなたを包んできた(神の)愛が今になって見放すわけがありません。(P148)とシルバーバーチは繰り返し語っています。
確かに私自身の来た道を振り返ってみても、過去さまざまな克服不可能と思われるような試練や困難、悲しみに包まれてきました。その試練を受け止め最善をつくした後は霊界からの“導き”に身を全て任せると、紆余曲折はあっても最終的には想定外の奇跡的な展開によってすべてを克服することができました。今の私にとっては、それらの霊的な“導き”の体験が唯一の確固たる財産であり、紛れもない霊界の“証”となっています。
そこにはやはり“絶対に成就してもらわねばならない仕事”(霊的真理の普及)があったためであったことが、今となってはよく理解できます。
このように霊界からの具体的な“導き”の体験をとおして、光り輝く霊的存在(背後霊)を認識する他はないように私には思われます。そのためには、私たちには常に霊的視野で観ることが強く求められております。
“あなたを今日まで導き、これ以後もより一層大きな霊的回路とするための受容力の拡大に心を砕いてくれている背後霊の愛に目を向けてください。” P140
“ですから、私達は愛をもって導いてくれるこの力に安心して身を任せようではありませんか。その愛の導きに身を委ね、いついかなる時も神の御手の中にあることを自覚しようではありませんか。完全なる愛は恐怖心を駆逐します。知識も恐怖心を駆逐します。恐怖は無知から生まれるものだからです。愛と信頼と知識のあるところに恐怖心は入り込めません。進歩した霊はいついかなる時も恐れることがありません。なんとなれば、自分に神が宿る以上は人生のいかなる局面に遭っても克服できぬものはないとの信念があるからです。これまであなたを包んできた愛が今になって見放すわけがありません。それは宇宙の大霊から放たれる無限なる愛であり、無数の回路を通して光輝を放ちつつ地上に至り、人のために役立たんと志す人々の力となります。気力喪失の時には力を与え、悲しみの淵にある時は慰めを与えてくれます。あなたの周りに張りめぐらされた防御帯であり、決して破られることはありません。神の力だからです。” P148
“背後霊との協調性が高まれば高まるほど、より大きな成果が得られます。 (中略) かなうものならば、あなたの視界を遮るベールが取り払われ、背後で協力している光り輝く霊的存在を一目お目にかけることができれば、と思うことしきりです。立ちはだかる困難の一つひとつは、あなたが是非とも迎えうち克服し、そうすることによって霊の力が物の力に勝ることを証明していかねばならない、一つの挑戦(修行)でもあります。” P135~P138
“霊的回路を開く方法” (背後霊)(2024.7.1)
地上世界(物質世界)と霊界とは、それを構成している波長が根本的に異なっております。そのため、肉体の五感で感識される物的波長の世界からは、霊界は異次元の世界であり完全に断絶しております。
しかしながら、人間は例外なく“本当の自分”の中に神の分霊を内在している“肉体を具えた霊魂”ですから、霊的法則に従いさえすれば地上世界にいながら霊界との交信が可能となるのです。
では、この霊的回路を開いて霊界の背後霊(守護霊や指導霊など)と交信するためには、どのような方法をとればよいのでしょうか。
次の二つの霊訓にそのヒントが語られております。
“肉眼で見ることができず、手で触れてみることもできない私たち霊界の者が物質の世界と接触をもつことは容易なことではありません。人間側が善良な心(a good heart)と自発的協調性(a willing spirit)と受容的態度(a receptive mind)と不動の信念(undimmed faith)を保持してくれるかぎり、両者を結ぶ霊的回路が開かれた状態にあり、その人はあらゆる面において、つまり霊的に精神的に物質的に、よりよい方向へと自動的に進んでまいります。
多くの人になかなか分かっていただけないのは、そしてまた人間が望むように事が運ばないのは、その援助を届けるための回路が開かれていないということです。本人自らが回路を開いてくれないかぎり他に手段がないのです。 霊力が物質に働きかけるためには、それが感応して物質界に顕現するためのなんらかの連鎖関係がなくてはなりません。分かってみればなんでもない当たり前のことです。”
(「シルバーバーチの霊訓」一巻 P100 スピリチュアリズム普及会発行)
“しかし交信が霊と霊、心と心、魂と魂の直接的なものであれば、つまりインスピレーション式のものであれば、そういった複雑な裏面操作抜きの、霊界からの印象の受信という単純直截なものとなります。その成功不成功は背後霊との合体の確信に基づく静寂(a quietude)と受容性(a passivity)と自信(a confidence based on the certainty)にかかっていますから、不安の念に動かされるほど結果はよくないということになります。いったん精神的動揺をきたすと、その不安の念の本質的性格の為に霊的通信網が塞がれてしまいます。
人間の心に浮かぶ思念が全て霊界からのものであるとは申しません。それは明らかに言いすぎでしょう。しかしその多くが、背後霊が何とかして精神と霊とを豊かにしてあげようとする努力の反映であって、少なくとも単なる心像として見過ごしてはいけないことだけは真実です。”
(「シルバーバーチの霊訓」一巻 P93 スピリチュアリズム普及会発行)
※以上のことから、霊的回路を開いてインスピレーションを受け取る方法を纏めると、次のようになります。
-
霊的摂理と背後霊に全面的な信頼(信仰)を寄せることによって、
-
自信や、
-
心の平静(静寂・冷静)を保ちます。
-
そして、背後霊との協力関係を維持しながら、
-
霊界からの導きやインスピレーションを受け入れ、
-
利他愛の実践など霊性心(良心)で霊的摂理に順応した生活
を送ることによって、霊界との回路は開かれた状態となります。
たとえ内外の環境がいかに厳しい状況であろうとも、上記の要件①~⑥を堅持し、守護霊や指導霊などの背後霊がともに側にいることを常に意識して、霊的視点で物事を捉えるように努めるならば、霊的回路が開かれ背後霊から導きやインスピレーション、霊力等が得られるようになるとシルバーバーチは約束しています。
“宇宙は無限・無窮の神的エネルギーによって存在しております。しかし地上の人間の圧倒的多数はそのエネルギーのごくごく僅かしか感識しておりません。受け入れる条件が整わないからです。ですから、あなた方人間はその神の恩寵を存分に受け入れるべく、精神と魂を広く大きく開く方法(霊的回路を開く方法)を学ばねばなりません。それには信念と信頼心と信仰心と穏やかさと落ち着きを身につけなければなりません。
そうしたものによって醸し出される雰囲気の中にある時、無限のエネルギーから莫大な豊かさを受けることができます。それが神の摂理なのです。そういう仕組みになっているのです。
受け入れ、吸収する能力に応じて、エネルギーが配給されるということです。受容力が増せば、それだけエネルギーも増します。それだけのことです。”
(「シルバーバーチの霊訓」 一巻 P141 スピリチュアリズム普及会発行)
しかし残念ながら、私たちは毎日の雑務に追いまくられ、一見すると物が強く、霊が弱そうに思える地上世界では、霊訓を何度読んでいても日常生活ではシルバーバーチの言葉をすっかり忘れています。
霊的知識のある我々といえども特に警戒しなければならないことは、恐怖心と心配の念です。何故なら、霊界との通路を開く方法を折角学んでいても、不安の念があると、本人は気づいてはいませんが霊的回路を塞いでしまっているからです。
“霊的なものにとって恐れるということがなによりも強烈な腐食作用を及ぼします。
恐怖心と心配の念は、私たちが特に不断の警戒を要する敵です。なんとなれば、それが霊力が作用する通路(霊的回路)を塞いでしまうからです。”
(「シルバーバーチの霊訓」一巻 P44 スピリチュアリズム普及会発行)
そこで、もしも恐怖心と心配の念が横切った時には、次の言葉を思い出しましょう。
“私たちは愛をもって導いてくれるこの力(神性・内在する神)に安心して身を任せようではありませんか。その愛の導きに身を委ね、いついかなる時も神の御手の中にあることを自覚しようではありませんか。
(神への)完全なる愛は恐怖心を駆逐します。(霊的)知識も恐怖心を駆逐します。恐怖は無知から生まれるものだからです。愛と信頼と知識のあるところに恐怖心は入り込めません。
進歩した霊はいついかなる時も恐れることがありません。なんとなれば、自分に神が宿る以上は人生のいかなる局面に遭っても克服できぬものはないとの信念があるからです。
これまであなたを包んできた愛が今になって見放すわけがありません。”
(「シルバーバーチの霊訓」一巻 P148 スピリチュアリズム普及会発行)
“成長、進化、発展が宇宙の大原理” (雑記)(2024.5.26)
― 宇宙は両極性であるからこそ発達のチャンスがあるのです ―
“あなた方は神の縮図であり、その拡大が神というわけです。霊性の高揚と成長と進化を通して無限の神性を少しずつ発揮していくことによって、一歩一歩、無限なる神に近づいていくのです。徐々にではありますが、光が闇を照らすように(あなたの霊的)知識が無知の闇を明るく照らしていきます。成長、変化、進化、開発、発展――これが宇宙の大原理です。”
(「シルバーバーチの教え」一巻 P80 スピリチュアリズム普及会発行)
【神は善と悪にも宿る】・・・悪魔(サタン)は人間の創作物
“私はかって一度たりとも神が光と善にのみ宿ると述べたことはないつもりです。善と悪の双方に宿るのです。無限絶対の存在である以上、神は存在の全てに宿ります。宇宙間の出来事の一部だけを除外して、これだけは神とは別個のもの、何かしら、誰かしら、とにかく別種のエネルギーの仕業であるなどとは言えません。私はいつも宇宙は全て両極性によって成り立っていると申しております。
暗闇の存在が認識されるのは光があればこそです。光の存在が認識されるのは暗闇があるからこそです。善の存在を認識するのは悪があればこそです。悪の存在を認識するのは善があるからこそです。つまり光と闇、善と悪を生む力(霊力)は同じものなのです。その根源的な力(霊力)がどちらへ発揮されるかは神の関わる問題ではなく、あなた方の自由意志に関わる問題です。そこに選択の余地があり、そこに発達のチャンスがあるということです。
地球は完全な状態で創造されたのではありません。個々の人間も完全な状態で創造されたのではありません。完全性を潜在的に宿しているということです。その潜在的完全性が神からの霊的遺産(神の分霊)であり、これを開発することが個人の責務ということです。それには自由意志を行使する余地が与えられています。善か悪か、利己主義か無私か、慈悲か残酷か、その選択はあなたの自由ということです。”
(「シルバーバーチの教え」一巻 P83 スピリチュアリズム普及会発行)
【比較対照によって学び成長する】
比較対照の一番分かりやすい例を上げてみますと、
愛を理解するためには、その対極にある憎しみを知らなければなりません。
同様に、利他愛を知るためには、自己中心の利己主義とはどういうものであるかをまずは理解しなければなりません。
“人生は全て比較対照の中で展開しております。光も闇もともに神を理解するうえでの大切な要素です。もし光と闇とが存在しなければ、光は光でなくなり闇は闇でなくなります。つまり光があるから闇があり、闇があるから光があるのです。同じく昼と夜がなければ昼は昼でなくなり夜は夜でなくなります。愛と憎しみがなければ愛は愛でなくなり憎しみが憎しみでなくなります。その違いが分かるのは相対的だからです。しかし実は両者は一本の棒の両端に過ぎないのです。元は一つ(愛)なのです。しかしその一つ(愛)を理解するには両端(愛と憎しみ)を見なければならないのです。それが(地上)人生です。
光と闇の両方がなければなりません。温かさと寒さの両方がなければなりません。喜びと悲しみの両方がなければなりません。自我(本当の自分・霊魂)を悟るにはこうしたさまざまな経験が必要です。” (「シルバーバーチの教え」一巻 P72 スピリチュアリズム普及会発行)
このように、“真の愛”という一つのことを理解するためには、比較対照となる真逆の“憎しみ”を知らなければならないのです。
人間は神の操り人形ではなく、神の分霊として自由意志をもっています。そのため、自己責任(因果律)で自由意志の力をどちらへ発揮するか(選択)によって、発達のチャンスがあり、また逆に退化したりするのです。
このように成長・進化して神に近づくためのお膳立てとして、宇宙は全て両極性から成りたっております。それは、“真・善・美”(愛と誠と調和)を理解するためには、反対側の対極にある憎しみ、不正、争いなどとの比較対照をとおして因果律によってそれらを学び、成長・進化できるように神の愛によってこの宇宙は創造されているのです。
“あなた方が地上という世界に来たのは、霊的な力(利他)と物質的な力(利己)との作用と反作用の中においてこそ内部の神性が発揮されていくからです。
光を有難いと思うのは陰と暗闇を体験すればこそです。晴天を有難いと思うのは嵐を体験すればこそです。物事の成就を誇りに思えるのは困難があればこそです。平和が有難く思えるのは闘争(戦争など)があればこそです。
このように人生は対照の中において悟っていくものです。もしも辿(たど)る道が単調であれば開発はないでしょう。さまざまな環境の衝突の中にこそ内部の霊性が形成され成熟していくのです。”
(「シルバーバーチの教え」一巻 P46 スピリチュアリズム普及会発行)
“地上人生の意味” (人生の目的)(2024.4.26)
(ページ数は、「シルバーバーチの霊訓」一巻 スピリチュアリズム普及会発行より引用)
誰にでも例外なく寿命があり、死という節目が必ずやってきます。そして、私たちの地上人生は長いようで短い人生でもあります。
どちらかというと嫌なことの方が多い人生であるかもしれません。また、スピリチュアリストといえども“今生の目的”や“真の生きる意味”を忘れて、その日その日の煩わしい雑事に追いまくられ、心配事や悩み事を抱えた生活を送っている人も多いことでしょう。
そこで大多数のただ漠然と日常生活を送っている私たちに向かって、次に行く世界からシルバーバーチはこの地上人生の目的を、次のように語っています。
“あなた方は神の縮図であり、その拡大が神というわけです。霊性の高揚と成長と進化を通して無限の神性を少しずつ発揮していくことによって、一歩一歩、無限なる神に近づいていくのです。徐々にではありますが、光が闇を照らすように(あなたの霊的)知識が無知の闇を明るく照らしていきます。成長、変化、進化、開発、発展――これが宇宙の大原理です。” P80
このように我々人間は未熟なミニチュアの神として、輪廻転生やカルマの解消をとおして永遠の時間をかけて神に近づいていく、とシルバーバーチは語っています。
この輪廻転生とは、“本当の自分”(霊魂)をダイヤモンドに譬えると、一つ一つのカット面が本体の霊的成長を求めて、その都度地上人生で神性を発揮し霊性を向上させるのに最もふさわしい条件や環境をあらかじめ定めて、地上にくり返し出生してきていることを指しています。
“地上に生を享ける時、地上で何を為すべきかは魂自身はちゃんと自覚しております。何も知らずに誕生してくるのではありません。自分にとって必要な向上進化を促進するにはこういう環境でこういう身体に宿るのが最も効果的であると判断して、魂自らが選ぶのです。ただ、実際に肉体に宿ってしまうと、その肉体の鈍重さのために誕生前の自覚が魂の奥に潜んだまま、通常意識に上がってこないだけの話です。” P38
霊的視点から見ると、この地上世界の出来事は全てが夢幻のしょせんは霧であり(P69)、いずれにせよ全ては一時的なものにすぎないのです。(P70) が、そのような状況の中で四苦八苦している私たちは、対極である光と闇、善と悪、愛と憎しみ、利己と利他等の比較対象の中で、どちらを選ぶか自由意志を行使するところに、悟りや霊的成長のチャンスがあるとシルバーバーチは述べています。 (P84)
“光と闇の両方がなければなりません。温かさと寒さの両方がなければなりません。喜びと悲しみの両方がなければなりません。自我(本当の自分・霊魂)を悟るにはこうしたさまざまな経験が必要です。” P72
地上世界での人間一人の一生は、せいぜい百年という一時の夢幻に過ぎない地上人生ではありますが、この地上世界は霊性レベルの異なる霊魂が混在することができる唯一の世界であり、さまざまな軋轢や試練、困難、病気などを通して教訓を学び霊的に成長する場として、いわば学校としてなくてはならないとても貴重な世界でもあるわけです。
その地上世界にあって私たちはさまざまな体験を経て、時期がくると霊の世界をおぼろげながら自覚しはじめます。そして徐々に“本当の自分”(霊魂・真我)に目覚め、霊的摂理を学び、その実践として霊性(神性)を発揮しはじめます。すなわち、己を忘れ人の役に立つ愛の行為を行うことによって霊的に向上進化するように、この地上世界は創られております。
“実際に行う無私の施しが進化を決定づけるのです。” P82
“己を棄てること――これが進化の法則です。” P83
地上世界では悩みや不安、心配、恐れが絶えることはありません。その理由としてシルバーバーチは、“人間の多くが悩みが絶えないのは、無意識のうちに物質の世界にのみ生きていると思い込んでいるからです。”(P74)と語っています。
では、すでに霊的覚醒をして霊的知識のある私たちは、唯物主義や利己主義が横行する物質界特有の世界に、もはやのみ込まれていないのかというと、まったくそうではありません。
物質世界では、宇宙の法則を維持・経綸している目には見えない手でふれることもできない霊の力や霊的な世界に、いっきに“不動の信念”をもつことは決してできないからです。それは正に、さまざまな体験をとおして一生涯をかけて徐々に信念を不動化していくものなのです。
以下の霊訓は、霊的に目覚めているはずの私たちに向かって語られています。
“人間は物質の中に埋もれた生活をしているためにバイブレーションが低くなっております。朝、目を覚まし、まだ意識が完全に働かないうちから、あれやこれやと煩わしいことや心配事の波にのみ込まれていきます。大きい悩み、小さい悩み、真実の悩み、取り越し苦労に過ぎぬもの等々いろいろあります。(中略)これは真理普及の仕事に携わる人にも“よくある話”なのです。” P70
別の個所では、私たちといえども“その日その日の煩わしい雑事に追いまくられ、心配事や悩みごとを抱えた生活を送っていると、私たちはつい意識の焦点をはずし、支援しようとして待機している背後霊の存在を忘れがちです。”(P68)と指摘しています。
誕生前に計画してきた今生の目的を120%達成するためにも、これらの言葉を決して忘れないように自戒して、霊的視点に比重を置き、日々霊的摂理を実践し、常に支援しようと待機している各自の守護霊や指導霊などの背後霊の存在を、片時も忘れないように心掛けたいものです。
“人間は誕生という過程において賦与される霊的遺産(神の分霊)を携えて物的生活に入るのだということを教えてあげたいのです。生命力(霊力)はいわば神の火花です。本性は霊です。それが肉体と共に成長するように意図されているのです。ところが大多数の人間は肉体にしか関心がありません。中には精神的成長に関心を抱く者も幾らかおります。が、霊的成長に関心を抱く者はきわめて少数に限られております。永続性のある実在は霊のみです。もしも私たちの尽力によって人間を霊的本性を自覚させることに成功すれば、その人の人生は一変します。生きる目的に目覚めます。自分という存在の拠ってくる原因を知ります。これからたどる運命を見極め、授かった霊的知識の意味をわきまえた生活を送るようになります。” P97
“なぜ苦しみがあるのか” (苦しみ・試練)(2024.3.24)
―霊的覚醒と霊的成長―
肉体をまとうことによって、肉体の粗い物的波動のため、“本当の自分”である精妙な波動の霊魂は表面意識上に出て来られなくなっております。
その理由は、霊性レベルの異なる霊が同じ物質界に混在するため、肉体という物質の牢に魂を閉じ込め、奥深く隠される必要があるからです。
次に、苦の意味・目的を以下にまとめると、
Ⅰ. 霊的覚醒
燦燦と太陽の輝く穏やかな日和では、物的世界にすっかり浸りきって現状に満足してしまい、人間は決して心の救いを求めません。いわばノドが乾かないと水を飲もうとはしないのと同じです。それでは魂の奥に秘められた神性が開発されるチャンスがありません。 (一巻 P59)
そこで悲しみや辛苦という心の飢餓状態になることによって、救いを求め心の奥深くに眠っている魂“本当の自分”を目覚めさせ、霊的真理を理解する素地ができ上がるようになります。
すなわち、辛苦・悲しみ等により自信をなくし仮我(エゴ)の意識が弱くなると、波動の粗い肉体の影響力が弱くなって謙虚さや受け身となり、結果的に奥深くに内在する精妙な波動の霊魂“本当の自分”(真我)が表面意識上に現れる環境が整い、霊的なものを受け入れやすくなるのです。
但し、霊的覚醒や霊的なものを受け入れるには霊性の段階、霊的覚醒の時期が来ていることが前提条件となります。
“酷い辛酸をなめ、試練に試練を重ねた暁にはそうした霊も目を覚まし、自我に目覚め、霊的真理を理解し、自己の霊性に目覚め、神を意識し、同胞と自然界との霊的なつながりを知り、宇宙の大原理であるところの霊的一体性を悟ることができるようになります。” (一巻 P99)
Ⅱ. 霊的真理の学びによる霊的成長
私たちは霊的覚醒後も物的尺度にどうしても捉われがちですので、霊的に成長し不動の信念をもつためには内に潜在しているその神性(霊性)を引き出し、常に磨きをかけることが必要となります。何度も何度も厳しい試練(磨き砂)で魂が磨かれなければならないのです。
一つのことを理解するためには、光と闇、愛と憎しみ、成功と挫折等の数々の陰と陽のお互い正反対の関係にある苦しみや悲しみという陰の部分を体験し、その両端を見ることによって初めて霊的真理(摂理)を理解することができるようになります。人生は全て比較対照の中で自我を悟り、霊性の開発や霊的成長につながって強くなるということが摂理となっております。単に知識の学習だけでは決して本当の理解にはならず、実習(実体験)が必須となるのです。
霊界とは違い、霊性レベルの異なった人々が混在する外の世界(地上世界)と、我が心の内にみられる善悪の心(本能心と霊性心)という両極端の心をとおして、自由意志による“原因と結果の法則”(因果律)によって、私たちは真理を学び神を理解して霊的成長するように物質世界は創られております。
そして私たちは物質世界にあって、物的尺度の方が正しいのか、摂理に基づいた霊的尺度の方が正しいのかを試す実験を、日常生活を通してしているのです。
その意味で、まさしくこの地上世界は、真理(摂理)を学び霊界への不動の信念をもつための学校そのものなのです。
“苦難から何かを学び取るように努めることです。耐え切れないほどの苦難を背負わされるようなことは絶対にありません。”
(「シルバーバーチの霊訓」一巻 P52 スピリチュアリズム普及会発行)
“物質の世界にのみ生きていると思い込んでいる” (雑記)(2024.2.22)
―霊的視野で観る―
非常に難しいことではありますが、霊的知識を学んだ者として物的尺度ではなく霊的尺度で物事を観て正しい判断ができるように、今回は「シルバーバーチの霊訓」一巻(スピリチュアリズム普及会発行)からのみ引用し、決意を新たにしたいと思います。
なお、近藤千雄の訳の中から原文のYOUは、二人称の複数から単数のYOUに変換しております。
●地上に生を享ける時、地上で何を為すべきかは魂自身はちゃんと自覚しております。何も知らずに誕生してくるのではありません。自分にとって必要な向上進化を促進するためにはこういう環境でこういう身体に宿るのが最も効果的であると判断して、魂自らが選ぶのです。A
ただ、肉体に宿ってしまうと、その肉体の鈍重さのために誕生前の自覚が魂の奥に潜んだまま、通常意識に上がってこないだけの話です。
あなたがた地上の人間にとっての大きな問題点は、やむを得ないことかもしれませんが、人生というものを間違った視点から観ていることです。つまり、あまりにもこの世的・物質的観点からのみ人生を考えていることです。B
人生には確かに地上的な要素がありますが、同時に霊的なものであり、永遠に続くものなのです。その永遠なるものを地上的視野だけで眺めてはいけません。それでは十全な判断はできません。神の子には、一人の例外もなく、善悪ともに“埋め合わせの原理”が働くのですが、地上生活のみで判断しようとすると全ての要素を考慮することができなくなります。C P38
●神は法則として働いているのであり、晴天の日も嵐の日も神の働きです。有限なる人間に神を裁く資格はありません。宇宙を裁く資格もありません。地球を裁く資格もありません。あなた自身さえも裁く資格はありません。物的尺度があまりにも小さすぎるのです。物的尺度で見るかぎり世の中は不公平と不正と邪道と力の支配と真理の敗北しか見えないでしょう。D 当然かもしれません。しかしそれは極めて偏った、誤った判断です。
地上では必ずしも正義が勝つとはかぎりません。なぜなら因果律は必ずしも地上生活中に成就されるとはかぎらないからです。ですが地上生活を超えた長い目で見れば、因果律は一分の狂いもなく働き、天秤は必ず平衡を取り戻します。C 霊的に見て、あなたにとって何がいちばん望ましいかは、あなた自身には分かりません。もしかしたら、あなたにとっていちばん嫌なことが実は、あなたの祈りに対する最適の回答であることもあり得るのです。ですから、なかなか難しいことではありますが、物事は物的尺度ではなく霊的尺度で判断するように努めることです。D というのは、あなたにとって悲劇と思えることが、私どもから見れば幸運と思えることがあり、あなたにとって幸福と思えることが、私どもから見れば不幸だと思えることもあるのです。
祈りにはそれなりの回答が与えられます。しかしそれは必ずしもあなたが望んでいる通りの形ではなく、その時のあなたの霊的成長にとっていちばん望ましい形で与えられます。神は決して我が子を見捨てるようなことはいたしません。しかし神が施されることを地上的なモノサシで批判することはやめなくてはいけません。 P58
●あなたが直面する悩みごとは私にもよく分かっております。しかし霊的知識を有する者はそれを正しく運用して、物的要素に偏らないようにならなければなりません。霊的要素の方に比重を置かなければいけないということです。D
正しい視野に立って考察すれば、焦点を正しく定めれば、日常生活での心の姿勢さえ正しければ、物的要素に対して最小限度の考慮を払い、決して偏ることはないでしょう。そうなれば霊的自我が意のまま働いてあなたを支配し、生活全体を変革せしめるほどの霊力が漲(みなぎ)り、ついには物的要素に絶対に動かされない段階にまで到達することでしょう。
永遠なるものを日常の出来事を基準にして判断しても駄目です。あなたはとかく日常の精神によって色づけされた判断、つまり自分を取りまく環境によって判断を下しがちです。そして、それまで成就してきた成果の方は忘れがちですが、これは物質の中に閉じ込められ、朝目を覚ました瞬間から夜寝るまで日常問題に追いまくられているからです。B
今と昔を較べるために過去のページを繙いてごらんなさい。そこに背後霊による指導のあとがありありと窺えるはずです。霊的知識に恵まれた者は決して首をうなだれることなく、脇目も振らず前向きに進めるようでなくてはなりません。背後霊は決して見捨てないことをご存知のはずです。人間が神に背を向けることはあっても、神は決して人間に背を向けることはありません。無限の可能性を秘めたこの大宇宙の摂理と調和した生活を営んでさえいれば、必要な援助は必ず授かります。これは決して忘れてはならない大切な真理です。 P74
●地上生活では勝者がいれば敗者がいるわけですが、霊性に目覚めた人間はそのいずれによっても惑わされてはなりません。やがてはその人間的尺度(物的尺度)があなたの視野から消える時がきます。D その時は永遠の尺度(霊的尺度)で判断することができるようになるでしょう。 P82
●地上へ誕生してくる時、魂そのものは地上でどのような人生を辿るかをあらかじめ承知しております。A 潜在的大我の発達にとって必要な資質を身につけるうえでそのコースがいちばん効果的であることを得心して、その大我の自由意志によって選択するのです。その意味であなたは自分がどんな人生を生きるかを承知のうえで生まれてきているのです。A その人生を生き抜き困難を克服することが内在する資質(霊性)を開発し、真の自我――より大きな自分に、新たな神性を付加していくのです。
その意味では“お気の毒に・・・”などと同情する必要もなく、地上の不公平や不正に対して憤慨することもないわけです。こちらの世界(霊界)は、この不公平や不正がきちんと償われる世界です(結果の世界・埋め合わせの原理)。あなた方の世界(物質界)は準備をする世界です(原因の世界)。C P110
●人生の最大の目標が霊性の開発にあることを、ゆめ忘れてはなりません。自分の永遠の本性(本当の自分)にとって必須のもの(霊的真理)に目を向けることです。それは人生について正しい視野(霊的摂理)と焦点をもつことになり、自分が元来不死の魂であり、それが一時の存在である土塊(つちくれの男か女の肉体)に宿って自我を表現しているにすぎないこと、心がけ一つで自分を通じて神の力が地上に顕現するという実相を悟ることになるでしょう。
こうしたことは是非とも心に銘記しておくべき大切な原理です。日常の雑務に追いまくられ、一見すると物が強く霊が弱そうに思える世界では、それは容易に思い出せないものです。B
ですが、あくまで霊が主人であり物は召使いです。霊が王様であり物は従臣です。霊は神であり、あなたはその神の一部なのです。 P116
●地上の価値判断の基準は私どもの世界とは異なります。D 地上では“物”を有難がり大切にしますが、こちらでは全く価値を認めません。人間が必死に求めようとする地位や財産や権威や権力にも重要性を認めません。そんなものは死とともに消えてなくなるのです。が、他人のために施した善意は決して消えません。なぜなら善意を施す行為に携わることによって霊的成長が得られるからです。博愛と情愛と献身から生まれた行為はその人の性格を増強し魂に消えることのない印象を刻み込んでいきます。世間の賞賛はどうでもよろしい。人気というものは容易に手に入り容易に失われるものです。 P117
―最後に―
“自分がいかなる存在であるのか、何のためにこの世にいるのかについての正しい認識を失わないようにしてください。あなたのようにふんだんに霊的知識に恵まれた方でも、どうかすると毎日の雑事に心を奪われ、霊的実相を忘れてしまいがちです。B が、それだけは絶対に忘れぬようにしなければなりません。地上という物的世界において生活の拠り所とすべきものはそれ(霊的実相・霊的真理)以外にはないのです。霊こそ実在です。物質は実在ではないのです。” P121
[参考]
A:本当の自分の成長のために、目的にそうように自分の人生を予め選んで出生してきている。
B:この世がすべてと思い込み、日常の雑事に心を奪われ追いまくられている。
C:善悪ともに“埋め合わせの原理”は霊界にまで及び、因果律は一分一厘の狂いもなく働く。
Ⅾ:物的尺度(人間的尺度)ではなく、霊的尺度(永遠の尺度・摂理)で判断すること。
「夢幻の出来事」 (人生の目的)(2024.1.22)
この世の私たちの日常生活では、いろいろと解決困難な問題や心配事、不安、恐れ、お金のこと、対人関係、病気、身体障害、戦争、災害等々、さまざまな出来事がひっきりなしに身のまわりに発生してきます。それではお金持ちには心配事が無いのか、あるいは少ないのかというと、決してそのようなことはありません。お金持ち特有の悩みや、お金では買えないものがこの世には沢山あるからです。
シルバーバーチは、何の困難・試練もない温室育ちのラクな人生では決して精神や霊性が進化向上しない、苦難があってこそ成長できるのですと語り、その意味で苦難・困難は克服することによって成長できる歓迎すべきものであるとも述べています。
ですが、私たちスピリチュアリストは頭ではこれを理解しているつもりでも、現実となると本能的に避けようとしたり、ついつい悩み不安を覚えたりします。
では、地上世界で生きている限り例外なく誰にでもやって来るこれらの諸問題や試練を、一体どのように捉えればよいのでしょうか。
以下に、ヒントになると思われるシルバーバーチの言葉を列記します。
「シルバーバーチの霊訓」一巻 一章“あなたとは何か”より(スピリチュアリズム普及会発行)
“いったいあなたとは何なのでしょう。ご存知ですか。自分だと思っておられるのは、その身体を通して表現されている一面だけです。それは奥に控えるより大きな自分に比べればピンの先ほどのものでしかありません。
ですから、どれが自分でどれが自分でないかを知りたければ、まずその総体としての自分を発見することから始めなければなりません。これまでのあなたはその身体に包まれた小さな自分以外のものを少しでも発見された経験がおありですか。今あなたが意識しておられるその自我意識(顕在意識)が本来のあなた全体であると思われますか。お分かりにならないでしょう。
となると、どれが普段の自分自身の考えであり自分自身の想像の産物(取越苦労や心配、恐れ等)なのか、そしてどれがそのような大きな自分つまり高次元の世界からの霊感(インスピレーション)であり導きなのか、どうやって判断すればよいのでしょう。
そのためには正しい物の観方を身につけなければなりません。つまりあなた方は本来が霊的存在であり、それが肉体という器官を通して自己を表現しているのだということです。霊的部分が本来のあなたなのです。霊が上であり身体は下です。霊が主人であり身体は召使いなのです。霊が王様であり身体はその従僕なのです。霊はあなた全体の中の神性を帯びた部分を言うのです。
それはこの全大宇宙を創造し計画し運用してきた大いなる霊と本質的には全く同じ霊なのです。つまりあなたの奥にはいわゆる“神”の属性である莫大なエネルギーの全てを未熟な形、あるいはミニチュアの形、つまり小宇宙の形で秘めているのです。その秘められた神性を開発しそれを生活の原動力とすれば、心配も不安も悩みも立ちどころに消えてしまいます。なぜなら、この世に自分の力で克服できないものは何一つ起きないことを悟るからです。その悟りを得ることこそあなた方の勤めなのです。それは容易なことではありません。
身体はあなたが住む家であると考えればよろしい。家であってあなた自身ではないということです。家である以上は住み心地よくしなければなりません。手入れが要るわけです。
しかし、あくまでも住居であり住人ではないことを忘れてはなりません。” P26
我が人生はこの世限りの唯一の人生であり、死んだら全ては無に帰すと何の疑いもなく私たちは堅く信じ込んでおります。だからこそ、簡単に、且つ、平気で他人の生命を奪ったり、苦難があまりにも大きいと自殺するのです。
一度限りのこの世を少しでも楽しく幸せに送りたいものだと、家内安全、交通安全、無病息災、商売繁盛を神仏に祈願します。しかしながら意に反して、次々と嫌な出来事が身のまわりに発生してきます。そのため取越苦労や悩み、心配事が絶えることはありません。これが私たちが通常意識している日常生活なのです。
繰り返しになりますが、私たちはこの世限りの我が身であり、死んだら全ては無に帰すと信じ切っているからこそ、地上的視点(物的視点)に強くとらわれ取越苦労を繰り返しているのです。同時に、唯物主義と利己主義というガンを生むことになります。
ところが霊的視点から観ているシルバーバーチは、今心配しているこの通常意識(顕在意識)は“本当の自分”のピンの先ほどの“小さな自分”の表面意識に過ぎないと語っています。
私たちの実相は、“本当の自分”のピンの先ほどの“小さな自分”が、体験を通して霊的に成長するために霊界から肉体をまとって、霊性レベルが異なる人々が混在する地上世界(物質界)に誕生してきているというのです。
この世の身体やその心が振り回されている取越苦労や悩み、不安、心配事は、地上世界に居る間のほんの一時的な出来事にすぎないというのです。その身体が地上世界で住む家であるのと同様、この世のさまざまな苦難や困難は、夢幻の世界(地上世界)の出来事であり、しょせんこの世限りの一時のものだというのです。
“朝、目を覚まし、まだ意識が完全に働かないうちから、あれやこれやと煩わしいことや心配事の波にのみ込まれていきます。大きい悩み、小さい悩み、真実の悩み、取り越し苦労に過ぎぬもの等々いろいろあります。が、いずれにせよ全ては一時的なものにすぎないのですが、・・・”
(「シルバーバーチの霊訓」一巻 P70 スピリチュアリズム普及会発行)
“これは、全てが夢幻にすぎない物質界に生きているあなた方にとっては理解の困難なことです。しかし、だからこそ、実在が見えざる世界にあること、おぼろげに見ている世界を実在と錯覚しないようにと警告することが私の任務であるわけです。”
(「シルバーバーチの霊訓」一巻 P77 スピリチュアリズム普及会発行)
シルバーバーチは、私たちは霊界で永遠に生き続けるという視点で地上生活をとらえているのであり、宇宙の法則(摂理)として完璧なる公正のもと、“償いの法則”や“埋め合わせの原理”が、死後の霊界にわたってのスパンで“原因と結果の法則”(因果律)として厳然と働いていると語っています。それは、神の摂理は完璧で公平だからです。
“あなた方地上の人間にとっての大きな問題点は、やむを得ないことかもしれませんが、人生というものを間違った視点から観ていることです。つまり、あまりにもこの世的・物質的観点からのみ人生を考えていることです。人生には確かに地上的な要素がありますが、同時に霊的なものであり、永遠に続くものなのです。その永遠なるものを地上的視野だけで眺めてはいけません。それでは十全な判断はできません。神の子には、一人の例外もなく、善悪ともに埋め合わせの原理が働くのですが、地上生活のみで判断しようとすると全ての要素を考慮することができなくなります。”
(「シルバーバーチの霊訓」一巻 P38 スピリチュアリズム普及会発行)
上記の霊的摂理に基づいて、私たちは困難・試練にあったときこそ、この霊的実相にしっかりと目覚め、“本当の自分”と困難・苦難の意味を自覚するようにしましょう。
“自分の永遠の本性にとって必須のもの(霊的摂理)に目を向けることです。それは人生について正しい視野と焦点をもつことになり、自分が元来不死の魂であり、それが一時の存在である土塊(つちくれ)に宿って自我を表現しているにすぎないこと、心がけ一つで自分を通じて神の力が地上に顕現するという実相を悟ることになるでしょう。こうしたことは是非とも心に銘記しておくべき大切な原理です。
日常の雑務に追いまくられ、一見すると物が強く霊が弱そうに思える世界では、それは容易に思い出せないものです。ですが、あくまで霊が主人であり物は召使です。霊が王様であり物は従臣です。霊は神であり、あなたはその神の一部なのです。”
“霊界からの指導と援助を求める時に整えるべき条件とは” (霊力)(2023.12.31)
「シルバーバーチの霊訓」一巻 P48~(スピリチュアリズム普及会発行)より
(●印は近藤千雄訳で、その下に英語の原文と私の訳(青文字)を付け加え比較することによって理解しやすいようにします。)
●指導と援助を求める時はそれなりの条件を整えなくてはいけません。そのためには、それまでの経験を活用しなければいけません。それが魂にとって唯一の財産なのです。そして自分に生命を賦与してくれた力がきっと支えてくれるという自信をもつことです。あなたはその力の一部なのであり、あなたの魂に内在しているのです。正しい条件さえ整えば、その神性は、神からの遺産として、あなたに人生の闘いを生き抜くあらゆる武器を用意してくれます。せっかちと短気はその自由闊達な神性のほとばしりの障害となるのです。
If you want guidance and help you must provide the conditions by which guidance and help come to you.
もしもあなたが指導や援助を求めるのなら、それらが来るための条件を整えなければなりません。
You must use the experience to bult your own soul which is the only eternal possession you have.
あなたの唯一で、永遠の所有物である魂を確立(霊的覚醒と霊的自覚)してきた経験を用いなければなりません。
You must have confidence that the power which gave you life can sustain you, because you are a part of it and it resides within your own being.
あなたに生命を与えた力(神・霊の力)は、あなたを支えることができるという信頼と自信をもたなければなりません。なぜなら、あなたはその力(大霊)の一部(分霊)であり、その力があなたの内に内在しているからです。
And if you provide the right conditions, that divine power resident within your own nature, has as part of its heritage the armory of the spirit to give you all the weapons you require for every battle in life.
そして、もしも正しい条件を提供するならば、神の遺産の一部としてあなたに内在しているその神性なる力は、人生におけるあらゆる闘いに必要とする全ての兵器を提供する霊の武器庫を持っているのです。
But impatience and resentment, these are obstacles to the full, free, flowing of divine power.
しかしながら、いらだちと憤り、これらは十分、且つ、自由な神性な力(霊力)の流れの障害となります。
●故にあなた方は常にリラックスし、受身的で穏やかで平静で、しかも奥に自信を秘めた状態であらねばなりません。
You must relax, be receptive, calm, passive, quiescent, tranquil, serene, confident.
(Guidance from Siver Birch P34)
指導や援助を受けるためには、あなたはリラックスし、受動的で、静寂、無活動(空の心・無我無念)によって受け身となり、落ち着きと平静、そして自信を持たなければなりません。
●その状態にあるかぎり万事がうまくいき、必要とするもの全てが施されるとの確信をもたなければいけません。
安易な人生からは価値あるものは得られません。困難な人生からのみ得られるのです。
神は決してあなた方を見捨てません。見捨てるのはあなた方の方です。あなた方が神を見捨てているのです。
You must know within that all will be well and in that spirit everything you require that is essential for your needs will come. You will not receive any credit for the easy things of life, only for the difficult ones. The Great Spirit cannot fail, you can fail the Great Spirit.
すべてのことはうまくいくということ、また、あなたが必要不可欠とするものは魂の中に全てやってくる、ということを心の内に知っていなければなりません。(亀水注:なぜなら魂の中に神が内在しているからです。)
安逸(あんいつ)な人生からは霊的摂理が本当であるとの信念や確信は得られません。それは困難な人生からのみ得られるのです。神は決して裏切りません。あなたが神を裏切っているのです。(亀水注:私たち一人ひとりの魂の中に神の分霊が内在しているので、本来、その内なる神を自覚し、神の顕現である霊的摂理に完璧な信頼を置くべきなのです。)
●困難に直面した時、その神の遺産を結集し、必ず道は開けるのだという自信をもつことです。不動の信念をもてば道は必ず開かれます。これはすでに私が何年にもわたって説いてきたことです。真実だからです。実践してみればそのとおりであることを知ります。
Confronted with difficulty, muster the divine reserve and have perfect trust, the way must be shown. This is what I have taught for many years because it is true.
Those who are able to apply this truth know that it does work.
困難に直面したとき、内なる神を招集してそれに完璧な信頼をもつことです。道は必ず示されます。このことは私が何年にもわたって教えてきたことです。何故ならそれは真理(摂理)だからです。この真理(摂理)を実践することが出来る人々は、それがその通りに働くことを知ることになります。
ここに述べられている霊性を悟り、神と霊的摂理に完璧な信頼を置くことは残念ながら決して容易にできることではありません。そこに至るには数多くの霊的摂理の実践と経験を必要とするからです。
●霊界からの援助と導きを求めるにあたってのキーとなる霊力は2方向から来ます。
1.内なる霊力
霊的自覚を確立し、神と霊的摂理に完璧な信頼を置きそれを生活の原動力とすれば、心配も不安も悩みも立ちどころに消えてしまいます。なぜなら、この世に自分の力で克服できないものは何一つ起きないことを悟るからです。それは、あなたには神が内在しておりその神性な力(divine power)を活用することができるからです。
具体的には、心を空にすることによって、表面意識の影響がうすれ潜在意識下の“本当の自分”(霊魂)からインスピレーションや霊的な力が澄み切った心に湧き出てきます。
但し、この霊力が流入するにはリラックスや平静など静穏な環境を必要とします。なぜなら、恐怖心や心配の念は霊力が心や肉体に作用する通路を塞いでしまうからです。
2.外なる霊力(P48より)
まずは、神や摂理(宇宙の法則)への信頼、不動の信念を持つことが、受け身となるためには必須条件となります。
⇒ 次に、指導や援助を求めて神や守護霊、指導霊に心底から全てを託し、霊界からの導きに対して受け身となります。
⇒ そうなると、信頼度に比例して心の重荷がとれ、リラックスして心の平安を得ることができるようになります。
⇒ これがさらに進むと、たとえわずかな間ではあっても無我無念(無念無想)となって空の心、すなわち心が無活動(受け身)となります。
⇒ 霊界からのインスピレーションによる援助や導きを受け取り、霊的摂理への悟りや運命が拓けていきます。それには、霊界からのさまざまな導きや援助のサインとなる現象を見逃すことなく、霊的視点で常にアンテナをはって気付くことが大切となります。
“私は宇宙を創造した力(神)に満腔の信頼を置きます。あなた方はいったい何を恐れ、また何故に神の力を信じようとしないのです。宇宙を支配する全能なる神になぜ身を委ねないのです。あらゆる恐怖心、あらゆる心配の念を捨て去って神の御胸に飛び込むのです。神の心をわが心とするのです。心の奥を平静に、そして穏やかに保ち、しかも自信をもって生きることです。そうすれば自然に神の心があなたを通して発揮されます。愛の心と叡智をもって臨めば、何事もきっと成就します。聞く耳をもつ者のみが神の御声を聞くことができるのです。愛がすべての根源です。愛――人間的愛――はそのほんのささやかな表現にすぎませんが、愛こそが神の摂理の遂行者です。
霊的真理を知った者は一片の恐怖心もなく毎日を送り、いかなる悲しみ、いかなる苦難にも必ずや神の御加護があることを一片の疑いもなく信じることができなければいけません。苦難にも悲しみにも挫けてはなりません。なぜなら霊的な力はいかなる物的な力にも勝るからです。恐怖心こそ人類最大の敵です。 (中略) つとめて恐れの念を打ち消すことです。”
(「シルバーバーチの霊訓」 一巻 P60 スピリチュアリズム普及会発行)
“宇宙で最も強力なエネルギー” (霊力)(2023.11.24)
「シルバーバーチの霊訓」一巻 一章“あなたとは何か”より
(スピリチュアリズム普及会)
“大勢の人が真の実在であり全ての根源であるところの霊性に全く気づかぬまま生きております。こうして生きているのは霊的存在だからこそであること、それが肉体を道具として生きているのだということが理解できないのです。” P33
近代科学の力では霊について証明することができないために、霊の存在そのものにまったく気づいておらず、実在を知らないまま生きております。そのため私たちは折角の“霊の力”を意識して利用することができません。まったくもって宝の持ち腐れとはこのことです。
そこで、前回のテーマ“霊界からのインスピレーションを正しく受け取るには”に引き続いて、繰り返しにはなりますがこの“宇宙で最も強力なエネルギー”とは具体的にどういうものなのか、さらには、さまざまな形をとる“霊の力”をどのようにすれば受け取り活用することができるのかについて、とても大切なことですので再度、霊訓を引用して検討してみましょう。
“いったいあなたとは何なのでしょう。ご存知ですか。自分だと思っておられるのは、その身体を通して表現されている一面だけです。それは奥に控えるより大きな自分に比べればピンの先ほどのものでしかありません。
ですから、どれが自分でどれが自分でないかを知りたければ、まずその総体としての自分を発見することから始めなければなりません。 (中略) どれが普段の自分自身の考えであり自分自身の想像の産物なのか、そしてどれがそのような大きな自分つまり高次元の世界からの霊感であり導きなのか、どうやって判断すればよいのでしょう。そのためには正しいものの観方を身につけなければなりません。つまりあなた方は本来が霊的存在であり、それが肉体という器官を通して自己を表現しているのだということです。
霊的部分が本来のあなたなのです。霊が上であり身体が下です。霊が主人であり身体は召使いなのです。霊が王様であり身体はその従僕なのです。霊はあなた全体の中の神性を帯びた部分を言うのです。
それはこの全宇宙を創造し計画し運用してきた大いなる霊(神)と本質的には全く同じ霊なのです。つまりあなたの奥にはいわゆる神の属性である莫大なエネルギーの全てを未熟な形、あるいはミニチュアの形、つまり小宇宙の形で秘めているのです。その秘められた神性を開発しそれを生活の原動力とすれば、心配も不安も悩みも立ちどころに消えてしまいます。なぜなら、この世に自分の力で克服できないものは何一つ起きないことを悟るからです。その悟りを得ることこそあなた方の勤めなのです。(しかしながら物質界にあっては)それは容易なことではありません。” P26
“霊性を悟ることは容易なことではありません。もし容易であれば価値はありません。その道に近道はありません。王道はないのです。各自が自分で努力して自分で苦労しなくてはなりません。しかし同時にそれは登るにつれて喜びの増す、素晴らしい霊的冒険でもあるのです。”
(「シルバーバーチの霊訓」一巻 P49 スピリチュアリズム普及会)
“身体はあなたが住む家であると考えればよろしい。家であってあなた自身ではないということです。 (中略) この宇宙をこしらえた力が生命活動を司っているのです。生命は物質ではありません。霊なのです。そして霊は即ち生命なのです。生命のあるところには必ず霊があり、霊のあるところには必ず生命があります。” P27
“あなた自身も生命そのものであり、それ故に宇宙の大霊との繋がりがあり、それ故にあなたもこの無限の創造進化の過程に参加することができるのです。(⇒神の分霊として、霊力を用いて活用することができるのです)その生命力(=霊の力)は必要とあらばいつでもあなたの生命の井戸からくみ上げることができます。その身体に宿る霊に秘められた莫大なエネルギー、あなたの生命活動の動力であり活力であり、あなたの存在を根本において支えている力(霊の力)を呼び寄せることができるのです。” P28
“援助を求める真摯な熱意が等閑にされることは決してありません。衷心からの祈りによる霊的つながりが出来ると同時に、援助を受け入れる扉を開いたことになります。” p32
“霊性に気づいた人は真に目覚めた人です。神性が目を覚ましたのです。それは、その人が人生から皮相的なものではなく霊という実在と結びついた豊かさ(さまざまな形をとる霊の力による)を摂取できる発達段階に到達したことの指標でもあります。” P34
“魂が目を覚ますと、その奥に秘められたその驚異的な威力(霊の力)を認識するようになります。それはこの宇宙で最も強力なエネルギー(霊力)の一つなのです。その時から霊界の援助と指導とインスピレーションと知恵を授かる通路が開けます。
これは単に地上で血縁関係にあった霊の接近を可能にさせるだけでなく、血縁関係はまるでなくても、それ以上に重要な霊的関係によって結ばれた霊(守護霊や指導霊)との関係を緊密にします。その存在を認識しただけ一層深くあなたの生活に関わり合い、援助の手を差し伸べます。
この霊的自覚が確立された時、あなたはこの世的手段をもってしては与えることも奪うこともできないもの――盤石不動の自信と冷静さと堅忍不抜の心を所有することになります。そうなった時のあなたは、この世に何一つ真にあなたを悩ませるものはないのだ――自分は宇宙の全生命を創造した力(神)と一体なのだ、という絶対的確信を抱くようになります。” P35
●それでは次に、上記霊訓の中から“この宇宙で最も強力なエネルギー”(霊力)を受け取り活用するために必要な「ヒントになる霊訓」を再度抜き出してみましょう。
“その身体に宿る霊に秘められた莫大なエネルギー、あなたの生命活動の動力であり活力であり、あなたの存在を根本において支えている力(霊の力)を呼び寄せることができるのです。” P28
“全ての障害を乗り越え、不可能と思われることを可能にする手段をあなた方自身の中に見出すようになるということです。” P29
“盤石不動の自信と冷静さと堅忍不抜の心を所有することになります。そうなった時のあなたは、この世に何一つ真にあなたを悩ませるものはないのだー自分は宇宙の全生命を創造した力(神)と一体なのだ、という絶対的確信を抱くようになります。” P35
●では、前記の「ヒントになる霊訓」で語られていることは、一体どのようにすれば自分のものになるのでしょうか、以下霊訓を列記してみます。
1.“地上生活の根幹であるべき霊的真理に従って各自が生活を営めるように、ということを唯一の目的として努力しているのです。” P31
⇒霊的真理(摂理)に順応した生活を送ること。
2.“霊性に気づいた人は真に目覚めた人です。神性が目を覚ましたのです。それは、その人が人生から皮相的なものではなく霊という実在と結びついた豊かさ(さまざまな形をとる霊の力による)を摂取できる発達段階に到達したことの指標でもあります。” P34
⇒“本当の自分”を知り霊的自覚を真に確立すること。
しかしながら、この物質世界にあって霊性を悟り霊的自覚が真に確立することは、決して容易なことではないと繰り返し語られています。 P26
3.“魂が目を覚ますと、その奥に秘められたその驚異的な威力を認識するようになります。それはこの宇宙で最も強力なエネルギー(霊力)の一つなのです。その時から霊界の援助と指導とインスピレーションと知恵を授かる通路が開けます。これは単に地上で血縁関係にあった霊の接近を可能にさせるだけでなく、血縁関係はまるでなくても、それ以上に重要な霊的関係によって結ばれた霊との関係を緊密にします。その存在を認識しただけ一層深くあなたの生活に関わり合い、援助の手を差し伸べます。
この霊的自覚が確立された時、あなたはこの世的手段をもってしては与えることも奪うこともできないものー盤石不動の自信と冷静さと堅忍不抜の心を所有することになります。そうなった時のあなたは、この世に何一つ真にあなたを悩ませるものはないのだ―自分は宇宙の全生命を創造した力(神)と一体なのだ、という絶対的確信を抱くようになります。” P34
4.“援助を求める真摯な熱意が等閑にされることは決してありません。衷心からの祈りによる霊的つながりが出来ると同時に、援助を受け入れる扉を開いたことになります。” P32
⇒真の霊的自覚とその確立に至ると守護霊や指導霊などの背後霊と緊密につながり、霊界からの援助と指導とインスピレーションと知恵を授かる通路が開けて、さまざまな形をとる霊の豊かさを摂取することができるようになります。
―マトメ―
“全ての障害を乗り越えて、不可能と思われることを可能にする手段(霊力)をあなた方自身(霊的実在)の中に見出すようになるということです。” P29
では、私たち自身の中に秘められた不可能を可能にする手段とは一体何なのでしょうか。
それはP28で語られているとおり、さまざまな形をとる“霊の力”のことなのです。
その霊力を意識的に手に入れるには、肉体とは波長の異なる“真の霊的自覚”(霊魂)が必要となります。すなわち“本当の自分”は霊的存在であり、それゆえ神と同じ霊(神の分霊)で神と一体なのだ、という絶対的確信を確立することです。そうなると霊界からさまざまな形をした生命エネルギー、すなわち“霊の力”が通る通路の扉が開くことになるのです。そして、神の分霊として宇宙最大のエネルギーである内外の“霊の力”を自ら使用することができるようになるのです。このように、霊界からの援助と指導とインスピレーションと知恵などさまざまな形をとる霊の力を霊界から受け取る権利と霊能力があると悟り、この霊的真理(摂理)に不動の信頼をもつことです。
私たち人間は地上世界で唯一自我意識をもっている霊的存在であるがゆえに、意志力をもってその霊能力を発揮し、衷心からの祈りによって魂の扉を開け、内外の“霊の力”を引き出すことができるのです。
但し、ここで誤解のないようにしていただきたいことは、顕在(表面・通常)意識の本人が希望していることが必ずしも実現するとは限らないことです。霊的視点からみて、あくまでも本人の学びと霊的成長が最優先され、全ては本人のためになるように導かれているからです。結果として、真に霊性に目覚めた人は、霊界から全てが良きに図られているということを“悟る”のです。
“祈りにはそれなりの回答が与えられます。しかしそれは必ずしもあなたが望んでいる通りの形ではなく、その時のあなたの霊的成長にとっていちばん望ましい形で与えられます。神は決して我が子を見捨てるようなことはいたしません。しかし神の施されることを地上的なモノサシで批判することはやめなくてはいけません。”
(「シルバーバーチの霊訓」 一巻 P58 スピリチュアリズム普及会)
“と言っても私どもはあなた方の生活から問題も悩みも苦しみもなくなるというお約束はできません。お約束できるのは全ての障害を乗り越え、不可能と思われることを可能にする手段(霊の力)をあなた方自身の中に見出すようになるということです。” P29
私たちの生活環境や性差、社会的立場など置かれた条件はそれぞれ異なっていますが、自我意識をもつ私たちの生命は物質ではなく霊そのものであり、“本当の自分”とは霊的存在であるとすれば、私たちのこの地上人生は自らが努力し艱難辛苦の苦難を通して“本当の自分”(霊魂)に目覚め、山を登るがごとく一歩づつ一歩づつ時間をかけて、霊界からの導きと護りによって霊性への悟りとその確立(霊的成長)を深めていく霊的冒険の旅といえるでしょう。
しかしながら、この物質世界にあっては“本当の自分”(霊魂)を真に悟り確立することは決して容易なことではない、とシルバーバーチは何度も繰り返し述べています。それは、この地上世界で自我意識(表面・通常意識)の頑固な殻を打ち破るためには、よほどの悲しみや挫折感などの苦難の体験が、霊的覚醒と霊的成長には必要不可欠な条件となっているからです。
“霊界からのインスピレーションを正しく受け取るには” (霊力)(2023.10.20)
「シルバーバーチの教え」下巻 二十三章 “さまざまな質問に答える”より引用
(スピリチュアリズム普及会発行)
“私は今日まで、皆さんが知っておくべき霊的真理をシンプルな言葉で説いてきました。霊的真理に新たに付け加えるものは何もありません。今、地上人に必要とされているのは、霊性を発揮して、霊力(インスピレーションなど)をもっと容易に受け入れられるようにすることです。現在の地上人類は、あまりにも霊力を否定しています。” P202
“霊力は活用されなければなりません。霊力を閉じ込めてしまってはいけません。”
(「シルバーバーチの教え」下巻 P184 スピリチュアリズム普及会)
これまで何度もこの「寸感」で引用してきた霊訓の繰り返しになりますが、今回は日常生活においていかに霊力を活用するかの具体的な方法を取り上げてみましょう。
そこでアイデアなどの“ひらめき”や“気づき”、あるいは“思いつき”と世間一般では言われている啓示、すなわち霊力の一種である“インスピレーション”にフォーカスをあてて、どのようにすればそれを意識的に、且つ、正しく霊界から受け取ることが出来るのかについて、シルバーバーチの霊訓に基づいて検討してみたいと思います。
なお余談ですが、私の場合に例えると、ちょうど“良心の声”のような無声の声で、まるで諭して導くかのように話しかけてくる声(あなたは・・・等)が必要に応じて適宜聞こえてきます。但し、選択の自由は当然のことながら私自身にありますので、あくまでも自由意志による自己責任となります。また、最初の内は自分自身と霊人(“本当の自分”の類魂である守護霊か、または指導霊)との区別が困難で暫くは気づきませんでしたが、霊的知識を学びながら場数を踏めば明確にその識別ができるようになってきます。
【霊界からの指導の実際】P189より
――指導霊から積極的な働きかけを受けている人が、それに気づかないということがあるでしょうか。
“大いにあります。その事実(指導霊の存在と働きかけ)を知っている方が、知らないままでいるよりも協力関係を強化することができます。” P191
――指導霊の存在を知ることによって、もっと霊力を受けやすくなるのでしょうか。
“指導霊の存在を知っていれば、その人間と霊との関係はより親密になります。知らずにいるよりは知っている方が好ましいのです。光が得られるというのに、暗闇にいたいと思う人がいるでしょうか。飲み物があるというのに、どうして渇きを我慢する必要があるのでしょうか。”P191
【質疑応答】P194より
“地上人は、霊界からのインスピレーションを無意識のうちに受け取ることもあれば、意識的に受け取ることもあります。霊的感受性が強い人間は、霊界から送られてくる思念をインスピレーショとして受け取り、それを(表面)意識の中に強く印象づけることになります。” P195
“あなた方は大霊の一部であり、その肉体の奥に大霊の分霊が埋め込まれています。あなた方は大霊のミニチュアであり、それぞれの魂の進化に応じて大霊が有するすべての力にアクセスすることができるようになります。” P196
“もしどの方向に進むべきか分からなくなったときには、いったん休止して心の平常を取り戻すことが大切です。そして霊界からの指導と援助を求めて祈るのです。私たちへの絶対的な“信頼”と“確信”があるなら、与えられる援助と霊力とインスピレーションに限界はありません。”
(「シルバーバーチの教え」下巻 P87 スピリチュアリズム普及会)
“あなた方一人ひとりに大霊が宿っています。もしあなたが、内在する大霊を顕現させようとして心を開くなら、大霊はあなたを通して霊力と啓示(インスピレーション)をもたらすでしょう。”
(「シルバーバーチの教え」下巻 P136 スピリチュアリズム普及会)
“しかしあなたが、自らを神に委ね、神の貯蔵庫からインスピレーションを受けるために魂の扉を開くなら、あなたの魂は古の預言者たちを鼓舞したのと同じ霊力によって満たされます。”
(「シルバーバーチの教え」下巻 P118 スピリチュアリズム普及会)
⇒“心を開く”“魂の扉を開く”とは、魂に秘められた潜在能力、すなわち潜在意識下にある神の分霊としての“本当の自分”の霊性心や霊能力を発揮し、自らを神に委ね、導きやインスピレーションなど霊的なものを受け入れる心の態勢を整えること等を意味します。
【シルバーバーチの祈り インボケーション】P217より
“なぜなら、すべてのインスピレーション、すべての真理、すべての叡智、すべての啓示、すべての知識が蓄えられている無限の貯蔵庫は、大霊の子供たち一人ひとりに開かれているからでございます。向上心と謙虚さと奉仕精神にあふれ、強大な霊力(霊団)の道具になることを願う子供たちは、その貯蔵庫を自由に活用することができるのです。
私たちは、全ての人間の魂に秘められた潜在能力(霊能力)を明かそうとしております。私たちは、地上の子供たちが、(霊的)無知から閉じ込めてしまっている潜在能力に気づき、物質の障壁を突き破って霊的高みを目指す日々の努力の中で、その能力(無限の貯蔵庫を自由に活用することが出来る霊能力)を自由に発揮できるようになるのを待っているのです。” P218
以上のように、シルバーバーチは霊訓の中で潜在能力(霊能力)を発揮して、“霊力”をもっと自由に活用しなさいと述べています。その理由として、“魂が目を覚ますと、その奥に秘められたその驚異的な威力を認識するようになります。それはこの宇宙で最も強力なエネルギーの一つなのです。その時から霊界の援助と指導とインスピレーションと知恵を授かる通路が開けます。”(「シルバーバーチの霊訓」一巻 P34 スピリチュアリズム普及会)と語っているからです。
そのためには、スピリチュアリストとして“本当の自分”は霊魂であり、神の分霊を内在しているという霊的覚醒・自覚が必要で、おなじ神の分霊だからこそ魂の進化に応じて、私たちは衷心からの祈りによって霊能力を発揮し、霊界の指導霊や神の貯蔵庫にアクセスすることができるようになるのです。
そのことをしっかりと自覚した上で、霊性を一段と高めて霊界の高級霊から正しくインスピレーションを得るための心がけを以下に挙げてみます。
1.“本当の自分”の心・霊性心を発揮し、良心の声に従って霊的摂理に順応した生活をおくる
2. 守護霊・指導霊を絶対的に信頼し、すべてを任せてその援助や“導き”を常日頃意識する (指導霊のイメージがわかなければシルバーバーチでもよい)
3.心の平常を取り戻し、不安や心配の念を抱かない
(冷静で受容的な心を保つことで、具体的には瞑想やリラックス音楽等によって、短時間ではあっても心を空にして落ち着かせることを常に心がける)
などが挙げられます。
なお、上記の1でいう霊性心を発揮するとは、自分を愛するように隣人を愛すること、人のために役立つことをすること、自我を高めるように努力することなどが挙げられています。 P20
“私たちの目的は、人目を引くことばかりしたがる見栄っ張りを喜ばすことではありません。人類の霊性を引き上げ、使わずに忘れ去られてきた大霊から授かった霊力(霊能力)をもう一度、見いださせてあげることなのです。”
(「シルバーバーチの教え」 下巻 P23 スピリチュアリズム普及会)
しかしながら、ここで述べられている内容は、簡単に短期間で身につくものでは決してなく、霊訓にありますように、霊に関わることは慎重な養成とゆっくりとした霊的成長が必要であり、そのことは高級霊から正しくインスピレーションを受け取るための絶対条件となっています。
“霊性に気づいた人は真に目覚めた人です。神性が目を覚ましたのです。それは、その人が人生から皮相的なものではなく霊という実在と結びついた豊かさを摂取できる発達段階に到達したことの指標でもあります。”
(「シルバーバーチの霊訓」一巻 P34 スピリチュアリズム普及会)
“完璧な摂理の中で生きているという自覚” (雑記)(2023.9.27)
―物的なもの × 霊的なもの―
「シルバーバーチの教え」下巻 二十三章 “さまざまな質問に答える”より
(スピリチュアリズム普及会発行)
―摂理(宇宙の法則)とは―
●“摂理の働きは完璧ですから、あなたはそれに忠実に従って生きなければなりません。摂理は大霊によって、すなわち完全なる愛(大霊)によって統制されています。大霊はすべてのものに存在すると同時に、すべてのものを通して顕現しています。大霊によって統制されている摂理の働きを妨げる権利を有する者はいません。” P166
摂理(宇宙の法則)は、大霊の力(霊力)によって維持され、大霊の愛によって統制されています。その摂理とは、
1.摂理の働きは完璧です
2.摂理は完全なる愛(大霊)によって統制されています。すなわち、摂理は大霊(完全なる愛)が顕現したものです
3.摂理の大霊はすべてのものに存在し、すべてのものを通して顕現しています
4.完璧に働く摂理を妨げられる者はいません
5.大霊の摂理は、全ての子供たち(人間)が幸せになるためにもうけられたものです
6.摂理を活用すれば地上に調和と健康と幸福がもたらされるようになります
―摂理(宇宙の法則)の目的―
●“大霊の摂理は、すべての子供たち(人間)が幸せになるためにもうけられたものです。
ところが人間は、自分たちは親(大霊)よりも優れていると自惚れて摂理に背くようになったために(物質・科学万能主義)、地上にはさまざまな問題が発生するようになったのです。” P181
●“これまで地上世界に不幸が絶えなかったのは、霊的な側面を無視(霊的無知)してきたからです。霊に関わることは、慎重な養成と、ゆっくりとした成長が必要です。” P199
●“摂理を活用(順応)すれば地上に調和と健康と幸福がもたらされるようになることをお教えしようとしているのです。” P186
摂理に順応・・・
摂理は完全なる愛によって統制されています。そしてその摂理に順応し活用すれば、調和と健康と幸福がもたらされます。 P166 & P186
摂理に背く・・・
摂理の第一原理である因果律により、例外なく全ての行為(原因)に対する代償(結果)を自ら支払うことになります。
そのため、摂理に反すると因果律により真善美(愛と誠と調和)の摂理の方向とは真逆方向のさまざまな問題が発生してくるようになります。
例えば,すべての生命は大霊のものですから、自殺や殺人は命を絶つことによって地上人生(生命)に人為的に無理やり終止符を打つことになり、明確に摂理に反する行為(原因)であり、その結果が自動的に自らに返ってきます。
―この地上世界は、霊界から見ると一時の影の世界で、舞台であり学校です―
●“(地上世界での)あらゆる霧と暗闇、懐疑と恐れ、悲しみと争い、苦しみと痛みの背後には、サービス(奉仕・利他行為)を通しての霊的成長(動物心→神性心)という永遠の目的があることを忘れてはなりません。” P187
●“しかし私は、人間は苦しみを通して魂が浄化されることになるという大霊の摂理を知っています。” P183
●“地上人生において悲しみや喜びの体験を積むまでは、(霊的摂理が理解できないため)あなたは真の霊媒になることはできません。
自分が暗闇の中にいると感じたときには、それは影(地上的なもの)にすぎず、いずれ消え去るものであることを思い出してください。太陽(大霊・霊的摂理)の光は、あなたの内部に存在する霊の宝(本当の自分・霊魂)を再び輝かせることになるでしょう。” P184
⇒私たちの身体はせいぜい百年たらずの早晩朽ちていく肉体であり、永遠の霊界からみると物質世界のものは例外なくいずれ消え去り変化する影のような世界です。そして、この一時の夢幻のような地上人生というあなたの舞台(学校)で、摂理が指し示している進化向上、真善美(愛と誠と調和)を理解するために私たちは両極端な対局を体験し、本能心(自己中心)から霊性(利他愛)を発揮した神性心へと霊的成長を図っていくのです。
●“どうか、物質的なもの(いずれ消え去るもの)ではなく、霊的なものに目を向けてください。そうすれば、あなたは大霊の光に包まれ、いずれ朽ちていく肉体の奥にある不滅の霊を傷つけるものは何もないことを悟るようになるでしょう。 (中略) もしあなたが、物質的なものに過度の関心を持たないようにするなら、物質よりはるかに繊細な霊に対する感受性を高めることができるようになります。目に見える物質的なものではなく、目に見えない霊的なもの、大霊と永遠なるものに信頼をおいてください。” P183
目に見える物的なもの・・・・五感という粗い波動で感じとっているいずれ消え去るもの
×
目に見えない霊的なもの・・・五感では捉えられない精妙な波動の永遠なる霊的なもの
―マトメー
●“私は今日まで、皆さんが知っておくべき霊的真理(摂理)をシンプルな言葉で説いてきました。霊的真理に新たに付け加えるものは何もありません。今、地上人に必要とされているのは、霊性(本当の自分)を発揮して、霊力をもっと容易に受け入れられるようにすることです。現在の地上人類は、あまりにも霊力(神の力・生命エネルギー)を否定しています。” P202
本当の自分の心・霊性心を発揮して、霊界からの働きかけを意識的に受け取ろうとする人は、霊界から送られてくる思念のインスピレーションを自覚することができるようになります。
そうなると、祈りによって魂の進化に応じた大霊の力(霊力)にアクセスし、霊力を受け取ることができるようになります。そのことは、祈り(原因)に対する結果が時間差をおいて顕現してくることによって、その力の存在を確認することができるようになります。
“私たちはどうあがいたところで、その神の懐の外に出ることはできないのです。私たちもその一部を構成しているからです。どこにいようと私たちは神の無限の愛に包まれ、神の御手に抱かれ、常に神の力の中に置かれていることを忘れぬようにしましょう。”
(「シルバーバーチの霊訓」一巻 P36 スピリチュアリズム普及会発行)
―不安と安心― その5 (雑記)(2023.8.30)
下記Ⅱ.の霊訓に出てくる“心を開く”“魂の扉を開く”とは、一体どういう意味なのでしょうか。
Ⅰ.そこで私たち人間の“心”を分類してみますと、
①本能心(利己愛・自己中心など)・・・動物心
②感覚・感情心(愛憎など)
③理性心(理知的判断・自由意志など)
④霊性心(利他愛など)=“本当の自分”(真我・霊魂)の心・・・・神性心があります。
上記の①~③は顕在意識上の現在の私(仮我)の心、④は潜在意識下の“本当の自分”(真我・霊魂)の心のことで、その心には神の分霊が宿っており、良心とか道義心とかと言われている霊魂の心、霊性心のことです。
―良心(コンシャンス)とは何でしょうか。
“良心は魂の一部であり、正しいことと間違ったことを区別します。良心はハカリのようなもので、あなた方はそれによって善と悪を判断することができるのです。良心とは、魂の指針なのです。” (「シルバーバーチの教え」下巻 P206 スピリチュアリズム普及会)
本能心(自己中心・エゴ)とは肉体に属する心のことで、肉体をもったがゆえに全て地上世界(物質界)でのみ通用する愛憎やセックス、お金、社会的地位・名誉欲、支配欲などに価値基準をおき、人生の目標として生涯をかけて追い求めている心のことです。理性心はこの本能心や感覚・感情心の力に対してはとても弱く、負けやすい心です。
そしてこの①の本能心動物心(利己愛・自己中心)から④の霊性心神性心(利他愛)への心の成長の道は、“霊性進化の道”ともいわれています。
Ⅱ.霊訓の中で語られている“心を開く”とは、
The Great White Spirit is in each one of you. If you try to express that spirit, and if you will make your heart open, the Great White Spirit will pour through you the power and the revelation. (P240 Teaching of Silver Birch)
“あなた方一人ひとりに大霊が宿っています。もしあなたが、内在する大霊を顕現させようとして心を開く(“本当の自分”の心、霊性心を表に出す)なら、大霊はあなたを通して霊力と啓示をもたらすでしょう。”
(「シルバーバーチの教え」下巻 P136 スピリチュアリズム普及会)
But if you will put yourself in the hands of the Great White Spirit and open your soul to receive that inspiration which comes from the Great White Spirit`s reservoir, you can be filled with that power which inspired the prophets of old.
(P231 Teaching of Silver Birch)
“しかしあなたが、自らを神に委ね、神の貯蔵庫からインスピレーションを受けるために魂(本当の自分)の扉を開くなら、あなたの魂は古の預言者たちを鼓舞したのと同じ霊力によって満たされます。” (「シルバーバーチの教え」下巻 P118 スピリチュアリズム普及会)
“心を開く”“魂の扉を開く”とは、心の扉を開いて潜在意識下の“本当の自分”(霊魂)の心、霊性心(良心)を顕在意識上に引き出して神の摂理に順応することです。
そうなると“本当の自分”に内在している神性(神の分霊)が顕現しだし、インスピレーションをとおして霊力と啓示が神の貯蔵庫からもたらされるようになります。すなわち、神の愛と力のすべて、叡智、霊的知識、真理がもたらされるようになるとシルバーバーチは語っています。すなわち、霊力を受け取りやすくなって、霊的摂理の理解や悟りが深まるようになります。
“なぜなら、すべてのインスピレーション、すべての真理、すべての叡智、すべての啓示、すべての知識が蓄えられている無限の貯蔵庫は、大霊の子供たち一人ひとりに開かれているからでございます。向上心と謙虚さと奉仕精神にあふれ、強大な霊力(霊団)の道具になることを願う子供たちは、その貯蔵庫を自由に活用することができるのです。”
(「シルバーバーチの教え」下巻 P218 スピリチュアリズム普及会)
私たちスピリチュアリストが先の見えないことからくる不安や恐れ、悩みがフツフツと湧いてくるようなら、それは霊界の守護霊や指導霊の導きや護りに未だ自らが完璧な信頼をおいていない、という何よりの証左となります。
そこでいかにお先真っ暗と思われることでも、過去の奇跡的な展開による“導き”の体験を何よりの自らの揺るがぬ証拠として、今後も同様に“導き”があると信じ、摂理の神や指導霊の“導き”に完璧な信頼をもつようにできるだけ努めることです。
目には見えなくてもあなたは決して独りぼっちではなく、霊界の守護霊や指導霊が味方となって常にそばについていることを自覚し今後の“導き”を託せば、少なくともたとえ短時間ではあっても肩の荷が軽くなる実感を持つことができるでしょう。
不安の都度、このことを常に意識し自覚して、“もし、あなたが指導霊に対して完璧な信頼と信念を持つなら、すべてがうまくいくようになります。”(「シルバーバーチの教え」下巻 P181)というシルバーバーチの言葉を信じて、自らを神に委ね、あとのことは神や背後霊に全て任すことを都度繰り返せばよいのです。
“本当の自分”霊魂の心を開いてインスピレーションを受け取りやすくし、紆余曲折はあっても結果オーライに必ずなるという揺るがぬ信念をもって、その日一日を精一杯努力して時期が来るのを待っておれば、その内“導き”のシグナルがでてきて霊的摂理の正しさが証明され、背後霊への信頼がより一層深まることになるでしょう。
―マトメー
心を開く、魂の扉を開くとは、心を開き潜在意識下の霊性心で自らを神に委ね、受け身になって霊界からの指導と援助を求めて祈ること、そうすると導きやインスピレーションを受け取ることができるようになります。こうして、さまざまな問題のある地上人生を送る中で、“本当の自分”(霊魂)の心、霊性心で霊界を身近に感じ、常に導かれ護られていることを自覚しながら、インスピレーションを通して守護霊と共に歩む人生、正にこれが霊性進化の道なのです。
(「シルバーバーチの教え」下巻 P87 スピリチュアリズム普及会)
―不安と安心― その4 (雑記)(2023.7.22)
―苦を通して霊的摂理を理解し、霊的に成長していくのが地上人生です―
「シルバーバーチの教え」下巻21章“青年牧師との論争”(スピリチュアリズム普及会)より
1.[不安のもととなっている“苦”の意味]
今まで様々な“苦”を体験してきた過去の経験を振り返り、それらは霊界からの“導き”であったことの理解を深めます。
●“大霊の摂理は、苦しみを通してしか悟ことはできません。苦しみという厳しき試練を経て初めて、あなた方の世界を支配している大霊の摂理を理解することができるのです。” P116
●“地上に苦難がなければ、人間は正していくべきものへ注意を向けることが出来ません。
すべての苦しみや痛みや邪悪は、大霊の分霊であるあなた方人間が、いかにしてそれを克服していくかを学ぶためにあるのです。
もしも苦難を乗り越えるための努力を怠っているとしたら、あなた方を地上に誕生させた大霊の意図を理解していないことになります。” P117
●“すべての努力は、あなたの人間性を形成するうえに、とても重要です。
決して怒ることもなく、敵意を持つこともなく、かんしゃくを起こすこともないなら、あなたはもはや人間ではないことになります。人間は霊的に成長することを目的として地上に生まれてくるのです。成長また成長と、どこまでも成長の連続です。それは地上だけでなく、こちらへ来てからも同じです。” P121
●“霊界からの導きによって全ての悩みが消えてしまうとか、足元の石ころがぜんぶ取り除かれると言っているのではありません。
霊界の援助を得て事に臨めば、あなた方お二人にとって大きすぎて解決できないような問題は決して生じないと言っているのです。”
(シルバーバーチの霊訓 二巻 P111 潮文社)
●“しかし私は、人間は苦しみを通して魂が浄化されるという大霊の摂理を知っています。”
(「シルバーバーチの教え」下巻 P183 スピリチュアリズム普及会)
2.[これまでの苦難にあたって導かれてきた奇跡的な出来事に基づいた、あなたの指導霊や霊的摂理への“信頼”(信仰)と、“確信”が必要となります]
上記1.を何度も繰り返すことによって、霊的摂理や指導霊への信頼へと高めるのです。
●“これまでを振り返ってご覧になれば、あなた方の生活の中に単なる偶然では説明のつかないものが数々あること、私ども霊団とのつながりができてからというものは、援助の確証が次々と得られていることを示す具体的例証を発見されるはずだということです。”
(シルバーバーチの霊訓 二巻 P126 潮文社)
●“これまでたどってきた道を振り返ってご覧になれば、常に導きを受けておられることがお判りになるでしょう。 (中略) 振り返ってごらんになれば、霊の指先が道を指示してくれていることがお判りになるはずです。それが歴然としているものもあれば、あまりはっきりと認識できないものもありますが、常に進むべき道を指し示しております。難問で四方を取り囲まれていた時でも、結局は無キズのまま平然と切り抜けて来られ、一度も挫折したことはありません。”
(シルバーバーチの霊訓 二巻 P111 潮文社)
●“その(体験も含む霊的)知識を人生哲学の基礎とすれば、これまでに受けた恩恵の大きさに艦みて、これからも背後に控える力(導き)があなた方を見離すはずはないとの“信仰”をもつことができます。ある程度は“信じる”ということがどうしても必要です。なぜなら全てを物的な言葉や尺度で表現することは出来ないからです。霊の世界の真相の全てを次元の異なる物質界に還元することは出来ないのです。”
(シルバーバーチの霊訓 二巻 P126 潮文社)
●“そうした地上の協力者を通じて働いているスピリットを背後から指揮している力は、人間を悩ませる程度の試練や困難を乗り越えさせるくらいのことは何でもないことだからです。
ただし、そうした際に最も大切なのは“確信”です。背後の力に対する不動の“確信”───日常生活にとって必要なものは必ず授けてくださるという静かな“確信”です。”
(シルバーバーチの霊訓 二巻 P113 潮文社)
●“あなたは、非常に強力で優れた指導霊の導きを受けています。もし、あなたが指導霊に対して完ぺきな信頼(信仰)と信念(確信)を持つなら、すべてがうまくいくようになります。 (中略) あなたを通して素晴らしい霊力が活用されることになるのです。その霊力の働きを信じてください。霊力は、あなたの前途に立ちはだかるあらゆる障害物を取り除いてくれます。”
(「シルバーバーチの教え」下巻 P181 スピリチュアリズム普及会)
3.[祈りによって霊界から霊力を呼び寄せるのです]
上記2.の信頼と確たる確信をベースにして、祈りによって霊力を呼び込むのです。そうなると、指導霊からの援助と導きにより奇跡的な出来事がおこり、霊的摂理の理解がより一層深まります。
過去にみられた困難に際しての奇跡的な“導き”をまぎれもない確たる証拠、根拠として、それをもとに指導霊への“信頼”をもちます。そして、シルバーバーチが約束しているように、霊界すなわち指導霊の援助を得れば最終的には解決できないような問題は決して生じないという“確信”をもつように努めます。その上で祈りによって霊的な力を呼び寄せるのです。一連のシリーズ“不安と安心”で述べてきたことも参考になさって下さい。
私自身の経験から言えることは、苦から逃げずに精一杯克服するべく日々努力していれば、時期がくると私たち自身の想像や予想をはるかに超える奇跡的な展開となって難問は解決するものです。
“もしどの方向に進むべきか分からなくなったときには、いったん休止して心の平常を取り戻すことが大切です。そして霊界からの指導と援助を求めて祈るのです。私たちへの絶対的な“信頼”(信仰)と“確信”があるなら、与えられる援助と霊力とインスピレーションに限界はありません。”
(「シルバーバーチの教え」下巻 P87 スピリチュアリズム普及会)
―不安と安心― その3 (雑記)(2023.6.23)
―最も大切なのは背後の力に対する静かで穏やかな不動の“確信”です―
【真の安心に至る道】
1.真の自我(霊的自我)を発揮することにより、霊的な交わりが一層緊密になる
シルバーバーチ:
●霊界から物質の世界との接触無しに影響力を行使する方法(2つ)としては、
1)純粋に精神のみに働きかけ、意念の集中、思念の投影を地上の一人の人間に向けて行います。本人はそれを無意識で受け、自分の考えのつもりで交霊会の行われている場所へ足を運びます。これには何年も何年も要します。
2)磁気的なつながり
すでに(霊界の)道具、媒体、チャンネルが磁気的なつながりでできているのですから、あとはそれを通じて言いたいことを述べるだけです。その唯一の限界は霊媒の受容力にあります。
磁気的なつながりが出来上がってしまってからは、事がずっと簡単になります。私たちの世界からの霊力が地上へ届くようになるからです。人間の方から進んで内的自我を開発する意識に目覚めてくれれば、死の関門を通過するまで待たなくても、今すぐからその真の自我(霊的自我・本当の自分)を発揮することになります。そうなると、時の経過とともに霊的な交わりがいっそう緊密に、豊かに、そして効果的になってまいります。
(シルバーバーチの霊訓 二巻 P120 ~121 潮文社)
2.その霊的知識を携え霊の世界との協力関係を確立した人は、イザという時にその豊かな力(霊力)を呼び寄せることができます
シルバーバーチ:
“私のことを私の背後に控える大きな存在の表象、代弁者、代理人と思って下さい。その大きな力があなた方を包み、支え、その力があなた方を導いているのです。
どこにいてもその(霊的)知識を携え霊の世界との協力関係を確立した人は、イザという時にその豊かな力(霊力)を呼び寄せることができます。
皆さんのような方が怖れたり、取越苦労をしたり心配したり狼狽したりする必要はまったくありません。完璧な信仰は完璧な愛と同じく全ての恐怖心を追い払うものだからです。人間が恐れを抱くとまわりの大気を乱す波長を出し、それが援助しようとする霊を近づき難くします。
霊的な力が地上において本来の働きをするためには、静かで穏やかな確信───全ての恐怖心が消え、より大きな生命力と調和した光輝が漂い、何が起きようと必ず切り抜けられることを信じ切った、そういう確信が無ければなりません。”
(シルバーバーチの霊訓 二巻 P125 潮文社)
3.それには恐怖心を抱いてはいけません
―人間が恐れを抱くとまわりの大気を乱す波長を出し、それが援助しようとする霊を近づき難くします―
シルバーバーチ:
“恐怖心を抱いてはいけません。これは私が繰り返し繰り返し述べているメッセージです。
あなた方を支援する力はこれから先も決して見棄てることはありません。
無限の力が何時もご自分の身のまわりにあり、愛によって導かれ、必要な時はいつでも無限の叡知にあずかることができるとの認識をもって、恐れることなく、不安に思うことなく、まっすぐに突き進んでください。
皆さんも私たちも、世界を愛と美と寛容心と同情心と正義と慈悲の心で満たしたいとの願いの元に手をつなぎ合っている神の僕です。その神の御力を少しでも遠く広く及ぼすことができるよう、心を大きく開こうではありませんか。その御力の感動、その確証、その温かさを自覚できる人は大勢いるのです。
こうして神の使者として、みずからの生きざまを通して、私たちこそ神の御心に適った存在であり、その御心が私たちの行為の全てに反映していることを示す機会を与えていただいたことを素直によろこぼうではありませんか。”
(シルバーバーチの霊訓 二巻 P128 潮文社)
4.ある程度は“信じる”ということがどうしても必要です
シルバーバーチ:
“その(霊的)知識を人生哲学の基礎とすれば、これまでに受けた恩恵の大きさに艦みて、これからも背後に控える力(導き)があなた方を見離すはずはないとの“信仰”をもつことができます。ある程度は“信じる”ということがどうしても必要です。なぜなら全てを物的な言葉や尺度で表現することは出来ないからです。霊の世界の真相の全てを次元の異なる物質界に還元することは出来ないのです。
しかし、ある程度は出来ます。それを表現する能力を具えた道具(霊媒・霊覚者)が揃った分だけは出来ます。それを基礎として、他の部分は自分で合理的と判断したものを受け入れて行けばよいわけです。いつも申し上げているように、もしも私の言っていることが変だと思われたら、もしもそれがあなたの常識に反発を覚えさせたり、あなたの知性を侮辱するものであれば、どうか信じないでいただきたい。私がいかなる存在であるかについては、これまでにも必要なときに、そしてそれを可能にする条件が許す範囲で、明らかにしてきたつもりです。
それ以上のことは、あなたの得心がいくかぎりにおいて、あなたの私への信任にお任せします。ですが、これだけはぜひ申し上げておかなければなりません。
これまでを振り返ってご覧になれば、あなた方の生活の中に単なる偶然では説明のつかないものが数々あること、私ども霊団とのつながりができてからというものは、援助の確証が次々と得られていることを示す具体的例証を発見されるはずだということです。”
(シルバーバーチの霊訓 二巻 P126 潮文社)
5.最も大切なのは“背後の力に対する不動の確信”です
女性霊媒:
「よく判ります。冷静さを保ち、メッセージがないことを気にせず、ひたすら前向きに進めとおっしゃるのでしょうけど、私はいつも何か確証(証拠)を求めるのです。いけないことかも知れませんが、用心の上にも用心をするに越したことはないと思うのです」
シルバーバーチ:
“でも、今のあなたには心配なさることは何一つありませんよ。結婚なさってからというもの、お二人はずっと霊の世界から導かれています。これまでたどってきた道を振り返ってご覧になれば、常に導きを受けておられることがお判りになるでしょう。
霊界からの導きによって全ての悩みが消えてしまうとか、足元の石ころがぜんぶ取り除かれると言っているのではありません。霊界の援助を得て事にのぞめば、あなた方お二人にとって大きすぎて解決できないような問題は決して生じないと言っているのです。
(その証拠として)振り返ってごらんになれば、霊の指先が道を指示してくれていることがお判りになるはずです。それが歴然としているものもあれば、あまりはっきりと認識できないものもありますが、常に進むべき道を指し示しております。難問で四方を取り囲まれていた時でも、結局は無キズのまま平然と切り抜けて来られ、一度も挫折したことはありません。”
(シルバーバーチの霊訓 二巻 P111 潮文社)
シルバーバーチ:
“さて、こうした指導体制は私たちに協力して下さる人々すべてに当てはまります。
断言しますが、この仕事に携わるに至るまでの厳しい試練を潜り抜けた人が生活に困ったり、見捨てられたり裏切られたり、スピリットに対して抱いていた信頼心が挫けたり確信を失ったりすることは決してありません。それは絶対に有り得ないことです。そうした地上の協力者を通じて働いているスピリットを背後から指揮している力は、人間を悩ませる程度の試練や困難を乗り越えさせるくらいのことは何でもないことだからです。
ただし、そうした際に最も大切なのは“確信”です。背後の力に対する不動の確信───日常生活にとって必要なものは必ず授けてくださるという静かな確信です。”
(シルバーバーチの霊訓 二巻 P113 潮文社)
―真の安心に至る道(マトメ)―(括弧内は関連する本文中の霊訓番号)
大霊から賜った“霊力を顕現”させるのです。「シルバーバーチの教え」下巻 P96
すなわち、
→ “本当の自分”の発揮と開発(1)・・・霊的摂理への順応と霊性心(良心)の声に従う
→ 霊界との協力関係の確立(1)
→ “霊力”を呼び寄せる(2)・・・祈りと、霊界からの導きに気をつけながら委ねる
→ それには恐怖心を抱かない(3)
→ そのためには神と摂理への“信仰”(信頼)が必要となる(4)
→ 最も大切なのは背後の力に対する不動の“確信”です(5)
“もしどの方向に進むべきか分からなくなったときには、いったん休止して心の平静を取り戻すことが大切です。そして霊界からの指導と援助を求めて祈るのです。
私たちへの絶対的な信頼(信仰)と確信があるなら、与えられる援助と霊力とインスピレーションに限界はありません。”
(シルバーバーチの教え 下巻 P87 スピリチュアリズム普及会)
これまでの内容は、正にアップルのスチィーブ・ジョブズがスタンフォード大学の卒業式祝辞で語ったように、“自分の内なる声”(own inner voice)に耳を傾けること、どうしたいのかは“本当の自分”は知っている、だから“自らの心と直観に従え”というジョブスの言葉に相通じるものがあります。そして、この祝辞の締めくくりにスチュアート・ブランドの言葉を二回も繰り返し引用したスチィーブの座右の銘“Stay hungry, stay foolish”で私たちもまた人生を生きぬきたいものです。
―不安と安心― その2 (雑記)(2023.5.29)
―不安に際して“内在する霊力”を呼び覚まし顕現させるとは―
Ⅰ)
①“地上界は争いと敵意と不和に満ちあふれています。涙と悲惨さと流血に満ちあふれています。それでいて一人ひとりは「平和を!」と叫び続けています。
②そうした中で皆さんには、内部に潜在する可能性について思い出していただきたいのです。
③あなた方一人ひとりが大霊なのです。皆さんの内部には、大霊の無限の霊力が秘められています。それを呼び覚まし顕現させるなら、前途に立ちふさがるいかなる障害も打ち破ることができるようになります。
④大霊から賜った霊力(に満ちたあなた自身Reveal yourselves in the fullness of its hidden glory)を顕現させるのです。皆さん方一人ひとりが、自由に使用できる無限の霊力を秘めた大霊そのものであることを自覚すれば、⑤新しい時代の真の道具になれるのです。新しい時代は、漆黒の地上界にゆっくりと夜明けの光が差し込むことによって築かれていきます。
⑥いかに地位の高い人であっても、人間を頼りにしてはいけません。常に地上界の彼方へ目を向けてください。
⑦人類(あなた)のためを思って導こうとしている霊たちからのインスピレーションに耳を澄ませて(つかみ取るように努力して)ください。”
(「シルバーバーチの教え」 下巻 P96 スピリチュアリズム普及会)
“①Your world is full of strife and bitterness, full of discord. It is full of tears and misery and bloodshed. And yet each cries: “Give us peace!”
②I urge you all to remember the potentiality that lies within yourselves.
ご自身の中に内在する可能性について思い出ように、あなた方すべてに強く勧めます。
③You are the Great Spirit, each one of you. His infinite power is latent within you. If you will but call it into being and let it rise the surface, it will break all the bonds of limitation that stand in the way.
あなた方一人ひとりは大霊なのです。その大霊の無限の力があなたの内に隠されているのです。
もしもあなたがその力(霊魂)を蘇らせ、起き上がらせるならば、それは前途に立ち塞さがるいかなる障害をも打ち砕くでしょう。
④Reveal yourselves in the fullness of its hidden glory. Realize that you are indeed the Great Spirit, with infinite power at your disposal,
隠れている豊かな恵みに満ちたあなた自身(本当の自分)を顕現するのです。あなたは無限の霊力を自由に使用できる、実に大霊そのものであることを認識して下さい。(②~④青文字亀水訳)
⑤and you will indeed be the instrument of the new age, which slowly is beginning to dawn over a darkened world.
⑥Put not your faith in the world of matter or in those who dwell in that world, no matter how high a place they occupy. Look beyond !
⑦Try to catch that inspiration that ever seeks to illumine your lives with its desire to serve.” (Teachings of Silver Birch by A.W.Austen P162)
⇒ここで“内在する無限の力”を顕現させるとは、具体的には“本当の自分”(霊魂)を発現させることだと述べられています。(④ Reveal yourselves・・・)
大霊は摂理(法則)であり、それを司って維持経綸している霊的な力は大霊そのものなのです。その霊的な力の一部(大霊の分霊)である私たちは、個性を育み霊的な成長をするために肉体をまとって地上界に生まれ出てきています。私たちに内在するその霊的な力を顕現するとは、潜在意識下にある霊(本当の自分・大霊の分霊)を発現することなのです。
この霊的な力によって私たちは霊界とコンタクトすることができ、高級霊からのインスピレーションを受け取ることもできるのです。しかしながら、その霊的な力の存在を知らず気づいていないので有効に活用することができないだけなのです。
ちょうど莫大な大金を金庫にしまいこんでいることをすっかり忘れてしまって、先入観でお金がないと信じ込んでとても心配しているようなものです。実にもったいない話です。
-要旨-
1)内在する大霊の分霊である“本当の自分”(霊魂)を呼び覚まし顕現させるのです。④
2)霊たちからのインスピレーションを捉えるのです。⑦
Ⅱ)
“①あなたに申し上げます。迷わず前進なさい。これまでのあなたの人生で今日ほど魂が生き生きと目覚めておられる日はありません。
②(ですから)その魂に手綱をあずけてしまうのです。その魂に煩悶を鎮めさせるのです。すべては佳きに計らわれていることを知ってください。
③その安堵感の中にあってこそ、あなたの求めておられる魂の安らぎと静寂を見出されることでしょう。
(「シルバーバーチの霊訓」 二巻 三章“教師の悩みに答える” P76 潮文社)
“①I say to you, go forward. Never in the whole of your life have you been as awake as your soul is today.
②Let it take charge: let it still the conflict. Know that all is well within ③and in that atmosphere you will find that inner peace and tranquility for which you yearn.
その魂に手綱をあずけ、そして葛藤を鎮めさせるのです。“本当の自分”、その魂の中にあってすべてはうまくいくことを知って下さい。その安堵感の中で、あなたが求めていた平和や平穏があなたの内に見いだされることでしょう。(②~③ 青文字亀水訳)
⇒ なぜなら、「神の王国」は各自の内部にあるからです。
④Few know of the raging storm and tempest that goes in within. I understand you.”
あなたの内に激烈な強風や大嵐が吹きつけていることを知っている人はほとんどいません。
が、私は知っていますよ。”
⑤“I see you do,” said the woman with the problem, ・・・”
“そうだろうと思います”、と問題を抱えているこの婦人は応えた。(④と⑤の行追加 青文字亀水訳)
(Silver Birch Speaks by Sylvia Barbanell P55)
Ⅲ)
①“人間は本来が霊的な魂を宿した存在です。そして魂はその存在を支えてくれるところのものを求めて、じっとしておれないものです。
②魂も養育してやらねばなりません。扶助してやる必要があります。活動の場を与えてやらねばなりません。
③魂は表現を求めてやまないのです。たとえ意識的には自分を理解していなくても、つまりそうした霊性を自覚していなくても、内部の霊的自分、真の個性の欲求を無視することはできません。“
(シルバーバーチの霊訓 二巻 P164 潮文社)
①“Man by nature is a spiritual being, and always the spirit is claimant in its demands for that which will give it sustenance.
人間は本来が霊的な存在であり、その霊は常に食物を要求しています。
②The spirit must be nurtured, the spirit must be supported, the spirit must have activity.
その霊は育てられ、支援されて活動ができなければなりません。
③The spirit cries out for expression, and often, when man does not understand himself, often when he is unaware of his own nature, he cannot escape the demands of his own spirit, which is the real individual.”
その霊(本当の自分)は顕現することを強く叫び求めています。しばしば人は自分自身のことを理解しておらず、しばしば人は真の自我(本当の自分)に気づいていないのですが、彼自身の霊すなわち真のインディビジュアリティ(本当の自分)のこの求めから逃れることができないのです。 (①~③ 青文字亀水訳)
( Silver Birch speaks by Silvia Barbanell P125 )
⇒ここでは、たとえ私たちが意識していなくても、潜在意識下にある“本当の自分”(霊魂)は、顕現して自らを表現することを強く叫び求めているとシルバーバーチは語っています。
これは私たち(顕在意識上の仮我)の側が望んでいるのではなく、あくまでも“本当の自分”(真我)すなわち魂自身が顕在意識上に自ら発現することをあなたに強く要求し続けているということなのです。(The spirit cries out for expression,・・・the demand of his own spirit, which is the real individual.)
【解説】
“内在する無限の霊力”を呼び覚まし顕現させるとは、具体的にはどのようにすればよいのでしょうか。
そこで、この“内在する無限の霊力”は一体どこからくるのか考えてみましょう。
それは「霊力の貯蔵庫」である“本当の自分”(霊魂)からくるのです。“本当の自分”の内に大霊が宿っているからです。私たちが意識しようと、なかろうとおかまいなしに私たちは霊力の源である大霊の一部、分霊そのものなのですから。
ですから、霊力を呼び覚まし顕現させるとは、実は“本当の自分”に宿る大霊を顕現させるということであり、その心、その意志である良心(神性心・霊性心)の命ずるままに行動するということなのです。これが神、すなわち“本当の自分”を意識し顕現することになるのです。
ですから、あなたがいろいろな試練、“苦”の最中や煩悶の中にあるとき、内に存在する“本当の自分”魂に手綱をあずけ、その問題を全て託すのです。私たちはただ今日一日、“本当の自分”の心、良心(神性心・霊性心)の声に耳を傾けて従い、できるだけ霊的真理に順応する努力(利他愛など)をして、瞑想などによって霊界からの背後霊の導き(インスピレーション)をキャッチするようにしておればよいのです。そうすることによって霊的真理(摂理)は、全ては佳きに計られるように働くとシルバーバーチは語っています。
“他のあらゆるものを失い、取り逃がし、人生が底なし沼のように思われる時でも、(霊的)真理だけは必ずあなたの味方になってくれます。(その霊的真理は)不動の決意をもって泰然としていられる堅固な土台を提供してくれます。”
(「シルバーバーチの霊訓」 二巻 P65 潮文社)
―不安と安心― その1 (雑記)(2023.5.01)
私たち霊的知識を学んでいる者といえども例外なく肉体を持つが故の物欲や性欲、金銭欲、支配欲等の煩悩や迷いなどの雑念妄想念が常にあります。加えて、日常生活では様々ないやな出来事がひっきりなしに日々発生してくるので、先が見えないことからくる心配や不安などの取越苦労もしょっちゅうです。そのため、一抹の孤独感も常に感じています。
このような状況のもとシルバーバーチのいう不動の心や安心感を持つには、一体どのようにすればよいのでしょうか。
地上における私たちの霊的な成長には、試練・困難などの“苦”の体験が必須の条件であるとする一方で、決して心配してはいけないとシルバーバーチは語っています。一見すると矛盾した話のようですが、このことはどのように理解したらよいのでしょうか。
私たち霊的摂理を学んでいる者がこのシルバーバーチの言葉を実行に移すためには、どうしても霊界への強い信頼や信念、霊的摂理への堅い信仰が不可欠となります。
では、その霊界への強い信頼・信仰はどのようにすれば得ることができるのでしょうか。
過去の“寸感”でもこれと同じ内容のテーマを何度か取り上げてきましたが、言うは易く行うは難しで、日常生活で実践できていないのが現実の姿ではないでしょうか。そのバロメーターが不安なのです。
―私たちの今の心境は、次のとおりです―
●常に何か不満を抱いている人がいるものです。地上世界だけではありません。こちらの世界でも同じことです。それは自分の不完全さに気づいている証拠です。神の道具としてまだまだ十分でないという意識があるからです。そうした自己との葛藤を通して霊性の不完全さを克服し、神性の開発が可能になるのです。
(「シルバーバーチは語る」 P89 潮文社)
●高い知識を身につけた方はとかく自分をみじめに思いがちなものです。その知識が謙虚さ、真の意味での謙虚さを生むからです。
(「シルバーバーチの霊訓」 二巻 P73 潮文社)
●魂を照らす光明へ向けて順調に頑張っておられるのに、自分では精神的に暗闇に居るように思っておられる。それで私が、怖がらずに突き進みなさい、とハッパをかけるのです。
(「シルバーバーチの霊訓」 二巻 P72 潮文社)
⇒ 霊的知識を学ぶと良心の声が聞こえだして内部に光が差し込み、自らの心が煩悩まみれで罪だらけであることに気がつきます。それでいて霊界への絶対的な信頼がもてないことから救いへの確信はなく、精神的には暗闇に居て自分がとても小さくみじめに見えるのです。実は、そのことが真の意味での謙虚さとなって、向上進化への道、霊界への信仰や霊的な成長に繋がっていくとシルバーバーチは語っています。
―取越苦労の原因として―
あなた方は全体像がつかめないという宿命的な立場に置かれております。あなた方に見えるのはホンの一部だけです。
(「シルバーバーチの霊訓」 二巻 P73 潮文社)
●物的身体に宿っている皆さんは、今生きている地上生活のことだけを考えます。それにひきかえ地上を去った私たちは、地上を無限に続く進化の歩みの中のほんのわずかな期間として捉えます。皆さんがとかく物事を見る焦点を間違えるのはそのためです。
(「シルバーバーチの教え」下巻 P72 スピリチュアリズム普及会)
―そのため往々にして―
●ある人が成功と思っていることが実は失敗であることがあり、失敗したと思っていることが実は成功だったりするものです。
(「シルバーバーチの霊訓」 二巻 P74 潮文社)
●今のあなたにとって重大と思える純粋に俗世的な問題―五十年後には何でもなかったとおもえるでしょうが、・・・P66
今あなたを悩ませている問題の多くは百年後にはすっかり忘れ去られていることでしょう。P69
(共に「シルバーバーチの霊訓」 二巻 潮文社)
―改めて、人生に“苦”があるのは―
●霊的身体の成長を決定づけるのは、(地上での)物的身体をとおして得られた体験です。
(「シルバーバーチの教え」 下巻 P72 スピリチュアリズム普及会)
●あなた方一人ひとりの内部に宿された霊性が発達するのは、日常生活で生じる問題をいかに解いていくか、その努力をしている時です。何もかもラクに片づいている内は成長しません。
(「シルバーバーチは語る」 P91 潮文社)
●あなたの人生も、あなたの個性をあなた自身で発達させるための手段だということです。
あなたの代わりにそれをやってくれる人はいないということです。魂の成長は個人的な問題です。
(「シルバーバーチの霊訓」 二巻 P71 潮文社)
―では“苦”への対処法は―
●他のあらゆるものを失い、取り逃がし、人生が底なし沼のように思われる時でも、(霊的)真理だけは必ずあなたの味方になってくれます。(その霊的真理は)不動の決意をもって泰然としていられる堅固な土台を提供してくれます。
(「シルバーバーチの霊訓」二巻 P65 潮文社)
●(霊的真理を)信じて頑張るのです。頑張りぬくのです。真実であると信じるもの(霊的真理)にしがみつき通すのです。 神は、あなたの方から見捨てないかぎり、絶対にあなたをお見捨てになりません。
(「シルバーバーチの霊訓」 二巻 P76 潮文社)
●自分の良心の命ずるままに行動しなさい、と。
(「シルバーバーチの霊訓」 二巻 P73 潮文社)
●いわゆる良心の声に従えるほど冷静になればわかります。良心はいつも見つめております。それで私は問題に対する回答はかならず自分で得ることが出来ます、と申しあげるのです。
(「シルバーバーチの霊訓」 二巻 P75 潮文社)
●万事うまくいくという信仰、大霊の摂理と調和して生きればそれ相当の実りを手にすることができるとの信仰を持ってしかるべきです。 中略 不安を完全に捨て去ることが出来てしかるべきです。大霊とその摂理(霊的真理)の保護のもとに生き、そして行動しておられるからです。”
(「シルバーバーチは語る」 五章 P84 潮文社)
―マトメー
“本当の自分”(霊魂)は物質界とは波動(波長)が異なるために、一旦、霊が物的身体をまとって地上界に出生すると、肉体の心である粗い波動の表面意識(顕在意識)が邪魔して“本当の自分”や霊界は潜在意識下に隠されてしまいます。
“本当の自分”が隠されたうえに、世間の荒波に日々私たちの心は翻弄され、大きな渦に巻き込まれて、さらには物質界の目くらませなどを毎日散々浴びせられ続けています。だからこそ、いくらシルバーバーチが霊訓で“あなたは大霊です”と語っても、一向にピンとこず、何度読んでもその言葉が心に残らず、当然、“本当の自分”は霊魂であるという自覚すら一切持てないのです。
しかしながら、このことによって霊性レベルの異なった者同士が同一の場、すなわち最も波動の粗い地上世界(物質界)という共通の場に、両極端の相対比較を通して摂理を学ぶために出生することが可能となるのです。
逆にいうと、このように波動(波長)が違うため霊界は五感に感じとれないので、私たちは霊界の存在を真底信じきることができず、私たちの霊界への信頼や信仰が常に揺れ動いています。
そのため、霊的知識を学んでいるにもかかわらず、常に心は不安定で霊界への不動の信仰や安心感が相変わらず持てていないのです。
それでも常日頃、霊的摂理にしがみつき摂理に順応した生活を粘り強く心掛けていると、霊的な視点で過去を振り返ってみたときに、これまでの“苦”の体験の真の意味、全体像が見えてくるようになります。そして、これまでのことは自らの霊的成長をうながすための霊界からの導きであったことに気づかされるのです。ここに至るまでの時間差は因果律同様、霊界での時間軸が物質界の太陽を基準とした機械的な地上の時間軸(24h)とは異なることからきています。
また、あわせてシルバーバーチが都度、その霊訓を通して私たちに語りかけ、導いてくれます。
とても地味で時間がかかり一見遠回りのようですが、このようにして少しずつ少しずつ霊界や背後霊への信頼につながっていくのです。
くり返しになりますが、霊界への不動の信頼を持つためには、このような霊的体験を何度も何度も繰り返す必要があります。私たちの心は潮の満ち引きの波のように霊界と地上界との間を引いては戻るの繰り返しで、残念ながらなかなか一足飛びにとはいかないものです。
それでもある程度この霊的な経験や実績を積んでくると、いつの間にか潮が大きく引いているようになっていて、魂“本当の自分”(大我)の導きに、意識している私(小我)は少しずつ任せられるようになっていきます。
将来が見通せない不安な出来事に対応して、これが自らの“魂”(本当の自分)に手綱をあずけるということです。
具体的には、始めはおっかなびっくりでも魂に手綱をあずけて煩悶を鎮めさせ、できるだけ霊的視点で物事を捉えて逃げずに向き合い、その都度精一杯良心の命ずるまま行動していれば良いということです。往々にして“良心の声”は、一番最初に聞こえてくるのが“良心の声”です。これが内的自我を表面に出しているということになります。
ひたすら努力してこれさえ守っていれば、いかなる渦中の中にあっても霊的真理(摂理・神)があなたを守り導いて、すべては佳きに計られるとシルバーバーチは約束しており、それが宇宙の法則、霊的真理であると明言しています。
“あなたに申し上げます。迷わず前進なさい。(なぜなら)これまでのあなたの人生で今日ほど魂が生き生きと目覚めておられる日はありません。(ですから)その魂に手綱をあずけてしまうのです。その魂に煩悶を鎮めさせるのです。すべては佳きに計らわれていることを知ってください。その安堵感の中にあってこそ、あなたの求めておられる魂の安らぎと静寂を見出されることでしょう。”
(「シルバーバーチの霊訓」 二巻 P76 潮文社)
“グループ・ソウル(類魂)とは” (雑記)(2023.3.28)
―「The Road to Immortality」 by Geraldine Cummins よりー
以前の寸感“インディビジュアリティと再生”、及び、“グループ・ソウルと霊的ダイヤモンド”に引き続いて、今回はこれらの裏付けとなっている“グループ・ソウル”(いわゆる類魂)について、「マイヤースの通信」(ジェラルディン・カミンズ著)より考察してみましょう。
引用文は以下の三冊の本からです。
なお、正確性、及び公平性を期すため、結果として今回は今まで以上に“寸感”の文書が特に長くなっておりますので、興味のある方のみどうかお読みください。
「フデレリック・マイヤースの通信」より“永遠の大道”(不滅への道)
●「The Road to Immortality」by Geraldine Cummins(White Crow Books発行)
●「永遠の大道」近藤千雄訳 スピリチュアリズム普及会発行
●「不滅への道」梅原伸太郎訳 世界心霊宝典Ⅱ 国書刊行会発行の三冊から引用しています。
なお、黒文字は原文からとその近藤訳であり、薄青文字は梅原訳、青文字は亀水訳です。
また、緑文字は私のコメントで、赤文字は要注意箇所となっております。
「The Road to Immortality 」(F.W.H.Myers)
六章 類魂 Chapter 6 “The Group-Soul” P29~P32
≪霊的意識の集団≫
The Group of Psychic consciousness
The Physical Body; A Group of Atomic Consciousness
●The group-soul is one and yet many. The informing spirit makes these souls one.
I think I have explained to you before, that as there are certain centres in the brain, so in psychic life there are a number of souls all bound together by one spirit, depending for their nourishment on that spirit.
類魂は、見方によっては単数でもあり複数でもある。一個の高級霊が複数の霊を一つにまとめているのである。脳の中に幾つかの中枢があるように、霊的生活においても、一個の統括霊によって結ばれた霊の一団があり、それが霊的養分を右の高級霊から貰うのである。
類魂は一にして多である。一つの霊が全体に生命を吹き込んで多数の魂を一つにまとめている。前にも述べたと思うが脳髄に中枢があるように、心霊的生命にあっては多くの魂が一つの霊によって結びつけられ、その霊によって養われているのである。
グループ・ソウルは一つであるといえるし、複数ともいえます。一個の(案内役の)霊(the informing spirit)は、これらの魂を一つにまとめています。以前に説明したと思いますが、脳には中枢があるごとく、霊的生活では、多くの魂が一つの霊によって結びつけられ、養われています。
⇒原文では、ここで明確に霊(spirit)と魂(soul)とを区別して使い分けられています。(亀水)
●When I was on earth I belonged to a group-soul, but its branches and the spirit –which might be compared to the roots - were in the invisible. Now, if you would understand psychic evolution, this group-soul must be studied and understood. For instance, it explains many of the difficulties that people will assure you can be removed only by the doctrine of reincarnation. You may think my statement frivolous, but the fact that we do appear on earth to be paying for the sins of another life is, in a certain sense, true. It was our life, and yet not our life. In other words, a soul belonging to the group of which I am a part lived that previous life which built up for me the framework of my earthly life, lived it before I had passed through the gates of birth, in this invisible world there is infinite variety of conditions. I can only speak of what I know. I do not claim to be infallible. Take the following as the axiom I would lay down for you.
地上時代の私もある一つの類魂団に属していた。が、自分以外の類魂と、その全てを養う統括霊―これらは根に相当すると考えればよい―は超物質の世界にいた。霊的進化の真相を理解せんとする者はぜひともこの類魂の原理を研究し、また理解しなければならない。これによって、例えば従来の再生説だけでは説明のつかない難問の多くが見事に片づく。
私はこの説を決して安直に述べているわけではない。例えば人間が地上に生をうけるのは、前世での罪の代価を払うためであるというのは、ある意味では真実である。が、その前世とは、自分の生涯といえると同時に自分の生涯ではないともいえる。つまり前世とは自分と同じ霊系の魂の一つが、私が誕生する以前に地上で送った生涯をさすもので、それが現在の自分の地上生活の型をこしらえているのである。
現在私が居住している超物質界には無限に近いほどの生活状態があるので、私はただ私の知っている限りのことしか述べられない。断じて間違ってないとは言わないが、大体これから述べるところを一つの定理として考えていただきたい。
⇒同じグループ・ソウル内の他の魂の人生で過去に発生させたカルマを私が引き継いで出生してくるとは、それは霊的ダイヤモンド(本霊)の側面facets同士だから可能になると考えられる。(亀水)
地上生活にあった時も私は類魂の一分枝に属していた。その場合本霊は目に見えない根のようなものである。霊的進化というものが分かるようになると、類魂についても学ぶ必要がでてくる。たとえば類魂の説が分かると、多くの疑問が再生の原理によって解決する。
馬鹿馬鹿しいと思うかも知れないが、われわれが前生で犯した罪の償いのために地上に再生するというのは、ある意味では本当なのである。前生は自分の一生であってまた自分の一生ではない。いいかえれば、私と同じ類魂に属する魂が私がこの世に生を受ける以前に前生生活を送り、私の地上生活のための枠組みを造ったのである。
この不可視の世界には無限に多様な生活状態がある。私が絶対に誤謬を犯さないというつもりはないが、以下に述べることは一つの公理であると考えていただきたい。
私は地上にいるとき一つのグループ・ソウルに属していましたが、そのグループ・ソウルの分枝と本霊は地下にあって地上からは見えない、根に譬えられる関係にありました。
今、もし霊的進化というものを理解したいのであれば、このグループ・ソウルなるものを学び理解されなければなりません。例えば、多くの問題は再生の概念によってのみ説明ができ、これらの諸問題が解決すると確信することでしょう。
私の考えは軽薄と思われるかもしれませんが、他の人生で発生した罪(カルマ)の支払いのために地上に現れるという事実はある意味真実です。それは我々の人生であり、且つ、我々の人生ではないともいえます。他の言い方をすると、私がその構成分子として所属しているグループの魂は、私が出生する前に地上人生を生きてきました。そして私の誕生前のその人生によって、私の地上人生のフレームワークが私のために作られることになります。
⇒ここの文面は、カルマは自己責任で償わなければならないという因果律の観点から、ここでの“グループ・ソウル”の魂とは、いわゆる“類魂”という独立した他の霊との集団のことではなく、一個の本霊(ダイヤモンド)の側面facetとしての魂同士のことであるという証拠ではないでしょうか。(亀水)
この見えない世界(霊界)には無限の条件がありますが、私は私の知っていることしか語れません。私はこれぞ絶対に確かだと主張することはできません。しかしながら、自明の理として次のことをあなたにお知らせいたします。
●Many Soul-men do not seek another earth life, but their spirit manifests itself many times on earth and it is the bond which holds together a group of souls, who, in the ascending scale of psychic evolution, act and react upon one another. So, when I talk of my spiritual forbears, I do not speak of my physical ancestors, I speak of those soul-ancestors who are bound to me by one spirit.
さて、ソウル・マンとなると大部分は二度と地上に戻りたいとは思わない。が、彼らを統括している霊は幾度でも地上生活を求める。そして、その統括霊が類魂どうしの強い絆となって、進化向上の過程において互いに反応し合い、刺激し合うのである。従って私が霊的祖先という時、それは肉体上の祖先のことではなく、そうした一個の霊によって私と結びついている類魂の先輩たちのことをいうのである。
魂的な次元の人の多くは再び地上に再生しようとは思わないものである。しかし彼の本霊は何度も地上に姿を現す。本霊は、霊的進化の途上にあって互いに作用しあう類魂を束ねているのである。私が霊的先祖というときは、たんなる肉体上の先祖のことをいうのではなく、一つの霊に束ねられている多くの魂の先祖のことをいっているのである。
多くのソウル・メン(多くの魂)は再度の地上人生を望みませんが、彼らの本霊(spirit・大我)は数多くの地上人生を送っており、その本霊は魂をグループとして互いに結びつけています。
⇒たとえ数多くの魂が再生を望まなくても、本霊の“ダイヤモンド”の側面facetsとしての魂soulsによって本霊は数多くの再生が可能になる、ということではないでしょうか。(亀水)
それらは霊的成長の段階をのぼり、お互いに作用したり反応しあったりしています。それ故、私が霊的な先祖のことを語るとき、血縁の先祖のことではなく、一つの本霊(神の分霊)によって私が繋がっているこれら多くの魂の先祖(霊的親族関係)のことを話しているのです。
●There may be contained within that spirit twenty souls, a hundred souls, a thousand souls. The number varies. It is different for each man. But what the Buddhists would call the karma I had brought with me from a previous life is, very frequently, not that of my life. I, too, wove a pattern for another of my group during my earthly career. We are all of us distinct, though we are influenced by others of our community on the various planes of being.
一個の統括霊の中に含まれる魂の数は二十の場合もあれば百の場合もあり、また千の場合もあり、その数は一定しない。ただ仏教でいうところの宿業は確かに前世から背負ってくるのであるが、それは往々にして私自身の前世のカルマではなくて、私よりずっと以前に地上生活を送った類魂の一つが残していった型のことをさすことがある。
同様に私も、自分が送った地上生活によって類魂の他の一人に型を残すことになる。
かくして我々は、いずれも独立した存在でありながら、同時にまた、いろいろな界で生活している他の霊的仲間たちからの影響を受けあうのである。
その本霊の中には二十とか百とか、千とかの魂が含まれている。
その数はいろいろであり、また人それぞれによって違いがある。しかし、仏教徒のいう前生からのカルマというのは、実は私のものではなく、私の遥か以前に地上に出て私の人生の型をつくって残したある魂のものである。
私もまたその生涯を通して同じ類魂の他の魂のためにある型の模様を織りなすのである。われわれは種々異なる界にいる仲間の魂たちの影響を受けはするが、しかし互いに独立した存在なのである。
その本霊spiritの中には、二十の魂soulsや百の魂、千の魂からできたものもあります。数は様々です。人それぞれによって異なるのです。しかし仏教徒が、私の前世から持ち込んだ“カルマ”と呼んでいるものは、多くの場合、私の人生によるものではないのです。私もまた、自身の地上時代には私の所属するグループの他の人のためにパターンを織ってきました。
私たちは皆個々の存在ですが、様々な界層で生活しているコミュニティーの他の魂たちの影響を受けております。
⇒大霊の分霊としての霊(spirit)が肉体に宿り地上世界に誕生することによって、自我(エゴ)を認識し、自我意識(個性)をもったものが魂(soul)です。霊が肉体をまとって自己を顕現しつつ地上時代につくったカルマは、霊を内在したこの魂にくっついているのです。
(「シルバーバーチの教え」下巻 23章“霊とは何か”を参照)
また、二十の魂等は、一個の本霊(one spirit)である“ダイヤモンド”の側面facetsの魂の数のことです。さらにまた、同じ“グループ・ソウル”内の他人の過去の“カルマ”を今生で私が清算すると述べられています。“カルマ”(原因)は自己責任で解消(結果)するという宇宙の第一法則があり、この“原因と結果”の因果律の観点から、ここでいう“グループ・ソウル”とは、霊格が同じレベルであって、それぞれが独立した異なった霊同士がグループ化したいわゆる“類魂”のことではなく、もっとシンプルに理解して、一個の本霊の“ダイヤモンド”の側面facetsの魂同士のグループのことを指しているのではないでしょうか。(亀水)
●When your Buddhist speaks of the cycle of births, of man’s continual return to earth, he utters but a half-truth. And often half a truth is more inaccurate than an entire misstatement. I shall not live again on earth, but a new soul, one who will join our group, will shortly enter into the pattern or karma I have woven for him on earth. No doubt karma is a word I use incorrectly here. For it is something more and
something less than karma that he inherits. I am, therefore, a kingdom, and yet I am but a unit in that kingdom.
仏教が昌道する再生輪廻説、すなわち何度も地上生活を繰り返すという説明は、半面の真理しか述べていない。この半面の真理というのは往々にして完全な誤謬よりも悪影響を及ぼすことがある。私自身は二度と地上に現れることはないであろう。が、自分と同系の他の魂は、私がかって地上でこしらえたカルマの中に入ることになる。ただし私がカルマという用語を用いる時、それらは従来のカルマと同じものではない。私は私としての王国をもっているが、それすら大きな連邦の一単位に過ぎないのである。
仏教徒が輪廻転生について語る時、それは半分の真実を語っているのである。そして半分の真実とはしばしば、全面的誤謬よりも不正確であることが多いものだ。私という存在は二度とこの世には再生しないのである。がしかし、わが類魂の中に加わろうとする新しい魂が、私が織り込んでおいた模様ないしカルマの中に暫しの間入り込む。私はここで「カルマ」という語を甚だ漠然と用いている。というのも新しい魂が受け継ぐのはカルマ以上のものであり、また以下のものである。つまり、私とは一個の王国のようなもので、更に言えば王国の一構成員のようなものである。
仏教徒が輪廻転生の話をするとき、地上への連続した再生を口に出しますが、それは半分の真理です。そして、しばしば半分の真理は全くの間違いよりももっと不正確です。
私は再び地上で生きることはありませんが、私たちのグループと結ばれた新しい魂(グループ・ソウル)は、私が地上で彼のために織った“カルマ”、または“型”(パターン)の中に、間もなく入り込むことになります。
⇒この箇所は、前記同様、自己責任(完結)という因果律としての“カルマ”の観点から、ここでいう“グループ・ソウル”とはいわゆる“類魂”のことではなく、一個の霊の“ダイヤモンド”の側面facetsとしての魂の集合体(グループ)のことを指している証拠ではないでしょうか。(亀水)
私はここで、“カルマ”という言葉を明らかに不正確に用いています。何故なら、カルマ以上であり、カルマ以下でもある何かを彼は受け継ぐからです。故に私は王国(小我)でありながら、その王国の一単位(側面facets)にすぎないということです。
⇒ここでいうカルマとは、仏教でいう罪の償いだけを引き継ぐのではないという意味で、不正確といっている。(例えば絵画や音楽などの才能、偏狭な信仰や酒乱など)(亀水)
●You may say to me that, for the Soul-man, one earth life is not enough. But, as we evolve here, we enter into those memories and experiences of other lives that are to be found in the existence of the souls that preceded us, and are of our group.
こう述べると、中にはソウル・マンにとっても一回の地上生活では十分でないのではないかという人がいるかもしれない。が、こちらで進化を遂げると、同一の霊系の魂の記憶と経験の中へ入り込むことが出来るようになるのである。
魂的次元の人にとってはただ一回の地上生活では不足だという人がいるかもしれない。しかし魂がこちらで進歩すると、自分に先立つ類魂の魂が地上で過ごした生活の記憶や経験の中に入っていくのである。
ソウル・マンにとって地上の一回の人生では十分ではない、とあなたは言うかもしれませんが、私たちはここ(霊界)で進化するにつれ、所属するグループ内の先行した魂たちの人生の記憶や経験の中に入ることができるようになるのです。
●I do not say that this theory, which I offer you, can be laid down as a general rule. But undoubtedly it is true in so far as it is what I have learned and experienced.
Now, this speculation- as you would probably call it is interesting when applied to genius. The souls who have preceded us on earth naturally stamp us mentally and morally. If a certain type of psyche is continually being evolved in the one group, you will find that eventually that type, if it be musical, will have a musical genius as its representative on earth. It will then have the amazing unconscious knowledge that is the property of genius.
私はこの類魂説が一般的通則として想定されるべきであるとは言わない。が、私の知るかぎり、私の経験したかぎりにおいて、断じて正しいと信じる。
この試論―そう呼ぶ人が多分いると思うーは、天才のケースに適用した時に極めて興味深い。我々以前に地上に出現した魂は精神的にも道徳的にも、当然、我々に何らかの影響を与えるに相違ない。従ってある特殊な類魂の内部で、ある特殊な能力、例えば音楽的才能が連続的に開拓されたら、最後にはその特殊な能力が地上の代表者に顕著に現れるはずである。即ち幾つかの前世中に蓄積された傾向が驚くべき無意識の情報となって、一人の地上の代表者の所有物となるのである。
私はここで述べた理論が普遍的法則として通用するものかどうかを確信することはしない。しかし疑いもなく、これは私の学び経験しえた範囲内での真実である。
こうした思弁――とあなた方は言うであろう――を天才の問題にあてはめてみると興味深い。地上でわれわれに先立つ一生を過ごした魂は当然のことながら精神的、道徳的影響をわれわれに刻印する。
今ここに或る霊魂の特性が一つの類魂団の中で開発され続けているとして、その特性が仮に音楽であるとすると、あなた方は地上におけるその類魂の代表者として音楽の天才を見出すことになるのである。
その魂は過去の類魂のあらゆる生涯の傾向をみごとに収穫し、天才の特質たる驚嘆すべき無意識的知識を所有することになるであろう。
私があなたに示すこの論理は一般的な法則であるとは断定できません。しかしながら、疑いもなくそれは私が今まで学んできて、経験してきた限りにおいて真理なのです。
そこでこの推測、あなたはたぶんこういうでしょうが、天才に適用されるとおもしろくなってきます。
地上に私たちよりも先だってきた魂は、自然と私たちに精神的、また倫理的に烙印を押すことになります。
もしも一つのグループ内で、あるタイプの特性が進化を続けたならば、例えばそれが音楽の才能だとすると、やがて、そのグループの地上における代表として音楽的な天才を見出すことになります。驚くべき無意識の知識を財産として有する天才です。
⇒良い面ばかりではなく、もって生まれた性格傾向として、暴力や酒乱、薬物中毒、色情狂、度を越した金銭欲、物欲など、先行する他の魂の人生で魂に刻み込まれた負の性格面でも同じことがいえるのではないでしょうか。(亀水)
●Here, in the After-death, we become more and more aware of this group-soul as we make progress. Eventually we enter into it and share the experiences of our brethren.
You must understand, therefore, that existence for my soul-as separate and apart from my individual ego-is dual. I lived two lives, one in the world of form, and one subjective, in the community of which I am a member.
我々は、この死後の世界へ来て霊的に向上して行くにつれて、次第に類魂の存在を自覚するようになる。そして遂には個人的存在に別れを告げて類魂の中に没入し、仲間たちの経験までも我が物としてしまう。と言うことは、結局人間の存在には二つの面があると理解していただきたいのである。即ち一つは形態に宿っての客観的存在であり、もう一つは類魂の一員としての主観的存在である。
死後のこちらの世界で、われわれは進歩の度合いに応じて類魂というものに気づかされていく。結局われわれはその中に入っていき、わが仲間たちの経験を自分のものとする。それ故魂としてのわれわれの生活は――自分の個人的自我は別として――二重生活なのだということを理解する必要がある。
私は同時に二つの生を生きる。つまり、一つは形態の中での生活、また他の一つはわが属する共同体の意識の中での心的な生活である。
死後、私たちは進化するにつれてこの“グループ・ソウル”のことを、より一層意識するようになります。やがて私たちはグループ・ソウルに入り、同胞の経験を共有するのです。
従って、理解していただかなければならないのは、私個人の自我(大我)から分離した私の魂は、二重の存在であるということです。
私は二つの生を生きてきました。一つは形態(客観的な肉体・霊体)の世界での生、もう一つは、所属するコミュニティ(グループ・ソウル:ダイヤモンド)のメンバーとしての主観的な生です。(主体として他の魂に“鋳型”などの刻印や影響を与えている)
●Men and women may not care to accept these statements of mine. They long either for an indestructible individuality in the Hereafter or for a kind of spiritual swoon in the life of God. You will perceive in my analysis of the group-soul that we are individuals and more particularly to the Fifth stage, you will realise how fine and beautiful is this brotherhood within the one being; how it deepens and intensifies existence; how it destroys the cold selfishness so necessary to an earth life, where one living creature must continually destroy another’s manifestation in matter in order to maintain its physical life.
地上の人間は私のこの類魂説をすぐには受け入れてくれないかも知れない。多分死後においての不変の独立性に憧れるか、あるいは神の大生命の中に一種の精神的気絶を遂げたいとおもうであろう。が、私の類魂説の中にはその二つの要素が含まれている。即ち我々は立派な個性を持った存在であり続けると同時に、全体の中の不可欠の一員でもあり続けるのである。
私のいう色彩界、とくに次の光焔界まで進んでくると、全体としての内面的な協調の生活がいかに素晴らしく、またいかに美しいかがしみじみと分かってくる。“存在”の意義がここに来て一段と深まり、そして強くなる。また、ここに来て初めて地上生活では免れない自己中心性、つまり自分の物的生命を維持するために絶え間なく他の物的生命を破壊して行かねばならないという、地上的必要悪から完全に解脱する。
地上の人々は、ここに私の述べたことを理解しようとしないかもしれない。彼らは死後の世界における不壊(ふえ)の個体性とか、神の生命の中へ霊的融合とかに憧れを持っているのである。あなた方は私の類魂分析によって、われわれは個人であるとともに全体の一員であることを理解されたであろう。
そして第四界から特に第五界まで上がると、仲間たちが一つのものの中で結ばれていることの素晴らしさを知り、それが如何に全体の生活を深め、高め、かつ地上にあっては不可避のものたる冷淡な利己心を破壊していくかということに気がつくことであろう。地上においてはご承知のように、一つの生物はその物質的生命の維持のために他の生命を絶えず破壊し続けなければならないのである。
地上の人間は、私が述べるこれらの言葉を受け入れようとしないかもしれませんね。皆それよりも死後の不滅の個性や、神との陶酔的な霊的没入のようなものを求めているのです。
私の“グループ・ソウル”の分析の中に次のことを見てとるでしょう。私たちは個別的な存在であり、且つ、一個の全体のメンバー員でもあるということ。さらには、特に第五ステージにまでくると、全体が一体となるこの兄弟愛がいかにすばらしく、美しいかに気付くようになり、また、その兄弟愛によって存在というものが一層深みと強さを増していくこと、さらにはまた、地上でやむを得ず繰り返される冷酷な利己主義―ひとつの生き物が地上人生を維持するために他の生き物の物的表現を破壊せざるを得ない状況―をいかにして破壊するかを悟ることでしょう。
●In the Fourth stage the soul become sensitive of the group-soul, and through the awareness there arises a great change. He begins gropingly to realise the character of experience, the possibility of mind; and in this Fourth stage if he is a Soul-man he is peculiarly liable to error. That is to say, once he becomes cognisant of the group-soul and of its many emotional and intellectual experiences he may. If a certain section of that group-soul be in a fixed mould, take upon himself its shape and remain within it for aeons of time,in this connection when I write “mould” I desire to indicate a certain special outlook.
類魂の真相が分かり始めるのは色彩界に到達してからで、そこから一大変革を遂げることになる。各自は一歩一歩に経験の性質、精神の威力を探りはじめる。その際、もしも彼がソウル・マンであれば、時としてとんでもない過ちを犯す危険性がある。類魂たちの知的ならびに情緒的経験に通曙して行くうちに、時として類魂中のある部分に作りつけの雛形に逢着することがある。うっかりすると彼はその雛形にはまり込んでしまい、幾千年にもわたって一歩も歩み出せなくなることがあるのである。
第四界においては、魂は類魂の生活に気づくようになり、それによって偉大な進歩を遂げる。彼は経験というものの性格、つまり心の可能性を一気に知るようになるのだが、第四界においては魂的次元の人であれば、未だまだ過ちに陥りやすい。
というのも、類魂について知り、他の類魂の仲間たちの感情的、知的経験を共有してゆく途中で、ある鋳型にはまった類魂の一局面に捉えられてしまうと、その魂は永くその鋳型から脱け出られなくなるからである。
第四ステージでは、魂は“グループ・ソウル”に敏感に気づくようになります。そして、この気づきは大きな変化をもたらします。彼は経験の意味や心の可能性を理解しようと手探りを始めます。そして、この第四ステージでは、もし彼が“ソウル・マン”であれば、特に間違いを犯しやすい傾向にあります。つまり、彼が“グループ・ソウル”を一度認識するようになると、その多くの感情や知的な経験も認識するようになります。もしもその“グループ・ソウル”のある部分が固定された“鋳型”の中にあると、彼は計り知れないほどの年月その“鋳型”を取って留まり続けることもあります。
私が“鋳型”と書いたことに関連して、ある特別な様相を示したいと思います。
●For instance, a fanatical Buddhist or a very devout Christian may be held within the groove of his earthly beliefs. For those other souls in his community are, perhaps, also, held in the chains of those particular ideas. So there he may remain, making no progress, in a thought or in a memory world which consists of the Christian or of the Buddhist dream. He is held fast in the tentacles of an octopus. This octopus is the earthly Christian or Buddhist idea of an Afterlife, their view of the universe as created when on earth.
右の雛形というのは地上生活中に作り上げられた宗教的信条といった類いのもので、例えば狂信的仏教徒や敬虔この上ないキリスト教徒が地上時代の信仰の轍にはまり込んでしまう。そこでは恐らく同系統の仲間も同じ教説によって足枷をはめられていることであろう。一歩も向上しないまま、キリスト教的な夢想や仏教的な幻想がこしらえた想念や記憶の中に留まり続けるのである。言うなればタコの触手に引っかかったようなものであろう。その“タコ”が地上でこしらえた“死後”に関する想念であり宇宙観なのである。
そうした例としてある特殊な世界にはまり込む場合をあげたい。例えば狂信的な仏教徒やキリスト教徒たちはこうした地上時代の信念の溝の中に落ち込んでいる。
それというのも、そのグループの他の類魂たちも同じような観念の鎖に縛られてしまっているからである。そのためにその魂たちは進歩せず、キリスト教徒や仏教徒をつくりあげている――思想ないし――記憶の世界に留まり続ける。まるでタコの足にしっかり捕らえられてしまったようである。
タコとは即ち、死後の世界について彼らの持つ地上的観念、つまり地上でつくりあげられた世界観にほかならないのである。
例えば、狂信的な仏教徒や敬虔なクリスチャンたちは、彼の地上の信仰の溝の中に留まり続けるでしょう。彼のコミュニティにおける他の魂たち(グループ・ソウル)にとっても、おそらくまた、これらの特種な考え方に繋ぎ留められていることでしょう。
そこで彼は進歩もせず、キリスト教徒あるいは仏教徒の夢からなる記憶の世界の中で留まり続けるでしょう。彼はタコの触手にしっかりと捕らえられているのです。
このタコとは、クリスチャンや仏教徒の地上的な死後の想念のことで、地上時代につくられた彼らの宇宙観なのです。
●Now, you will recognize that such conditions tend to inhibit progress. For it means-to use another metaphor-dwelling in an intellectual chrysalis, living in the past earthly conceptions. And it is needful that the journeying soul should come to a state
in which he can at will survey them, but not be held by them, or be imprisoned in their limitations.
そうした境涯が進歩を阻害することは理解できるであろう。別の譬えで言えば、それは一種の“知的なさなぎ”のようなもので、そこでは過去の地上での考えのままの生活が延々と営なわれている。向上の道にある者が客観的にその境涯を考察するのは結構であり必要でもあろう。しかし断じてその中に引きずり込まれたり、狭い牢獄に閉じ込められたりしてはならない。
こうした状態が進歩を妨げることはお分かりであろう。それは他の比喩をもって言えば、知的さなぎの中に住んで過去の地上的観念に生きることになるからである。旅する魂がそれらの観念を自分の意志で検討できるようになることは必要なことであるが、それに捕らわれたり閉じ込められたりしないことが大切である。
このような条件が進化を妨げることになりがちであることを、お分かりいただけたでしょう。別の隠喩を用いると、それは過去の地上時代の概念の中で今も生きていて、知的さなぎの中にひたりきっていることを意味しています。
求められているのは、旅する魂がそれらを自分の意思で検証できること、概念に囚われたり、設けられた制限の檻に閉じ込められることのない状態に至ることです。
≪スピリット・マン≫
⇒ここでいう“スピリット・マン”とは、ナザレのイエスのような人間をいい、今までの“ソウル・マン”とは、“spirit”と“soul”で明確に区別して用いられています。(亀水)
Spirit-man
●Spirit-man is not caught in this eidolon or living ghost, in this wraith of earthly beliefs. The great masters are not thus ensnared. Christ, the Son of God, entered into Hades, but He did not abide in any of the other planes of being. Christ, being inspired directly by God, was connected with no group-soul. He passed from Hades out Yonder; for His physical body was, during His lifetime on earth, the direct expression in the clay of the Essence, the Imagination of God. Truly, Christ was a limited expression of the Whole, was in earthly life linked to the Whole. But every Christian born upon the earth is inspired by some individualized spirit. When I write “individualized”
I desire to indicate that it is a thought of God; it is not, therefore, the Whole, it is not the Fount of all life.
私のいうスピリット・マン、つまり霊性に目覚めた高僧・哲人になると、そうした地上時代の思想信仰の鳥もちに引っかかることはない。例えば神の子とまで呼ばれたイエス・キリストは、いったん冥府には立ち寄ったであろうが、その後は数ある界層を一々体験することはなかった。神の直接のインスピレーションに接していたイエスはいずれの類魂団にも属さず、冥府から一気に超越界へと上昇して行った。それほどイエスの身体は、地上時代の肉体からして、神の思念の純粋な具現そのものだった。
まさしくイエスは大霊が局部的に顕現したものだった。地上においても常に大霊と直接のつながりを保っていた。それに引き替え、聖人の位に列せられているクリスチャンは高級な個霊(統括霊)とつながっていた。私が“個”と呼ぶ時、それは神の思念の一つということで、従って全生命の源である大霊の直接の顕現ではない。
霊的な人はこうした幻とか亡霊とか地上的信念の遺物のごときものに捕らわれることはない。
したがって、偉大な人類の師たちがこのようなワナにかかってしまうことはないのである。神の子たるイエスは一旦冥府に入りはしたが、その後いかなる階層にも留まらなかった。
キリストは直接神によって命を吹き込まれていたので、類魂とは関わりを持たなかった。彼は冥府から一直線に彼岸へと向かった。というのも、地上にいた間の彼の物質的身体は、神の想像力である本質が物質の中へ直接に具現したものであったからである。
まことにキリストこそは全体者の一部がそのまま姿を現したものであり、彼はこの世にあるときも絶えず全体者と結びついていたのである。しかるに、地上にキリスト教徒として生まれる人々は昔、ある個別的霊から生命を与えられている。個別的と言うのは、神の一思想のことである。それ故それは全体者そのものではなく、また全生命の源泉でもない。
スピリット・マンはこのような幻影や生きた幽霊、地上的な信仰という亡霊に囚われることはありません。偉大なマスター達はこのような誘惑はされません。キリスト、神の一人子は黄泉の国に入りましたが、他の界層には一切留まりませんでした。神から直接インスピレーションを得ていたキリストは、グループ・ソウルには属していませんでした。
彼はその肉体のために黄泉の国を一気に通過し彼方へ向かいましたが、彼の地上人生は、人体をまとった“本質”そのもの、その肉体を通して神の想像力が直に具現されていたからです。
正に、キリストは全体としての神の局限した表現であり、地上で過ごした人生も神と繋がっていました。
地上に生まれた全てのクリスチャンは、ある個性をもった霊によってインスピレーションを受けているのです。
ここで私が“個性化された”と書く時、それは神の思念の一つなのです。それ故、それは神の全てではなく、全生命の源泉(神)から直接来ているのでもないのです。
●So there are numerous fanatical Christians who, though they led lives of rectitude on earth, committed certain intellectual sins. These might be summed up in the phrase rigidity of thought, an outlook limited by fanaticism.”
Briefly, they are wedded to a limited concept, in the fourth stage of existence they must learn how to escape from such a prison if they are to make further progress, these remarks apply equally to Buddhists, Mahommedans, and all those other fanatical adherents of various religions or, as in the modern world, of scientific conceptions, for science tends more and more to become a religion or special outlook for many human beings.
その辺の理解を誤った狂信的なクリスチャンの中には、確かにクリスチャンとして実直な地上人生を送ったかも知れないが、ある種の知的罪悪を犯している者が多い。一言にして尽くせば“思想的硬直”あるいは“狂信による視野の狭窄”とでも言えようか。要するに狭い概念に執着しているのである。
第四界まで来た者がさらなる進化を望むならば、そうした牢獄から脱け出る方法を学ばなくてはならない。クリスチャンに限らない。仏教徒やマホメット教徒、その他、ありとあらゆる宗教の熱烈な信者や、近代の科学的発達によって生まれた学問的思想家についても同じことが言える。科学が一種の宗教的様相を呈してきているのである。
こうしたわけで、多くのキリスト教徒たちは、地上において正直な生活を送りはするけれども、ある種の知的罪障を犯していることになる。これを一言でいえば「硬直した思想」であり、「幻想によって限界づけられた世界」である。
つまり偏狭な観念に耽っているということである。第四界の生活では、更に進歩しようとするなら、こうした観念の檻の中から抜け出すすべを学ばなくてはいけない。
これらのことは仏教、マホメット教その他様々な宗教の狂信的な信奉者にもいえることである。近代社会においては科学的な諸観念もこのうちに入るのである。何故なら、科学は次第に人類における多数者の宗教となり、特殊な世界観となる傾向がみられるからである。
そのため、地上で実直に生きてきたけれども、ある知的な罪を犯している多くの熱狂的なクリスチャンがいます。これらの知的な罪とは、偏狭な狂信で凝り固まった頑固な考えという言葉に集約されます。
端的に言うと、硬直した概念と結婚しているのです。存在の第四ステージでは、さらなる成長を遂げるためには、このような牢獄から逃れる術を学ばなければなりません。
同じことが仏教徒やイスラム教徒、その他各種の宗教的狂信者において、また、近代世界では科学的な概念においてもいえます。唯物万能主義や科学は一層宗教の様相になってきており、多くの人間にとって特別な人生観となってきているからです。
●Now, if the soul is to pass from the Fourth to the Fifth stage he must first shake off, cast from him any dogma, any special earthly outlook which has shaped his mentality, which confines it; so that his vison is limited, and his experiences are, therefore, also limited; consciousness of reality being thus withheld from him.
そういう次第で、第四界から第五界へと向上するには、まず宗教的および学問的ドグマ、つまり地上時代の精神構造を作り上げていた特殊な概念をかなぐり棄てなければならない。
それが魂を縛りつけているからである。それによって視野が狭められ、それによって体験も限られ、かくして存在の認識が制約されているのである。
さて魂がいよいよ第四界から第五界へと進んでいくためには、あらゆるドグマを投げ捨て、その心の状態を形づくり限定する地上的世界観を振り捨てる必要がある。何故ならその描く世界が偏狭なために、その魂の持つ意識に現実性がともなわぬためである。
それで、魂が第四ステージを通過し第五ステージへと進むためには、先ずあらゆるドグマや特殊な地上的価値観を振るい落とし、捨て去らなければなりません。それらのドグマがその人の心を形づけて縛り付け、視界を制限し、すなわち体験を限定してきたため、現実を認識することができなくなっていたのです。
[付記]
以上、三回の“寸感”にわたって、“インディビジュアリティ”(大きな意識体)、“霊的ダイヤモンド”、及び“グループ・ソウル”(類魂)について、原文を引用しその意味するところを検証してきました。
これまで霊性レベルが同じ独立した別々の霊が大きな集団をつくっているものを“グループ・ソウル”、いわゆる“類魂”と呼んできました。
しかしながらそうではなく、因果律の観点から先に地上人生を歩んだ“グループ・ソウル”内の別の魂の“カルマ”や才能をあなたは引き継いで地上界に出生してくるという点を根拠として、私としては、“グループ・ソウル”とは一つの大きな意識体である“インディビジュアリティ”(本霊)としてのダイヤモンドを形づくっている面々facets同士の魂の集団(霊的親族関係)のことであるとの結論に至りました。
≪具体的な一例≫
―Does not your explanation of “split” consciousness express the same truth as F.W.H.Myers`s declaration regarding “group” souls?
―分割された意識体というあなたの説明は、マイヤーズのいう“グループ”ソウルと同じ真理を表したものではないでしょうか?(亀水訳)
“It is really the same thing, except that it is not grouping of different souls, but a union of the different portions of consciousness returning to complete the whole.”
“全く同じものです。但し、グループ・ソウルとは、異なった魂同士を集めたものではなく、戻って全体を完成させるところの大きな意識体の異なった部分同士のことです。”(亀水訳)
(「シルバーバーチの教え」 上巻 十三章 P221 スピリチュアリズム普及会発行)
“グループ・ソウル(類魂)と霊的ダイヤモンド(インディビジュアリティ)” (雑記)(2023.3.3)
(はじめに)
〇黒文字は近藤千雄訳(潮文社発行)
〇緑文字は原文からの引用
〇青文字は亀水特記
〇赤文字は要注意箇所です。
今回は、前回に引き続き、“グループ・ソウル(いわゆる類魂)とは、同じ霊格を具えた霊の集団のことではなく、インディビジュアリティである一個のダイヤモンドのカット面facetにたとえられている“魂”の集合したものであることの検証を、以下の「シルバーバーチの霊訓」から行います。
Ⅰ.≪霊的ダイヤモンドとは何か≫
●「シルバーバーチの霊訓」四巻 三章 “再生の原理”より(潮文社発行)
───霊にいくつかの側面があり、その内の一つが地上に生れ、残りは他の世界で生活することもあり得る、という風におっしゃいましたが、もう少し詳しく説明していただけませんか。
“私に言わせれば、霊とはあなた方のいう神 God 、私のいう大霊 Great Spirit の一部分です。あなた方に理解のいく用語で表現しようにも、これ以上の言い方は出来ません。生命力 life force 動力 dynamic、活力 vitality、本質 real essence、神性 divinity、それが霊です。
かりに私が“あなたはどなたですか”と尋ねたらどう答えますか。“私は〇〇と申すものです”などと名前を教えてくれても、あなたがどんな方か皆目分かりません。
個性があり、判断力を持ち、思考力を具え、愛を知り、そして地上の人間的体験を織りなす数々の情緒を表現することの出来る人───それがあなたであり、あなたという霊です。その霊があるからこそ肉体も地上生活が営めるのです。
霊がひっこめば肉体は死にます。霊そのものに名前はありません。神性を具えているが故に無限の可能性を持っています。無限ですから無限の表現も可能なわけです。
その霊にいくつかの面があります。それを私はダイヤモンドに譬えるわけです。それぞれの面が違った時期に地上に誕生して他の面の進化のために体験を求めるのです。” P75
Ⅱ.≪インディビジュアリティと霊的ダイヤモンドとは同じもの≫
●十巻 七章 “再生問題を語る”より (潮文社発行)
───その息子は再生というものを信じているらしいのです。しかし今自分の父親が死にかかっているのを見て不安を抱いております。父親が死んで家族が別れ別れになったあと、父親がどこかに再生してしまえば、はたしてうまく再会できるかどうかが心配だと言うのです。
“私は再生が事実であることを、いささかの躊躇もなく断言します。ただ私は、すべての人が再生するとは言っておりません。私が言っているのは、人間の個性というのはそれ自体が独立した存在ではなくて、大きなダイヤモンドの無数の側面の一つにすぎないこと。
その側面が地上へ誕生して体験を積み、それによって得られる霊的成長をダイヤモンドに持ち帰って、一段と光沢と輝きを増すことになるということです。
それは、支払うべき霊的借金とでもいうべき宿業(カルマ)を持った人が因果律の働きで戻って来る場合もありますし、進化した高級霊が特定のグループ、時には特定の国家のために貢献する使命を持って降誕する場合もあります。その霊の持つ資質と才能とがその地域の人たちに必要だからです。
これはとても複雑な問題です。私がダイヤモンドに例えているインディビジュアリティというのがあり、それは、たった一回の地上生活で発揮されるパーソナリティ(人物像)よりもはるかに大きなものであるということが理解できるようでなければ、この問題は扱えません。
そのパーソナリティとインディビジュアリティとを混同している方が多いようです。一個のインディビジュアリティがいくつもの分霊(魂 亀水)を出して地上に沢山のパーソナリティを持つことが出来ます。インディビジュアリティの物的表現、ないしは顕現です。数は沢山ですが、同じインディビジュアリティから出ているのです。パーソナリティというのは仮面を意味するラテン語のパーソナから来た言葉で、物的身体にまつわるものを意味します。インディビジュアリティが五つの物的感覚を通して自我を表現するための道具であり、氷山に例えれば水面上に出ているほんの一部に過ぎません。
パーソナリティは地上でつけているマスクです。インディビジュアリティ、つまり本当の自我はめったに顔を出しません。(五感に邪魔されて)出そうにも出せないのです。死によって肉体から分離した時に自覚される大きな自我に比べると実にお粗末なものしか表現しておりません。このようにインディビジュアリティはパーソナリティよりはるかに大きなものです。死後に生き続けるのはパーソナリティではありません。パーソナリティはインディビジュアリティによって投影された影にすぎません。
そのインディビジュアリティが、肉体の死後、地上で発揮されなかった潜在的可能性を少しずつ発揮していきます。
地上での特別な使命が託されている場合はインディビジュアリティの比較的大きい部分───多くの側面───がまとまって一個の肉体に宿ります。この場合にもダイヤモンドの光沢を増すための体験を積むという目的も兼ねているのです。
一つの大きな魂(インディビジュアリティ)があって、それに幾つもの部分的側面があります。それらが別々の時代にパーソナリティとして地上に生を受けます。が、寿命を終えて霊界へ戻ってきた時も一個のインディビジュアリティの側面であることに変わりありません。”
P114
⇒ここでインディビジュアリティとダイヤモンドは同じものであることが分かります。そのダイヤモンドは幾つもの部分的側面(魂)によって光沢を増していくのです。
──“霊”(スピリット)と“魂”(ソウル)の違いについて教えていただけませんか。
スピリチュアリズムの七つの綱領の中で私たちは死後の個性の存続をうたっておりますが、次に生まれ変わる時、実際に再生するのは最初の霊の個性とは別のものでしょうか。
“これはまた厄介な質問をしてくださいました。問題は用語にあります。言語を超えたものを説明するための用語を見つけなければならないので厄介なのです。
魂と霊の違いがその好例です。使用する際にはどういう意味で使用するかを明確にしないといけません。ここでは単純に、魂とは無限なる宇宙の大霊から出た分子、粒子、神性ということにしましょう。そして霊とはその魂の媒質です。
それが肉体から分離すると地上時代よりはるかに自由自在に機能を発揮するようになります。肉体は物質でできています。それが霊の表現を制約しているのです。
それゆえ、あなた方は霊をたずさえた魂であり、それが肉体を通して自我を表現しているのです。パーソナリティというのはその肉体を携えた地上生活において表現されている側面のことでしかありません。それは本当の自我であるインディビジュアリティのごく小さな一部にすぎません。肉体に包まれているために存分に自我を発揮できないのです。” P119
⇒過去から未来永劫にわたって常に存在している霊(spirit:大霊の分霊)が、肉体に宿り地上世界に誕生することによって、自我(エゴ)を認識し、自我意識(個性)を持った霊が魂
(soul)といいます。
霊が肉体をまとって自我を顕現しながら地上時代につくったカルマは、因果律によって必然的に霊を内在したこの魂に残っているのです。
この一つ一つの魂がダイヤモンドのカット面(側面facet)となり、いくつもの側面facetsが同じ本霊(真の自我)から別々に異なった時代に地上に体験を求めて出生してくるわけです。
───ある書物に、われわれは同時に二つの場所に生まれ出ることができると書いてありました。事実でしょうか。
“私は、真の自我であるダイヤモンドには無数の側面があり、それがさまざまな体験を持ち帰ってダイヤモンドの光沢を増す、という考えです。ダイヤモンド全体が一度に生まれてくることはありません。いかなる身体もインディビジュアリティのすべてを宿すことは不可能だからです。パーソナリティとインディビジュアリティの違いを理解しないといけません。パーソナリティというのは物的身体を通して顕現した地上だけの人物像です。インディビジュアリティというのは魂の全体像です。その全体像を地上で七〇年や八〇年、あるいは九〇年の間に発揮することは到底不可能です。
“われわれ”とおっしゃった同じダイヤモンドの仲間の別の側面が同時に地上へ誕生することは有り得ることです。が、すべては法則と秩序によって規制されております。その時期が来るまでは余計な心配はなさらぬことです。
もう一度生まれ変わりたいという願望を持つようになる人がいます。奉仕的活動をしたいという場合もあります。成し遂げたい仕事がある場合もあります。償わねばならないカルマ的な“借金”が残っている場合もあります。そういう人たちが地上へ再生するのです。
二度、三度と繰り返すこともあります。が、いずれの場合も再生してくるのは真の自我すなわちインディビジュアリティの側面の一つです。
再生したくないのであれば、何もこの暗いじめじめした陰鬱な世界へ戻ってくる必要はありません。真の自我に目覚めた人は再生してくる必要はありません。” P122
───霊界へ行ってからでもカルマを清算することが出来るのでしょうか。
“無論です。それが普通です。” P125
Ⅲ.≪グループ・ソウル(いわゆる類魂)とは霊的ダイヤモンド のことである≫
───あなたがダイヤモンドに譬えておられるその“類魂”について、もう少し説明していただけませんか。それは家族関係(ファミリー)のグループですか、同じ霊格を具えた霊の集団ですか、それとも同じ趣味を持つ霊の集まりですか。あるいはもっとほかの種類のグループですか。
“(中略)地上的血縁関係は永遠なる霊的原理に基づくものではありません。類魂というのは、人間性にかかわった部分にかぎって言えば、霊的血縁関係ともいうべきものに起因した霊によって構成されております。同じダイヤモンドを形づくっている面々ですから、自動的に引き合い引かれ合って一体となっているのです。その大きなダイヤモンド全体の進化のために個々の面々が地上に誕生することは有り得ることですし、現にどんどん誕生しております” P76
───われわれ個々の人間は一つの大きな霊の一分子ということですか。
“そういってもかまいませんが、問題は用語の解釈です。霊的には確かに一体ですが、個々の霊はあくまで個性を具えた存在です。その個々の霊が一体となって自我を失ってしまうことはありません” P77
(上記2箇所の原文の出処箇所は不明です。)
●九巻 九章 “青年部の代表と語る”より (潮文社発行)
───大きなダイヤモンドの側面の一つである、つまり私は類魂(グループ・ソウル)の一つであるという意味だと思うのですが、もしも生命が永遠だとすると、他の類魂の体験を必要とするというのは論理的におかしいように思えます。
You mention a facet of a large diamond, that I could be one of a group soul of people. It does not seem logical, if we have eternity, that it would be necessary for me to have experience for a number of other souls.
“全宇宙を通じて作用と反作用が営まれております。はるか彼方にいる者でも、あなたが叡智を身につけていく上において多大な影響力を行使することが出来るのです。
人間は身体的にも精神的にも霊的にも孤立状態で生きることは有り得ないのです。それをグループ・ソウルと呼んでもダイヤモンドと呼んでも、所詮は用語を超越したものを表現するためにあれこれと用語を使ってみているにすぎません。
“あなた”とはいったい誰なのでしょう。その“あなた”という存在はいつから始まったのでしょうか。あなたという個的存在は受胎の瞬間から始まったのでしょうか。“アブラハムが生まれる前から私は存在している”とイエスが述べておりますが、それはどういう意味かお分かりですか。
“霊としては私は常に存在していた”という意味です。あなたもそうですし私もそうです。
インディビジュアリティの断片(側面facet 亀水)が異なった時代に物的世界に顔をのぞかせたということは有りうるのです。” P133
“Action and reaction occur throughout the whole universe. Men in far-away places can product a tremendous impact on your existence in the way of contributing to the sum total of knowledge everywhere. You cannot live in physical, mental and spiritual isolation. Call it a group, call it a diamond, you are trying to use words to express what is beyond words. Who are “you”, and when did “you” begin? Did your individuality commence from the moment of conception? “Before Abraham was, I am,” said the Nazarene. What did he mean? Only that as spirit he had always existed; so have you and so have I. It may be that fragments incarnate at differing times.”
P99 「Philosophy of Silver Birch」
●九巻 十一章 “三つの出張講演から”より(潮文社発行)
―SAGBにおける講演と一問一答―
───カルマの要素があるということは再生もあるということでしょうか。
If there is karma, is there reincarnation?
“再生はあります。しかし一般に言われている形(機械的輪廻転生)での生れ変わりではありません。霊界には無数の側面をもった、霊的ダイヤモンドとでもいうべきものがあります。
その側面が全体としての光沢と輝きを増すための体験を求めて地上へやってまいります。
これでお分かりのように、地上へ生まれてきたパーソナリティは一個のインディビジュアリティの側面の一つということになります。少しも難しいことではないのですが、人間はそれを勘違いして〝私は前世はだれそれで、次はまた別の人間に生れ変わります〟などと言います。そういうものではありません。
生まれてくるのは“ダイヤモンド”全体に寄与する一つの側面です。その意味での再生はあります。地上で発揮するのは大きな“インディビジュアリティ”のごくごく小さな一部分にすぎません。
かくして皆さんのおっしゃる“類魂”(グループ・ソウル)というものがあることになります。
つまり霊的親族関係を有する霊の集団(類魂:グループ・ソウル 亀水)が一つの統一体(ダイヤモンド:亀水)を構成しており、それが全体としての進化を目的として、いろんな時代にいろんな土地に生れてその体験を持ち帰るわけです。” P200
“There is reincarnation, but not in the sense in which it is generally expounded. There is in our world a spiritual diamond which has many many facets. These come into your world to gain experience and to add their quota to the diamond`s lustre and brilliance. Thus the personalities that are incarnated are facets of the one individuality. There is no problem really. People get confused and say, “I was So-and So last time and I will be somebody else next time.” That doesn`t matter. It is the facet which has its quota to contribute to the entirety of the diamond-in that sense there is reincarnation. What you express on earth is but an infinitesimal fraction of the individuality to which you belong. Thus there are what you call “group souls”, a single unity with facets which have spiritual relationships that incarnate at different times, at different places, for the purpose of equipping the larger soul for its work.” P138 「Philosophy of Silver Birch」
───みんなグループ・ソウルに属しているとなると、仲間の良い体験の恩恵をこうむると同時に、良くない体験の悪影響も忍ばねばならないのでしょうか。
“その通りです。それが全体に寄与するのだと思えば、それも有難い体験です。” P201
●十巻 五章“死んだあと、どうなるのか”より (潮文社発行)
─── 霊界では一個の霊が数か所で同時に仕事をすることができると聞いております。これはグループ・ソウルの原理と関係したことなのでしょうか。つまり一個のダイヤモンドの複数の相の一つ一つが行うことが、あたかも一つの相が同時に行っているように思えるのでしょうか。
――― I have been told that in the spirit world a person can do many things in different places at the same time. Is it something to do with the group soul, that everything each facet of this diamond does seems to each individual facet as if he were doing it himself?
“霊界ではさまざまな霊相を表現することが出来ますが、一個の霊が複数の相を別々の場所で
同時に表現することはできません。一度に一つの場所にしか存在できません。
ただ、地上の人間のように物的条件による距離の制約は受けません。たとえば地上の距離にして何千マイルも離れたところへでも、行きたいと思えば一瞬の間に行くことができます。
それはダイヤモンドの一側面、つまりグループ・ソウルの一個の単位であることとは何の関係もありません。その側面が全体としての進化に寄与するための体験を獲得するために地上へ誕生します。” P99
“In our world its dwellers can express varying aspects of life, but not be in several different aspects at the same time. They can only be in one place at one time.
We are not subjected to the limitations of travel that are imposed on you because of physical conditions. If, for example, we want to visit remote places in your world that physically are thousands of miles away, that presents no problem; we can be there instantly.
It has nothing to do with being a facet of a diamond or an integral part of a group soul. The facets of the diamond incarnate into your world to acquire experiences that will help the diamond.
P59 「Light from Silver Birch」
───その結果ダイヤモンドが全体としてより立派なものとなるわけですね。
“そういうことです。一段と深い霊的覚醒と発展が得られるからです。各側面が地上での体験によって霊性を高めるのです。地球も本質的には霊的進化の場としての存在価値を有しているのです。そうでなかったら存在しないはずです。” P100
―付記―
前回に引き続いて、シルバーバーチの語ったオリジナルの原文から、理性的、且つ、シンプルに理解してみると、いわゆる“類魂”と称されている“グループ・ソウル”は、同じ霊格(霊性レベル)を具えた霊の集団のことではなく、あくまでも一個の霊(spirit)、大きなインディビジュアリティ(大我)である霊的ダイヤモンドを構成しているカット面(側面facets)としての魂(soul・パーソナリティ・小我)の集合体“group soul”のことであるように私には思えます。
次回の寸感は、これに関連した“フレデリック・マイヤーズの通信”(ジェラルディーン・カミンズ著)の「永遠の大道」(不滅への道)の中から“類魂”の原文をそえて、近藤千雄訳と梅原伸一郎訳、及び亀水訳で比較対照しながら取り上げてみたいと思います。
「インディビジュアリティと再生」 (雑記)(2023.1.22)
(はじめに)
1)「シルバーバーチの教え」上巻 十三章 “再生”(生まれ変わり)(スピリチュアリズム普及会発行)より引用しています。なお、緑の文字は交霊会参加者からの質問で、英文は原書(Teaching of Silver Birch by A.W.Austen)からの引用。青文字はその原文の亀水訳で、赤文字は要注意箇所です。
2)本章は「シルバーバーチの霊訓」四巻 三章“再生の原理”(Silver Birch Anthology by W.Naylor)と同じ内容で重複しております。
3)“近藤”は「シルバーバーチは語る」や「シルバーバーチの霊訓」(四巻)の近藤千雄訳(潮文社発行)であり、“普及会”はそれぞれのスピリチュアリズム普及会監修再発行本からの引用の略です。
表題の「インディビジュアリティと再生」について、シルバーバーチはどのように語っているのでしょうか。以下、1)の霊訓に基づいて列記してみます。
●― 一つの意識が部分に分かれて機能することが可能なのでしょうか。
Is it possible for one`s consciousness to function in separate portions?
“今のあなたという意識とは別に、同じくあなたと言える大きな意識体(類魂・近藤&普及会)があります。そのほんの小さな一部が地球という物質界で発現しているのが、今のあなたなのです。そして、今のあなたの他にも同じ意識体を構成する他の部分が、それぞれの意識層で発現しています。” (P216)
“There is a consciousness which is you, of which you in the world of matter are expressing but a tiny portion, and there are portions of that same consciousness which are expressing themselves in other spheres of expression.” (P172)
●― 個々の部分(霊・近藤&普及会)は独立しているのでしょうか。
Independently?
“独立はしていません。あなたも他の霊も、「一個の内奥の霊的実在(中心霊・近藤、類魂・普及会)」の側面なのです。つまり全体を構成する一部であり、それぞれがさまざまな表現媒体を通して自我を発現しており、時にはその霊同士が一体化することもあります。彼らは自我を発現し始めて間もない頃にはお互いの存在に気がつきませんが、(通常意識にはのぼらなくても、霊的意識では気づいています。しかし、それは自我を表現し始めて間もない頃(霊的幼児期)にかぎられます。近藤)
そのうちすべての霊が共通の合流点を見出して、再び統一されます。”
“No, not independently. You and the other expressions are all reflections of one inner spiritual reality(=中心霊・近藤、類魂・普及会).
They are parts of a whole and the fragments are expressing themselves as parts of the whole, but through different vehicles of expression, which sometimes coalesce.
They are not ignorant of each other within themselves, but only when they first begin to express themselves, until they find a common meeting-place and fit together into the whole once again.” (P172)
●― 類魂では(普及会)、個々の霊はその進化に自らが責任を負い、他の霊が学んだ教訓による恩恵を受けないというのは本当でしょうか。
Would it be true to say that each reflection of the spirit has to work out its own progress, and cannot benefit from the lessons learned by other reflections of the same spirit?
“その通りです。個々の霊は一つの大きな意識体(統括霊・近藤、類魂・普及会)の構成分子であり、さまざまな形態で自我を発現しているわけです。進化するにつれて個々の霊は大きな意識体を自覚するようになります。”
“Yes, they are all parts of the one soul which express themselves in different forms.
You become increasingly conscious of more and more of yourself.” (P173)
(そうです。彼らは全て一つの魂の構成分子であり、異なった形で自らを顕わしています。あなたはますますあなた自身をだんだんと自覚していきます。 亀水訳)
●― そして、進化のある一点において、それらの霊(小我・近藤)が一体となるわけですね?
And there is a point in evolution at which all those different parts are jointed?
“そうです。無限の時を経てのことですが・・・。”
“Yes, in infinity.” (P173)
注)無限の時を経て一個の魂(ダイヤモンド・大我)のこれら構成分子(小我)同士が合体するようです。 (亀水のコメント)
●― 個々の霊(小我・近藤)の地上への誕生は一回きり、つまり大きな意識体(類魂・普及会、大我・近藤)としては再生の概念が当てはまっても、個々の霊(小我・近藤)には再生はないという考えは正しいでしょうか。
Would it be true to say that each of these sections incarnates only once and that, while reincarnation would be true when considering the complete soul, it would be untrue of each section?
“再生は個々の霊の成就すべき目的に関わる問題です。特殊な使命がある場合など、同じ霊が二度も三度も再生することがあります。”
“It depends on what has to be fulfilled. Only when some special mission has to be performed would the same portion of consciousness incarnate more than once.” (P173)
●― 一つの意識体の異なる部分とは、どういうものでしょうか。
What do you mean by different parts of the same consciousness?
“これは説明の難しい問題です。・・・”
“It is hard to answer you because you do not understand what living really means.”
(P173)
●― 個々の霊の一つひとつを、大きな意識体のさまざまな特性・人間性の側面と考えてもよいでしょうか。(分霊の一つ一つを統括霊の徳性の表現と見てもよいでしょうか。近藤)
Are they (different parts) different virtues or facets of character that are split?
(それらの異なった部分とは、分割された意識体の別の性格の徳性や側面のことでしょうか? 亀水訳)
“いいえ、それは全く違います。大きな意識体の別々の側面ではありません。どうもこうした問いにお答えするには、まるで生まれつき目の不自由な方晴天の青く澄み切った空の美しさを説明するようなもので、譬えることができません。”
“No, not at all. It is not another facet of the individuality at all.” (P174)
(いいえ、それは全く違います。それは意識体(個性)のもう一つ別の側面とは全く違います。亀水訳)
●― あなたの言う大きな意識体は、マイヤースの言う「類魂(グループ・ソウル)」と同じものですか。
Does not your explanation of “split” consciousness express the same truth as F.W.H.Myers`s declaration regarding “group” souls?
(“分割された”意識体というあなたの説明は、マイヤースのいう“グループ”ソウルと同じ真理を表したものではないのでしょうか? 亀水訳)
“まったく同じものです。ただし、単なる個々の霊の集まりとは違い、異なる意識から形成された統一体(大きな意識体・近藤&普及会)で、その全体の進化のために各自が体験を求めて物質界にやって来るのです。”
It is really the same thing, except that it is not grouping of different souls, but a union of the different portions of consciousness returning to complete the whole.
(P174)
(全く同じものです。但し、それは異なった魂同士を集めたものではなく、大きな意識の異なった部分同士が戻って合体し全体を完成させるものです。 亀水訳)
注)“split”consciousness =“group”souls = the different portions of consciousness(亀水のコメント)
●― それぞれの霊は類魂に戻って一体化すると(その意識の本体へ戻ったとき 近藤)、個性を失ってしまうのでしょうか。
It seems that when the different parts of consciousness are reunited each would lose its own individuality.
(意識の異なる部分が再統一されるとなると、それぞれは自らの個性を失うように思えますが。亀水訳)
“川の水が大海へ流れ込んだとき、その水の存在は失われてしまうのでしょうか。オーケストラが完全なハーモニーで演奏しているとき、バイオリンの音は消えてしまうのでしょうか。”
“Does the stream lose itself when it flows into the mighty ocean, or is the ocean many streams? Does the note of the violin lose itself when it merges into the harmony created by the whole orchestra?” (P174)
[参考資料]
この“再生”の問題に関連した霊訓として、 ― Light from Silver Birch by Pam Rivaの十章 Guiding Lights― より追加引用したいと思います。
この翻訳本としては下記の2冊の本があります。
●「シルバーバーチの霊訓」(十巻) 八章“背後霊の仕事”P135 近藤千雄訳 潮文社発行
●「シルバーバーチの霊訓」(十巻) 八章“背後霊の仕事”P135 スピリチュアリズム普及会発行(緑文字)
上記より、≪バーバネル夫妻とシルバーバーチとは同じインディビジュアリティに属する≫について、以下、潮文社のものとスピリチュアリズム普及会(緑文字)からのものとを比較列記してみます。なお、英文は原文からのもので青文字は亀水訳です。
“それから私がダイヤモンドの側面に例えている“霊相”とでも呼ぶべきものがあります。
一個のダイヤモンドがあって、それに沢山の“相”facet があります。それぞれが地上に誕生して体験を持ち帰り、ダイヤモンドの光沢を増します。” (P136)
“それから私がダイヤモンドの側面にたとえている“霊相”とでも呼ぶべきものがあります。一個のダイヤモンドがあって、それにたくさんの“相”facetがあります。それぞれが地上に誕生して体験を持ち帰り、ダイヤモンドの光沢を増します。” (P136)
There are also what I call facets of the one diamond. This is the over-soul, the greater individuality, and the facets are aspects of it which incarnate into your world for experiences that will add lustre to the diamond when they return to it.(P86)
(さらに私が一個のダイヤモンドの側面(facets)と呼んでいるものがあります。このダイヤモンドとは魂全体(the over-soul)、より大きなインディビジュアリティ(大我)のことで、その側面には様々な顔つきや人相(aspects)があり、それらは戻って一個のダイヤモンドの光沢を増すことになる経験を積むため肉体に宿って物質界に転生してくるのです。亀水訳)
“さらにそのダイヤモンドがいくつか集まって一個のインディビジュアリティを構成しております。例えばこの霊媒(モーリス・バーバネル)と奥さん(シルビア・バーバネル)と私(シルバーバーチ)とは一個のインディビジュアリティに所属しております。
一人の支配霊がいくつかの類魂を従えていることがあるわけです。それを延長と呼びたければそう呼ばれても結構です。が、結局は同じことに帰一します。つまり地上で肉体を通して顕現するのはインディビジュアリティの極々小さな一部ということです。” (P136)
“例えばこの霊媒(バーバネル)と奥さん(シルビア・バーバネル)と私(シルバーバーチ)とは一個のインディビジュアリティ―に属しております。つまり地上で肉体を通して顕現するのはインディビジュアリティーのごくごく小さな一部ということです。”
Also, there are people who, although separate persons, are aspects of the one individuality. For instance, my medium, his wife and myself are parts of one individual.
So, you can have facets of the one guide. You can call these extensions if you like,
but it comes to the same thing. Only an infinitesimal part of the whole individuality can be manifested in physical form on earth.” (P86)
(異なった人物像ではあるが、一個のインディビジュアリティ(大我)には様々な顔つきや人相(aspects)をもった人々がいます。たとえば、私の霊媒とその妻、そして私自身は一個のインディビジュアリティの構成分子なのです。このように一個の“指導霊”にはさまざまな側面(facets)があります。もしもそうしたいのなら、(一個のインディビジュアリティがバーバネル夫妻やシルバーバーチに)拡大したものと呼ぶこともできます。が、拡大も(側面facetsと)同じことを意味しています。インディビジュアリティ全体のほんの極々小さな構成分子が地上に肉体をもって現れるのです。 亀水訳)
注)今回私はあえて固定観念を一切持たずに、白紙状態で前後の会話の流れからだけで、できるだけシルバーバーチの原文に忠実になるようにと心がけて翻訳したつもりです。
結果として、一部内容の異なった翻訳文となってしまいましたので、公正を期すため比較しやすいように原文を添えて三通りの翻訳文を列記いたしました。
本文中で“インディビジュアリティ”の狭義と広義(類魂)の違いを明確に区別して、どこまでシルバーバーチが語っていたのかなど私には釈然とせず、私の未熟さ故、翻訳文が間違っているかもしれません。
後は、あくまでもオリジナルであるシルバーバーチ自身の言葉に基づいて、読者の皆様ご自身でこの“インディビジュアリティ”と“再生”の問題をご検討・ご判断していただければと願っております。
睡眠と瞑想(疑似睡眠) (瞑想)(2022.12.27)
今月のテーマに関して、「シルバーバーチの教え」上巻 十二章“睡眠中は何をしているのか”(スピリチュアリズム普及会発行)より以下、引用します。
● 実は、すべての人間が睡眠中に(霊的意識で)霊界を訪れています。これは霊的身体を死後の環境に適応しやすくするための大霊の配慮の一つなのです。その体験は、いよいよ肉体との縁が切れたときにショックを和らいでくれます。そして地上時代に霊界を訪れたときの記憶が徐々に蘇り、新しい環境への適応が促進されるようになるのです。それはちょうど地上生活の中で、子供の頃の体験を思い出すようなものです。物質界では(脳を中枢とする)小さな意識しか持てないため、より大きな霊的意識の中で生じたことを思い出すのは困難です。 P204
● 低い界層へ惹きつけられていく人は、睡眠中にその界層を訪れているのですが、そのときの記憶は死を自覚する(to realize their portion after death)上では役に立ちません。何故ならそうした人が目覚める界層(the planes on which they found themselves)は、地上と極めて似ているからです。死後の世界は低い界層ほど地上によく似ています。バイブレーションが粗いからです。高い界層ほどバイブレーションが精妙になります。 P206
⇒ 瞑想の必要性と、そのテクニックのヒント
● 睡眠中、あなた方の霊は肉体から脱け出ていますから(幽体離脱)、当然、脳から解放(無意識)されています。脳はあなた方を物質界に繋ぎ止める肉体器官です。睡眠中、あなた方は魂の発達程度に応じたバイブレーションの世界での体験をします。その時点ではあなた方はそこでの体験を意識しているのですが、肉体に戻って睡眠中の体験を思い出そうとしても思い出すことはできません。それは、霊界での体験の方が地上よりも大きいからです。小さなものは、大きなものを包むことはできません。そのために歪が生じるのです。 P206
⇒ 夢の直後や、その直後のまどろみの中での方がまだ夢を覚えていることがありますが、その後、明確に目覚めると夢の記憶はすっかり消えていることが多い。
● 夢には数えきれないほどの種類があります。(幽体離脱中の)脳の残像の反映にすぎないものとか、食べたものの影響など、物理的(論理的)に説明のつく夢もありますが、そうしたものの他に、霊界での体験が断片的な形として記憶され、それが夢になっているものがあります。夢が支離滅裂になりがちなのは、肉体の制約から離れて霊界へ行っていた人間が、再び肉体に戻ってその体験を思い出そうとすると、物質的制約の中でそれが歪んでしまうからです。 P209
⇒ 霊界の夢は精妙な波動のため、ちょうどパソコンでいうところのデータ量が多すぎて重く、脳の記憶容量が小さすぎるのに似ています。
● 皆さんはいつか、睡眠中の体験が自分の魂の中に記憶されていることを知るでしょう。たとえ今は脳を介して睡眠中の記憶を思い出せなくても、いずれそのことを知るようになるでしょう。そのうちその記憶が蘇ってくる日がきます。今は分かっていなくても、霊界での体験は事実だからです。 P210
● 自我の本体である霊は、肉体の中に存在しているのではありません。霊は肉体とはバイブレーションが違っており、内側にあるとか外側にあるというようなものではありません。心臓と肺の間に挟まれて小さくなっているというようなものでもありません。本来のあなたは、地上で肉体器官を通して自我を表現している「意識体」(consciousness 意識・自覚)なのです。睡眠中の体験のすべては、その「意識体」が肉体ではなく霊体を通して自我を表現しているのであって、その間は霊界にいるわけです。 P211
⇒ 唯物主義的にみて全ての夢は、脳が創る空想の産物と私たちは信じ込んでいます。しかしながら、実際のところ、シルバーバーチが語っているように、霊界は毎日のように訪れていてとても身近な存在でもあるということになります。
“あなた方は今この時も霊的世界に生きているのです。” P37
● 睡眠は自然な生理現象で、霊は夜になると肉体のバイブレーションが下がることを知っていて、霊界へ行く準備をします。 P213
⇒ ここでは夜になると自然と肉体の粗いバイブレーションが下がり、霊が肉体(脳)の束縛から抜け出て霊界に行く準備をするとあります。同様に、睡眠と覚醒の境界線上にある深い瞑想(半醒半睡の無念無想)もまた、頭の中を覚醒しながら睡眠時のように脳を無意識状態にして、雑念妄想念の粗いバイブレーションを一時的に取り除くことにあります。
私たちスピリチュアリストにとっては、この顕在意識を意識的に消す(無意識状態)ことによって、その結果として睡眠時のように潜在意識下の“本当の自分”(霊魂)が表面に出現しやすくなるようにしているともいえます。
正しくこの瞑想を繰り返すことによって、雑念妄想念に捉われている心を無にすることを習慣化し、普段から霊界(守護霊や背後霊など)と繋がりやすくなるようにします。そうなると、霊界からの導きや精妙な波動であるインスピレーションが入りやすくなってきます。
但し、この高級霊からの霊的インスピレーションをキャッチするためには、正しい霊的知識を学び、霊的摂理に順応して霊性を高めていることが必要なのはいうまでもありません。
(今月の「次回の読書会の霊訓の中から」で語られている“魂を向上”させる方法参照 P20)
―睡眠と瞑想(疑似睡眠)の違い―
睡眠中は無意識状態になるため、脳の束縛から霊は一時的に離れることができ(幽体離脱)、波動の異なる霊体で霊界を訪問しています。その意味で、私たちは睡眠中霊界に対しては能動的(自発的)に働いているといえます。
他方、瞑想とは、無我無念になって雑念妄想念に捉われている脳の束縛から意識的に離れることです。すなわち、瞑想とは覚醒しながらの疑似睡眠(覚醒と睡眠の境界線上)であり、私たちは霊界に対して受動的(受け身)になっている状態といえます。
【人間の活動域】
昼間は物質界で・・肉体のバイブレーションの領域
⇒ 五感から受ける粗い波動の肉体意識(顕在意識)
夜間は霊界に・・脳によって繋ぎ止められている霊は解放され、その間は霊体のバイブレーションに切り替わる
⇒ 本体の意識体(霊魂)が精妙な波動の霊体をまとって毎晩霊界を訪れている
以上のことから、私たちにはその自覚が全くといってよいほど無いだけで、今この時もすでに私たちは霊的世界にも生きているということになります。(P37)
≪マトメ≫
瞑想とは一般的にいわれているように心の安定を得て健康になることの他に、霊的知識を学んでいる私たちスピリチュアリストにとっては、瞑想をする本来の目的として、霊界と接触しやすくして、高級霊からの導きや霊的インスピレーションを得られやすくすることにあります。すなわち、高級霊たちからの精妙な波動のインスピレーションに耳を澄ませることができるようになるのです。(「シルバーバーチの教え」下巻 P96)
逆にこれと同じ原理が働いて、瞑想による霊能の開発を、お金儲けの手段にしたり、虚栄心や優越感、支配欲など自己の利益のみを目的としていて、且つ、その人間の内部に憑依を引き起こす原因(霊媒体質など)があると、瞑想の弊害として地縛霊や低級霊からの“憑依”を受けやすくなる(親和性の法則)ので注意が必要です。
“自分が大霊の一部であることを知ったということです。霊界から派遣されているメッセンジャー(高級霊)のバイブレーションに、いかにして反応するかを学ばれたのです。”P59
“交霊会で何の動きも生じていないと思われるようなときでも、実は静寂の中で霊的な反応が起きています。” P117