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大阪シルバーバーチの会 亀水忠茂

大阪シルバーバーチ読書会のご案内
人生に疲れた方、心配、不安の絶えない方、
いっしょに霊的摂理・真理を学んで人生の目的を知り、
共に限りある今生を力強く活きませんか。

第85回読書会

開催日/2017年10月3日(火)

時 間/午後7時~8時30分

場 所/大阪市立生涯学習センター会議室で

      開催します。

      大阪市北区梅田1-2-2-500 
      大阪駅前第二ビル 5階 
      電話 :06-6345-5000

内 容/「シルバーバーチの霊訓」の読書会

      「シルバーバーチの霊訓」第九巻 

      一章“シルバーバーチはなぜ戻ってきたか”

      潮文社出版 近藤千雄訳
持参品/「シルバーバーチの霊訓」 

      第九巻を忘れずに持参してください。
参加費/無 料

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新規参加を希望される方は、
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profile

氏  名:亀水 忠茂

生まれ:1950年 男性 現役企業人(製造業)
住  所:兵庫県
趣  味:読書、クラシックカメラの収集
その他:

学生時代から常に人生の目的、意義を知りたいと探求してきました。

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ご案内

 世の中あげて、科学・物質万能、拝金主義に突き進んでおります。そして五感に感じる現実のこの世界が人生の全てであって、それを謳歌するためには、どうしてもお金や地位、権力が必要と信じきって、その実現のためにはああでもない、こうでもないと、じっとしていられない毎日を送っております。そのため不安、恐怖、心配事が朝、目覚めたときから脳裏をよぎり、いつもの取り越し苦労がまた始まります。他人のことをかまう余裕もありません。

 では、はたして目に見えるこの世界や身体が唯一のものなのでしょうか。世の中で言われるように、死とともにすべては無に帰するとすれば、ほとんど苦悩の連続の人生とは一体何なんでしょうか。

 あるいは昔からいわれているように霊魂という本当の自分、本体があって、じつはその霊の力というか、気のような生命エネルギーがその肉体を動かしているのでしょうか。

 今の私たちの人生はとても短い一度きりの貴重なものです。理性に照らして納得のいく答えを今生で見出したいものです。 私は迂用曲折の末、ようやく「シルバーバーチの霊訓」の中にその答えを見つけました。人生に疲れた方、心配、不安の絶えない方、いっしょに霊的摂理・知識を学び、人生の目的・意義を知って、共に限りある今生を力強く活きませんか。

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次回読書会の霊訓の中から

  

“もしも皆さんの行く手に暗い影がよぎるようなことがあったら、もしも困難がふりかかったら、もしも疑念が心をゆさぶり、不安が宿るようなことがあったら、そうしたものはすべて実在ではないことを自分に言い聞かせるのです。翼を与えて追い出してやりなさい
この大宇宙を胎動させ、有機物と無機物の区別なく全生命を創造した巨大な力、星も惑星も太陽も月もこしらえた力、物質の世界へ生命をもたらし、あなた方人間の意識に霊性を植えつけてくださった力、完璧な摂理として全生命活動を支配している力、その大いなる霊的な力の存在を忘れてはなりません
その力は、あなた方が見捨てないかぎり、あなた方を見捨てることはありません。その力をわが力とし、苦しい時の避難所とし、心の港とすることです。神の愛が常に辺りを包み、あなた方はその無限の抱擁の中にあることを知って下さい” P26

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過去の読書会テキスト

 

今月の叡智の言葉 (2017年9月)

“容易な手段で得られたものは容易に棄て去られるものです。
霊的熟達の道は長く、遅々として、しかも困難なものです。霊の褒賞は奮闘努力と犠牲によってのみ獲得されるのです。霊的卓越には近道はありません。即席の方法というものはありません。奮闘努力の生活の中で魂が必死の思いで獲得しなければなりません。

聖者が何年もの修行の末に手にしたものを、利己主義者が一夜のうちに手にすることが出来るとしたら、神の摂理はまやかしであったことになります。それはまさしく神の公正を愚弄するものです。一人ひとりの魂が自分の努力によって成長と発達と進化を成就しなくてはならないからです。そうした努力の末に確信を得た魂は、もはや霊的真理をおろそかにすることは絶対にありません。” (シルバーバーチの霊訓 八巻 P166)

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寸 感(2017年9月)

“霊的時期の来た人とは(平成29年8月31日)(苦しみ・試練

霊的覚醒、すなわち“本当の自分”が霊魂であると気づくためには、自我意識が打ちのめされ、自分自身はいうに及ばずこの世にはもはや頼りとなるものはないと真底観念した時に、初めて霊的な知識を受け入れる心の準備が整うものです。心に受容性が生まれるとも言えますが、それは“本当の自分”(真我・霊魂)の発現を邪魔してきた今意識している自我(仮我)が挫折し、その力が弱くなるからです。
特にこれといったこともなく、多少の凸凹はあってもごく普通の人生では絶対に霊的なものを受け入れたり求めようとはしません。唯物・拝金主義で不本意ながらもそこそこ満足しているからで、その必要性を感じないどころか警戒心までもっているからです。ですから自分の力で世の中、何とかなると思っている間はまず無理でしょう。
地上というこの物質界では、顕在意識(表面意識)上の意識している自分(仮我)が己のすべてであり、科学万能、唯物拝金主義にどっぷりと浸かっているので、とても強い固定観念ができてしまっていて、非物質的な霊的知識や摂理は一切受け付けられないのです。
その鼻を強力にへし折られる厳しい挫折の体験がないことには霊的なものを受け入れる心の空間(隙間)ができないのです。言い方を変えると、この世(物質界)の望みが全て絶たれたときこそ“救い”を物質界以外に求めるようになるのです。
例えば愛児に先立たれるとか、最愛の伴侶が他界するとか、この世の力やお金、権力ではどうにもならないことがそのきっかけとなることがあります。健康はお金では買えない不治の病の宣告もそのきっかけとなることでしょう。
世の中では、小は家庭や職場から、大は社会や国政あるいは国家単位に至るまで争いごとや殺戮が絶えることがありません。加えて憑依霊によると思われる意味不明の凶悪殺人も次から次へと発生して新聞のネタがとだえることがなく、また、大都会では毎日のように鉄道投身自殺も後が絶えません。これが利己主義・唯物拝金主義という“原因”からくる“結果”なのです。このような社会の中で真の実在・本物を求めようとすることはある意味、盲目の目が開かされてきているためともいえるでしょう。物質界にはもはや本当の救いはないと、目が開け霊的覚醒につながる切掛けとなるのが過酷な試練の“真の目的”なのです。
地上人生の“真の目的”である霊的覚醒に至る道には同じパターンをたどる王道があり、別の近道はないようです。シルバーバーチが霊訓で述べている言葉の中にその王道が示されておりますが、最近読んだ霊訓(八巻)(十巻)の中からだけでも以下のように数多く出てきます。

 

まずは、“時期の来た人”すなわち霊的に受け入れる用意ができた人でないと霊的知識は入ってこないという箇所を取り上げてみましょう。


時期の来た人でないと霊的摂理は受け入れられない!
●ですが、受け入れる用意ができていない人をいくら説得せんとしても、それは石垣に頭を叩きつけるようなもので、何の効果もありません。(シルバーバーチの霊訓 八巻 P166)

 

●受け入れる用意ができていないとだめなのです。真理は心を固く閉ざした人の中には入れません。受け入れる能力のあるところにのみ居場所を見出すのです。(シルバーバーチの霊訓 八巻 P171)

 

●と言っても私たちが救ってあげられるのは、差し出した私たちの手をつかまえてくれる人だけです。霊的真理、その崇高な力を受け入れる用意のできていない人は私たちにも為す術がないのです。受け入れ準備の整った魂は、霊的真理の灯台の光に引き寄せられます。(シルバーバーチの霊訓 十巻 P156)

 

それでは次に、霊的真理を受け入れる時期が来る条件とは、

●この交霊会にお出でになる同志の方に私が必ず申し上げていることは、霊的巡礼の旅に立たれた方はみな、同じパターンの人生を体験なさるということです。困難・難題・危機・逆境・失望・挫折、こうしたものを体験させられます。時には失意のドン底に落とされ、あたかもすべての望みが断たれ、奈落の底の暗闇の中に置かれたような、一条の光明も見出せない状態となることもありましょう。しかし、そうした時こそ魂が目を覚まし、真理を受け入れる用意が整うものなのです。奈落の底からの霊的向上が始まります。ゆっくりとして遅々たる歩みです。
それも、必ずしも着実とはかぎりません。時には逆戻りすることもあります。が、光明へ向けて向上し続け、ついに暗黒から脱け出ます。(シルバーバーチの霊訓 十巻  P146)

 

●あなたにこの(霊的)知識をもたらしたのは、ほかならぬ悲しみです。あなたは絶望の淵まで蹴落とされたからこそ受容性を身につけることができたのです。(シルバーバーチの霊訓 八巻 P166)

 

●苦難が人生とは何かを分からせる手段となることがよくあります。苦難、悲哀、危機、死別、こうしたものを体験してはじめて霊的な目が開くのです。それが永遠の実在の理解に到達するための手段となっているケースがたくさんあります。(シルバーバーチの霊訓 八巻 P140)

 

●かってあなたは、もはやこれ以上為す術(すべ)がないと思えた時に啓示を受けられて、人生に一大変革がもたらされました。今日のあなたを導いて来たのは背後霊の働きです。私の説いている霊的摂理の世界へ案内されてきました。(シルバーバーチの霊訓 十巻 P154)

 

●問題が生じるのは当然の成り行きです。地上は困難と挫折と障害と逆境に遭遇させられる場所なのです。地上生活のそもそもの目的は、伸び行く魂が、危機においてはじめて呼び覚まされる潜在的資質を発現するために、さまざまな事態に遭遇することにあるのです。そうした問題を克服しないかぎり霊性の向上は望めません。が、実は克服できないほど大きな問題は決して背負わされないのです。忍耐強く導きを祈り求めることです。時が熟せば必ずドアが開かれ、道が示されます。私はそのことを同志の方にいつもこう申し上げております。――閉め切られたドアを忙しく叩いてはいけません、と。シルバーバーチの霊訓 十巻 P150

 

●―今こそ必要とされている霊的真理を広く一般に証明してみせるために何とかして霊界から大掛かりな働きかけをしていただけないものでしょうか。それとも、今はその時期ではないということでしょうか―

 

“その時期でないのではなく、そういうやり方ではいけないということです。私たちは熱狂的雰囲気の中での集団的回心の方法はとりません。そんなものは翌朝はもう蒸発して消えています。私たちは目的が違います。私たちの目的は一人ひとりが自分で疑問を抱いて追及し、その上で、私たちの説いていることに理性を反撥させるもの、あるいは知性を侮辱するものがないことを得心してくれるようにもっていくことです。
私たちは立証と論理によって得心させなければいけません。これはその人たちが霊的に受け入れる用意ができていなければ不可能なことです。そしてその受け入れ準備は、魂が何らかの危機、悲劇、あるいは病気等の体験によって目覚めるまでは整いません。つまり物質の世界には解答は見出し得ないという認識を得なければなりません。人間の窮地は神の好機であるといった主旨の諺があります。私たちはそういう方法でしか仕事ができないのです。”(シルバーバーチの霊訓 八巻 P165)

 

●―そこで私は今その霊的知識を集大成したいと考えております。テープも書物もかなりの数になりました。それを若い世代のために人生の指針として教えていくためのグループを組織したいと考えているのですが・・・―

 

“・・・私たちの仕事はこうした霊的真理を一度に一人ずつ、受け入れる準備の整った魂に教えていくことです。この点をとくに強調しておきます。それが偽らざる事実だからです。
諺にも“馬を水辺まで連れて行くことはできても、水を飲ませることはできない”というのがあります。イエスはこれを豚と真珠という、きつい例えで表現しました。
受け入れるにはその準備ができていなければならないということです。あなたも暗い影の谷間を通り抜けるまでは、真理を受け入れる用意はできておりませんでした。その間の体験が、こうした基本的な永遠の霊的真理を理解しはじめる端緒となる決定的な手段ないし触媒となったのです。” (シルバーバーチの霊訓 十巻 P147)

 

だからこそ、霊的摂理を受け入れるには時期が来ていないとだめであり、それは各個々人が自分自身の心からの求道によって自己責任で覚醒しなければならない極めて個人的な問題であって、霊的覚醒はテレビなどのマスメディアを利用して手っ取り早く集団で一斉にということは不可能なことなのです。

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