大阪シルバーバーチの会 亀水忠茂

大阪シルバーバーチ読書会のご案内
人生に疲れた方、心配、不安の絶えない方、
いっしょに霊的摂理・真理を学んで人生の目的を知り、
共に限りある今生を力強く活きませんか。

第77回読書会

開催日/2017年2月7日(火)

時 間/午後7時~8時30分

場 所/大阪市立生涯学習センター会議室で

      開催します。

      大阪市北区梅田1-2-2-500 
      大阪駅前第二ビル 5階 
      電話 :06-6345-5000

内 容/「シルバーバーチの霊訓」の読書会

      「シルバーバーチの霊訓」第七巻 

      第十一章“なぜ神に祈るのか”

      潮文社出版 近藤千雄訳
持参品/「シルバーバーチの霊訓」 

      第七巻を忘れずに持参してください。
参加費/無 料

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新規参加を希望される方は、
事前にメール連絡をお願いいたします。

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profile

氏  名:亀水 忠茂

生まれ:1950年 男性 現役企業人(製造業)
住  所:兵庫県
趣  味:読書、クラシックカメラの収集
その他:

学生時代から常に人生の目的、意義を知りたいと探求してきました。

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ご案内

 世の中あげて、科学・物質万能、拝金主義に突き進んでおります。そして五感に感じる現実のこの世界が人生の全てであって、それを謳歌するためには、どうしてもお金や地位、権力が必要と信じきって、その実現のためにはああでもない、こうでもないと、じっとしていられない毎日を送っております。そのため不安、恐怖、心配事が朝、目覚めたときから脳裏をよぎり、いつもの取り越し苦労がまた始まります。他人のことをかまう余裕もありません。

 では、はたして目に見えるこの世界や身体が唯一のものなのでしょうか。世の中で言われるように、死とともにすべては無に帰するとすれば、ほとんど苦悩の連続の人生とは一体何なんでしょうか。

 あるいは昔からいわれているように霊魂という本当の自分、本体があって、じつはその霊の力というか、気のような生命エネルギーがその肉体を動かしているのでしょうか。

 今の私たちの人生はとても短い一度きりの貴重なものです。理性に照らして納得のいく答えを今生で見出したいものです。 私は迂用曲折の末、ようやく「シルバーバーチの霊訓」の中にその答えを見つけました。人生に疲れた方、心配、不安の絶えない方、いっしょに霊的摂理・知識を学び、人生の目的・意義を知って、共に限りある今生を力強く活きませんか。

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次回読書会の霊訓の中から

  

“ほんとうの祈りは利己的な動機から発した要望を嘆願することではありません。われわれの心の中に抱く思念は神は先刻ご承知なのです。要望は口に出される前からすでに知れているのです。
なのになぜ祈るのか。それは、祈りとはわれわれのまわりに存在するより高いエネルギーに波長を合わせる手段だからです。その行為によってほんの少しの間でも活動を休止して精神と霊とを普段より受容性に富んだ状態に置くことになるのです。

わずかな時間でも心を静かにしていると、その間により高い波長を受け入れることができ、かくしてわれわれに本当に必要なものが授けられる通路を用意したことになります。” P198

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過去の読書会テキスト

 

今月の叡智の言葉 (2017年1月)

“そして、その困難に耐えて行く上で支えになるのが、確固とした知識が生み出す霊力なのです。”

シルバーバーチの新たなる啓示 P36 ページトップへ

 

寸 感(2017年1月)

最善を尽くせばそれで良いのです(平成28年12月26日)(苦しみ・試練)

―正しい知識を手にしながら相変わらずそれが実行できないのは、どこがいけないのでしょうか?
“それは、まだまだ霊性がひ弱だからです。強健でないからです。”
(シルバーバーチの新たなる啓示 P208)


 “知識には責任が伴います。”(シルバーバーチ不滅の真理 P25)
霊的自覚に至り、霊的知識を知った者には“責任が伴う”とシルバーバーチは言っています。
では、この責任とはいったい何でしょうか?
すぐに頭に上ってくるのは、いまだ知らない人に対する“霊的摂理の普及”という責任です。しかしながら、霊的摂理普及のチャンスは、四六時中常にあるわけではありません。
それももちろんそうですが、ほとんどの時間を費やしている普段の日常生活や仕事場での霊的知識に対する責任のことをいうのです。


私達は常日頃、霊的知識を忘れていて普段は意識していません。すなわち、霊訓を読んでもその時だけの単なる読書であり、その時に読んだ知識はほとんど頭には残っておらず日常の意識には上ってこないのが実情です。その証拠にとても身近な例として“霊的真理を学んだ者は、不安や心配・取り越し苦労はしてはいけません”とシルバーバーチが口を酸っぱくして諌めていても、そんなことにはおかまいなく“のべつ幕無し”に何となく不安や心配、取り越し苦労をよくしているのがそのよい左証です。


日常、試練や困難がさほど無いときは霊的摂理に適って生きていると錯覚しています。
しかし、一旦試練や困難が生じると“これが心配せずにいられるか”とばかりに世間に流されている自分がいます。このときシルバーバーチの霊訓をとるのか、世間一般常識の方を選ぶかの選択に迫られますが、ベテランといえども不安や心配・取り越し苦労が絶えないということは、真底から霊的摂理を信じていない(霊性がひ弱で強健でない)何よりの証拠なのです。


“霊的真理を手にした者が恐れや不安を抱くようなことがあってはなりません”(シルバーバーチの新たなる啓示 P99)という霊訓の知識がありながら、不安や心配・取り越し苦労が絶えないということは、その知識を日常で実践するという“責任”を果たしていないということになるのです。一言でいって信念(信仰)がひ弱なのです。それだけ物質世界の幻影は強烈で我々にとってはリアルだということでもあります。


“真理を手にしたら、その時から、それをいかに使用するかについての責任が問われるということです。霊的真理に目覚め、霊力の働きに得心がいったら、その時から、今日の悩み、明日への不安を抱くことがあってはなりません。”(シルバーバーチの新たなる啓示 P100)


それでは不安や心配・取り越し苦労の原因となっている“苦しみ・試練”とは一体何なのでしょうか、そのことについて以下に霊訓を抜粋します。


みなさんが遭遇する問題について、私はそのすべてを知っております。とくに何人かの方とは、地上的表現でいう“ずいぶんと永いお付き合い”を続けております。生活上でもいろいろと変化があり、悩みごとや困難、避けられない事態に対処していかれる様子をこの目で拝見してまいりました。ですが、今こうしてお会いしてみて、魂に何一つ傷を負うことなく、そのいずれをも見事に克服してこられたことが分かります。
遭遇する問題の一つひとつを、あなたへの挑戦と受け止めないといけません。障害の一つひとつが挑戦なのです。ハンディキャップの一つひとつが挑戦なのです。地上生活では挑戦すべき課題が次から次へと絶え間なく生じます。しかし、いかに強烈でも、いかに強大でも、あなたの進化を妨げるほどのものは絶対に生じません。大切なのは、それにどう対処するか―その心の姿勢です。
自分の霊性の発達にとって、どういう体験が大切であるかの判断は、あなた方自身にはできません。大きな全体像の中のごく限られた一部しか目に入らないために、あなた方自身が下す判断はどうしても歪められたものとなります。
ですから、体験の価値をうんぬんしていないで、とにかくそれを克服していくのです。きっと克服できます。克服するごとに霊性が強化されていきます。身体は不完全であり、弱さをもっております。あまりのストレスに負けて、体調を崩すことがあるかも知れません。
しかし、あなた方に宿る霊性は大霊の一部なのです。霊は、潜在的には完ぺきです。すべてを克服していく資質を秘めております。その認識のもとに対処すれば、きっと克服できます。
このことを語気を強めて申し上げるのは、それが私たちの教えの中枢だからです。”
(シルバーバーチの新たなる啓示 P74)


以上のことをふまえて、我々のとるべき態度は次の通りです。


“私が同志の方々にいつも申し上げていることは、自分の可能な範囲で最善を尽くすということ、これ以上のことは人間に求められていないということです。
あなたがた地上の人間は、不完全さをたくさん携えた存在であり、その欠点を少しずつ改めていかねばなりません。が、それは長い時間を必要とする仕事であり、たった一回の地上生活で成就できるものではありません。”(シルバーバーチの新たなる啓示 P95)


そうです。欠点だらけでとても不完全な我々は最善を尽くすだけでよいのです。
人間の視野はきわめて限られております。ですから、背後霊に任せることです。万事うまく行きます。一時的には不遇を忍ばねばならないことがあるかもしれません。しかし最終的には必ずうまく収まります。”(シルバーバーチの新たなる啓示 P105)


これが霊的摂理であり、高級霊からの約束(契約)なのです。だからこそ、高級霊の守りや導きを信じ、霊性心(道義心・良心)に従いベストを尽くせば、あとは不安や心配・取り越し苦労をする必要はないのです。というか、してはいけないのです。

我々にとってとても身近な問題である悩みや心配、不安が絶えないということは、これらの霊的摂理を知っている者に対してその“責任が真剣に問われている”ことになるのです。

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