大阪シルバーバーチの会 亀水忠茂

大阪シルバーバーチ読書会のご案内
人生に疲れた方、心配、不安の絶えない方、
いっしょに霊的摂理・真理を学んで人生の目的を知り、
共に限りある今生を力強く活きませんか。

第79回読書会

開催日/2017年4月10日(月)

※今回は日時・曜日が変更になっておりますのでご注意ください。

時 間/午後7時~8時30分

場 所/大阪市立生涯学習センター会議室で

      開催します。

      大阪市北区梅田1-2-2-500 
      大阪駅前第二ビル 5階 
      電話 :06-6345-5000

内 容/「シルバーバーチの霊訓」の読書会

      「シルバーバーチの霊訓」第八巻 

      第二章“自由意志 ―人間はどこまで自由か―”

      潮文社出版 近藤千雄訳
持参品/「シルバーバーチの霊訓」 

      第八巻を忘れずに持参してください。
参加費/無 料

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新規参加を希望される方は、
事前にメール連絡をお願いいたします。

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profile

氏  名:亀水 忠茂

生まれ:1950年 男性 現役企業人(製造業)
住  所:兵庫県
趣  味:読書、クラシックカメラの収集
その他:

学生時代から常に人生の目的、意義を知りたいと探求してきました。

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ご案内

 世の中あげて、科学・物質万能、拝金主義に突き進んでおります。そして五感に感じる現実のこの世界が人生の全てであって、それを謳歌するためには、どうしてもお金や地位、権力が必要と信じきって、その実現のためにはああでもない、こうでもないと、じっとしていられない毎日を送っております。そのため不安、恐怖、心配事が朝、目覚めたときから脳裏をよぎり、いつもの取り越し苦労がまた始まります。他人のことをかまう余裕もありません。

 では、はたして目に見えるこの世界や身体が唯一のものなのでしょうか。世の中で言われるように、死とともにすべては無に帰するとすれば、ほとんど苦悩の連続の人生とは一体何なんでしょうか。

 あるいは昔からいわれているように霊魂という本当の自分、本体があって、じつはその霊の力というか、気のような生命エネルギーがその肉体を動かしているのでしょうか。

 今の私たちの人生はとても短い一度きりの貴重なものです。理性に照らして納得のいく答えを今生で見出したいものです。 私は迂用曲折の末、ようやく「シルバーバーチの霊訓」の中にその答えを見つけました。人生に疲れた方、心配、不安の絶えない方、いっしょに霊的摂理・知識を学び、人生の目的・意義を知って、共に限りある今生を力強く活きませんか。

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次回読書会の霊訓の中から

  

“幸いにも霊的光明をかいま見ることができ、背後に控えている存在に気づかれた方は、明日はどうなるかを案ずることなく、常に楽観的姿勢を維持できなければいけません。” P15

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過去の読書会テキスト

 

今月の叡智の言葉 (2017年3月)

“霊団の援助についての一抹の不安が万々一あなたの心をよぎるようなことがあったら、その時はいったんその疑念を止めて、これまでにあなたがたどってこられた道を振り返ってごらんになることです。間違いなく、目に見えない力による指示があなたをここまで導いてきていることに気づかれるはずです。その事実をあなたの生活の自信になさることです。これまで導いてくれた力が、これからも導いてくれないはずはない、と。

古代霊シルバーバーチ 最後の啓示 P118 ページトップへ

 

寸 感(2017年3月)

日常的な霊界との交流 その2(平成29年3月2日)(瞑想)

―精神統一の意義―

前回に引き続き、今回は“霊の世界と正常な関わり合いをもつ”ために必要となる“精神の統一”について述べてみます。

 

心を空にして穏やかな気持ちの中で精神を統一するだけで十分です。その統一状態の中で霊の力が働くのです。そうした静かな精神状態というのが、物的生活に振り回されている騒々しさに一時的なストップをかけることになります。そのわずかな時間を霊性の開拓と、自宅内での霊的存在の認識へ向けたことになります。地上の人間は静かな精神状態をもつことの効用を十分に認識しておりません。私がよく申し上げているように、あなた方にとって無活動の時が私たちにとって一ばん近づきやすいからです。” (シルバーバーチの霊訓 七巻 P101)

 

―はじめに―
私たちが瞑想をする目的は、丁度、暴走しだしてコントールがきかなくなった(フリーズした)パソコンのメインスイッチを切ってリセットしなおすようなもので、霊魂と精神と身体の三位一体の調和を取り戻すことにあります。そのための方法が瞑想による“精神の統一”なのです。

 

―精神統一の意義―
“精神の統一”とは、“精神の収束”すなわちコロコロと動き回る心の働きを抑えることです。
この“精神統一”の意味をより理解しやすくするために、それとは真逆のことを考えてみましょう。
人間は消極的な暗示には容易に心が感染しやすく、心配や取り越し苦労、不安などの雑念妄想念が際限なく膨らんで、雑念も含めたこの消極的な観念が頭の中を常に堂々巡りしています。一難去って又一難と次から次にやってくる大小の諸問題に、ひっきりなしに振り回されている精神状態が精神統一(収束)の反対なのです。
丁度、海上が常に荒れている状態と同じで、この迷いやすい性格が自分自身を不明にし、自分を信じる信念がもてなくなる原因なのです。

 

これらの雑念や妄想観念に対して、“精神を統一”するとは具体的にいうと“心を空にする”すなわち意識はあるけれども何も考えない状態、頭の中が空っぽで色のない白紙状態の“無我無念”になることです。これが“受身の姿勢”となることなのです。


精神を鎮め、受容性と協調性に富んだ受身の姿勢を取れば、その霊力がふんだんに流入し、人間だけでなく動物をも治癒させる、その通路となることができます。”(シルバーバーチの霊訓 八巻 P27)

 

“精神の統一”(収束)とは顕在意識上の自我(仮の我)の雑念妄想念が消えた意識状態(空の心)であり、その結果、相対的に潜在意識下に埋もれていた本体である霊的自我、“本当の自分”(真の我)が浮き上がってきます。“仮の我”を“真の我”と同化させるともいえます。本能心や感覚・感情心などのエゴ(自我)の力が弱まって一時的に引っ込み、霊性心(良心)の発現力が増してきて、「自己統御」すなわち道具としての「心身の統一」がやりやすくなってきます。
そうなると、この世で霊的自我に目覚めた自我は、本来の姿であるこの心身統一状態の中で“本当の自分”である霊的自我の心(霊性心)に従い、霊主肉従で生きようとしだします。

 

但し、この瞑想は言うは易く行うは難しで、決して簡単ではありませんが、長期間にわたって努力しこの“精神統一”を習慣化していくと、徐々に雑念妄想念(執着煩悩)が少なくなり、心が凪(なぎ)になって落ちつきだします。そうなると心に余裕が生まれてきて霊的知識に基づいて正しい判断ができるようになり、且つ、今までの自我(利己)の力が弱くなってくるため良心(霊性心)に対しても言い訳をしなくなってきます。すなわち素直になって霊的摂理の実践(利他の実践)がやりやすくなってくるのです。その基盤となるのが盤石不動の真理の上に築き上げた霊的知識なのです。
これは丁度、波立って荒れていた海上が徐々に凪(なぎ)になるのに似ています。
心の曇りの払拭ができると隠されていた太陽や月の光が照りだし、海面はその光を反射しやすくなってきます。内なる太陽である神性(霊性心・良心)が発現しだすのです。そして霊力の流れも良くなり、精妙な叡智のインスピレーションと感応しやすくなってきます。このことを東京シルバーバーチ読書会主催者の須江克則氏は、“錆ついたアンテナを磨く”と表現されておられます。
(参考)「スピリチュアリズム研究ノート」 “瞑想の光と影”
http://1411.cocolog-nifty.com/ks802/2016/10/post-fd28.html


遠隔治療はなぜ睡眠中に効果的なのか、その理由として相手が寝ている間は頭の中が空っぽ(無意識)状態で、顕在意識の自我(仮の我)が邪魔をしなくなり、スピリット ヒーリングの霊力が流れやすくなるからです。
“たいていの場合、それ(遠隔治療)は患者の睡眠中に行われるのです。その方が患者の霊的身体との接触が容易なのです。” (シルバーバーチの霊訓 七巻 P183)

 

同じ無意識でも精神統一と睡眠との違いは、覚醒しながら意識的に“頭空っぽ”状態にすることが精神統一なのです。(動中静感)
わずかな時間でも心を静かにしていると、その間により高い波長を受け入れることが出来、かくしてわれわれに本当に必要なものが授けられる通路を用意したことになります。”(シルバーバーチの霊訓 七巻 P198)

 

―瞑想のやり方―

まず五感をとり去ります。すなわち視覚、聴覚を消し、次に頭の中の雑念妄念を消します。慣れていないとこの雑念妄念を消すのはとても難しいことですが・・・。


雑念妄念を消すやり方の一例として、以下の“寸感”に私の方法が書かれてありますので参考にしてください。
  ・精神統一とは   その 一 ~ 二 (H25.9~10)
  ・瞑想・精神の統一 その 一 ~ 四 (H27.1~4)

 

―まとめー

瞑想をすると“精神が統一”され、インスピレーションをとおして叡智や悟りが入りやすくなってきます。当然のことですが、精妙な高位霊と感応するためにはこちらも霊性を高め受容性を増す必要があります。そのためには必ず霊的知識の学びと瞑想は併行して進めなければなりません。これは丁度、知識とその実践の関係にあり、表裏一体でどちらも欠かせませんが、あくまでも瞑想は手段、道具にすぎず、“霊の世界との正常な関わり合い”をもつためには正しい霊的知識がその前提となります。高位霊と低位霊との見分けが必要となってくるからです。

 

以上まとめますと、我々は本来神の分霊としての霊的存在であり、それが今は肉体をとおして自我を表現しているにすぎないとの正しい認識を持った上で、瞑想によって内在している“本当の自分”の心、神性心(霊性心)を引き出し、同時に外部からは守護霊や指導霊のインスピレーションを受信しやすくするのです。
結果として、邪心や妄想念が飛び交っているエゴ丸出しの利己主義、唯物・拝金主義のこの物質界で、霊魂・精神・身体の三位一体が得られ円満な精神と平静な感情を育むことにもなります。
疑念が生じた時は精神を統一して物質界の喧騒から逃れるのです。すると霊的理解が得られます。統一状態が深まれば深まるほど内的な安らぎ、静寂、安心感、決意といったものがふかまり、自分にとって最良のものが授けられるとの確信をもつことができるようになります。”(シルバーバーチの霊訓 十巻 P42)

 

深い瞑想をするには長い期間と訓練という不断の努力、そして意志の力が必要となりますが、他界後、幽界に行っても魂の修行は“精神の統一”から始めることになるそうですので(参照:寸感 “精神統一 その一” 平成25.9)、我々はその修行を瞑想によって既にこの物質界で始めていることになるのです。瞑想を通じて集中力や意志の力を養うのです。

 

―私は精神統一の修行を何年も続けておりますが、どうすればいちばん良いのでしょうか。
(中略)
―大霊と一体になるのは可能なのでしょうか。

 

“基本的には人間は大霊と一体です。霊性においてつながっているという意味です。ですから、心配・不安・悩みといった低級感情を消し、大霊の計らいに絶対的な確信と信念を抱き、世俗の喧騒から遁れて魂の奥に入り、平安と静寂の中に休らい、不屈の精神に燃えることです。
精神を統一するにはいろいろな方法があります。いずれにしても、決して容易ではありません。が、修行の努力は必ず報われます。” (古代霊シルバーバーチ 最後の啓示 P48)

 

次回に続く

 

 

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