大阪シルバーバーチの会 亀水忠茂

大阪シルバーバーチ読書会のご案内
人生に疲れた方、心配、不安の絶えない方、
いっしょに霊的摂理・真理を学んで人生の目的を知り、
共に限りある今生を力強く活きませんか。

第127回読書会

開催日/2023年4月4日(火)

時 間/午後7時~8時30分

場 所/大阪市立生涯学習センター
     TEL: 06-6345-5000(代)
     大阪市北区梅田1-2-2-500
     大阪駅前第二ビル5階
     アクセス案内:
     https://osakademanabu.com/umeda/access


内 容/「シルバーバーチの教え」 上巻 

     十七章 “霊界でも祝うクリスマスとイースター”

     及び 十八章 “霊界側から見た戦争”

     (スピリチュアリズム普及会発行)

     

持参品/「シルバーバーチの教え」 上巻

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新規参加を希望される方は、
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profile

氏  名:亀水 忠茂

生まれ:1950年 男性 現役企業人(製造業)
住  所:兵庫県
趣  味:読書、クラシックカメラの収集
その他:

学生時代から常に人生の目的、意義を知りたいと探求してきました。

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ご案内

 世の中あげて、科学・物質万能、拝金主義に突き進んでおります。そして五感に感じる現実のこの世界が人生の全てであって、それを謳歌するためには、どうしてもお金や地位、権力が必要と信じきって、その実現のためにはああでもない、こうでもないと、じっとしていられない毎日を送っております。そのため不安、恐怖、心配事が朝、目覚めたときから脳裏をよぎり、いつもの取り越し苦労がまた始まります。他人のことをかまう余裕もありません。

 では、はたして目に見えるこの世界や身体が唯一のものなのでしょうか。世の中で言われるように、死とともにすべては無に帰するとすれば、ほとんど苦悩の連続の人生とは一体何なんでしょうか。

 あるいは昔からいわれているように霊魂という本当の自分、本体があって、じつはその霊の力というか、気のような生命エネルギーがその肉体を動かしているのでしょうか。

 今の私たちの人生はとても短い一度きりの貴重なものです。理性に照らして納得のいく答えを今生で見出したいものです。 私は迂用曲折の末、ようやく「シルバーバーチの霊訓」の中にその答えを見つけました。人生に疲れた方、心配、不安の絶えない方、いっしょに霊的摂理・知識を学び、人生の目的・意義を知って、共に限りある今生を力強く活きませんか。

 

◯おすすめ

友人の女性が経営する神戸市須磨区にある喫茶店(新須磨病院 隣)をご紹介します。スピリチュアリズム(特にシルバーバーチ)に関しては経験と知識がとても豊富で、的確なアドバイスが得られます。雑談も大歓迎ですので霊的摂理の話をする場がなくて困っておられる方は、どうかお気軽に遊びに来て下さい。
“喫茶りふれん”(午前8時~午後5時まで 定休日:毎月1日と日曜、祭日 TEL:078-737-3355)

 

次回読書会の霊訓の中から

  

“地上界に限って考えてみても、戦争を正当化することはできません。物質的にも、ただ破壊を引き起こすだけです。霊界側から見たとき戦争は、決して正当化することはできません。戦争は、人間は地上界を離れる時期がきたときに肉体から去るべきである、という摂理に反することになるからです。大霊の子が、よくぞ平気で神聖なる摂理を犯すものだと、私たちは呆れるばかりです。” P57

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過去の読書会テキスト

 

今月の叡智の言葉 (2023年3月)

“魂を照らす光明へ向けて順調に頑張っておられるのに、自分では精神的に暗闇にいるように思っておられる。それで私が、怖がらずに突き進みなさい、とハッパをかけるのです。”
「シルバーバーチの霊訓」 三巻 P72 (潮文社発行)

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寸 感(2023年3月)

“グループ・ソウル(類魂)と霊的ダイヤモンド(インディビジュアリティ)” (雑記)(2023.3.3) 


(はじめに)
〇黒文字は近藤千雄訳(潮文社発行)
緑文字は原文からの引用
青文字は亀水特記
赤文字は要注意箇所です。


今回は、前回に引き続き、“グループ・ソウル(いわゆる類魂)とは、同じ霊格を具えた霊の集団のことではなく、インディビジュアリティである一個のダイヤモンドのカット面facetにたとえられている“魂”の集合したものであることの検証を、以下の「シルバーバーチの霊訓」から行います。


Ⅰ.≪霊的ダイヤモンドとは何か≫


●「シルバーバーチの霊訓」四巻 三章 “再生の原理”より(潮文社発行)


───霊にいくつかの側面があり、その内の一つが地上に生れ、残りは他の世界で生活することもあり得る、という風におっしゃいましたが、もう少し詳しく説明していただけませんか。

“私に言わせれば、霊とはあなた方のいう神 God 、私のいう大霊 Great Spirit の一部分です。あなた方に理解のいく用語で表現しようにも、これ以上の言い方は出来ません。生命力 life force 動力 dynamic、活力 vitality、本質 real essence、神性 divinity、それが霊です。
かりに私が“あなたはどなたですか”と尋ねたらどう答えますか。“私は〇〇と申すものです”などと名前を教えてくれても、あなたがどんな方か皆目分かりません。
個性があり、判断力を持ち、思考力を具え、愛を知り、そして地上の人間的体験を織りなす数々の情緒を表現することの出来る人───それがあなたであり、あなたという霊です。その霊があるからこそ肉体も地上生活が営めるのです。
霊がひっこめば肉体は死にます。霊そのものに名前はありません。神性を具えているが故に無限の可能性を持っています。無限ですから無限の表現も可能なわけです。
その霊にいくつかの面があります。それを私はダイヤモンドに譬えるわけです。それぞれの面が違った時期に地上に誕生して他の面の進化のために体験を求めるのです。” P75

 

Ⅱ.≪インディビジュアリティと霊的ダイヤモンドとは同じもの≫


●十巻 七章 “再生問題を語る”より (潮文社発行)


───その息子は再生というものを信じているらしいのです。しかし今自分の父親が死にかかっているのを見て不安を抱いております。父親が死んで家族が別れ別れになったあと、父親がどこかに再生してしまえば、はたしてうまく再会できるかどうかが心配だと言うのです。

“私は再生が事実であることを、いささかの躊躇もなく断言します。ただ私は、すべての人が再生するとは言っておりません。私が言っているのは、人間の個性というのはそれ自体が独立した存在ではなくて、大きなダイヤモンドの無数の側面の一つにすぎないこと
その側面が地上へ誕生して体験を積み、それによって得られる霊的成長をダイヤモンドに持ち帰って、一段と光沢と輝きを増すことになるということです。
それは、支払うべき霊的借金とでもいうべき宿業(カルマ)を持った人が因果律の働きで戻って来る場合もありますし、進化した高級霊が特定のグループ、時には特定の国家のために貢献する使命を持って降誕する場合もあります。その霊の持つ資質と才能とがその地域の人たちに必要だからです。
これはとても複雑な問題です。私がダイヤモンドに例えているインディビジュアリティというのがあり、それは、たった一回の地上生活で発揮されるパーソナリティ(人物像)よりもはるかに大きなものであるということが理解できるようでなければ、この問題は扱えません。
そのパーソナリティとインディビジュアリティとを混同している方が多いようです。一個のインディビジュアリティがいくつもの分霊(魂 亀水)を出して地上に沢山のパーソナリティを持つことが出来ます。インディビジュアリティの物的表現、ないしは顕現です。数は沢山ですが、同じインディビジュアリティから出ているのです。パーソナリティというのは仮面を意味するラテン語のパーソナから来た言葉で、物的身体にまつわるものを意味します。インディビジュアリティが五つの物的感覚を通して自我を表現するための道具であり、氷山に例えれば水面上に出ているほんの一部に過ぎません。
パーソナリティは地上でつけているマスクです。インディビジュアリティ、つまり本当の自我はめったに顔を出しません。(五感に邪魔されて)出そうにも出せないのです。死によって肉体から分離した時に自覚される大きな自我に比べると実にお粗末なものしか表現しておりません。このようにインディビジュアリティはパーソナリティよりはるかに大きなものです。死後に生き続けるのはパーソナリティではありません。パーソナリティはインディビジュアリティによって投影された影にすぎません。
そのインディビジュアリティが、肉体の死後、地上で発揮されなかった潜在的可能性を少しずつ発揮していきます。
地上での特別な使命が託されている場合はインディビジュアリティの比較的大きい部分───多くの側面───がまとまって一個の肉体に宿ります。この場合にもダイヤモンドの光沢を増すための体験を積むという目的も兼ねているのです。
一つの大きな魂(インディビジュアリティ)があって、それに幾つもの部分的側面があります。それらが別々の時代にパーソナリティとして地上に生を受けます。が、寿命を終えて霊界へ戻ってきた時も一個のインディビジュアリティの側面であることに変わりありません。”
P114


⇒ここでインディビジュアリティとダイヤモンドは同じものであることが分かります。そのダイヤモンドは幾つもの部分的側面(魂)によって光沢を増していくのです。

 

──“霊”(スピリット)と“魂”(ソウル)の違いについて教えていただけませんか。
スピリチュアリズムの七つの綱領の中で私たちは死後の個性の存続をうたっておりますが、次に生まれ変わる時、実際に再生するのは最初の霊の個性とは別のものでしょうか。

“これはまた厄介な質問をしてくださいました。問題は用語にあります。言語を超えたものを説明するための用語を見つけなければならないので厄介なのです。
魂と霊の違いがその好例です。使用する際にはどういう意味で使用するかを明確にしないといけません。ここでは単純に、魂とは無限なる宇宙の大霊から出た分子、粒子、神性ということにしましょう。そして霊とはその魂の媒質です
それが肉体から分離すると地上時代よりはるかに自由自在に機能を発揮するようになります。肉体は物質でできています。それが霊の表現を制約しているのです。
それゆえ、あなた方は霊をたずさえた魂であり、それが肉体を通して自我を表現しているのです。パーソナリティというのはその肉体を携えた地上生活において表現されている側面のことでしかありません。それは本当の自我であるインディビジュアリティのごく小さな一部にすぎません。肉体に包まれているために存分に自我を発揮できないのです。” P119

⇒過去から未来永劫にわたって常に存在している霊(spirit:大霊の分霊)が、肉体に宿り地上世界に誕生することによって、自我(エゴ)を認識し、自我意識(個性)を持った霊が魂
(soul)といいます。
霊が肉体をまとって自我を顕現しながら地上時代につくったカルマは、因果律によって必然的に霊を内在したこの魂に残っているのです。
この一つ一つの魂がダイヤモンドのカット面(側面facet)となり、いくつもの側面facetsが同じ本霊(真の自我)から別々に異なった時代に地上に体験を求めて出生してくるわけです。


───ある書物に、われわれは同時に二つの場所に生まれ出ることができると書いてありました。事実でしょうか。

“私は、真の自我であるダイヤモンドには無数の側面があり、それがさまざまな体験を持ち帰ってダイヤモンドの光沢を増す、という考えです。ダイヤモンド全体が一度に生まれてくることはありません。いかなる身体もインディビジュアリティのすべてを宿すことは不可能だからです。パーソナリティとインディビジュアリティの違いを理解しないといけません。パーソナリティというのは物的身体を通して顕現した地上だけの人物像です。インディビジュアリティというのは魂の全体像です。その全体像を地上で七〇年や八〇年、あるいは九〇年の間に発揮することは到底不可能です。
“われわれ”とおっしゃった同じダイヤモンドの仲間の別の側面が同時に地上へ誕生することは有り得ることです。が、すべては法則と秩序によって規制されております。その時期が来るまでは余計な心配はなさらぬことです。
もう一度生まれ変わりたいという願望を持つようになる人がいます。奉仕的活動をしたいという場合もあります。成し遂げたい仕事がある場合もあります。償わねばならないカルマ的な“借金”が残っている場合もあります。そういう人たちが地上へ再生するのです。
二度、三度と繰り返すこともあります。が、いずれの場合も再生してくるのは真の自我すなわちインディビジュアリティの側面の一つです。
再生したくないのであれば、何もこの暗いじめじめした陰鬱な世界へ戻ってくる必要はありません。真の自我に目覚めた人は再生してくる必要はありません。” P122


 ───霊界へ行ってからでもカルマを清算することが出来るのでしょうか。

“無論です。それが普通です。” P125

 

Ⅲ.≪グループ・ソウル(いわゆる類魂)とは霊的ダイヤモンド のことである≫


───あなたがダイヤモンドに譬えておられるその“類魂”について、もう少し説明していただけませんか。それは家族関係(ファミリー)のグループですか、同じ霊格を具えた霊の集団ですか、それとも同じ趣味を持つ霊の集まりですか。あるいはもっとほかの種類のグループですか。


“(中略)地上的血縁関係は永遠なる霊的原理に基づくものではありません。類魂というのは、人間性にかかわった部分にかぎって言えば、霊的血縁関係ともいうべきものに起因した霊によって構成されております。同じダイヤモンドを形づくっている面々ですから、自動的に引き合い引かれ合って一体となっているのです。その大きなダイヤモンド全体の進化のために個々の面々が地上に誕生することは有り得ることですし、現にどんどん誕生しております” P76

 

───われわれ個々の人間は一つの大きな霊の一分子ということですか。


そういってもかまいませんが、問題は用語の解釈です。霊的には確かに一体ですが、個々の霊はあくまで個性を具えた存在です。その個々の霊が一体となって自我を失ってしまうことはありません” P77


(上記2箇所の原文の出処箇所は不明です。)

 

●九巻 九章 “青年部の代表と語る”より (潮文社発行)

───大きなダイヤモンドの側面の一つである、つまり私は類魂(グループ・ソウル)の一つであるという意味だと思うのですが、もしも生命が永遠だとすると、他の類魂の体験を必要とするというのは論理的におかしいように思えます。

You mention a facet of a large diamond, that I could be one of a group soul of people. It does not seem logical, if we have eternity, that it would be necessary for me to have experience for a number of other souls.

“全宇宙を通じて作用と反作用が営まれております。はるか彼方にいる者でも、あなたが叡智を身につけていく上において多大な影響力を行使することが出来るのです。
人間は身体的にも精神的にも霊的にも孤立状態で生きることは有り得ないのです。それをグループ・ソウルと呼んでもダイヤモンドと呼んでも、所詮は用語を超越したものを表現するためにあれこれと用語を使ってみているにすぎません。
“あなた”とはいったい誰なのでしょう。その“あなた”という存在はいつから始まったのでしょうか。あなたという個的存在は受胎の瞬間から始まったのでしょうか。“アブラハムが生まれる前から私は存在している”とイエスが述べておりますが、それはどういう意味かお分かりですか。
“霊としては私は常に存在していた”という意味です。あなたもそうですし私もそうです。
インディビジュアリティ断片(側面facet 亀水)が異なった時代に物的世界に顔をのぞかせたということは有りうるのです。” P133


“Action and reaction occur throughout the whole universe. Men in far-away places can product a tremendous impact on your existence in the way of contributing to the sum total of knowledge everywhere. You cannot live in physical, mental and spiritual isolation. Call it a group, call it a diamond, you are trying to use words to express what is beyond words. Who are “you”, and when did “you” begin? Did your individuality commence from the moment of conception? “Before Abraham was, I am,” said the Nazarene. What did he mean? Only that as spirit he had always existed; so have you and so have I. It may be that fragments incarnate at differing times.”
P99 「Philosophy of Silver Birch」

 

●九巻 十一章 “三つの出張講演から”より(潮文社発行)
―SAGBにおける講演と一問一答―


───カルマの要素があるということは再生もあるということでしょうか。
If there is karma, is there reincarnation?

“再生はあります。しかし一般に言われている形(機械的輪廻転生)での生れ変わりではありません。霊界には無数の側面をもった、霊的ダイヤモンドとでもいうべきものがあります。
その側面が全体としての光沢と輝きを増すための体験を求めて地上へやってまいります。
これでお分かりのように、地上へ生まれてきたパーソナリティは一個のインディビジュアリティの側面の一つということになります。少しも難しいことではないのですが、人間はそれを勘違いして〝私は前世はだれそれで、次はまた別の人間に生れ変わります〟などと言います。そういうものではありません。
生まれてくるのは“ダイヤモンド”全体に寄与する一つの側面です。その意味での再生はあります。地上で発揮するのは大きな“インディビジュアリティ”のごくごく小さな一部分にすぎません。
かくして皆さんのおっしゃる“類魂”(グループ・ソウル)というものがあることになります。
つまり霊的親族関係を有する霊の集団(類魂:グループ・ソウル 亀水)が一つの統一体(ダイヤモンド:亀水)を構成しており、それが全体としての進化を目的として、いろんな時代にいろんな土地に生れてその体験を持ち帰るわけです。
” P200


“There is reincarnation, but not in the sense in which it is generally expounded. There is in our world a spiritual diamond which has many many facets. These come into your world to gain experience and to add their quota to the diamond`s lustre and brilliance. Thus the personalities that are incarnated are facets of the one individuality. There is no problem really. People get confused and say, “I was So-and So last time and I will be somebody else next time.” That doesn`t matter. It is the facet which has its quota to contribute to the entirety of the diamond-in that sense there is reincarnation. What you express on earth is but an infinitesimal fraction of the individuality to which you belong. Thus there are what you call “group souls”, a single unity with facets which have spiritual relationships that incarnate at different times, at different places, for the purpose of equipping the larger soul for its work.”  P138 「Philosophy of Silver Birch」


 ───みんなグループ・ソウルに属しているとなると、仲間の良い体験の恩恵をこうむると同時に、良くない体験の悪影響も忍ばねばならないのでしょうか。

その通りです。それが全体に寄与するのだと思えば、それも有難い体験です。” P201


●十巻 五章“死んだあと、どうなるのか”より (潮文社発行)


─── 霊界では一個の霊が数か所で同時に仕事をすることができると聞いております。これはグループ・ソウルの原理と関係したことなのでしょうか。つまり一個のダイヤモンドの複数の相の一つ一つが行うことが、あたかも一つの相が同時に行っているように思えるのでしょうか。


――― I have been told that in the spirit world a  person can do many things in different places at the same time. Is it something to do with the group soul, that everything each facet of this diamond does seems to each individual facet as if he were doing it himself?


“霊界ではさまざまな霊相を表現することが出来ますが、一個の霊が複数の相を別々の場所で
同時に表現することはできません。一度に一つの場所にしか存在できません。
ただ、地上の人間のように物的条件による距離の制約は受けません。たとえば地上の距離にして何千マイルも離れたところへでも、行きたいと思えば一瞬の間に行くことができます。
それはダイヤモンドの一側面、つまりグループ・ソウルの一個の単位であることとは何の関係もありません。その側面が全体としての進化に寄与するための体験を獲得するために地上へ誕生します。”  P99


“In our world its dwellers can express varying aspects of life, but not be in several different aspects at the same time. They can only be in one place at one time.
We are not subjected to the limitations of travel that are imposed on you because of physical conditions. If, for example, we want to visit remote places in your world that physically are thousands of miles away, that presents no problem; we can be there instantly.
It has nothing to do with being a facet of a diamond or an integral part of a group soul. The facets of
the diamond incarnate into your world to acquire experiences that will help the diamond.
P59 「Light from Silver Birch」

 

 ───その結果ダイヤモンドが全体としてより立派なものとなるわけですね。


“そういうことです。一段と深い霊的覚醒と発展が得られるからです。各側面が地上での体験によって霊性を高めるのです。地球も本質的には霊的進化の場としての存在価値を有しているのです。そうでなかったら存在しないはずです。” P100

 

―付記―
前回に引き続いて、シルバーバーチの語ったオリジナルの原文から、理性的、且つ、シンプルに理解してみると、いわゆる“類魂”と称されている“グループ・ソウル”は、同じ霊格(霊性レベル)を具えた霊の集団のことではなく、あくまでも一個の霊(spirit)、大きなインディビジュアリティ(大我)である霊的ダイヤモンドを構成しているカット面(側面facets)としての魂(soul・パーソナリティ・小我)の集合体“group soul”のことであるように私には思えます。


次回の寸感は、これに関連した“フレデリック・マイヤーズの通信”(ジェラルディーン・カミンズ著)の「永遠の大道」(不滅への道)の中から“類魂”の原文をそえて、近藤千雄訳と梅原伸一郎訳、及び亀水訳で比較対照しながら取り上げてみたいと思います。

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