大阪シルバーバーチの会 亀水忠茂

大阪シルバーバーチ読書会のご案内
人生に疲れた方、心配、不安の絶えない方、
いっしょに霊的摂理・真理を学んで人生の目的を知り、
共に限りある今生を力強く活きませんか。

第71回読書会

開催日/2016年8月2日(火)

時 間/午後7時~8時30分

場 所/大阪市立生涯学習センター会議室で

      開催します。

      大阪市北区梅田1-2-2-500 
      大阪駅前第二ビル 5階 
      電話 :06-6345-5000

内 容/「シルバーバーチの霊訓」の読書会

      「シルバーバーチの霊訓」第七巻 

      第四章“若き軍人と語る”

      潮文社出版 近藤千雄訳
持参品/「シルバーバーチの霊訓」 

      第七巻を忘れずに持参してください。
参加費/無 料

   ページトップへ

 

mail

新規参加を希望される方は、
事前にメール連絡をお願いいたします。

   ページトップへ

 

profile

氏  名:亀水 忠茂

生まれ:1950年 男性 現役企業人(製造業)
住  所:兵庫県
趣  味:読書、クラシックカメラの収集
その他:

学生時代から常に人生の目的、意義を知りたいと探求してきました。

    ページトップへ

 

ご案内

 世の中あげて、科学・物質万能、拝金主義に突き進んでおります。そして五感に感じる現実のこの世界が人生の全てであって、それを謳歌するためには、どうしてもお金や地位、権力が必要と信じきって、その実現のためにはああでもない、こうでもないと、じっとしていられない毎日を送っております。そのため不安、恐怖、心配事が朝、目覚めたときから脳裏をよぎり、いつもの取り越し苦労がまた始まります。他人のことをかまう余裕もありません。

 では、はたして目に見えるこの世界や身体が唯一のものなのでしょうか。世の中で言われるように、死とともにすべては無に帰するとすれば、ほとんど苦悩の連続の人生とは一体何なんでしょうか。

 あるいは昔からいわれているように霊魂という本当の自分、本体があって、じつはその霊の力というか、気のような生命エネルギーがその肉体を動かしているのでしょうか。

 今の私たちの人生はとても短い一度きりの貴重なものです。理性に照らして納得のいく答えを今生で見出したいものです。 私は迂用曲折の末、ようやく「シルバーバーチの霊訓」の中にその答えを見つけました。人生に疲れた方、心配、不安の絶えない方、いっしょに霊的摂理・知識を学び、人生の目的・意義を知って、共に限りある今生を力強く活きませんか。

    ページトップへ

 

次回読書会の霊訓の中から

  

“何世紀にもわたって強大な霊的軍団が組織されております。霊的真理に対して絶対的忠誠心をもって臨めば、あなたの強力な味方となってくれます。/そのたった一人の人間も、霊の力を背後にすれば大きな仕事ができるのです。/おっしゃる通り、たった一人のすることです。見た目にはたった一人です。が、その背後には自分を役立てたいとの願望を抱く者にかならず授けられる強大な霊力が控えております。” P52 
(中略)
“どうかこれまで述べてきた知識の中から物的生活の背後で働いている霊的活動、あなたの身のまわりにほうはいとして存在する莫大な霊力、あなた方を善のために活用せんとして待ちかまえている霊の存在を認識してください。あなた自身の中に潜在する可能性をしっかりと認識してください。それが自我の霊的本性のもつ莫大な兵器庫、魂の宝庫を開くカギとなるからです。神の叡智は無限であるということ、宇宙の宝物は無尽蔵であるということの意味を、しっかりと理解してください。” P58

 ページトップへ

 

過去の読書会テキスト

 

今月の叡智の言葉 (2016年7月)

“霊的知識を手にした者にとって大切なことは、二度とこの世的な悩みごとのために塞ぎ込むようなことがあってはならないことです。悩みごとは影にすぎません。実在ではないのです。実在は霊です。霊とは内部の神性です。それがあなたに生命を与えているのです。内にも外にも霊にまさる潜在力は存在しません。”

シルバーバーチの霊訓(十二)P146

ページトップへ

 

寸 感(2016年7月)

神は悪や憎しみの中にも存在する(平成28年6月27日)(その他)

シルバーバーチの霊訓(五巻)第九章 “神は愛の中にも憎しみの中にも”より

 

―神は悪や憎しみの中にも宿る― という、一見すると理解に苦しむようなことについて、霊訓を引用して考えてみたいと思います。

 

―根源的素材である霊が自我を持つには、物質の世界で肉体に宿る必要があるー
●「霊が意識をもつ個的存在となるためには物質の世界との接触が必要なのでしょうか。」

 

“そうです。意識を獲得するためには物的身体に宿って誕生し、物的体験を得なければなりません。物から霊へと進化していくのです。つまり物的身体との結合によって、物的個性を通して自我を表現することが可能となります。霊は物に宿ることによって自我を意識 するのです。” P145

 

●“種子が暗い土中に植え込まれるのは、生命活動を開始するための養分を摂取するためです。人間の魂も同じです。死後に始まる本当の生命活動にそなえて物的体験という魂の養分を摂取するために、この地上という物的世界へ送られるのです。” (十二巻) P150

 

●“霊それ自体はもともと完全です。宇宙を構成している根元的素材です。生命の息吹きです。それがあなた方を通じて顕現しようとしているのですが、あなた方が不完全であるために顕現の仕方も不完全なのです。あなた方が進化するにつれて完全性がより多く顕現されてまいります。” P147

 

―悪がなければ善もないー
●“神が善なるものを与え悪魔が邪なるものを与えるという論法ではラチがあきません。では、その悪魔はだれがこしらえたのかという、古くからのジレンマにまたぞろ陥ってしまいます。” 

 

「悪魔はキリスト教が生み出したのでしょうか?」

 

“そうです。自分たちからみて悪と思えるものを何とか片付けるためにはそういうものを発明しなければならなかったのです。
悪も進化の過程の一翼を担っております。改善と成長―絶え間なく向上せんとする過程の一つなのです。人間にとって悪と思え苦痛に思えるものも進化の計画に組み込まれた要素なのです。痛みがなければ健康に注意させる警告がないことになります。暗闇がなければ光もありません。悪がなければ善もありません。地上にもし悪が存在しなければ、何を基準に善を判断するのでしょうか。改めるべき間違い、闘うべき不正が存在しなければ、人間の霊はどうやって成長するのでしょう。” P154

 

●「愛の神が人間の最低の感情である憎しみの中にも存在するということが理解できないのですが・・・」

 

それは今だに神というものを人間的存在と考える概念から抜け切っていないからです。神とは法則なのです。法則がすべてのものを維持し保持し顕現させているのです。神は愛を通してのみ働くのではありません。憎しみを通しても働きます。” P150

 

―人間には自由意志があり、向上することも堕落することも選ぶことができるー
●“私は悪とは同じエネルギーの用途を誤っていることだから許すべきではないという考え方をとります。あなたが悪い奴らと思っている人間は未熟な人間ということです。/悪い人間というのは霊的成長における幼児なのです。” P152

 

―霊的成長は善と悪の対比の中で行われるー
●“人生は一本調子ではありません。光と陰、晴天と嵐、喜びと悲しみ、愛と憎しみ、美と醜、善と悪の双方が揃わなくてはなりません。人生はそうした比較対照を通じてのみ理解できるものだからです。奮闘を通じて、逆境の克服を通じてはじめて、神性を宿した人間の霊が芽を出し、潜在するさまざまな可能性が発揮されるのです。そういう摂理になっているのです。(中略)人間的存在としての神は人間がこしらえた概念以外には存在しません。人間的存在としての悪魔も人間が発明した概念以外には存在しません。” P155

 

―まとめ―

●肉体は滅んでも個性をもった霊魂は不滅で死なない。人間は神の分霊であり、神との絆は絶対に切れない関係にある。いかなることがあろうとも、実在である霊魂の消滅はありえないのだ。

 

●因果律は宇宙の法則であり、そこには神の絶対的な公平が働いており、償いや更正のチャンスがある。

 

●未熟な本能心(利己心)から神性の霊性心(利他心)へと、人間は神を目指して進化向上・霊的成長をするようになっている。

 

●対極にある“善と悪”は、不完全な霊魂が完全である神を目指して成長するための手段・道具としての働きをしている。

 

●内なる世界、人間の心の中に“善と悪”(霊性心と本能心)が存在する。そして外の世界にみられる“善と悪”はその内なる世界の反映なのだ。

この内なる世界が“善と悪”に“支配された状態”とは、用具である肉体に本体である霊が支配されている状態、すなわち物質中心の拝金主義、利己主義の「肉主霊従」の生活を送ることにある。
他方、神のごとく“善と悪”を“僕”にするとは、主人である霊(真我)が肉体を僕にして霊中心の利他主義、すなわち「霊主肉従」で生きている状態のことをいう。

 

“(第二次世界大戦は)言いかえれば人間の霊性のすばらしさを見せると同時に、堕落したときの極悪非道ぶりも見せつけたのです。しかし、いずれも同じ人間のしたことです。霊と肉の両極から成り立っている存在だからです。そのどちらがより強く人間を操るかによって生じる差にすぎません。霊の道を選ぶか、それとも肉の道を選ぶかの差です。”

シルバーバーチの霊訓(七) P43

 

“霊優位性の自覚にもとづく修養的生活、これが最高の生き方です。”

シルバーバーチの霊訓 「地上人類への最高の福音」 P243

 

ページトップへ

 

ブックマーク

 

トップ