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大阪シルバーバーチの会 亀水忠茂

大阪シルバーバーチ読書会のご案内
人生に疲れた方、心配、不安の絶えない方、
いっしょに霊的摂理・真理を学んで人生の目的を知り、
共に限りある今生を力強く活きませんか。

第84回読書会

開催日/2017年9月5日(火)

時 間/午後7時~8時30分

場 所/大阪市立生涯学習センター会議室で

      開催します。

      大阪市北区梅田1-2-2-500 
      大阪駅前第二ビル 5階 
      電話 :06-6345-5000

内 容/「シルバーバーチの霊訓」の読書会

      「シルバーバーチの霊訓」第八巻 

      第七章 “愛すべき仲間たちー動物”

      潮文社出版 近藤千雄訳
持参品/「シルバーバーチの霊訓」 

      第八巻を忘れずに持参してください。
参加費/無 料

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新規参加を希望される方は、
事前にメール連絡をお願いいたします。

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profile

氏  名:亀水 忠茂

生まれ:1950年 男性 現役企業人(製造業)
住  所:兵庫県
趣  味:読書、クラシックカメラの収集
その他:

学生時代から常に人生の目的、意義を知りたいと探求してきました。

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ご案内

 世の中あげて、科学・物質万能、拝金主義に突き進んでおります。そして五感に感じる現実のこの世界が人生の全てであって、それを謳歌するためには、どうしてもお金や地位、権力が必要と信じきって、その実現のためにはああでもない、こうでもないと、じっとしていられない毎日を送っております。そのため不安、恐怖、心配事が朝、目覚めたときから脳裏をよぎり、いつもの取り越し苦労がまた始まります。他人のことをかまう余裕もありません。

 では、はたして目に見えるこの世界や身体が唯一のものなのでしょうか。世の中で言われるように、死とともにすべては無に帰するとすれば、ほとんど苦悩の連続の人生とは一体何なんでしょうか。

 あるいは昔からいわれているように霊魂という本当の自分、本体があって、じつはその霊の力というか、気のような生命エネルギーがその肉体を動かしているのでしょうか。

 今の私たちの人生はとても短い一度きりの貴重なものです。理性に照らして納得のいく答えを今生で見出したいものです。 私は迂用曲折の末、ようやく「シルバーバーチの霊訓」の中にその答えを見つけました。人生に疲れた方、心配、不安の絶えない方、いっしょに霊的摂理・知識を学び、人生の目的・意義を知って、共に限りある今生を力強く活きませんか。

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次回読書会の霊訓の中から

  

“いついかなる時も永遠の霊的原理を指標としそれに頑固にしがみついているかぎり、あなたに、絶対に挫折はありません”  P217

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過去の読書会テキスト

 

今月の叡智の言葉 (2017年8月)

“地上というところは妙な世界です。霊の目をもってご覧になれば、人間が愚かなことばかりしていることに呆れるはずです。いずれはチリと化してしまう、どうでもよいものを後生大事にし、永遠の宝である霊的なものは疎かにしております。霊的な価値が理解できないのです。その場かぎりの愉しみや喜びばかり求め、その物的欲望に埋もれて、肝心の霊性が顕現する機会がほとんどありません。
しかも、そうした地上かぎりの所有物を多く蓄積した者が“偉大な人”とされます。どうせ滅びてしまうものを集めようとする人と、永遠に残るものを集めようとする人のどちらが“偉大な人”でしょうか” (スピリチュアリズムによる霊性進化の道しるべ P248)

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寸 感(2017年8月)

“霊的教育”(平成29年7月23日)(苦しみ・試練

前回の寸感“死とは その2”の中の霊訓に二度でてくる“霊的教育”について述べてみたいと思います。“本当の自分”に気づき、他界が本当の世界(実在)であるとの霊的摂理に全幅の信頼が置けるまでには、数多くの試練や困難にあたって霊的摂理を適用するという“霊的教育”を受けることが必要となります。それは試練や困難という揺さぶりがないと、拝金唯物主義の中にどっぷりと安住して地上人生を無駄にしてしまうからです。
では、その避けられない試練や困難、心配や不安にあたって、我々の心構えを以下霊訓の中から抜粋してみましょう。

 

“所詮、私たちが扱っているのは不完全な人間です。地上には誰一人として完全な人間はおりません。完全性は神の属性です。ですから、あなた方に一点の非の打ちどころのないものを要求するつもりはありません。よく間違いを犯すものであることを承知しております。人間であるがゆえの煩悩によって過ちを犯しがちであることは十分承知いたしております。”(十)P153

いかなる事態も本人が思っているほど暗いものではありません
その気になれば必ず光が見えてきます。魂の奥に潜む勇気が湧き出てきます。
責任を全うしようとしたことが評価されて、その分だけ霊界からの援助のチャンスも増えます。背負い切れないほどの荷はけっして負わされませんなぜなら、その荷はみずからの悪業がこしらえたものだからです。けっして神が“この人間にはこれだけのものを負わせてやろう”と考えて当てがうような、そんないい加減なものではありません。” (シルバーバーチの霊訓 九巻 P210) ⇒ 因果律は霊的成長のためにある。

地上の誰一人として、何かの手違いのためにその人が克服できないほどの障害に遭遇するようなことは絶対にありません
 むしろ私は、その障害物はその人の性格と霊の発達と成長にとって必要だからこそ与えられているのですと申し上げたいのです。”(シルバーバーチの霊訓 九巻 P206)

 

一かけらたりとも心配の念を宿してはなりません。まったく無用のことです。心配の念は敵です。魂をむしばむ敵です。絶対に侵入を許してはなりません。これまでに啓示された真理に全幅の信頼を置き、それを基盤とした信念に燃えることです。あなたにはスピリチュアリズムという知識があります。それを基盤とするのです。つまり理性に裏づけられた確信、信じるに足る根拠をもった信念に燃えることです。あとのことは万事うまく行きます。真一文字に進んでください。あなたはあなたなりにベストを尽くしておればよろしい”(古代霊シルバーバーチ最後の啓示 P26)

真理を手にした者は心配の念を心に宿すようなことがあってはなりません。地上社会にはずっとトラブルが続いております。霊的な原理が社会秩序の拠って立つ基盤とならないかぎり、トラブルは絶えないでしょう。唯物的基盤の上に建てようとすることは流砂の上に建てようとするようなものです”(シルバーバーチの霊訓 八巻 P121)

 

“しかし、絶対的な忠誠心と堅忍不抜(フバツ)の献身的精神をもって臨めば、必ずや勝利を手にすることができることを、わたくしがお約束します。”(最高の福音 P55)

 

“この世に克服できない悩みはありません。ですから、悩んではいけないのです。征服できない困難はないのです。力の及ばないほど大きな出来事は何一つ起きないのです。”(最高の福音 P106)

 

いったん霊的真理に目覚めた以上、今日や明日のことを心配してはなりません。あなた方の霊に危害を及ぶことはけっしてありません。自分の知っていること、これまでに自分に明かされた真理に忠実に生きていれば、いかなる苦難がふりかかっても、いささかも傷つくことなく切り抜けることができます。地上で生じるいかなる出来ごとも、あなた方を霊的に傷つけたり打ちのめしたりすることは出来ません。ご自分の日常生活をご覧になれば、条件が整ったときの霊の威力を証明することがいくらでもあるはずです。
残念ながらこうした重大な意味を持つ真理に気づいている人は少数であり、まだ多数とは言えません。大多数の人間は物量、権力、支配、暴虐、隷属(させること)こそ力であると思い込んでおります。”(シルバーバーチの霊訓 八巻 P122)

 

霊は物質に優ります。神の霊、大霊こそが宇宙の絶対的支配力なのです。そこで私はいつも申し上げるのです―心を強く持ち、背筋を真っすぐに伸ばして歩みなさい。この世に、そして霊の世界にも、恐れるものは何一つありません、と。 最後はきっとうまくいきます” (シルバーバーチの霊訓 八巻 P123)

 

“問題が生じるのは当然の成り行きです。地上は困難と挫折と障害と逆境に遭遇させられる場所なのです。地上生活のそもそもの目的は、伸び行く魂が、危機においてはじめて呼び覚まされる潜在的資質を発現するために、さまざまな事態に遭遇することにあるのです。そうした問題を克服しないかぎり霊性の向上は望めません。が、実は克服できないほど大きな問題は決して負わされないのです。忍耐強く導きを祈り求めることです。時が熟せば必ずドアが開かれ、道が示されます。私はそのことを同志の方にいつもこう申し上げております。―閉め切られたドアを忙しく叩いてはいけません、と。” (十)P150

“幸いにして霊的実在についての知識を手にした者は、いかなる程度であっても悲観の念を心に宿すことがあってはなりません。霊力は地上世界のいかなる力よりも強力です。”(十)P163


“元気をお出しなさい。くよくよしてはいけません。取り越し苦労はお止しなさい。心配しても何にもなりません。心配の念は霊界から届けられる援助の通路を塞ぎます。自信を持つのです。道はきっと開けるという確信をもつのです。いつの日か、苦しい体験だったおかげで精神的ならびに霊的に成長したから悔いはない、と言える日が来ることでしょう。”(十)P165

 


――残念なことですが、苦難に遭うと不幸だと思い、邪険になり、卑屈になっていく人が多いようです。

 

“それは結局のところその人の人生に確固とした土台がないからです。人生観、宗教観、それに物の観方が確固とした(霊的)知識を基盤としておれば、いかなる逆境の嵐が吹きまくっても動じることはないはずです。これも人生の一コマだ、すべてではなくホンの一部にすぎないのだという認識ができるからです”(八巻 P141)

 

●唯物的基盤(流砂の土台)・・物量(お金)・権力・支配・暴虐・隷属させることこそ力なり。

 

●霊的摂理を基盤とする(霊的知識の土台)・・・霊的摂理こそ真実の姿、実相なり。

 

 

霊的知識 ≠ 信仰(実践)

霊的摂理の知識と摂理への信仰、すなわち摂理を信じて全幅の信頼を置くという実践(信仰)は別ものです。

 

“いかなる危機が迫りつつあっても、いかなる問題に遭遇しても、あなたの内部にそれを克服する力が秘められていることを忘れてはなりません。同時に、それ以上の強力な力が背後に控えているのです。それを呼び寄せることもできるのです。困難に悩まされた時は―それは人間として避けがたい宿命です―地上の喧騒から身を引いて瞑想の世界に入ることです。そこで霊的意識を広げ、あたりに漂う光輝を存分に吸い込むのです” (十)P171

 

―地上界で受ける霊的教育―

 

どん底の体験から霊的に覚醒し、“本当の自分”に気づいた後につづく霊的教育と霊的成長とは・・

 

第一ステップ・・・霊的知識

 

→「シルバーバーチの霊訓」を通して霊的摂理を学ぶ。

 

→  試練・困難・悲劇に遭遇する。

 

  試練・困難が来ないと信仰が本物かどうか本人にも判らないし、その結果、強化もされません。平穏なときに神を信じるというのは簡単なことです。

 

→ 恐怖心や不安、心配するという“従来からの自分の考えの方”をとるか、自分を捨てシルバーバーチが霊訓で述べていること(前述霊訓の神の保証・担保)を信じる方をとるのか、どちらの方を選ぶかの選択が常に迫られてきます。

 

⇒ 唯物的思考(従来からの考え方)がモグラ叩きのように顔を出し、ふと気がゆるむと無意識に段々と物質的なもの(唯物的基盤)に傾くという強い傾向があります。

 

霊訓を何度読んでいても、記憶として心に残らないのは、潜在意識の中の唯物的基盤が強すぎて、なかなか記憶の中に入ってこられないからです。霊界はフィクションの世界であるかのように無意識に思い込んでいるからです。そのため、何事も繰り返して体で覚えるように、繰り返しての霊的体験が必要となってきます。

 

第二ステップ・・・実践(信仰)

 

→ いかなる状況にあろうとも、従前からの唯物的(本能的)な自分自身の考えよりも、にわかには信じがたく不安ではあるがシルバーバーチが霊的摂理で述べていること(前述霊訓の神の保証・担保)を信じて、思い切って自分自身の考えよりも霊的摂理の方を選ぶという実践的行為の積み重ねの体験が、“摂理に全幅の信頼を置く”ためには必要となってきます。

 

第三ステップ・・・霊的体験

 

→ 霊的摂理(霊訓)の方を選ぶと、思わぬ展開で奇跡的に運命が拓かれてゆき、結果として霊の威力を再確認することができます。

 

→ 唯物的な力(本能に根ざした従来の自分の考え方)よりも、霊的摂理の方が正しくて真実の姿(実相)であるという認識が徐々に深まります。

 

→ “霊は物質に優ります”という体験を忘れては思い出させるかのように、大小の霊的経験を何度も何度も繰り返し繰り返し時間をかけて積んでゆきます。

 

第四ステップ・・・霊性心の発揮と、霊的成長(進化・向上)

 

→ 霊訓で述べられている霊的摂理に対する信頼感が徐々に強くなり、不動の信念化となって確固とした霊的基盤となります。そして自然と霊性心が発揮されるようになってきます。

 

ここに至るまでには数多くの様々な大小の苦難や試練の体験が必要で、不動の信念化は簡単に得られるものではなく、とても時間がかかるものです。

 

《困難・試練にあたっての霊的対処法》

  1. 過去の間違い(結果)にとらわれずに、今からの行動(原因)が大切であることを自覚する。(因果律)

     

    “首をうなだれてはいけません。後ろを振り向いてはいけません。前を見るのです。 過去のページはすでにめくられ、二度と元へは戻せないのです。生命の書は常に新しいページをめくるのです。その日その日のために生き、昨日のために生きてはいけません。

    明日刈り取る収穫のタネを蒔くのは今日なのです。”(十)P166

  2.  

  3. 試練の克服に関して前述の霊訓に書かれてある“神の約束・保証”に自身の基盤を置き、それを担保として全幅の信仰をもつこと。⇒ 自我を捨て、霊訓に述べられている神の約束・保証にしがみつけるかどうかに全てはかかっている。(神との契約)
  4.  

  5. 一人で問題に立ち向かっているのでは無く、守護霊に話かけること。(孤独ではない)
  6.  

  7. 動機は利他からか、また、良心に従っているか。(動機は善なりや、私心なかりしか)
  8.  

  9. 自分にできる精一杯のことをしているか。(精一杯の努力)
  10.  

  11. 当初願っていることとは結果や時期が異なるかもしれないが、必ず問題は克服でき、且つ、自分にとって必ず結果オーライになるとの信念をもつこと。(神の試練克服の約束・保証)
  12.  

 

“容易な手段で得られたものは容易に棄て去られるものです。
 霊的熟達の道は長く、遅々として、しかも困難なものです。霊の褒賞は奮闘努力と犠牲によってのみ獲得されるのです。
 霊的卓越には近道はありません。即席の方法というものはありません。奮闘努力の生活の中で魂が必死の思いで獲得しなければなりません。
 聖者が何年もの修行の末に手にしたものを、利己主義者が一夜のうちに手にすることが出来るとしたら、神の摂理はまやかしであったことになります。それはまさしく神の公正を愚弄するものです。
 一人ひとりの魂が自分の努力によって成長と発達と進化を成就しなくてはならないからです。そうした努力の末に確信を得た魂は、もはや霊的真理をおろそかにすることは絶対にありません” (シルバーバーチの霊訓 八巻 P166)

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