大阪シルバーバーチの会 亀水忠茂

大阪シルバーバーチ読書会のご案内
人生に疲れた方、心配、不安の絶えない方、
いっしょに霊的摂理・真理を学んで人生の目的を知り、
共に限りある今生を力強く活きませんか。

第95回読書会

開催日/2018年8月7日(火)

時 間/午後7時~8時30分

場 所/大阪市立生涯学習センター会議室で

      開催します。

      大阪市北区梅田1-2-2-500 
      大阪駅前第二ビル 5階 
      電話 :06-6345-5000

内 容/「シルバーバーチの霊訓」第九巻 十一章“

      三つの出張講演から” つづき

      潮文社出版 近藤千雄訳
持参品/「シルバーバーチの霊訓」 

      第九巻を忘れずに持参してください。
参加費/無 料

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新規参加を希望される方は、
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profile

氏  名:亀水 忠茂

生まれ:1950年 男性 現役企業人(製造業)
住  所:兵庫県
趣  味:読書、クラシックカメラの収集
その他:

学生時代から常に人生の目的、意義を知りたいと探求してきました。

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ご案内

 世の中あげて、科学・物質万能、拝金主義に突き進んでおります。そして五感に感じる現実のこの世界が人生の全てであって、それを謳歌するためには、どうしてもお金や地位、権力が必要と信じきって、その実現のためにはああでもない、こうでもないと、じっとしていられない毎日を送っております。そのため不安、恐怖、心配事が朝、目覚めたときから脳裏をよぎり、いつもの取り越し苦労がまた始まります。他人のことをかまう余裕もありません。

 では、はたして目に見えるこの世界や身体が唯一のものなのでしょうか。世の中で言われるように、死とともにすべては無に帰するとすれば、ほとんど苦悩の連続の人生とは一体何なんでしょうか。

 あるいは昔からいわれているように霊魂という本当の自分、本体があって、じつはその霊の力というか、気のような生命エネルギーがその肉体を動かしているのでしょうか。

 今の私たちの人生はとても短い一度きりの貴重なものです。理性に照らして納得のいく答えを今生で見出したいものです。 私は迂用曲折の末、ようやく「シルバーバーチの霊訓」の中にその答えを見つけました。人生に疲れた方、心配、不安の絶えない方、いっしょに霊的摂理・知識を学び、人生の目的・意義を知って、共に限りある今生を力強く活きませんか。

 

◯おすすめ

友人の女性が経営する神戸市須磨区にある喫茶店をご紹介します。スピリチュアリズム(特にシルバーバーチ)に関しては経験と知識がとても豊富で、的確なアドバイスが得られます。雑談も大歓迎ですので霊的摂理の話をする場がなくて困っておられる方は、どうかお気軽に遊びに来て下さい。
“喫茶りふれん”(午前8時~午後5時まで 定休日:毎月1日と日曜、祭日 TEL:078-737-3355)

 

次回読書会の霊訓の中から

  

“皆さん方は俗世間的な問題に関わりすぎており、そうした問題のすべての解決のカギである霊の力を十分に活用していらっしゃいません。 (中略) 美と豊かさと荘厳さと威厳と光沢と気高さと光輝にあふれた霊力そのものには際限というものはありません。ただ、人間がこしらえる条件によって制約されるのみです。どうか信念に裏打ちされた、とらわれのない(霊力の)通路、安易に信じるのではなく、これまでに得た知識を基盤とした信念――進化の現段階では無限の知識を手にすることが不可能である以上、どうしても必要となる信念に燃えた(霊力の)通路であってほしいのです。知識を基盤とした信念に燃えてください” P191

 

備考:霊の力を十分に活用するためには、流れやすい通路となるべく、知識に裏付けられた霊的摂理に対する信念(信仰)が必須条件となります。

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過去の読書会テキスト

 

今月の叡智の言葉 (2018年7月)

-霊(魂)は進化することでより大きな幸福を得る-(“ともしび” 武本昌三 13-vより)

霊(魂)は、創られた当初は、単純で無知であるが、自由意志を備えているので、すべてを獲得しつつ進化することが可能である。

進化することによって、霊(魂)は、新たな知識、新たな能力、新たな知覚を獲得するが、さらに、未熟なときには知らなかった新たな喜びも獲得する。進化してくると、それまで、見ることも、聞くことも、感じることも、理解することもできなかったことを、見、聞き、感じ、理解することができるようになる。幸福は、獲得した能力に対応するのである。

したがって、二人の霊人のうち、一人のほうがより幸せであるとすれば、それは、その霊人のほうが、知的にも、精神的にも、より進化しているからなのである。一方が光り輝く世界にいるのに対し、もう一方は暗闇の中にいる。一方が光を見るのに対し、もう一方は何も感じることができない。目が見えないのと同じである。

霊(魂)の幸福とは、その霊(魂)が獲得した能力に、本質的に属するものなのである。どこにいようとも、すなわち、肉体に宿って地上に生きていようとも、肉体に宿らず霊界で生活していようとも、その幸福を味わうことが可能なのである。

アラン・カルデック『天国と地獄』(浅岡夢二訳) 幸福の科学出版、2006、pp.300-301

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寸 感(2018年7月)

“憎しみがなければ愛もありません”(2018年7月2日)(人生の目的)


-霊界に備えるための地上人生-
あなた方も私たちと同じく立派に霊魂であることを忘れないでいただきたい。そして地上生活はこれからの永遠の旅路に備えるためにのみ神が与え給うたものであることを肝に銘じていただきたいのである。
若者よ、科学を謳歌し、その勝利のために知能を磨き論争するのも決して悪いとはいわぬが、霊魂不滅を根拠とする雄大無辺の人間学スピリチュアリズムに比して、他の科学がどれほどの価値があると思っておられるのか。地上生活を魂の学園と心得て生きたまえ。それも、あくまでもその後に控えた雄大にしてより高等な学園へ行くためのものであると心得たまえ。地上生活の全体験を活用して魂に永遠に色あせることのない磨きをかけ、人生学校の卒業生としてその名に恥じぬ実力を身につけていただきたいのである。
死なずとも立派に霊魂であり、従って永遠に生き続けるものであることを自覚し、その自覚の上に立って地上生活の教訓を着実に身に修めていくこと(霊的成長)、これこそ神の啓示された崇高なる最後のページにほかならない。その最後のページをよく読み、正しく理解し、確実に実行することこそ、近代スピリチュアリズムの真の使命ではないのか。心霊現象なるものは、実は霊魂不滅を物的手段によって実証(霊界の証明)するために演出された、一時的な方便にすぎぬことを知っていただきたい。霊魂とは何か、何をなすべきか、言い換えれば地上的罪障と粗さを洗い落とした純白の白衣で魂を盛装するためには地上生活をいかに生きるべきか、これを教えるのが近代スピリチュアリズムの唯一にして崇高なる使命であり目的なのである”
(「心霊と進化と」P126のブリテン女史の入神講演“霊とは何ぞ”からの抜粋)

 

この地上世界は、あくまでも他界後の生活に備えるための学校であり、この地上人生にある内に霊的覚醒をして可能な限り霊的成長をすることがその目的なのです。
それでは次に、どのようにして学習していくのかをみてみましょう。

 

-地上は人間関係も含め、比較対照を通して学ぶ世界-
“人生は全て比較対照の中で展開しております。光も闇もともに神を理解するうえでの大切な要素です。もし光と闇とが存在しなければ光は光でなくなり闇は闇でなくなります。つまり光があるから闇があり闇があるから光があるのです。同じく昼と夜がなければ昼は昼でなくなり夜は夜でなくなります。愛と憎しみがなければ愛は愛でなくなり憎しみが憎しみでなくなります。その違いが分るのは相対的だからです。しかし実は両者は一本の棒の両端にすぎないのです。元は一つ(神性)なのです。しかしその一つ(神性)を理解するには両端を見なければならないのです。それが(地上)人生です。光と闇の両方がなければなりません。温かさと寒さの両方がなければなりません。喜びと悲しみの両方がなければなりません。自我(本当の自分)を悟るにはこうしたさまざまな経験が必要です。“完全”は絶対に成就できません。なぜならそれには“永遠”の時が必要だからです。私は謎めいた事を言っているのではありません。”
(一巻)P71

 

-人間は一本の棒である-
人間は肉体という鈍重な物的身体を背負って生まれてくることによって、結果として“本当の自分”(霊魂)が覆い隠され、食欲、性欲、物欲、金銭欲、所有欲、独占欲、優越感、嫉妬など様々な欲望に支配され、また病と戦うことになります。従って、肉体を持つことによって人間は一本の棒となり、その両端である利己から利他、すなわち本能心(利己心)から霊性心(神性心)まで、一人の人間の中に内在するようになります。そのため善と悪、憎しみと愛情、苦と楽、暗闇と光明等々の葛藤が生じてくるのです。
具体的には、神性の真逆の対極として、あるものは未熟というかたちで、あるものは霊的無知(唯物思想)というかたちで、あるものは自己保身(自己中心)というかたちで表面に現れてきます。我々が本当の自我を悟り、神を理解するため(一巻 P71)には、理解しやすいように違いが分かる真逆の体験がなければならないからです。それは丁度、病気をして初めて健康の有難さが判るのと同じことです。
我々は神の分霊すなわち神の子として神性の種子を宿しており、完全(神)を目指して進化向上を永遠に続けます。我々の地上人生は未熟、未完な霊魂が完全(神)を目指して成長していくそのスタートをきったにすぎないのです。すなわちあらゆる比較対照を通して学び、利己から利他へと向かっていく過程のことなのです。そういう意味では、元はそれぞれ一本の棒の両端なのです。全ての道は先端のゴール(神・完全)を目指してその途上にあるというだけです。このことは他界後の霊界に移ってもゴールには決して至らない永遠の旅路となります。

 

-苦も魂の成長に繋がれば善となる-
“地上の人間にとって苦しみは悪であり、痛みは歓迎されませんが、実質的には必ずしもそうではありません。苦は楽と同じく神の計画の一部です。苦がなければ楽もなく、暗闇がなければ光明もなく、憎しみがなければ愛もありません。作用と反作用は同じものであると同時に正反対のものです。一つのコインの両面(両端)と思えばよろしい。善と悪はともに不可欠のものであると同時に、相対的なものです。地上にはさまざまな道徳的規範があり、国によって異なります。たった一つの絶対的規範というものはありません。私たち霊にとっての価値基準はただ一つ――魂にどういう影響を及ぼすかということです。魂の成長を促すものは善で、成長を遅らせるものは悪です。そこが大切な点です。 (中略) 生命の原理、霊的真理の基本(真の我とは永遠不滅の霊魂なり)を忘れないようにしましょう。それさえ確保しておれば、(地上世界への)存在の目的を成就していることになるからです”(九巻)P198

 

-人間はしくじるものです-
“もしもあなたが何一つ間違いを犯さない人だったら、あなたは今この地上にはいらっしゃらないはずです。間違いを犯す人間だから地上に来ているのです。しくじってはそこから教訓を学ぶのです。もしもしくじらないほど完全な人間だったら、物質界に生まれてくる必要はありません。勉強のために地上へ来ているのです。しくじっては学ぶ――それが進化の法則の一環なのです (九巻)P167

 

-しくじってはそこから学ぶのです-
地上の人間は自由意志を行使することによって“しくじりやすい”ということは、失敗や過ちをおかしやすいということであり、因果律から大小さまざまな苦難や困難を自ら招くことになります。ある意味、病もそうである場合が多いのです。
人生は“原因と結果の法則”がグルグルと回転しているようなものです。上記の霊訓で語られているとおり、地上の人間である限り未熟なため“しくじる”もので、この“しくじる”ことが霊的成長のための前提とさえなっております。しくじっては学ぶ、これが地上世界における「進化の法則」なのです。
その“しくじり”や失敗からくる苦や災いも、逃げないで克服することによって魂の成長を促すものとなれば、苦も“善”となり、地上人生の目的に合致することになります。逆に、幸せや楽でも傲慢になり不遜になって霊性を下げれば“悪”となることもあるわけです。
我々はたとえ未熟ではあっても因果律をとおして、すべては神性すなわち真・善・美(愛・誠・調和)の方向を目指しているといえます。スピリチュアリストであれば何事も霊的視野でとらえ、霊的摂理に適応する意志と努力さえできておれば、すべてのことは霊的成長へとつながっていきます。分かりやすく表現しますと、憎しみも愛も同じ感情という一本の棒の両端にあり、憎しみという感情のない者は、愛情という感情もないことになります。比較対照によってその違いを明確にし、真の愛とはどういうものかを理解できるようにすることが目的であり、憎しみも愛も共に一本の棒でつながった同じ感情からくるものです。
その目的とするところは、神の愛を理解するためなのです。

 

-地上世界は両極を体験して霊的成長をする学校である-
“これまでたどられたあなたの足跡も、背後霊によって暗闇から光明へと導かれてまいりました。これは、低く下がるだけ高く上がれるという「償いの法則」によって、本当の意味での人間的向上が得られる過程の一環なのです。
光を見出すのは闇の中においてこそです。喜びを見出すのは悲しみの中においてこそです。
真実の自我を見出しはじめるのは、地上にはもはや頼りになるものは何もないと思えた時です。これは人生の両極性という、魂が真の自我を見出すための原理の一つです。
果てしない宇宙に展開する生命活動の一つ一つが、規律づけられた何らかの役割をもっております。嵐も、青天と同じく、無くてはならないものなのです。闇も、光と同じく、無くてはならないものです。人間性が鍛えられるのは苦しい試練の中においてこそです。その両極性を体験してはじめて成長しはじめるのです。私は屁理屈を言っているのではありません。大霊がその無限の叡智によって地上の人類のために案出した「進化の法則」がそうなっているということを申し上げているのです。言い替えれば、必要なものは時が熟せば与えられるということです。困難・試練・試金石・障害、こうしたものは魂がその潜在的資質を発揮するために欠かせない体験です。一種の触媒を提供してくれるのです。
これまでを振り返ってごらんになれば、最大の窮地と思えた時に道が開かれ、真実の自我を発揮する方向へと導かれていることに気づかれるはずです” (十一巻)P154

“私たちと同じくあなた方も法則の中で生きております。そして病気というのはその法則との調和が乱れた結果として生じるのです。言ってみれば霊として未熟であることの代償として支払わされるのです。しかしその支払いとはまた別の「補償の法則」もあります。物事には得があれば損があり、損があれば必ず得があるのです。物質的な観念からすれば得と思えることも、霊的な観点からすれば大きな損失であることがあります。すべては進化を促すための神の配慮なのです。
教訓を学ぶ道はいろいろありますが、最高の教訓の中には痛みと苦しみと困難の中でしか得られないものがあります。それが病気という形で現れることもあるわけです。人生は光と陰の繰り返しです。片方だけの単調なものではありません。喜びと悲しみ、健康と病気、晴天と嵐、調和と混乱、こうした対照的な体験の中でこそ進歩が得られるのです。
ということは双方に神の意志が宿っているということです。良いことにだけ神が宿っていると思ってはいけません。辛いこと、悲しいこと、苦しいことにも神が宿っていることを知ってください”(九巻)P214

 

-進化向上へと導く愛の摂理-
霊界まで含めると全宇宙は、絶対的な大摂理として完璧な公平性で貫かれております。そして善因善果・悪因悪果という「因果律」や「償いの法則」、「やり直しの機会」などの法則は、すべて“しくじりやすい”我々の霊的成長、進化向上のために準備された愛の神の摂理でもあるのです。

 

“要するに、進化とは地上においても全宇宙においても無限の過程であり、そのこと自体が宇宙の全機構を案出した無限の知性の存在(神)の証明であることを認識してください。その知性が絶対に誤ることのない法則によって統治し、ありとあらゆる側面を導き、支え、そして規制しているのです。われわれはその愛と叡智の機構(摂理・法則)の中に存在しているのです。間違いを恐れてはいけません。そこから学び、刻一刻と霊的に成長していくのです(九巻)P168

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