大阪シルバーバーチの会 亀水忠茂

大阪シルバーバーチ読書会のご案内
人生に疲れた方、心配、不安の絶えない方、
いっしょに霊的摂理・真理を学んで人生の目的を知り、
共に限りある今生を力強く活きませんか。

第82回読書会

開催日/2017年7月4日(火)

時 間/午後7時~8時30分

場 所/大阪市立生涯学習センター会議室で

      開催します。

      大阪市北区梅田1-2-2-500 
      大阪駅前第二ビル 5階 
      電話 :06-6345-5000

内 容/「シルバーバーチの霊訓」の読書会

      「シルバーバーチの霊訓」第八巻 

      第五章 “質問に答える”(三)

      潮文社出版 近藤千雄訳
持参品/「シルバーバーチの霊訓」 

      第八巻を忘れずに持参してください。
参加費/無 料

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新規参加を希望される方は、
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profile

氏  名:亀水 忠茂

生まれ:1950年 男性 現役企業人(製造業)
住  所:兵庫県
趣  味:読書、クラシックカメラの収集
その他:

学生時代から常に人生の目的、意義を知りたいと探求してきました。

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ご案内

 世の中あげて、科学・物質万能、拝金主義に突き進んでおります。そして五感に感じる現実のこの世界が人生の全てであって、それを謳歌するためには、どうしてもお金や地位、権力が必要と信じきって、その実現のためにはああでもない、こうでもないと、じっとしていられない毎日を送っております。そのため不安、恐怖、心配事が朝、目覚めたときから脳裏をよぎり、いつもの取り越し苦労がまた始まります。他人のことをかまう余裕もありません。

 では、はたして目に見えるこの世界や身体が唯一のものなのでしょうか。世の中で言われるように、死とともにすべては無に帰するとすれば、ほとんど苦悩の連続の人生とは一体何なんでしょうか。

 あるいは昔からいわれているように霊魂という本当の自分、本体があって、じつはその霊の力というか、気のような生命エネルギーがその肉体を動かしているのでしょうか。

 今の私たちの人生はとても短い一度きりの貴重なものです。理性に照らして納得のいく答えを今生で見出したいものです。 私は迂用曲折の末、ようやく「シルバーバーチの霊訓」の中にその答えを見つけました。人生に疲れた方、心配、不安の絶えない方、いっしょに霊的摂理・知識を学び、人生の目的・意義を知って、共に限りある今生を力強く活きませんか。

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次回読書会の霊訓の中から

  

“地上生活の究極の目的は〝死″と呼ばれている現象のあとに待ち構えている次のステージ(生活舞台)に備えて、内部の霊性を開発することにあります。開発するほど洞察力が深まります。霊性が開発され進歩するにつれて、自動的に他人に対して寛大になり憐みを覚えるようになります。これは、悪や残忍さや不正に対して寛大であれという意味ではありません。相手は自分より知らないのだという認識から生まれる一種の我慢です。” P125

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過去の読書会テキスト

 

今月の叡智の言葉 (2017年6月)

「自分が交信している相手がどの程度の霊であるかは必ず確認した方がよろしいでしょうか」

 

“当然です。そして、確かに聞くに足る教えを説いていると確信したら、大いにその霊に指導を仰ぐべきです。霊界から自分を鼓舞し指導しようとする霊団の存在に気づく段階に到達したら、その人にはもはや克服できない困難は無くなります。” (シルバーバーチの霊訓 スピリチュアリズムによる霊性進化の道しるべ P221 スピリチュアリズム普及会発行)

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寸 感(2017年6月)

死とは(平成29年6月2日)(苦しみ・試練

―死とは物的身体から脱出して霊的身体をまとう過程のことです― (八巻 P103)


※文中の引用本(道しるべ)とは、「シルバーバーチの霊訓 スピリチュアリズムによる霊性進化の道しるべ」(スピリチュアリズム普及会発行)のことです。
又、今月のテキスト“死後の生活”も参考としてください。

 

死は全員が例外なく体験するとても重要なテーマですが、“死の本当の意味”を理解するにあたっては、まずは“本当の自分”に気づく必要があります。また同時に、予め是非とも知っておかなければならない霊的知識もありますので、それらを以下シルバーバーチの霊訓から引用します。

 

-霊が魂となる-
●“地上の人間的生命は、それまで物質との接触がなかったが故に発現していなかった霊が、肉体という器官を通して表現するのです。その器官は霊の進化にとって大切な地上的教訓が得られるように、実にうまく出来上がっております。
ですから、地上的生命としては新しいといえますが、地上に誕生してくる前に霊として存在していなかったという意味で新しいということではありません。霊とは全生命が創り出される原料です。造化活動の根本的素材です。霊としてはずっと存在しており、これからも永遠に存在し続けます。
もちろん、いっそうの体験を求めて戻ってくる霊の場合は別です。しかし、そうした再生する霊は別として、初めて地上へ誕生してくる霊に限って言えば、そうした霊には地上での表現を始めるまでは個体性つまり人間的意識は所有しておりません。人間的意識は地上への誕生とともに始まります。霊が個的意識として自我を認識する上で決定的な媒体を提供してくれるのは物的身体です

 

「地上へ誕生してくる者の中での“新しい”霊と“古い”霊との割合はどれぐらいでしょうか」

 

“そういうご質問にはおよその数字すら出すことは不可能です。ですが、多分、ほぼ同じぐらいの割合ではないでしょうか”

 

「となると、地上には常に進化の程度の高い霊と低い霊とがいることになりますね」

 

“当然そうなります。そうでなかったら進化が存在しないことになります。”(道しるべ  P213)

 

-地上生活は永遠の生命活動のひとかけら-
●“忘れないでいただきたいのは、地上生活は永遠の生命活動の中のホンの一かけらにすぎないということです。ただの影を実在と思い違いをなさらないようにしてください。
(道しるべ P99)

 

●“その患者さんはどうなると思われるのでしょうか”

 

「たぶん死んでしまうと思います」

 

“それが果たして痛ましいことなのでしょうか。このわたくしも”死んでいる“のですよ。少しも痛ましくはありません。あなたは物的な面ばかりを考えていらっしゃいます。
地上というところは実にこっけいな世界です。生命にとって最も重大な体験である“死”をみんな怖がります。牢から解き放たれることを怖がります。自由の身になることを怖がります。小鳥はカゴから出るのを怖がるでしょうか。なぜ人間はその肉体というカゴから出るのを怖がるのでしょうか
                                         
「でも、たとえば母親が子供を置き去りにしたくないのは自然の情ではないでしょうか」

 

“あなたは生命を五、七十年の地上人生のみで考えていらっしゃいます。永遠の生命をこの世的なことだけで判断できるのでしょうか。大霊の叡智をいま生活しておられるチリほどの物質の世界だけで裁いてはいけません。地上には比較の尺度がないのです。生命活動の世界の中でも最低の階層の一つしか見ていない人間に、どうして最高界のことが理解できましょう”
(道しるべ P145)

 

-死という過渡的現象-
●“そういうわけで、あらかじめ霊的知識をたずさえておけば、死後への適応がラクにできるのです。何も知らない人は適応力がつくまでに長時間の睡眠と休息が必要となります。知識があればすんなりと霊界入りして、しかも意識がしっかりとしています。要するに死後の目覚めは暗い部屋から太陽のさんさんと照る戸外へ出た時と似ていると思えばよろしい。光のまぶしさに慣れる必要があるわけです。
霊的なことを何も知らない人は死という過渡的現象の期間が長びいて、なかなか意識がもどりません。さしずめ地上の赤ん坊のような状態です。ハイハイしながらの行動しかできません。”(道しるべ P23)

 

●“死にまつわる取り越し苦労と恐怖心をなくし、それが永遠の生命の機構の中でそれなりの役割を果たしていることを理解させてあげたいのです”(道しるべ  P25)

 

-寿命は予め決まっている-
●「人間の寿命は前もって決められているのでしょうか」

 

“霊と肉体とは一体不離です。そして地上生活の期間、いわゆる寿命が切れる時期は大方の場合あらかじめ分かっております。” (シルバーバーチの霊訓 八巻 P61)

 

●“大自然の摂理の働きに偶然の出来事というものはありません。あなたは霊のために定められた時期に地上を去ります。しかも多くの場合その時期は、地上へ誕生する前に霊みずから選択しているのです” (八巻 P71)

 

-霊魂は進化のつど脱皮を繰り返す-
「(霊的身体は)たくさんあるとすると、死ぬ時はどうなるのでしょうか。一つひとつ抜け落ちていくのでしょうか。」
“進化するごとに身体を脱ぎ替えていきます”

 

「ということは、われわれは何度も死を繰り返すわけですか。」
“そうです。ただし霊が死ぬのではありません。表現の媒体が変わるということです”

 

「いずれは幽体を脱ぎ棄てる時期がくるわけですが、それも死ですか。」
“そうです。肉体が役目を終えて棄て去られるのと同じです”

 

「われわれは何度も死ぬわけですね。」
“そうなります。が、それは有り難いことなのですよ。進歩していることを意味するからです”
(中略)

 

「そこに霊的進化の核心があるのですね?」
“人生そのものの根本の目標が進化であり発展であり成長であり学習なのです。進化するごとに、それまでの役目を果たしてきた身体が自動的に抜け落ちて、その進化した段階にふさわしい身体をまとうのです” (八巻 P106)

 

●“霊的身体は霊格が高くなるほど成熟していきます。霊界での成長は成熟するということです” (八巻 P81)

 

-今までの要約-
①根本的素材、原料としての霊 ⇒ ②肉体をまとって人間的意識をもつ(地上生活) ⇒ 霊が個性意識をもつ魂となる(意識をもった存在)⇒ ③地上で様々な体験を積む ⇒ ④死(肉体を脱ぎ捨て魂を開放するプロセス・波長の調整)⇒ ⑤魂(個霊)として霊界へ ⇒ 何度か再生を繰り返し、地上で霊的覚醒後、霊的成長を始める ⇒ 霊界で脱皮を繰り返し、より高度な永遠の霊的成長の旅へ

 

(参照) 上記①~⑤に対応する霊訓からの引用
①“霊とは全生命が創り出される原料です。造化活動の根本的素材です。” (道しるべ P213)

 

②“初めて地上へ誕生してくる霊に限って言えば、そうした霊には地上での表現を始めるまでは個体性つまり人間的意識は所有しておりません。人間的意識は地上への誕生とともに始まります。霊が個的意識として自我を認識する上で決定的な媒体を提供してくれるのは物的身体です” (道しるべ  P212) ⇒ 霊が肉体をまとって個性(自我意識)を持ち始める。

 

③“地上というのはほんの一時的な生活の場にすぎません”(八巻 P68)
⇒ 物質界は魂の孵卵器 

 

④“それ(死)は霊を解放するという役目を果たすことになるのです”(八巻 P62)
⇒ 外殻(肉体)からの霊魂の解放

 

⑤“私の世界へやってきた人は死が階段を一つ昇ったことを意味すること、大きな解放を得たことを理解します”(八巻 P67) ⇒ 魂が物質界から次のステージ(霊界)へ移行

 

≪解説≫
“死=無になる”ことではないという事実を知っている真のスピリチュアリストにとって、“死”は無いということになります。真実は死にたくても死ねないのです。 死はあくまでも脱皮のための一つの過程(ステップ)であり、次へのステップアップとして、霊界に入るために不用になった肉体を脱ぎ捨てることなのです。長くなりますが、これを四つの譬え話で説明します。

 

(譬え話 その一)
丁度、深海(水中)から海面(大気中)に浮上するときに急激に浮上すると潜水病になるのと似ています。そのため水圧の高い暗黒の深海(物質世界)から明るい海面(幽界)に浮上するにあたっては、ゆっくりと大気圧(霊界)に戻すため再圧室に入らなければなりません。このとき再圧室に入って肉体という潜水服を脱ぎ捨てることが死という現象なのです。すなわち、水中から大気中に切り替わるように、大気(物質界)から霊気(霊界)に対応した体に波長を切り替える(他界への切り替え)ことが“死”という現象なのです。
本体が肉体を脱ぎ捨て、幽体への波長調整のために再圧室の中で深い眠り(死)につきます。そして物質界に近い幽界に入った後、さらに幽界自体が大きな再圧室となって再度徐々に波長を調整、すなわち地上のアカを取り去って、一層精妙な霊体となり霊界に入ります。だからこそナザレ人イエスのように、すでに地上界にあるときから地上に染まらない生き方をして海面近くに(霊界に通じて)おれば、気圧調整のための再圧が不要もしくは短時間で済み、地上のアカ抜きをする幽界を素通りして直ちに霊界入りができるのです。

 

(譬え話 その二)
物質界は大きな子宮・孵卵器のようなもので、霊が魂(個霊)になるために肉体をまとうということは、文字通り母親の子宮内で受精と胚が成長した胎児のようなものです。10月10日で体内から外界に出てくるように、寿命を全うして個性を形成した魂が物質界という大きな子宮から、本来の世界、霊界(幽界)に誕生するプロセスが“死”なのです。

 

(譬え話 その三)
丁度、地中にいた蝉の幼虫が夜中に地上に出てきて木に登り、明け方までには殻から抜け出して蝉になるのに似ています。その外殻が肉体で、死後の肉体はセミの抜け殻のようなものです。本体は真っ暗な地中(物質界)から出てきて脱皮し、とても明るい大気中(霊界)を漂っているのです。

 

(譬え話 その四)
死とは丁度、地球引力にさからって、第一段のロケット(肉体)を切り離し、大気圏から真空の宇宙空間へ脱出するロケットのようなものです。

 

-死の意味のマトメ-

1. 原料、素材としての“霊”が、肉体をまとって地上世界に誕生することによって永遠不滅の個性をもった魂(個霊)となる。

 

2. “死”(霊界への誕生)とは、住む世界に合わせて波長を切り替えるためのプロセスのことです。この波長を切り替えること(死)は霊的成長の一環としての自然法則であり、決して恐ろしいものでもなく、ましてや忌み嫌う不幸でもないのです。

この魂の成長・進化のための“第二の誕生”、物的波長から霊的波長への切り替えは前向きな生理的現象であり、魂を肉体から解放するという役目をもっているのです。
だからこそ、シルバーバーチが述べているように、肉体という牢獄から解き放たれて次のステップとして自由な世界に生きることになった人のことを悲しむことは、地上に残された霊的に無知な人の無用の悲しみ・悲劇・不幸以外の何物でもないのです

 

3. 死とは、霊が肉体をまとって個霊(人間)になるという最低界から始まり、霊的成長をして高い界層へ脱皮を繰り返して進化していくというプロセスの一環なのです。

 

“さらにわたしが嬉しく思うのは、皆さんが永遠に失ったと思い込んでおられた愛する人、あなたを愛してくれていた人が今も健在であることを証明してあげることができたことです。それによって皆さんは、生命がこの宇宙から消えて無くなってしまうことが絶対にないこと、死は愛と情と友愛によってつながっている者を切り離すのではなく、反対に、霊的には一段と親密なものとする事実を認識することができます。” (道しるべ P246)

 

(参考)
1.事故・災害による死について 
●“たとえ地上で60歳、70歳、もしかして100歳まで生きたとしても、無限の時の中での100年など一瞬の間にすぎません。 (中略) 大自然の摂理の働きに偶然の出来事というものはありません。あなたは霊のために定められた時期に地上を去ります。しかも多くの場合その時期は、地上へ誕生する前に霊みずから選択しているのです”  (八巻 P71)

 

2.殺人について 
たとえ殺人で肉体は殺せても、“本当のその人”である霊魂までは波長が異なるため傷つけることができず、殺された本人は本来の実在世界で霊体をまとって生き続けているのです。その霊体は今の肉体よりもよほど実感があるといわれています。
仮に死体を原型が留まらないまでバラバラにして傷めつけたとしても、感情論は別として霊界の視点から観ると、それはあくまでもいわば蝉の抜け殻、脱ぎ捨てられた土に帰る衣服(肉体)を単に引き裂いているにすぎないのです。反対に、むしろ霊界に帰った時に、その殺人行為(重大な摂理違反)に対する“結果”を必然的に自らの身に招くことになるのです。
霊的無知から他界があることを知らず、殺せばすべては無になり永遠に抹殺できると勝手に思い込んでいるだけなのです。もしもこれらの霊的知識があれば、因果律という決して逃れられない絶対的摂理が自動的に働き、物質界もしくは霊界でその結果が自分に帰ってくるということを知っているため、怖ろしくてとても殺人などできないということになります。死後、他界で被害者と加害者が対面させられることになるからです。

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