大阪シルバーバーチの会 亀水忠茂

大阪シルバーバーチ読書会のご案内

人生に疲れた方、心配、不安の絶えない方、
いっしょに霊的摂理・真理を学んで人生の目的を知り、
共に限りある今生を力強く活きませんか。

第89回読書会

開催日/2018年2月6日(火)

時 間/午後7時~8時30分

場 所/大阪市立生涯学習センター会議室で

      開催します。

      大阪市北区梅田1-2-2-500 
      大阪駅前第二ビル 5階 
      電話 :06-6345-5000

内 容/「シルバーバーチの霊訓」の読書会

      「シルバーバーチの霊訓」第九巻 

      七章“魂を癒す――心霊治療の本質”

      潮文社出版 近藤千雄訳
持参品/「シルバーバーチの霊訓」 

      第九巻を忘れずに持参してください。
参加費/無 料

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新規参加を希望される方は、
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profile

氏  名:亀水 忠茂

生まれ:1950年 男性 現役企業人(製造業)
住  所:兵庫県
趣  味:読書、クラシックカメラの収集
その他:

学生時代から常に人生の目的、意義を知りたいと探求してきました。

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ご案内

 世の中あげて、科学・物質万能、拝金主義に突き進んでおります。そして五感に感じる現実のこの世界が人生の全てであって、それを謳歌するためには、どうしてもお金や地位、権力が必要と信じきって、その実現のためにはああでもない、こうでもないと、じっとしていられない毎日を送っております。そのため不安、恐怖、心配事が朝、目覚めたときから脳裏をよぎり、いつもの取り越し苦労がまた始まります。他人のことをかまう余裕もありません。

 では、はたして目に見えるこの世界や身体が唯一のものなのでしょうか。世の中で言われるように、死とともにすべては無に帰するとすれば、ほとんど苦悩の連続の人生とは一体何なんでしょうか。

 あるいは昔からいわれているように霊魂という本当の自分、本体があって、じつはその霊の力というか、気のような生命エネルギーがその肉体を動かしているのでしょうか。

 今の私たちの人生はとても短い一度きりの貴重なものです。理性に照らして納得のいく答えを今生で見出したいものです。 私は迂用曲折の末、ようやく「シルバーバーチの霊訓」の中にその答えを見つけました。人生に疲れた方、心配、不安の絶えない方、いっしょに霊的摂理・知識を学び、人生の目的・意義を知って、共に限りある今生を力強く活きませんか。

 

◯おすすめ

友人の女性が経営する神戸市須磨区にある喫茶店をご紹介します。スピリチュアリズム(特にシルバーバーチ)に関しては経験と知識がとても豊富で、的確なアドバイスが得られます。雑談も大歓迎ですので霊的摂理の話をする場がなくて困っておられる方は、どうかお気軽に遊びに来て下さい。
“喫茶りふれん”(午前8時~午後5時まで 定休日:毎月1日と日曜、祭日 TEL:078-737-3355)

 

次回読書会の霊訓の中から

  

“地上生活は霊としての存在意識を全うするという大目的(霊的成長)のために学び鍛える、そのトレーニングの場にほかなりません。挫けてはなりません。いかなる事態にあっても、不安の念をカケラほどでも心に宿すようなことがあってはなりません。今日まで支えてきた力は、これからも決して見捨てるようなことはいたしません。絶対に裏切ることはありません。もしあるとしたら、この宇宙そのものが存在しなくなります。その根源的なエネルギー、存在の支えそのものが不在となることがあることになるからです” P89

 

迷わず前進なさることです。今日は今日一日のために生きるのです。そして、過去が霊の導きを証明しているように、未来も間違いなくあなたが志願された使命を全うさせてくれるものと信じることです” P90

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過去の読書会テキスト

 

今月の叡智の言葉 (2018年1月)

“万が一やる気を無くするようなことがあったら、―人間なら時には意気消沈することがあるものです―その時はいったん歩みを止めることです。
そしてそれまで奇跡ともいえる形で成し遂げられてきたことを振り返って、これだけのことが成就されてきたのなら、これから先もきっとうまく行くはずだという認識をもつことです。あなたに要求されることは、そこまであなたを導いてきた霊力に対する絶対的な忠誠心と自信とをもってあなたの責務を全うすること、それだけです。あなたなりにベストを尽くすことです。あなたの力の範囲内で出来るかぎりの努力をなさることです。恐れるものは何一つありません。困難はあります。が、それもきっと克服されます。毎朝が新しい霊的冒険の好機なのです”
(九巻)P94

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寸 感(2018年1月)

スピリチュアリストにとって“苦”とは何だろう(平成29年12月25日)(苦しみ・試練)


地上には何一つ頼れるものはないとの心境にまで落ちて初めて霊的真理を求め、“本当の自分”に気づかされる体験を数多くのスピリチュアリストはお持ちのことと思います。私もそうでした。しかしながら、このようなドラマティックな大きな転換点に限らず、その後も大なり小なり様々な苦の体験が人生には伴ってきます。できることなら苦は避けたいと思うのが人情ですが、実はこの苦がないと霊的摂理の真の意味は理解できず、摂理の確信に至るまでには繋がりません。一言でいって、日常生活で苦の体験がないと霊的真理が単なる知識レベルに留まってしまって、決して身につかないのです。ということは霊的自我の開発が進まないということです。もっと言えば、霊的真理を求める探求の道はそう長くは続かないだろうと思います。
苦の中で霊的摂理を実践するという実体験を通してこそ、真に摂理を理解し自分のものとすることができます。当然です、霊的摂理にしがみつく真剣度が自ずと違うからです。人間関係や日常のさまざまな出来事など、苦に満ちたこの地上世界という環境をとおして霊的摂理を学んでいるともいえます。
それでは以下、霊訓を引用しながらそのことをいっしょに考えてみましょう。

 

●あなたは過ちを犯すために地上へ来たようなものです
これからもあなたは過ちを犯します。そしてそれに対する償いをすることになります。そうした営みの中で叡智を学んでいくべきなのです。過ちを犯すために地上へ来たようなものです。もしも絶対に過ちを犯さない完全な人間だったら、今この地上にいらっしゃらないはずです。過ちも失敗もあなたが不完全であることから生じます。しかし、転んでも起き上がることができます。取り返しのつかない過ちというものはありません。新しい希望と新しい可能性を秘めた新しい日、新しい夜明けが必ず訪れます” (九巻)P63

 

“進化しつつある魂はラクを求めないものです。挑戦を求めるものです。それが内在する力を表面に引き出し、それだけ霊的に強力となっていきます。苦難はかならずそれだけの甲斐があるものです。(中略) これからも失敗はあるでしょう。何度もしくじることでしょう。だからこそ地上に生まれてきたのです。もしも学ぶことがなければ、この地上にはいらっしゃらないでしょう。地上は子供が勉強に来る学校なのです。完全な霊だったら物質に宿る必要はないでしょう” (九巻)P76

 

●困難・苦難の真の意味は
“太陽がさんさんと輝き、何不自由ない安楽な生活の中で、はたして(霊的)自我の開発が望めるものでしょうか。何一つ学ぶことのない生活を送っていて、一体どういう精神的発達が望めるのでしょうか。そのうちあなたも地上生活を振り返って“厄介な問題こそ有り難かったのだ。あの苦労があったからこそ人生の目的を悟り(霊的)自我の開発の道が見出せたのだ”と思われる日が来ることでしょう” (十一巻)P35

 

“何一つ煩わしいことがなく、空は明るく静かに晴れ上がり、すべてがスムーズにそして穏やかに運んでいるような生活の中では、真の自我(霊的自我)は見出せません。すばらしい霊的覚醒が訪れるのは、嵐が吹きまくり、雷鳴が轟き、稲妻が光り、雨が容赦なく叩きつけている時です。お二人が歩まれた道もラクではありませんでした。しかし、だからこそ良かったのです。困難にグチをこぼしてはいけません。困難は霊の拍車です。霊的知識をたずさえてそれに立ち向かうことです霊の力は物質の力に勝ります” (九巻)P70

 

拍 車:馬に乗るとき靴のかかとに取り付ける金具。一端に歯車があり、馬の腹部を刺激して馬をあやつるもの。物事の進行を加速させる意味で使われる。

 

“光(叡智・悟り)を見出すのは暗闇(苦)の中にあってこそです。人生はすべて両極性です。苦労なしには魂は(霊的)自我を見出すチャンスがありません。苦難がその触媒となるのです。霊的に向上し、霊的資質をより多く具え、喜んで人のために自分を犠牲にする覚悟ができるようになる、その手段として(苦難が)用意されるのです” (十一巻)P38

 

触 媒:化学反応に際し、反応物質以外のもので、それ自身は化学変化をうけず、しかも反応 速度を変化させる物質。

 

苦難は進化を促し、魂を調整するための不可欠の要素なのです。魂が真の自我(霊的自我)に目覚めるのは苦難の中にあってこそです。人生のうわべだけを生きている人間には、魂が自己開発する機会がありません。地上的方策が尽き果て、八方塞がりの状態となったかに思える時こそ、魂が目覚めるものなのです。言いかえれば物質が行き詰った時に霊が目覚め、小さな神性のタネが芽を出し、花を咲かせ、内部の美質を徐々に発揮しはじめるのです。苦難はコインの裏側と思えばよろしい。闇なくして光もなく、嵐なくしては晴天もありません” (九巻)P88

 

●霊的指導者の人生はすべて同じパターンをたどります
“霊的指導者の人生はすべて同じパターンをたどります。
むごい仕打ちを受ける試練の時期があります。基盤としていたものがすべて瓦解したかに見えて、悲哀が身に染み煩悶する危機的な時期もあります。もはや導きと理解を求めるところはいずこにも無いかに思うことがあるものです。
いやしくも人のために生涯を捧げる使命をもつ者は、過酷な試練を体験しなければならないのです。もはやこれ以上は耐え切れないと思うギリギリの淵まで追いつめられ試されなければならないのです。地上のいかなる者からも救いの手は差しのべてもらえないと思える深淵まで落ちてみなければならないのです。そこに至ってはじめて魂が目を覚まし、霊界から届ける豊かさと力と導きと叡智と愛とを受け入れる用意が整うのです。過酷な体験の目的は慈悲の心を芽生えさせることにあるのです。なぜかと言えば、慈悲の心なくしては霊覚者も治療家も真の意味で人を救う仕事はできないからです。それしか方法はないのです” (十一巻)P35

 

そういう人助けをするための霊的才能を授かるには、みずから苦しみと悲しみを味わうという条件が付きものなのです。霊の道具としての自覚をもつに至るには苦を経験しなければならないということです。苦の体験の本質は霊的才能を手段として仕事をする者の試金石です。それを耐え抜いてはじめて自分のもとを訪れる人の力になってあげることができるのです。
霊の僕であることを自覚する者は安楽な人生を期待してはなりません。 (中略)
霊的な熟練はそう簡単に達成されるものではありません。霊的褒章もまたそう簡単に手に入るものではありません” (十一巻)P52

 

試金石:価値・力量などを判定する材料となる物事。金・銀など貴金属片を磨って、その面に現れた条痕の色と既知のものとを比較して、その貴金属の品位を判定するのに用いる石。

 

このようなギリギリの淵まで追い詰められ試されるのは、何も“本当の自分”に気づかされる時の一度だけの人生体験(霊的覚醒)ではないのです。繰り返し繰り返しこの霊的覚醒の体験が必要なのです。なぜなら“霊的覚醒というのは霊性の進化とともに深まるものです”(九巻)P159 だからです。なおさらのこと、優れた霊界の道具として用いられるスピリチュアリストは、摂理に対する信仰(信念)を試され、大いに鍛え上げられ、その使命・重責に応えられるように霊的に強くならなければならないからです。

 

困難や苦難を前にして人は心配や不安を感じるものですが、他方で心配や取り越し苦労をしてはならないことが強く求められています。霊的大気であるオーラが霊界からの導き、援助、インスピレーションや霊の力の侵入を阻害するからです。
シルバーバーチは霊訓の中で、“霊的真理を真に理解した人間”は沈着、冷静、覚悟のできた人となり、たとえ外部では困難、苦難という逆風が吹き荒れていても、心の中は泰然自若で静寂、平穏、平静な心境になれると言っています。

 

そして、この“泰然自若の境地”に至る条件として、

  1. 長く厳しい修行 (霊主肉従の努力と利他愛の実践)
  2. 過酷な試練 (さまざまな困難・苦難に対する摂理への信念)
  3. 心配の念の侵入を許すまいとする不断の努力 (自我よりも霊的摂理にしがみつく努力)

の三つを上げています。 (九巻)P49

 

スピリチュアリストは霊的摂理を人生の基盤としているために、地上世界でいかなる状況下にあっても“霊の力は物質の力に勝ります”(九巻 P70)という希望があります。常に全力をあげて努力をおこたらずにおれば、あとはただその時期が来るのをじっと耐えて待つだけです。こちらが裏切らない限り、決して神から見捨てられることはない(霊的摂理・約束)ということを知っているからです。
霊的知識を土台とした理性的信仰を持ち、苦難の中にあって自分の考えよりも霊的摂理を実践することによって、苦を克服し摂理の正しさを実感するという数多くの体験が霊的に成長するためにはどうしても必要なのです。また、それが叡智や摂理への不動の信念となり泰然自若の境地へとつながっていきます。
繰り返しになりますが、“苦”は霊的成長と摂理への信念を不動のものとするために、とても重要な正に無くてはならない“触媒”、“拍車”の働きをしているのです。

 

“皆さん方は世俗的な問題に関わりすぎており、そうした問題のすべての解決のカギである霊の力を十分に活用していらっしゃいません。 (中略) 
美と豊かさと荘厳さと威厳と光沢と気高さ光輝にあふれた霊力そのものには際限というものはありません。ただ、人間がこしらえる条件によって制約されるのみです。どうか信念に裏打ちされた、とらわれのない通路、安易に信じるのではなく、これまでに得た知識を基盤とした信念――進化の現段階では無限の知識を手にすることが不可能である以上どうしても必要となる信念に燃えた通路であってほしいのです。
知識を基盤とした信念に燃えてください。皆さん方の一人ひとりが霊の導きによって今日まで苦難と危機と困難を乗り切ってこられたのです。振り返ってごらんになれば、その導きの跡が読み取れるはずです。そこで、人間的煩悩ゆえに時には背後霊を手こずらせることはあっても、これほどのことをしてくださった背後霊が自分を見放すはずはないとの信念に燃えなくてはいけません。
われわれは霊的真理の崇高なる啓示にあずかった、本当に祝福された者ばかりです。それ故にこそ、その知識に伴う責任に恥じない仕方をしようではありませんか。
過去はもう過ぎ去ったのです。これまでに犯した間違いはお忘れになることです。皆さんは間違いを犯しそれから学ぶために地上にやって来たようなものです。過ぎ去ったことは忘れることです。大切なのは今現在です。今、人のためになることをするのです。どんな形でもよろしい。自分の置かれた物的環境条件から考えて無理でない範囲のことを行えばよろしい。先のことをあまり考え過ぎてはいけません。皆さんが皆さんの役目を果たしていれば、私たちは私たちの役目を果たします。そして、そうした協調関係の中では絶対に挫折はないことをお約束いたします” (九巻)P191~194

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