大阪シルバーバーチの会 亀水忠茂

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(2015年12月用テキスト) シルバーバーチの霊訓 第六巻 第七章 “難しい質問に答える”

(2015年11月用テキスト) シルバーバーチの霊訓 8巻6章「婚約者を不慮の事故で失って」

(2016年12月用テキスト) シルバーバーチの霊訓 第七巻 第八章 “大きくなったルースとポール”より

(2016年11月用テキスト) シルバーバーチの霊訓 第七巻 第七章 “真理は法律では縛れない”より

(2016年10月用テキスト) シルバーバーチの霊訓 第七巻 第六章 “わが子に先立たれた二組の夫婦と語る”

(2016年9月用テキスト) シルバーバーチの霊訓 第七巻 第五章 “真の宝とは”

(2016年8月用テキスト) シルバーバーチの霊訓 第七巻 第四章 “若き軍人と語る”

(2016年7月用テキスト) シルバーバーチの霊訓 第七巻 第三章 “戦地でも愛読された霊訓”

(2016年6月用テキスト) シルバーバーチの霊訓 第七巻 第一章 “二つの世界が交わる場所” & 第二章 “今なぜスピリチュアリズムか”

(2016年5月用テキスト) シルバーバーチの霊訓 第六巻 第十二章 “苦難にこそ感謝を”

(2016年4月用テキスト) シルバーバーチの霊訓 第六巻 第十一章 “みんな永遠の旅の仲間”

(2016年3月用テキスト) シルバーバーチの霊訓 第六巻 第十章 “あらためて基本的真理を”

(2016年2月用テキスト) シルバーバーチの霊訓 第六巻 第九章 “良心の声”

(2016年1月用テキスト) シルバーバーチの霊訓 第六巻 第八章 “真理は無限の側面がある”

(2017年12月用テキスト) シルバーバーチの霊訓 第九巻 四章~五章 不変・不滅・不可避の摂理、死別の教訓

(2017年11月用テキスト) シルバーバーチの霊訓 第九巻 二章:活字の効用 & 三章:霊の威力

(2017年10月用テキスト) シルバーバーチの霊訓 第九巻 第一章 “シルバーバーチはなぜ戻って来たか”  

(2017年9月用テキスト) シルバーバーチの霊訓 第八巻 第七章 愛すべき仲間たち――動物 

(2017年8月用テキスト) シルバーバーチの霊訓 第八巻 第六章 明日の指導者たち ―若者にどう説くのか―

(2017年7月用テキスト) シルバーバーチの霊訓 第八巻 第五章 質問に答える(三)―倫理・道徳・社会問題―

(2017年6月用テキスト) シルバーバーチの霊訓 第八巻 第四章 質問に答える(二)―死後の生活―

(2017年5月用テキスト) シルバーバーチの霊訓 第八巻 第三章 質問に答える(一)―地上生活―

(2017年4月用テキスト) シルバーバーチの霊訓 第八巻 第二章 “自由意志”―人間はどこまで自由か―

(2017年3月用テキスト) シルバーバーチの霊訓 第八巻 第一章 “シルバーバーチのアイデンティティ”

(2017年2月用テキスト) シルバーバーチの霊訓 第七巻 第十一章 “なぜ神に祈るのか”

(2017年1月用テキスト) シルバーバーチの霊訓 第七巻 第九章 “悩み多きインド” & 第十章“質問に答える”

(2018年12月用テキスト) 2018年の“寸感”の総括

(2018年11月用テキスト) “地上人生の目的は”

(2018年10月用テキスト) シルバーバーチの霊訓 第九巻 十二章 “自殺についての二つの投書”

(2018年9月用テキスト) シルバーバーチの霊訓 第九巻 十二章 “自殺についての二つの投書”& 第十三章“おしまいに”

(2018年8月用テキスト) シルバーバーチの霊訓 第九巻 十一章 三つの出張講演から つづき

(2018年7月用テキスト) シルバーバーチの霊訓 第九巻 十一章 三つの出張講演から つづき

(2018年6月用テキスト) シルバーバーチの霊訓 第九巻 十一章 三つの出張講演から つづき

(2018年5月用テキスト) シルバーバーチの霊訓 第九巻 十一章 三つの出張講演から

(2018年4月用テキスト) シルバーバーチの霊訓 第九巻 十章 質問に答える――イエス・キリストについて

(2018年3月用テキスト) シルバーバーチの霊訓 第九巻 八章 宗教とは & 九章:青年部の代表と語る

(2018年2月用テキスト) シルバーバーチの霊訓 第九巻 七章 魂を癒す――心霊治療の本質

(2018年1月用テキスト) シルバーバーチの霊訓 第九巻 六章 霊能者の責任

(2019年11月用テキスト) 十一巻 三章 “心霊治療 ―霊的覚醒のための手段”

(2019年10、11月用テキスト) 十一巻 二章 “霊媒的能力”――霊的知識を得るための必須の手段

(2019年9月用テキスト) 十一巻 一章 “シルバーバーチの自己紹介”より

(2019年7月用テキスト) 十巻 十章 質問に答える

(2019年6月用テキスト) 十巻 九章 人生は霊的巡礼の旅

(2019年5月用テキスト) 十巻 八章 背後霊の仕事

(2019年4月用テキスト) 十巻 七章 再生問題を語る

(2019年3月用テキスト) 十巻 五章 死んだあと、どうなるのか

(2019年1月用テキスト) 十巻 四章 死ぬということはどういうことか

(2020年11月用テキスト) 上巻 一章 “通信霊シルバーバーチについて” 

                    二章 “シルバーバーチの霊界通信の目的”

(2020年10月用テキスト) 十一巻 八章 「最後の晩餐」より

(2020年9月用テキスト) 十一巻 六章 霊界でも祝うクリスマスとイースター ―その本来の意味― 

                     七章 人類の宿題――地上天国の建設

(2020年8月用テキスト) 十一巻 五章 “霊界からみた地上の科学”より

(2020年5月用テキスト) 十一巻 五章 “霊界からみた地上の科学” & 

                     六章 “霊界でも祝うクリスマスとイースター”―その本来の意味―

(2020年3月用テキスト) 十一巻 四章 “既存宗教のどこが間違っているのか―キリスト教を中心に”より(その2)

(2020年1月用テキスト) 十一巻 四章 “既存宗教のどこが間違っているのか―キリスト教を中心に”より(その1)

(2021年12月用テキスト) 上巻 五章 “神とはどのような存在か”

(2021年11月用テキスト) 上巻 四章 “スピリチュアリズムが目指す新しい世界”より

(2021年4月用テキスト) 上巻 三章 霊界を挙げての大計画 

(2022年12月用テキスト) 上巻 十二章   “睡眠中は何をしているのか”より

(2022年11月用テキスト) 上巻 十一章   “死後の世界”より

(2022年10月用テキスト) 上巻 十章 “霊的進化の道を歩む神の子供たち”

(2022年9月用テキスト) 上巻 九章 “キリスト教の人工的教義の間違い”より「英国国教会の教義」からの項目の一部抜粋と、それへのシルバーバーチの見解

(2022年8月用テキスト) 上巻 八章 “地上の宗教の間違い”

(2022年7月用テキスト) 上巻 七章 “正しい祈りとは”

(2023年12月用テキスト) 一巻 二章 “なぜ生まれてきたのか”

(2023年11月用テキスト) 「シルバーバーチの霊訓」一巻 一章“あなたとは何か”

(2023年10月用テキスト) 霊界からのインスピレーションを意識的に受け取る方法

(2023年9月用テキスト) 下巻 二十三章“さまざまな質問に答える”

(2023年8月用テキスト) 下巻 二十二章“シルバーバーチ、子供と語る”

(2023年7月用テキスト) 下巻 二十一章“青年牧師との論争”

(2023年6月用テキスト) 下巻 二十章“スピリチュアリズムの第一線で働く人々への励ましのメッセージ”

(2023年5月用テキスト) 下巻 十九章“ヒーリングの問題”

(2023年4月用テキスト) 下巻 十七章“霊界でも祝うクリスマスとイースター”& 十八章“霊界側から見た戦争”

(2023年3月用テキスト) 下巻 十五章“交霊会の舞台裏”& 十六章“交霊会についての誤解”

(2023年2月用テキスト) 下巻 十四章 “霊界通信の難しさ”P8~より

(2023年1月用テキスト) 「インディビジュアリティと再生」 (雑記)

 

 

2023年12月用テキスト)


一巻 二章 “なぜ生まれてきたのか” P37~P49


地上に生を受ける時、地上で何をなすべきかは魂自身はちゃんと自覚しております。何も知らずに誕生してくるのではありません。自分にとって必要な向上進化を促進するにはこういう環境でこういう身体に宿るのが最も効果的であると判断して、魂自らが選ぶのです。ただ、実際に肉体に宿ってしまうと、その肉体の鈍重さのために誕生前からの自覚が魂の奥に潜んだまま、通常意識に上がってこないだけの話です。 P38


あなたがた地上の人間にとっての大きな問題は、やむを得ないことかもしれませんが、人生というものを間違った視点から観ていることです。つまり、あまりにもこの世的・物質的観点からのみ人生を考えていることです。人生には確かに地上的な要素がありますが、同時に霊的なものであり、永遠に続くものなのです。その永遠なるものを地上的視点だけで眺めてはいけません。それでは十全な判断は出来ません。神の子には、一人の例外もなく、善悪ともに埋め合わせの原理が働くのですが、地上生活のみで判断しようとすると全ての要素を考慮することができなくなります。 P38


●人生には目的があります。しかしその目的は、それに携わる人間が操り人形でしかないほど融通性のないものではありません。 (中略) 運命全体としての枠組みは出来ております。しかしその枠組みの中で、あなた方が計画した予定表に従いながらどれだけ潜在的神性を発揮するかは、あなたの努力次第ということです。 P38~39


●そこに、“埋め合わせの原理”が働いていることを理解しなくてはいけません。つまり創造活動に貢献する仕事に携わりつつ潜在能力を開発していく生活の中で、あなたの人間的発達が促進されていくという仕組みです。
つまり二重の仕組みになっているわけです。進歩の誘発は内と外の両側から行われるのです。魂の奥には物質界のいかなるエネルギーよりも大きい威力が秘められています。 宇宙は大霊の一部だからです。それがなければ生命は存在しません。なぜなら生命は霊そのものだからです。物質はカゲに過ぎません。霊という実在の殻に過ぎません。この二重のエネルギーをどこまで活用できるかは、その魂の悟りの程度にかかっています。 P39


●物質は殻に過ぎません。霊という実在によって投影されたカゲに過ぎません。物質それ自体には存在はないのです。あなたが存在し、呼吸し、動き、考え、判断し、反省し、要約し、決断し、勘案し、熟考することが出来るのは、あなたが霊であるからこそです。 P40

●真に役立つ人間になるためには魂の最奥まで響く強烈な体験がなくてはなりません。魂が円熟の花を咲かせるためには奥深く耕されなければなりません。 P42

 

●無限なる霊である神の働きは完璧です。完璧なる公正のもとに働きます。(中略) 物質には必ず埋め合わせがあり、応報があります。その計量は完璧な天秤によって行われます。犠牲的生活によって魂が“損”をすることはありません。また利己的生活によっていささかも“得”をすることはありません。魂の進化の程度と悟りの指標はどれだけ“ゲッセマネの園”に生き、どれだけ“変容の丘”に達するかにあります。そこに神の真の愛の働きがあります。 P42


●霊的真理の悟りを一人でも多くの、受け入れる用意のできた人に施すことです。不安と恐怖に満ち、数知れぬ人々が明日はどうなるかと案じつつ生きているこの世においては、人生とは何かについて、表面的なことではなく、真実の相を教えてあげなくてはなりません。
大切なのは、人間が永遠なる魂であり、地上生活はその永遠の巡礼の旅路のほんの短い、しかし大事な一部なのだという事実を知ることです。その地上生活を無知の暗闇の中ではなく、叡智の光の中で、肩をすぼめず背筋をまっすぐに伸ばして、怖れを抱かず堂々たる落ち着きをもって生きるべきです。あなた方は一時の勝ち負けのために備えているのではありません。目先の結果、一時の勝利ではなく、永遠なる目的、無窮の闘いに携わっているのです。成就したものがいかなる結果をもたらすかを安易に推し量ってはいけません。 P44


あなた方の懸念は無意味であり根拠がありません。しっかりとした手に守られております。これまでもずっと、それによって支えられてきました。もしそうでなかったら、とうの昔に地上を去っていることでしょう。霊的なものにとって恐れるということがなによりも強烈な腐食作用を及ぼします。恐怖心と心配の念は、私たちが特に不断の警戒を要する敵です。なんとなれば、それが霊が作用する通路を塞いでしまうからです。 P44


●光の中ばかりで暮らしておれば光の有難さは分かりません。光明が有難く思われるのは暗闇の中で苦しめばこそです。こちらの世界で幸せが味わえる資格を身につけるためには、そちらの世界での苦労を十分に体験しなければなりません。 P44


●人生の目的は至って単純です。霊の世界から物質の世界へ来て、再び霊の世界へ戻った時にあなたを待ち受けている仕事と楽しみを享受する資格を身につけるために、さまざまな体験を積むということです。そのための道具としての身体をこの地上で授けてもらうというわけです。この地上があなたにとって死後の生活に備える絶好の教訓を与えてくれる場所なのです。P43


神の帳簿は一銭の間違いもなく収支が相償うようになっております。つまり人間の行為の一つひとつについて、その賞と罰とが正確に与えられます。これを別の言い方をすれば、原因があれば必ずそれ相当の結果があるということです。いかなる苦難にもそれ相当の償いがあり、体験を積めばそれ相当の教訓が身につきます。片方なくして他方はあり得ません。体験もせずにどうして教訓が得られましょう。そして教訓を学んだ時から、その教訓を生かす義務が生じます。何も知らずに犯した罪よりも、悪いと知りつつ犯した罪の方が重いに決まっています。 P46

 

●地上生活においては物質と霊との間がしっくりいかず常に葛藤が続いている以上、あなた方は当然のことながら罪を犯すことになります。私はこれを過ちと呼ぶ方を好みます。もし過ちを犯さなくなったら、地上にも私どもの世界にも誰一人存在しなくなります。あなた方が地上という世界に来たのは、霊的な力と物質的な力との作用と反作用の中においてこそ内部の神性が発揮されていくからです。 P46


物事の成就を誇りに思えるのは困難があればこそです。平和が有難く思えるのは闘争があればこそです。このように人生は対照の中において悟っていくものです。もしも辿る道が単調であれば開発はないでしょう。さまざまな環境の衝突の中にこそ内部の霊性が形成され成就していくのです。 P46 


●時として、人生が不公平に思えることがあります。ある人は苦労も苦痛も心配もない人生を送り、ある人は光を求めながら生涯を暗闇の中を生きているように思えることがあります。しかしその見方は事実の反面しか見ておりません。まだまだ未知の要素があることに気づいておりません。 P47


せっかちと短気はいけません。せっかくの目的をだいなしにします。内部から援助してくれる力は静穏な環境を必要とします。 P47


●指導と援助を求める時はそれなりの条件を整えなくてはいけません。そのためには、それまでの経験を活用しなければいけません。それが魂にとって唯一の財産なのです。そして自分に生命を賦与してくれた力がきっと支えてくれるという自信をもつことです。あなたはその力(神)の一部(神の分霊)なのであり、あなたの魂に内在しているのです。正しい条件さえ整えば、その神性は、神からの遺産として、あなたに人生の闘いを生き抜くあらゆる武器を用意してくれます。せっかちと短気はその自由闊達な神性のほとばしりの障害となるのです。
故にあなた方は常にリラックスし、受身的で穏やかで平静で、しかも奥に自信を秘めた状態であらねばなりません。その状態にあるかぎり万事がうまくいき、必要とするもの全てが施されるとの確信をもたなければいけません。安易な人生からは価値あるものは得られません。困難な人生からのみ得られるのです。 P48


困難に直面した時、その神の遺産を結集し、必ず道は開けるのだという自信をもつことです。不動の信念をもてば道は必ず開かれます。これはすでに私が何年にもわたって説いてきたことです。真実だからです。実践してみればそのとおりであることを知ります。 P48


霊性を悟ることは容易なことではありません。もし容易であれば価値はありません。その道に近道はありません。王道はないのです。各自が自分で努力し自分で苦労しなくてはなりません。しかし同時にそれは登につれて喜びの増す、素晴らしい霊的冒険でもあるのです。 P49

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2023年11月用テキスト)


「シルバーバーチの霊訓」一巻 一章 “あなたとは何か”より
(スピリチュアリズム普及会)


●いったいあなたとは何なのでしょう。ご存知ですか。自分だと思っておられるのは、その身体を通して表現されている一面だけです。それは奥に控えるより大きな自分に比べればピンの先ほどのものでしかありません。
ですから、どれが自分でどれが自分でないかを知りたければ、まずその総体としての自分を発見することから始めなければなりません。 (中略)
どれが普段の自分自身の考えであり自分自身の想像の産物なのか、そしてどれがそのような大きな自分つまり高次元の世界からの霊感(インスピレーション)であり“導き”なのか、どうやって判断すればよいのでしょう。そのためには正しい物の観方を身につけなければなりません。つまりあなた方は本来が霊的存在であり、それが肉体という器官を通して自己を表現しているのだということです。
霊的部分が本来のあなたなのです。霊が上であり身体が下です。霊が主人であり身体は召使いなのです。霊が王様であり身体はその従僕なのです。霊はあなた全体の中の神性を帯びた部分を言うのです。
それはこの全宇宙を創造し計画し運用してきた大いなる霊と本質的には全く同じ霊なのです。つまりあなたの奥にはいわゆる神の属性である莫大なエネルギーの全てを未熟な形、あるいはミニチュアの形、つまり小宇宙の形で秘めているのです。その秘められた神性を開発しそれを生活の原動力とすれば、心配も不安も悩みも立ちどころに消えてしまいます。なぜなら、この世に自分の力で克服できないものは何一つ起きないことを悟るからです。その悟りを得ることこそあなた方の勤めなのです。それは容易なことではありません。 P26


●身体はあなたが住む家であると考えればよろしい。家であってあなた自身ではないということです。  (中略)  この宇宙をこしらえた力が生命活動を司っているのです。生命は物質ではありません。霊なのです。そして霊は即ち生命なのです。生命のあるところには必ず霊があり、霊のあるところには必ず生命があります。 P27


あなた自身も生命そのものであり、それ故に宇宙の大霊との繋がりがあり、それ故に(霊能力があり)あなたもこの無限の創造進化の過程に参加することができるのです。 
その生命力(霊力)は必要とあらばいつでもあなたの生命の井戸からくみ上げることができます。その身体に宿る霊に秘められた莫大なエネルギー、あなたの生命活動の動力であり活力であり、あなたの存在を根本において支えている力(霊力)を呼び寄せることができるのです。 P28


●霊的に受け入れる準備ができればおのずと真理の扉が開かれるのです。こちらから求めなくてもよいのです。 P28

 

●と言っても私どもはあなた方の生活から問題も悩みも苦しみもなくなるというお約束はできません。お約束できるのは全ての障害を乗り越え、不可能と思われることを可能にする手段(霊力)をあなた方自身の中に見出すようになるということです。 P29


●地上生活全体の根幹であるべき霊的真理に従って各自が生活を営めるように、ということを唯一の目的として努力しているのです。 P31


●それにはその根幹として、霊性において人類は一つであるとの認識が必要です。 P31


●援助を求める真摯な熱意が等閑にされることは決してありません。衷心からの祈りによる霊的つながりが出来ると同時に、援助を受け入れる扉を開いたことになります。 p32


大勢の人が真の実在であり全ての根源であるところの霊性に全く気づかぬまま生きております。こうして生きているのは霊的存在だからこそであること、それが肉体を道具として生きているのだということが理解できないのです。 P33


●霊性に気づいた人は真に目覚めた人です。神性が目を覚ましたのです。それは、その人が人生から皮相的なものではなく霊という実在と結びついた豊かさ(霊力)を摂取できる発達段階に到達したことの指標でもあります。 P34


●魂が目を覚ますと、その奥に秘められたその驚異的な威力を認識するようになります。それはこの宇宙で最も強力なエネルギー(霊力)の一つなのです。その時から霊界の援助と指導とインスピレーションと知恵を授かる通路が開けます。
これは単に地上で血縁関係にあった霊の接近を可能にさせるだけでなく、血縁関係はまるでなくても、それ以上に重要な霊的関係によって結ばれた霊との関係を緊密にします。その存在を認識しただけ一層深くあなたの生活に関わり合い、援助の手を差し伸べます。

この霊的自覚が確立された時、あなたはこの世的手段をもってしては与えることも奪うこともできないもの――盤石不動の自信と冷静さと堅忍不抜の心を所有することになります。そうなった時のあなたは、この世に何一つ真にあなたを悩ませるものはないのだ――自分は宇宙の全生命を創造した力(神)と一体なのだ、という絶対的確信を抱くようになります。P35

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2023年10月用テキスト)

―霊界からのインスピレーションを意識的に受け取る方法―


「シルバーバーチの教え」下巻 二十三章 “さまざまな質問に答える”より
(スピリチュアリズム普及会発行)


霊界からの指導の実際より
――指導霊から積極的な働きかけを受けている人が、それに気づかないということがあるでしょうか。


“大いにあります。その事実(指導霊の存在と働きかけ)を知っている方が、知らないままでいるよりも協力関係を強化(親密になる)することができます。” P191


――指導霊の存在を知ることによって、もっと霊力を受けやすくなるのでしょうか。


“指導霊の存在を知っていれば、その人間と霊との関係はより親密になります。知らずにいるよりは知っている方が好ましいのです。光が得られるというのに、暗闇にいたいと思う人がいるでしょうか。飲み物があるというのに、どうして渇きを我慢する必要があるのでしょうか。”P191


質疑応答より
“地上人は、霊界からのインスピレーションを無意識のうちに受け取ることもあれば、意識的に受け取る(祈りによって大霊の力にアクセスする)こともあります。霊的感受性が強い人間は、霊界から送られてくる思念をインスピレーション(霊力)として受け取り、それを(顕在)意識の中に強く印象づけることになります。” P195
⇒ 霊界から送られてくる思念のインスピレーションを意識的に自覚するようになる


“あなた方は大霊の一部であり、その肉体の奥に大霊の分霊が埋め込まれています。あなた方は大霊のミニチュアであり、それぞれの魂の進化(神と指導霊への信頼度)に応じて大霊が有するすべての力にアクセスすることができるようになります。” P196


これまで地上世界に不幸が絶えなかったのは、霊的な側面を無視してきたからです。霊に関わることは、慎重な養成と、ゆっくりとした成長が必要とされます。” P199


“私は今日まで、皆さんが知っておくべき霊的真理をシンプルな言葉で説いてきました。霊的真理に新たに付け加えるものは何もありません。今、地上人に必要とされているのは、(“本当の自分”霊魂の心、霊性心で)霊性を発揮して、霊力(インスピレーション)をもっと容易に受け入れられるようにすることです。現在の地上人類は、あまりにも霊力を否定しています。” P202
⇒ 霊性を発揮するとは、本当の自分は永遠不滅の霊魂であるとの自覚をもち、内在する大霊を顕現させること

――良心とは何でしょうか。
“良心は魂の一部であり、正しいことと間違ったことを区別します。良心はハカリのようなもので、あなた方はそれによって善と悪を判断することができるのです。良心とは、魂の指針なのです。”  P206

 

――オーラとは何ですか。

“オーラは、身体が発するバイブレーションによって構成されています。一口にオーラと言っても多くの種類がありますが、地上世界で知られているのは肉体のオーラと霊体のオーラです。
すべてのものがオーラを放射しており、意識のない物体でさえオーラを放っています。人間のオーラは身体が発するバイブレーションによって成り立っており、身体の状態を反映しています。” P207

 

“行為の一つひとつ、思念の一つひとつ、願望の一つひとつが、あなたの魂のオーラに刻み込まれます。霊界の人々には、あなたのすべてがはっきりと分かるのです。” P173

 

“しかし一般に「幽霊が出た!」と騒がれる場合は、いわゆる地縛霊の仕業です。” P209


――そうした霊が地上の人間に取り憑くということがありますか。


“もし、両者の間に親和性(因縁)があれば、それは起こります。憑依現象というと一方的に霊の側に責任があると考えがちですが、実際は地上の人間に原因があることを知らないといけません。憑依されるような条件を用意しているのは人間の方なのです。調和のとれた生活、正しい心がけと奉仕の精神にあふれた生活、我を張らず、欲張らず、独りよがりにならない生活を心がけていれば、憑依現象は絶対に起きません。” P212

 

[シルバーバーチの祈り インボケーション]

“なぜなら、すべてのインスピレーション、すべての真理、すべての叡智、すべての啓示、すべての知識が蓄えられている無限の貯蔵庫は、大霊の子供たち一人ひとりに開かれているからでございます。向上心と謙虚さと奉仕精神にあふれ、強大な霊力(霊団)の道具になることを願う子供たちは、その貯蔵庫を自由に活用することができるのです。” P218

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2023年9月用テキスト)

「シルバーバーチの教え」 下巻 二十三章“さまざまな質問に答える”

(スピリチュアリズム普及会発行)より


自殺の問題
〔自殺についてのシルバーバーチの考えは、はっきりしている。地上人生を自ら終わらせることは、完全に摂理に反することである。自殺に対するシルバーバーチの説明によって、次のような質問をした女性は自殺を思いとどまることができた。〕⇒摂理に反する点では自殺も殺人も同罪


――愛する人に先立たれた者が、自ら命を絶つことは許されるでしょうか。


“いいえ、許されません。摂理の働きは完璧ですから、あなたはそれに忠実に従って生きなければなりません。摂理は大霊によって、すなわち完全なる愛によって統制されています。大霊はすべてのものに存在すると同時に、すべてのものを通して顕現しています。大霊によって統制されている摂理の働きを妨げる権利を有する者はいません。もしあなたが、摂理に反して自ら命を絶つ(他人の命も含む)とするなら、その行為に対する代償を払わなければなりません
例えば、熟さないうちにもぎ取ったリンゴは美味しくないように、あなたの霊に準備ができていないうちに霊界へ行ったなら、長い調整期間の中でその代償を払わなければなりません。愛する人々とも会えなくなります。自殺によって、あなたと周囲の人々との間に隔たりができてしまうからです。” P166
≪摂理に反する行為(原因)は、その行為に対する代償(結果)を払うことになる。⇒ 因果律≫

 

安楽死は許されるか

――回復の見込みがない患者を安楽死させる権利を医者に与えるべきだ、という意見がありますが、どう思われますか。


“まず申し上げておきたいのは、すべての生命は大霊のものだということです。肉体が衰えて霊がその肉体から解放される時がくれば、人間は自然の摂理に従って死を迎えます。” P168

――医学的処置によって延命することは正しいと思われますか。

“間違ってはいません。” P169

――たとえそれによって苦しみを長引かせることになってもでしょうか。

“そうです。ただし、忘れてはならないことが一つあります。それは魂が解放される時がくれば、人は必ず死を迎えるということです。地上のいかなる手段をもってしても、摂理を変えることはできません。”
P169

 

――不治の病に苦しんでいる人を安楽死させることは、その患者に霊界または来世(次の地上生活)で、さらなる苦痛をもたらすことになるのでしょうか。


“いいえ、そういうことはありません。しかし安楽死は、準備のできていない霊にショックを与え、影響を及ぼすことになります。それによって不要だったはずの調整を、いろいろとしなければならなくなります。” P169


すべてのことに動機(原因)が問われます。摂理(結果)をごまかすことはできません。行為の一つひとつ、思念の一つひとつ、願望の一つひとつが、あなたの魂のオーラに刻み込まれます。霊界の人々には、あなたのすべてがはっきりと分かるのです。あなたの魂は、彼らの前では丸裸です。あなたが地上で抱いた動機のすべてが、霊界人には知られているのです。” P173


――動物の生体解剖は動機が正しければ許されると思いますか。


“いいえ、許されません。残酷な行為がどうして正当化できるでしょうか。苦痛を与え、悶え苦しませておいて、どうして正義と言えるでしょうか。それは、私たちの教えとはまったく相容れません。無抵抗の動物を実験台にすることは間違いです。(動機が間違っている)” P177

 

霊媒能力・心霊能力について

大霊の摂理は、すべての子供たちが幸せになるためにもうけられたものです。ところが人間は、自分たちは親(大霊)よりも優れていると自惚れて摂理に背くようになったために、地上にはさまざまな問題が発生するようになったのです。” P181


“どうか、物質的なもの(いずれ消え去るもの)ではなく、霊的なものに目を向けてください。そうすれば、あなたは大霊の光に包まれ、いずれ朽ちていく肉体の奥にある不滅の霊を傷つけるものは何もないことを悟るようになるでしょう。(ウクライナ戦争) (中略)
もしあなたが、物質的なものに過度の関心を持たないようにするなら、物質よりはるかに繊細な霊に対する感受性を高めることができるようになります。目に見える物質的なものではなく、目に見えない霊的なもの、大霊と永遠なるもの(霊的なもの)に信頼をおいてください。” P183


“地上人生において悲しみや喜びの体験を積むまでは(霊的摂理が理解できないから)、あなたは真の霊媒(高級霊の道具としての霊媒)になることはできません。自分が暗闇の中にいると感じたときには、それは影にすぎず、いずれ消え去るもの(物質的なもの)であることを思い出してください。太陽の光は、あなたの内部に存在する霊の宝(本当の自分・霊魂)を再び輝かせることになるでしょう。” P184

 

サービス(奉仕・利他愛の実践)の摂理について

“摂理を活用(順応)すれば地上に調和と健康と幸福がもたらされるようになる(霊的摂理の目的)ことをお教えしようとしているのです。” P186


“あらゆる霧と暗闇、懐疑と恐れ、悲しみと争い、苦しみと痛みの背後には、サービス(奉仕・利他愛)を通しての霊的成長という永遠の目的があることを忘れてはなりません。” P187


“皆さんは、大霊の意思を地上で実現するための“大霊の僕”です。その務めを果たす中で、多くの人々の人生に新しい希望をもたらし、同時に皆さん自身もさらなる幸福を手にすることになるのです。あなた方は、強大な霊力が地上に降りる手助けをしています。大霊の摂理が働くための援助をしています。地上世界の悲しみと不幸を一掃するための奉仕(サービス・奉仕)に携わっているのです。” P187

 

霊界からの指導の実際

――指導霊から積極的な働きかけを受けている人が、それに気づかないということがあるでしょうか。


“大いにあります。その事実(指導霊の存在と働きかけ)を知っている方が、知らないままでいるよりも協力関係を強化(親密になる)することができます。” P191

――指導霊の存在を知ることによって、もっと霊力を受けやすくなるのでしょうか。


“指導霊の存在を知っていれば、その人間と霊との関係はより親密になります。知らずにいるよりは知っている方が好ましいのです。光が得られるというのに、暗闇にいたいと思う人がいるでしょうか。飲み物があるというのに、どうして渇きを我慢する必要があるのでしょうか。”P191

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2023年8月用テキスト)

「シルバーバーチの教え」 下巻 二十二章“シルバーバーチ、子供と語る”

(スピリチュアリズム普及会発行)より


―霊界での会話は思念でー
●ルース「霊界ではどのようにして話をするのですか。」


“こちらでは話すということはしません。お互いが思ったことを翼に乗せて送るのです。それは、あっという間に空間を飛んでいきます。返事も同じようにして届けられますから、言葉は要らないのです。心の中に美しい絵を描いて、それを瞬時に送ることもできます。” P148


参考:“インスピレーションを受ける時は、霊界のある知的存在と交信状態にあります。
(中略) 霊的波長が同じ者どうし、つまり霊的知性が同質である者どうしで、送信と受信を行っております。その波長は霊的発達程度によって定まります。”
(「シルバーバーチの教え」下巻 P152 スピリチュアリズム普及会)

 

―霊的成長は永遠に続く―
●ルース「三千年では若いとは言えないですね。死んだらみんな霊になるのですか。」


“人間は皆、大きな霊に成長しつつある小さな霊なのです。”P149

 

―霊の世界とは―
●ルース「そちらの世界は地球よりも広いのですか。」


“ええ、広いですとも。ずっと、ずっと広くて、しかも、そちらにないものがたくさんあります。美しい色、素晴らしい音楽、大きな樹木、花、鳥、動物、何でもあります。” P151


“こちらにはあなたが住んでいる世界より、もっと多くの美しいものがあります。樹木や花や鳥、小川もあります。美しい絵が欲しいと思うだけで、すぐにそれをつくることもできます。必要なものは何でもつくれるのです。” P148

 

―宇宙に遍満している霊的エネルギー(霊力・霊気・ブリル)―
●ポール「お腹(なか)はすかないのですか。」


“はい、お腹はすきません。私たちのまわりには生命のエネルギーがあふれていて、疲れを感じたらそれを吸い込めばいいのです。ポールくんは夜、ベッドの横に立って深呼吸をしますね。そのときポールくんは生命のエネルギーも吸い込んでいるのです。” P152
                                        

―地球外生命体―
●“地球は小さな世界で、生命の出発点にすぎません。他にも大霊の子供たちが生活している星はたくさんあります。” 
There are other worlds in the stars and in the planets where other children live.


これを聞いてルースが「サイキック・ニューズ紙には『すべての世界は一つ』と書いてあります」と言い、八歳にしては博学なところを見せて大人たちを驚かせた。


“その通りです。宇宙には数えきれないほどの世界があり、そこには大勢の子供たちが住んでいます。皆、大霊の子供です。すべての子供たちに大霊が宿っているのです。” P153
But you must know that there are millions and millions of worlds, and there are millions and millions of children, and they are all children of the Great Spirit. They are all one in the Great Spirit, and He is in all. (Teaching of SB  P218)

 

―霊の目で見るー
●ルース「私にも霊の目があるなら、いつからその目が見えるようになるのでしょうか。」


“あなたには、霊の目もありますし、霊の耳も、霊の手も指も足もあります。あなた方は肉体だけでなく、霊の身体も持っています。本当は今でも、霊の目で見ることができるのです。
ただ、肉体を持っている間は、霊の目で見たものを覚えていることはできません。でも少しずつ、見たり触れたりしたものを覚えていることができるようになります。” P154


●ポール「僕はまったく夢を見ないときがあります。」


“本当は夢を見ているのですが、思い出せないのです。” P156

 

―霊媒を使って世界中で霊的真理の普及活動をしている大勢の指導霊たちー
●そう言ってから、シルバーバーチは続けた。


“お別れする前に言っておきたいことがあります。もうすぐ私はこの地球を離れて、クリスマスの時に高級霊界で開かれる大きな集会に出席します。そこには世界中で私と同じような仕事をしている指導霊が大勢集まります。そして子供たちが大好きな、あの“イエス”と呼ばれている方から、一人ひとりお言葉を賜るのです。” P160


●そう答えてからシルバーバーチは先ほどの話に戻り、次のように続けた。


“私はクリスマスの直前に地球を離れ、イエスさまにお会いします。そのとき私はイエスさまに、地球にはルースという女の子とポールという男の子がいることを告げ、二人の愛の心を伝えるつもりです。霊媒を地上に残して集会に出席した指導霊たちは、一段と霊格の高い霊たちから仕事の進展状況についての報告を受け、助言をいただきます。そうして私たちは、新たな計画とさらなる叡智、そして大きな愛と信念を携えて、それぞれの仕事を続けるために地上へ戻ってまいります。” P161

 

―天国とはー
●ポール「天国というのは空の高い所にあるのですか。」


“いいえ、そうではありません。天国はポールくんのまわりにあるのです。ただし、望遠鏡や肉眼では見えません。” P161


●これを聞いてルースが尋ねた。
ルース「天国は、どこにあるのですか。」


天国は、人間が幸せな気持ちでいるときに、その人の心の中にあるのです。” P162
Heaven is in your hearts when you are happy.


●ルース「悲しんでいるときは、心の中に天国はないのですね。」


“悲しむ必要なんかないでしょう。あなた方が望むなら、いつでも天国にいることができるのです。 You can always be in heaven when you want to.
私はいつも二人の傍(そば)にいて、力になってあげます。もし悲しくなったら、私を呼びなさい。すぐに来てあなた方の涙を拭き、笑顔を取り戻させてあげましょう。” P162

 

―霊力に反応するには純真さが必要―
●偉大なる霊と二人の幼い子供との、自由で親密で微笑ましい対話に大人たちが聞き入っているうちに、その日の交霊会も終わりが近づいてきた。そこでシルバーバーチが二人の子供の頭に手を置いて、閉会の祈り(ベネディクション)を述べた。


“愛と叡智と美と真実なる大霊の名において、子供たちを祝福いたします。願わくは、今、純真さゆえに天国にいるこの子供たちが、人生の最後までその心を失うことがないように祈ります。二人を包んでいる霊力にこれからも素直に反応し、大霊の良き道具となることができますように……” P162


参考“真理というものは、純真な気持ちでなければ修得できません。”
(「シルバーバーチの教え」下巻 P216 スピリチュアリズム普及会)

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2023年7月用テキスト)

「シルバーバーチの教え」 下巻 二十一章 “青年牧師との論争”

(スピリチュアリズム普及会発行)


牧師:「死後の世界とは、どういうところですか。」


シルバーバーチ:“あなた方の世界と実によく似ています。但し、こちら(霊界)は結果の世界で、そちら(地上界)は原因の世界です。”(因果律) P102 

 

“現在の聖職者は霊の力によって動かされてはおりません。” P104


“でも、あなたは肉体の目で見ているのではありません。心でみているのです。 (中略)
私も霊で見ています。私にはあなたの霊も見えるし肉体も見えます。しかし肉体は影にすぎません。光源は霊です。” P105


“「主よ、主よ」と口にすることが信仰ではありません。大切なことは実際の行為であり、それがすべてです。何を語るか、何を信じるかは問題ではありません。
もし、あなたが何ひとつ信仰というものを持っていなくても、落ち込んでいる人を励まし、飢えている人にパンを与え、暗闇の中にいる人の心に光を灯してあげるなら、神の御心に適う行いをしたことになるのです。” P109


牧師:「この世には、なぜ多くの苦しみがあるのでしょうか。」


シルバーバーチ:“大霊の摂理は、苦しみを通してしか悟ることはできません。苦しみという厳しい試練を経て初めて、あなた方の世界を支配している大霊の摂理を理解することができるのです。”P116

 

地上人生で起きる全てのことは、いつの日か必ず帳尻が合うようになっています。いつかは自分で天秤を手にして、バランスを調節する日がまいります。あなた方は、自分が蒔いた種を自分で刈り取るという自然法則から逃れることはできません。軽い罰で済んでいる人がいるかにお考えのようですが、そういうことはありません。あなたは魂を見抜くことができないためにそう思うのです。”(因果律) P117


“地上に苦難がなければ、人間は正していくべきものへ注意を向けることができません。すべての苦しみや痛みや邪悪は、大霊の分霊であるあなた方人間が、(因果律をとおして)いかにしてそれを克服していくかを学ぶためにあるのです。
もしも苦難を乗り越えるための努力を怠っているとしたら、あなた方を地上に誕生させた大霊の意図を理解していないことになります。” P117

“しかしあなたが、自らを神に委ね、神の貯蔵庫からインスピレーションを受けるために魂の扉を開くなら、あなたの魂は古の預言者たちを鼓舞したのと同じ霊力によって満たされます。あなたはその仕事を通して、人生に落胆し、地上の片隅で疲れ果てている人々の心を明るく照らす光をもたらすことができるのです。” P118

 

牧師:「地上の人間にとって、聖別された完璧な生活を送ることは可能でしょうか。すべての人間を愛することは可能なのでしょうか。」


シルバーバーチ:“いいえ、それは不可能なことです。しかし、そのように努力することはできます。すべての努力は、あなたの人間性を形成するうえに、とても重要です。決して怒ることもなく、敵意を持つこともなく、かんしゃくを起こすこともないなら、あなたはもはや人間ではないことになります。人間は霊的に成長することを目的として地上に生まれてくるのです。成長また成長と、どこまでも成長の連続です。それは地上だけでなく、こちらへ来てからも同じです。” P121

 

牧師:「イエスは天の父が完全であるようにあなた方も完全であれと言っておりますが、これはどう解釈すべきでしょうか。」


シルバーバーチ:“完全であるように努力しなさい、と言っているのです。それが地上で目指すべき理想であり、内部に宿る神性を発揮する生き方なのです。” P121

 

自由意志は大霊の摂理です。” P125


摂理は大霊の愛から造られたものであり、子供たちのすべてを平等に支配しています。それを変えることは誰にもできません。あなた方は、摂理の範囲内において自由であるということです。” P126


私にいえることは、いかなる過ちも必ず正さなくてはならないということです。もし地上で正さなかったなら、こちらへ来てから正さなければなりません。(因果律)P126

“大霊はすべてのものに宿っています。間違ったことにも正しいことにも宿っています。太陽の光にも嵐にも、美しいものにも宿っています。空にも海にも雷鳴にも稲妻にも宿っているのです。美しいものや善なるものだけでなく、罪や悪にも宿っているのです。” P128


“「すみませんでした」の一言ですべての過ちが赦されるとしたら、神の摂理は公正と言えるでしょうか。” (因果律) P130

 

神は人間に、“理性”という神性の一部を植え付けられました。私はあなた方に、その理性を使ってほしいのです。大きな過ちを犯し、それを神妙に告白することで心の安らぎは得られるかもしれませんが、“罪を犯した”という事実は変えられません。神の摂理に照らしてその歪を正すまでは、罪はそのまま残っています。それが大霊の摂理なのです。イエスが語ったという言葉をいくらバイブルから引用しても、摂理を変えることは絶対にできません。” P134


“あなた方一人ひとりに大霊が宿っています。もしあなたが、内在する大霊を顕現させようとして心を開くなら、大霊はあなたを通して霊力と啓示をもたらすことでしょう。それによってあなたのもとを訪れる人々の心に、大霊の光と安らぎが与えられることになるでしょう。”P136


⇒“完全であるように努力しなさい。それが内部に宿る神性を発揮する生き方なのです。” (P121)

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2023年6月用テキスト)

「シルバーバーチの教え」 下巻 二十章 “スピリチュアリズムの第一線で働く人々への励ましのメッセージ”

(スピリチュアリズム普及会発行)


●もしどの方向に進むべきか分からなくなったときには、いったん休止して心の平静を取り戻すことが大切です。そして霊界からの指導と援助を求めて祈るのです。私たちへの絶対的な信頼と確信があるなら、与えられる援助と霊力とインスピレーションに限界はありません。P87


●すべての人間は霊において一つであり、大霊から見れば東も西も南も北もありません。人間が勝手に境界線をつくっているのです。大霊はすべての人類を、一つの調和のとれた絵柄に編み上げたいと望んでおられるのです。 P91


●人々に霊的光明を授けるという偉大で気高い仕事でした。 P92


●あなた方は、(憑依によって)地上の人間に苦しみを与えていたことを知らずにいた無知な霊をも救ってあげたのです。 P93


●地上の人間は、物質界と霊界とのつながりについて理解していません。高次元の霊界から最高の啓示を受けることができるのと同じように、低い霊界にいる無知な霊の虜になることもあり得るのです。どちらも親和性の法則によるものです。 P93


●霊的知識というかけがいのない宝を地上界に届けることです。 P94


●奥さんが亡くなったからといって、あなたは独りぼっちではありません。姿が見えないからといって、寂しく思ってはいけません。奥さんは、今もあなたの傍にいらっしゃいます。霊的にはむしろ生前よりも身近になっておられます。その目に姿が映らず、その耳に声は聞こえなくても、奥さんの霊はすぐ近くにいらっしゃいます。 P94


●ここに集まっている皆さんには大きな信頼が託され、重い責任が与えられていることを改めて認識していただきたいのです。 P95


●大霊の霊力を頼りとし、大霊の叡智に導かれ、大霊の愛に支えられているかぎり、また自分一人の栄光を求めることなく人のために役立ちたいとの願望に燃えているかぎり、いかなる難問に遭遇しても必ずや解決策を見いだすことができるようになります。 P95

 

●地上界は争いと敵意と不和に満ちあふれています。涙と悲惨さと流血に満ちあふれています。それでいて一人ひとりは「平和を!」と叫び続けています。
そうした中で皆さんには、内部に潜在する可能性について思い出していただきたいのです。
あなた方一人ひとりが大霊なのです。皆さんの内部には、大霊の無限の霊力が秘められています。それを呼び覚まして顕現させるなら、前途に立ちふさがるいかなる障害も打ち破ることが出来るようになります。
大霊から賜った霊力を顕現させるのです。皆さん方一人ひとりが、自由に使用できる無限の霊力を秘めた大霊そのものであることを自覚すれば、新しい時代の真の道具になれるのです。
新しい時代は、漆黒の地上界にゆっくりと夜明けの光が差し込むことによって築かれていきます。
いかに地位の高い人であっても、人間を頼りにしてはいけません。常に地上界の彼方へ目を向けてください。人類のためを思って導こうとしている霊たちからのインスピレーションに耳を澄ませてください。 P96


●「人のため」という一念に燃えているかぎり、霊力は常に皆さんとともにあり、その生活の中で顕現されるのです。 P97


●心に愛を、頭に知識を、そして魂に奉仕の決意を満たしてください。そうすれば大霊の意思があなた方を通して顕現し、その心が大霊の心と調和して鼓動し、大霊と一体となることでしょう。 P97

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2023年5月用テキスト)

「シルバーバーチの教え」下巻 十九章 “ヒーリングの問題”

 

人間はだれしもが霊的資質を持っています。それはある人においては、他の人よりも表に出やすくなっています。その資質――“心霊能力”(サイキック)と呼んでも、“霊的能力”(スピリチュアル)と呼んでもかまいません。――はそれを開発しようとする努力によって発現し、その人間と背後で働く指導霊たちとの協調の度合いが密接になります。 P70


●あなたが、ヒーリングによって治るということは、まだ霊界へ帰る時期に至っていないということを意味します。それはまた、魂の成長にとって身体の苦痛を味わうという体験が必要でなくなったことを意味します。もとより、霊界に戻るまでに体験しなければならないことは他にもあります。肉体の苦しみだけが、地上でなすべき体験のすべてではありません。 P71

 

●治療家が患者の痛みを取り除いたり和らげたりすることが許されるのは、ヒーリングの体験を通して患者の魂を真の自我に目覚めさせることができるからです。病気を治すということは確かに偉大な仕事ですが、ヒーラーがなし得るさらに偉大な仕事は、患者の魂に感動を与え、真の自我に目覚めさせることなのです。それに比べれば、身体の癒しは大して重要ではありません。

物的身体に宿っている皆さんは、今生きている地上生活のことだけを考えます。それに引きかえ地上を去った私たちは、地上を無限に続く進化の歩みの中のほんのわずかな期間として捉えます。皆さんがとかく物事を見る焦点を間違えるのは、そのためです。
苦しみの渦中にある気の毒な人を見て同情心が湧くのは当然のことですし、私はそれを非難するつもりはありません。しかし、そのときのあなた方は苦しみという点からのみ相手を見ているのであって、その苦しみの中で過ごす時間は、その後に償いの結果として得られる喜びに比べれば実に些細なものであることを理解していません。 P72

ヒーリングによってすべての病気が治るとは限らないことを知っておかなければなりません。何事にも法則というものが働いていて、患者の中にはいかなる治療家にも治せないケースがあるのです。 P72

 

●地上にあってもこちらの世界にあっても、人間は何らかの借金をつくっているものです。P72


【質疑応答】

●物的身体と霊的身体は密接につながっています。両者は絶え間なく反応し合っています。

物的身体はその存在を霊的身体に依存している一方、霊的身体は物的世界での顕現を物的身体に依存しています。そして霊的身体の成長を決定づけるのは、物的身体を通して得られた体験なのです P73

 

●――すると、病気になったときに治療するのはエーテル体の方でしょうか。


“それがすべての霊的治療の原則です。しかし時には純粋に物的原因による病気もあり、そこに医学が関わる余地があるのです。” P73


●――伝染病の病気は純粋に物的原因によるものでしょうか。

 

“そうとは限りません。多くの病気は物的原因ではなく霊から発しています。”


●――例えば、どのような原因から病気が発生しているのでしょうか。

 

“利己主義・貪欲・金銭欲などです。 中略  病気の原因には物的なものと霊的なものの二種類があることを知らなくてはいけません。両方とも同じ方法で治すことができますが、物的な方法の方が容易なケースもあります。
霊的身体が肉体の病気になっているわけではありません。物的身体との調整がうまくいっていないというだけのことです。それがバイブレーションを乱し、物的身体との関係を阻害する度合いが大きくなると、物的身体に病気が発生するようになります。怒りは脾臓を傷め、嫉妬は肝臓を害することになります。
そうしたものが霊的身体と物的身体の調整不良を生じさせるのです。それまでの健全なバランスが崩れて調和が乱れます。その崩れ方があまりに酷(ひど)いと、霊体が肉体を通して自己を表現することが不可能になり、死に至るようになります。 P75


●――遺伝性の病気は神の摂理の公平さと矛盾しませんか。

 

地上へ生まれるときにまとう身体は、授かるべくして授かったものです。あなた方は、前世で獲得したものを携えて新しい地上生活を出発します。前世の内容に相応しい身体で地上生活を歩み始めるのです。ですから、遺伝性の病気を持って生まれたからといって、それを不利と見るのは間違いです。当人の霊的進化にとって必要な人生を送ることができるような身体を授かっているのです。” P77


●――霊的治療によって治る人と治らない人がいます。両者には魂の進化という点において違いがあるのでしょうか。

 

“そうではありません。地上を去るべき時期がきたら、いかなる治療家もそれを阻止することはできません。”  P77


●――でも、治療家の世話にならなかったらもっと早く死んでいたと思えるケースがあるようですが・・・。

 

“数日とかそこらの話です。永遠の生命に照らしたとき、そのことにどれほどの意味があるのでしょうか。” P77

●――それでは、霊的治療そのものが不要ということになりませんか。


それは違います。なぜなら、人のために尽くすことは大霊を顕現させることになるからです。病気の多くは、必ずしも魂の進化の程度によるものではありません。” P78


●この私も含めて全ての人間は、暗闇の中を模索して光を見いだしたとき、摂理の存在に気づいて感嘆するようになります。しかし摂理の存在に気づかないうちは、それを偶然とか思いがけない出来事であると考えます。が、改めて申し上げますが、偶然というものはありません。 P79

 

●人間は自由意志を持っています。しかし、その自由意志は魂の進化の程度に支配されています。自由とは言っても、魂の成長度によって規制されているということです。宇宙をすみずみまで支配している摂理によって縛られていると言ってもよいでしょう。 P79


●さらに大切なことは、ヒーリングが患者の魂の琴線に触れて感動を引き起こすことです。P82

 

【マトメ】・・・“霊的真理の普及”は、魂を救済する真のヒーラー活動である
1.患者の魂に感動を与え、真の自我に目覚めさせることなのです。(感動は魂の活動)


2.その苦しみの中で過ごす時間は、その後に償いの結果として得られる喜びに比べれば実に些細なものであることを理解していません。(償いの法則・埋め合わせの法則)


3.そして霊的身体の成長を決定づけるのは、物的身体を通して得られた(地上での)体験なのです。(地上世界の存在意義・魂の学校)


4.多くの病気は物的原因ではなく霊から発しています。


5.霊的身体と物的身体との調整がうまくいっていないというだけのことです。それがバイブレーションを乱し、物的身体との関係を阻害する度合いが大きくなると、物的身体に病気が発生するようになります。(霊体から肉体に流れている霊力の調和不良)


6.どのような原因から病気が発生しているのでしょうか。
  ⇒利己主義、貪欲、金銭欲などからです。


7.物的な方法の方が治療が容易なケースもあります。


8.病気の多くは、必ずしも魂の進化の程度によるものではありません。


9.遺伝性の病気を持って生まれたからといって、それを不利と見るのは間違いです。当人の霊的進化にとって必要な人生を送ることができるような身体を授かっているのです。P72、77

 

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2023年4月用テキスト)

「シルバーバーチの教え」下巻 十七章“霊界でも祝うクリスマスとイースター” P43~53

 

太陽の誕生を祝うクリスマスは、すべての祭日の中でも最大のものです。なぜならそれは新しい時代の始まりを象徴しているからです。それはサイクルの終わりであり、新しいサイクルの始まりでもあるのです。クリスマスの時期に霊界で集会が催されるのは、指導霊のすべてが、かって地上で自然法則を基にした宗教を持つ民族に属していたからなのです。

地上でクリスマスとイースターを祝っていたことから、霊界でもこの時期に集会を開いていますが、新しい生命の誕生を祝うという目的は薄らぎ、今では物質界から一時的に引き揚げて次の仕事のための新たな霊力を授かるという目的のために開かれています。 P50

 

イースターは「全生命の復活」を祝う時です。地上の人間が悲嘆と苦悩、苦痛と困窮から脱して、より豊かな人生・本当の人生を歩めるようにと祈るすべての人々が一つに結ばれ、全世界が夜明けを迎えることの象徴なのです

地上世界は今こそ「復活」を必要としています。ゆっくりとではあっても、大霊の摂理が適用されるようになり、より多くの大霊の子らが自らを大霊の道具として提供するようになります。そして物質第一主義の勢力が撤退することになるのです。  中略
そしてこの仕事の進捗状況を確認し、これからも果てしなく続く善と悪との戦いのために用意された計画を示されます。

P50

 

「シルバーバーチの教え」下巻 十八章“霊界側から見た戦争” P55~68


私たちのように地上圏に降りて仕事をしている者は、地上人が救われるためには、私たちがお届けしている霊的真理を受け入れる以外にはないことを痛感しています。それは地上人みずからがすべきことであって、私たちが代わってしてあげるわけにはいきません。摂理に反した行為がどのような結果を招くかを示し、地上で間違ったことをすると霊界でこういう事態になるということを、教えてあげるしかないのです。

霊的に何の準備もできていない魂が、霊界へ続々と送り込まれてきます。戦死者たちは、まるで熟さないうちにもぎ取られた果実のようなものです。 P56

●地上に限って考えてみても、戦争を正当化することはできません。物質的にもただ破壊を引き起こすだけです。霊界から見たとき戦争は、決して正当化することはできません。

戦争は、人間は地上界を離れる時期が来たときに肉体から去るべきである、という摂理に反することになるからです。大霊の子が、よくぞ平気で神聖なる摂理を犯すものだと、私たちは呆れるばかりです。 
実は地上界のそうした愚かな行為が、低級霊たちの働きかけを許すことになっているのです。彼らは進歩と平和と調和を憎み、組織的な態勢で邪魔立てしようと画策しています。そのことを、あなた方はご存じありません。これを阻止するためには民族や国家間の対立をなくし、地上人類のすべてが大霊の子供であるとの認識をもつことです。対立を生んでいるのは地上の人間であって、大霊ではありません。すべての人間に大霊の分霊が宿っており、それゆえに全人類は等しく大霊の子供なのです。 P57

●地上世界には建設しなければならない仕事がいくらでもあるというのに、指導的立場にいる人たちは、なぜ破壊という手段を選ぶのでしょうか。大霊は、すべてを支配する自然法則(摂理)を設けられました。地上の子供たちは、その法則に背くようなことをしてはなりません。もし摂理にそった生き方をしないなら、破壊と混乱を生むだけです。人類は、もう十分にその結果を見てきたのではないでしょうか。皆さん方には、大霊の計画を地上界で実現するために全力を尽くしていただきたいのです。 P57

 

地上の肉体生命に終止符を打つ行為は、大霊の摂理に背きます。殺意を抱くと、理性が去ります。人間には大霊の分霊が宿っていますが、同時に動物的進化の名残りも留めています。人間の進化向上は、動物性を抑え、神性を発揮することによってなされるものなのです。

動物性をむき出しにすると、戦争や紛争や殺し合いなどが起こります。反対に内面の神性を輝かせ互いに助け合うようになれば、平和と調和と豊かさがもたらされます。国家とか民族とかで差別してはいけません。いずれの国家も民族も、大霊の一部なのです。大霊の目から見れば皆、大霊の子供であり、兄弟姉妹なのです。私たちの教えは単純ですが、真実です。
それは大霊の摂理を基盤としているからです。摂理を無視して地上界を築こうとしても、混乱や騒動が起きるだけで、最後はすべてが破綻します。よほどの犠牲的な努力が為されないかぎり、地上ではこれからも戦争が絶えないでしょう。人類はそうなる種を蒔いてきており、蒔いた種は人類みずからの手で刈り取らねばなりません。
「原因と結果の法則」は絶対にごまかせないのです。流血の種を蒔いておいて、平和を刈り取ることはできません。物的欲望の種を蒔いておいて、その結果を免れることはできません。
愛がほしければ愛の種をまくことです。平和が欲しければ平和の種を蒔くことです。至るところに奉仕の種を蒔けば、地上世界は奉仕の精神にあふれることでしょう。このように大霊の真理はきわめて単純なのです。あまりに単純すぎるために、地上で指導的立場にある人々には、その重大性が分からないのです。 P58

 

【質疑応答】

●相変わらず物質中心の考え方をしているために、彼らの犠牲は無意味に終わっているのです。P60

●何を目的としているか、動機は何かを見極めないといけません。なぜなら、反目し合うどちら側にも誠意と善意を持った人がいるものだからです。私たちが説いている教えは至ってシンプルなものですが、それを実行に移すには勇気が要ります。 P62

 

●私は、一つの国、一つの民族という概念はとりません。全人類が大霊の一部であり、大霊の子供であると考えているのです。大霊の摂理を適用するようになるまでは、地上界から戦争と破壊、混乱と破綻が尽きることはないでしょう。 P63

生命は大霊のものであって、人間のものではありません。勝手に生命を奪うことは許されません。摂理に反します。摂理に反したことをすれば、その代償を払わなければなりません。 P64

 

●そのうち地上人類も“愛”こそが邪悪に打ち勝つことを悟る日がまいります。なぜなら、愛は大霊の顕現だからです。すべての問題を愛の精神で解決しようとするならば、地上界に平和が訪れます。愛の摂理に反する欲望は、常に分裂と混沌と破綻を生み出します。根本から正す努力をしないかぎり、他のいかなる手段をもってしても永遠の平和は訪れません。 P66

 

●―宇宙には戦争を正当化する理由はないのでしょうか。


“ありません。戦争は地上世界に存在するだけで、霊界にはありません。人間が殺意を抱くと、同じような欲望を持った地縛霊を惹きつけることになります。” P66


真の平和は霊的摂理を適用することによってしかもたらされないということを、地上人類はいつになったら悟のでしょうか。戦争はもとより、それが生み出す流血、悲劇、混沌、破綻といったものの元凶は「利己主義」なのです。 P68

 

●平和へ向けていろいろと努力が為されながら、ことごとく失敗しています。が、唯一試みられていないのは「霊的真理」の適用という方法です。それが為されないかぎり戦争と流血が終わることはなく、ついには人類が誇りに思っている物質文明も破綻をきたすことになるでしょう。 P68

 

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2023年3月用テキスト)

「シルバーバーチの教え」下巻 十五章“交霊会の舞台裏”& 十六章“交霊会についての誤解”
(スピリチュアリズム普及会発行)

 

―交霊会の舞台裏―

●地上人の心に私たちからのメッセージを印象づけるためにはどのように霊力を使用したらよいのか、ということです。霊界サイドの者が霊力を用いるための法則を十分に理解するなら、あなた方の心に影響を及ぼしやすくなります。地上人は知らないうちに、霊界からのインスピレーションの受信者になっているのです。

あなた方の世界には、偉大な科学者、偉大な発明家、偉大な教育者と言われる人たちが数多くいます。実は彼らは、霊界からの知識を伝える道具にすぎません。私たち霊界の者にとって、真理や発見が地上にもたらされるかどうかが問題なのであって、地上の誰がインスピレーションを受けるかは、どうでもいいことなのです。 P30


●霊媒は、霊媒としての能力を向上させるだけでなく、自分の霊力を強化することも心がけないといけません。霊媒自身の霊力が強化されると、その霊媒から出るエクトプラズムの質も向上するのです。私たちが扱っているのは、材木や粘土ではありません。霊媒の体内にある生命のエッセンスを扱っているのです。思想や人間性や精神など、その霊媒の全てがエクトプラズムに反映します。 P32

 

―交霊会についての誤解―

●霊的叡智は、地上という物質界に届けられることを待ち続けています。それが実際に地上に届けられるためには、そのバイブレーションに同調できる通路(チャンネル)が必要となります。あなた方の魂が開発されてより高度なバイブレーションに反応するようになれば、それだけ高度で強力な霊的エネルギーと接触できるようになります。

そのエネルギー(霊力)は目にも見えず耳にも聞こえませんが、永遠の霊的実在の一部です。実はそれこそがあなた方の生命の真実性なのです。ところが、大半の人間は多くの時間を影を追い求めて過ごし、幻影を捕らえようとし、その場限りの満足を得ようとしています。 P36


●真理が変わることはありません。変わるのは人間の心です。真理は不変です。なぜなら真理は正しい知識に基づくものだからです。その正しい知識は大霊から出ています。大霊こそ、全てのインスピレーションの中心であり始原です。真理はとてもシンプルで、容易に理解できるものなのですが、地上人はそれをきわめて難しいものにしてしまっています。P38

 

●この世的なことを無視しなさいと言っているのではありません。なぜなら、あなた方は地上で生活しており、社会の一員としての責任もあります。しかし、次のことだけは決して忘れないでください。あなた方は大霊であり、大霊はあなた方であるということです。あなた方の内にある大霊の霊力は、あなた方があらゆる物的なものに勝利するように導きます。

こうしたことを正しく理解するなら、それはあらゆる邪悪に抵抗し、あらゆる病気を克服し、あらゆる障害に立ち向かう力となるのです。しかしその力(大霊の力・霊力)を活用している人間は、ほとんどいません。 P40


● 地上界の次の段階である幽界にいる者だけが地上界と交信できるというわけではありません。それより上の界層からでも、地上の霊媒がそのバイブレーションを受け取るだけの能力があれば、直接交信することができるのです。 P41

 

●証拠と魂の成長と何の関係もありません。真理を受け入れる能力は、霊界のどの界層まで至ることが可能か、ということで決まります。魂が真理を理解できる段階まで進化しているかどうかといことです。それを証拠の追求と混同してはいけません。証拠の追求と魂の成長は、必ずしも足並みを揃えて進んでいくものではありません。生命が死後にも存続する証拠を手にしていながら、霊性に目覚めていない人がいるものです。 P42


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2023年2月用テキスト)

「シルバーバーチの教え」下巻 十四章“霊界通信の難しさ”P8~より
(スピリチュアリズム普及会発行)

 

●あなた方の住む物質界は活気がなく、どんよりとしています。あまりに重苦しくてうっとうしいために、私たちがそれに合わせようとバイブレーションを下げていくいうちに高級界との連絡が途切れてしまうことがあります。私の住む光の世界とは対照的に、あなた方の世界は暗くて、冷たくて、じとじとした世界です。P8


●あなた方の言う死とは、鳥かごという牢獄から解放されることなのです。P9


●この交霊会が開かれている部屋の近所で何か事が起きると混乱が生じます。突然、通信ルートが途絶えてしまうことがあります。 P9


●シンボルとか映像、ビジョン、直観といった形で印象を受け取り、それを言語で表現することになります。それは地上の霊能者が啓示に接するのと非常によく似ています。その時の私は、普段シルバーバーチとして親しんでくださっている意識よりも、一段と高い次元の意識を表現しています。
画家がインスピレーションを受けるときは、いつも使用しているものとは異なるバイブレーションに反応しています。その状態の中で画家は霊力の受け手となり、それを映像に転換してキャンバスの上に描きます。インスピレーションが去ると、それができなくなります。 P10


●霊媒が霊的に成長すればその分だけ、それまで表現できなかったことが表現できるようになるのです。 P10


●私がこの部屋に入ってくるのに壁は障害になりません。私のバイブレーションにとって壁は硬い物質ではないのです。むしろ霊媒のオーラの方が硬い壁のように感じられます。霊媒のオーラが私のバイブレーションに影響を及ぼすからです。霊媒のオーラは私にとっては牢獄のようなもので、私は霊媒の肉体によって制約を受けます。そのため私はバイブレーションを下げ、霊媒の方はバイブレーションを高めなければなりません。 P13


●―霊媒は本をよく読んで勉強し、少しでも多くの知識を得た方がよいでしょうか。それとも自分の霊媒能力に自信を持って、それ一つで勝負した方がよいでしょうか。

“心霊能力の種類にもよるでしょうが、霊媒は何も知らない方がいいという意見には賛成できません。知識は、ないよりはあった方がいいと思います。知識というのは先人たちの経験の蓄積ですから、勉強してそれを身につけるように努力するのが賢明でしょう。私はそう考えます。”P16

 

●―立派な霊能者になるためには、霊的な生活を送る必要がありますか。


“あなたがより良い生活を送れば、それだけ大霊の道具として立派になります。生活態度が高尚であればあるほど、それだけ内部に宿された神性が多く発揮されることになります。日常生活で発揮されているあなた自身の霊性が、あなたをより優れた道具にしていくのです。”P17


●―ということは、霊的に向上すればするほど霊能者としても向上すると言ってもよいでしょうか。


“その通りです。生活面が立派であればあるほど、霊能力も立派になります。自分を犠牲にする覚悟ができていない人間は、価値ある仕事を達成することはできません。これは、こうして霊界での生活を犠牲にして地上へ戻ってきた私たちが身をもって学んできた教訓そのものなのです。” P17


●かってあなたが愛し、またあなたを愛してくれた人々は、決してあなたを見捨てるようなことはありません。あなたは常に彼らの愛に包まれています。彼らにはあなたに対する愛があるため、あなたの傍を離れることはありません。
時に彼らは、誰よりも身近にいることがあります。彼らは、あなたに対して、自分たちの影響力を及ぼすこともできるのです。あなたは、そうした霊界からの働きかけを受け入れやすいときもあれば、恐怖感、悩み、心配等の念に心がとらわれて壁をつくり、彼らが近づくことを困難にするときもあります。悲しみの涙に暮れていると、その涙であなたを愛する霊たちを遠くへ押しやってしまいます。穏やかな心・安らかな気持ち・希望と信念と自信に満ちた明るい雰囲気に包まれているときには、大勢の霊が寄ってくることを実感するようになります。 
私たち霊界の者は、地上の人間との接触を求めて近づこうとするのですが、どの程度まで接近できるかは、その人の雰囲気、人間的成長の度合い、霊的進化の程度によります。霊的なものに一切反応しない人間とは、接触できません。霊的自覚・悟り、ないしは霊的活気のある人間とはすぎに接触が可能となり、一体関係をつくることができます。
それは必ずしもスピリチュアリストとは限りません。知識としてスピリチュアリズムのことは知らなくても、霊的なことが理解できればそれでよいのです。とにかく冷静で受容的な心を保つことです。そうすれば私たち霊界の者は、あなた方に近づくことができるのです。恐れや悩みや心配の念を心に宿してはいけません。それらは心にモヤを生み出し、私たちが近づくことを困難にしてしまいます。 P18


●―どうすれば霊媒や霊視能力者になれるのでしょうか。


“大霊のために自分を役立てようとする人間は皆、大霊の霊媒です。いかにして魂を向上させるか――これはもう改めて説くまでもないでしょう。これまで何回となく繰り返し説いてきたことではないでしょうか。
自分を愛するように隣人を愛することです。人のために役立つことをすることです。自我を高めるように努力することです。何でもよろしい、内部に宿る神性を発揮させることです。


それが最高の霊媒現象なのです。こうすれば霊視能力者になれるという方法はありません。が、大霊の光が見えるように魂の目を開く方法なら教えられます。それは今述べた通りです。” P20


●世俗から離れた生活は心霊能力の開発には好都合で、その意味ではよいことと言えるでしょう。が、私の考えでは、世俗の中で生活しつつも世俗から超然とした生き方をする方がはるかに上です。つまり努力と忍耐と向上を通して自己を確立したのちに、大霊から授かった霊力を同胞のために役立てるのが、より良い生き方なのです。 P21

●―世俗から離れた生活は自分のためでしかないということでしょうか。


“いちばん大切なことは、他人のために己を捨てるということです。自分の能力を発達させようとすること自体は間違ってはいませんが、開発した才能を他人のために活用するのは、はるかに大切なことです。” P21


●私たちの目的は、人目を引くことばかりしたがる見栄っぱりを喜ばせることではありません。人類の霊性を引き上げ、使わずに忘れ去られてきた大霊から授かった霊力をもう一度、見いださせてあげることなのです。 P22

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2023年1月用テキスト)

「インディビジュアリティと再生」(雑記)(2022.12.27)

 

(はじめに)
1)「シルバーバーチの教え」上巻 十三章 “再生”(生まれ変わり)(スピリチュアリズム普及会発行)より引用しています。なお、緑の文字は交霊会参加者からの質問で、英文は原書(Teaching of Silver Birch by A.W.Austen)からの引用。青文字はその原文の亀水訳で、赤文字は要注意箇所です。


2)本章は「シルバーバーチの霊訓」四巻 三章“再生の原理”(Silver Birch Anthology by W.Naylor)と同じ内容で重複しております。


3)“近藤”は「シルバーバーチは語る」や「シルバーバーチの霊訓」(四巻)の近藤千雄訳(潮文社発行)であり、“普及会”はそれぞれのスピリチュアリズム普及会監修再発行本からの引用の略です。


表題の「インディビジュアリティと再生」について、シルバーバーチはどのように語っているのでしょうか。以下、1)の霊訓に基づいて列記してみます。


●― 一つの意識が部分に分かれて機能することが可能なのでしょうか。

 

Is it possible for one`s consciousness to function in separate portions?


“今のあなたという意識とは別に、同じくあなたと言える大きな意識体(類魂・近藤&普及会)があります。そのほんの小さな一部が地球という物質界で発現しているのが、今のあなたなのです。そして、今のあなたの他にも同じ意識体を構成する他の部分が、それぞれの意識層で発現しています。” (P216)


“There is a consciousness which is you, of which you in the world of matter are expressing but a tiny portion, and there are portions of that same consciousness which are expressing themselves in other spheres of expression.” (P172)

 

●― 個々の部分(霊・近藤&普及会)は独立しているのでしょうか。


Independently?


“独立はしていません。あなたも他の霊も、「一個の内奥の霊的実在中心霊・近藤、類魂・普及会)」の側面なのです。つまり全体を構成する一部であり、それぞれがさまざまな表現媒体を通して自我を発現しており、時にはその霊同士が一体化することもあります。彼らは自我を発現し始めて間もない頃にはお互いの存在に気がつきませんが、(通常意識にはのぼらなくても、霊的意識では気づいています。しかし、それは自我を表現し始めて間もない頃(霊的幼児期)にかぎられます。近藤)
そのうちすべての霊が共通の合流点を見出して、再び統一されます。” 


“No, not independently. You and the other expressions are all reflections of one inner spiritual reality(=中心霊・近藤、類魂・普及会).
They are parts of a whole and the fragments are expressing themselves as parts of the whole, but through different vehicles of expression, which sometimes coalesce.
They are not ignorant of each other within themselves, but only when they first begin to express themselves, until they find a common meeting-place and fit together into the whole once again.” (P172)

 

●― 類魂では(普及会)、個々の霊はその進化に自らが責任を負い、他の霊が学んだ教訓による恩恵を受けないというのは本当でしょうか。


Would it be true to say that each reflection of the spirit has to work out its own progress, and cannot benefit from the lessons learned by other reflections of the same spirit?


“その通りです。個々の霊は一つの大きな意識体(統括霊・近藤、類魂・普及会)の構成分子であり、さまざまな形態で自我を発現しているわけです。進化するにつれて個々の霊は大きな意識体を自覚するようになります。”


“Yes, they are all parts of the one soul which express themselves in different forms.
You become increasingly conscious of more and more of yourself.” (P173)
(そうです。彼らは全て一つの魂の構成分子であり、異なった形で自らを顕わしています。あなたはますますあなた自身をだんだんと自覚していきます。 亀水訳)

 

●― そして、進化のある一点において、それらの霊(小我・近藤)が一体となるわけですね?


And there is a point in evolution at which all those different parts are jointed?


“そうです。無限の時を経てのことですが・・・。”


“Yes, in infinity.” (P173)


注)無限の時を経て一個の魂(ダイヤモンド・大我)のこれら構成分子(小我)同士が合体するようです。 (亀水のコメント)

●― 個々の霊(小我・近藤)の地上への誕生は一回きり、つまり大きな意識体類魂・普及会、大我・近藤)としては再生の概念が当てはまっても、個々の霊(小我・近藤)には再生はないという考えは正しいでしょうか。

 

Would it be true to say that each of these sections incarnates only once and that, while reincarnation would be true when considering the complete soul, it would be untrue of each section? 


“再生は個々の霊の成就すべき目的に関わる問題です。特殊な使命がある場合など、同じ霊が二度も三度も再生することがあります。”


“It depends on what has to be fulfilled. Only when some special mission has to be performed would the same portion of consciousness incarnate more than once.” (P173)

 

●― 一つの意識体の異なる部分とは、どういうものでしょうか。


What do you mean by different parts of the same consciousness?


“これは説明の難しい問題です。・・・”


“It is hard to answer you because you do not understand what living really means.”
(P173)

 

●― 個々の霊の一つひとつを、大きな意識体のさまざまな特性・人間性の側面と考えてもよいでしょうか。(分霊の一つ一つを統括霊の徳性の表現と見てもよいでしょうか。近藤)


Are they (different parts) different virtues or facets of character that are split?
(それらの異なった部分とは、分割された意識体の別の性格の徳性や側面のことでしょうか? 亀水訳)


“いいえ、それは全く違います。大きな意識体の別々の側面ではありません。どうもこうした問いにお答えするには、まるで生まれつき目の不自由な方晴天の青く澄み切った空の美しさを説明するようなもので、譬えることができません。”


“No, not at all. It is not another facet of the individuality at all.” (P174)
(いいえ、それは全く違います。それは意識体(個性)のもう一つ別の側面とは全く違います。亀水訳)

 

●― あなたの言う大きな意識体は、マイヤースの言う「類魂(グループ・ソウル)」と同じものですか。

 

Does not your explanation of“split”consciousness express the same truth as F.W.H.Myers`s declaration regarding“group”souls?
(“分割された”意識体というあなたの説明は、マイヤースのいう“グループ”ソウルと同じ真理を表したものではないのでしょうか? 亀水訳)


“まったく同じものです。ただし、単なる個々の霊の集まりとは違い、異なる意識から形成された統一体(大きな意識体・近藤&普及会)で、その全体の進化のために各自が体験を求めて物質界にやって来るのです。”


It is really the same thing, except that it is not grouping of different souls, but a union of the different portions of consciousness returning to complete the whole.
(P174)

(全く同じものです。但し、それは異なった魂同士を集めたものではなく、大きな意識の異なった部分同士が戻って合体し全体を完成させるものです。 亀水訳)

注)“split”consciousness =“group”souls = the different portions of consciousness  (亀水のコメント)

 

●― それぞれの霊は類魂に戻って一体化すると(その意識の本体へ戻ったとき 近藤)、個性を失ってしまうのでしょうか。


It seems that when the different parts of consciousness are reunited each would lose its own individuality.
(意識の異なる部分が再統一されるとなると、それぞれは自らの個性を失うように思えますが。亀水訳)


“川の水が大海へ流れ込んだとき、その水の存在は失われてしまうのでしょうか。オーケストラが完全なハーモニーで演奏しているとき、バイオリンの音は消えてしまうのでしょうか。”


“Does the stream lose itself when it flows into the mighty ocean, or is the ocean many streams? Does the note of the violin lose itself when it merges into the harmony created by the whole orchestra?” (P174)

 

[参考資料]

この“再生”の問題に関連した霊訓として、 ― Light from Silver Birch by Pam Rivaの10章 Guiding Lights― より追加引用したいと思います。


この翻訳本としては下記の2冊の本があります。
●「シルバーバーチの霊訓」(十巻) 八章“背後霊の仕事”P135 近藤千雄訳 潮文社発行
●「シルバーバーチの霊訓」(十巻) 八章“背後霊の仕事”P135 スピリチュアリズム普及会発行(緑文字)


それでは次に、≪バーバネル夫妻とシルバーバーチとは同じインディビジュアリティに属する≫について、以下、潮文社のものとスピリチュアリズム普及会(緑文字)からのものとを比較列記してみます。なお、英文は原文からのもので青文字は亀水訳です。


“それから私がダイヤモンドの側面に例えている“霊相”とでも呼ぶべきものがあります。
一個のダイヤモンドがあって、それに沢山の“相”facet があります。それぞれが地上に誕生して体験を持ち帰り、ダイヤモンドの光沢を増します。” (P136)
“それから私がダイヤモンドの側面にたとえている“霊相”とでも呼ぶべきものがあります。一個のダイヤモンドがあって、それにたくさんの“相”facetがあります。それぞれが地上に誕生して体験を持ち帰り、ダイヤモンドの光沢を増します。” (P136)


There are also what I call facets of the one diamond. This is the over-soul, the greater individuality, and the facets are aspects of it which incarnate into your world for experiences that will add lustre to the diamond when they return to it.(P86)
(さらに私が一個のダイヤモンドの側面(facets)と呼んでいるものがあります。このダイヤモンドとは魂全体(the over-soul)、より大きなインディビジュアリティ(大我)のことで、その側面には様々な顔つきや人相(aspects)があり、それらは戻って一個のダイヤモンドの光沢を増すことになる経験を積むため肉体に宿って物質界に転生してくるのです。亀水訳)


さらにそのダイヤモンドがいくつか集まって一個のインディビジュアリティを構成しております。例えばこの霊媒(モーリス・バーバネル)と奥さん(シルビア・バーバネル)と私(シルバーバーチ)とは一個のインディビジュアリティに所属しております。
一人の支配霊がいくつかの類魂を従えていることがあるわけです。それを延長と呼びたければそう呼ばれても結構です。が、結局は同じことに帰一します。つまり地上で肉体を通して顕現するのはインディビジュアリティの極々小さな一部ということです。” (P136)
“例えばこの霊媒(バーバネル)と奥さん(シルビア・バーバネル)と私(シルバーバーチ)とは一個のインディビジュアリティ―に属しております。つまり地上で肉体を通して顕現するのはインディビジュアリティーのごくごく小さな一部ということです。” (P136)

 Also, there are people who, although separate persons, are aspects of the one individuality. For instance, my medium, his wife and myself are parts of one individual.
So, you can have facets of the one guide. You can call these extensions if you like,
but it comes to the same thing. Only an infinitesimal part of the whole individuality can be manifested in physical form on earth.” (P86)
(異なった人物像ではあるが、一個のインディビジュアリティ(大我)には様々な顔つきや人相(aspects)をもった人々がいます。たとえば、私の霊媒とその妻、そして私自身は一個のインディビジュアリティの構成分子なのです。このように一個の“指導霊”にはさまざまな側面(facets)があります。もしもそうしたいのなら、(一個のインディビジュアリティがバーバネル夫妻やシルバーバーチに)拡大したものと呼ぶこともできます。が、拡大も(側面facetsと)同じことを意味しています。インディビジュアリティ全体のほんの極々小さな構成分子が地上に肉体をもって現れるのです。 亀水訳)

 

注)今回私はあえて固定観念を一切持たずに、白紙状態で前後の会話の流れからだけで、できるだけシルバーバーチの原文に忠実になるようにと心がけて翻訳したつもりです。
結果として、一部内容の異なった翻訳文となってしまいましたので、念のため比較しやすいように原文を添えて三通りの翻訳文を列記いたしました。
本文中で“インディビジュアリティ”の狭義と広義(類魂)の違いを明確に区別して、どこまでシルバーバーチが語っていたのかなど私には釈然とせず、私の未熟さ故、翻訳文が間違っているかもしれません。
後は、あくまでもオリジナルであるシルバーバーチ自身の言葉に基づいて、読者の皆様ご自身でこの“インディビジュアリティ”と“再生”の問題をご検討・ご判断していただければと願っております。

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2022年12月用テキスト)

―睡眠と瞑想(疑似睡眠)―(瞑想)(2023.1.18)

 

今月のテーマに関して、「シルバーバーチの教え」上巻 十二章“睡眠中は何をしているのか”(スピリチュアリズム普及会発行)より以下、引用します。

 

実は、すべての人間が睡眠中に(霊的意識で)霊界を訪れています。これは霊的身体を死後の環境に適応しやすくするための大霊の配慮の一つなのです。その体験は、いよいよ肉体との縁が切れたときにショックを和らいでくれます。そして地上時代に霊界を訪れたときの記憶が徐々に蘇り、新しい環境への適応が促進されるようになるのです。それはちょうど地上生活の中で、子供の頃の体験を思い出すようなものです。物質界では(脳を中枢とする)小さな意識しか持てないため、より大きな霊的意識の中で生じたことを思い出すのは困難です。 P204

 

● 低い界層へ惹きつけられていく人は、睡眠中にその界層を訪れているのですが、そのときの記憶は死を自覚する(to realize their portion after death)上では役に立ちません。何故ならそうした人が目覚める界層(the planes on which they found themselves)は、地上と極めて似ているからです。死後の世界は低い界層ほど地上によく似ています。バイブレーションが粗いからです。高い界層ほどバイブレーションが精妙になります。 P206

 

⇒ 瞑想の必要性と、そのテクニックのヒント

 

睡眠中、あなた方の霊は肉体から脱け出ていますから(幽体離脱)、当然、脳から解放(無意識)されています。脳はあなた方を物質界に繋ぎ止める肉体器官です。睡眠中、あなた方は魂の発達程度に応じたバイブレーションの世界での体験をします。その時点ではあなた方はそこでの体験を意識しているのですが、肉体に戻って睡眠中の体験を思い出そうとしても思い出すことはできません。それは、霊界での体験の方が地上よりも大きいからです。小さなものは、大きなものを包むことはできません。そのために歪が生じるのです。 P206  


⇒ 夢の直後や、その直後のまどろみの中での方がまだ夢を覚えていることがありますが、その後、明確に目覚めると夢の記憶はすっかり消えていることが多い。

 

● 夢には数えきれないほどの種類があります。(幽体離脱中の)脳の残像の反映にすぎないものとか、食べたものの影響など、物理的(論理的)に説明のつく夢もありますが、そうしたものの他に、霊界での体験が断片的な形として記憶され、それが夢になっているものがあります。夢が支離滅裂になりがちなのは、肉体の制約から離れて霊界へ行っていた人間が、再び肉体に戻ってその体験を思い出そうとすると、物質的制約の中でそれが歪んでしまうからです。 P209


⇒ 霊界の夢は精妙な波動のため、ちょうどパソコンでいうところのデータ量が多すぎて重く、脳の記憶容量が小さすぎるのに似ています。

 

● 皆さんはいつか、睡眠中の体験が自分の魂の中に記憶されていることを知るでしょう。たとえ今は脳を介して睡眠中の記憶を思い出せなくても、いずれそのことを知るようになるでしょう。そのうちその記憶が蘇ってくる日がきます。今は分かっていなくても、霊界での体験は事実だからです P210

 

自我の本体である霊は、肉体の中に存在しているのではありません。霊は肉体とはバイブレーションが違っており、内側にあるとか外側にあるというようなものではありません。心臓と肺の間に挟まれて小さくなっているというようなものでもありません。本来のあなたは、地上で肉体器官を通して自我を表現している「意識体」(consciousness 意識・自覚)なのです。睡眠中の体験のすべては、その「意識体」が肉体ではなく霊体を通して自我を表現しているのであって、その間は霊界にいるわけです。 P211


⇒ 唯物主義的にみて全ての夢は、脳が創る空想の産物と私たちは信じ込んでいます。しかしながら、実際のところ、シルバーバーチが語っているように、霊界は毎日のように訪れていてとても身近な存在でもあるということになります。
“あなた方は今この時も霊的世界に生きているのです。” P37

 

● 睡眠は自然な生理現象で、霊は夜になると肉体のバイブレーションが下がることを知っていて、霊界へ行く準備をします。 P213 


⇒ ここでは夜になると自然と肉体の粗いバイブレーションが下がり、霊が肉体(脳)の束縛から抜け出て霊界に行く準備をするとあります。同様に、睡眠と覚醒の境界線上にある深い瞑想(半醒半睡の無念無想)もまた、頭の中を覚醒しながら睡眠時のように脳を無意識状態にして、雑念妄想念の粗いバイブレーションを一時的に取り除くことにあります。
私たちスピリチュアリストにとっては、この顕在意識を意識的に消す(無意識状態)ことによって、その結果として睡眠時のように潜在意識下の“本当の自分”(霊魂)が表面に出現しやすくなるようにしているともいえます。
正しくこの瞑想を繰り返すことによって、雑念妄想念に捉われている心を無にすることを習慣化し、普段から霊界(守護霊や背後霊など)と繋がりやすくなるようにします。そうなると、霊界からの導きや精妙な波動であるインスピレーションが入りやすくなってきます。
但し、この高級霊からの霊的インスピレーションをキャッチするためには、正しい霊的知識を学び、霊的摂理に順応して霊性を高めていることが必要なのはいうまでもありません。
(今月の「次回の読書会の霊訓の中から」で語られている“魂を向上”させる方法参照 P20)

 

―睡眠と瞑想(疑似睡眠)の違い―

 

睡眠中は無意識状態になるため、脳の束縛から霊は一時的に離れることができ(幽体離脱)、波動の異なる霊体で霊界を訪問しています。その意味で、私たちは睡眠中霊界に対しては能動的(自発的)に働いているといえます。
他方、瞑想とは、無我無念になって雑念妄想念に捉われている脳の束縛から意識的に離れることです。すなわち、瞑想とは覚醒しながらの疑似睡眠(覚醒と睡眠の境界線上)であり、私たちは霊界に対して受動的(受け身)になっている状態といえます。

 

【人間の活動域】
昼間は物質界で・・肉体のバイブレーションの領域
  ⇒ 五感から受ける粗い波動の肉体意識(顕在意識)

夜間は霊界に・・・脳によって繋ぎ止められている霊は解放され、その間は霊体のバイブレーションに切り替わる
  ⇒ 本体の意識体(霊魂)が精妙な波動の霊体をまとって毎晩霊界を訪れている

 

以上のことから、私たちにはその自覚が全くといってよいほど無いだけで、今この時もすでに私たちは霊的世界にも生きているということになります。(P37)

 

≪マトメ≫
瞑想とは一般的にいわれているように心の安定を得て健康になることの他に、霊的知識を学んでいる私たちスピリチュアリストにとっては、瞑想をする本来の目的として、霊界と接触しやすくして、高級霊からの導きや霊的インスピレーションを得られやすくすることにあります。すなわち、高級霊たちからの精妙な波動のインスピレーションに耳を澄ませることができるようになるのです。(「シルバーバーチの教え」下巻 P96)
逆にこれと同じ原理が働いて、瞑想による霊能の開発を、お金儲けの手段にしたり、虚栄心や優越感、支配欲など自己の利益のみを目的としていて、且つ、その人間の内部に憑依を引き起こす原因(霊媒体質など)があると、瞑想の弊害として地縛霊や低級霊からの“憑依”を受けやすくなる(親和性の法則)ので注意が必要です。

 

“自分が大霊の一部であることを知ったということです。霊界から派遣されているメッセンジャー(高級霊)のバイブレーションに、いかにして反応するかを学ばれたのです。”P59

 

“交霊会で何の動きも生じていないと思われるようなときでも、実は静寂の中で霊的な反応が起きています。” P117

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2022年11月用テキスト)

「シルバーバーチの教え」 上巻十一章   “死後の世界”より (スピリチュアリズム普及会発行)

 

地上の人間にとって死は、恐怖の最たるもののようです。が、人間は死んで初めて生きることになるのです。あなた方は自分では立派に生きているつもりでしょうが、実際にはほとんど死んでいるのも同然です。霊的なことに対しては死人のごとく反応を示しません。小さな生命の灯火が粗末な肉体の中でチラチラと輝いてはいますが、霊的なことにはいっこうに反応を示しません。 P184


●こちらの世界では、あらゆる才能や素質は、お互いに奉仕するために用いられます。P185


死ぬということは決して悲劇ではありません。むしろ地上で生きている方が悲劇です。
大霊の庭が利己主義と強欲という名の雑草で足の踏み場もない状態になっていることこそ悲劇なのです。
死は、肉体という牢獄に閉じ込められていた霊が自由の喜びを満喫するようになることです。苦しみから解放されて霊本来の姿に戻ることが、本当に悲劇でしょうか。
天上的色彩を眺め、物質的表現を超越した天上の音楽を聴けるようになることが悲劇でしょうか。痛みのない身体で自己を表現し、一瞬のうちに世界中を駆けめぐり、霊の世界の美しさを満喫できるようになることを、あなた方は悲劇と呼ぶのでしょうか。 P186


●死後の目覚めは理解力が芽生えたときに起こります。霊的知識があれば目覚めはずっと早くなります。その意味でも私たちは、無知と誤解と迷信、間違った教義と神学を無くすために闘わなければなりません。それらは、死後の目覚めの妨げになるからです。そうした障害物が取り除かれるまでは、魂は少しずつ死後の世界に慣れていくほかはありません。そのための長い休息が必要となります。 P188


●目覚めるまでにどのくらい時間がかかるかは、魂の進化の程度によって違います。すなわち霊性がどれだけ発達しているか、新しい環境にどこまで順応できるかにかかっています。 P189


●一般的には、地上から霊界への移行に困難はともないません。大抵の人間は、死の瞬間を無意識状態で迎えるからです。死ぬときの様子を自分で意識できるのは、よほど霊格の高い人に限られます。 P189


●私にはその「善人」とか「悪人」とかの意味が分かりませんが、要はその人が生きてきた人生の中身、つまりどれだけ人のために尽くしたか、どれだけ内部の神性を発揮したかにかかっています。大切なことはそれだけです。知識はないよりはあるに越したことはありません。が、その人間の真価は、毎日をどう生きたかによって決まるのです。 P189

 

●―死後の世界でも罪を犯すことがありますか。もしあるとすれば、どんな罪がいちばん多いですか。


“もちろん霊界でも罪を犯すことがあります。霊界における罪とは「利己主義の罪」です。こちらの世界では、それがすぐに表面に出ます。心で思ったことがすぐさま人に知れられてしまうのです。原因に対する結果が、地上よりはるかに速く出ます。したがって醜い心(利己的思い)を抱くと、それが瞬時に容貌全体に表れて、霊的に低くなってしまいます。霊界での罪とは何かを地上の言語で説明するのは難しく、「利己主義の罪」と呼ぶ以外に良い表現が見当たりません。” P191


●―肉体を脱ぎ捨ててそちらへ行っても、霊界には地上世界のようなしっかりとした実感があるのでしょうか。


地上よりはるかに実感があり、しっかりとしています。本当は地上の方が実感がないのです。地上界は霊界の影にすぎません。霊界こそが実在の世界であり、こちらへ来るまでは本当の実在感を理解することはできないのです。” P193


●―ということは、地上の環境が地上人の五感にとって自然に感じられるように、死後の世界も霊にとっては自然で現実的なものに感じられるということですか。


地上よりもはるかに実感があります。こちらの方が実在なのですから。現在のあなた方は、いわば囚人のようなものです。肉体という牢に入れられ、四方を囲まれています。地上では、本当の自分のほんの一部しか表現できません。” P194


●―呼吸が止まった直後にどんなことが起きるのでしょうか。


“魂に意識がある場合(霊性が発達している人の場合)は、霊的身体が徐々に肉体から抜け出るのが分かります。すると霊的な目が開き、自分を迎えに来てくれた人たちの姿が見えます。そしてすぐに新しい生活が始まります。 
魂に意識がない場合は、看護に来てくれた霊の援助によって適当な場所、例えば病院とか休息所に連れていかれ、そこで新しい環境に慣れるまで手当を受けます。” P195


●霊の世界は一つです。しかし、その表現形態は無限です。地球以外の天体にも、それぞれ霊の世界があります。いずれの天体も物的領域だけでなく、霊的領域を持っているのです。 P199


子供の方はずっと両親の地上生活を見ていますから様子がよく分かっており、親が他界したときには真っ先に迎えに来てくれます。 P200


●知識には必ず代償がともないます。責任という代償です。 P201

 

【参照】
須江克則のブログより


スピリチュアリズム研究ノート https://1411.cocolog-nifty.com/ks802 
●<Ⅰ. 基本編>
1.旅のガイドブック(死後の旅路の行程)
 https://1411.cocolog-nifty.com/ks802/2017/04/post-18eb.html

及び、
魂の行方:(新宿スピリチュアリズム勉強会)

①死後の旅路の行程 No1

②死後の旅路の行程 No2

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2022年10月用テキスト)

「シルバーバーチの教え」 上巻十章   “霊的進化の道を歩む神の子供たち”

 

“種子が暗い土の中に埋められるのは、養分を接種して発芽後の成長に備えるためです。
それと同じく、人間の生命の種子が物質界という暗黒の世界に生まれてくるのは、霊界へ戻ってからの進化に備えて地上生活での体験を積むためです。
地上人生のあらゆる体験は、大きな計画の中の一つです。落胆・挫折・悲しみ・痛み・・・これらは人間的心情からすればあって欲しくないものかもしれませんが、魂の進化にとっては、とても貴重な体験なのです。
しかしあなた方は、その体験の最中にあってはそうは思えないでしょう。人生体験の価値を明確に認識できるようになるのは、こちらへ来て地上人生の一部ではなく、全体を振り返ることができるようになったときです。様々な逆境を通して人間性が試され、悲哀を通して魂が強化されたことを知るようになるのです。” P160


【質疑応答】
≪肉体の障害者≫――本人には何の罪もないのに、身体的欠陥や盲目といった障害を持って生まれてくる子供がいるのはなぜでしょうか。


“肉体という外形だけで魂を判断してはいけません。魂の進化と、魂が地上生活で使用する身体の進化とを混同してはいけません。父親または母親、あるいは双方から受け継いだ遺伝的法則の結果として障害を持って生まれてくる子供がいるのは事実ですが、それが魂の進化を阻害することはありません。
肉体に障害を持って地上に生まれてくる子供には、その魂に「埋め合わせの摂理」が働いています。そうした子供たちは、優しさや忍耐力や他人への思いやりを持っています。永遠の埋め合わせの摂理があり、それによって誰もが公平に扱われているのです。” P165


≪精神の障害者≫――精神障害者として自らの行為に責任を持てない人は、死後どうなるのでしょうか。私たちは地上生活で形成された人間性によって裁かれると聞いておりますが・・・。


“あなたは、物的なことと霊的なこととを混同しています。地上では、脳に障害があると混乱が生じます。宿っている霊は脳に欠陥があることで自我を正常に表現できなくなりますが、自分自身の責任は自覚しています。


永遠の摂理は、あくまでも魂の進化を大前提として機能します。魂は、地上的な尺度ではなく永遠の叡智を尺度として評価されます。したがって地上的な善悪の基準では悪とされる行為であっても、魂そのものに責任がなければ、霊的には悪とは見なされません。
例えば、発狂状態で他人又は自分自身の生命を奪った場合などです。それは知的判断力をつかさどる器官が正常に機能しなかった結果ですから、その霊が責任を問われることはありません。私の世界(霊界)では魂の動機を最優先して判断します。動機を基準とするかぎり、判断を誤ることはありません。” P166


≪貧乏な子と裕福な子≫――飲んだくれや精神異常、道徳的腐敗や心身の堕落が蔓延するスラムの中に生を享けて、過酷な人生を歩まされる子供がいる一方で、美しいものに囲まれた環境に生を享けて、何の不自由もない人生を送る子供がいます。この不公平はどう理解したらよいのでしょうか。


“魂の進化は、魂のそのものに刻み込まれていきます。ところが地上の人間はとかく、霊的なものではなく物的なもので判断しがちです。高い身分に生まれようと低い身分に生まれようと、人のために役立つことをするチャンスは必ず与えられます。魂が内部の神性に目覚め、それを発揮するチャンスはすべての人に訪れるのです。これこそ(神性の発揮)が唯一の判断基準です。物的基準で計るかぎり、地上界は不公平だらけに思えるかもしれません。しかし、真の埋め合わせとは魂の次元におけるものであり、魂は自らを顕現させるために、あらゆる苦難を通して学ぶのです。” P167


≪悪徳の栄え≫――でもなぜ悪人が栄えるのでしょうか。


“それもまた、地上的尺度による見方です。どうしてあなた方は、恵まれた生活をしている人の魂は不幸も悩みも苦痛も知らないと思うのでしょうか。いつも笑顔を絶やさないからでしょうか。豪華なものに囲まれているからでしょうか。紫の衣と亜麻糸の布が、そのまま満ち足りた魂を表すのでしょうか。永遠の基準は霊を基準としたものであり、物質を基準としたものではありません。そうでないなら神の公平が存在しないことになります。” P168


≪恵まれた環境は善を発揮しやすい≫――しかし、飢えに苦しみ、悪徳や低俗なものばかりがはびこる環境よりは、恵まれた環境の方が明らかに善なる動機を発揮しやすいと思うのですが・・・。


“私はそうは思いません。その証拠に、私が知るかぎりでは、地上の偉人は間違いなく低い身分の出身です。偉大な精神的指導者に至っては、まず間違いなく低い階層から出ています。葛藤を余儀なくさせられる困難が多いほど、それだけ魂が成長するものです。霊的自我に目覚めるのは、厳しい環境を克服しようとする闘いの中においてこそです。人生を外面からではなく、内部から見るようにしてください。” P169


≪死後にも堕落する≫――死後にも進化向上することができるということは、霊界において邪悪な動機から罪を犯し、より低いレベルの界層に堕ちることもあり得るのでしょうか。


もちろんです。すでに霊の世界に来ていながら、何百年、何千年ものあいだ進化することなく、地上時代と同じ煩悩を抱き続けている者が少なくありません。彼らは貪欲で本能的欲望に満ちており、霊的摂理を理解しようとしません。霊的なことに対する感性が芽生えないのです。身は霊界にありながら、意識としては完全に地上で生活しており、しかも下降の一途をたどっています。” P170


≪死後、個性は消滅するか≫――複数の個霊が進化して、どこかで一個のグループとして融合し、その中で個性を失うというようなことはないのでしょうか。


“私の知るかぎりでは、ありません。” P171


≪死後、動物の霊は≫
――ペットは死後も存続するそうですが、他にも存続する動物がいるのでしょうか。


“はい、います。私たちが地上にいたとき友人のようにしていた多くの動物たちや、犬や猫などのペットは、死後も人間の中に混じって生きています。これらの動物たちは、人間の愛情を受けて一種の個性を発現するようになり、そのパーソナリティを携えて死後も人間の霊に混じって生きているのです。しかし、長続きはしません。ほんの一時期のことで、やがてそれぞれの種の母体であるグループ・スピリットの中に融合していきます。” P172

≪進化向上は神の愛≫――創造進化の大業が殺戮の血に染められてきたという事実のどこに、神の善意と愛のしるしが見いだせるのでしょうか。


“なぜそのように小さな一部分を見るだけで、全体を見ようとしないのでしょうか。創造進化があるという事実そのものが、神の愛のしるしと言えるのではないでしょうか。あなたは、そういう考えに思い至ったことはありませんか。低い次元から高い次元へと進化するという事実は、摂理の背後に「愛の力」があるということの証拠ではないでしょうか。” P175


≪地震の犠牲者は不運か≫――その場合、地震によって亡くなった何の罪もない多くの人々は、地球の進化の犠牲者ということになります。それで公平と言えるのでしょうか。


“死者になることが悲劇であるかのようなご意見ですが、私はそのようには考えません。私に言わせば、死は魂が自由を獲得するための素晴らしい時なのです。” P176


≪天災の犠牲者の死期は≫――地震で亡くなった人々はすべて、それが他界する時期だったということでしょうか。


“はい、そうです。ただ、そうした形で死を迎えたことについては、前世での所業(カルマ)が絡んでいます。” P176


≪宇宙人の存在≫――我々より霊的に進化している、あるいは劣っている人間的存在が住んでいる天体がありますか。


“ありますとも! あなた方より進化している人間的存在の住む天体はたくさんあります。地球と呼ばれている惑星は、この大宇宙に存在する無数の惑星の一つにすぎません。しかも、地球より劣っている天体は一つあるだけです。” P177

 

≪成長するには困難が必要≫――よくあることですが、重要だと思う一連の仕事を進めようとすると、しつこく邪魔が入ることがあります。それはなぜでしょうか。


“価値のあること、成し遂げるに値することほど大きな困難がともなうものです。それを達成する道は楽ではありません。困難があり、妨害があり、邪魔が入るものです。そうしたことは人間形成の一環なのです。困難や障害にどう対処するかによって、あなた方の魂の成長が決まります。何の困難もなしに、魂に内在する最高のものを顕現させられるとしたら、それは価値のあるものとは言えません。
ですから、とにかく挫けないことです。潜在する力を活用しても克服できないほどの大きな困難や障害は絶対に生じません。他人が故意に与える困難も、内在する力を発揮して立ち向かえば必ず消滅します。あなた方は地上生活において、自分の力のほんの一部しか発揮していないことがお分かりになっていません。” P177


≪子供の早死≫――それにしても、なぜ早いうちに死んでしまう子供たちがいるのでしょうか。地上で学ぶべきものを学べないように思えるのですが・・・。


“早死にする子供たちは、(前世で)何か摂理に反したことをしているのです。それを補うには、そうした厳しい体験を通して大霊の戒めを学ぶしかないのです。
もしもその戒めが簡単に学べるとしたら、人類は自分自身を必死になって救おうとはしなくなるでしょう。そうしたら何世紀も経ないうちに、大霊の意思はこの地上に顕現しなくなってしまいます。
苦悶と病苦と悲哀を体験した人間は、他人の苦しみに心を配る、大きな魂へと成長するようになります。やりたい放題の人生を送り、はかない幻を追い求めている魂は、いつかは真実に直面しなければならなくなります。安楽な日々を送っている人を見て羨ましがることはありません。その行く先には過酷な人生が待ち受けているのです。
地上界にあっても霊界にあっても人間は、ありとあらゆる体験を積まなければならないようになっています。いかなる体験にも必ず学ぶべき教訓があります。あらゆる体験を乗り越えて初めて本当の自我を確立し、魂の内奥の完全性に至ることが許されるようになるのです。
それは確かに難しいことです。難しくないはずがありません。簡単に聖人や殉教者になれるでしょうか。簡単に宗教指導者や社会革命家になれるでしょうか。簡単になれるはずがありません。自己の責任から逃れようとするような人間に、人を導く資格はありません。” P181

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2022年9月用テキスト)

「シルバーバーチの教え」 上巻九章 “キリスト教の人工的教義の間違い”より「英国国教会の教義」からの項目の一部抜粋と、それへのシルバーバーチの見解

 

1.イエス・キリストの復活は、人類史上におけるきわめて特殊な神の御業である。


シルバーバーチ
“肉体の死とともに、すべての魂は復活するのです。” P144


2.当委員会は、神がその気になれば奇跡を生じさせることができるという点では一致をみたが、果たして奇跡的現象というものが起きるものであるか否かについては意見が分かれた。
・・・心霊現象(エキソプラズム:幽質)


シルバーバーチ
“原因がないという意味での奇跡は存在しません。彼らは高次元の摂理について無知であり、霊力の存在についても知らず、霊界の上層からもたらされる霊力に触れたことがないために、霊媒を通して演出される現象(心霊現象)が理解できないのです。” P147


“もしも選ばれた少数の者を寵愛するために奇跡を生じさせるとしたら、大霊は分け隔てをする不公平な神であることになり、全生命の源である無限の存在ではないことになります。
委員会のメンバーは、そのお粗末な概念によって、大霊を何とちっぽけな存在におとしめていることでしょう。”(エホバの証言など) P147


“地上人生において大霊から授かった霊的資質を発揮するならば、誰もが大霊の力を活用することができるようになるのです。” P148


3.クリスチャンにとってキリストは、唯一の、そして不可欠の(神との)仲介者である。
父(神)とキリストとのつながりは直接的であったが、我々クリスチャンとのつながりはキリストを介して行われる。


シルバーバーチ
“これは間違いです。大霊は、あなた方一人ひとりの内に存在しています。同時にあなた方一人ひとりは、大霊の内に存在しているのです。イエスも「神の王国はあなた方の中にある」と述べているではありませんか。” P151


“人間は、内在する神性を日常生活の中で顕現させるにつれて大霊に直接的に接近していくことになります。あなた方一人ひとりに大霊の分霊が宿されているのであり、大霊とあなた方との間に仲介者を立てる必要はありません。
ナザレのイエスは、そんな目的のために降誕したのではありません。人間はいかに生きるべきか、いかにすれば内部の神性を顕現させられるかを教えるために地上界へ降りてきたのです。”
P151

“霊的インスピレーションによって示される本物の真理に目覚めることです。人間の知性は大霊のインスピレーションに優るものではありません。” P152


4.キリストの復活は、永遠の生命という希望を裏付けるものである。


シルバーバーチ
“人間は内部に大霊の分霊を宿しているからこそ存在しているのです。物質は霊によって存在しているのです。霊は永遠の実在であり、破壊できないものです。霊は不滅にして無限なる存在です。あなた方は霊であるからこそ、墓場を越えて火葬の炎の向こうまで生き続けるのです。
あなた方が今生きているのは霊だからこそです。墓場を越えて生き続けるのも霊だからこそです。霊であればこそどこまでも永遠に生き続けるのです。” P152

“あなた方にとって大切なことはただ一つ――地上にいる間にどれだけ内在する大霊を顕現させたか、それだけなのです。” P154


5.キリスト教の贖罪の教義の根本にあるのは、それが本質的に神の御業であり、神がキリストの調停によって人類と和解したとの確信である。


シルバーバーチ
“これは、嫉妬と怒りに燃えた神をなだめすかすために、最愛の子を血の犠牲にしなければならなかったという、あの古くからの贖罪説(旧約聖書 アブラハムとその子)の焼き直しでしょうか。大霊は怒りっぽい人間より、もっと残酷で無慈悲だとでもいうのでしょうか。我が子(人間)と和解するのに血の犠牲を要求するとでも言うのでしょうか。大霊とイエスをこれほど哀れな存在に貶める説はありません。” P154


“もしも間違いを犯したら、潔くその代価を支払えばいいのです。屁理屈をこねて、他人に責任を転嫁するようなことをしてはいけません。” P155 (先祖霊の怨念等の間違い)

 

八章「地上の宗教の間違い」から引用


●私たちはあなた方に、いかなる教義も儀式も作法も要求しません。ただひたすら、大霊の愛がその子たち(人間)をとおして顕現するように努力しているだけなのです。そのためには、いかなる書物にも、いかなるドクマ(教義)にも縛られてはいけません。いかなるリーダーにも、いかなる権威にも、いかなる学識にも、また崇敬の対象とされているいかなる聖遺物にも縛られてはいけません。あんた方はひたすら、大霊の摂理に従うようにしてください。大霊の摂理こそが宇宙で最も偉大なものであり、唯一最高の権威あるものなのです。 P124


●その大霊の恩寵と子供たち(人間)との間に、とかく教会が、政治家が、そして金持ちが介入します。 P125


●大霊のメッセージ:
「喪の悲しみに暮れる人を慰め、病める人を癒し、暗闇に閉ざされた人に光をもたらし、疲れ果てた人には生きる勇気を与え、真理を知らずにいる人には霊的知識を教えよ」とのメッセージです。 P126


●自然の摂理(宇宙の法則・自然法則)の上に築き上げられた宗教であったなら、撤回しなければならないものは何ひとつなかったはずなのです。 P127


●いかなる人物であろうと、一人の人間に服従してはいけません。いかなる書物であろうと、いかなる教会であろうと、それを盲信してはいけません。地上界の人間であれ霊界の存在であれ、どのような指導者にも盲目的に服従してはいけません。絶対的忠誠を捧げるべきは「大霊の摂理(法則)」だけです。それだけが誤ることもなければ裏切ることもないからです。
だからこそ私たちは、大霊の摂理を説いているのです。 P128


●私たちは、大霊と自然法則の存在を説きます。私たちは大霊の法則の働きを示す道具です。
イエスもやはり大霊の道具であり、地上の人間にとっての良き手本です。あなた方も大霊から授かった霊力を発揮さえすれば、イエスと同じ生き方ができるようになるのです。 P130


大切なことは、自分自身の最高の理想に従って地上生活を送ったかどうかです。 P135

(“あなた方にとって大切なことはただ一つ――地上にいる間にどれだけ内在する大霊を顕現させたか、それだけなのです。” P154)


●――イエス・キリストは、教会が言っている通り、「神の唯一の御子」なのでしょうか。

そのイエスを崇拝の対象とするのは間違いです。崇拝の念は大霊に捧げるべきであって、大霊の使者に捧げるべきではありません。 P137


私たちは、地上に降誕したナザレのイエスという人物を崇拝するようなことはしません。私たちは、イエスを通して働いた霊力に賛辞を捧げます。私たちは、イエスは霊力の道具としてのみ尊敬されるべきであると考えているのです。 P140


私たちは、死後にも生命が続くことを証明するために、イエスに働いたのと同じ摂理を通して地上界へ戻ってまいりました。大霊は永遠に存在し、その摂理は不変であることを示すために戻ってきたのです。イエスの復活は今、私たちに働きかけているのと同じ摂理の働きによるものであり、その摂理を通してすべての人間が蘇ることになるのです。 P141

 

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2022年8月用テキスト)

「シルバーバーチの教え」 上巻 八章“地上の宗教の間違い”(スピリチュアリズム普及会発行)

教義とは:特定の宗教や宗派の信仰内容が真理として公認され、信仰上の教えとして言いあらわされたもの。(ドグマ)
例)旧統一教会、エホバの証人など

 

宗教の教義(信条・教え)による束縛は、地上界の悲劇の一つです。それは重い疫病よりも悪質で、肉体の病気の苦しみよりも、はるかにひどい苦痛をもたらします。なぜならそれは「魂の病」を生み出し、霊(本当の自分)に目隠しをしてしまうからです。
地上人類は、大霊の無限の叡智(摂理・法則)が存在するにもかかわらず、いまだに(人工的な)教義にしがみついています。
 P124

 

●私たちはあなた方に、いかなる教義も儀式も作法も要求しません。ただひたすら、大霊の愛がその子供たちを通して顕現する(神性・霊性心)ように努力しているだけなのです。そのためには、いかなる書物にも、いかなるドグマ(教義)にも縛られてはいけません。いかなるリーダーにも、いかなる権威にも、いかなる学識にも、また崇敬の対象とされるいかなる聖遺物にも縛られてはいけません。あなた方はひたすら、大霊の摂理に従うようにしてください。
大霊の摂理(法則)こそが宇宙で最も偉大なものであり、唯一最高の権威あるものなのです。 P124

 

●霊力を過去のものとして考えるのはやめにしなければいけません。ナザレのイエスを通して働いた霊力は、今も働いているのです。 あの時代のユダヤの聖職者たちは、イエスを通して働いている霊力を悪魔のものであるとして認めませんでしたが、今日の聖職者たちも同じ霊力を同様の理由で拒絶します。 P125

 

●私たち霊界の者からの働きかけを信じず、悪魔のささやきである(オカルト)と決めつけているキリスト教の聖職者たちは、その昔、ナザレのイエスに非難のつぶてを浴びせたユダヤ教の聖職者たちと同じです。私たちは、イエスと同じ大霊の霊力を携えて地上界へ降り、奇跡(心霊現象)を起こし、大霊のメッセージを届けています。それは「喪の悲しみに暮れる人を慰め、病める人を癒し、暗闇に閉ざされた人に光をもたらし、疲れ果てた人には生きる勇気を与え、真理を知らずにいる人には霊的知識を教えよ」とのメッセージです。 P126

 

●すなわち自然の摂理の上に築き上げられた宗教であったなら、撤回しなければならないものは何ひとつなかったはずなのです。
そこに、私たちが地上界に舞い戻ってきた理由があるのです。いかなる人物であろうと、それを妄信してはいけません。地上界の人間であれ霊界の存在であれ、どのような指導者にも盲目的に服従してはいけません。絶対的忠誠を捧げるべきは「大霊の摂理(法則)」だけです。それだけが誤ることもなければ裏切ることもないからです。 P127

 

●地上人類は叡智と理解力が増すにつれて、大霊の摂理に従って(摂理に順応して)生活を規制していくようになります。摂理に従って生きることの大切さを自覚するようになります。地上界の悲惨さや窮乏、苦難や悲嘆はすべて、大霊の摂理が守られていないところから引き起こされていることを悟るようになるのです。 P129

 

●私が非難しているのは“組織”(宗教団体)です。組織が真理への道を閉ざし、古い慣習を温存し、精気みなぎる霊力が顕現するための場所を奪い去っているからです。 P130

 

●私たちは、大霊と自然法則の存在を説きます。私たちは大霊の法則(摂理)の働きを示す道具です。イエスもやはり大霊の道具であり、地上の人間にとっての良き手本です。あなた方も大霊から授かった(内在する)霊力を発揮しさえすれば、イエスと同じ(摂理にしたがって生きる)生き方ができるようになるのです。 P130

 

●信条・ドグマ・教義・儀式・祭礼・ステンドグラス・祭壇・法冠・外衣――こうしたものがいったい宗教(霊)と何の関係があると言うのでしょうか。宗教は霊と一体関係にあります。霊はすべての創造物に宿り、生命のあらゆるリズムと生命現象の中で自らを現わし、大自然のあらゆる側面に顕現し、人類の進歩のために寄与している理想主義者や改革者を鼓舞しています。その霊が一つの(人工的な)教義と何の関わりがあると言うのでしょうか。 P130
⇒ 霊は霊力を通して働いています・・・①全ての創造物に宿っている ②生命現象の中で自らを現している ③大自然のあらゆる側面に顕現している

 

●(霊的)知識は、それを求める用意の整ったすべての魂に分け与えられるものです。が、そのためには大いなる冒険の旅に出る覚悟が要求されます。未知の領域を探求する準備・障害と危険に対する準備も必要です。誰も足を踏み入れたことのない土地を歩まなければならないかもしれません。しかし、真理の指し示すところならどこへでも突き進み、間違いとわかったものは、いかに長いあいだ“金科玉条”とされてきたものであっても捨て去る勇気がなくてはなりません。 P131

⇒ 神の一人子 イエス・キリストによる贖罪説などの“金科玉条”

 

●魂が真に自由になるためには、理性が納得しないものは潔く捨て去ることができるようでなくてはなりません。
(教義や儀式などの形骸にとらわれて)霊の力を活用しなかったために、地上は何とみすぼらしい世界になってしまったことでしょう。迷信や無知の壁を取り崩そうとする努力を、私たちはこれから先、いつまで続けなければならないのでしょうか。 P132
⇒ 迷信や霊的無知を悪用して、先祖霊や水子霊の怨念やたたりなどと恐怖心をあおっている

 

●――聖霊とはそもそも何なのでしょうか。

物質界へ注がれる“霊力”のことです。キリスト教では漠然と聖霊を崇拝していますが、それが人類の誰にでも(霊界から)与えられるものであることは否定します。こうして皆さんと語り合うことを可能にしているのも霊力が働いているからです。その大霊の力が、ほんのわずかな時間ではあっても、霊界と地上界とが一つの目的(霊的摂理の普及)のために一体となることを可能にしているのです。 P134
⇒ 地上界の私たちには、霊界からのインスピレーションとして今でも届けられる

 

私が訴えるのは大霊の摂理(自然法則)だけです。いまだに聖書の一言一句にこだわる人間(エホバの証人など)は、大霊が今なお活動し、霊の息吹を注ぎ、自らを顕現させていることを理解するようになるまで放っておくしかありません。

大霊の摂理は今も働いており、ふさわしい道具(霊力に反応する人)が用意されたなら、霊力はいつでも流入することができるのです。 P138

 

私たちは、死後にも生命が続くことを証明するために、イエスに働いたのと同じ摂理をとおして地上界へ戻ってまいりました(シルバーバーチの交霊会)。

大霊は永遠に存在し、その摂理は不変であることを示すために戻ってきたのです。イエスの復活は今、私たちに働きかけているのと同じ摂理の働きによるものであり、その摂理を通してすべての人間が蘇ることになるのです P141
⇒ 霊魂不滅の法則

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2022年7月用テキスト)

―真実の祈りとは― 

 

(「シルバーバーチの教え」 上巻 七章“正しい祈りとは”スピリチュアリズム普及会発行からの引用と、須江氏の2022.6.5付けシルバーバーチ講演会資料からの一部抜粋)

 

1.単なる願い事は祈りではありません。真実の祈りは重要な霊的修練(行)なのです。


2.その理由は、祈りとは魂の表現、叫びであり、大霊に近づこうとする魂の願望だからです。


3.全身全霊を込めて到達できる最も高い次元にまで魂を引き上げようとする、波長を高める行為です。


4.このことは、心を開き、魂を開いて、“本当の自分”とその内部に宿る神を顕現しようとする行為なのです。


5.そうすることによって、到達できる最も高い次元に自らの波長を引き上げ、少しでも高い界層との交わりを求め、結束を固めることになります。


6.真心からの思念の力にその霊たちの力を加えて、私たちの霊性レベルに応じた宇宙のエネルギー(霊力)を動かし、活用することができるようになります。


7.その結果、インスピレーション(悟りや叡智)や慰めが得られ、魂が霊力に満たされて霊性の強化につながっていきます。


8.このことは、祈るという行為が原因となって思念の力を生み出し、回答という結果をもたらすことになり、これが私たちの貴重な霊的体験となり霊的修練にもなるのです。


9.また、祈りには守護霊や指導霊などが仲立ちとなることがあり、祈る者の願いどおりではなく、本人の霊的成長にとって最も望ましい形で与えられます。


10.霊界での祈りの扱われ方として、価値評価の高い祈りは順次高位の霊にとりつがれていき
ます。
但し、定型的な形どおりの祈りやご利益信心的な祈りは、物的志向が強いためその思念は上昇しません。

 

シルバーバーチの教え 上巻 七章 “正しい祈りとは”

 

●魂の奥底からの誠心誠意の祈り、大霊との一体化を深め、大霊の道具として有用な存在になりたいとの願望から出た祈りは、祈る者の霊性を強化し、大霊の道具としてより相応しい存在にします。そうした祈りは自我(本当の自分)を顕現しようとする行為であり、心を開く行為であり、私たち霊界の者との結束を固めることになります。 P112


●真実の祈りは、あなた方にとって奉仕(サービス)の準備を整えるためのものです。あなた方を、より高度なエネルギーと調和させるための手段です。(中略) 全身全霊を込めて到達できる最も高い次元にまで魂を引き上げようとする行為のことです。そのとき、祈りの結果としてもたらされるインスピレーションによって魂が満たされ、霊性が強化されるのです。 P113

 

―祈りによって霊界の人々の援助を得ることは可能でしょうか。


“もしあなたが、真心を込めて祈るなら、それによってより高度なエネルギーを受け入れやすくなります。祈るという行為そのものが魂を開かせるのです。もちろん全身全霊を傾けた祈りのことです。単なる願い事は祈りではありません。真実の祈りは重要な霊的修練なのです。「祈りは、あくまでも目的に至るための手段であって目的そのものではない」―これが最も正しい祈りの定義です。” P114


●自分のことを忘れて他人への奉仕を優先すればするほど、それだけ霊性が発達します。それは、あなた方一人ひとりの内部に宿る大霊が発揮されるということです。至って簡単なことなのです。 P115

 

―しばしば、祈りが聞き届けられないように思えることがあるのですが、なぜでしょうか。


“すべての人間の内面では、常に“人間臭いもの”と、“神性を帯びたもの”との間で葛藤があります。後者が勝てば大霊と一体となった喜びを味わいますが、前者が勝ったときには霊性が低下します。私たち霊界の者は、皆さん方が望む方向ではなく、最高の奉仕に役立つ方向に導こうとしております。
地上の人間はとかく、魂の成長にとって良くないもの、進歩を遅らせることになるものを要求しがちです。これは叶えてあげるわけにはいきません。また、手にする資格のないものを要求することもあります。これも叶えられません。 (中略) 大霊はすべての人間の祈りを、たとえ口に出さなくても先刻ご承知であることを知ってください。” P116


●真摯な祈りには必ず霊力がともなうものです。が、その霊力がどこまで物的次元に転換されるかとなると、いろいろな条件を考慮しなければなりません。 P118


―でも、何らかの影響はあるのではないでしょうか。  


“すべての祈りは自らを高めようとするところから発するものです。人の役に立つことを願う祈り、知識や光明、叡智や導きを求める祈り、こうした祈りはすべて魂の進化の現れです。あなたの精神は肉体の一部ではなく、霊の一部、大霊の一部なのです。そしてそれは大霊に由来する力を秘めています。しかし、あなたがその力を使用できるようになるには魂の進化が先決です。それなくして内在する大霊を顕現させることはできません。” P118


―祈りの言葉は霊に聞こえるのでしょうか。それともある種のバイブレーションに調和し反応するような力が必要でしょうか。


祈りは魂の表現です。そのことを分かりやすく説明しましょう。祈りは光明と導きを願い求める魂の叫びです。祈るという行為そのものが回答をもたらすのです。なぜなら、その行為が思念の力を生み出すからです。
その力が原因となって回答を生み出します。その回答が結果です。霊は、あなたの祈りの言葉を待っているわけではありません。祈りに込められたあなたの思念が、ただちにそれにふさわしい界層の霊に届くのです。あなたの魂の進化の程度に応じた界層です。その霊たちは地上世界のために約に立ちたいと切望していますから、あなたの思念の力に、その霊たちの力が加わるのです。大霊の一部である思念のバイブレーションが、新たな活動を呼ぶことになります。それは、あなたの霊性のレベルに応じた宇宙のエネルギーを動かすことが可能になったということです。宇宙のエネルギーを、あなたも活用することができるようになったということを意味しています。” P119


●祈りをするうえで常に意識しなければならない対象とは、大霊、生命の摂理、宇宙の自然法則であるということです。
大霊は完全なる存在ですから、大霊の摂理も完全です。その完全なる大霊の一部があなたの内部に潜在していて、発現を求めているのです。祈りや奉仕によってそれを発現させるなら、大霊があなたを通して顕現することになります。祈りや奉仕といった魂の向上のために為すすべての実践は、あなたの霊性の進歩を促すことになるのです。 P120


―すべてのものが不変の法則によって支配されているのであれば、大霊に祈っても意味がないのではないでしょうか。というのは、祈りとは大霊に法則を変えてくれるように依頼する事ではないかと思うからです。


“それは私が理解している祈りとは違います。祈りとは、大霊に近づこうとする魂の願望です。自己の内部の大霊を顕現しようとする行為であり、その行為が魂を開かせ、それまで届かなかった段階に至ることを可能にするのです。そこには不公平もえこひいきもありません。祈りは内部の大霊をより多く顕現させ、より多くの恩寵を引き寄せるための魂の活動です。大霊の恩寵は無限であり、あなたの魂は、その無限性を顕現させようと学んでいるのです。” P120


●代償は必ず払わなければなりません。しかし祈りによって許しを乞うということは、大霊の摂理に調和しようとする行為であり、償いの始まりです。これまでの歩みを見直し、自己を省みるところから本当の償いと霊的進化が始まるのです。 P121

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2021年12月用テキスト)

シルバーバーチの教え 上巻 五章 “神とはどのような存在か”

 

―大霊というのは「誰」なのでしょうか。


“大霊とは宇宙の自然法則です。物質界と霊界のすべての生命体の背後にある創造的エネルギーです。(中略)大霊は、あらゆる生命体に充満しています。あらゆるものに内在し、あらゆる法則に内在しています。大霊は生命であり、愛であり、存在するすべてのものなのです。”P76

 

●大霊(神)は万物に内在しています。すべての存在物が大霊であると言えるのです。

(中略) 地上界のすべて、霊界の全て、宇宙のすべて、そしてまだあなた方に知らされていない世界のすべてが、大霊の法則の絶対的な支配の中にあるのです。その法則から離れては何ひとつ生じません。すべてが法則の範囲内で発生していますから、大霊はすべてを知っていることになります。P77

 

●一方に、完全なものがあり、他方に不完全なものがあります。しかし不完全なものも、その内部に完全性の種子を宿しています。 (中略) 生命の旅路は進化であり、進歩です。

向上を求めての葛藤です。発達・発展・拡大・拡張です。あなた方が善とか悪とか言っているのは、その旅路における途中の段階にすぎず、終着点ではありません。 P78

 

●宇宙は、そこに生を営む者と同じように進化しています。P79

 

―大霊も進化しているということでしょうか。


“それは違います。大霊は摂理であり、その摂理は完璧です。ただ、物質界で顕現している部分が顕現の仕方において進化しつつあるということです。この点をよく理解してください。地球も進化していて、地震などの天変地異はその進化の現れであるということです。地球は火炎と嵐の中で誕生し、今もなお完成へ向けてゆっくりと進化しているのです。” P79

 

●宇宙は大霊の反映にすぎません。大霊が宇宙なのです。(中略)しかしあなた方は、一言も発することもなく魂の静寂の中で霊が大霊と交わることができる段階まで霊性を磨くとこは可能です。そのときあなた方は、自分と大霊が一つであることを理解します。それがどういうものであるかは言葉では説明できませんが、あなた方や被造世界の全ての霊的存在者の魂が静寂の中で、その霊的感性によって実感することができるのです。 P81

 

―霊が個としての意識を獲得するためには、物質界とつながりを持つことが必要でしょうか。

“そのとおりです。意識を獲得するためには物的身体に宿って、物的体験をしなければなりません。霊にとって物的身体との結合が、個としての表現を可能にするという意味です。霊は物質に宿ることによって、その本性を自覚するようになるのです。” P81

 

―そうなると、大霊は私たちを通して体験を得ているということでしょうか。

 

“それは違います。あなた方の進化が、すでに完璧なもの(大霊)に影響を及ぼすことはありません。” P82

 

●あなた方が不完全であるがゆえに、あなた方を通しての顕現の仕方が不完全になるのです。あなた方が進化するにつれて、より完全なものが顕現するようになります。あなた方は直接、霊を進化させるのではなくて、霊が顕現するための身体(霊体と肉体)を用いた実践を通して霊を進化させるのです。P83

 

●あなた方を通して顕現している摂理は、あなた方が不完全であるがゆえに不完全となります。完璧な摂理は、あなた方を通して働くことはできません。しかし、あなた方が完全へ向けて進化するにつれて、摂理はあなた方を通してより大きく働くことができるのです。(光と鏡の譬え)P83

 

―しかし私たちにも、何が善で何が悪かの概念はあると思いますが・・・。

“地上人の抱く善悪の考えは、霊的成長のプロセスにおけるその時点での想念にすぎません。それは進化の過程で到達した段階を表しています。人間がさらに進化すれは、それまでの善悪の概念は捨て去られます。それは、完全なる摂理が正道から外れた媒体を通してそれ自身を顕現させようとするところから生じた不完全な発想にすぎません。私が善にも悪にも存在意義を認めるわけは、そこにあります。” P84

 

●もし、あなたが完全な光を放っても、十分に磨かれていない鏡ではその光を完璧に反射することはできないということは分かっていただけると思います。それを光が不完全だ、光が悪い、とは言えないでしょう。あなた方は、内部には完全な霊を宿していても、まだそれを完全な形で表現する準備ができていません。人間が“悪”と呼んでいるのは不完全性のことにすぎません。完全な大霊を不完全に表現しているということなのです。 P85

 

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2021年11月用テキスト)

シルバーバーチの教え 上巻 四章 “スピリチュアリズムが目指す新しい世界”より

 

●これから地上には、いくつもの大きな変化が生じます。崩壊や多くの大変動があるでしょう。皆さんには暗黒と苦難の時代の到来のように思えるかもしれません。「大変な時代になった」と、おっしゃるかもしれません。しかし、そうした変動の背後には地上世界を進化させようとしている大きな力が存在しているのです。P66


●しかし、現段階の地上世界で最も偉大な人間とは、他人の悲しみを取り除き、人生をより良くしてあげられる人のことなのです。P67


●私たちが説いている教えは決して新しいものではありません。霊的な視野を持つ人々がずっと説き続けてきた、古くからある真理です。それをほとんどの人間が顧みようとしなかったために、私たちが改めて説き、大霊の教訓を学ぶように導く必要性が生じたのです。人類は自らの間違った考え方による愚行から、地上界を破滅の寸前にまで追いやっています。
今こそ人類は、大霊とその摂理へ回帰しなくてはいけません。いや、すでに回帰しつつあります。私の目には、ゆっくりとではありますが、大霊の摂理が地上界に具現しつつあるのが見えます。P68


●あなた方が自分のことを忘れて他人のために奉仕しようとするとき、あなた方を通して大霊が働くのです。P68


●常に、世界中のあらゆる所でさまざまな人々が、自覚するしないに関わりなく霊界の道具として新しい世界の夜明けのために活用されているのです。P69


●そして地上の同胞のために働いている人々を鼓舞し、大霊とその子らのための仕事をするすべての人間の背後には、強力な霊の大軍が控えていることを理解させようとしているのです。P70


●地上世界が必要としているものは、人類を霊的に、精神的に、そして物質的にも自由にしてくれる単純な真理です。P71


●私は、人間は全生命を生み出した大霊の一部であるという単純な霊的真理をあなた方に悟らせたいと願っている多くの霊たちの一人にすぎません。大霊はあなた方の内部に存在しています。あなた方は神聖なる賜物を与えられており、その潜在的神性が宿っているからこそ大霊の恩寵にあずかる資格があるのです。P71


●私は大霊の道具として、人類を救うことになる真理を皆さん方に届けるという特権にあずかったことを光栄に思っています。P71

●あなた方はすでに知識を持っています。霊的真理を手にしています。真理を知った者には、それを実践に移す責任がともないます。その責任を果たしてこそあなた方は、より優れた大霊の道具になれるのです。P72


●私たちは、あなた方人間の理性だけに訴えています。P72


●それどころか、人間に内在する神性に気づかせ、大霊とのつながりを自覚させるものです。
そしてあなた方の日常の行為すべてを律し、全生命の始原である大霊を顕現させることができるように導くものなのです。P72

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2021年4月用テキスト)

シルバーバーチの教え 上巻 三章 霊界を挙げての大計画

              (スピリチュアリズム普及会発行)

 

●私たちが携わっている仕事には重大な目的があります。絶対不変の摂理の存在を証明すると同時に、地上の人間に慰めを与え、霊的知識を広めるという目的があるのです。物質を超えた法則の存在を示すだけでなく、霊的真理を明らかにすることも私たちの仕事なのです。P40

 

●地上世界は、サウロがダマスカスへ向かう途中で体験したという目が眩むような閃光で一気に改革されるものではありません。霊的真理に目覚める人の数が増し、大霊の霊力の道具が増えるにつれて、少しずつ霊的な光明が地上界に行きわたるのです。
霊に関わることは慎重な配慮による養成と進歩を要します。急激な変身は永続きしません。私たちの仕事は永続性を目指しています。一人また一人と大霊の道具となり、暗闇から光明へ、無知から知識へ、迷信から真理へと這い出ることによって地上界は進歩するのです。P42

 

●私たちは大霊の啓示が理解できない人たちによる拒絶に遭っております。彼らは、いつの時代にもそうであったように、霊というものの存在を否定します。P43

 

●摂理に素直に従って生きる人(霊主肉従)は、物的な面においても霊的な面においても、幸せと豊かさを手にすることになります。P44

 

価値あるものは苦難と悲哀なくしては成就しません。その教訓を地上人は、体験という唯一の方法によって学ばなければなりません。P44 (人生の目的)

 

●私たちは、人間の内部に存在している神性に気づかせてあげることで、あなた方が大霊をもっと顕現させ、さらなる高みへと自らを引き上げ、その心がより高次の真理と知識で満たされるように努めているのです。これまでに得たもので満足してはいけません。良い意味での不満と向上心が、より大きな知識を呼び込むことになるのです。手にしたものに満足してしまう者は、そこで留まってしまいます。満足できない者が、より大きな(魂の)自由を求めて苦闘するのです。P45

 

●そして今回の地上人生を終えるまでに、あなた方一人ひとりに果たさなければならない役割があることを知っていただきたいのです。P48

 

●地上の人間が物質界にも存在する霊力を再発見し、新たな希望と新たな生命を呼び覚ますことになればと願っているのです。P49

 

●決して働きを止めず、また誤ることもない摂理として顕現している大霊を啓示しようとしているのです。P50

 

●私は、私という一個人、メッセンジャーとしてのシルバーバーチに多大な関心を寄せていただくことを望んでいません。私はただ、皆さんにメッセージを送り届けているだけなのです。P52

 

●人間が神から授かっている理性を頼りとして、これに訴えます。P53

 

●日常において発生するさまざまな問題に霊的真理を活用することによってのみ、人類の前に迫りつつある恐ろしい破局を防ぐことができるのです。P54

 

●私たちからすれば、人のために役立つことをする人はすべて立派な人間ですが、その役にたつというのは真理を普及することだけに限られるわけではありません。他にもいろいろあります。P54

 

●すぐそこまできている新しい世界を一日でも早く招来するために、バイブレーションを物質界のレベルに近づけて降りてきました。その目的は、大霊の摂理を教え、その摂理に忠実に生きるなら、あなた方の心は大霊の恵みをふんだんに受けられるようになることを教えてあげることです。P57

 

物質的な惨事に遭遇すると、人間は霊的なものに目覚め始めるようになります。物的な手段がすべて失敗に終わったとき、ワラをも掴む思いでそれまで試みられてきた制度を吟味し、そこに頼れるものがないことを悟ります。
そこに至ってようやく霊的真理の出番となり、新しい世界の構築が始まります。P60

 

魂が真理に目覚めて感動するには、それぞれに時期というものがあるのです。P61

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2020年11月用テキスト)

シルバーバーチの教え 上巻 一章 “通信霊シルバーバーチについて”

              二章 “シルバーバーチの霊界通信の目的”

              (スピリチュアリズム普及会発行)

 

●ずいぶん前の話になりますが、他の多くの指導霊と同じように私も地上圏に降りて協力者の一団を集め、霊的メッセージを地上界へ届ける仕事を引き受けてくれないかとの懇請を受けたとき、私はそれを使命としてお引き受けしました。 P22

 

●私にとっての最大の問題は、物理的心霊現象を演出するか、それとも教えを説く、つまり霊的真理を説くか、この二つのどちらを選ぶかということでした。そして私は、あえて困難な後者を選びました。 P24

 

●自ら公言している通り自分が確かに大霊の使者であることを、教訓と模範と実際の行為によって証明したいと。
さらに私は、地上時代の姓名を絶対に明かさないという重荷を自ら背負いました。仰々しい名前や称号・地位・名声は持ち出さず、私が述べることと態度で私という存在を判断してもらいたいと思ったのです。P24

 

●私たちは、特定の者だけをかわいがり、憤怒に燃えて報復したり、疫病をまき散らしたりする神に代わって、慈しみと叡智の始原としての大霊の概念を説くことに努め、それはある程度まで成功しました。また、ナザレのイエスを偉大なる人間の模範として示そうと努めてきました。そして多くの人々が、私たちの説く教えを理解してくれるようになりました。
確かに大きな成果をあげることができましたが、これから為さねばならない、もっと大きな仕事があります。 P26

 

●私たちはこれまでの成果を喜ぶと同時に、あなた方の協力を得て、さらに多くの奉仕を成し遂げるための力を授かりたいと願っております。P27

 

●私の役目は、私が所属する霊団からのメッセージをお届けすることです。この霊媒と私自身の力量の範囲内で受け取ったものを、忠実に伝達する努力を続けてまいりました。
私はただ、お役にたてばそれでよいのです。もしも私がお伝えするささやかな教えが、人生の嵐の中にあるたった一個の魂にとっての安らぎとなり、疑念の嵐をくぐり抜けてきたあとの真理の避難所となれば、あるいはまた、こうした素朴な霊的真理の聖域の中に幸せと生き甲斐を見いださせてあげることになれば、父なる大霊から仰せつかった使命の幾ばくかを成就したことになりましょう。 P27

 

●それをお引き受けして以来、私たちはずっと皆さんとともに仕事をし、今なおこうして努力しているのです。その目的は、人間は地上を去っても同じように大霊の懐の中にあって、より高い領域(霊界)において生き続けることを証明することです。それによって今地上で生活している人々に、自分が大霊の一部であることを理解していただきたいのです。 P30

 

●小賢しい人間の浅はかな考えを捨てて幼子のような無邪気さに立ち戻るまでは、この地上にあっても、あるいは私たちの世界に来ても、大した進化向上は得られません。 P31

 

●その最大の原因は、人間が物質によって霊眼が曇らされ、五感という限られた感覚でしか物事を見ることができないために、万物の背後にすべてを一つに結びつけている大霊が存在していることが理解できないからです。 P31

 

●あなた方文明人は、物質界にしか通用しないシステムの上に人生を築こうと努力してきました。教育と教養を求め、大霊の摂理からかけ離れた文明をつくり上げようとしてきました。
人間世界が堕落してしまったのは、そのためなのです。古い時代の文明が破壊してしまったように、現代の物質文明は完全に破綻状態に陥っています。 P32

 

●霊界と地上界は互いに助け合って進歩していくものなのです。 P33

 

●自分が手にした真理を次の人に伝えてあげる――それが真理を知った者の義務です。それが摂理なのだと、私は理解しております。 P35

 

●もしも私の語った言葉に得心がいかないとするなら、それはあなた方の魂がまだその真理を理解する段階に至っていないためか、それとも地上の言語では表現できない高度な内容が含まれているために、そのすべてを説明することができないということなのです。 P35

 

●地上の人間が大霊を意図した本来の生き方をするには、摂理を理解する以外にないからです。P36

 

●居眠りをしている魂を目覚めさせ、大霊の摂理にそった生き方をさせてあげるために、ともに努力しようではありませんか。それが地上の人間にとって大霊と一体となる道だからです。そうした生き方ができれば、人々の心は安らぎを覚えることでしょう。宇宙の深遠なリズムと調和し、不和も対立も消えてしまうことでしょう。そして、それまでとはまったく違った新しい生活が始まります。 P36

 

●自分が知りえたことをあなた方に授けてあげることこそ、私にとっての奉仕の道だと心得ているからなのです。知識には段階があります。その知識の段階を一つひとつ上がっていくのが進歩ということですから、もうこの辺でよかろうと、どこかの段階で腰を下ろしてしまってはいけません。人生を本当に理解するためには、その一つひとつを吸収していくほかに道はありません。このことは人生における物質的な側面に限らず、霊的な側面についても言えます。したがって物的なことに対する導きと同時に、霊的知識も与えられなければならないということなのです。あなた方は今この時も霊的世界に生きているのです。物質界での生活は永遠の人生におけるほんの束の間の時にすぎません。これが私たちからのメッセージの根幹をなすものです。
P36

 

●地上の道具が私たちの霊界の者に正しい通路を準備してくれるならば、地上界へ届けられる叡智にも、インスピレーションにも、霊的真理にも、限りはありません。地上界を満たすべく用意されている強大な霊力にも制限というものはないのです。 P37

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2020年10月用テキスト)

シルバーバーチの霊訓 十一巻 八章 「最後の晩餐」より

 

●本日もいつもの順序で会を進めることとし、悩みごとや厄介なこと、心配ごとや不安はとりあえず脇へ置いていただきましょう。そしてお互いが可能な限り和気あいあいのうちに最高のものを求めんとする願望において一つとなるよう努力いたしましょう。 P195

 

●何よりもまず“霊性”が日常生活の中で顕著とならないといけません。 P201

 

●すでに地上にもたらされている証拠を理性的に判断なされば、生命は本質が霊的なものであるが故に、肉体に死が訪れても決して滅びることはあり得ないことを得心なさるはずです。
物質はただの殻に過ぎません。霊こそ実在です。物質は霊が活力を与えているから存在しているに過ぎません。その生命源である霊が引っ込めば、物質は瓦壊してチリに戻ります。が、真の自我である霊は滅びません。霊は永遠です。死ぬということはあり得ないのです。
死は霊の第二の誕生です。第一の誕生は地上へ生を受けて肉体を通して表現し始めた時です。第二の誕生はその肉体に別れを告げて霊界へ赴き、無限の進化へ向けての永遠の道を途切れることなく歩み始めた時です。
あなたは死のうにも死ねないのです。生命に死はないのです。不滅の個霊としてのあなたはその肉体の死後も生き続け、あなたという個的存在を構成しているものはすべて存続するという事実を立証するだけの証拠は、すでに揃っております。
死後も立派に意識があり、自覚があり、記憶があり、理性を働かせ愛を表現する力が具わっています。愛は神性の一つなのです。愛はその最高の形においては神々しさを帯びたものとなります。そして、生命と同じく、不滅です。 P201

 

●その力は、とかく離反させるそうした物的相違のいずれよりも強力です。皆さんはその霊力を最大限に発揮させなければいけません。真の自己革新とは何かを知らなくてはいけません。
物的欲望に拘らないという意味で“我を捨てる”ことが必要です。それは“霊の宮”である身体を養うための物的必需品まで捨てなさいという意味ではありません。
しかし、それと同等に“永遠のあなた”である霊の属性も大切にしなくてはいけません。 P203

 

●私たちは皆さんの理性に訴えているのです。もしも私たちの言うことと態度にあなた方の知性を侮辱し理性を反発させるようなものがあれば、それはどうぞ受け入れないでください。私たちはあなた方の理性、あなた方の知性による納得を得たいのです。
その上でなら、私たちの仕事の協力者として、神の意志を地上に行きわたらせるための道具となっていただけるでしょう。そしてそれが地上平和の到来を促進することになりましょう。
かくして霊的資質を十分に発揮するようになれば、その当然の結果として、豊かさ光輝落着き決意自覚内的安らぎが得られます。なぜならば、それは神が生み出した摂理と調和していることを意味し、さらには、各自がその一部を宿している神性の大源である神そのものと一体となっていることになるからです。 P204

 

 

●そもそも死というのは少しも怖いものではありません。死は大いなる解放者です。(このあたりから“大勢いるのです”というところまで、おかしさを噛み殺した言い方でしゃべっている)死は自由をもたらしてくれます。皆さんは赤ん坊が生まれると喜びます。が、私たちの世界ではこれから地上へ生まれていく人を泣いて見送る人が大勢いるのです。同じように、地上では人が死ぬと泣いて悲しみますが、私たちの世界ではその霊を喜んで迎えているのです。
なぜならば、死の訪れは地上生活が果たすべき目的を果たし終えて、次の霊界が提供してくれる莫大な豊かさと美しさを味わう用意がこの霊に具わったことを意味するからです。 P208

 

●私はその“突発事故”という用語が気に入りません。原因と結果の要素以外には何も働いていないからです。“たまたま”と思われるものも因果律の作用に過ぎないものです。 P210

 

● 地上は冷ややかな世界です。荒涼として陰うつで暗い世界です。しかし、その中にあって私たちはそこここに愛と好意と友情の炉辺(ろばた)を見出し、そこで魂を温め、そうした地上の灯台から放たれる光輝を見る楽しさを味わうことができております。
また新参の方々には“導きを祈り求めなさい。知識を祈り求めなさい。真理を祈り求めなさい。必ずや授かります”と申し上げたいと思います。昔から“求めよ、さらば与えられん。叩けよ、さらば開かれん”と言われておりますが、これはまさしく至言です。 P215

 

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2020年9月用テキスト)

シルバーバーチの霊訓 十一巻 六章 霊界でも祝うクリスマスとイースター その本来の意味

(P158~P164)

 

●地上からいったん引き上げて、新しい光を地上へもたらすために霊力の回復を図ることを目的としております。 
P160

 

シルバーバーチの霊訓 十一巻 七章 人類の宿題――地上天国の建設

(P166~P182)

 

●総体的にみて人類はかつてより親切心と寛容心が増え、その一方において偏見と残虐行為と抑圧政策がのさばっております。これは物的宇宙の進化の仕組みの一環なのです。つまり対立する勢力が激突して、そこからより良いものが生まれ、全体として進化していくということです。気を落としてはなりません。大切なのは霊的真理と霊力とが世界の多くの土地にしっかりとした足場をつくり、退却させられることがないようにすることです。
P167

 

●それでこのたびの大事業を敢行する決断が下されたのです。それも、これまでに幾度かあったような一時的暴発に終わらせてはならないということになっているのです。ですから、いったん根づいたものは徹底的に地固めが行われ、地上の永続的な要素となっていくことでしょう。
P168

 

●落胆してはいけません。霊的知識を携えた者が絶望感を抱くようなことがあってはなりません。
P169

 

●大切なのは取り越し苦労をしないということです。心配の念は私たち霊界から援助する者にとって非常に厄介な障害です。拒否的性質があります。腐食性があります。恐れ・心配・不安、こうしたものはその人を包む物的・精神的・霊的雰囲気を乱し、私たちが近づくのを一段と困難にします。  真理を知った者は、それがわずかであっても───たとえ多くを知ったとて、無限の真理からすれば多寡が知れています───いついかなる事態に直面しても、穏やかで平静で受容的態度を維持すべきですし、又そう努力すべきです。
全生命に存在を与えている霊力より強力なものはないとの断固たる自信に満ちていなければなりません。
何度でも繰り返し申し上げられる私からのメッセージがあるとすれば、それは〝心配の念を棄てなさい。そうすれば内部に静穏が得られます。内部が静穏になれば外部も静穏になります〟ということです。
P169

 

●霊力も常に冷静・平穏・安らぎ・落ち着いた自信の中で表現されるものです。そうした心理状態が調和を醸し出し、物質の世界と霊の世界との間の障害を取り除くのです。
それとは反対に暴力は調和を乱します。激情を噴出させます。挙げ句にその反動が自分に戻ってきます。本人にとって何一つ良いことはありません。これも物質偏重思想の副産物です。
P171

 

 

●超然とした態度、俗世にあって俗世に染まらない生き方を心掛け、自分の霊的本性、神から授かった潜在的可能性を自覚して、せめて皆さんだけでも、小さいながらも霊の灯台となって、導きの光を放ってあげて下さい。
P172

 

●そもそも自由意志の授与は、人間が大自然の創造の過程に参加し、大自然の摂理と調和して生き、健康と理解と悟りを得て天命を全うするための神の計画の一環なのです。そうでなかったら進化も発展もありません。
P176

 

●地球は生命活動の場の一つに過ぎません。これからもっともっと多くの生活の場を体験することになっております。
それが永遠に続くのです。地上生活なんかいい加減に送ればよいと言っているのではありません。あなたが送るべき全生活のほんのひとかけらに過ぎないことを申し上げているのです。
その地球をよりよい生活の場とするために努力なさってください。地球は宇宙の惑星の中で最も進化の程度の低い部類に属します。が、それなりの進化の目標があります。
P177

 

●皆さんは明日のことを思い煩う必要はどこにもありません。最善を尽くして私たちに協力してくださればよいのです。
P180

 

●聖書にも〝地球とそこにあるものすべては主のものなり〟(コリント①10・26)とあります。これは人間は地上のものは何一つとして所有できない───自分のものとはなり得ないことを意味します。地上にいる間だけリースで所有しているようなものです。永遠に自分のものではありません。
地上のゴタゴタは皆が自分がいちばんいいと思うものを少しでも多く自分のものとしようとする───いちばん悪いものを欲しがる者はいません───そこから生じております。
その結果として強欲、貪欲、私利私欲が王座に祭り上げられ、物欲第一主義が新しい神として崇拝されることになります。
地上には物欲優先の副産物が、見るも痛ましいほどはびこっております。悲劇・卑劣行為・飢餓・栄養失調・残虐行為・動物実験、こうしたものはすべて物欲を優先させることから生じる恐ろしい産物です。
P181

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2020年8月用テキスト)

シルバーバーチの霊訓 十一巻 五章 “霊界からみた地上の科学”より

2020年3月19日

 

2020年4月号の“寸感”の記事を参照

 

●私たちの関心は〝霊〟が見せる千変万化の顕現の仕方に向けられているからです。(P149)

 

●オリバー・ロッジなどは現象の裏側の実在についての霊的な理解ができた科学者のよい例です。(P151)

 

光を見出すのは闇の中においてこそです。喜びを見出すのは悲しみの中においてこそです。真実の自我を見出し始めるのは、地上にはもはや頼りになるものは何もないと思えた時です。
これは人生の両極性という、魂が真の自我を見出すための原理の一つです。
果てしない宇宙に展開する生命活動の一つ一つが、規律づけられた何らかの役割をもっております。嵐も、青天と同じく、無くてはならないものなのです。
闇も、光と同じく、無くてはならないものです。人間性が鍛えられるのは苦しい試練の中においてこそです。その両極性を体験してはじめて成長しはじめるのです。
私は屁理屈を言っているのではありません。大霊がその無限の叡智によって地上の人類のために案出した進化の法則がそうなっているということを申し上げているのです。言い替えれば、必要なものは時が熟せば与えられるということです。
困難・試練・試金石・障害、こうしたものは魂がその潜在的資質を発揮するために欠かせない体験です。一種の触媒を提供してくれるのです。 
これまでを振り返ってごらんになれば、最大の窮地と思えた時に道が開かれ、真実の自我を発揮する方向へと導かれていることに気づかれるはずです。同じ道をたどった人からあなたがそうして援助していただいたように、今度はあなたが人に手を差し伸べてあげるチャンスが与えられることになるでしょう。
それが神が意図されている仕組みなのです。すなわち集団ではなく一人ひとりが自我の開発を促す永遠の真理を手にし、さらにそれを縁ある人に授けていくという仕組みなのです。
援助を求める人を絶対に拒否してはなりません。同時に、たとえ援助の手を拒否されても、それは、折角の自己革新のチャンスを目の前にしながら、その人がまだ受け入れる用意ができていなかったためにそれを生かし切れなかったのですから、気の毒に思ってあげることです。
あなたはそれだけのものを授かることができたことを喜ばないといけません。同時に、それとて、これから先あなたを待ち受けている無限の真理のほんの一かけらに過ぎないことを知ってください。まだまだ掘り起こすべき霊的財産が山ほどあるのです。人のために尽くすチャンスも数多く与えられてまいります。(P153~155)

 

私たちはそちらから提供(神の道具)していただくものより多くのものをお返ししております。それが私たちの義務なのです。扶助し支援すると同時に、人間としての基本的な必要品に事欠くことのないように計らうことになっております。それから先のことは本人が決めることです。P136参照 (P156)

 

 

私たちはあくまでも謙虚に献身してくれる道具が欲しいのです。何度も申し上げていることをここで改めて申し上げますが、献身こそ霊の正貨です。大義(真理の普及)のために献身することこそ気高いのです。なぜならその時あなたは内部の神性(霊性意識)を発揮していることになるからです。
私たちからお願いしたいのは、倫理的意識をできるだけ高く持っていただきたいということです。私は常に皆さんを成就というゴールへ向けて、ゆっくりではありますが確実に進歩するように援助しています。申し上げていることは至って単純なことです。
人間として最善(ベスト)を尽くしていて下さればよいのです。そうすれば私たちの協力のもとに、縁あって訪れてくる人の力になってあげることができるのです。(P156)

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2020年5月用テキスト)

シルバーバーチの霊訓 十一巻 五章 “霊界からみた地上の科学” & 六章“霊界でも祝うクリスマスとイースター”―その本来の意味―

2020年3月27日

 

五章“霊界からみた地上の科学”

 

●私たちの関心は〝霊〟が見せる千変万化の顕現の仕方に向けられているからです。(P149)


●オリバー・ロッジなどは現象の裏側の実在についての霊的な理解ができた科学者のよい例です。(P151)


光を見出すのは闇の中においてこそです。喜びを見出すのは悲しみの中においてこそです。真実の自我を見出し始めるのは、地上にはもはや頼りになるものは何もないと思えた時です。
これは人生の両極性という、魂が真の自我を見出すための原理の一つです。
果てしない宇宙に展開する生命活動の一つ一つが、規律づけられた何らかの役割をもっております。嵐も、青天と同じく、無くてはならないものなのです。
闇も、光と同じく、無くてはならないものです。人間性が鍛えられるのは苦しい試練の中においてこそです。その両極性を体験してはじめて成長しはじめるのです。
私は屁理屈を言っているのではありません。大霊がその無限の叡智によって地上の人類のために案出した進化の法則がそうなっているということを申し上げているのです。言い替えれば、必要なものは時が熟せば与えられるということです。
困難・試練・試金石・障害、こうしたものは魂がその潜在的資質を発揮するために欠かせない体験です。一種の触媒を提供してくれるのです。 
これまでを振り返ってごらんになれば、最大の窮地と思えた時に道が開かれ、真実の自我を発揮する方向へと導かれていることに気づかれるはずです。同じ道をたどった人からあなたがそうして援助していただいたように、今度はあなたが人に手を差し伸べてあげるチャンスが与えられることになるでしょう。
それが神が意図されている仕組みなのです。すなわち集団ではなく一人ひとりが自我の開発を促す永遠の真理を手にし、さらにそれを縁ある人に授けていくという仕組みなのです。
援助を求める人を絶対に拒否してはなりません。同時に、たとえ援助の手を拒否されても、それは、折角の自己革新のチャンスを目の前にしながら、その人がまだ受け入れる用意ができていなかったためにそれを生かし切れなかったのですから、気の毒に思ってあげることです。
あなたはそれだけのものを授かることができたことを喜ばないといけません。同時に、それとて、これから先あなたを待ち受けている無限の真理のほんの一かけらに過ぎないことを知ってください。まだまだ掘り起こすべき霊的財産が山ほどあるのです。人のために尽くすチャンスも数多く与えられてまいります。(P153~155)


私たちはそちらから提供(神の道具)していただくものより多くのものをお返ししております。それが私たちの義務なのです。扶助し支援すると同時に、人間としての基本的な必要品に事欠くことのないように計らうことになっております。それから先のことは本人が決めることです。P136参照 (P156)


私たちはあくまでも謙虚に献身してくれる道具が欲しいのです。何度も申し上げていることをここで改めて申し上げますが、献身こそ霊の正貨です。大義(真理の普及)のために献身することこそ気高いのです。なぜならその時あなたは内部の神性(霊性意識)を発揮していることになるからです。
私たちからお願いしたいのは、倫理的意識をできるだけ高く持っていただきたいということです。私は常に皆さんを成就というゴールへ向けて、ゆっくりではありますが確実に進歩するように援助しています。申し上げていることは至って単純なことです。
人間として最善(ベスト)を尽くしていて下さればよいのです。そうすれば私たちの協力のもとに、縁あって訪れてくる人の力になってあげることができるのです。(P156)

 

六章“霊界でも祝うクリスマスとイースター”


●私たち地上の霊的啓蒙活動に従事している霊団の指導的立場にある者は、キリスト教でいうクリスマスとイースターに相当する時期に霊界の奥深く帰還する習わしになっております。
 ご承知の通りその二つの祝祭はキリスト教よりさかのぼる太古において、一年を通じての太陽の勢いの変化を神の働きかけの象徴と受け止めたことがその起源です。
 太古において太陽がその輝きを最高度に発揮する時期(夏至、6月下旬、旧暦5月中旬)が“復活”(ヨミガエリ)の時、つまり大自然が讃歌を奏で、見事な美しさを披露する時とみなされました。言いかえれば、蒔かれたタネがその頃に華麗なる成長を遂げると考えたのです。
 それに呼応して冬至(12月下旬、旧暦1月中旬)があります。最高の輝きを見せた太陽が衰え始めると、大自然はエネルギーを蓄え、根を肥やしながら季節の一巡の終わりを迎えると考えたのです。来るべき夏至にその成長ぶりを披露するのに備えるというわけです。
 そういうわけでクリスマスは永い一年の巡りの終わりであると同時に、太陽の誕生、新たなる生命が地上へ誕生する、その最初の兆しを見せる時期だと、太古の人は考えました。
 この二つの時期は太古において大切な意味をもっておりました。と申しますのは、“神のお告げ”はその二つの時期に授けられると信じられたからです。あなた方現代人は太陽の持つ神秘的な影響力をご存知ありません。
太古の人はその時期に今でいう交霊会を何日にもわたって大々的に催したものでした。その時期にたっぷりと啓示を頂いたのです。
 そこで私たち霊団の指導的役割を担う者は、誕生に相当する人生で最も大切なこの時期(クリスマス)に一堂に会して祝い合うのです。その始まりは太陽の影響力への讃美ということでしたが、それは一種の象徴(シンボル)であり、実質的には生命が他の生命へ及ぼす影響力、物質が他の物質へ及ぼす影響力、惑星が他の惑星へ及ぼす影響力、などが含まれております。
 とくに一年のこの時期が選ばれたのは、私たちに協力してくれている霊たちの地上時代に属していた民族が大自然の摂理を基盤とした宗教をもっていたからです。古い時代の私たちにとっては太陽の誕生の祝いが最大の祝いでした。
それは新しい年の始まりに他ならないからです。四季のめぐりの終わりであると同時に新しいめぐりの始まりでもあるわけです。
  そうした祝いがかつて地上で催されていたことから、これを霊界でも祝うことになりました。もとより、今では霊的な意味をもつようになっております。つまり新しい生命の誕生を祝うのではなく、地上からいったん引き上げて、新しい光を地上へもたらすために霊力の回復を図ることを目的としております。
今(地上で)この仕事に従事している霊団の者は、地上時代は西洋文明を知らない古い民族に属していましたから、(キリスト教的な祝い方と違って)この時期を地上から引きあげて私たちの本来の所属界へ帰還する機会としております。

 

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2020年3月用テキスト)

シルバーバーチの霊訓 十一巻 四章 “既成宗教のどこが間違っているのか”(その2 P112~145)

2020年1月27日亀水作成

 

あなたは一人ぼっちではないのです。大軍の一員なのです。われわれの背後、見えざる次元には、多分あなたには想像もできないほど進化した霊の大集団が控えているのです。あなたも、私も、そして私達と志を同じくする者は、いつでもその援助を授かることができるのです
唯一の制約条件は、それを受け入れ吸収する能力です。霊的資質を培うほど、それだけ多くの美しさと輝きと壮大さと高潔さと光沢を身につけることになります。それが魂を刺戟して、地上への誕生とともに賜わった遺産である内部の神性(霊性心)をますます発現したいと願う気持ちにさせるのです。
うなだれてはいけません。教会や礼拝堂や寺院よりも、あなたの方がはるかに大きな仕事ができるのです。皆さんは霊力を発揮することができます。P112

 

●いえ、対象は内にも外にも存在する大霊であるべきです。その大いなる霊力(大霊)とのより緊密な関係を築くべく、先ほど述べたような真摯な願望(真摯な祈り)と精神統一を通して努力すべきです。より多くの啓示より多くの知識より多くの叡智より深い理解を求めての祈りであるべきです。そうした祈りは必ずや聞き届けられます。なぜなら、それを祈願するというその事実が、内部の神性(霊性心)の発現を促しているからです。 P113

 

●真摯な祈りは必ずその標的を見出します。皆さんが心から祈る時───“祈る” のであって何かを“欲しがる” のではありません───その祈りの念は必ず聞き届けられます。霊視能力をお持ちの方であれば、皆さんの周囲に何らかの絆、親近感、及び特殊な分野での共通の奉仕的精神をもつ霊がいつも待機しているのが分かります。祈りの念がその霊をいっそう身近なものにするのです。磁気力にも似た吸引力の法則が働くのです。祈ることによって霊がそれに応えて働きかける懸け橋(リンク)ができあがるのです。私がいつも取り越し苦労はお止めなさいと申し上げるのはそのためです。心配の念はその人の周囲の物的ならびに霊的雰囲気を乱し、私たちによる援助が届けにくくなるのです。 P114

 

●霊能者や心霊治療家が人生の辛酸をなめさせられることが多いその理由の一つは、自ら苦しんで初めて他人への思いやりの心が芽生えるからです。神の道具としての道が常に酷しく、ラクをさせてもらえないのは、そこに理由があります。 P121

 

●いかなる霊媒であろうと、その霊媒を通して語られたことにあなたの理性が反感を覚えたら、それには構わぬがよろしい。神はあなた方に理性と良識というものを与えておられます。それを使用すべきです。ドグマ(教義)というのは理性的判断なしに受け入れるべきもののことです。私は、霊的な教えは知性でもって厳しく是非を判断すべきであると申し上げております。その厳しい詮索に耐えられるものは受け入れられるがよろしい。耐えられなければ拒否なさるがよろしい。 P124

 

●地上の大半の人間が生命とは目に見え手に触れるもの(五感・唯物主義)にあると考えております。その当然の結果として、人生には深い目的などはないと信じています。 P126

 

●教義(ドグマ)というのは人間の考えによって作りあげられたものです。霊力は大霊から発せられますから、(霊力は)神性を帯びております。ですから本来は霊力による啓示(霊的摂理・霊訓)の方が教義(ドグマ)に優先されるべきなのです。 P127

 

あなたの地上生活は霊の幼稚園のようなものと思えばよろしい、真の自我である霊が私たちの世界つまり霊界での生活に備えるために、この地上で(霊的摂理の)学習をするのです
しかし現実には、あまりに多くの人間が何の備えもなくやってまいります。そのため、こちらで改めて教育しなければなりません。地上でも、学校へ行かなかった大人に基本から教え直すのは難しいものですが、こちらへ来た人間に基本的な霊的教育をするのは、それよりはるかに困難となります
死後にも生活があり、そこでは地上生活の言動の一つ一つについて責任を問われる(因果律)ということを知れば、それからの人生観は一変するに違いありません。いえ、一変すべきなのです。
聖書には“大地とそこに満つるものは主のものなり”(コリント第一:10・26)という言葉があります。一度手にしたら、霊的知識はいくら人にあげても減ることはありませんが、地上の富は、人にあげればそれだけ減ります。そこに霊的財産と物的財産の違いがあります。
物的財産(肉体も含める)はいくら貯めても、それを永久に所持することはできません。地上に生きている間だけの管理人であり預かり人であるに過ぎません。失うことがあります。盗まれることがあります。価値が下がることがあります。色褪せてきます。美しさを失います。いずれにしても、何時までも自分のものではあり得ないのです。
それに引き換え霊的財産は、いったん手にしたら永遠に失うことはありません。
 P127

 

●“真理”は必ずしもすべての人に受け入れられるものではないことを説いて───

真理は魂の方にそれを受け入れる用意ができるまでは真理として受け入れられることができません” P129

 

●受け入れる用意のできていない人に真理を押しつけることはできません。そこには必ず混乱・論争・討論・議論といったものが生じます。が、それにもそれなりの意義があります。
その混乱の中から、受け入れる用意のある人にとっての真理が出てきます。その用意というのは霊的進化の程度、発達段階によって決まります。それは各自が自分で決めていくというのが宿命です。 P129

 

●私たちのバイブレーションは速くてデリケートなので、この遅鈍で緩慢なエネルギーを操る要領を会得しなければなりません。  P132

 

●心から人のためという気持ちになれば、必要なものはそのうち必ず揃うものです。霊的なものを優先した仕事をする人は必ず私たちが援助の手を差し伸べていることを知ってくださるはずです。  P132

 

●そこで、幼な子のごとき素直さで持って問題の核心(摂理への適合)に一直線に突き進む態度が要請されることになるのです。  P133

 

私はここで満身の力を込めて断言いたします。真理普及という大義に身を捧げておられる皆さん方は、宇宙最大の力(霊力)、生命力そのものの援助にあずかることができるのです。それ(援助にあずかること)はもはや義務ともいうべきものと心得るべきです。 すなわち、それ(霊力)を賢明に、 有意義に(絶えず努力して)使うのです。あなたの生活の範囲内で触れ合う人たちの全てに導きの手を差しのべるのです。もしもその手が拒絶されれば、それはそれでよろしい。その人の思う道を進ませてあげればよろしい。
その辺の判断はあなた方自身の叡智の光と良識に照らしてなさるがよろしい。動機がすべてを決します。動機が正しければ、いかなる事態が生じようと最後は必ず勝利します。
人生には二つの大切な要素があります。一つは(霊的)知識であり、もう一つは信仰(信念)です。
(霊的)知識の裏付けのない信仰は〝折れた葦〟(マタイ12・20その他)のようなもので、いざという時に頼りになりません。が、(霊的)知識に信仰を上のせする───これが最高の組み合わせです。 P136

 

霊的な進歩は着実でないといけません。近道というものはないのです。一歩一歩をしっかりと足固めしながら進まないといけません。一歩進むごとに次に進むべき方角が開けます。
これまでに啓示していただいたものを基盤にして,ひとまずそれに甘んじるのです。そしてもしも疑問が生じたら───きっと生じるものです、あるいはもしも疑念が湧いたら───必ず湧くものです、そしてもしも困難が厄介な頭をもたげはじめたら、慌てず我慢するのです。霊の力は物質に勝ることを忘れないことです。霊界から働きかけやすい条件さえ提供してくれれば、いかなる障害も、いかなる困難も、いかなるハンディキャップも、霊の力で克服できないものはありません。  P138

 

●俗世の悩みに襲われ、暗闇に閉ざされて気が滅入り、疲れ果てあるいは塞ぎ込みそうになった時は、霊的知識を手にした皆さんは、このまま野放しにしたら地上を破滅状態に陥れかねない物質第一主義の風潮に挑む、戦いの中の戦いに選ばれた霊の大軍の一員であることを思い出して、奮い立たないといけません。  P139

 

●私たちが生命の実在について霊的な実感をもたらしてあげるために行っている仕事の背景には、そうした事実があるのです。その目的はそうたやすくは達成されません。
なぜなら、こうした教訓は困難・危機・病気・死別等を体験して初めて学べるものだからです。絶望の底に叩き落とすような苦悩でありながら、実は真実の自我を見出すための手段なのです。

P141

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2020年1月用テキスト)

シルバーバーチの霊訓 十一巻 四章 “既存宗教のどこが間違っているのか―キリスト教を中心に”より (その1 P84~P112)

 


●地上世界の問題の大半が物質中心の考え方に起因しております。物的欲望は地上界を毒する悪性のガンです。P86


●人間はいつかは必ず自己革新(本当の自分を知ること:霊的覚醒)の過程を経なければならないものです。自分を救うのは自分でしかないのです。誰も救ってはくれないのです。P86


●神の摂理は完璧ですから、地上の人間が一人の例外もなく、生涯に一度は必ず“真の自分”を見出すチャンスにめぐり会えるように配慮されております。P100


●これまでも決してラクな道ではありませんでしたが、使命を担った者にラクな道はないのです。もしも使命を担った者が降りかかる困難を克服できないとしたら、地上の寄生虫的営利第一主義に対抗して霊界から挑んでいるこの霊的大戦の将校としては失格であることになります。P97


●理性の芽生えとともに良心の声が次に取るべき行為を指示します。その指示を素直に受け止め、なるほどと納得がいったら、何をおいてもその指示に従わなければなりません。それが原理です。P102


●大切なのは真理(霊的摂理)がその人の自我(本当の自分:霊魂)に居場所を見出すということです。前にも申した通り、霊的なつながりは、いったん出来上がったら二度と切れることはありません。それをこしらえることが、霊力が地上へ顕現していくためのチャンネル、つまり(霊力の)通路をこしらえることになるのです。P104


自分が理解したかぎりの真理に照らして行動する以外に生きる道はありません。それ以上のこともそれ以下のことも求められることはありません。何度も申し上げておりますように、自分としてのベストを尽くすことですそれ以上のことができるわけがありませんし、又それ以下のことをすべきではありません。P104


●その点あなた方は光栄にもその強大な霊力の保管者であり頒布者でいらっしゃいます。P105


【神の定義】
●大霊は人間が考えるような意味での人物的存在ではありません。P88


●大霊は宇宙最高の力、無限の知性、愛、慈悲、叡智、要するにありとあらゆる霊的資質の原理の総合的化身です。P89


●大自然の摂理はありとあらゆるものを包摂しております。こうした事実は、その背後に崇高なる知性が存在してそれが摂理を生み出し、万物の全側面と全活動を維持・管理していることの証ではないでしょうか。同時に又、その全摂理を通じて愛が支配し、したがって完全なる公正がいきわたっているに違いないことを暗示してはいないでしょうか。悪いことをすればそれ相当の罰が与えられるように、善いことをすればそれ相当の報いがもたらされます。P89


●あなたは“人間性”を問題にされましたが、神はあらゆる人間に内在しているという意味では人間性があると言えます。が、神は摂理であるという意味においては非人間的存在です。P90


●大霊は個的存在ではありません。大霊は個人が神格化されたものではありません。大霊は個性を超越した存在です。摂理・愛・叡智・真理の粋です。巨大な宇宙で休みなく作用している無限の知性です。P94


●あなたは大霊であり、大霊はあなたなのです。その違いは種類でも本質でもなく顕現の度合いに過ぎません大霊は完全の極致です。あなたはそれに向かっての努力を限りなく続けるわけです。したがって大霊は内部と外部の双方に存在するわけです。あなたが愛・寛容心・慈悲・哀れみ・仁といった神性を発揮すれば、その時あなたは大霊と通じ合っていることになります。なぜなら、あなたを通じて大霊が表現されているからです。P95


●今あなたは神を大自然の法則と同一視しているとおっしゃいました。しかし神は大自然の法則よりもっと大きい存在です。なぜなら、その法則を支配しているのが神だからです。神とはその自然法則と同時にそれが作動する仕組みをもこしらえた無限なる知性です。P107


●しかし神は、あなた方が想像するような個的存在ではありません。あなた方が存在するような人物的存在ではありません。神とは非人間的存在でありながら同時に人間性のすべてを表現する存在です。
これはあなた方には理解できないでしょう。神はすべての生命の中に宿っています。その生命(霊力)が人間という形で個別性をもつことによって、神は森羅万象を支配する法則としてだけでなく、個性をもつ存在として顕現したことになります。ですから、神を一個の存在としてではなく、無限の知性と叡智と真理を具えた実在そのもの、人間に想像しうるかぎりの神性の総合的統一体と考えて下さい。それは男性でもなく女性でもなく、しかも男性でもあり女性でもあり、個性というものを超越しながら同時にあらゆる個性の中に内在しているものです。
神は万物の内側にも外側にも存在しています。神から離れては誰一人存在出来ません。神から切り離されるということがありえないのです。あなたの中にも存在しますし、雨にも太陽にも花にも野菜にも動物にも、その他いかに小さいものでも、存在を有するかぎりはすべてのものに宿っているのです。私が大霊と呼んでいるこの神の概念を伝えるのは至難のわざです。あらゆるものを支配し、あらゆるものから離れず、存在するものすべてに内在している崇高な力(霊力)です。 P107

上記【神の定義】のマトメ


● 人間の考えるような人物的な存在ではありません。が、人間性があり、同時に非人間的存在です。


● 無限の知性を具えた実在として摂理(法則)を生み、その全活動を維持・管理しています。その全摂理に通じているのが愛であり完全なる公正です。

● 宇宙最高の力、無限の知性・摂理・叡智・真理・愛・寛容心・慈悲・哀れみ・仁などの神性の総合的統一体であり完全の極致です。


● 存在するものすべてに内在している崇高な力(霊力)で、万物の内側にも外側にも存在しています。


● その生命(霊力)が人間という形で個別性をもつことによって、神は森羅万象を支配する法則としてだけでなく、個性をもつ存在として顕現したことになります。

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2019年11月用テキスト)

シルバーバーチの霊訓 十一巻 三章 “心霊治療 ―霊的覚醒のための手段”

 

●もしも身体は治っても魂を目覚めさせるまでに至らなかった時は、それは残念この上ないことです。その患者は霊的真理に目覚めるチャンスを目の前にしながら、それを手にすることができなかったことを意味するからです。 P62

 

●地上界は今とても病んでおります。あまりに多くの人が調和の乱れた生活環境が生み出すストレスと不自然さによって病気になっております。
みずから〝文明〟と呼んで誇っているものが実は、本来ならエネルギーを供給してくれる大自然から人間を絶縁させているのです。
そのために人間のバッテリーである魂が枯渇しており、それを霊の力によって再充電してあげなくてはならないわけです。それが功を奏してバッテリーが働き始めると、身体と精神と霊との間に調和が戻ります。それが健康です。神はその無限の叡智によって、人体の骨格及びその関連器官を、霊の自然治癒力が働くようにこしらえてあるのです。
その身体と精神と霊という三位一体の関係が乱れた時に病気になるのです。健康とは全体の調和状態のことです。 P63

 

●心霊治療の肝要な点は、治療家自身が苦痛を体験していて、訪れる方々に対する思いやりの心が培われていることです。それが摂理の働く唯一の道なのです。 P63

 

●平穏の有難さが分かるのは嵐の中においてこそです。晴天の気持ちよさが分かるのは雨の日があるからです。このようにすべてが両極の原理で成り立っているのです。もしも全体が光ばかりだったら、光の有難さは分かりません。そうした違いが分かり自然の摂理の素晴らしさが分かるのは、そのコントラスト、比較対照の原理のお陰です。
 そこで苦しみがあるのです。苦しみの中において霊性が目を覚まし、その結果として治病能力が開発され、自分のもとを訪れる人の苦しみも分かるのです。 P64

 

●霊的に治る段階まで来ている人とそうではない人とがいるからです。しかし、治りさえすればよいのではありません。心霊治療の試金石は魂を目覚めさせるか否かです。 P64

 

●身体上の病だけが良くなった場合は、心霊治療としては失敗だったことになります。本当は魂が目を覚まして活動を開始するようにならないといけません。 P66

 

●もしも人生が一本調子のものだったら、もしも光だけで闇がなかったら、もしも楽しいことばかりで苦しいことがなかったら、食べるものに事欠かず空腹というものを知らなかったら、その光も、楽しいことも、食べられることの有難さも分からないはずです。
人生の目的と可能性についての理解をもたらしてくれるのは、その両極性です。愛と憎しみは正反対であると同時に相等しいものです。愛を憎しみに変えることができるように、憎しみを愛に変えられることもできます。
鋼(ハガネ)が溶鉱炉から取り出されて鍛えられるように、金塊が製錬されて初めて純金となるように、ダイヤモンドが磨かれて初めて輝きを見せるように、魂も辛酸をなめて初めて真の自我に目覚めるのです。それ以外に、地上で魂が目覚めそして活動を開始するための手段はありません。
苦痛や困難は不幸なことのように思われがちですが、本当はそうではありません。各自の霊的進化にとってそれなりの役割があるのです。P67

 

●身体上の病いも大半は内部の不調和が外部に現れているにすぎないものです。
 今の地上には過度の緊張やストレス、欲求不満から生じている病気や(精神の)異常が増えております。純粋に身体に起因している病気はほとんどありません。 P69

 

●治療が成功したと言えるのは、患者が霊的な受け入れ準備ができていて魂が感動を覚えた時のみです。その時初めて霊的覚醒がもたらされるのです。それ以外は単なる身体上の反応にすぎません。それが一時的な場合もあれば、それきり全治してしまうこともありますが、肝心なのは患者の霊性への影響です。 P70

 

●患者の中には前世から持ち越したカルマ的状態によって病を得ている人がいます。
その因果関係が完全に解消されていない場合は、治療が表向きは失敗したような結果となります。もしも完全に解消されていてそれ以上カルマが出なくなっていれば、治療が効を奏するわけです。それが“魂に受け入れの用意ができている”ということです。 P70

 

●病気が生じるのは二つの理由があります。
一つは霊と精神(心)と身体の調和によって健康が維持されている、その調和が崩れていることです。もう一つの可能性はいわゆるカルマです。地上でしか償えない前世での出来事があって、それがまだ解消されていないということです。 P71

 

●身体上の症状が取れただけではまだ目標は達成されていません。目標は霊的覚醒にあるのです。 P74

 

●あなたは神の意図された通りのイメージにしたがって行動して内部の神性を発揮することもできますし、低級な感情と欲望の赴くままに生き、永遠の持ちものとはならない俗物を求めるだけの人生で終わることも許されます。それは神が地上の人間のすべてに与えられた自由選択の権利です。 P75

 

●人生の視野を変え、知識を基盤とした信念(信仰)を持つように指導してあげないといけません。何の根拠もない信念は砂上の楼閣のように、あっさりと崩れてしまいます。知識の上に築いてこそ永続きするのです。
その点、皆さんは霊力の証しをご覧になっておられる光栄な方たちです。無限なる力によって案出された崇高な知的計画があることを実感をもってご存知です。その計画はあなた方一人一人を包摂しております。そうした意識をお持ちである以上、常に前途に希望を抱き、楽観して、憂うつや恐れという暗闇を近づかせないようにすべきです。
P76

 

●もしも悩みも困難もなかったら、あなたはこの世にいらっしゃらないでしょう。なぜなら、それを処理するために地上へ来ていらっしゃるのですから。 P78

 

●身体的には良いことかも知れません。が、霊的には必ずしも良いこととは言えません。皆さんより永い人生体験をもつ霊界の存在という有利な立場から申し上げれば、もっとも大切なのは霊的にみて良いことかということです。 P80

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2019年10月、11月用テキスト)

シルバーバーチの霊訓 十一巻 二章 “霊媒的能力”――霊的知識を得るための必須の手段

 

1

●実はあなた方みずからが、ここぞという時に陰から(背後霊の)援助を受けておられることを必ずしも気づいていらっしゃいません。死は情愛によって一度つながりのできた人との間を裂くことはできません。そのことはあなた方みずから説いていらっしゃることですから、日常の生活においてもそれを常に念頭に置いた心掛けが大切です。P26

 

だからいいのです。挑戦・障害・困難・失望・焦燥といったものに遭遇しないといけないのです。その中には本来そういうものを引き起こしてはならないはずの人たちみずからが引き起こしているものも、よくあります。しかし、同じ問題で私たち霊団の者も常に悩まされているのです。P27

 

●こちらへお出でになってから地上生活を振り返ってご覧になれば、ラクだったことには何の感慨も覚えずに、むしろ苦しかったことに感謝なさるはずです。ラクだったことはどうでもよかったことばかりです。P28

 

●今あなたは霊媒の不足を口にされました。しかし人類の現在の進化の段階において必要な霊媒は十分に用意されております。もっと必要な段階がくれば、さらに多くの霊媒が用意されることでしょう。もっとも、そうした配慮がなされているという事実が必ずしもスピリチュアリズムの組織の視界に入るとはかぎりません。ささやかなホームサークルの形を取ったり、個人で独自の手段で行われる場合もあります。
そういう人たちは自分のことをスピリチュアリストであるとか、霊媒であるとか、霊能者(超能力者)であるとは思っていないかも知れません。P29

 

●別の日の交霊会で、かつては物理的心霊現象が盛んに見られたのが今日では珍しくなってきたのはどういうわけかと尋ねられて───

それは物的側面の進化の法則だけでなく霊的側面の進化もあるからです。地上世界の思想的動向は当初と今とでは大きく変化しております。霊的実在を物的手段で証明して見せなければならない時代には物理的心霊現象が必要でした。当時の科学者は物的ものさしで計れないものを受け入れる用意ができていなかったのです。P57

 

●その時点において是非とも必要とみたものは必ず用意してあげます。ただし、それは私達霊界側の法則にのっとって私たちの判断でタイミングを計って行います。人間界の都合に合わせて行うわけにはいかないのです。
こう申しては失礼かも知れませんが、霊力をいつ行使するのが適切かの判断は、あなた方人間にはできません。すべて当人の魂の発達程度によって決められるのです。もし受け入れる用意ができていると見た時はただちに行います。もし受け入れる段階ではないと見た時は、私たちにはなすすべがないのです。P30

 

●が、あなたがもし私と同じ位置に立って眺められたら、明日はどうなるかについての一切の心配も恐れも不安も消えてしまうことでしょう。あなたの背後には宇宙最大の霊力が控えているのです。その力は決して裏切りません。P30

 

ご自分で精一杯のことをする───私たちから皆さんに要求するのはそれだけです。もしもあなたが完ぺきに振舞える方だったら今この地上にはいらっしゃらないでしょう。
あなたは他人のために役立つことができるという測り知れない光栄に浴していらっしゃいます。それがあなたにとって地上における最大の貢献です。あなたはそのために生まれて来られたのです。P31

 

●これまでの永い人類の歴史において、散発的に何度か霊力の奔流が地上へ流れ込みましたが、さまざまな原因からいずれも一過性のもので終わりました。が、このたびばかりは違います。P32

 

あなたの人生思想の根幹となるべき霊的知識にまず絶対的自信を置くことです。そしてその知識だけでは処理できない事態が生じた時は、それに信仰(信念)を加えるのです。
手にされた知識を根拠とした信仰です。信仰心も、筋が通っていて論理性があり、納得のいくものであれば、それなりの効用はあるものです。
背後霊の存在を信じることです。機が熟した時に必要な援助があります。条件が整い、正当な必要性がある時は、背後霊は地上に物的な結果を生じさせる力があります。私たちもそれを何度もお見せしてきました。これからも必要に応じて行使します。
霊的知識を人に説く時は、背後霊は決して見棄てないことをよく言って聞かせてください。
ですから、人間の方から背後霊を見棄てないように、ということも言い添えて下さい。P33

 

●霊の道具としての仕事に励んでいる者は、物的生活の必需品に事欠くことには決してなりません。こちらから用意してあげます。飢えに苦しむようなことにはなりません。渇きに苦しむようなことにはなりません。きっと何とか切り抜けられるものです。P33

 

●霊の崇高な力、宇宙最高の力、光輝と美と荘厳さと威力に満ちたエネルギー(霊力)についてはすでに十分な証しをお見せしております。それは絶対に裏切ることはありません。
あなた方は人間としての最善を尽くしておればよいのです。それ以上のことは要求いたしません。そして今のラテン語の通り、決して悲観的にならないことです
皆さんは太陽の光をご覧になられたのです。もしもそれが雲によって遮られた時は、その雲はいつか消えて、また明るい太陽が顔をのぞかせるのだと自分に言い聞かせるのです。あなたの目に見えなくても太陽は常に照り輝いているのです。P34

 

●私たちはみんな幸せ者です。自分を豊かな存在としてくれている霊的知識の所有者だからです。P35

 

●霊的指導者の人生は全て同じパターンをたどります。むごい仕打ちを受ける試練の時期があります。基盤としていたものが全て瓦礫したかに見えて、悲哀が身に染み煩悶する危機的な時期もあります。もはや導きと理解を求めるところはいずこにも無いかに思うことがあるものです。
いやしくも人のために生涯を捧げる使命をもつ者は、過酷な試練を体験しなければならないのです。もはやこれ以上は耐え切れないと思うギリギリの淵まで追いつめられ試されなければならないのです。地上のいかなる者からも救いの手は差し伸べてもらえないと思える深淵まで落ちてみなければならないのです。
それに至って初めて魂が目を覚まし、霊界から届けられる豊かさと力と導きと叡智と愛とを受け入れる用意が整うのです。過酷な体験の目的は慈悲の心を芽生えさせることにあるのです。
なぜかと言えば、慈悲の心なくしては霊覚者も治療家も真の意味で人を救う仕事はできないからです。
それしか方法がないのです。太陽が燦々と輝き、何不自由ない安楽な生活の中で、果たして自我の開発が望めるものでしょうか。試練を経ずして魂の崇高性が発揮されるでしょうか。何一つ学ぶことのない生活を送っていて、一体どういう精神的発達が望めるでしょうか。P35

 

●そのうちあなたも地上生活を振り返って“厄介な問題こそ有難かったのだ。あの苦労があったからこそ人生の目的を悟り自我の開発の道が見出せたのだ”と思われる日が来ることでしょう。P36

 

人生の出来事の一つ一つに償いがあり、差引き勘定がきちんと行われるようになっております。神には絶対に手違いというものがありません。(因果律)
過去を振り返ってご覧になれば、この道にたずさわる他の全ての同志と同じく、あなたの人生も間違いなく霊の導きにあずかっていることがお分かりになります。P36

 

●他に類のない地上最強のエネルギーの通路となっておられることは名誉なことです。あなたを通じてそのエネルギーが流れるのです。あなたを鼓舞するのです。そのお陰で、寄る辺ない身の上をかこつ人々を元気づけてあげることが出来るのです。P36

 

●───優れた霊媒になるためには苦しまねばならないのでしょうか。苦労の連続で生涯を終えている霊媒を数多く知っております。私はスピリチュアリストとしての生活を心掛けてきましたが、霊媒になりたいとは思いませんでした。それが子供を失ってからその気になりはじめました。

 光を見出すのは暗闇の中にあってこそです。人生は全て両極性です。苦労なしには魂は自我を見出すチャンスがありません。苦難がその触媒となるのです。霊的に向上し、霊的資質をより多く具え、喜んで人のために自分を犠牲にする覚悟ができるようになる、その手段として(苦難が)用意されるのです。P37

 

●───物質中心の考えをしているために、一生涯、霊的なものに気づかずに終わる人が大勢います。

そういう人のことを気の毒に思ってあげないといけません。せっかくの地上人生を無駄にしたのです。真の自我(本当の自分・霊魂)を見出せずに終わったのです。それはちょうど正規の義務教育を受けながらそれが身につかず、卒業後の大人の人生に何の備えもないまま学校生活を終えたのと同じです。
地上は死後に否応なしに始まる次の段階(霊界)の生活にとって不可欠の準備をさせてくれるところです。P41

 

常に堂々と胸を張って生きることです。なさねばならないことが沢山あります。悲しいことですが、霊的真理を知らない人が無数におります。その人たちをわれわれが何とかしてあげないといけません。P42

 

●あなたは、霊的能力(霊力の通路)を開発していない他の人々には出来ない貢献ができるという、測り知れない光栄を担っておられます。毎日のように到来する素晴らしい好機を前に、あふれんばかりの喜びを覚えてしかるべきです。
しかし同時に、(霊的)知識には責任が伴うことを忘れてはなりません。あなたには崇高な(霊的)真理が託されているだけではありません。崇高な力、神の力、あらゆる可能性をもった生命力(霊力)そのものも託されているのです。
自分を改造し、生きる意欲を覚えさせてあげる、そういうお手伝いをするということは、大変な責任を伴う仕事です。ですから、あなたが迷うことがないように霊界からの導きがあります。きっと道は示されます。迷うことなく突き進みなさい。一日一日が霊的高揚(霊的成長)の源泉となる奉仕的仕事の機会をもたらしてくれます。P43

 

●そして又、こうして協力している私たちの姿が見えず声は聞こえずとも、私たちはこれからもあなたを見守り、導き、元気づけ、支援していくことを信じて下さい。P44

 

そのカギは魂の覚醒にあるのです。大部分の人間の魂は居眠りをしております。活動していないということです。内在する神性の火花を煽らないことには魂の啓発はできないのです。
その点火の触媒となるのが危機的体験であり、悲しみであり、別離であり、病気なのです。
 人生は相対性の原理ででき上がっております。スペクトルの両極、コインの両面、あなた方が“善”と呼んでいるものと“悪”と呼んでいるもの、という具合です。いかなる経験にも魂を目覚めさせる上で役立つものを含んでおります。バラ色の人生ではだめなのです。先ほど述べたような触媒によって魂の琴線に触れるところまで行かないとだめなのです。P45

 

●私たちは霊的な世界から物的な世界へ向けて影響力を行使しなければなりません。そのための通路として霊媒を使用しなければなりません。P47

 


●確固たる霊的知識に裏打ちされた完ぺきな信頼と自信と信仰(信念)とがある時はその(霊力の)通路が開いており、受容性が高いのですが、そこへ不安の念が入り込むと、とたんに雰囲気が乱れて、通路を塞いでしまう要素が生まれます。
取り越し苦労は無知の産物です。霊的知識をたずさえた者が不安の念を抱くようなことがあってはなりません。同じく、悩みの念も、その中身が何であれ、成就されるはずのものを成就されなくしてしまいます。
私は何時も交霊会の開会に際してこう述べています─── “心配、悩み、疑い、不安の念のすべてを、しばし、わきへ置きましょう”と。霊力が存分に、そして自由に流入するのを、そうした念が妨げるからです。
私たちを信頼してください。きっと道をお教えします。扉を開いて差し上げます。閉め切られた扉をノックしてみて開かない時は、あきらめることです。ノックしてみてすぐに開いた時は、真っ直ぐに突き進まれるがよろしい。それがあなたにとって正しい道なのです。私たちとしてはそういう形でしか援助できないのです。良い知恵を絞って導いてあげるということでしか援助できないのです。(人間的努力の範囲まで踏み込むわけにはいかないということ───訳者)P47

 

●あなたのお蔭で人生の視野が一変することによってどれほどの恩恵がもたらされるか、あなたご自身にはお分かりになりません。あなたのお蔭で霊的知識という掛けがえのない啓示がもたらされております。
そのあなたが落胆したり明日はどうなるかなどという不安をいささかでも宿すようなことがあってはなりません。あなたはすでにこれまでも数々の危機をくぐり抜けてこられました。これからもイザとなれば必ず道が開けます。
あなたは霊力の通路なのです。あなたが存在することによって成し遂げられてきたことを誇りに思うべきです。同時に、あなたの協力のもとにこれから成し遂げられていく仕事を自覚なされば、なお一層誇りに思うべきところです。P49

 

霊的実在についての知識を手にした者は、不安・心配・悩みの念を宿すようなことがあってはなりません。この種の感情は陰湿な性質を帯びております。活力に満ちた霊的エネルギーが届けられる通路を塞いでしまいます。生き甲斐ある人生にとっての必須の要素(霊力)が流入する上で不可欠な調和状態(霊、精神、肉体の三位一体)を妨げ、乱してしまいます。
視点を何時も永続性のある価値をもつものに置くことが大切です。そして、受け入れる用意のできた人に、いかに生きれば、本来自分のものであるべき生命の豊かさを味わい、地上に借り(カルマ)を残さずに済むかを教えてあげる必要があります。
地上を見渡してみますと、霊的に貧しい人が無数におります。物的な貧しさゆえに悲しい思いをすることがあるのは地上の常ですが、霊的な貧しさを見るのも同じく悲しいものです。P51

 

●そういう人助けをするための霊的才能を授かるには、みずから苦しみと悲しみを味わうという条件が付きものなのです。霊の道具としての自覚をもつに至るには苦を体験しなければならないということです。
苦の体験の本質は霊的才能を手段として仕事をする者の試金石です。それを耐え抜いて初めて自分のもとを訪れる人の力になってあげることができるのです。P52

 

●あなたはこの道に献身するために生まれてこられました。これまで立派に献身され、今も献身なさっておられます。そうした素晴らしい霊の力の通路となっておられる方とお話しできることは私にとってこの上なくうれしいことです。
その通路のお陰で霊力が、受け入れる用意のある人に豊かな恩恵をもたらします。受け入れる用意ができていなければ、その通路としてのあなたにも為す術がありません。
ある人があなたのもとへ導かれてきたということは、その方にとって掛け替えのない、真の自我(本当の自分・霊魂)発見のチャンスが目の前にあるということです。P53

 

●そうした現実の中にあって、たった一人でも魂が感動し、ゆっくりではあっても真の自我(本当の自分・霊魂)に目覚めていく、その手段となるたびに、あなたは貴重な貢献をしていることになるのです。
私たち霊団の者が四苦八苦の末にこうして地上へ戻ってくる理由もそこにあります。地上人類は道を見失い、物的利己主義と貪欲と強欲の沼地に足を取られ、それが戦争と暴力と憎しみを生んでおります。P54

 

●皆さんは気落ちしたり悲観したりする必要はどこにもありません。信念(信仰)に基づいた希望に胸をふくらませて、常に楽観的であらねばなりません。その信念(信仰)が盲目的であってはなりません。
理性的検討を加えずに安直に信じているのではいけません。生命が永遠の霊的実在であるとの、もはや争う余地のない事実を基盤とした信念(信仰)であらねばなりません。P54

 

●何ごとも自然ということが大切です。気負わず、受身の心境になり、迷ったり不安に思ったりせず、信念(信仰)を持つことです。ここまで導いてくれた霊の力はこれから先も裏切ることはしません。あなたをしっかりと保護している愛の腕がほどかれて、あなたをおっぽり出すようなことは致しません。
あなたはあなたなりに自然に振舞ってください。そうすれば霊側としての役目を果たします。その準備としてまず、“静寂の時”を持つように心掛けて下さい。日常生活の喧騒から離れた状態へ身を引くのです。すると内部の霊力がより大きく顕現して、人のために仕事をする上で必要な落着きと調和と愛と寛容が整います。
あせってはいけません。じっくりと構えるのです。P56

 

心配してはいけません。心配の念はロクなものをもたらしません。心配の念は魂を蝕みます。心配の念は精神も錆びつかせます。心配の念はせっかくの霊的援助の通路を塞いでしまいます。P59

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2019年9月用テキスト)

シルバーバーチの霊訓 十一巻 一章 “シルバーバーチの自己紹介”より

 

1

●霊界の上層部には〝神庁〟とでも呼ぶべきものが存在します。それに所属するのは格別に進化をとげた霊、高級神霊です。その仕事は立案された創造進化の計画を円満に進展させることです。その神庁から私にお呼びが掛かり、これまでの進化で私が得たものを一時お預けにして可能な限り地上圏に近づき、その高級指導霊たちのメッセンジャーとして働いてくれないかとの要請を受けたのです。
私の役目はその指導霊たちの教えを取り次ぎ、一人でも多く、受け入れる用意のできた人間にお届けすることです。私は喜んでその要請をお引き受けしました。それが半世紀近くにもわたってたずさわってきた私の使命なのです。 P12

 

●私にとって困ったことが一つありました。地上との接触(コンタクト)には霊界の霊媒が必要だということです。私自身が直接地上の霊媒と接触することは不可能だったのです。それは、私が到達した進化の階梯(光り輝く存在P20)と霊媒のそれ(肉体)とが違いすぎて波長が合わないからです。そこで私はもう一人、変圧器(トランス)に相当する者を必要としたのです。
指導霊たちが用意してくれたトランスは地上でレッドインディアンに属していた霊の霊体でした。私に授けられる教えを地上へ(音声として)伝達するための中間の媒体(霊体)として、それが一番適切だったのです。 P13

 

霊界入りする人間すべてについて言えることですが、インディアンも因果律に直面させられ、地上生活での出来事のすべてについて償いと罰とを受けました。(原因と結果の法則)
自然の摂理から逃れられる人はいません。 P14

 

●私たちがお届けするのは神の叡智インスピレーションの宝庫から取り出した崇高な真理です。といって私たちはそれを無理にも信じていただこうとは思っておりません。 P15

 

●人生には何ごとにも二面性があります。光があれば闇があります。安らぎがあれば苦労があります。もしも晴天の日ばかりだったら、晴天の有難さは分からないでしょう。時にはイヤな思いをさせられる体験を通して、ある事を学ばされることがあります。
いずれ皆さんもこちらへお出になって地上生活を振り返った時は、きっとこう思われることでしょう。“いちばん大切な教訓を学んだのは生活がラクだった時ではなく、嵐が吹きまくり雷鳴が轟き稲妻が走り太陽が雲にさえぎられて、すべてが暗く絶望的に思えた時だった”と。魂が内在する可能性を発揮するのは逆境の中にある時こそです。のんきな生活の中では霊性は磨かれません。苦しい道こそ有難いのです。その道を歩み続けるうちに、見慣れた道路標識や目印(伝統的な宗教儀式、迷信的概念、生活慣習等)が後へ後へと残されていきます。が、心の奥では自ら見出して真理を土台とした信念がますます深まりゆくものです。

 

(別のところでは“霊的進化の旅は孤独なものです。が、行くほどに内なる喜びで心が満たされてまいります”と述べている───訳者) P16

 

過ぎ去ったことは忘れることです。すでに後ろのものとなりました。前にあるものが大切です。言うまでもなく、今あなたが味わっている結果を生み出した原因は過去にあります。しかし同時にあなたは、これから結果を生み出す原因を今作りつつあるのです。
良いタネを蒔くように努力なさることです。
月並みなことを申すようですが、やはり真実です。取り越し苦労はいけません。心配は無知から生じます。真理の光の中で生きることです。
地上というところは、あなたがこれまで大勢の人にいろいろとお世話になったように、他人のために自分を役立てるためのチャンスを与えてくれるようになっております。道は必ず開かれます。あなたは人間である以上いろいろと間違いを犯します。弱点をお持ちです。
長所ばかりではありません。人間味の本質は欠点があるということなのです。だからこそ地上へ来ているのです。
その地上において完全を成就するということは不可能です。しかし、いずれは生活することになる次の世界に備えて、その地上にいるうちに教訓を身につけていくのです。 P17

 

●ただ、あなた方地上の人間に比べれば幾らかは年季が入っておりますので、私を豊かにしてくれることになった霊的真理を幾つか知っております。
その知識を受け入れる用意のできている地上の人たちと分かち合うために、私はこれまで辿ってきた道を後戻りしてまいりました。 P18

 

●幸いなことに私は、地球浄化の大事業の推進に当たっている霊団からの指示を仰ぎつつ真理を語ることを許されています。
その霊団がいわば大本営なのです。霊界の政庁に属する高級神霊たちであり、造化の大霊の意志の推進という重責を担っているのです。 P18

 

●絶対に裏切ることのない霊的摂理と真理とをお教えするためです。
人間が地上を仮の宿とした霊的存在であることをお教えして元気づけてあげたいと思っているのです。その真理の啓示を受けられた皆さんは幸せ者です。その啓示によって人生の視野が一変したことを感謝しなくてはいけません。 P19

 

●その教えの中には貴重な真理がぎっしりと詰まっているのですが、問題はその価値を知るにはそれだけの受け入れ準備ができていなければならないということです。 P19

 

●交わる相手や仲間はみな“光り輝く存在”です。 P20

 

●私にもこれまで数多くの挑戦すべき課題と困難とがありました。しかし、私はそれを堂々と受け止めてまいりました。なぜなら、背後に控えてくださっている霊の力をもってすれば何事も必ず克服できると信じたからです。 P21

 

●あなたも人の力になってあげられる得異な立場にいらっしゃいます。教会や礼拝堂といった施設よりも、あるいは科学者や経済学者などよりも大きな貢献ができるお仕事です。宇宙の崇高なエネルギーである霊力の通路となる、掛け替えのない贈物を手にしていらっしゃいます。
霊力は生命の大霊から届けられるのです。霊なくして宇宙には何も存在できません。無限の生命現象を生んでいるのは霊なのです。その霊の力のもとで人に役立つ仕事にたずさわれる身の上を幸せに思ってください。 P21

 

しっかりと背筋を伸ばすのです。うなだれてはいけません。霊力は決して見棄てません。P23

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2019年7月用テキスト)

十巻 十章 “質問に答える”

1

 

●宗教とは宇宙の大霊すなわち神の御心に一歩でも近づくことになるような生き方をすることです。あなたの行為の中に神の御心が表現されることです。要するに宗教とは人のためになる行い(神の心)をすることです。P174


●がしかし、イエスの教えの肝心要は“愛”です。“己を愛する如く隣人を愛せよ。汝に敵対する者にも優しくすべし”です。愛とは摂理(神の心)の通りに行うことです。 P182


●私の使命は人生の基本である霊的原理に関心を向けさせることです。人間はどうでもよいことに拘り過ぎるように思います。イエスが本当に処刑されたかどうかは、あなたの魂の進化にとって何の関係もありません。
 肝心なことに関心を向けなさい。あなたは今あなたなりの役割───人を助け霊性を開発し悟りを深めるためのチャンスを提供してくれる、この地上という生活の場に来ていらっしゃるのです。火星にも人間のような存在がいるのだろうかとか、一千年後に間違いなく復活するだろうかとか、そんなことを心配してはいけません。
 大切なのは日常生活での身の処し方です。あなたなりの最善を尽くせばよいのです。それによって大霊とのより大きい調和が得られます。それは晴れやかさ、静けさ、安らぎ、自信という形をとります。神の心をわが心としようと心掛ける者すべてに必ず訪れるものです。P184


●が、自由意志による選択の余地を与えられることによって、人間も永遠の創造的進化の過程に参加する機会が持てることになったのです。 P185


●戦争、暴力、貪欲、情欲、利己主義がはびこるのは物質中心の考え方をするからです。そういう考え方をするのは、これほど多くの宗教が存在しながら大半の人間が肉体が死ねばすべておしまいと思っているからです。
 死後にも実感を伴った生活───地上生活の賞罰が清算される世界が存在するという事実が信じられず、地上生活が唯一の生活の場であると考えます。すると当然、物質がすべてなら今の内に思い切り欲望を満足させておこう、ということになります。それが戦争を生み、憎み合い、征服し合い、殺し合うことになります。 P186


●自分の役目を果たすのです。自分なりの最善を尽くすのです。縁あって近づく人の力になってあげることです。親切に、寛容に、そして慈悲の心をもって接するのです。機会さえあれば、どこででも人のために役立つことを心掛けることです。それが世の中に貢献するゆえんとなります。 P187


●よく理解していただきたいのは、地上生活は霊界の生活と違って両極性(相対性)から成っていることです。霊界では同じ発達段階の者が同じ界層で生活しておりますが、地上ではさまざまな発達段階の者が混ざり合って生活しております。
ということは、対照的なものを見たり体験したりする機会が得られるということです。かくして光があれば闇があり、温かさがあれば冷たさがあることになります。そこに地上生活の存在理由があるのです。そうした両極の体験を通じて魂が真の自我に目覚めていくのです。
 言いかえれば地上は学校です。そこでいろいろと学ぶことによって、いつかは住むことになる霊の世界での生活に必要な教訓を身につけるのです。苦悩を味わうということは、その反対である喜びを味わえるということです。

 たびたび申し上げておりますように、地上での出来事は正反対であると同時に相等しいということがあります。つまり同じコインの表と裏の関係です。魂が自我に目覚めるのはさまざまな体験の中においてこそです。それは鋼(はがね)を鍛える過程、あるいは原鉱を砕いて黄金を磨き出す工程と同じです。 P187

●地上世界は今るつぼの中にあります。バイブルの中の説話のような善と悪との戦いがあります。富の神マモンの崇拝、あくなき貪欲と強欲と権力欲、高尚なものや霊的なものの抑圧───要するに私が地上のガンと呼んでいる利己主義が生み出す不幸があります。P188


人類は今まさに危機の十字路に立たされております。私たちが総力を挙げて救済活動に乗り出したのもそのためです。P189


人間の霊的解放の仕事にたずさわる者は試練と挑戦を受けなくてはなりません。それが霊的発達の不可欠の要素なのです。それ以外に方法がないのです。いずれ霊界へ来られて地上時代を振り返ってごらんになれば、苦しい体験ほど大切な意義を持っていたことを知って神に感謝なさることでしょう。P190


●キリストは二千年前に地上での使命をきちんと終えています。
今は私の住んでいる同じ霊界においての使命に精励しておられます。それが今われわれのたずさわっている霊的真理普及の活動の指揮・命令です。 P190


将来への展望には自信と楽観と積極性をもって、ご自分の役目を果たすことに専念なさることです。恐怖心、心配、不安、こうした霊力の働きかけを止め無気力にさせるようものは、いっさい棄て去ってください。
私たちから要求するのはそれだけです。出来る限りのことをなさっていればよいのです。それ以上のことは出来るわけがないのですから。
 明日はどうなるかを案じてはいけません。明日は、潜在する神性を開発し、人生を物質的・精神的・霊的に存分に楽しみ、まわりに存在する素晴らしい霊的光輝をますます意識するようになる、その絶好の機会の到来を告げてくれるものなのです。 P191


●───凶暴な犯罪は死刑制度によって解決できると思われますか。

 そうした報復的手段では何一つ解決できないでしょう。愛は摂理を成就することであると言います。いかなる手段にせよ、それによってその魂が救われることになるように工夫すべきであって、復讐心を抱かせてはなりません。
人を殺した奴だから殺してよいという理屈は許されません。国家による法的殺人では問題の解決にはなりません。暴力に暴力で対処することは善性・慈愛・優しい心を生み出すことになりません
 処罰は矯正と救済を目的としたものであらねばなりません。魂に本当の自分を悟らせてあげることを目的としなければなりません。何の用意もできていない魂を霊界へ送り込むことは問題を大きくするばかりです。地上においても霊界においても犯罪を減らすことにはなりません。それに、人間はとかく過ちを犯しがちなものであることも考慮してやらないといけません。 P192

 

●───職業柄、私は多くの人間が恐ろしい行為によってあたら生命を失っていくのを見てきました。そして、しばしば思ったことですが、そうした犯罪が二度と起きなくするために、そちらで復讐心に燃えている霊たちを説得していただけないものでしょうか。

 残念ながらそういう人たちはみな地縛霊となっており、自らこしらえた牢獄に光が射し込むまでには大変な時間を要します。
これは大へん難しい問題でして、時間さえあればいろいろと敷衍(ふえん)してお話できるのですが、結論だけ申し上げれば、彼らへの対処の仕方は報復ではなく矯正を目的としたもの、つまり、精神的リハビリテーションでなくてはならないということです。やられたらやり返すのが公正ではありません。


何ごとも最後は動機が問題となります。動機さえ正しければ、すべてがうまく収まります。 P194


●それを無視して富の神マモンを崇拝し、欲望に走り、利己的になり、他人のことはどうでもよいと考えるようになったら最後、自分の国だけでなく地球全体が暗黒と困難と悪と疫病という、自由意志の選択の誤りが生み出す結果で埋め尽くされることになります。 P196


●もしも人間が操り人形かロボットのようなものだったら人生は何の意味もないことになるでしょう。完成へ向けての進化も成長もありません。永遠の虚無の世界となってしまいます。 P197


人生のすべての相を支配している永遠の霊的原理をかい間見るという光栄に浴した者は、明日はどうなるのかという不安を抱く必要はみじんもありません。 P197


●理解しなければならないのは、地上というところは予備校ないしはトレーニングセンターであって、その目的は内部の神性を可能なかぎり発揮する機会を提供することである、ということです。人間には、ある一定限度内での話ですが、自分の行為を決定する自由意志が与えられております。その自由選択の結果として地上あるいは霊界における進歩を促進もすれば阻止もするという、そういう体験の繰り返しの中で霊性が発達し、少しずつ不完全な部分を棄てて行くことになるのです。
 自由意志があるということは、その当然の可能性として、それを間違ったこと、愚かしいこと、報復的なことに使用する者もいることになり、その結果として苦しむ人も出てくることになります。 P200


●自然と協調する者は自然の発達を助けると同時に、自分自身の霊性の開発をも助長することになるのです。 P202


●それは人間に自由意志が与えられていることから生じる当然の結果です。もしも何一つ問題がなく闘争もなく犠牲が強いられることもなく困難も生じなかったら、人間は進歩しません。
進歩は困難に遭遇した時に得られるのであって、気楽な生活の中では得られません。それぞれの魂が内在する力を引き出すための努力をするように何らかの試練の時に遭遇するというのが、進化における不可欠の過程の一つなのです。 P204

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2019年6月用テキスト)

十巻 九章 “人生は霊的巡礼の旅”

●この交霊会にお出でになる同志の方に私が必ず申し上げていることは、霊的巡礼の旅に立たれた方はみな、同じパターンの人生を体験なさるということです。困難・難題・危機・逆境・失望・挫折、こうしたものを体験させられます。
時には失望のドン底に落とされ、あたかも全ての望みが断たれ、奈落の底の暗闇の中に置かれたような、一条の光も見出せない状態となることもありましょう。
 しかし、そうした時こそ魂が目を覚まし、真理を受け入れる用意が整うものなのです。奈落の底からの霊的向上が始まります。ゆっくりとして遅々たる歩みです。それも、必ずしも着実とはかぎりません。時には逆戻りすることもあります。が、光明へ向けて向上し続け、ついに暗黒から抜け出ます。 P146

 

●人類全体のための予定表というものがあります。私の世界の高級な神霊によって考え出されたものです。その目的は、受け入れる用意の出来た地上の人間を霊的に、精神的に、そして身体的に真に自由にしてあげることです。 P147

 

●あなたが霊的存在であるということは、あなたも内部に無限なる宇宙の大霊すなわち神の一部を宿しているということであり、同時に、霊的武器(能力)と霊力を宿しているということです。
それを進化しながら発揮していくことができるのです。私たちの仕事はこうした霊的真理を一度に一つ(一人)ずつ、受け入れる準備の整った魂に教えていくことです。この点を特に強調しておきます。それが偽らざる事実だからです。
 諺にも〝馬を水辺まで連れて行くことはできても、水を飲ませることはできない〟というのがあります。イエスはこれを豚と真珠という、きつい譬えで表現しました。(豚に真珠を投げ与える勿れーマタイ)。
 受け入れるにはその準備が出来ていなければならないということです。あなたも暗い影の谷間を通り抜けるまでは、真理を受け入れる用意は出来ておりませんでした。その間の体験が、こうした基本的な永遠の霊的真理を理解しはじめる端緒となる決定的な手段ないし触媒となったのです。 P148

 

●あなたにとってここぞという時に素晴らしい道が示されたように、これからも大切な時には必ず指示がいただけます。人生の視野の基盤を提供してくれる霊的知識を土台として信念を持つと同時に、あなたの背後には、真理普及のためのチャンスさえ提供してくれればいつでも援助に駆けつけてくれる高級霊の大軍が控えているという事実を忘れてはなりません。
 恐れるものは何一つありません。あなたには人のために自分を役立てることができるという喜びがあります。それが何より大切です。その機会を与えられることに感謝しなくてはいけません。
明日のことを案じてはいけません。困難には遭遇することでしょう。が、それは太陽を一時的にさえぎる雲のようなものです。太陽は少しのあいだ見えなくなりますが、常に存在しているのです。その太陽がもたらしてくれる力と光の存在を片時も忘れてはなりません。 P149

 

問題が生じるのは当然の成り行きです。地上は困難と挫折と障害と逆境に遭遇させられる場所なのです。地上生活のそもそもの目的は、伸びゆく魂が、危機において初めて呼び覚まされる潜在的資質を発現するために、さまざまな事態に遭遇することにあるのです。
 そうした問題を克服しない限り霊性の向上は望めません。が、実は克服できないほど大きな問題は決して背負わされないのです。忍耐強く導きを祈り求めることです。
時が熟せば必ずドアが開かれ、道が示されます。
私はそのことを同志の方にいつも申し上げております。締め切られたドアを忙しく叩いてはいけません。と、 P150

 

人間がその自然の摂理(霊的真理)と調和して生きれば、幸福感を生み出すような結果がもたらされます。時には、こんなに幸せでよいのだろうか、と思うほど豊かな幸せをもたらしてくれることもあります。⇒ 無知と迷信の闇から、霊的に精神的に身体的に真に自由となる P152

 

所詮、私たちが扱っているのは不完全な人間です。地上には誰一人として完全な人間はおりません。完全性は神の属性です。ですから、あなた方に一点の非の打ちどころがないものを要求するつもりはありません。よく間違いを犯すものであることを承知しております。人間であるが故の煩悩によって過ちを犯しがちであることは十分承知いたしております。 P153

 

●霊的発達を阻害するような過ちを犯しそうな時には、それを阻止するために、可能な限りの手段を尽くして、そのことを皆さんに印象づけることを致します。  P153

 

●かつてあなたは、もはやこれ以上為す術がないと思えた時に啓示を受けられて、人生に一大変革がもたらされました。今日のあなたを導いて来たのは背後霊の働きです。
私の説いている霊的真理の世界へ案内されてきました。そこであなたは魂の幸福と人のために自分を役立てる機会を見出されました。 P154

 

●受け入れ準備の整った魂は、霊的真理の灯台の光に引き寄せられます。そして模索と無知と迷信の闇から、広がりゆく知識と確実性の光の中へと通じる道を見出してまいります。P156

 

永遠の財産として何よりも美しい宝石である霊的真理  P157

 

●神の意志の地上への顕現という大業を担当する神庁の高級神霊による審議会に出席してまいりました。 P162

 

●霊こそ実在であること、その霊に無限の神の資質が宿されていることを教えることです。 P162

 

明日のことで取り越し苦労するには及ばないということです。幸いにして霊的実在についての知識を手にした者は、いかなる程度であっても悲観の念を心に宿すことがあってはなりません。霊力は地上世界のいかなる力よりも強力です。 P163

 

霊力は無限です。が、そこからどれだけのものを受け取るかは、あなたが現在までに到達した霊格の程度によって決まります。その受容力を少しでも増すことを心掛けることです。そうすれば、それだけ多くの霊力が流入し、その驚異、その美しさ、その安らぎ、その治療力を発揮してくれることになります。 P163
 


元気をお出しなさい。くよくよしてはいけません。取り越し苦労はお止しなさい。心配しても何にもなりません。心配の念は霊界から届けられる援助の通路を塞ぎます。自信を持つのです。
道はきっと開けるという確信を持つのです。
いつの日か、苦い体験だったがお陰で精神的ならびに霊的に成長したから悔いはない、と言える日が来ることでしょう。 P165

 

●同志の方にはいつも申し上げていることですが、信仰に知識を加えることから出発して、最後は(霊的)知識に信仰を加えることで終わります。地上はおろか霊界においてすら、存在する知識の全てを手にすることは不可能です。 P165

首をうなだれてはいけません。後ろを振り向いてはいけません。前を見るのです。過去のページはすでにめくられ、二度と元へは戻せないのです。生命の書は常に新しいページをめくるのです。その日その日のために生き、昨日のために生きてはいけません。明日刈り取る収穫のタネを蒔くのは今日なのです。 P166

●皆さん方のように霊的知識を手にした方でもうっかりすると忘れがちなことですが、私たち霊界の者はあくまでも私たちにとって都合のよいタイミングで私たちの方法でしか仕事ができないということです。
 言いかえれば、あなた方の都合に合わせてあなた方の方法でするわけにはいかないということです。地上へ働きかけるには、極めて微妙で繊細な影響力、この上なく複雑な取り扱いを必要とするバイブレーションを行使しなくてはならないからです。
 ところが人間は何かとせっかちであるために、往々にしてその性急さが、本来ならもっと楽に叶えられるはずの条件を阻害して、結局は実現を遅らせることになります。
私たちから要請したいのは受容性に富み、確信に満ち、冷静でのどかな精神、それに、とにかく自分にとって一番良いものがもたらされるのだ───ただしその機が熟した時に、ということを一点の疑念もなく洞察できる能力です。
 それにしがみつくのです。あせってはなりません。
地上世界の一ばん困った点は、何かにつけてせっかちであることです。
 私たちが皆さんを目覚めさせるまでにどれだけの時を費やしたかご存じでしょうか。霊に関わることは“〝早く片付ける〟ということが不可能なのです。無限なる叡智が案出した摂理に従わねばならないのです。
 もう一度繰り返します。真理は何度繰り返し述べてもよいでしょう。私たちは私たちのやり方で私たちのタイミングで事を運びます。あなた方の都合に合わせて行うわけにはいかないのです。霊的にみてどうなることが自分にとって一ばん良いかは、人間自身には正しく判断できません。人間の祈りを聞いておりますと、その願いどおりにしてあげたら霊的にはとんでもないことになると思われるものがよく見られます。
そこで私たちの判断に基づいて皆さんにとって一ばん良い形で援助します。指導してあげます。けっして裏切りません。見放しません。見捨てるようなことはいたしません。
 霊の威力についてはこれまで数々の証拠をお見せしてきました。私たちと歩みを共にしてこられた方には、霊力がどれだけのことを為しうるかをよくご存じのはずです。 P166

 

●地上には暗黒と疑念と当惑と絶望の中で生きている魂が多すぎます。私たちはそういう人たちに手を差し伸べねばならないのです。神の愛の存在(霊的知識)を教えてあげなければならないのです。精神的に生まれ変わって豊かな生きがいある人生を送る、その原動力となる霊力の存在を知らしめなくてはならないのです。 P169

 

霊的知識をたずさえた者に楽な仕事はありません。知識が増えれば増えるほど、ますます困難に遭遇するものと覚悟してください。こんなことを言うから私は人気が出ないのでしょうね。

 


 しかし、内在する霊的資質を顕現せしめるためには、幾つかの困難を覚悟し、それを挑戦目標として歓迎し克服して行かねばならないのです。もしも霊的知識を授かった者が安易な仕事しか授からないとしたら、それは神の公正を愚弄することになります。
ですから、いかなる困難に出会っても絶望してはなりません。自分の内部にも背後にも、それを克服するだけの力が存在することを確信して、それを一つの挑戦として迎え撃つのです。 P169

 

●もしも高級界との波長が合い、霊力をふんだんに受けることができれば、思いも寄らなかったことが成就されるのですが・・・・・・ P170

 

●私は霊的知識に照らして楽観的な福音を説いております。霊的な知識を携えた者には悲観的になる根拠はどこにも見当たりません。人生の出来事には一つ一つ目的があります。幸運、偶然、奇跡といったもので動いているのではありません。改正も廃止もない永遠不変の摂理(因果律と導き)によって動いているのです。 P170

 

●神は完全です。その神の無限の叡智と愛を超えるものは、この宇宙には存在しません。その叡智と愛をあなたも頂けるのです。すべてではありません。受け入れ能力が増すにつれて、それだけ多くの叡智と愛を頂くことができ、それだけ生活が豊かで、雄大で、高潔なものとなってまいります。 P171

 

私がお届けするのは永遠の実在を基本とした崇高な真理です。神は決して裏切りません。大自然の摂理はこれからも作用を止めることはありません。いかなる危機が迫りつつあっても、いかなる問題に遭遇しても、あなたの内部にそれを克服する力が秘められていることを忘れてはなりません。
同時に、それ以上の強力な力が背後に控えているのです。それを呼び寄せることもできるのです。
 困難に悩まされた時は───それは人間としては避けがたい宿命です───地上の喧騒から身を引いて瞑想の世界へ入ることです。そこで霊的意識を広げ(無我無念)、あたりに漂う光輝(霊力)を存分に吸い込むのです。
 私は何一つ新しいことは申し上げておりません。真理には真新しいものはないのです。その表現の仕方がいろいろあるだけです。 P171

 

●───決断に迷った時は導きを求めるべきでしょうか。それともあくまで自分の意志で判断すべきでしょうか。私たちは時として大きな決断を迫られることがあります。そんな時に思い切って突進すべきか、自然に道が開けるのを待つべきかで迷うのです。とても難しいことがあります。

 

閉め切られたドアを忙しく叩いてはいけません。自然に開くのを待つのです。宇宙全体だけでなく一人一人の人間にも、きちんとした計画(プラン)があります。そのプランが実行に移されて行くのです。
 ここにおいでの皆さんには何度も申し上げていることですが、私達はそのプランのもとに、私たちのやり方で私たちのタイミングで事を運ぶしかないのです。人間側の都合に合わせるわけにはいかないのです。
 その理由の一つは、人間には自分にとってどうなるのが一ばん良いかが判断できないからです。物質的に、精神的に、そして霊的にあなたに何が一番望ましいかを判断するには、私たちの方が有利な立場にあります。
 待つのです。きっとドアは開かれます。これまでも幾度となく開かれてきております
 P172

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2019年5月用テキスト)

十巻 八章 “背後霊の仕事”

 

一般的に言って指導霊というのは人間のパーソナリティの規模を拡張した、その延長と考えてよろしいでしょうか。それともまったく別個の存在でしょうか。
「Can you tell me if spirit guides in general are an extension of one`s own personality on a higher scale, or whether they are separate entities ?」


“とても複雑な問題です。今おっしゃったパーソナリティはインディビデュアリティに置きかえた方がよいと思います。
It is a rather complex subject. I would prefer to use the word “individuality” rather than “personality.”

 

私は物的身体から派生する人物像であるパーソナリティと、その人物像という仮面(マスク)の背後の実像であるインディビデュアリティとを区別しております。
I draw distinctions between the personality, which is physical, and the individuality which is the soul or spiritual make-up, the reality behind the mask, so to speak.


地上ではあなたという存在はあくまでも独立した一人物ですが、(しかし)霊的なインディビデュアリティ(を同じように個々の独立した一人物として分けることはできません。)は必ずしもそうではありません。
Persons are persons so far as your world is concerned, but you cannot separate spiritual individuality in the same way.

 

例えばアフィニティというのがあります。これは一個の魂が半分に分かれた存在で、二つが同時に地上へ誕生することがあるのです。
There are, for example, affinities, two kindred halves of the one soul, and sometimes they incarnate at the same time.


それから私がダイヤモンドの側面に例えている〝霊相〟とでも呼ぶべきものがあります。
 There are also what I call facets of the one diamond.

 

一個のダイヤモンドがあって、それに沢山の〝相〟facet があります。それぞれが地上に誕生して体験を持ち帰り、ダイヤモンドの光沢を増します。
This is the over-soul, the greater individuality, and the facets are aspects of it which incarnate into your world for experiences that will add lustre to the diamond when they return to it.

さらにそのダイヤモンドがいくつか集まって一個のインディビデュアリティを構成しております。
(さらに、分離・独立した人物ではあるけれども、それら人々は一個のインディビデュアリティの側面なのです。)
Also there are people who, although separate persons, are aspects of the one individuality.

 

例えばこの霊媒(バーバネル)と奥さん(シルビア・バーバネル)と私(シルバーバーチ)とは一個のインディビデュアリティ(の一部分なのです。)に所属しております。
For instance, my medium, his wife and myself are parts of one individual.

 

一人の支配霊がいくつかの類魂を従えていることがあるわけです。
(それで一人の指導霊は複数の霊相facetsを持っているのです。)
So you can have facets of the one guide.


それを〝延長〟と呼びたければそう呼ばれても結構です。が、結局は同じことに帰一します。
You can call these extensions if you like, but it comes to the same thing.

 

つまり地上で肉体を通して顕現するのはインディビデュアリティの極々小さな一部と言うことです”
Only an infinitesimal part of the whole individuality can be manifested in physical form in earth.

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2019年4月用テキスト)

十巻 七章 “再生問題を語る” (原典Light from Silver Birchとの対比)(2019年3月29日)

                                    
※青の文章は原典にはなく、近藤氏が翻訳時に追加したもの


これはとても複雑な問題です。(私がダイヤモンドに例えている)インディビジュアリティというのがあり、それは、たった一回の地上生活で発揮されるパーソナリティ(人物像)よりもはるかに大きなものであるということが理解できるようでなければ、この問題は扱えません。P115

It is a complex subject.it involved an understanding of the extent to which individuality can be appreciated because it is far more than the personality in one Earthly incarnation.


そのパーソナリティとインディビジュアリティとを混同している方が多いようです。一個のインディビジュアリティが(いくつもの分霊を出して)地上に沢山のパーソナリティを持つことが出来ます。

There is a confusion between personality and individuality. An individual can reincarnate and have many personalities.

インディビジュアリティの物的表現、ないしは顕現です。(数は沢山ですが、)同じインディビジュアリティから出ているのです


There are the physical expressions, manifestations of the individuality, but the individuality is unchanged.

 パーソナリティというのは仮面を意味するラテン語のパーソナから来た言葉で、物的身体にまつわるものを意味します。インディビジュアリティが五つの物的感覚を通して自我を表現するための道具であり、氷山に例えれば水面上に出ているほんの一部に過ぎません。


Personality, from persona, the mask, belongs to the physical body.
It is the way that individuality is able to express itself through the five material senses, and that is the tip of the iceberg.

 パーソナリティは地上でつけているマスクです。インディビジュアリティ、つまり本当の自我はめったに顔を出しません。(五感に邪魔されて)出そうにも出せないのです。死によって肉体から分離した時に自覚される大きな自我に比べると実にお粗末なものしか表現しておりません。

Personality is the mask that you wear on earth; individuality, the real self, seldom expresses itself, through the inability to do so. At best it is only a very poor manifestation of what can be shown when it is finally divorced from the physical body.

 このようにインディビジュアリティはパーソナリティよりはるかに大きなものです。死後に生き続けるのはパーソナリティではありません。パーソナリティはインディビジュアリティによって投影された影にすぎません。

The individuality is far greater than the personality. It is not personality that exits after physical death. Personality is only a shadow cast by the sun which is the individuality.

そのインディビジュアリティが、肉体の死後、地上で発揮されなかった潜在的可能性を少しずつ発揮していきます。


Individuality survives, and gradually manifests its latent potential that cannot be expressed on earth.

地上での特別な使命が託されている場合はインディビジュアリティの比較的大きい部分───多くの側面───がまとまって一個の肉体に宿ります。この場合にもダイヤモンドの光沢を増すための体験を積むという目的も兼ねているのです。


In the case of service that is to be rendered to your world, there is a larger individuality, a diamond which has many faces. These facets incarnate so as to have expression that will add to the diamond`s lustre.

 

[参考]

・The individuality = the real self = a diamond

・The personality = a facet of the diamond (the individuality)

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2019年3月用テキスト)

十巻 五章 死んだあと、どうなるのか (2019年3月4日)

シルバーバーチ不滅の真理 三章“死後はどうなるのか”P53~72 ハート出版と統一記載

                                    
時間はない・・・こちらには昼も夜もありません。地軸の回転に依存していないからです。太陽の周りを回転しているのではありません。こちらには永遠の光が存在します。したがって地上のような時間というものがありません。

 

参照:こちらの世界には“時間”というものがないのです。地球の自転によって昼と夜とが生じるようなことがないからです。昼と夜とで一日、といった計算をすることがない世界において、どうやって昨日と今日とを区別するのでしょう? (不滅の真理より)

 

何をしているか・・・みんな自分がしたいと思うこと(仕事も含む)にたずさわっております。

 

●とにかく地上を去ってこちらへお出でになれば、言葉では言い尽くせないほどの豊かさが待ち受けております。

 

形体がある・・・ちゃんと姿があります。形体を具えております。個人的存在を有しております

 

霊界こそ実在の世界・・・よく理解していただきたいのは、あなた方人間にとって物質は固体性があり、実感があり、霊というと何だか影の様で実態がないかに思えるのでしょうが、私たち霊界の者にとっては霊こそ実在であり、実感があり、反対に物質の方が影のようで実体感がないということです。

 

●私たちから皆さんを見ると、身体は影のように見え、皆さんが心に思っておられることの方が実体があります。このことはなかなか説明が難しいのですが、たとえば皆さんが夢を見ているのと同じだと思えばよろしい。夢の中に現れるものは夢を見ている間は実在です。

 

霊界は思念の世界・・・霊界では思念は実体のある存在なのです。存在するものすべてが思念でこしらえられているのです。ですから、必要と思うものはどんなものでも手に入れることが出来るのです。

 

●こちらは本質的には思念の世界、思念が実在である世界です。思念の世界ですから、思念が生活と活動の表現のすべてに形態を与えます。(不滅の真理より)

 

●───死後の世界での体験は主観的なのでしょうか。客観的なのでしょうか。(不滅の真理より)

客観的です。なぜかと言えば、こちらの世界はそれぞれの界層で生活している同じレベルの住民の思念で構成されているからです。

 

●───ということは夢の世界ではないということですね?(不滅の真理より)

そこを通過してしまえば夢の世界だったことになります。そこで生活している間は現実の世界です。 それを“夢”と呼ぶか呼ばないかは、観点の違いの問題です。あなた方も夢を見ている間は、それを夢だとは思わないでしょう。夢から覚めて初めて夢だったことを知り“なんだ、夢だったのか”と思うわけです。

 

●───では、霊の世界について理解を持った人の場合はどうなりますか。(不滅の真理より)

 幽体の精妙化の過程がスムーズに進行します。

 

死ぬ前と性格は同じ・・・いわゆる幽界でも低級な境涯にはまだ貪欲とか権力欲とかが存在します。忘れてならないのは、死んだ人間は霊的には死ぬ前と全く同じであることです。地上と違って霊界は思念が実在の世界です。心に思うことに実体が伴い実感があるのです。

 

地縛霊とは・・・困ったことに、権力欲や強欲は霊を地上へ縛りつけます。身体的に死んでいますが、同時に霊的にも死んだも同然の状態です。波長が私たちより人間の方に近い状態です。そこで同じ欲に燃えた地上の人間と感応(同調)し合って、その欲望を増幅してまいります

 

●自我の表現形態が変わるのです。霊界でのいつもの振動の速度を落とす操作をするのです。地上の低いオクターブをキャッチするために高いオクターブの振動に属する要素を霊界にあずけてこなければなりません。

 

私たちは今も霊界にいる・・・死後の世界とは、要するに今生活している世界の目に見えない側面、耳に聞こえない側面のことです。死んでからではなく今の時点で霊の世界に住んでいるのです。死んでからそこへ行くのではありません。今いる場所に霊界があるのです。
その世界の波長ないし振動、その他どう呼ばれても結構ですが、それをキャッチするための霊的感覚を発揮しないかぎり、それが認識できないというに過ぎません。別個の世界ではないのです。

 

●───その見えない世界の存在を認識するために霊的感覚を養成することも、地上に生活しているわれわれの義務と言ってよいでしょうか。

おっしゃる通りです。物質の世界の裏側に霊的側面があることを認識してはじめて本当の意味で生きていることになります。霊的実在に気づかない限り、悲しいかな、霊的な意味で目と耳と口を塞がれているようなものです。
                                              
●───なぜ霊界と物質界とが存在するのでしょうか。なぜ霊界一つだけではいけないのでしょうか。

 

それに対する答えは〝なぜあなた方はお子さんを学校へ通わせるのですか〟という問いに対する答えと同じです。学校を出たあとの生活で直面するさまざまな状況に備えて、勉強させるためです。

 

自然の摂理(霊的摂理)と調和して生きていれば、健康・幸福・霊的明るさ・精神的特性という形でその恩沢を受けます。それは、内在する神性を発揮していることに他ならないからです。 P77

 

(参照)それよりもはるかに高尚な神性が宿されており、それ(神性)を機能させ発揮させることができれば、あたかも神々が地上を闊歩するかのごとくになります。 (十巻 P81)

 

●その霊的摂理に忠実に生きている(調和)かぎり、絶対に危害はこうむらないことを断言します。

 

●あなた方も同じように大霊と密接な関係にあります。なぜなら大霊はあなた方の内部に存在するからです。大霊の火花が一人ひとりに宿って生命(=大霊)を与えているからこそ生きていられるのです。

 

●死後の生命とおっしゃいますが、私は時おり地上世界を見渡して、果たして死ぬ前に生命があるのかと、疑わしく思うことさえあります。まったく生きているとは思えない人、あるいは、かりに生きていると言えても、これ以上小さくなれないほどお粗末な形でしか自我を表現していない人が無数におります。⇒ 人間は霊魂(霊性心)、精神(理性・感情)、肉体(本能心)の三位一体である。

 

●界層ないしは境涯というものがあり、そこに住む者の進化の程度に応じて段階的な差ができています。あなたが他界後に落ち着く先は、あなたが地上で身に付けた霊的成長に似合った界層であり、それより高いところへは行けません。行きたくても行けません。

 

●難しい問題が無くなってしまうわけではありません。解決すべき問題は次から次へと生じます。それを解決することによって魂が成長するのです。何の課題もなくなったら、いかなる意味においても“生きている”ということにはならなくなります。魂は陽光の中ではなく嵐の中にあってこそ自我を見出すものなのです。

 

●と言って、地上生活につきものの困難と苦難と面倒なことから逃れることはできません。
なぜなら、それは魂の進化にとって必須のものだからです。光明を味わうには暗黒を体験しなくてはなりません。太陽の有難さを知るには雨の日を体験しなくてはなりません。
人生は両極性を体験しなくてはなりません。一方だけでは他方の存在価値が分からず、物質的にも精神的にも霊的にも

啓発が得られないからです。

 

●私にできることは、問題に正面から対処して克服していく方法をお教えすることです。いかに大きな難題も障害も、霊の力の協力を得れば、人間にとって克服できないものはありません
霊は、今の私のように人間の口を借りてしゃべらなくても、いつまでも援助の手を差し伸べることができます。時間と空間という厄介なものがないからです。あなたがいつどこにいても援助できます。その時の条件下で可能なかぎり援助し続けましょう。

 

●学ぶべき教訓を学ばずに終われば、それは学ぶためにまた戻って来なければならないでしょう。しかしこれまであなたの人生を振り返ってご覧になれば、万事休すと思われた時に霊の道標があなたの進むべき方角を教えてくれていることがお分かりになるはずです。
霊の力はそういう形で働いているのです。あなたは決して一人ぼっちではありません。いつもあなたと血族関係のあった霊だけでなく、血縁とは別の霊的近親関係によって結ばれている霊によっても導かれております。神の子を導くことによって神に奉仕する、その手段として人間を導いているのです。

 

●でもあなたは幸せな方です。一ばん必要とする時に霊的な啓示を受けられたのですから。人生における最大の危機にもしも霊があなたの進むべき道を指示してくれなかったら、現在のあなたはどうなっていたか分かりません。

 

●あなたは地上のどこのマーケットでも買うことのできない(霊的)知識を手にされた、本当に恵まれた方です。霊的実在についての知識を手にされたのです。バイブルにも“汝の信仰に知識を加えよ”とありますが、私は反対に“汝の知識に信仰を加えよ”と申し上げておきます。

 

霊からの通信はことごとく理性で持って判断しなさいということです。常識的に考えてどうしても受け入れ難いものは拒否なさることです。

 

●───すると霊界には思念のプライバシー(秘密)はないわけですか。

 

ありません。私たちの世界では何一つ隠すことができません。すべてが知れてしまうからです。

 

名声が何になりましょう。子供のオモチャのようなものにすぎません。何の価値もありません。そもそも名声はどうやって得られるかを考えてごらんなさい。お金があるとか世間的に出世したということで名が知れたにすぎません。イエスはそういう名声は一切求めませんでした。先師、聖者、先駆者、改革者と言われる人は名声を求めたでしょうか。
大切なのはどれだけ人のためになることをしたかであって、その人の名前ではありません。ですから、いわゆる有名人の名前を名のって出る霊には気をつけた方がよろしい。判断の規準は何と名のっているかではなくて、どういう態度でどんなことを説いているかです。

 

●───誰しも夢を見ます。その中で親しい人と会ったことを思い出すことがありますが、本当に会っているのでしょうか、それともただの想像にすぎないのでしょうか。あるいは会いたいという願望がそういう夢となって現れるのでしょうか。

いえ、実際にその人と会っておられるのです。

 

●夢のすべてが霊的体験というわけではありません。潜在意識に蓄積した観念の反映にすぎないこともありますし、夜遅く食べた物の反応にすぎないこともあります。

●───その違いは分かるものなのでしょうか。

分かります。食べた物や潜在意識のせいである場合は霊的な効用がありません。実際に霊界の愛する人に会った場合は精神的ならびに霊的な温もり、充足感を覚えます。その違いは明確に分かります。もっとも、その違いを見分けるには能力の発達が要請されます。物質的な印象にすぎない場合は肩にずっしりと重たさを感じますが、霊的な体験の場合は蝶に口づけをされたみたいな気分がいたします。

 

●肉体に生きるエネルギー、あるいは生命を維持する上で必要なものすべてを供給しているのは霊なのです。⇒ 霊的摂理

 

 

シルバーバーチの不滅の真理 三章 死後はどうなるのか P53P72 ハート出版より引用

 

●───幽界がこの世とそっくりであるというのが、私には理解できないのですが。

地上界の次の生活の場は、地上界の写しです。もしそうでなかったら、何の予備知識もない幼稚な霊に、耐えきれないショックを与えることでしょう。

●ですから、霊界への導入は優しい段階をへながら行われることになります。こちらへ来てすぐの生活の場は、地上と非常によく似ているということです。自分の死んだことに気づかない人が大勢いるのは、そのためです。

 

●もう死んで霊の世界に来ているという事実を信じさせることがどんなに難しいか、みなさんには理解できないでしょう。

 

●話題が変わって、他界した身内のものや友人・知人は、姿こそ見えなくても、地上にいた時よりいっそう身近な存在となっていることを説いて、こう述べた。

その方たちは今なお実在の人物であり、地上にいた時と同じように、あなた方のことを気遣ってくれていることを忘れてはなりません。彼らにはもはや言葉で話かけることはできませんし、あなた方もその声を聞くことはできませんが、あなた方のすぐ身の回りにいて、何かと面倒を見てくれております。
(中略)
決して薄ぼんやりとした、影のような、あるいはモヤのような存在ではありません。今なお皆さんのことを愛し、以前よりさらに身近な存在となっている、実態のある男性であり、女性なのです。

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2019年1月用テキスト)

十巻 四章 死ぬということはどういうことか (2019年1月30日)

 

死ぬとは・・・                                    
死ぬということは霊が肉体から脱皮して姿を現す過程のことです。何一つ恐ろしがる要素はありません。死は有難い解放者です。死が自由をもたらしてくれるのです。 P50
⇒ 水中(物質界)から陸上(幽界)に上がってレギュレイター(大気)を外し、ウェットスーツ(肉体)を脱ぐようなもの

 

●死とは地上生活がその目的を果たし、霊がこれから始まる霊的生活が提供してくれる圧倒的な豊かさと美しさとを味わう用意ができたことを意味します。少なくとも本来はそうあらねばならないのです。 P50  ⇔ 幽界に入らず地上に近い中間境にいる物質臭の強い死の自覚がない霊(地縛霊)

 

●霊視能力者が見れば、霊体と肉体とをつないでいるコードが伸びて行きながら、ついにぷっつりと切れるのが分かります。その時に両者は永久に分離します。その分離の瞬間に死が発生します。 P50 
⇒ シルバーコードはへその緒のようなもの。霊的エネルギーがそのコードをとおって霊体から肉体に流れ込んでいます。細いコードから太いコードへと徐々に切断される過程が死の床でおこっている。

 

●地上に籍を置く人間にとって、たとえ死後にも生命があるとの知識を手にしている方でも、身近な者が宇宙の別の次元の世界へ連れて行かれた時に平然としていることは、容易なことではありません。死という身体上の別離には悲しみが伴うものであるという事実を軽視するのは、愚かでもありましょう。しかし、それはあくまでも身体上の別離であって霊的には少しも別れてはいないことを認識すべきです
地上に生をうけた人間にとって死は避けられません。いつかは地上に別れを告げなければならない時がまいります。 P64

 

●別離といっても身体上のことであり、霊的には別れてはいないのです。愛によって結ばれた者どうしを引き裂く力は地上にも霊界にも何一つありません。生命と同じく、死よりも強いのです。
愛は、生命と同じく霊に属するものであり、霊はけっして滅びないのです。 P66

 

●その男性または女性が成長してやがて地上を離れると、大きい自我の一側面として新しい要素を加えることになります。 P57 ⇒ 真我(本当の自分)、類魂全体

 

●地上への誕生に関して唯一大切なことは、いつから自我を表現しはじめるかということです。それは受胎した瞬間からであって、生まれ出た時からではありません。占星学については私は何の関心もありません。 P58 
⇒ 他に誕生日占い、血液型占い、手相占いなど肉体に関することも全て同じで関心がない。

 

●―自殺をすることまで計画されていることがあるというのは本当でしょうか。―
“とんでもありません!” (中略) 

 

―自殺行為によって学べる教訓は何一つ無いということでしょうか。―            2
“あるわけがありません! 生命は宇宙の大霊が授けるものです。それを縮める(自殺する)権利は人間にはありません” P60

 

●―では人類の霊魂はどこから発生したのでしょうか。―
“どこからも発生しておりません。霊魂に起源はありません” P54

 

●霊は大霊の一部であり、無死無終です。霊は無窮の過去から存在しています。それが人間の身体に宿った時に個別性を具えるのです。霊には始まりも終わりもありません (中略)
霊は人間的形体(肉体)に宿ってはじめて個別性をもつことになるのであり、霊ないしは魂は常に存在していたのです。 P54
⇒ 霊の力という生命エネルギー(愛を有する法則・摂理)が肉体に宿ることによって、個別性をもつことになる。(霊→魂)

 

肉体的年齢霊的成熟度とを混同してはいけません。大切なのは年齢の数ではなく、肉体を通して一時的に顕現している霊の成長・発展・開発の程度です。
肉体が地上で永らえる年数を長びかせることは神の計画の中にはありません。リンゴが熟すると木から落ちるように、霊に備えができると肉体が滅びるということでよいのです。ですから、寿命というものは忘れることです。長生きをすること自体は大切ではありません。
地上生活のいちばん肝心な目的は、霊が地上を去ったのちの霊界生活をスタートする上で役に立つ生活、教育、体験を積むことです。もし必要な体験を積んでいなければ、それはちょうど学校へ通いながら何の教育も身につけずに卒業して、その後の大人の生活に対応できないのと同じです。 P62
⇒ 霊的無知だと狭義の霊界に入れない。(幽界に留まる)

  1. 物質界で個別性をもつことができ、且つ、物質界は霊界の準備をする場である。(第一の誕生)
  2. 幽界は狭義の霊界にそなえるためにある。(第二の誕生)
  3. 霊界は神界にそなえるためにある。(第三の誕生)

⇒ その間、各界層で何度も何度も脱皮を繰り返すことになる。

 

●私はいつも思うのですが、地上の人々、中でもとくに霊的知識を手にされた方が背後霊の存在を実感をもって認識してくだされば、どんなに有難いことでしょう。地上の愛する者へ無益な害が及ばないように庇い、守り、導いている霊の姿を一目ご覧になることが出来れば、と思うのです。その影響力の大きさを知ることができたら、明日のことを思い煩うようなことは絶対にしなくなることでしょう。 P65

 

●他人がどう言おうと気になさらぬことです。まったく下らぬことばかり言っております。
大切なのはあなたの人生をどう生きられるかです。できるかぎりの最善を尽くして人のために力になってあげることです。 P65

 

悩んではいけません。悩みの念はその援助の通路を塞いでしまいます。 P64

 

●気を強くお持ちになり堂々と胸を張って、(愛する者を失っても)霊的知識があればこれだけ立派に生きて行けるのだという、一つの手本を示していただきたいのです。 P66

 

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2018年12月用テキスト)

―2018年の“寸感”の総括―
人間は何のために生まれてくるのだろうか・・・ (2018年11月29日)
地上の一人ひとりは、たまたま偶然誕生したのであって、そこには何ら意味や目的はなく、死とともに全ては無に帰すと考えている人々が大半ですが、この事に関してシルバーバーチはどのように語っているのでしょうか。
霊訓に基づいた本年後半の一連の“寸感”が正にそのことを述べているように思われますので、2018年末の総括として、以下に纏めてタイトル名と要旨を列記します。

  1. 地上人生の目的 (2018年11月)・・・地上世界は最低レベルの幼稚園のようなもの
    ● 異なるさまざまな霊性レベルが混在し、比較対照によって学ぶことを目的とする物質界では、自己を表現するために最低レベルの波動にあわせた物的身体が道具として必要となる。そのことが結果的に精妙な波動の“本当の自分”(霊魂)を隠すことになり、物質界特有の相対の世界で公平に霊的成長のスタートが切れるようになる。


    ● この地上人生の目的である霊的成長には次のような段階がある。
    ①物質界で、まずは“本当の自分”(霊魂)を見出す。
    ②次に、その心である神性を開発し、霊的成長をする。
    ③そして、利他の心を養って他界後の霊界にそなえる。


    “そもそもこうして地上に生まれてきたということが、あなたがまだまだ完全ではないことの証拠です。欠点に気づいてそれを正し、過ちを犯してそこから教訓を学び、そうやって少しずつ内部の神性を開発していく、それが地上生活のそもそもの目的です。が、それは長い時間を要することです” (シルバーバーチの新たなる啓示 P112 ハート出版)


  2. 作用と反作用 (2018年10月)・・・では、どうすればその霊的成長ができるのだろうか
    ● 太陽がさんさんと輝き、なに不自由のない生活では霊的成長はできない。
    試練・困難・障害(反作用)は、霊的なもの(作用)が受け入れられる触媒となる。
    ● 作用(霊的成長)と反作用(試練・困難)は、コインの裏表で一体(ペア)のものであり、地上世界で霊的覚醒と霊的成長をするには、この“作用と反作用”の方法しかない。

  3. 信念(信仰) (2018年12月)・・・試練・困難には霊的摂理・霊的約束への信仰で対処
    試練・困難は人生の目的である霊的成長に必須の触媒である。
    ● 霊的摂理(宇宙の法則)を裏づけ(担保)とした“霊界からの約束”とは、
    ① 霊界から見放されることは絶対にありません。
    ② 背負いきれないほどの荷(試練・困難)はけっして負わされません。
    ③ 精一杯の努力のあとは背後霊に任せることです。万事うまく収まります。
    ④ 霊的知識のある者は、明日を思い煩ってはなりません。
     
  4. 自殺 (2018年9月)・・・自殺は試練・困難からの逃避であり摂理違反
    試練・困難(原因)は霊的成長(結果)への必須条件。
    ● 但し、背負いきれないほどの荷(試練・困難)はけっして負わされません。
    ● 人間は死にたくても死ねないので、死ぬことが問題(原因)の解決(結果)には決してならない。
    ● 自殺はこの“原因と結果の法則”(因果律)への干渉行為であり、他界後、摂理違反という結果を自ら刈り取ることになる。

 

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2018年11月用テキスト)

“地上人生の目的は” (2018年10月25日)(人生の目的)


分解して崩壊する束の間の存在でありながら、肉体をまとってまで物質界に出てくる目的は?


また、 “本当の自分”(霊魂)がわざわざ隠されてこの物質世界を歩むことの意味は?


はたまた、なぜ霊性を発達させなければならないのでしょうか?


シルバーバーチの霊訓(十巻)のニ章~三章には、“地上人生の目的は”が六回も繰り返し出てきます。そこで、それを霊的成長のステップ順に纏めますと以下のようになります。


地上人生の目的は

  1.“本当の自分”(霊魂・真我)を見出すこと。
  2.次に、霊性を発現(発揮)し、霊的成長をすること。
  3.そして、他界後の霊界に備えること。


では、この二章と三章から「地上人生の目的」に関する箇所を上記のステップ順に引用列記してみます。

―霊的成長のステップ順―

1.“本当の自分”(霊魂)を見出すこと。

“本当の自分(霊魂・真我)を見出すこと、それが人生の究極の目的だからです。” P36
⇒他界後の世界に備えるためには“本当の自分”(霊魂)に目覚めることが必要で、それがないと霊的知識の学びが進まない。


2.次に、霊性を発現し、霊的成長をすること。

地上生活の目的は人間の霊性の発現を促すことです。地球という天体上に住む人間の一人一人に生きる目的があります。なのに大半の人間がその生活の基盤となっている霊的実在(霊魂・真我)に気づいていないのは悲しいことです。” P18


地上世界の特異性は対照的、ないしは両極性にあります。美点と徳性を具えたものと、それらを欠いたものとが同じ地上に存在していることです。これは霊界では有り得ないことです。
各界が同じ性質の霊で構成されていて、対照的なものが存在しません地上生活の目的善悪様々な体験を通じて魂が潜在的霊性を発揮して、強くたくましく成長するチャンスを提供することです。それで悪事があり、罪があり、暴力があるわけです。進化は一直線に進むものではありません。スパイラルを描きながら進みます。表面的には美しく見えても、その底はあまり美しくないものがあります。” P33 ⇒人間には善悪両方の心(コインの裏表)があります。


3.そして、利他心(霊性心)を養い他界後の霊界に備えること。

“宇宙機構の中における地上の人生の目的を認識することによって、各自がその本性(真我・霊性)を身体的に精神的に霊的に発揮(発現)できる道を見出し、かくして、たとえわずかな間とはいえ、この地上での旅によって、これ以後にかならず訪れる次のより大きい生命の世界に備えて、大自然の摂理の意図するままに生きられるように導いていきます。” P13


“そもそも人間は死んでから霊となるのではなくて、もともと霊であるものが地上へ肉体をまとって誕生し、その束の間の生活(地上生活)のためではなく、霊界という本来の住処へ戻ってからの生活のために備えた発達と開発をするのですから、死後も生き続けて当たり前なのです。
元の出発点へ帰るということであり、地上のものは地上に残して、宇宙の大機構の中であなたなりの役目を果たすために、霊界でそのまま生き続けるのです。その無限の宇宙機構の中にあって神の子は、一人の例外もなく必ず何らかの役目があります。そして、それを果たそうとすると、いろいろと困難が生じます。が、それは正面から迎え撃って克服していくべき挑戦と心得るべきです。困難と障害は、霊性を発達させ進化させていく上において必要不可欠の要素(作用と反作用)なのです。” P21


“理解していただかねばならないのは、人間は肉体を携えた霊であって霊を携えた肉体ではないということです。
物質が存在出来るのは霊による賦活作用があるからであり、その霊は神性の火花として存在のすべて、生命を表現しているあらゆる形態の根源的要素となっているのです。
改めて申し上げるまでもなく、地上へ誕生してくる目的各自の魂の成長と開発と発達を促進するような体験を積み、肉体の死後に待ち受ける次の段階の生活に相応しい進化を遂げることです。
地上は幼稚園であり、霊界は大人の学校です。今この地上においてあなたは(霊的)教訓を正しく身につけ、精神を培い、霊性を鍛えて、神から頂いた才能を心霊治療その他の分野で人のために使用できるまで発達させることを心掛けるべきです。” P40

地上生活の目的は、いよいよ霊界へ旅立つ時が来たときに霊に十分な備えが出来ているように、さまざまな体験を積むことです。まずこの地球へ来るのはそのためです。地上はトレーニングセンターのようなものです。霊が死後の生活に対して十分な支度を整えるための学校です” P41 


“あなた方にとってイヤな体験こそ本当はいちばん為になるのですよと繰り返し申し上げるのは、そういう理由からです。魂が目覚めるのは呑気な生活の中ではなく嵐のような生活の中においてこそです。雷鳴が轟き、稲妻が走っている時です。
酷い目に遭わなくてはいけません。しごかれないといけません。磨かれないといけません。人生の絶頂と同時にドン底も体験しなくてはいけません。地上だからこそ味わえる体験を積まないといけません。かくして霊は一段と威力を増し強化されて、死後に待ち受けている生活への備えが出来るのです。” P41
⇒霊は威力を増し強化されて、次の世界に備える必要がある。


“人間の一人一人に神性の一部を植え付けて下さった宇宙の大霊とのより一層の調和を求めて、人のために自分を役立てる機会(霊界での仕事となる)をますます多く与えて下さるように祈ろうではありませんか。
そうした生き方の中においてこそ、すべて神が良きにはからって下さるという内的な安らぎ、静寂、悟り、落ち着きを得ることが出来ます。そして無限の創造活動を促進する上でわれわれも役目を担っていることになるのです。” P39  


自分の能力を伸ばして他人への援助を啓発(霊的真理の普及)の為に活用する(他人の霊的向上を手助けする)───それがあなた方のなすべきことです。” P32

 

≪解説≫
自我意識をもつために新しく魂になる霊や再生してくる魂など、魂の開発や霊的成長のために両極の世界(相対の世界)である物質界に肉体をまとって誕生してきます。
物質界はさまざまな霊性レベルの人間が混在するために波動がどうしても粗い世界となり、その波動の粗い物質界で生活し自我を表現するためには、波動の粗い肉体が道具として必要となってきます。ちょうど水中ダイビングのウェットスーツのようなものです。
そしてその波動の粗い肉体を維持するために、波動の粗い本能心(利己心・エゴ)が前面に強く出てくることになります。そのため、精妙な波動である“本当の自分”、霊的自我(霊魂・真我)は最低レベルの粗い波動である肉体の心、顕在意識上の意識している仮の我に妨害されて潜在意識下に隠されてしまいます。
霊的本体が隠される結果、利己(エゴ)が強くなり必然的に物質界特有の善と悪、憎しみと愛、幸と不幸、富と貧乏など対照的な両極の体験をすることになります。
霊性レベルの異なる霊魂が同じ物質界に混在し、唯物中心主義の両極・相対の物質世界で四苦八苦しながら、苦難・困難・試練をとおして魂が強くたくましく成長することが物質界に誕生する目的なのです。すなわち、この相対の世界を通して、困難・苦難の末に霊的自我に気づき霊的摂理への信仰(信念)を強化して霊的成長が図られるようになっているのです。
ではなぜそうなっているのでしょうか。それは次の生活の場である霊界で他人の霊的成長の手助けをし、無限の宇宙の創造・進化発展に寄与するという役目をそれぞれが果たすために、魂が強化され、強くたくましく成長する必要があるからです。そのため、物質界は次の大人の世界、霊界に備えての幼児レベルの保育所、幼稚園のようなものだといわれております。
ということは、“本当の自分”(霊的自我)に気づかず、霊的知識もなく他界するということは、幼児が基本的な霊的しつけもなされないまま大人の世界(霊界)に迷い込むということになるのです。


≪マトメ≫
地上人生の目的・・・ 無限、且つ、永遠の宇宙機構の中で他人への援助も含めて創造進化に寄与する役目を果たすために霊性を強化し、そのための十分な資格を得ること。

その目的を成就する方法・・・試練・困難など両極の体験をして霊的成長と利他心を養う。

そのための舞台装置・・・霊性レベルの異なる魂が混在する両極・対照の世界、物質界。

 

それでは人生の目的に適うようにするには、具体的にどのようにすればよいのでしょうか。
シルバーバーチは次のように語っています。

向上とは不完全さを洗い落し、完全(神)へ向けて絶え間なく努力して成長していくことです。それには今日一日を大切に生きるということだけでよいのです。
毎朝の訪れを性格形成のための無限の可能性を告げるものとして迎えることです。それが(霊的)自我を開発(発現)させ、人生に目的性をもたせることになります。
残念ながら今の地上のあまりに大勢の人たちが人生に対する目的意識を忘れております。
神の心をわが心とするように心掛けることです。霊力(神・摂理)と一体となるように心掛けることです。
皆さんの一人一人が神の愛の御手が触れるのを感じ取り、常に守られていることを知り、明日が何をもたらすかを恐れないようにならないといけません。

そして人のために自分を役立てる機会をいただいたことを喜ぶことです。” P34

 

―その他―
“さて、ここで人生体験が霊的に見てどのような意味を持っているかをご説明しましょう。
地上の人間は、なぜ苦しみがあるのか、病気には何の目的があるのか、なぜ危機、困難、障害といったものに遭遇しなければならないかといった疑問を抱きますが、これらはみなそれに遭遇することによってまずカタルシス(触媒反応)を起こさせ、続いてカタリスト(触媒・反作用)として霊的真理を学ばせる機会(作用)を提供してくれる、魂が是非とも体験しなければならない挑戦課題なのです。” P29


“しかし人間は生き続けます。地上で永遠に、という意味ではありません。地上的存在に不滅ということは有り得ないのです。物的なものには、その役割を終えるべき時期(最大100年)というものが定められております。分解して元の成分(元素)に戻っていきます。
大自然の摂理の一環として物的身体はそのパターンに従います。が、あなたそのものは存在し続けます。生き続けたくないと思っても生き続けます。自然の摂理で、あなたという霊的存在は生き続けるのです。” P20


物質はその本性そのものが束の間(最大100年)の存在であり移ろいやすいものです。物的に顕現している形態そのものには永続性はありません。それが存在を保っているのは霊によって生命を与えられているからです。
原動力(生命力)は霊なのです。霊こそがあなたを、そして他の全ての人を地上に生かしめているのです。霊が引っ込めば物質は崩壊します。あなたの身体は元の塵に戻りますが、本当のあなたである霊は永遠の進化の旅を続けます。
あなた方は霊を携えた身体ではありません。身体を携えた霊なのです。本当のあなたは鏡に映る容姿(肉体)ではありません。それ(肉体)は霊が地上で自我を表現するための物的な道具、複雑な機械に過ぎません。霊は物質に勝ります。霊が王様であり、物質は召使(道具)です。
こうした事実を追及していくうちに、あなたの視野と焦点の置きどころが変わっていくことに気づかれます。自分がなぜ地上にいるのか、真の自我(霊魂)を発揮するにはどうすべきか、そうしたことを理解し始めます。どういう種類のことであっても結構です。自分の能力を伸ばして他人への援助を啓発(霊的真理の普及)の為に活用する(他人の霊的向上を手助けする)───それがあなた方のなすべきことです。” P32


(参考)
物質世界特有の男性と女性には物質世界特有の役割分担があり、女性は子供を産み、男性は物質世界でその生活を支えるという役目が古よりあります。陰と陽の相対・補完関係ともいえます。ちなみに女性は女性ホルモンが男性よりも5倍も多く、男性は女性よりも男性ホルモンが2倍多いといわれております。ということは子供を産むために、男性よりも女性に対する女性ホルモンの肉体への影響が特に大きいということになります。そのため肉体の構造も子供を産むように創られております。但し、人間の“本当の自我”である霊魂には男女の区別はなく、まったく同一であるという霊的知識のもと、物質界で誰もが求め、且つ、評価されている美しく魅力的な容姿は、例外なく短期間(4、50年)に衰え崩壊するものであることを常に意識していることが大切です。そして、特に男性であれば誰にでもあり生涯にわたって決して消滅することのない性欲は、本能心同様、霊的成長に伴い霊性意識でコントロールすることが求められます。すなわち相手の“本当の姿”を観ることが必要となってきます。

 

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2018年10月用テキスト)

 

なぜ我々に自分の意志で生命を縮める権利がないのでしょうか。

 

なぜ我々は自分の苦しみに終止符を打つ自由をもたないのでしょうか。

 

では、シルバーバーチは“自殺”についてどのように語っているでしょうか。
以下は全て「シルバーバーチの霊訓」 九巻 十二章“自殺についての二つの投書”からの引用です。(P206~P217)

 

―試練・困難は霊的成長の必須条件―
“地上の人間は時として物事を逆さまに見ていることがあります。きわめて不完全な知識でもって判断しようとされます” P207

 

“物事には得があれば損があり、損があれば必ず得があるのです。物質的な観点(物的法則:肉体)からすれば得と思えることも、霊的な観点(霊的法則:霊魂)からすれば大きな損失であることがあります。すべては進化を促すための神の配慮なのです。
教訓を学ぶ道はいろいろありますが、最高の教訓の中には痛みと苦しみと困難の中でしか得られないものがあります。それが病気という形で現れることもあるわけです。人生は光と陰のくり返しです。片方だけの単調なものではありません。喜びと悲しみ、健康と病気、晴天と嵐、調和と混乱、こうした対照的な体験の中でこそ進歩が得られるのです
ということは双方に神の意志が宿っているということです。良いことにだけ神が宿っていると思ってはいけません。辛いこと、悲しいこと、苦しいことにも神が宿っていることを知ってください” P214

 

―背負いきれない荷は背負わされません―
 “(自殺によって)事態を改善するよりも悪化させるようなことは、いかなる魂に対してもお勧めするわけにはまいりません。自殺行為によって地上生活に終止符を打つようなことは絶対にすべきではありません。もしそのようなことをしたら、それ相当の代償を支払わねばならなくなります。それが自然の摂理なのです。地上の誰一人として、何かの手違いのためにその人が克服できないほどの障害に遭遇するようなことは絶対にありません。むしろ私は、その障害物はその人の性格と霊の発達と成長にとって必要だからこそ与えられているのですと申し上げたいのです。苦しいからといって地上生活にさよならをしても、その苦しみが消えるわけではありません。それは有り得ないことです。またそれ(自殺行為)は摂理(因果律)に反することです。地上であろうと霊界であろうと、神の公正(因果律)から(摂理違反は)逃れることはできません。なぜならば、公正は絶対不変であり、その裁定はそれぞれの魂の成長度に合わせて行われるからです” P206

いかなる事態も本人が思っているほど暗いものではありません。その気になれば必ず光が見えてきます。魂の奥に潜む勇気が湧き出てきます。
責任を全うしようとしたことが評価されて、その分だけ霊界からの援助のチャンスも増えます。
背負い切れないほどの荷(結果)はけっして負わされません。なぜなら、その荷はみずからの悪業(原因)がこしらえたものだからです。けっして神が“この人間にはこれだけのものを負わせてやろう”と考えて当てがうような、そんないい加減なものではありません” P210

 

―自殺は摂理への干渉(摂理違反)―
大多数は私に言わせれば臆病者の逃避行為であると言ってよいと思います。果たすべき義務に真正面から取り組むことができず、いま自分が考えていること、つまり死んでこの世から消えることがその苦しみから逃れるいちばんラクな方法だと考えるわけです。
ところが、死んだつもりなのに相変わらず自分がいる。そして逃れたはずの責任と義務の観念が相変わらず自分につきまとう。その精神的錯乱が暗黒のオーラを生み、それが外界との接触を遮断します。その状態から抜け出られないまま何十年も何百年も苦しむ者がいます。
いずれにせよ、(自殺すると)あなたの魂はあなた自身の行為(原因)によって(摂理違反という)処罰(結果)を受けます。みんな自分の手で自分の人生を書き綴っているのです。いったん書き記したもの(原因)は二度と書き変えるわけにはいきません(原因と結果の法則)。(無かったことにするという)ごまかしはきかないのです。自分で自分を処罰するのです(自由意志による自己責任)。その法則(因果律)は絶対であり不変です。だからこそ私は、あくまで自分(本当の自分・良心)に忠実でありなさいと言うのです” P210


これに関して「シルバーバーチの教え」(スピリチュアリズム普及会発行)下巻 23章:“さまざまな疑問に答える”から“自殺”に関する箇所を引用します。


まず最初は愛する伴侶を失って悲嘆に暮れている女性から、いっそ死んでしまいたいという気持ちを綴った手紙を読み上げられ、司会者が代わって質問する。


―司会者―
「この方のように最愛の伴侶に先立たれ生きる希望を失った人が自ら命を断つということは許されるものでしょうか。」


―返答―
許されません。因果律という摂理の働きは完璧ですからそれに忠実に生きなければなりません。摂理というのは、完全なる愛である大霊によって統制されており、全ての中に存在すると同時に全てのものを通して働いております。(辛いこと、悲しいこと、苦しいことにも P214)
その働き(因果律)に干渉する権利を有する者はいません。もしも干渉して自殺すれば、それなりの代償を支払わねばなりません。例えば熟さないうちにもぎ取ったりんごは美味しくないように、寿命をまっとうせずに無理やりに霊界へ行けば長い調整期間の中でその代償を支払わねばならなくなります。その上、その伴侶はもとより、他の縁ある人々とも会えなくなります。(利己的な波動によって)周囲にみぞをこしらえてしまうからです” P166


-自殺についての要旨-
●自殺は事態を改善するよりも悪化させます。
●自殺しても苦しみが消えるわけではありません。
死んだつもりなのに相変わらず自分がいる。そして逃れたはずの責任と義務の観念が相変わらず自分につきまとう。その精神的錯乱が暗黒のオーラを生み、それが外界との接触を遮断します。⇒ 地縛霊
●自殺によって全員が等しく受ける罰は、失望落胆です。(アランカルデック「霊の書」より)
●自殺によって物質の世界から霊の世界に移ったからといって、それだけで魂に課せられた責任から逃れられるものではありません。それだけは明確に断言できます。
●自殺すると摂理違反によって自分で自分を処罰することになります。(因果律)
●人間は物事を逆さまにみて(物的観点)、きわめて不完全な知識(唯物思想)で判断されます。
●地上の誰一人としてその人が克服できないほどの障害に遭遇することは絶対にありません。その障害物はその人の性格と霊の発達と成長にとって必要だからこそ与えられているのです。
●後追い自殺はその伴侶はもとより、他の縁のある人々とも会えなくなります。利己的な波動によって周囲にみぞをこしらえてしまうからです。


【解説】
自殺とは、すべてを無にするための逃避行為です。病気、倒産、仕事上の問題、貧困、いじめ、失恋、人間関係等々の諸問題を原因として、全てを帳消しにして無にするための手段としてとられるのです。
このことは、試練・困難や自らの行為などの「原因」に対して、その「結果」を甘受し克服解消せずに、自殺によって「原因」が無かったことにする、すなわち帳消しにすることは、「結果」の伴わない「原因」にすることになり、因果律という“摂理への干渉”(摂理違反)となるのです。原因と結果は表裏一体で切り離すことはできず、また一旦、原因が発生すると二度と書き換えるわけにはいかないのです。
同時に、生命とは神そのものであり、100年足らずの限られた地上人生とはいえ、自他の地上生命を自らの意思で地上から抹殺するという行為は、神すなわち摂理に真正面から背くことにもなるのです。


“魂の成長を促すものは善で、成長を遅らせるものは悪です”(シルバーバーチ霊訓 九巻)P198


地上世界では、この魂の成長を遅らせる、いや遮断する最たるものが自殺や殺人なのです。
もともと私たちは類魂を代表して、仲間に霊的成長の成果を持ち帰るためにどのような地上人生を歩むのか、障害や苦難も含めて前もって計画し出生してきます。いかなる魂も例外なく決して摂理に違反する自殺や殺人行為をすることを地上人生の目的として、予め計画し出生してきてはいないのです。ですからいくら気づいていないとはいえ、守護霊(類魂仲間)や背後霊に見守れ、導かれながら試練や困難に対処し、類魂を代表して霊的成長を計ることが地上人生の目的となっているのです。また、人間が有するのはあくまでも摂理(法則)の中での限られた自由であることを忘れてはなりません。

 

霊界通信によると、“背負えない荷は背負わされません。必ず克服できます”と語られていますが、残念ながらこれらの霊的知識も無く、安易な道を選択する人は跡を絶ちません。戦争もなく経済的に恵まれている日本でも、毎年2万人前後(1,700人/月間 毎日60人前後 2017年現在)の人が自殺をしています。
死後の世界は思念の世界ですので、たとえ物的身体(化の我)が滅んでも悩みや心配、恐れなど自殺の原因となった観念はそのまま不滅の自我である霊魂が他界へ持ち越します。
すなわち、自殺行為によって悩みもろとも自分自身(肉体と精神)が消滅したはずが、肉体そっくりの霊体に代わっただけで、地上世界の観念(精神)はそのまま他界に持ち越しているので、混乱状態に陥り、それがオーラのバリアーとなって内にこもって霊界からの迎を見えなくしてしまうのです(地縛霊化)。
繰り返しになりますが、自殺に至った不安・恐れの精神状態は、意に反して全く同じ状態でそのまま他界後も続くことになるのです。さらにもっと悪いことには、地上世界では時間軸があるために、医療をはじめ家族など周囲からの様々な愛情や支援もそれなりに五感に感じられ、また周りの環境や状況も、時間と共に変化し立ち直る機会もありますが、霊界では時間軸のない思念の世界ですので、自分が変らない限り周りが変化するわけでもなく、はるかに長い間この闇の状態が続くことになります。また同時に、自殺はカルマ(業)の原因ともなり精算するまで後々続くことになります。こうして自殺前よりも事態はもっと悪くなるのです。


“その状態(外界から遮断した暗闇)から抜け出られないまま何十年も何百年も苦しむ者がいます” (九巻)P210


“(自殺によって)事態を改善するよりも悪化させるようなことは、いかなる魂に対してもお勧めするわけにはまいりません。自殺行為によって地上生活に終止符を打つようなことは絶対にすべきではありません” (九巻)P206
                                         

 

※スピリチュアリズムの観点から自殺予防を取り上げたブログを下記に記します。

●自殺ダメ http://jisatsushashin.com/
●自殺の甘い罠 http://jstnamiwn.nobody.jp/index.html

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2018年9月用テキスト)

シルバーバーチの霊訓 九巻 十二章 “自殺についての二つの投書” 

     ※今回は2018年9月の寸感“自殺”を今月のテキストとして使用します。
九巻 十三章 “おしまいに”   ① ~ ⑥・・・シルバーバーチの謙虚さをあらわす


“私は、こうした形で私にできる仕事の限界をもとより承知しておりますが、同時に自分の力強さと豊富さに自信をもっております。①自分が偉いと思っているというのではありません。私自身はいつも謙虚な気持ちです。
本当の意味で謙虚なのです。というのは、②私自身はただの道具にすぎない───私をこの地上に派遣した神界のスピリット、すべてのエネルギー(霊力)とインスピレーションを授けてくれる③高級霊の道具にすぎないからです。が、私はその援助のすべてを得て思う存分に仕事をさせてもらえる。その意味で私は自信に満ちていると言っているのです。
私一人ではまったく取るに足らぬ存在です。が、⑤そのつまらぬ存在こうして霊団をバックにすると自信をもって語ることができます。霊団が指図することを安心して語っていればよいのです。威力と威厳にあふれたスピリットの集団なのです。進化の道程をはるかに高く昇った光り輝く存在です。人間全体の進化の指導に当たっている、真の意味での霊格の高いスピリットなのです。⑥私自身はまだまだ未熟で、けっして地上の平凡人からも遠くかけ離れた存在ではありません。私にはあなた方の悩みがよく分ります。私はこの仕事を通じて地上生活を永いあいだ味わってまいりました。あなた方お一人お一人と深くつながった生活を送り、抱えておられる悩みや苦しみに深く関わってきました。が、振り返ってみれば、何一つ克服できなかったものがないことも分かります
霊力というのは必要な条件さえ整えば地上に奇跡と思えるようなことを起こしてみせるものです。私たちは地上の存在ではありません。霊の世界の住民です。地上の仕事をするにはあなた方にその手段を提供していただかねばなりません。あなた方は私たちの手であり、私たちのからだです。あなた方が道具(霊力の通路)を提供する───そして私たちが仕事(霊力を降ろす)をする、ということです” P220
⇒ この必要な条件とは、霊的摂理への順応、信仰(信念)、精神の統一のこと。
⇒ ここにある“光り輝く存在や霊団”を“シルバーバーチ”に、そしてその“地上の道具”としての自分に置きかえればよいのです。


“私たちの願いは、あなた方に生き甲斐ある人生を送ってもらいたい。持てる知能と技能と才能とを存分に発揮させてあげたい。そうすることが地上に生をうけた真の目的(霊性の発現と成長)を成就することにつながり、死とともに始まる次の段階の生活(実在の世界・霊界)に備えることにもなる───そう願っているのです” P224
⇒ 自分自身は未熟でも一向に構わない。それでも生きがいある人生が送れる。


こちらでは霊性がすべてを決します。霊的自我(真我・霊魂)こそすべてを律する実在なのです。そこでは仮面(マスク・仮我・肉体)も見せかけも逃げ口上もごまかしも利きません。すべてが知れてしまうのです” P224

こちらの世界(霊界)こそ実在の世界であり、地上は実在の世界ではないのですそのことは地上という惑星を離れるまでは理解できないことかも知れません” P225

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2018年8月用テキスト)

シルバーバーチの霊訓 九巻 十一章 “三つの出張講演から” つづき

2018年5月用のテキストと同じ

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2018年7月用テキスト)

シルバーバーチの霊訓 九巻 十一章 “三つの出張講演から” つづき

2018年5月用のテキストと同じ

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2018年6月用テキスト)

シルバーバーチの霊訓 九巻 十一章 “三つの出張講演から” つづき

2018年5月用のテキストと同じ

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2018年5月用テキスト)

シルバーバーチの霊訓 九巻 十一章 “三つの出張講演から”

 

―始めに―
大人の霊
●物的惰眠から目覚める段階まできた魂(大人の霊 九巻P18)は、あなたの行動範囲にみずからやってくるか、あるいはあなたの方から訪れて、魂のタネ(霊的知識)が蒔かれることになります。そのように導かれるのです
それでもし失敗したら、ひそかに涙を流してあげなさい。自分のためにではなくその人のためにです。その人は絶好のチャンス(霊的覚醒と霊的成長、及び豊かさ)を目の前にしながら、それをとらえ損ねたのです。 P164


霊的自我が目覚めて、始めて扉が開かれる
地上生活のそもそもの目的は人間が身体的・精神的・霊的の全側面を活用して生活することであり、その三つの側面が機能するに至るまでは本当の意味で生きているとは言えません
身体と精神のみで生きている間は影と幻を追い求め、実在に気づかずにおります。霊的自我(本当の自分・霊魂)が目覚めてはじめて、驚異的な霊的可能性と冒険への扉が開かれます。地上という物質の世界へ生まれて来たのは、その霊的自我を開発(霊的成長)するためです P164
⇒三つの全側面の活用による霊的成長


三つの側面が機能すると
●(私は)ひたすらお役に立ちたいと望み、神の子等が、霊と精神と身体とが調和的に機能した時に得られる充足感、豊かさ、美しさ、生きる喜び、こうしたものを味わえるようになる生き方をお教えしようとしているのです。
(霊的知識があるので)あなた方は自分を役立てる掛けがえのない好機を手にしていらっしゃいます。そして他人のために自分を役立てることほど偉大な宗教的行為はないのです。 P157
⇒利他は神に仕える唯一の行為(神性の発揮)であり、結果として霊的自我の開発(霊的成長)につながる。


霊的発達段階の違いによる理解の違い
●叡智が増えれば増えるほど選択の余地が少なくなるということです。増えた叡智(霊的知識・悟り)があなたの果たすべき役割を迷うことなく的確に指示します。
われわれはみずからの意志でこの道を志願した以上は、使命が達成されるまで頑張らねばなりません。あなた方はこの道をみずから選択なさったのです。ですから他に選択の余地はないことになります。  
叡智というものは受け入れる用意ができた時にのみ与えられるものです。それが摂理なのです。 P202 ⇒霊的成長は一歩一歩少しずつ段階を踏んで進む


問題は、人類の一人一人が知的にも道徳的にも霊的にも異なった発達段階にあることです(霊性レベルの混在は地上世界特有の環境)。一つの共通した尺度というものがないのです。
あなた方の仕事においてさえも、各自の霊的進化のレベルが異なるという、その単純な事実に由来する衝突がたくさんあります。

霊的覚醒(霊的理解度)というのは霊性の進化とともに深まるものです。となると、あなたが高級霊との一体関係を確立しても、あなたと同じ発達段階に到達していない者がそれに参加することができないのは明白なことです。したがってあなたはあなたとして活用しうるかぎりの手段を駆使して最大限の成果をあげることに努力するしかないわけです


この問題は私たち霊界の者にとっても無縁の問題ではありません。私たちも常に同じ問題に直面しているからです。私たちは地上の人間を道具として仕事をするのですが、その中には霊界側として期待している水準にまで達しない者がいます。しかし、それはそれとして最善を尽くすしかないのです。 P159

 

第一部:

① 霊力とは
② 思念には実体がある
③ 心配してはいけません
④ スピリットヒーリングの開発方法
⑤ なぜ治らないのでしょうか


第二部:

① しくじっては学ぶ
② 茨の道
③ 我とは霊魂なりの自覚
④ 人生行路に信仰(信念)は必須

 

第一部
霊力とは
霊力は大霊なり
●私たちの関心はどこでもよいのです。霊力、神の力――私はそれを大霊と呼んでいるのですが──それが地上に根づくことです(霊的知識の普及)。それが私たちの努力の背後の目的です。
なぜ霊力を根づかせようとするのか。それは、霊力には魂に感動をもたらし、真の生命に目覚めさせる力があるからです(魂に感動をもたらし霊的覚醒へと導く力 P164)。どこであってもよいのです。教会の中であっても、外であっても、家庭内でもいいのです。目的とするのは一人一人のです。 P163


●大霊は神格化された人物ではありません。生命力であり、原動力であり、活性力であり、意識であり、生気です。そうした原理の精髄です。無限なものです。したがって霊力も無限です。それは誰の占有物でもありません。(霊力の)通路となりうる人なら誰にでも流れます。 P170
⇒ この霊力の具体的な例として、叡智やヒーリングエネルギーなどがある。


●非物質的なエネルギー(霊力)を表現する適切な用語が見当たらないのです。こう理解して下さい。霊力とは生命力であり、生命の素材そのものであること、活力であり無限に存在すること、可変性があり、無限の形態をとることができ、無限の置きかえと組み合わせが可能である、ということです。 P174

 

その霊力を遮断する行為とは
哀悼者の悲しみの念が壁となって他界した霊を近づけなくするように、気苦労のバイブレーション(霊界では実在の壁となっている)に取り囲まれてしまうと精神的・霊的雰囲気が乱されて、ますます霊を近づきにくくします。 P192

 

思念には実体がある
霊界では精神(思念)がすべてをこしらえる上での実体のある媒体だからです。 P175
                                      

こちらの世界では思念に実体があることを忘れてはなりません。私があなたを見る時、私にはあなたの身体は見えません。霊媒の目を使えば見えるかも知れませんが。
私たちにとって実体があるのは思念の方であり、実体がないのは身体の方です。あなたが思念を出せば、それがたちどころに実在物となるのです(霊界では信仰心や、心配・不安・取り越し苦労も実在物となり隠せない)。それがバイブレーション──波動(実在物)をこしらえます。それが遠隔治療で使用されるのです。 P178

 

心配してはいけません
●あなたは仕事上の心配と呼んでおられますが、それは私のいう不調和状態のことです。
精神と肉体と霊とが正しい連繋関係にあれば、仕事上の心配も、そのほか何の心配も生じません。心配する魂はすでに調和を欠いているのです。
霊的実在についての知識(霊的摂理)を手にした者は心配をしてはなりません。取越苦労は陰湿な勢力です。進化した魂には縁のないものです。あなたはそれを仕事上の心配と呼び、私は不調和状態と呼んでいるのです。自分が永遠の霊的存在であり物質界には何一つ怖いものはないと悟ったら、心配のタネはなくなります。 P182


●しかし率直に申し上げさせていただけば──素直に言い合うことが協力の基本だと思うからこそですが──皆さん方は俗世間的な問題に関わりすぎており、そうした問題のすべての解決のカギである霊の力(霊力)を十分に活用していらっしゃいません。
⇒ では、霊力を活用する方法として、霊(守護霊や指導霊などの背後霊)の力を借りることがある。そのためには日常生活で気苦労(実在の壁となるため)を持たないことが大切。


このことを私は、私たち霊団の協力者である皆さん方──われわれの関係は主と従ではありません。対等の協力者です──そして地上の使節としてその任に恥じない生き方を望んでおられる皆さん方に、最大限の誠意と謙虚さをもって申し上げたいと思います。皆さんのような霊的知識を手にされた方が悩んだり、心配の念の侵入を許して取越苦労をするようではいけません。  P191 ⇒霊的摂理に対する信頼(信仰)がなく、心配の念が壁となって霊の力が遮断されるから

●霊的知識があるからこそ、いかなる心配、いかなる悩み、いかなる不安にも、皆さんの精神的・身体的・霊的環境の中への侵入を許してはならないのです。心配、悩み、不安──こうしたものは(霊界からの)援助の力の通路そのものを塞いでしまいます。  P192


一身を預けることです
●つねに新しい側面が台頭しています。物理的心霊現象がおもむろに後退し、心霊治療と霊的教訓(霊的摂理)という高等な側面がそれと取って代わりつつあります。地上の人間の進化のサイクルが変わりつつあるからです。あなた方は霊的に導かれるままに進まれるがよろしい霊的進歩には型にはまった様式はありません。今日まで導いてきてくれた力を信じて一身を預けることです。その力(霊力)こそ、地上のあらゆる物的財産に勝る珠玉の知識(霊的真理)をもたらしてくれた力です。ひたすらに前向きに歩まれることです。どこにいても最善のものを施すことです。かならずや導かれ、援助を受けます。 P165


自分なりのベストを尽くせばよい
案ずることはありません。あなた方は自分なりの最善を尽くせばよいのです。もうこれ以上はできないというところまで努力したら、それ以上はムキにならず、あとは私たちに任せる気持におなりなさい。(P165)人間は自分にできるかぎりの努力をしていればよいのです。それ以上のことは要求しません。 P160


-マトメー
苦難・心配・取越苦労・失敗など ⇒ 最善の努力をする ⇒ あとは霊的約束への信仰をもって守護霊・指導霊に一身を預ける ⇒ 試練の克服 ⇒ 霊的成長

 

ヒーリング能力の開発方法
心霊的(サイキック)な能力と霊的(スピリチュアル)な能力とは違います。心霊治療家にもサイキック・ヒーラーとスピリチュアル・ヒーラーとがあるわけです。後者の場合は生活態度を可能なかぎり理想に近づける努力をしなければなりません(霊主肉従の生活と利他愛の実践)。
能力はあっても、それをどこまで開発するかは治療家自身の責任です。 P173


●では治療能力はどうやって発達させるか。その答えはサークル活動(読書会等)に参加することではありません。それもプラスにはなります。心に宿す動機(利他の心)も発達を促します。日常生活の生き方(霊主肉従)によっても発達します。可能なかぎりの純粋性と完全性を目標とした心がけ(良心に従う)によっても発達します。できるだけ良くしてあげたいという願望(慈しみの心・利他)を大きくしていくことによっても発達します。
自我を発達させる唯一の方法は自我(自己中心・利己主義)を忘れることです。他人のことを思えば思うほど(それには苦難や試練を経験した心からの慈しみ・思いやりの心が必要となる)、それだけ自分が立派(霊的自我の開発が進む P164)になります。
よい治療家になる方法を教えてくれる書物はありません。 P180


霊力は明るく楽しい、愉快な精神状態の時にもっとも有効に作用し、反対にみじめで疑い深く、動揺しやすい心(精神・思念)は、霊的雰囲気をかき乱して治療の妨げとなります。 P179
⇒ そのため患者は寝ている時がヒーリングにとって良い場合がある。


治療家に患者のオーラが見えるか否かは問題ではありません。症状の診断ができるか否かも問題ではありません。そういうことにこだわってはいけません。要は霊が使いやすい状態(心配・取越苦労がなく明るく楽しい、愉快な精神状態)になることです。 道具としてなるべく完全になることを心がけることです。完全な道具としてマイナスの要素となる人間的弱点を極力排除しなくてはなりません。そう努力することで霊力が豊富に流れるようになります。背後霊団との協調関係を決定づけるのは治療家の日常生活です(霊主肉従の生活と利他愛の実践 P173) P179


遠隔治療

●いったん遠隔治療のための絆ができても、次の治療の時はまた改めてこしらえる必要があるのでしょうか。
いったん出来たら、もうその必要はありません。霊界との絆は磁気的なものです。いったん出来あがったら二度と壊れることはありません” P183


健康な状態のイメージ療法
●すると治療家が患者に対した時には完治するという思念を抱いて、完全な健康のイメージをもつことが治療にプラスになるのでしょうか
大いにプラスになります。なぜなら、思念には実体があるからです。完全な健康状態のイメージを強くもてばもつほど、その成就へ向けて近づくことになります。あなた方もその理想へ向けて不断の努力をすべきです。最高のものを心に画くべきです。絶対に希望を棄ててはいけません。常に朗らかで楽観的な雰囲気を出すべきです。そうした条件が最高の成果を生みます
P183 ⇒ これはなにもヒーリングに限らず、万般に通じる摂理。(原因と結果の法則:ジェームス・アレン 1864年—1912年)


精神疾患は治るのか
●精神に異常のある方は本当に気の毒でならないのですが、治療家として無力であることを痛感させられています。
精神上の病も治すことができます。身を私たちにあずける──あなたに要請されるのはそれだけです。ご自分を通して霊力が流れるようにするのです。じかに治療できない人には遠隔治療を施してあげなさい。霊的治療はもはや地上に根づいております。退散することは決してありません” P190

 

なぜ治らないのでしょうか
●なぜ治らない人がいるのでしょうか。
“それはその人が霊的にまだ治る資格がない(カルマも含む)ということです” P182


●私が申し上げているのは、治る可能性のある病気が治らない場合、それはその患者にまだ治るための霊的資格ができていないからだということです。 P186


●他にもいろいろと考慮しなければならない条件があるのです。奥に隠れた原因があってそれに絡んだ霊的摂理が働いており、さらにその奥にも次元の異なる摂理が働いているのです。P186

心霊治療は単純ではない
●心霊治療は見かけほど単純ではないのです。ただ患部を治せばよいというものではありません。評価されるのは魂に関わることです。魂にいかなる意味が及ぶか、治療がいかなる意味をもつことになるか。なぜその患者は心霊治療家のもとを訪れたのか、その患者は魂が目を覚ます霊的進化の段階に到達しているか。こうしたことは物的尺度では測れないことばかりです。が、心霊治療にはそれらがすべて関わっているのです。なぜなら、治療にたずさわっている間は生命力(霊力)そのものを扱っているからです。ということは、宇宙の永遠の創造活動に参加しているということになります。私が治療家の責任の重大性を強調する理由はそこにあります。 P187

 

第二部
しくじっては学ぶ
もしもあなたが何一つ間違いを犯さない人だったら、あなたは今この地上にはいらっしゃらないはずです。間違いを犯す人間だから地上に来ているのです。しくじってはそこから教訓を学ぶのです。もしもしくじらないほど完全な人間だったら、物質界に生まれてくる必要はありません。勉強のために地上へ来ているのです。しくじっては学ぶ──それが進化の法則の一環なのです。  P167


善と悪・苦と楽
●地上の人間にとって苦しみは悪であり、痛みは歓迎されませんが、実質的には必ずしもそうではありません。苦は楽と同じく神の計画の一部です。苦がなければ楽もなく、暗闇がなければ
光明もなく、憎しみがなければ愛もありません。作用と反作用は同じものであると同時に正反対のものです。一つのコインの両面と思えばよろしい。善と悪はともに不可欠のものであると同時に、相対的なものです。地上にはさまざまな道徳的規範があり、国によって異なります。
たった一つの絶対的規範というものはありません。私たち霊にとっての価値基準はただ一つ──魂にどういう影響を及ぼすかということです。魂の成長を促すものは善で、成長を遅らせるものは悪ですそこが大切な点です。 P198 ⇒ 結果として魂の成長をもたらせば苦も善となる。


われわれは霊的真理の崇高なる啓示にあずかった、本当に祝福された者ばかりです。それ故にこそ、その知識に伴う責任に恥じない仕方(霊的摂理に適った生き方)をしようではありませんか。過去はもう過ぎ去ったのです。これまでに犯した間違いはお忘れになることです。皆さんは間違いを犯しそれから学ぶために地上へやって来たようなものです。過ぎ去ったことは忘れることです。大切なのは今現在です。(P167参照)
今、人のためになることをするのです。どんな形でもよろしい。自分の置かれた物的環境条件から考えて無理でない範囲のことを行えばよろしい。先のことをあまり考え過ぎてはいけません。皆さんが皆さんの役目を果たしていれば、私たちは私たちの役目を果たします。そして、そうした協調関係の中では絶対に挫折はないことをお約束いたします。
 P193

 

類魂仲間の体験
●みんなグループソール(類魂)に属しているとなると、仲間の良い体験の恩恵をこうむると同時に、良くない体験の悪影響も忍ばねばならないのでしょうか。
“その通りです。それが全体に寄与するのだと思えば、それも有難い体験です” P201

 

いばらの道
●皆さん方が進まれる道は決して容易ではありません。それは皆さんが、潜在的な霊的資質を開発する(霊的成長の)チャンスをみずから欲するだけの器量を具えていらっしゃるからです(大人の霊)。神の使節(霊界の道具)に気楽な人生は有り得ません。進化と向上を求める者、地上の人間として到達しうるかぎりの高級界に波長を合わせんとする者にとって、安易な道は許されません。近道など有りません。酷しい試練と絶え間ない危険との遭遇を覚悟し、今たずさわっている仕事、それは実は───これがいつも議論のタネになるのですが───皆さんが地上へやってくる前にみずから志願されたものなのですが、それをあくまでも成就させんとする決意を要請されます。それは皆さんがみずから選択された道なのです。(幸運・ご利益主義の宗教とは真逆)霊的闘争における勝利はそう簡単には得られません。霊的なものが支配権を握るに至る過程は長くて過酷なものです(P155 肉主霊従 ⇒ 霊主肉従)。が、一度手中にすれば、それは永遠です。決して失われることはありません。 P155 
⇒ 地上界にいる間にできるだけ多くの霊的摂理・叡智・悟りという永遠の宝を手に入れ、霊的成長を目指すこと。


所詮は皆さん自身の道なのです。その道を進むのはあなた方自身です。(P155)そして一つの困難を克服するごとにあなた方自身が霊性を強化し、霊的な仕事にたずさわる者として、より大きな資格を身につけて行かれるのです。
ですから、困難の挑戦を大いに歓迎することです。困難を避けたいと思うような者は神の仕事には無用です。闘いの真只中、しかも物質万能思想との闘いという最大の闘争において、あまりの激しさに将軍や指揮官が敵前逃亡をするようなことがあっては断じてなりません。耐え忍び、みずから志願したこの神聖なる仕事を成就すべく、鍛えられ、しごかれ、また鍛えられ、しごかれなければならないのです。
われわれに対抗する勢力は、地上においても霊界においても、実に強力です。しかし、いかに強力といっても、神の意志をしのぐほどの力はありません。永年にわたって地上での仕事にたずさわり、幸にして地上での神の計画の一部を知ることを得た私が絶対的確信をもって申し上げますが、霊力はすでに地上に根づいております。 (中略) すぐれた霊の道具によって世界各地に霊力の前進基地がすでに設けられ、今その地固めが行われているところです。 P156
⇒“新しい地球の夜明け”がすでに始まっている。

 

我とは霊魂なりの自覚
本当の自分と人生の目的
●霊のもつ才能(霊能力)、霊の力は、神の子の一人一人が有する神性を目覚めさせ(P163 霊的覚醒へと導く力)、地上に生まれて来たことの意味(人生の目的)を(人に)理解させるために使用すべきです。 (中略) 目指す目標は必須の要素すなわち自分とは一体何者なのか、何の目的でこの地上に存在しているのかについての自覚を植えつけることです簡単に言えば、自分の霊的宿命(人生の目的)を成就するために自分の霊的起原を知ってほしいということです。 P169

 

“本当の自分”は忘れがち
●物質の世界に閉じ込められ、肉体をもつが故の数々の義務を背負っておられる皆さんにとって、P155

自分が本来は霊的存在(霊魂)であることを忘れずにいることは難しいことでしょう。
が、皆さんの本性(本当の自分・霊魂)の中を神の力(霊の力)が流れているのです。


霊性発達のチャンス
●霊性の発達を促すためのチャンスはすべての人間に平等に与えられています。私はすべての人間が同じ霊格を身につけることになるとは言っておりません。そのチャンスが与えられていると言ったのです。金持ちであるか貧乏であるかは関係ありません。他人のためになることをするのに地位や名声、財産といったこの世的なものは必要ありません。 P199
⇒心からの慈しみの利他は、神に奉仕する唯一の道であり、神性があなたを通して顕現するために霊的発達へと繋がる。

生命の原理、霊的真理の基本を忘れないようにしましょう。それさえ確保しておれば、存在の目的(人生の目的)を成就していることになるからです。 P203  ⇒霊的成長

 

人生行路に信仰(信念)は必須
●美と豊かさと荘厳さと威厳と光沢と気高さと光輝とにあふれた霊力そのものには際限というものはありません。ただ、人間がこしらえる条件によって制約されるのみですどうか信念に裏打ちされた、とらわれのない通路、安易に信じるのでなく、これまでに得た(霊的)知識を基盤とした信念──進化の現段階では無限の知識を手にすることが不可能である以上どうしても必要となる信念(信仰)に燃えた通路であってほしいのです。 P192 ⇒ 信仰

知識を基盤とした信念(信仰)に燃えてください。皆さん方の一人一人が霊の導きによって今日まで苦難と危機と困難を乗り切ってこられたのです。振り返ってごらんになれば、その導きの跡が読み取れるはずです。そこで、人間的煩悩ゆえに時には背後霊を手こずらせることはあっても、これほどのことをしてくださった背後霊が自分を見放すはずはないとの信念(信仰)に燃えなくてはいけません。 P193


●私たちの関心は霊的な結果です。きたんなく言わせていただけば、あなた方は物的な結果だけを見つめておられることが多すぎます。この連盟の歴史を振り返ってごらんになれば、霊の導きが決して少なくないことがお分かりになるはずです。
私たちが基本的原理(霊的摂理)のいくつかを確信をもって明言できるのは、それらが永遠の実在に基づいているからにほかなりません。もしも地球が地軸上の回転をやめるような事があったなら、あるいは汐が満ちるべき時に満ちてこず引くべき時に引かないようなことがあったなら、あるいは又、星雲が回転のパターンからはずれるようなことがあったら、私はこれほどの確信をもって説くことはできないでしょう。が、大霊は全知全能であり、その霊力の働きは完全無欠です。そこで私はその霊力に全幅の信頼(信仰)を置く者に決して挫折はないと確信をもって申し上げるのです。 P195 ⇒霊的摂理は永遠不滅

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2018年4月用テキスト)

シルバーバーチの霊訓 九巻 十章:質問に答える――イエス・キリストについて

  ―ナザレのイエスとシルバーバーチ―

 

「わたしを信じる者は、またわたしのしているわざをするであろう。そればかりか、もっと大きいわざをするであろう。わたしが父のみもとに行くからである。」(ヨハネによる福音書14章12節)


このイエスの語った“もっと大きいわざ”の真の意味が、シルバーバーチによって始めて解き明かされました。⇒ 九巻 一章 “シルバーバーチはなぜ戻ってきたか”(参照)


〈質問〉 P138
一牧師からの投書が読み上げられた。
シルバーバーチ霊はイエス・キリストを宇宙機構の中でどう位置づけているのでしょうか。
また〈人間イエス〉と〈イエス・キリスト〉とはどこが違うのでしょうか。


〈返答〉

ナザレのイエスは地上へ降誕した一連の予言者ないし霊的指導者の系譜の最後を飾る人物でした。そのイエスにおいて霊の力が空前絶後の顕現をしたのでした。
イエスの誕生には何のミステリーもありません。その死にも何のミステリーもありません。
他のすべての人間と変らぬ一人の人間であり、大自然の法則にしたがってこの物質の世界にやって来て、そして去って行きました。が、イエスの時代ほど霊界からのインスピレーションが地上に流入したことは前にも後にもありません。イエスには使命がありました。それは、当時のユダヤ教の教義や儀式や慣習、あるいは神話や伝説の瓦れきの下敷きとなっていた基本的な真理のいくつかを掘り起こすことでした。 (現在のキリスト教も同じ24億人/世界人口75億人)
そのために彼はまず自分へ注目を惹くことをしました。片腕となってくれる一団の弟子を選んだあと、持ちまえの霊的能力を駆使して(物理的)心霊現象を起こしてみせました。イエスは霊能者だったのです。今日の霊能者が使っているのとまったく同じ霊的能力を駆使したのです。彼は一度たりともそれを邪なことに使ったことはありませんでした。
またその心霊能力は法則どおりに活用されました。奇跡も、法則の停止も廃止も干渉もありませんでした。心霊法則にのっとって演出されていたのです。そうした現象が人々の関心を惹くようになりました。そこでイエスは、人間が地球という惑星上で生きてきた全世紀を通じて数々の霊覚者が説いてきたのと同じ、単純で永遠に不変で基本的な霊の真理(原理)を説くことを始めたのです。それから後のことはよく知られている通りです。世襲と伝統を守ろうとする一派の憤怒と不快を買うことになりました。が、ここでぜひともご注意申し上げておきたいのは、※イエスに関する乏しい記録に大へんな改ざんがなされていることです。ずいぶん多くのことが書き加えられています。ですから聖書に書かれていることにはマユツバものが多いということです。出来すぎた話はぜんぶ割り引いて読まれて結構です。実際とは違うのですから。
もう一つのご質問のことですが、ナザレのイエスと同じ霊、同じ存在が今なお地上に働きかけているのです。死後いっそう開発された霊力を駆使して、愛する人類のために働いておられるのです。A) イエスは神ではありません。全生命を創造し人類にその神性を賦与した宇宙の大霊そのものではありません。

いくら立派な位であっても、本来まったく関係のない位にイエスを祭り上げることは、イエスに忠誠を尽くすゆえんではありません。父なる神の右に座しているとか、“イエス”と“大霊”は同一義であって置きかえられるものであるなどと主張しても、イエスは少しもよろこばれません。イエスを信仰の対象とする必要はないのです。イエスの前にヒザを折り平身低頭して使える必要はないのです。それよりもイエスの生涯を人間の生き方の手本として、さらにそれ以上のことをするように努力することです。” 
(この“大きいわざ”が、DD・ホームやエドガー・ケイシー、ハリー・エドワーズなどの物理的心霊現象やスピリチュアル ヒーリングでないことは明らか。)


第1回ニカイア会議・・・小アジアのニカイアNicaea(現イスニク)で開かれた二度のキリスト教会の総会議。ニケーア公会議ともいう。325年コンスタンティヌス1世(大帝)によって招集され、アリウス論争を処理するために開かれた。参会者は318名とするのが通説だがつまびらかでない。議事は三派に分けて進められた。左翼はアリウス派で、アリウスは長老で司教でないため投票権がなく、テオナス、セクンドゥスの2人のエジプト人の司教などが代表者となった。右翼は正統的伝統派で、アレクサンドリアの司教アレクサンドロスが代表し、その輩下に若い執事アタナシウスがおり、強烈にアリウス派に反対した。中間派は多数だが、主体的立場は少なかった。この公会議においてニカイア信条が制定され、キリストを父なる神と同質(ホモウシオス)とする語が挿入され、子は無から生じ、存しなかったときがあるとするアリウス説が退けられ、この信条への署名を拒否したテオナスとセクンドゥスはアリウスとともに追放された。なおこの公会議で、復活祭の日を春分の次の満月の後の最初の日曜日とすることが定められた。
[秀村欣二] 日本大百科全書(ニッポニカ)の解説より

 

〈質問〉
イエスの教えがその時代の人間にとっては進み過ぎていた――だから理解できなかった、という観方は正しいでしょうか。


〈返答〉
そうです。おっしゃる通りです。ランズベリーやディック・シェパードの場合と同じで、時代に先行しすぎた人間でした。時代というものに彼らを受け入れる用意ができていなかったのです。” P142 


●“愛を最高のものとした教えは立派です。それに異議を唱える人間はおりません。愛を最高のものとして位置づけ、ゆえに愛はかならず勝つと説いたイエスは、今日の指導者が説いている霊的真理と同じことを説いていたことになります。 (中略) どうもうまく説明できないのですが、イエスも生を受けた時代とその環境に合わせた生活を送らねばならなかったのです。その意味で完全では有り得なかったと言っているのです。そうでなかったら、、自分よりもっと立派なそして大きな仕事ができる時代が来ると述べた意味がなくなります。” P145 


≪解説≫ ①~④
1.“もっと立派な大きな仕事”とは
イエスのいう“もっと大きいわざ”とは空前絶後の心霊現象のことではなく、シルバーバーチのいう“大きな仕事”のことであり、それは“地上で為し得る最も偉大な仕事”(九巻P82)

すなわち人類の進化に見合った霊的真理を地上世界に広めることを指しています。



霊的無知の牢に閉じ込められている人々へもっと進んだ霊的知識を広めるということは、時代に先行しすぎて受け入れられなかった当時のナザレのイエスよりも“大きなわざ”が我々にもできるということになります。

また、“父のみもとに行くからである”ということは、霊界に帰り大霊団を組織して地球人類救済のリーダーとして霊界から地上世界を指揮指導することにあります。A)


2.“時代が来る”
“(20世紀のこの時代はイエスの時代とは)世の中は変わっており、霊的叡智に耳を傾ける人が増え、霊力の受容力が増しております。霊的真理も大きく前進しました。” P23


●一方ではその間違った教えによって傷ついた人、(霊的)無知の牢に閉じ込められている人、永遠の苦悶と断罪の脅迫(キリスト教の教義のこと)によって悲惨な生活を強いられている人が無数にいるからです。 P150


【キリスト教の教義上の呪縛】 ⇒以降は霊的摂理
1.贖罪(アダムとイブによる原罪の許し・・十字架による身代わり)⇒ 原因と結果の因果律
2.永遠の命(復活、最後の審判、天国と地獄)⇒ 人間は霊魂で、元々永遠の命を有している
3.三位一体の神 ⇒ ナザレのイエスは人間である


形式を超えた霊と霊との直接の交渉、地上的障害を超越して次元を異にする二つの魂が波長を合わせることによって得られる交霊関係――これが最高の交霊現象です。B) P149


【関連個所】・・・九巻 一章“シルバーバーチはなぜ戻ってきたか”より
●私が直面した最大の難問は、同じく地上に戻るにしても、人間が納得する(死後存続の)証拠つまり物理現象を手段 心霊現象とするか、それとも(霊言現象による)真理の唱道者 霊界通信となるか、そのいずれを選ぶかということでした。結局私は難しい方を選びました。
自分自身の霊界生活での数多くの体験から、私は言わば大人の霊、つまり霊的に成人した人間の魂に訴えようと決意したのです。真理をできるだけ解りやすく説いてみよう。常に慈しみの心をもって人間に接し、決して腹を立てまい。そうすることで私がなるほど神の使者であることを身をもって証明しよう。そう決心したのです。

同時に私は生前の姓名は絶対に明かさないという重荷をみずから背負いました。仰々しい名前や称号や地位や名声を棄て、説教の内容だけで勝負しようと決心したのです。

結局私は無位無冠、神の使徒であるという以外に何者でもないということです。私が誰であるかということが一体なんの意味があるのでしょう。私がどの程度の霊であるかは、私のやっていることで判断していただきたい。私の言葉が、私の誠意が、そして私の判断が、暗闇に迷える人々の灯となり慰めとなったら、それだけで私はうれしいのです。
人間の宗教の歴史を振り返ってごらんなさい。謙虚であったはずの神の使徒を人間は次々と神仏にまつり上げ、偶像視し、肝心の教えそのものをなおざりにしてきました。私ども霊団A)の使命はそうした過去の宗教的指導者に目を向けさせることではありません。そうした人たちが説いたはずの本当の真理、本当の知識、本当の叡智を改めて説くことです。それが本物でありさえすれば、私が偉い人であろうがなかろうがそんなことはどうでもよいことではありませんか。

私どもは決して真実から外れたことは申しません。品位を汚すようなことも申しません。また人間の名誉を傷つけるようなことも申しません。私たちの願いは地上の人間に生きるよろこびを与え、地上生活の意義はいったい何なのか、宇宙において人類はどの程度の位置を占めているのか、その宇宙を支配する神とどのようなつながりをもっているのか、そして又、人類同士がいかに強い霊的家族関係によって結ばれているかを認識してもらいたいと、ひたすら願っているのです。 P18


私はすぐそこまで来ている新しい地球の夜明けB)を少しでも早く将来せんがために、他の大勢の同志とともに、波長を物質界の波長に近づけて降りてまいりました。(1900年頃)
その目的は、神の摂理を説くことです。その摂理に忠実に生きさえすれば神の恵みをふんだんに受けることができることを教えてあげたいと思ったからです。 P21


●なるほど神の摂理が働いているということを身をもって悟ってもらえる生き方をお教えしようとしているだけです。 (中略) 世の中は変っており、霊的叡智に耳を傾ける人が増え、霊力の受容力が増しております。霊的真理も大きく前進しました。  (中略) かつては悲しみに打ちひしがれていた心が今ではよろこびを味わいはじめています。光明が暗闇を突き通したのです。かつては無知が支配していたところに知識がもたらされました。 P23


●皆さんは知識をお持ちです。霊的真理を手にされています。そしてそれを活用することによっていっそう有効な道具となる義務があります。私のことを、この交霊会でほんのわずかな時間だけしゃべる声としてではなく、いつも皆さんのお側にいて、皆さんの霊的開発と進化に役立つものなら何でもお届けしようと待機している、脈動する生きた存在とお考え下さい。B)P25 


―マトメ―
当時のナザレのイエスの教えは時代に先行しすぎた(パレスチナ) 
⇒ 弟子たちがイエスの教えを広める(ローマ) 
⇒ ユダヤ教同様、キリスト教の教義により再度霊的真理が下敷きとなる(世界中) 
⇒ 近代スピリチュアリズムの始まり:物理的心霊現象の発生(1848年 米国A)
⇒ シルバーバーチがイエスより遣わされ霊界通信によって霊的摂理を語る(1950年前後 英国) 
⇒ 新たらしい地球の夜明け(一神教でない国 日本B)

 

―参考― 聖書の引用箇所(トップ)の続き・・・
(中略) そうすれば、父は別に助け主を送って、いつまでもあなたがたと共におらせて下さるであろう。それは真理の御霊(霊力)である。この世はそれを見ようともせず、知ろうともしないので、それを受けることができない。あなたがたはそれを知っている。なぜなら、それはあなたがたと共におり、またあなたがたのうちにいるからである。 (中略) しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってつかわされる聖霊(霊力)は、あなたがたにすべてのことを教え、またわたしが話しておいたことを、ことごとく思い起こさせるであろう。

(ヨハネによる福音書 14章16~26節)

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2018年3月用テキスト)

シルバーバーチの霊訓 九巻 八章:宗教とは & 九章:青年部の代表と語る

 

八章 宗教とは 


●私はその大霊の子等が真の自我(霊魂)を見出し(霊的覚醒)、霊的遺産(霊的摂理・霊的資質)を理解し、天命を全う(霊的成長)するところに、物的宇宙創造(物質界)の目的があると理解しています。P116

 

●何とかして本当の自分自身(真我・霊魂)と、自分に存在を与えている力(霊力)、存在の意味(人生の目的)、そして聖職者として為すべきことについて、地上生活が終わらないうちに理解させる必要があるのです。P116・・・キリスト教の聖職者として他界後に後悔するから

 

●いちばん大切なことは個人に目を向け、霊力の顕現の窓口となる霊的資質(霊性心・霊能力)の開発を通じて、一人ひとりを霊的に甦らせること(霊的覚醒)です。いささかなりとも神の使節(霊界の道具)としての仕事(霊的摂理の普及啓蒙)ができるわれわれは、実に光栄この上ないことです。P117

 

●私たちはラベル(肩書き・社会的地位)は崇めません。大切なのは、自分はこういう者ですとみずから称していることではなくて、ふだん行っている行為(霊的摂理への信頼とその実践)です。P118

 

九章 青年部の代表と語る 

 

今日なおあまりに多くの人たちが日陰の中で暮らし、きつね火を追い求め、幻影を抱き、実在を見出せずにいることは何と悲しいことでしょう。あなた方は一人ひとりが無限の可能性の宝庫なのです。その中のどれだけを自分のものとするかは、あなた方の努力次第です。(肉主霊従から霊主肉従へ)それが自由意志をどれだけ行使するかの尺度となります。どこまで追求するか、それはひとえにあなた方自身にかかっております。P120  
・・・地上での霊的成長度の差となり、類魂も含め他界後に帰る界層を決定づける

 

●私は、幸いにして霊的実在をかいま見ることを許された者(霊的覚醒者)は何事につけても楽観的であらねばならない、と信じます。P122

 

●本当の霊の試金石は神的属性(霊性心)を発揮する時、すなわち霊が物質を超越して優位を占めた時です。(霊主肉従) P127

 

●地上は無知だらけです。死を恐ろしい怪物のように思って避けようとしています。死を恐怖心をもって迎えていますが、死も自然の摂理の一環にすぎません。地上はトレーニングセンターです。間違いなく訪れる次の、より大きな生活の場に備えて教訓を学ぶための学校なのです。P129

 

●“自然の摂理はあなた方の地球だけでなく、あるいは銀河系宇宙だけでなく、全大宇宙を支配し経綸しております。神はその無限の叡智をもって全大宇宙のすみずみまで配剤してくださっています。心配してはいけません。心配は何の役にも立ちません。少しも事態を改善することにはなりません。” (十一巻)P111

 

いかなる(霊的)知識にも、それをいかに活用するかについての責任が付加されます。それはあなたへの一つの信託がなされたということです。その信頼を裏切ってはなりません。あなたがその知識(叡智・悟り)を得るにふさわしい人間であったと同時に、これから先あなたに受け入れる用意ができた時に授けられる次の段階の知識に対しても十分な資格があることを、あなた自身の生活の中で身をもって示さなくてはいけません。P135
・・・日常の行為(霊的摂理への信頼とその実践・霊主肉従)

 

⇒このことは心配・不安・取り越し苦労に対するスピリチュアリストの対応も含まれます。
自分に自信がないから心配するのであって、そのことは霊的摂理の中でいわれている約束が信じられず、その霊的知識を日常生活で生かしていないという何よりの証拠となります。
心配や不安、取り越し苦労をすることが霊的摂理に対する信託や信頼を裏切っていることになるという自覚がスピリチュアリストにまったくなく、そのことに気づいてさえいないということになります。(次回の寸感のテーマ オードリー・ヘップパーン

 

●あなたにはこれから先、うれしいことがたくさん用意されております。イヤなことがないという意味ではありません。難問はつねに振りかかってきます。逆境にも遭遇します。あなたは完成された世界の完成された存在ではないからです。あなた自身が不完全であり、世の中も不完全です(殺人、自殺、戦争、レイプ等)。しかし、あなたには自由意志があり、世の中の不完全とあなた自身の不完全を取り除いていくための力となる素晴らしいチャンスが用意されています。そこにあなたの仕事があります。P134

 

―マトメ―
●私たちに言えることは、霊的知識が広まり、その結果として無知が減るにつれて、それだけ人間と人間との間の差別が少なくなり、戦争が減り、貪欲が薄れ、日なたが多くなるということだけです。地上の現状を一変させる力は私たちにはありません。できるのは、受け入れる用意のできた者に人間本来の生き方を教える霊的真理を根気よく説いて感化していくことだけです。P122 

 

あなた方が個人として為しうることは、どこにいても霊的知識を普及することです。
あなたのほかに一人だけでも光と真理を持たせてあげることが出来たら、それだけであなたの地上人生は無駄ではなかったことになります。P123

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2018年2月用テキスト)

シルバーバーチの霊訓 九巻 七章 魂を癒す――心霊治療の本質

 

A.心霊治療の本質
心霊治療の本質は魂に関わることであり、身体に関わるものではありません。魂に受け入れ準備ができていれば、治療は難なく奏功します。摂理として当然そうなるようになっているのであり、それ以外にはありようがないのです。霊的治療は物的身体に宿る魂という容器に霊的生命力を注入する作業です。その生命力は肉体の中の生命の中枢へ向けて仕掛けられる霊的刺激剤であり、回復力であり、再活性力です。 P86


●そこでもしもあなたが身体の病気は治せても霊的自覚を促すことができなかったら、あなたの責任ではないにしても、その治療は失敗だったことになります。が、もしも魂に感動を覚えさせることができたら、もしも霊的意識に目覚めさせることに成功したら、あなたは医師にも牧師にも哲学者にもできないことをなさったことになります。P99


●ですから、心霊治療には二つの大切な要素が働いております。一つは、患者が霊的治療を受け入れる準備が整ったということ。それで治療を施す人のところへ導かれて来たわけです。もう一つは、奇跡的な治癒体験によって霊的自我が目を覚まし、霊的意識の光の中で生きるようになる、その絶好機が訪れているということです。もしも霊的自我が目を覚まさなかったら、身体的な治癒は成功しても霊的には失敗だったことになります。P101


●心霊治療というものを身体上の結果を見せるという点からばかり考えてはなりません。心霊治療は根本的には霊(魂)に関わることです。目的は患者の魂の琴線に触れることです。その魂の受け入れる機が熟していれば、精神も正常となり身体も正常となります。本当の心霊治療は霊と精神と身体とが調和して機能するように正しい連繋関係にもっていってあげることです。それが健康であるということの本来の意味であり、健全な状態、融和した状態ということです。P105


●本当の霊的治療が効を奏した時はけっしてぶり返しません。法則は不変です。P91


●が、根本的な原因は身体よりも精神と霊とにあります。早く治そうと思ってはいけません。忍耐が大切です。あなたのほうから霊力を強要しても無駄です。霊力というものはその通路に受け入れる用意ができた時にはじめて流入するのです。しかも症状に応じて調節しなければなりません。それはそれは微妙なプロセスなのです。強制的に扱おうとしても無駄です。P94


B.スピリチュアルヒーラーについて
●しかし、治療能力が発達して一段と高い次元に到達すれば、それも不要になります。治療霊団との連絡がしっかりと出来上がります。そうなると、いつでも精神を統一して自我を引っこめ、代わって治療エネルギーを流入させることが出来ます。P99


●治療家が到達した発達段階、霊格によって規制されるのはエネルギーの“”であって“量”ではありません。P104


●訪れる人のすべてを救ってあげられないからといって落胆なさってはいけません。あなたのもとを訪れたということは、その人にとっての好機が訪れたということです。あなたなりにご自分を役立てることに専念なさっておればよろしい。P99


●いいえ、霊の道具のすべてにたった一つの道が用意されているわけではありません。望ましいのは画一性ではなく、逆に、万能性であり多様性です。霊は無限です。したがって顕現の仕方も無限の可能性を秘めています。その決定的要素となるのは治療家の受容性です。その意味では治療家の気質、育ち、教育、遺伝、環境、さらには前世までも関わっていることになります。そうした要素のすべてがからみ合って、治療家をとおして注がれる霊力の種類と量とを規制するのです。治療家ぜんぶが同じ道を行くようになってはいません。P104


●あなた方は自分が成就しつつあることを測定することが出来ません。地上には魂の成長と霊的成就の結果を測定する器具も装置もありません。しかし、あなた方は暗闇にいる魂に光をもたらしておられます。飢えと渇きに苦しむ魂に霊的な食べものを用意してあげておられます。真の健康を見出す好機を用意された身体と精神と霊に神の力、すなわち生命力そのものを授けておられます。すばらしい仕事です。しかし同時に大へん責任のある仕事でもあります。霊的才能はそう簡単に人間に授けられているのではありません。神からの才能の保管者であるということは、それだけ責任が重いということでもあるのです。悲しいかな、あなたが関わっておられるのは人間という気まぐれな存在の集まりです。P97

 

C.苦難について
苦難は進化を促し、魂を調整するための不可欠の要素なのです。魂が真の自我に目覚めるのは苦難の中にあってこそです。人生のうわべだけを生きている人間には、魂が自己開発する機会がありません。地上的方策が尽き果て、八方塞がりの状態となったかに思える時こそ、魂が目覚めるものなのです。言いかえれば、物質が行き詰った時に霊が目覚め、小さな神性のタネが芽を出し、花を咲かせ、内部の美質を徐々に発揮しはじめるのです。苦難はコインの裏側と思えばよろしい。闇なくしては光もなく、嵐なくしては青天もありません。P87

迷わずに前進なさることです。今日は今日一日のために生きるのです。そして、過去が霊の導きを証明しているように、未来も間違いなくあなたが志願された使命を全うさせてくれるものと信じることです。P90


●背負った重荷も、知識から生まれた信仰があれば軽く感じられ、重さが消えてしまうものです。行く手をさえぎる苦難や困難には堂々と立ち向かい、そして克服していくべき挑戦だと思うべきです。きっと克服し、万時がうまく運ぶはずです。見た目にいかに大きくても、物的な事態によって圧倒されるようなことがあってはなりません。この物質界には、その生みの親である霊の力をしのぐものは何一つ存在しないのです。何ごともきっと克服できます。そして心が明るく弾むことでしょう。万時が落ち着くべきところに落ち着きます。時間は永遠なのです。
人間はその永遠の時の流れの中にあって、今という時間、その一瞬を大切に生きていけばよいのです。P91 


●万が一やる気を無くするようなことがあったら――人間なら時には意気消沈することがあるものです――その時はいったん歩みを止めることです。そしてそれまで奇跡ともいえる形で成し遂げられてきたことを振り返って、これだけのことが成就されてきたのなら、これから先もきっとうまく行くはずだという認識をもつことです。あなたに要求されることは、そこまであなたを導いてきた霊力に対する絶対的な忠誠心自信とをもってあなたの責務を全うすること、それだけです。あなたなりにベストを尽くすことです。あなたの力の範囲内で出来るかぎりの努力をなさることです。恐れるものは何一つありません。困難はあります。が、それもきっと克服されます。毎朝が新しい霊的冒険の好機なのです。これはとても大切なことです。そういう覚悟で仕事にあたっておれば、邪魔が入ることは決してありません。容易でないことは私もよく承知しております。が、忠実な僕がたどる道がラクであることは在り得ないことです。P94


●あなた方がどうしてもたどらねばならない地上生活のパターンというものがあることは私はよく承知しております。外部の世界とは無縁の心の痛み、苦難、苦痛、その他もろもろの複雑な感情があることもよく存じております。支払わねばならない代償があることも存じております。それが時には精神的ならびに霊的に十字架を背負わされることになることがあります。しかし、それが霊的進化の道なのです
その道で褒賞を得るには奮闘努力しかなく、近道はなく、真の向上の一歩一歩が絶対に後戻りを許されない確固たるものでなければならないのです。もしも気楽な人生を望まれるなら、もはやその人生では他人のために自分を役立てることはできません。魂が自我に目覚め、意図された通りに霊的資質を開発し、縁あってあなたのもとを訪れる人々がその天賦の才能によって恩恵を受けるようになるには、刻苦と苦難と修養と節制の生活しかないのです。しかし人生にはかならず両面があります。
陰気で重苦しい、救い難い闇ばかりではありません。光があれば影があり、寒さがあれば温かさがあり、嵐があれば日和があります。そうでないと進歩は得られません。魂が目覚め、霊の隠れた能力と内的な美質が発揮されればされるほど、それだけ神との調和が緊密となってまいります。因果律による当然の結果としての報酬があるということです。それは、いかに石ころだらけで障害が大きく見えても、その道は間違いなく自分に約束された道であり必ずや成就されるという、内的な確信です。P96


●これまでと同じく、これからの人生も計画どおりに進展するにまかせることです。決してラクではありません。P93


挫けてはなりません。いかなる事態にあっても、不安の念をカケラほどでも心に宿すようなことがあってはなりません。今日まで支えてきた力は、これからも決して見棄てるようなことはしません。絶対に裏切ることはありません。もしあるとしたら、この宇宙そのものが存在しなくなります。その根源的なエネルギー、存在の支えそのものが不在となることがあることになるからです。P89

 

D.その他
●この道は、他にその恩恵を知る縁のない人々に霊力と光明と癒しをもたらせることになる、雄大な霊的冒険です。宇宙最大の力の道具として働くことは大変な光栄なことです。大霊より強大な力はこの宇宙には存在しません。その大霊がお二人に要求しているものは忠誠心であり、協調的精神であり、一途さであり、信頼心であり、そして知識が生み出す信仰心を土台とした絶対的な自信です。P88 ⇒ 自分自身に自信を置いてはいないことに注意!


●お二人は霊力という最大の武具を備えていらっしゃいます。それをある時は支えとし、ある時は安息所とし、ある時は避難所とし、ある時は至聖所とし、そしていつも変わらぬインスピレーションの泉となさることです。P89


●霊が正常で精神も正常であれば、身体も正常です。摂理として当然そうなるのです。身体は召使で霊が主人です。身体が従臣で霊が王様です。愚かな人間は身体を主人と思い王様と勘違いしております。そういう人の霊は“支配する”という本来の立場を知ることがありません。
勇気をもって前進なさい。P90


●霊の褒賞は奮闘努力の末に手に入れるものです。宝くじのような具合に手に入れることはできません。霊の富はそれを手にするにふさわしくなった時に与えられるのです。霊的開発が進むにつれて自動的に、それまでより少しだけ多くのものを身につけていくのです。P95

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2018年1月用テキスト)

シルバーバーチの霊訓 九巻 六章 「霊能者の責任」

 

●地上の悲劇
地上の悲劇は、霊的真理にまったく無知な人間が無数にいるというところにあります。P81

 

①うっかりすると方角を見失いがちな世界にあって、あなた方は物質中心思想という悪性のガンと闘っている霊の大軍に所属しておられます。唯物思想は何としても撲滅しなければならない悪性の腫瘍です。これが人類を肉体的にも精神的にも霊的にも病的にしているのです。
既成宗教にはそれを撲滅する力はありません。なぜなら、そこには霊力というものが存在しないからです。P73

 

内部に宿るあなたの霊こそ、私たちが何とかして発揮させてあげたいと願っているものでございます。それを発揮することによって初めて人間は神性をもつ存在としての限りない美質、豊かさ、光輝、威厳、壮大さ、気高さを真にわがものとすることが出来るのでございます。
そうした資質を自覚することによって人間は自我意識を高め、自分を物的なものに縛りつけている拘束物(お金や地位、セックスなどの物欲)の幾つかを切断し、未開発の精神と霊の豊かな遺産を手にすることが出来るのでございます。かくしてインスピレーションと叡智と啓示と真理への窓を開くことになります。それらは高き世界からの恩寵としてこれまでも脈々と流れてきているのであり、人間の受容力に応じて受け入れられているものでございます。その流れは常に壮大にして崇高なる霊力を伴っております。霊力こそ生命の源泉であり、強力にして生命力にあふれ、病の人には健康を、衰弱せる人には元気を、迷える人には導きを、そして今なお暗闇の中にいる人には光明をもたらすのでございます。P84
霊力=光明をもたらすもの=インスピレーション、叡智、啓示、真理、(悟り)・・・霊的知識

 

お二人は霊の使節なのです。神の特使なのです。地上のいかなるものにも勝る力の代理人(道具)です。そして、それ故に又、お二人の責任も大きいということになります。P75

 

●霊的自我に目覚めるための条件

②霊的資質は永いあいだ潜在的状態を続け、魂が十分に培われた時点でようやく発現しはじめるものです。それが基本のパターンなのです。すなわち悲しみや病気、あるいは危機に遭遇し、この物質の世界には何一つ頼れるものはないと悟った時に、はじめて魂が目を覚ますのです。P70

 

●霊的自我に目覚めた者の責任
あなた方の仕事はそうした地上世界にあって一つの灯台となることです。ぐるぐると絶え間なく光線を放射し、それが闇を貫き、受け入れる用意のできた人に(霊的)真理の在りかを教えてあげるのです。P81
受け入れる用意のない人に押しつけてはなりません。みずから求めてわれわれの手の届く範囲にまで訪れた人々に気持ちよく手を差しのべましょう。P72

 

地上で為し得る最も偉大な仕事なのです。容易でないことは私もよく承知しております。
しかし、何事も価値あるものは困難がつきものなのです。P82

 

お二人が住んでおられる巨大な大陸(米国)では、宇宙の大霊よりも富の神であるマモンの方が崇拝の対象として大いにもてはやされています。だからこそお二人にはいろいろとしなければならないことがあるわけです。どこで仕事をなさっても、必ずそこには霊の勢力が待機し、霊の光が輝いています。縁あってお二人のもとに連れてこられる魂の力となってあげることになります。P76  

 

③なさねばならないことが沢山あります。手を差しのべてあげなければならない魂が大勢います。道を見失っている人が沢山います。そしてそういう人たちはお二人のような霊的真理に目覚めた方にしか救えないのです
これからも失敗はあるでしょう。何度もしくじるでしょう。だからこそ地上に生まれてきたのです。もしも学ぶことがなければ、この地上にはいらっしゃらないでしょう。P75

 

幻影ばかりを追いかけている世界において、あなた方は真理の存在場所を教えてあげることが出来ます。口で説かれることを実地に証明(霊視、霊聴、ヒーリングなどの霊能力)してみせることが出来ます。それは誰にでも出来ないことです。偉大な仕事です。神聖な仕事です。霊による仕事です。大変な奉仕の仕事です。P74

 

●霊界からの約束とその担保
人のためになることをする人は、いつかはきっと他人から有り難いと思うことをしてもらうものです。収支決算をしてみると必ず黒字になっております。一身を捧げている霊媒を私たちは決して見捨てるようなことはいたしません。授けられている霊的能力を最大限に発揮できるよう、常に鼓舞し勇気づけております。 P68

 

霊の力は物質の力に勝ります。P71

 

肝心なことは、魂が真の自我を見出し全存在の源に触れることです。神が遠く離れた近づき難い存在ではなく自分の内部にあること、したがって困難や危機に遭遇した時に使用できる霊的な武器、力、貯え、潜在力がちゃんと備わっていることを知るべきです。それだけではありません。内部の莫大な潜在力とは別に、外部の無限の霊力の恩恵を受けることもできるのです。進化の段階を一つ一つ昇りながら、その一段ごとにその霊格に似合った霊が待機して援助の手を差しのべてくれるのです。これは大切な事実です。P83

 

●霊界からの導き方
ドアをノックしても開けてくれない時は無理してこじ開けようとしてはいけません。軽く押してみるのです。それでもし開いたら、あなたの進むべき道がそこにあるということです。閉め切られた道は通れません。絶対に開かないドアを叩き続けて無駄な時間と労力を浪費している人間が多すぎます。あなたは霊の力がどういう具合に働くかをすでにご存知です。あなたに必要なものが十分に用意されれば、あとはドアをそっと押してみるだけでよくなります。それまではどこにいても人のためになることを心掛けることです。P78

 

 

            真逆

  ①                 ②            ③

唯物思想の方      ⇔    霊的真理に目覚めた方 → 霊界の使節、特使、代理人、道具
物質中心思想の方             霊中心思想の方
                                        
悪性のガン①         霊の力は物質の力に勝ります④
この世限りの幻影  

 

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2017年12月用テキスト)

シルバーバーチの霊訓 九巻 四章~五章 「不変・不滅・不可避の摂理」、「死別の教訓」

 

-大自然の法則を通して神の意志が働いている-
●みなさんがスピリチュアリズム(霊的真理・摂理)と呼んでおられるものは大自然の法則のことです。(中略) この法則を通して神の意志が働いているのです。 P48


●法則は無限なる叡智の働きによって完璧に機能しています。各自が受け取るのはそれまでの努力にふさわしい分だけです。 (中略) その摂理(大自然の法則)と調和して生きることです。すると良い結果が得られます。 P52


●人生は霊的価値を基盤として考えないといけません。その(霊的)価値があなたの行為の一つ一つの輝ける指標(人生の基盤)として、日々の生活の中で発揮(不安・心配等への対処)されなくてはいけません。スピリチュアリストを自任している方々は、スピリチュアリズムを死という不幸に遭遇した時だけ持ち出して、それ以外の時はどこかに仕舞い込んでおくようなことでは困ります。 P56


●地上世界には不正、不公平、不平等がよく見られます。不完全な世界である以上、それはやむお得ないことです。しかし霊的法則は完全です。絶対に片手落ちということがありません。一つの原因があれば、数学的正確さをもってそれ相応の結果(因果律)が生じます。 P63

 

-霊的覚醒に至る条件-
●悲しいかな、人間は物的次元のことがギリギリの絶望的段階に至るまで、霊的次元の真理が理解できません(霊的覚醒時期の来た人の条件)。それは実在(霊)を無視した(物的)生活に終始しているからです。物的なものだけが大切と思い込んでいるからです。しかし魂はいつかは真の自我(霊魂)に目覚めなくてはなりません。その時(霊的覚醒)から内在する神性(霊性心)が発現しはじめるのです。それも神が定めた“埋め合わせの法則”の一環なのです。苦難(心配・不安)が大きいだけ、そこから得られる悟りもそれだけ大きいものとなります。 P51


魂というものは、その奥底まで揺すぶられ、しかも物的なものでは一縷の望みさえつなげない状態下においてのみ目覚めるものであるというのが、基本的な霊的真理なのです。つまり物質界には頼れるものは何一つないとの悟りで芽生えた時に魂が蘇り、顕現しはじめるのです。P59


肉体(仮我)が衰弱するほど霊(真我)は強くなるものです。 P58

 

-心配の念-
●人間には一種の機械としての物的身体が与えられています。あなたはその身体を通して自我を表現している一個の霊(意識ある個霊・パーソナリティ)なのです。あなたが悩みを抱くと、霊と身体との間の水門(チャクラ)が閉ざされ、身体は生命力(霊力・生命エネルギー)の補給を失うことになります。補給源(霊力)とのつながりを断たれることになります。そのことに気づいて心構えを改めないかぎり、あなたの身体はその不健康な作用と反作用の法則に従いつづけることになります。心配の念はあなたの霊的大気であるオーラの働きを阻害し、その心霊的波長を乱します。その障害(悩み・心配・不安)を取り除くまでは生命力(霊力)が流れ込みません。(⇒うつ病など)
泰然自若の境地に至るには長く厳しい修行、過酷な試練、そして心配の念の侵入を許すまいとする不断の努力が要請されます。
無限の愛と叡智を有する神がこの摂理を創案したのです。完璧に出来上がっており、必ずその通りに作用します。心配することに費やしているエネルギーを建設的な思念へ転換すれば、健康上の問題は生じなくなります。
神の計画は完全であり、あなたもその計画(無限の創造活動)の中に組み込まれているのです。あなたも自分自身を完成(泰然自若の境地)しなくてはいけません。そのための(霊的成長をする)機会は日常生活の中にいくらでも用意されております。 P49


●明日のことを思い煩ってはいけません。心配の念を心に宿してはいけません(心配の念の侵入を許すまいとする不断の努力が要請される)。地上世界には何一つ怖ろしいものはありません。 P61


これからもあなたは過ちを犯します。そしてそれに対する償い(日常生活の中で霊的成長をするため)をすることになります。そうした営みの中で叡智を学んでいくべきなのです。過ちを犯すために地上へ来たようなものです。もしも絶対に過ちを犯さない完全な人間だったら、今この地上にいらっしゃらないはずです。過ちも失敗もあなたが不完全であることから生じます。しかし、転んでも起き上がることができます。取り返しのつかない過ちというものはありません。新しい希望と新しい可能性を秘めた新しい一日、新しい夜明けが必ず訪れます。 P64


思い煩ってはなりません。心配の念はせっかくの援助の通路を塞いでしまいます。私はいつも取り越し苦労はおやめなさいと申し上げております。心配の念は有毒です。悪気を生み出し、それがあたりを取り囲みます。陰湿な雰囲気で包まれてしまいます。その状態になると霊の力も突き通せなくなります。 P65

 

≪マトメ≫
●日常の問題にもちゃんとした摂理があります。それは、人のために自分を役立てる者は決して生活に不自由はしないということです。基本的には必要とするものは必ず与えられるということです。その際に大切なことは、それまでの体験によって得たもの(霊的体験・導き・叡智・悟りなどの確信)を、日常生活の中で精いっぱい生かしていく(霊主肉従)ことです。そうすることの中で、神とのつながりを強化して行くことになるからです。そのつながりが強くなればなるほど、援助と力とが流れ込む通路が内面的に奥深くなって行くのです。(霊力の受信能力)
真理を理解した人間は沈着、冷静、覚悟が身についております。恐れるということがありません。不安の念の侵入を受けつけず、無知と迷信と悩みが生み出す暗黒を打ち消します。自分に生命を与えてくれた力、宇宙を支配している力、呼吸し活動するところのものに必需品を供給する力は絶対に裏切らないとの信念があるからです。
大切なのは、ご自分の方から神を裏切らないことです。これまでに得たもの、いま受けつつあるもの、そしてそれから生まれる叡智のおかげでせっかく宿すようになった信頼を裏切るような行為をなさらないように心掛けることです。
霊的真理にしがみつくことです。これまでに自分たちに啓示されたものを信じて物事に動じないことです。一つ一つの問題に正面から取り組み、精いっぱい努力し、済んだことは忘れることです。援助は必ず与えられます。なぜなら、お二人を愛する人たち、地上にいた時より一段と親密度を増している人たちが、お二人が難題を切り抜けるように取り計らってくれるからです。  P60


『真理を真に理解した人間』・・・沈着・冷静・覚悟のある人 ⇒ この“泰然自若の境地”に至る三つの条件として、①長く厳しい修行、②過酷な試練、③心配の念の侵入を許すまいとする不断の努力があげられる。

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2017年11月用テキスト)

シルバーバーチの霊訓 九巻 二章:活字の効用 & 三章:霊の威力
                       
≪二章 活字の効用≫
●地上に肉体をたずさえて生まれてくるそもそもの(地上生活の)目的は、魂が“真の自我”を見出すこと、言いかえれば、宿された神性に点火し、燃え上がらせ、輝かしい炎とすることです。P35


●あなたの場合も、人生が暗く荒涼として、いずこへ向かうべきかも分からず、あたかも絶望の壁に四方を仕切られた思いをさせられていた時に、啓示をうけられました。P36


●正しい生き方さえしていれば、つまり思念に邪なところがなく、霊と精神と身体が調和していれば健康でいられるのです。日常生活のストレス心労、あるいは利己心邪心強欲が生み出す不自然な緊張――こうしたものは物的存在のすべての息の根を止める毒薬です。
もしも私の話をお聞きになられて今後も頑張ろうという気持ちになってくだされば、本日ここにお出でになられた甲斐があったことになります。思うにまかせぬことがあることはよく存じております。が、霊的な褒章を求める者にはラクな道はありませんP37


●多くの魂に感銘を与えていらっしゃいます。そしてそれは、地上で為しうる最も大切な仕事の一つなのです。 (中略) その程度はどうであれ、神の使徒として働けるわれわれは光栄この上ないことです。P35


●潜在的には無限の霊的属性を秘めておりますが、それを駆使できるようになるには、それなりの努力をしなければならないということです。P39


愛、情愛、友情、同情、慈悲、哀れみ、寛容心、こうしたものは不滅の霊性です。愛に死はないのです。死は生命に対しても愛に対しても無力なのです。いま申し上げた霊性もみな元をただせば愛の諸相なのです。P36


●交霊会が終わったあとブラザー・ジョンは、何よりもシルバーバーチの素朴さ謙虚さに一ばん心を打たれたと語り、・・・P39


―信念(信仰)と確信―

今日の読書会のマトメ
霊力は条件さえ整えば、つまり一かけらの心配の念もなく、(霊的)知識を基盤とした信仰(宇宙の法則・摂理への信頼)と体験(摂理の実践)から生まれた(霊的)確信とがあれば、時として驚異的なことをやってのけます。P34


≪三章 霊の威力≫

―霊とは生命そのもの―

地上世界のすべてが霊のおかげで存在しているのです。霊なくしては生命はありません。
なぜなら生命とは霊であり、霊は生命だからです。P45


●私たちは、霊が生命を吹き込んでくれたおかげで共通の絆を与えられているのです。そのことによって全世界の神の子が根源において結ばれていることになるからです。人間が地上でも、そして死後も生き続けることを可能にしているのは、神を共通の親として、全人類を一つの家族に結びつけているのと同じ霊力なのです。この崇高な事実こそ私たちが啓示せんとしている真理です。P42


地上生活の目的は、霊的に成長して次の生活の身支度をすること― 利他主義

●あなた方も、お一人お一人がミニチュアの大霊すなわち神です。その霊はあなた方の努力次第で生長と発達と拡大を続け、成熟して開花する可能性を秘めているのです。どこまで発揮できるかを決定づけるのはあなた自身です。他の誰もあなたに代わってあげることはできません。それが地上生活の目的なのです。あなたも大霊であることを自覚することです。そうすれば神の王国があなた自身の中にあることに理解がいくはずです。霊力は絶対に裏切りません。必需品を永遠に供給していくための摂理があり、それに順応しさえすれば、あなたは必要なものに事欠くことは有り得ません。空腹や渇きに苦しむようなことは決してありません。しかし、必要以上のものは授かりません。あなたの成長度に合ったものを授かるのであって、多すぎることも少なすぎることもなく、高すぎることも低すぎることもありません。摂理ですから、それ以外に有りようがないのです。P43 (参照 九巻 五章 P60)


霊は物質による制約には負けません。全生命の原動力であり、全存在の始原である霊は、あなたが地上生活において必要なものはすべて供給してくれます。その地上生活の目的はいたって単純です。本来のあなたである霊的本性を開発・強化して、死後に待ちかまえる次の生活の身支度をすることです。となると、ありとあらゆる人生体験――楽しいことも苦しいことも、光も蔭も、有利なことも不利なことも、愛も憎しみも、健康も病気も、その一つ一つがあなたの霊的成長にとって何らかのプラスになるということです。P44


≪参考引用≫
“真の自分を知った時、つまり霊的意識が目覚めた時、・・・(中略) それからの人生はその後に宿命的に待ちうける、より豊かで、より大きな生命の世界(霊界)への身支度のために、人のために自分を役立てることをモットーとして生きるべきです。” ⇒ 利他愛による霊的成長
(地上人類への最高の福音 シルバーバーチの霊訓 スピリチュアリズム普及会 P198)

 

 

―宇宙の法則(霊的摂理)への絶対的な信頼(信仰・信念)― 

●もしも霊力がはたらかなくなるようなことがあったら、地球は回転を止め、四季は巡ってこなくなることでしょう。もしも霊力が働きを中止したら、太陽の炎は消滅し、月はあの幽玄な輝きを見せなくなるでしょう。もしも霊力がしくじることがあったら、種子は花を咲かせず実を結ばなくなることでしょう。P42


≪参考引用≫
――その法則によって規制を受けないものは何一つ存在しないのです。宇宙は漫然と存在しているのではありません。莫大なスケールをもった、一個の調和体なのです。
それを解くカギさえ手にすれば、悟りへのカギさえ手にすれば、いたって簡単なことなのです。つまり宇宙は法則によって支配されており、その法則は大霊の意志が顕現したものだということです。法則が大霊であり、大霊は法則であるということです。
その大霊は、人間を大きくしたようなものでないという意味では非人間的存在ですが、その法則が人間の霊的・精神的・物質的の全活動を支配しているという意味では、人間的であると言えます。要するに、あなたがたは、人類として、宇宙の大霊の枠組みの中に存在し、その枠組みの中の不可欠の存在として寄与しているということです
(地上人類への最高の福音 シルバーバーチの霊訓 スピリチュアリズム普及会発行 P168)

 

●(物的表面にとらわれず)肝心かなめのものにすがることです。目を逸らしてはいけません。これこそ真実であると確信したもの(霊的摂理)にしっかりとすがることです(信念と確信)。そして煩雑な物的生活の中で何が何やらわけが分からなく時は、大霊の力と安らぎの住む内部へ逃避して(瞑想)、その雑念を忘れることです。そうすればその静寂の中にあなたにとって必要なものを見出すことでしょう(インスピレーション)。あなたという存在の組織(霊・精神・肉体)は必ず神の定めたパターンにしたがって織られていくことが大切です。そのためには一体われわれは何の目的で神によって創造されたかを忘れないようにしましょう。その神とのつながりに汚点を残すような行為は絶対にしないようにいたしましょう(摂理への順応)。そうなることが全生命の根源たる神の意図を正しく理解している者すべてに必ず与えられる恩寵に、われわれも常に浴することになるのです。P45


《参照引用》
“その摂理に忠実に生きさえすれば神の恵みをふんだんに受けることが出来ることを教えてあげたいと思ったからです。” (九巻 一章 P21)

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2017年10月用テキスト)

シルバーバーチの霊訓 九巻 第一章 “シルバーバーチはなぜ戻って来たか”


Ⅰ.シルバーバーチの目的・・・霊的真理の普及 
1)私は物質界に戻って霊的真理の普及に一役買ってくれないかとの懇請を受けました。そのためには霊媒と同時に心霊知識をもつ人のグループを揃えなくてはならないことも知らされました。私は霊界にある記録簿を調べあげた上で、適当な人物を霊媒として選び出しました。それはその人物がまだ母胎に宿る前の話です。P16


2)私たちに出来るのは、物質に包まれたあなた方に神の摂理を教え、どうすればその摂理が正しくあなた方を通じて運用されるかを教えてさしあげることです。ここにおいでの方にはぜひ、霊的真理を知るとこんなに幸せになれるのだということを身をもって示していただきたいのです。P22


3)なるほど神の摂理が働いているということを身をもって悟ってもらえる生き方をお教えしようとしているだけです。P23


4)私はすぐそこまで来ている新しい地球の夜明けを少しでも早く招来せんがために、他の大勢の同志とともに、波長を物質界の波長に近づけて降りてまいりました。その目的は、神の摂理を説くことです。その摂理に忠実に生きさえすれば神の恵みをふんだんに受けることが出来ることを教えてあげたいと思ったからです。P21


Ⅱ.霊的摂理の普及方法・・・奇跡を起こすか、または理性に訴えるか 

私が直面した最大の難問は、同じく地上に戻るにしても、人間が納得する証拠(死後存続の)つまり物理現象を手段とするか、それとも(霊言現象による)真理の唱道者となるか、そのいずれを選ぶかということでした。結局私は難しい方を選びました。P18


Ⅲ.説教の内容だけで勝負・・・有名人を名乗る霊には要注意!
1)同時に私は生前の姓名は絶対に明かさないという重荷をみずから背負いました。仰々しい名前や称号や地位や名声を棄て、説教の内容だけで勝負しようと決心したのです。 P18


2)結局私は無位無冠、神の使徒であるという以外の何者でもないということです。私が誰であるかということが一体なんの意味があるのでしょう。私がどの程度の霊であるかは、私のやっていることで判断していただきたい。私の言葉が、私の誠意が、そして私の判断が、暗闇に迷える人々の灯となり慰めとなったら、それだけで私はうれしいのです。P19


Ⅳ.霊的摂理を伝える対象者・・・霊的に成人した人 

自分自身の霊界生活での数多くの体験から、私は言わば大人の霊、つまり霊的に成人した人間の魂に訴えようと決意したのです。真理をできるだけ解りやすく説いてみよう。常に慈しみの心をもって人間に接し、決して腹を立てまい。そうすることで私がなるほど神の使者であることを身をもって証明しよう。そう決心したのです。 P18


Ⅴ.具体的な真理普及の内容 

1)本当の真理、本当の知識、本当の叡智を改めて説くことです。それが本物でありさえすれば、私が偉い人であろうがなかろうが、そんなことはどうでもよいことではありませんか。P19


2)私たちの願いは地上の人間に生きるよろこびを与え、地上生活の意義はいったい何なのか、宇宙において人類はどの程度の位置を占めているのか、その宇宙を支配する神とどのようなつながりをもっているのか、そして又、人類同士がいかに強い霊的家族関係によって結ばれているかを認識してもらいたいと、ひたすら願っているのです。P19


Ⅵ.我々地上人の権利と義務 

●我々の世襲の権利
1)人間も神の遺産を宿しているのであり、その潜在する神性のおかげで神の恩寵のすべてを手にする資格があります。P24


2)もしも皆さんの行く手に暗い影がよぎるようなことがあったら、もしも困難がふりかかったら、もしも疑念が心をゆさぶり、不安が宿るようなことがあったら、そうしたものはすべて実在ではないことを自分に言い聞かせるのです。翼を与えて追い出してやりなさい。 この大宇宙を胎動させ、有機物と無機物の区別なく全生命を創造した巨大な力、星も惑星も太陽も月もこしらえた力、物質の世界へ生命をもたらし、あなた方人間の意識に霊性を植えつけてくださった力、完璧な摂理として全生命活動を支配している力、その大いなる霊的な力の存在を忘れてはなりません。その力は、あなた方が見捨てないかぎり、あなた方を見捨てることはありません。その力をわが力とし、苦しい時の避難場所とし、心の港とすることです。神の愛が常に辺りを包み、あなた方はその無限の抱擁の中にあることを知ってください。 P26


● 我々の義務
1)皆さんは知識をお持ちです。霊的真理を手にされています。そしてそれを活用することによっていっそう有効な道具となる義務があります。P25


2)この絶望と倦怠と疑念と困難とに満ちあふれた世界にあって私は、まずはこうして皆さん方に霊的真理をお教えして、その貴重な知識を皆さん方が縁ある人々に広め、ゆくゆくは全人類に幸せをもたらすことになるように努力してまいりました。P25


一読者の手紙から───
≪文章の世界にシルバーバーチの言葉に匹敵するものを私は知りません。眼識ある読者ならばそのインスピレーションが間違いなく高い神霊界を始源としていることを認めます。一見すると単純・素朴に思える言葉が時として途方もなく深遠なものを含んでいることがあります。その内部に秘められた意味に気づいて思わず立ち止まり、感嘆と感激に浸ることがあるのです≫ P26

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2017年9月用テキスト)

シルバーバーチの霊訓 八巻 第七章 “愛すべき仲間たち――動物”


≪動物全般≫ 動物に関する新知識・・・①~⑨
●愛が愛としての本来の威力を発揮するようになれば、すべての創造物が仲良く暮らせるようになります。地球という生活環境を毒し問題を発生させる不協和音と混沌のタネを蒔くのは、人間という破壊主義者、人間という殺し屋です。すべての問題は人間がこしらえているのです。

 

●今では人間が捕食動物となっています。何百万年もの歴史の中で人間ほど破壊的な生物はおりません。

 

●───動物は再生しますか。

 

 「輪廻転生説というのがあるようですが、動物は再生しません

 

●動物には人間のような理性、理解力、判断力、決断力をつかさどる機能が仕組まれておらず、大部分が本能によって動かされているという事実から言えばその通りです。
ですから、そうした限られた一つの視点から観れば動物は〝下等〟と考えることができます。
しかし、それですべての検証が終わったわけではありません。
 動物に教えられることが多いのは当然のことです。動物は忠誠心、愛着心、犠牲心、献身といった資質をけなげに表現しますが、これは人間が学ぶべきすばらしい手本です。

 

───例えば家で飼われている猫は人間には見えない霊の存在に気づいているのでしょうか。

 

「もちろん気づいております。」

●人間に〝ならず者〟がいるように動物にも狂暴化した動物がいます。 (中略) 
ともかく善良な動物もいれば邪悪な動物もいるということです。

 

●動物実験によって何一つ役立つものが得られないというわけではありません。が、その手段は間違っていると申し上げているのです。何の罪もない動物に残酷な仕打ちをすることは霊的なことすべてに反するからです。
 人間は自分のすることに責任を取らされます。動機は正しいといえるケースも沢山ありますし、それはそれとして霊的発達に影響を及ぼします。摂理とはそういうものなのです。がしかし、神は、子等が動物への略奪と残忍な行為によって健康になるようには計画しておられません。それは改めて強調する必要を認めないほど明らかなことでしょう。
 学者が道を間違えているのはそこのところです。人間の方が動物より大切な存在である。よってその動物を実験台として人間の健康と幸福の増進をはかる権利がある、という弁解をするのですが、これは間違っております。

 

人間の場合、死産児や夭折した子の霊は地上で味わうべきであったものについて埋め合わせが行われますが、動物の場合も同じで、地上で得そこなったものについて埋め合わせがあります。

 

≪霊≫ 生命は一つ
●それらを一つにまとめている絆が〝〟です。生命は一つなのです。人間は動物とつながっているだけでなく、命あるものなら何とでもつながっているのです。ただし、それらはそれぞれに定められた進化のコースをたどります。

 

あなたがた人間に潜在している霊性と動物のそれとは質的にはまったく同じものです。(霊性の)程度において差があるだけで本質においては差はありません。

●動物の霊は、霊は霊でも人間の霊とは範疇(カテゴリー)が違います

 

≪進化≫ 人間と動物は一蓮托生
●すなわち人類が進化して動物に対する残忍な行為が少なくなるにつれて、それが動物界の進化に反映していくということです。

 

そう努力することの中で、人間と動物とが進化の道程でお互いに促進し合うことになるのです。それはすべての生命が一つだからです。物質的にはさまざまな区別がありますが、霊的には一つです。

●なぜならば、人間は動物とともに進化の道を歩むべき宿命にあるからです。ともに手を取り合って歩まねばならないのです。動物は人間の貪欲や道楽の対象ではないのです。動物も進化しているのです。
 自然界の生命はすべてが複雑にからみ合っており、人間の責任は、人間どうしを超えて草原の動物や空の小鳥にまで及んでいます。抵抗するすべを知らない、か弱い存在に苦痛を与えることは、ぜひとも阻止しなくてはなりません。
 装飾品にするために動物を殺すことは、神は許しません。あらゆる残虐行為、とりわけ無意味な殺生は絶対に止めなくてはなりません。物言わぬ存在の権利を守る仕事にたずさわる者は、常にそうした人間としての道徳的原理に訴えながら闘わなくてはいけません。
小鳥や動物に対して平気で残酷なことをする者は、人間に対しても平気で残酷なことをするものです。

 

●私と同様あなたも、人類の進化が動物の世界全体と密接につながっていることをよくご存知です。

●乱獲や残虐行為の一つ一つが人間どうし、あるいは動物に対して害を及ぼすのは無論のこと、それが人間みずからの進歩を妨げることになるのです。

 

●人間は霊的属性、霊的潜在力、霊的才能をたずさえた霊的存在です。自分だけでなく他の存在、とくに動物の進化を促進することになる生き方をする能力を具えているのです。進化の生き方をする能力を具えているのです。

 

●進化が進むにつれて類魂の数は少なくなり、個別化された魂が増えてまいります。
全生命を通じて〝霊〟という共通の近親関係が存在します。生命のあるところには必ず霊が存在します。人間の残忍性は動物の進化を遅らせるという形で反映します。
それは人間の野獣性がみずからの進化を遅らせるのと同じことです。そのプロセスは同じです。


全生命は協調、すなわちそれぞれが自分を役立てるということによって互いの進化に貢献し合うように意図されているのです。
(進化のスピードの違い)
動物と人間とは、進化のある段階でどうしても別れ別れにならざるを得なくなります。地上の年数にして何万年にもなるかも知れませんが、動物と人間とでは霊的進化のスピードが違います。より大きな光を求めて絶え間なく成長していく人間の魂についていけなくて、動物は置き去りにされることになります。

 

動物はついていけなくなります。そして、死後もなお炎を燃やしつづけた愛が次第に衰えはじめます。やがて炎がチラチラと明滅しはじめ、最後は同じ種族の類魂の中へ融合していきます。

≪進化の法則≫ 両極性によって進化する
いかに美しいバラにもトゲがあります。見たところ不潔なものの中からきれいなものが出てくることがあります。大自然は両極性、多様性、付随的対照物、というパターンの中で営まれております。
絶頂があればドン底があり、晴れの日があれば嵐の日があり、無知な人がいれば知識豊かな人がおり、戦争があれば平和があり、愛があれば憎しみがあり、真実があればウソがあり、弱みがあれば強みがあります。それぞれに果たすべき役割があります。
 進化の法則はそうしたパターン以外には働きようがないのです。弱点の中に長所を見出すことがあります。暗闇の中でこそ光明が見出せるのです。困難の中にあってこそ援助が得られるのです。
夜明け前には必ず闇夜があるというのは陳腐な譬えですが、やはり真実です。これも人生のパラドックスの一つです。進化というのはそうしたパターンの中でこそ不易の目的を成就していけるのです。
 こうしたことを知ったからには、あなたは悲観なさる必要などどこにもありません。

 

●しかし進化とは一直線に進むものでないことを忘れてはなりません。上昇と下降とがあります。
スパイラルに進行します。感激的な絶頂にまで上がる時があるかと思えば、悪魔に呪われたようなドン底へ落ちる時もあります。そうした中にも計画は着実に進展し、進化が成就されていくのです。

●進化というのは螺旋形(スパイラル)を画きながら進行するものだからです。しかし全体としては少しずつ向上しています。

 

●何ごとにつけ、価値あるもの(霊的進化)は成就することが困難にできあがっているのです。もしも霊的進化がラクに達成できるとしたら、それは達成するほどの価値はないことになりましょう。

 

●もしも人間から自由意志を奪ってしまえば、インディビジュアリティを進化させ発展させていくチャンスが無くなります。 (中略) もしも人間が自由意志を奪われたら、ただの操り人形でしかなくなり、内部の神性を発揮することができなくなります。霊的本性が進化せず、地上生活の目的も果たせません。
あなたが地上に生を受けたのは、地上が霊の保育所であり、学校であり、訓練所だからです。さまざまな挑戦にあい、それを克服していく中で自由意志を行使してこそ、霊は進化できるのです。
地上生活の目的 ⇒ さまざまな挑戦にあい内部の神性を発揮して霊的本性を進化させること。

 

●霊的熟達の極印は哀れみの情にあるからです。哀れみのないところに霊的進化はありません。

 

≪動物の個性≫ 人間との縁によって発達する
人間と親密な関係にあった動物にかぎって、個体を具えたままの存続が可能なのです。そうした動物は地上にいる時から、類魂としての本能のまま生きる動物には得られない、個体としての進化が促進されております。それは人間と動物との間で霊的進化を促進し合うという、すばらしい関係の一例といえます。
動物が皆さんとともに同じ環境で過ごすということは、そうでない場合よりもはるかに人間らしい個性的な意識を発達させることになるのです。そうした〝人間的〟表現というものに縁のなかった動物は類魂の中に埋没していきます。

 

●───動物が死んで、進化を促進してくれた人間との縁が切れたら、その時点から類魂へ帰りはじめるのでしょうか、それとも、どっちつかずの状態に置かれるのでしょうか。

  「人間に可愛がられた動物は、霊界でずっと待っていて、その人が他界してきた時に出迎えます。永遠に消滅することのない個的存在を与えてくれた人ですから、必要なかぎりずっと待っています。
存続するのはその個的存在です」

 

●───すべての動物は人間との縁を通じて個的存在を獲得するように意図されているのでしょうか。つまり個としての独自の意識をもつということです。

 「そうです。人間がその思考とその行為において動物に対する愛を発揮すればするほど、動物の方も愛を発揮するようになり、それこそ、聖書の中のオオカミと小ヒツジの話のように、人間と動物とが並んで寝そべるようになります」

●動物の中には人間との接触を通じて、人間とよく似た個的意識が芽生えているものがいます。
もとより人間が動物に個別性を賦与するわけではありません。それは出来ませんが、潜在しているものを加速させることはできます。それは皆さんが精神統一その他の修行によって内部の霊的能力を開発するのと同じです。感性を具えた存在に永遠の資質を賦与することができるのは宇宙の大霊すなわち神のみです。動物の魂も本質においては人間の魂とまったく同じです。双方とも同じ神から出ているのです。違うのは質ではなく程度です。動物と人間とでは発達の法則が同一方向ではあっても別々になっております。地上に生をうけた目的を果たして霊界入りし、他界直後の余波がおさまると、両者は別れ別れになります。

 

創造物全体の進化を支配する総合的機構は一つあるだけですが、それぞれの顕現の形態にそれなりの異なった進化のコースがあります。人間が成就している個別的意識をもつに至っていない動物には、種族全体としての類魂があります。もっとも、同じ種族の動物でも人間との接触を通じて個別化を促進されて、人間に似た形態の個別的意識をもつに至っているのもいます。

 

≪因果律≫ 霊界で清算
うまく罪を免れる人は誰一人いません。摂理は間違いなく働きます。たとえ地上で結果が出なくても、霊界でかならず出ることを私が断言します。因果律はいかなる手段を持ってしても変えられません。永遠に不変であり、不可避であり、数学的正確さをもって働きます。原因があればかならず結果が生じます。それから逃れられる人は一人もいません。もしいるとしたら、神は神としての絶対的な資格である〝完全なる公正〟を失います。
 そのこととは別に、もう一つ私がいつも強調していることがあります。残念ながら人間は宿命的に(五、七十年という)ほんの短い視野しか目に入らず、永遠の観念で物ごとを考えることができないということです。あなた方には地上で発生していることしか見えませんが、その結果は霊界で清算されるのです。

●悪いことをすればその何倍もの罰を被ることになるのです。
何ものにも憎しみを抱かず、すべてに、地上のすべての生命あるものに愛の心で接することです。

 

≪試練≫ 霊的原理にしがみつく
あなたより少しばかり先輩の魂である私から、最後にひとこと激励の言葉を述べさせていただきましょう。いついかなる時も永遠の霊的原理を指標としそれに頑固にしがみついているかぎり、あなたに、絶対に挫折はありません。

 

霊の褒章は、困難に直面した時ほど最大限の信念を堅持できる人にしか獲得できないのです。 (中略) 霊界から大々的に援助を受けている事実を分かってほしいと思っている霊が大勢います。

 

●問題に直面した時はそれをどう処理するかの決断を下さねばなりませんが、そんな時いちばんお勧めするのは、瞑想状態に入って魂の奥へ引きこもり、神の声に耳を傾けることです。

 

●あなたのように闘いの最前線に身を置く者は、ひるむことのないよう鍛えられ試される必要があるのです。これまでの数々の体験は、そうした試練の中でも肝心な要素として用意されたものでした。
すなわち霊の純金を磨いて浮き出させて、イザという時に霊力を引き出し、窮地に陥った時に引きこもって安らぎを得るために、その内奥の力、内奥の避難所の存在(内部の神性)に目覚めさせることに目的があったのです。

 

その時点で正しいと思われたことをなさればよいのです。ただし、これが正しいということに確信がなくてはいけません。動機が純粋であれば、その後に派生してくるものも善へ向かいます。
万が一動機が間違っていたことに気がつかれれば、その時は自分が責めを負えばよろしい。が、闘って敗れ、しかも動機にやましいところがなければ、もう一度気を取り直して闘いを挑むのです。

 

≪その他≫
私たちから要求することは、あなた方に啓示された光明にひたすら忠実であってくださる───それだけです。自分を役立てるという目的にひたむきでありさえすれば───これ以上の崇高な宗教はないのです───自動的に莫大な霊の力を呼び寄せ、それが数々の障害を取り除き、神の慈愛あふれる意志が地上に顕現されることになるでしょう。

 

●改革は私たちの世界から鼓吹されるのですが、同時に強大な霊力を具えた輝ける存在による祝福と協力とが与えられます。あなたは是非とも為さねばならないことへの情熱を失ってはなりません。

●あなた自身も気づいていらっしゃらない要素がいろいろとあるのです。あなたも一個の人間に過ぎませんが、内部には神性という黄金の筋金が入っているのです。それこそがあなたの宝庫です。発電所です。イザという時のエネルギー源です。
内部の神性 ⇒ 霊性のこと、すなわちこれがあるから霊界の守護霊や背後霊とつながって援助が得られ、霊力を引き寄せることができるのです。・・・霊の宝庫・兵器庫
武器は霊的知識 ⇒ 霊人や霊力を引き寄せることができる。


私が常づね申し上げているのは、〝殺害〟の観念がつきまとう食糧品はなるべくなら摂取しない方がよいということです。殺すということは絶対にいけないことです。ただし、その動機を考慮しなければならない場合があることは認めます。

 

愛を発揮すれば、それだけ自分が得をするのです。憎しみの念を出せば、それだけ自分が損をするのです。摂理がそういうふうに出来ているのです。 (中略) 愛とは摂理を成就することなのです。 (中略) 情愛、共感、近親感を覚える者を愛することは容易です。しかし、とかく敵対関係になる相手を愛することがもし出来れば、それは神の御心の最高の表現であると言えます。

 

●埋め合わせと懲罰の法則というのがあります。あなたが行う善いこと悪いことのすべてが、自動的にあなたに霊的な影響を及ぼします。大自然の因果律は絶対に免れません。
因果律(大自然の中核をなすもの) ⇒ 埋め合わせの法則(償いの法則)と懲罰の法則

 

それに対するあなた方の武器は、ほかならぬ霊的知識であらねばなりません 。
所詮はそれ(霊的知識の学び)がすべての人間の生きる目的なのです。霊的知識を理解すれば、あとは欲の皮さえ突っ張らなければ、神の恩恵に浴することができるのです。

 

●一致団結というのは難しいものです。残念ながら地上においては往々にして原理・原則よりも個人的な考えが優先されます。立派な仕事にたずさわっているものの、時が経つにつれて初心を忘れ、一身上のことばかり考えるようになります。人間の煩悩の一つです。
それは、つまるところ霊的理解力の欠如から生まれております。献身的に取り組んではいるものの、それは自分の思うように進んでいるかぎりの話です。自分の考えが正しいと思うのは良いとして、それが最高でそれしかないと自惚れはじめます。これが、地上で同じ仕事にたずさわっていて、こちらへ来てからもその成就のために援助している霊を困らせる問題の一つなのです。
 あなた方に心掛けていただきたいのは、容易なことではありませんが、その種の人間に個人的見解の相違を忘れさせ、基本の原理・原則に立ち帰って、最初にこの仕事に情熱を燃やした時の目標に向かって無心に努力するように指導することです。これは今たずさわっておられる動物愛護の仕事にかぎりません。他の分野においても言えることです。たとえばスピリチュアリズムと呼ばれている思想運動においても、自己顕示欲が強い人がいて、とかく自惚れが原因となって衝突が起きていませんか?

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2017年8月用テキスト)

シルバーバーチの霊訓 八巻 第六章 明日の指導者たち
―若者にどう説くのか―


―霊は愛同様、非物質的で科学では証明できない―
●目に見えている表面の奥に、評価し考察し比較し分析し判断し決断を下す精神が働いております。それは物的なものではありません。人間には情愛があり、友情があり、愛があり、同情心がありますが、これらは本質的には非物質的なものです。愛を計量することはできません。
重さを計ることも、目に見ることも、舌で舐めることも、鼻で嗅いでみることも、耳で聞いてみることもできません。それでも厳然として存在し、英雄的行為と犠牲的行為へ駆り立てる最大の原動力となっております。 P155

 

●では肉体が機能しなくなると同時にその肉体を超えたものも機能しなくなると想像する根拠がどこにある―― P155 (事例:過去の寸感の項目「雑記」の“意識について”を参照)

 

 

●地上への誕生のそもそもの目的は魂が目を覚ますことにあります。もしも魂が目覚めないままに終われば、その一生は無駄に終わったことになります。 地上生活が提供してくれる教育(今月の寸感“霊的教育”参照)の機会が生かされなかったことになります。 P168

 

人生の落伍者、死後に再び始まる生活に何の備えもない、何の身支度もできていないまま霊界入りする人があまりにも多すぎるからです。 P156

 

●魂を目覚めさせるためのチャンスは地上の人間の一人ひとりに必ず訪れています。P169

 

●困ったことに、その種の麻薬は地上と接した幽界の最下層の波長に合った心霊中枢(チャクラ)を開かせるのです。それに感応してやってくる霊はその若者と同程度のもの、往々にして地上で麻薬中毒あるいはアルコール中毒だった者で、その状態から一歩も脱出できずに、相変わらずその種の満足を求めているのです。地縛状態から解放されていないのです。 P176

 

スピリチュアリズムでおはようSUN 参照:
http://ponryuu.hatenablog.com/entry/2017/06/21/093501

 

-時期の来た人とは-
●私たちは立証と論理によって得心させなければいけません。これはその人たちが霊的に受け入れる用意ができていなければ不可能なことです。そしてその受け入れ準備は、魂が何らかの危機、悲劇、あるいは病気等の体験によって目覚めるまでは整いません。つまり物質の世界には解答は見出し得ないという認識を得なければなりません。人間の窮地は神の好機であるといった主旨の諺があります。私たちはそういう方法でしか仕事ができないのです。 P165

 

あなたにこの知識をもたらしたのは、ほかならぬ悲しみです。あなたは絶望の淵まで蹴落とされたからこそ受容性を身につけることができたのです。 P166⇒“本当の自分”を見出す王道

 

-霊的実在に基盤を置く-
●しかし肝心なのは地上生活もすべて霊的実在が基本となっており物的現象とは違うという認識です。物質にはそれ自身の存在は無いのです。物質の存在は霊のおかげなのです。物質は外殻であり、外皮であり、霊が核なのです。
肉体が滅びるのは物質で出来ているからであり、霊が撤退するからです。老いも若きも地上の人間すべてが学ばねばならない大切な教訓は、霊こそ全生命活動の基盤だということです。
地上生活におけるより大きな安らぎ、より一層の宿願成就のカギを握るのは、その霊的原理をいかに応用するかです。すなわち慈悲、慈愛、協調的精神、奉仕的精神といった霊的資源を少しでも多く発揮することです。(⇒ 結果として霊的成長につながる道)
人間世界の不幸の原因は物質万能主義、つまりは欲望と利己主義が支配していることにあります。 P161

 

●私たちは熱狂的雰囲気の中での集団的回心の方法はとりません。そんなものは翌朝はもう蒸発して消えています。 P165 ⇒ 自己宣伝にすぎず、マスメディアによる普及活動の否定

 

-霊的教育-(別紙参照)
●霊的自我に目覚めたその魂にとっては、その時から本当の自己開発が始まるのです。そして霊的知識に照らして自分の人生を規制するようになります。自然にそうなるのです。それによって内部の神性(P161参照:慈悲、慈愛、協調的精神、奉仕的精神など)がますます発揮され、霊的に、そして精神的に大きさと優雅さが増してまいります。 P165

 

●もとより霊的開発に手っ取りばやい方法があるかに思わせることは断じてあってはなりません。それは絶対に有り得ないことです。霊の宝は即座に手に入るものではありません。努力して求めなければなりません。霊的熟達には大変な修行が必要です。 P160

 

この道に近道はないのです。が、あなたもせめて物的自我から撤退して静かな瞑想の時をもち、受け身の姿勢になることはできます。それがあなたの家族を見守っている霊とのより緊密な接触を得る上で役立ちます。 P163

 

●容易な手段で得られたものは容易に棄て去られるものです。(P165参照)
霊的熟達の道は長く、遅々として、しかも困難なものです。霊の褒賞は奮闘努力と犠牲によってのみ獲得されるのです。 霊的卓越には近道はありません。即席の方法というものはありません。奮闘努力の生活の中で魂が必死の思いで獲得しなければなりません。

 

聖者が何年もの修行の末に手にしたものを、利己主義者が一夜のうちに手にすることが出来るとしたら、神の摂理はまやかしであったことになります。それはまさしく神の公正を愚弄するものです。一人ひとりの魂が自分の努力によって成長と発達と進化を成就しなくてはならないからです。そうした努力の末に確信を得た魂は、もはや霊的真理をおろそかにすることは絶対にありません。 P166

 

あなたの責任はあなたの能力の範囲内でベストを尽くすことです。やってあげられるだけのことはやったと確信したら、あとのことは忘れて、次の人のことに専念なさることです。これは非情というのとは違います。霊力は、それを受け入れる用意のない人に浪費すべきものではないのです。 P170

 

●あなたは人生の目的を理解し、無限の愛と叡智から生み出された雄大な構想(神のプラン:創造、進化発展)の中に自分も入っているのだという認識をもって、人生の大冒険に立ち向かうことができます。それは何ものにも替えがたい貴重な財産です。霊的兵器を備えられたのです。
あなたは人生での闘いに臆することなく立ち向かい、いかなる事態に置かれても、自分には困難を克服し障害を乗り越え、霊的品格と美質と強靭さを身につけていく力が秘められているとの自信をもつことができます。それであなたも宇宙の大霊に貢献していることになります。P173

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2017年7月用テキスト)

シルバーバーチの霊訓 八巻 第五章 質問に答える(三)
―倫理・道徳・社会問題―


―物的な幸せと霊的な幸せは両立するのか―
――今の世の中は物質中心だと言われております。でも家族を養っていくためにはある程度は物質中心にならざるを得ません。あまりにスピリチュアリズム的になりすぎると経済的に苦しくなることが懸念されるのですが、その境目をどこに設けたらよいのでしょうか。

“「まず神の御国と神の義を求めよ。しからば全てそれらのもの汝らに加えられるべし」”
(マタイ6.33)

 

――両方とも可能だということですね?

 

当然です。が、優先すべきものをちゃんと優先させ、霊的真理を忘れなければ、物質面をおろそかにすることはないはずです。私は物質界に生きる人間としての責務を回避すべきであるかに説いたことは一度もありません。霊的存在として優先すべきものをちゃんと優先させ、その上で物的人間としての責務も忘れないということであらねばなりません。霊をおろそかにしてもいけませんし、精神をおろそかにしてもいけませんし、身体をおろそかにしてもいけません。責任をもつべきことを回避してはいけません” P128

 

―地上生活の目的―
地上生活の目的は霊が死後に迎えるより大きな生活に備えることです” P133

 

“人間の判断は物的観察だけに基づいておりますが、人生の目的はもともと霊的なものなのです。その永遠のいとなみを、この地上生活という一かけらでもって判断しようとすると誤ります” P144

 

―霊的真理を手にした者は心配してはいけない―
真理を手にした者は心配の念を心に宿すようなことがあってはなりません。地上社会にはずっとトラブルが続いております。霊的な原理が社会秩序の拠って立つ基盤とならないかぎり、トラブルは絶えないでしょう。唯物的基盤の上に建てようとすることは流砂の上に建てようとするようなものです。内部で争いながら外部に平和を求めるのは無理な話です。憎しみと暴力と敵意をむき出しにして強欲と怠慢をむさぼっている者が群がっている世界に、どうして協調性が有り得ましょう。” P121

 

いったん霊的真理に目覚めた以上、今日や明日のことを心配してはなりません。あなた方の霊に危害を及ぶことはけっしてありません。自分の知っていること、これまでに自分に明かされた真理に忠実に生きていれば、いかなる苦難がふりかかっても、いささかも傷つくことなく切り抜けることができます。地上で生じるいかなる出来ごとも、あなた方を霊的に傷つけたり打ちのめしたりすることは出来ません。ご自分の日常生活をご覧になれば、条件が整ったときの霊の威力を証明することがいくらでもあるはずです。
残念ながらこうした重大な意味を持つ真理に気づいている人は少数であり、まだ多数とは言えません。大多数の人間は物量、権力、支配、暴虐、隷属(させること)こそ力であると思い込んでおります。しかし神の子はすべて身体と精神と霊において自由であるべく生まれているのです” P122

 

霊は物質に優ります。神の霊、大霊こそが宇宙の絶対的支配力なのです。そこで私はいつも申し上げるのです―心を強く持ち、背筋を真っすぐに伸ばして歩みなさい。この世に、そして霊の世界にも、恐れるものは何一つありません、と。最後はきっとうまくいきます” P123

 

――残念なことですが、苦難に遭うと不幸だと思い、邪険になり、卑屈になっていく人が多いようです。

 

“それは結局のところその人の人生に確固とした土台がないからです人生観、宗教観、それに物の観方が確固とした知識を基盤としておれば、いかなる逆境の嵐が吹きまくっても動じることはないはずです。これも人生の一コマだ、すべてではなくホンの一部にすぎないのだという認識ができるからです” P141

 

―生命は神のもの―
(殺人)
“人間は生命を創造することはできませんし滅ぼすこともできません。生命が機能するための器官を提供することはできます。その器官を破壊することもできます。しかし生命は神からの贈りものであり、人間のものではありません。生命は神が人間に託した責務です” P136

 

(植物人間)
“しかし霊的な目をもって見ることができるようになるまでは、つまり永遠の価値基準を理解できるようにならないかぎり、あなたの判断はどうしても誤りに基づいたものとなります。私はいわゆる植物人間を安楽死させることには全面的に、そして文句なしに反対です。ただし、そこにはやむを得ない動機がありうることは認めます。しかしそれは問題を解決したことにはなりません” P136

 

(中絶)
“あなた方人間には生命を創造する力はないのです。あなた方は生命を霊界から地上へ移す役しかしていないのです。その生命の顕現の機会を滅ぼす権利はありません。中絶は殺人と同じです。/ 中絶されればその霊は、たとえ未熟でも霊的身体に宿って生き、生長しなければなりません。中絶によって物的表現の媒体を無きものにすることはできても、それに宿っていた霊は滅んでいないのです。/ いつの日かその人たちはその中絶行為のために地上に誕生できなかった霊と対面させられることになるという事実を知れば、そうした行為はずっと少なくなる
ものと私は考えております。妊娠の瞬間からそこに一個の霊としての誕生があり、それはけっして死ぬことなく、こちらの世界で生長を続けるのです” P131

 

(安楽死)
“安楽死の決定権はもともと医師などに与えるべきものではないのです。現実の事実を直視してみてください。大半の医師の物の観方は唯物的です。その医学的知識は人間が身体のほかに精神と霊とから成っていることを認識していない唯物思想を基盤としています。少なくとも医学会においては人間は脳を中枢とする身体、それに多分ある種の精神的なものをも具えた物質的存在であり、霊というものについての認識はゼロに等しいのです。そうした、人生でもっとも大切なことについてまったく無知な人たちに、そのような生死にかかわる決定権がどうして預けられましょうか” P142

 

(死刑)
“殺人を犯したからといってその犯人を殺してよいということにはならないということです。地上の人間は正義と復讐とを区別しなければいけません。/ 何の準備もできていない人間を霊界に送り込むことは、ますますトラブルのタネを増やすことになるのです” P151

 

―地上は比較対照の世界―
“私は、苦しみさえすれば自動的に人間性が磨かれるとは決して申しておりません。苦難は地上にいるかぎりは耐え忍ばねばならない、避けようにも避けられない貴重な体験の一つで、それが人間性を磨くことになると言っているのです。たびたび申し上げておりますように、青天の日もあれば雨天の日もあり、嵐の日もあれば穏やかな日もあるというふうに、一方があれば必ずもう一方があるようになっているのです。もしも地上生活が初めから終わりまで何一つ苦労のない幸せばかりであれば、それはもはや幸せとは言えません。幸せがあることがどういうことであるかが分からないからです。悲しみを味わってこそ幸せの味も分かるのです。苦労が人生とは何かを分からせる手段となることがよくあります。苦難、悲哀、病気、危機、死別、こうしたものを体験してはじめて霊的な目が開くのです。それが永遠の実在の理解に到達するための手段となっているケースがたくさんあります” P140

 

“たとえば、なぜ苦しみがあるのか、いたいけな子供がなぜ苦しまなければならないのか。痛み、病気、面倒、危機、こうしたものがなぜあるのか。そういう疑問を抱かれるようですが、それもすべて霊の進化という永遠の物語の一部なのです。その中には地上に誕生してくる前に、みずから覚悟しているものもあるのです。霊的な身支度を整える上で学ぶべき教訓を提供してくれる、ありとあらゆる体験を経ないことには成長は望めません。とどのつまりは、それが存在の目的なのです。こうしたことは前にも申し上げました。光の存在に気づくのは暗闇があるからこそです。もしも暗闇がなければ、光とはいかなるものかが分かりません。埋め合わせと懲らしめの原理というのがあります。神は厳正なる審判者です。差し引き勘定がきっちりと合わされます。決算書を作成するときが来てみると帳じりがきっちりと合っています。
どうか同情心はこれからも持ち続けてください。しかし同時に、見た目に気の毒なこと、理解に苦しむことの裏側にも必ずちゃんとした意味があることを理解するようにつとめてください
永遠の時の流れの中にあっては、数時間や数日は大して意味はありません。大切なのは魂に及ぼす影響です” P146

 

地上生活期間を永遠で割ると無限小の数字になってしまいます。その分数の横線の上(分子)にどんな数字をもってきても、その下にあるもの(分母)に比べれば顕微鏡的数字となります” P150

 

―動機は正しいか―
“人間には相対的条件下での自由意志が認められております。定められた人生模様の枝葉末節なら変えることができますが、その基本のパターンそのものを変えることはできません。定められたコースを自分で切り抜けていかねばなりません。ただ、地上の人間は、一人の例外もなく、絶対的支配力である霊力の恩恵にあずかる機会が与えられております。みずから求めるのでないかぎり、永遠に暗闇の中で苦しめられることはありません。何よりも動機が最優先されます。その行為が正しいか間違っているかは動機いかんに掛かっているのです。その摂理は動かしようがありません” P150

 

何事をするにも、まず動機に間違いがないようにしなくてはいけません” P152

 

―愛は摂理の成就なり―
愛とは神の摂理を成就することです。お互いが霊的兄弟であり姉妹であり、全人類が霊的親族関係をもった大家族であることを認識すれば、お互いに愛し合わなければならないということになります。” P121

 

愛とは摂理のことです。神の御心です。なぜなら、神そのものがすなわち愛だからです。したがって神の御心に適った生き方をしていれば、それは愛を表現していることになります。私のいう愛とは慈悲の心、奉仕の精神、犠牲的精神、要するに自分より恵まれない者のために自分の能力の範囲内で精いっぱい援助しようとする心を言います。自分のことをかえりみず、助けを必要とする人のために出来るかぎりのことをしてあげようとする心、それが愛なのです”P126

 

後になって恥ずかしく思ったり、自分が手にした真理に忠実でなかったと思うようなことをしてはいけないということになります” P128

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2017年6月用テキスト)

シルバーバーチの霊訓 八巻 四章 質問に答える(二)―死後の生活―


今月のテキストの内容は、今月の寸感“死とは”も参考にしてください。

 

色即是空
●“また、物的身体というものも、今あなたがおっしゃった通り原子で出来ているのです。原子はさらに細かく分析できますが、そのうち計量器では分析できない段階に至ります。するとその原動力は物的なもの、形あるものではないことになります。つまり物質が形あるものというのはそう見えるというだけのことということになります。固いと思うのは錯覚なのです”P90

 

霊と霊の関係
●―人間にはなぜ顔があるのでしょうか。
“それは、個性というものがそれぞれの魂の刻印だからです” P82

 

●―なぜそちらの世界に行ってからも身体が必要なのでしょうか。
“霊はその個性に応じて自我を発揮するためには何らかの形体が必要なのです。/ 霊は何らかの形体をとらないことには存在が認識されません” P82

 

●“地上と霊界の違いは、地上ではさまざまな発達段階の人がいっしょに生活できることです。こちらでは同じレベルまで発達した者としか会えません。” P81

 

●“あなたの交信レベルは霊的に同じレベルの者との間でしかできません。自分より上のレベルの者とはできません。そのレベルまで霊的に成長するまでは、そのレベルのものが受け入れられないからです”P77

 

●“あなた方地上の人間は最低から最高にいたる、ありとあらゆる霊的影響力にさらされることになります。が、実際に引き寄せるのは自分と同じ霊格をもった霊だけです。邪悪な人間は邪悪な霊を引き寄せ、心清き人は心清き霊のみを引き寄せます。それが自然の摂理なのです。
 自分の肉体が無くなったことに気づかず、霊的には死者同然のような霊が無数にいることを私たちの責任であるかに思っていただいては困ります。それはあなた方が地上でやるべき仕事です。つまり肉体の死後にかならず訪れる次の生活に備えさせるように指導することです” P94

 

思念の力
●“あなたは自分が思考していることを自覚していらっしゃる。が、思念は見えることも聞くことも、重さや大きさを計ることもできない。物理的な計量方法がないわけです。なのにあなたの行為のすべてに思念が責任を負っています。思念の方が行為に先行しているからです。
思念なくして行為は生まれません。
あなた方の世界では考えたことが行為として具体化します。私たちの世界では考えたことが霊的実在として具体化し、それには、あなた方にとって物質の世界が実感があるように、私たちにとって実感があります。要は相対上の問題です。あなた方にとって物質に実感があるように、私たちにとっては思念に実感があるということです” P88

 

物質界・・・思念として考えたこと → 行為によって思念が現象として具体化
霊界・・・・思念として考えたこと → 考えることによって思念が霊的実在として具体化

 

●“すべては意識している場の問題です。船に乗っている夢を見れば、眠っている間はそれが現実です。夢だったと思うのは目が覚めた時です。そして船は幻だったことになります。もしも永遠に夢を見続けるとしたら、その夢の生活が現実となることでしょう。目が覚めている間は地上生活が実感があるように、その夢の状態が実感があるように思い続けることでしょう。今のあなたは夢を見ているのではないという確証はどこにあるのでしょうか?もしかしたら、ここにいる人たちといっしょに同じ夢を見ているのかも知れないということも考えられるのです。こんなことを申し上げるのは、地上には霊的実在に目覚めていないという意味で地上生活という夢を見続けている人間が無数にいるからです。その夢から覚めて、ようやく自分は肉体ではないという自覚を得るのです。何度も申し上げているように、あなた方は肉体をたずさえた霊であって、霊をたずさえた肉体ではないのです。これは大変な違いです” P91

 

●“霊界にも庭園もあれば家もあり、湖もあれば海もあります。なぜかと言えば、もともとこちらこそが実在の世界だからです。私たちは形のない世界で暮らしているのではありません。私たちもあい変わらず人間的存在です。
ただ肉体をもたないというだけです。大自然の美しさを味わうこともできます。言葉では表現できない光輝あふれる生活があります。お伝えしようにも言葉がないのです” P115

 

●ここでメンバーの一人が「思考とは別に物質界には客観的存在物があります。丘のように誰にでも見えるものがあります。霊界にも各自の思考とは別に客観的存在物があるのでしょうか」と聞くと、

“各レベルにおいてあなたのおっしゃる客観的存在物がそこに住む人にとって同じように映ります。丘があり川があり、小鳥がさえずり、花が咲き、樹木が茂っております。そのすべてに実感があります。”    P89

 

 

死とは・・・・寸感 “死とは” を参照

“死とは物的身体から脱出して霊的身体をまとう過程のことです。少しも苦痛を伴いません。ただ、病気または何らかの異常による死にはいろいろと反応が伴うことがあります。それがもし簡単にいかない場合には霊界の医師が付き添います。
そして、先に他界している縁者たちがその人の〝玉の緒〟が自然に切れて肉体との分離がスムーズに行われるように世話をしているのを、すぐそばに付き添って援助します。
 次に考慮しなければならないのは意識の回復の問題ですが、これは新参者各自の真理の理解度に掛かっています。死後にも生活があるという事実をまったく知らない場合、あるいは間違った来世観が染み込んでいて理解力の芽生えに時間を要する場合は、睡眠に似た休息の過程を経ることになります。 その状態は自覚が自然に芽生えるまで続きます。長くかかる場合もあれば短い場合もあります。人によって異なります。知識をたずさえた人には問題はありません。
物質の世界から霊の世界へすんなりと入り、環境への順応もスピーディです。意識が回復した一瞬は歓喜の一瞬となります。なぜなら、先に他界している縁のある人たちが迎えに来てくれているからです”
P103

 

霊的身体について・・・・寸感 “死とは” を参照

●“あなたには沢山の身体が具わっています。
それらを幽体だのエーテル体だの霊体だのと呼んでおられるのですが、あなたはそのうちのいずれか、つまりそれまで到達した霊的進化のレベルの自我を表現するのに似合ったものを使用します。
そしてさらに進化すると、昆虫が脱皮するようにそれを脱ぎ棄てます。つまりあなたは常にその時点での霊格にふさわしい身体で自我を表現しているわけです。死後の身体はそういう過程をたどります。それが無限に続くのです” P104

 

●“こうして霊が浄化していくに伴って、その段階にふさわしい表現機関として次々と新しい身体を必要とします。霊的身体はたくさんあるのです”

──たくさんあるとすると、死ぬ時はどうなるのでしょうか。一つひとつ脱け落ちていくのでしょうか。
“進化するごとに身体を脱ぎ替えていきます”

──ということは、われわれは何度も死をくり返すわけですか。
“そうです。ただし霊が死ぬのではありません。表現の媒体が変わるということです”

──いずれは幽体を脱ぎ棄てる時期がくるわけですが、それも死ですか。
“そうです。肉体が役目を終えて棄て去られるのと同じです”

──われわれは何度も死ぬわけですね。
“そうなります。が、それは有難いことなのですよ。進歩していることを意味するからです” P106

 

●“霊的身体は霊格が高くなるほど成熟していきます。霊界での成長は成熟するということです” P81

 

●“霊は生命であり生命は霊です。霊としてのあなたは無始無終に存在しております。それが現段階において受胎の瞬間から個性ある霊となったわけです。個霊としてのあなたの進化は今後さまざまな身体を通して続けられます。そして進化すればするほど個性が発現されます”P93

 

●“地上の霊能者が使用する霊視力と同じものをもっておれば人体も見えますが、一般的に言えば霊は人間の霊体を見ている場合の方が多いです。
今の私にはこの部屋の物体は何も見えません。ご出席のみなさんの霊体だけが見えております”
P113

 

その他

●“あなた方の地球は無数に存在する生活の場の一つにすぎません。 / あなた方に見えている星の彼方にも無数の星があります。惑星の彼方にもあなた方がまだご存知ない別の惑星、別の生活の場があります。宇宙は無限に広がっているのです“  P100

 

●“地上生活の究極の目的は、人間が霊的成長のある段階において、物的現象の世界のウラ側に存在する実在に気づくように、さまざまな体験を提供することです” P117

●“そうして発達を続けていくうちに霊的真理の実相を悟って、もはやその理解のために比較対照というものを必要としなくなる段階に至ります。それは地上においても達成できるものです。
つまり知的な思考による理解を超えた〝悟り〟を地上生活中に得ることができます
。それは私たちの世界へ来てから比較対照が無くても実在が理解できるようになるのと同じ段階です” P95

 

●“宇宙で愛ほど強力な引力はありません。愛でつながった人はけっして離ればなれにはなりません” P114

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2017年5月用テキスト)

シルバーバーチの霊訓 八巻 三章 質問に答える(一)―地上生活―


Ⅰ.発達(development肉体の発達)と進化(evolution 霊的向上)
●人間的要素(種の発達)はアメーバ―の段階的発達の中で発生します。そして人類へ向けて絶え間ない発達過程を続けます。/ 人間としての意識に目覚めた段階で、つまり自我意識をもつに至ったときに、いわゆる人間となります。⇒ 種から個霊へ  P45


Ⅱ.霊が身体に宿る時期
●潜在的には受胎の瞬間から人間であり、人間性のすべてを宿しております。P47

 

●大半のケースにおいて、霊は地上で果たさねばならない目的をもって生まれてきます
そしてその仕事に合った身体に宿ります。ただ、自分は地上でかくかくしかじかのことをしようと決意したその仕事に実際に目覚めるまでには相当な時間を要します。P48


Ⅲ.物的身体に関連して
●誕生の瞬間から肉体は死へ向かいます。この現象は誰にも変えられません。もともと肉体は不老不死を目指すようには意図されていないのです。本性そのものが儚い存在であることを自覚しております。従わねばならないサイクルというものがあるのです。まず、ゆっくりと機能的成熟を目指します。成熟すると同時に、やはりゆっくりと、全機能が衰えはじめます。P49

 

「つい(終)にゆく道とはかねて知りながら、昨日今日とは思わざりしを」(伊勢物語 在原業平)
人はみな「朝には紅顔あって、夕には白骨となれる身なり」(浄土真宗 蓮如)

 

宇宙の摂理について知り得たかぎりの真実を有りのままに述べている私を責めてもはじまりません。私は、私が間違いない真理だと信じたものを欺くようなことは申せません。目的とすべき理想、霊的真理に基づいた処世訓、それを忠実に人生に応用すれば、霊としての当然の遺産であるべき豊かさをもたらせてくれるもの、それをお教えするだけです。
最終的にどう決めるかはあなたご自身です。P52

 

私たち霊団は私たちのやり易い時に、私たちのやり易い方法でやるしかありません。あなた方の都合に合わせるわけにはいかないのです。P58

 

良心が命じたことに素直に従わなくてはいけません。最終的には自分自身が裁判官なのです。/動機さえ正しければ絶対に間違っていません。何よりもまず動機が最優先されるのです。P58

 

あなた方も元来が霊的存在であって、それが今は物的身体を通して自我を表現しているにすぎないという、この基本的真理をつねに念頭においてください。霊をたずさえた肉体ではなく、肉体をたずさえた霊だということです。その認識のもとに内部の霊性をできるだけ多く発揮することになるような生活を心掛けることです。P58 ⇒ 「霊主肉従の努力」と「利他愛の実践」

 

●あなたの行為はすべてあなたが到達した霊的自覚の程度によって支配されるのです。P70


Ⅳ.寿命の問題
●地上は体験学校のようなものです。/あなたはその不完全な世界で少しでも多くの完全性を発揮しようとしている不完全な存在です。ですから、自分なりの最善を尽くしておれば、それでいいのです。それ以上のものは要求されません。P60

 

●ですから、仕事上の厄介なできごとを、神が与えてくれた挑戦のチャンスとして感謝して受け止めることです。それを処理していくことで結果的にあなたがそれだけ霊的に成長するのです。もしも仕事仲間の中にあなたの信念についていけないという人がいたら、もしもその人の信念に迷いが見えはじめたら、その時は構わず見捨てることです。果たすべき大目的についての荘厳な洞察力を抱き続けている人とのみ仕事をなさることです。P60

 

―人間の寿命は前もって決められているのでしょうか。

●霊と肉体とは一体不離です。そして地上生活の期間、いわゆる寿命が切れる時期は大方の場合あらかじめ分かっております。P61

 

霊 ⇒ ①地上生活(肉体をまとって人間となる) ⇒ 霊が魂(カルマを持つ個霊)となる ⇒ ②地上で様々な体験を積む ⇒ ③死(肉体を脱ぎ捨て魂を開放する)⇒ ④魂(個霊)として霊界へ ⇒ 何度か再生を繰り返す ⇒ 地上で霊的覚醒と霊的成長を始める ⇒ 霊界で永遠の巡礼の旅へ(より高度な霊的成長の旅)

 

①肉体を霊から切り離して考えることはできません。/ あなたという一つの統一体すなわち霊魂を構成しているのです。P61 ⇒ 霊が肉体をまとって個性(自我意識)を持ち始める

 

②地上というほんの一時的な生活の場にすぎません。P68 ⇒ 地上は魂の孵卵器 

 

③それ(死)は霊を解放するという役目を果たすことになるのです。P62 ⇒ 殻からの魂の解放

 

④死が階段を一つ昇ったことを意味する。P67 ⇒ 魂が次のステージ(霊界)へ移行

 

Ⅴ.事故・災害による死について
●たとえ地上で60歳、70歳、もしかして100歳まで生きたとしても、無限の時の中での100年など一瞬の間にすぎません。P71

 

●大自然の摂理の働きに偶然の出来事というものはありません。あなたは霊のために定められた時期に地上を去ります。しかも多くの場合その時期は、地上へ誕生する前に霊みずから選択しているのですP71

 

●明るい側面と同時に暗い側面も体験しなければなりません。蓮の台の生活では魂は成長しません。困難と闘争と危機の時にこそ魂は自我を発揮するのです。あなたにはそれが得心できないお気持ちは分かります。地上的感覚でお考えになっているからです。しかし永遠の観点から見れば、恵まれた条件よりも困難な事態の方が有り難いことなのです。P72

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2017年4月用テキスト)

シルバーバーチの霊訓 八巻 二章 “自由意志”―人間はどこまで自由か―


Ⅰ)宇宙の法則 
●バイブルにあるように(利他)愛とは神の摂理を成就することです。P33


●法則の裏側にも法則があります。物的法則(因果律など)だけではありません。精神的法則(精神的成長など)もあり、霊的法則(神の愛など)もあります。P37


●時間そのものには過去も未来も無いのです。P41(太陽の動き。相対的なもの)


●補完の摂理・・・男性×女性、理性×直感など P32

 

Ⅱ)自由意志の制約・・・因果律(世の中に偶然はない)
              カルマ((因果律)
              霊性レベル(行為の制約)

人生に偶然はありません。偶発事故というものはありません。偶然の一致もありません。/そこには必ず自然法則が働いております。人間もその法則の働きの外には出られません。P32

 

●このカルマも非常に大きな要素となっております。なぜなら、地上に誕生してくる人の中にはあらかじめそのカルマの解消を目的としている人が少なくないからです。たとえ意識にのぼってこなくても、その要素が自由意志にもう一つ別の制約を加えております。P38


●たとえば人を殺める行為は誰にでもできます。が、その行為に至らせるか否かは、その人の精神的ならびに霊的進化によって決まることです。ですから、あなたに選択の自由があるとはいっても、その自由はその時点でのあなたの霊的本性によって制約を受けていることになります。・・・パラドックス(矛盾)P38


●あなたがた人間は受信局と送信局とを兼ねたような存在です。純粋に自分自身の考えを生み出すことはきわめて稀です。地上のラジオやテレビにチャンネルとかバイブレーション―フリークエンシー(周波数)が適切でしょう―があるように、人間にもそれぞれフリークエンシーがあって、その波長に合った思想、観念、示唆、インスピレーション、指導等を受信し、こんどはそれに自分の性格で着色して送信しています。それをまた他の人が受信するわけです。
その波長を決定するのは各自の進化の程度です。霊的に高ければ高いほど、それだけ感応する思念も程度が高くなります。ということは、発信する思念による影響も高度なものとなるわけです。P39

Ⅲ)再生問題・・・誕生前に人生の目的を決めている。不達のときはやり直し。
●内部に宿る神性に目覚めるか(霊的覚醒)、それともそれを無視するかです。無視すれば霊的向上は望めません。霊的な身支度ができないまま私たちの世界にやってまいります。そうしてもう一度初めからやり直さなければなりません。P34


魂は、再生するに当たってあらかじめ地上で成就すべき目的を自覚しております。その自覚が地上で芽生えるまでには長い長い時間を要します。魂の内部には刻み込まれているのです。それが芽生えないままで終わったときは、また再生して来なければなりません。首尾よく自覚が芽生えれば、ようやくその時点から、物質をまとった生活の目的を成就しはじめることになります。P39

 

Ⅳ)物的本性 
物的なものはその本性そのものが束の間の存在ですから、いつかは滅ぶ運命にありますが、霊的なものは永遠に不滅です。(容姿や顔など:カトレアの花)P33


(参照)
誕生の瞬間から肉体は死へ向かいます。この現象は誰にも変えられません。もともと肉体は不死を目指すようには意図されていないのです。
(物的なものは)本性そのものが儚い存在であることを自覚しております。従わねばならないサイクルというものがあるのです。まず、ゆっくりと機能的成熟を目指します。成熟すると同時に、やはりゆっくりと全機能が衰えはじめます。そして、リンゴが熟すると自然に木から落ちるように、肉体も与えられた寿命をまっとうして死を迎えます。P49


⇒容姿や顔などの肉体美になぜ差があるのか、男女の性差と性欲とは、美とは。
他者への優越感(容姿や社会的地位、名声、富、学歴、血筋などのブランド)と所有欲


[マトメ]
●あなたはミクロの大霊なのです。大霊が具えている神性のすべてをあなたも所有しており、それを開発していくための永遠の時が用意されているのです。P37


●すべての道は造化への霊的大始原に通じております。/そして地球という惑星上の全生命は究極において唯一の霊的ゴールに通じる道をたどりつつ永遠の巡礼の旅を続けております。P33


進化することが自然の摂理だからです。霊的進化も同じ摂理の顕れです。P36

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2017年3月用テキスト)

シルバーバーチの霊訓 八巻 一章 “シルバーバーチのアイデンティティ”


―シルバーバーチとは―
●私は実はインディアンではありません。あるインディアンの幽体を使用しているだけです。それは、そのインディアンが地上時代に多彩な心霊能力をもっていたからで、私がこのたびの使命にたずさわるように要請された際に、その道具として参加してもらったわけです。私自身の地上時代はこのインディアンよりはるかに古い時代にさかのぼります。
このインディアンも、バーバネルが私の霊媒であるのとまったく同じ意味において私の霊媒なのです。私のように何千年も前に地上を去り、ある一定の霊格を具えるに至った者は、波長のまったく異なる地上圏へ下りてそのレベルで交信することは不可能となります。そのため私は地上において変圧器のような役をしてくれる者、つまりその人を通して波長を上げたり下げたりして交信を可能にしてくれる人を必要としたのです。 P10


●―あなたは代弁者にすぎないとおっしゃってますが、その情報はどこから伝達されるのですか。との質問に答えて


数え切れないほどの中継者を通じて、無尽蔵の始原から届けられます。その中継者たちは真理の本来の純粋性と無垢の美しさが失われないようにするための特殊な仕事を受け持っているのです。あなた方のいう高級霊のもとに大霊団が組織されています。が、高級などという表現をはるかに超えた存在です。神の軍団の最高司令官とでも言うべき位置にあり、それぞれが霊団を組織して責務の遂行に当たっております。 (中略)
忘れないでいただきたいのは、私たちはすべて(今のべた最高司令官による)指揮、監督のもとに仕事をしており、一人で勝手にやっているのではないということです。” P13
⇒“その教えは私個人の所有物ではないのです。”P20


―霊的真理・摂理とは―
●私はただひとえに私の申し上げることによって判断していただきたいと望み、理性と知性と常識に訴えようと努力しております。 P12


●私は何一つややこしいことは申し上げておりません。難解な教理を説いているわけでもありません。自然の摂理がこうなっていて、こういう具合に働くのですと申し上げているだけです。そして私はつねに理性に訴えております。そうした摂理の本当の理解は、それを聞かれた方がなるほどという認識が生まれた時にはじめて得られるのです。何がなんでも信じなさいという態度は私たちの取るところではありません。 (中略) 理性によって協力が得られないとしたら、それは指導者としての資格がないということです。 P17


●なのに地上の人間はなぜ知識よりも無知を好み、真理よりも迷信を好み、啓示よりも教理を好むのでしょうか。 P16


―他界に持ち帰ることのできる真に価値あるもの―
私たちの世界では地上でどんな肩書き、どんな財産をもっていたかは問題にされません。
要はその人生で何を為したかです。
私たちは魂そのものを裁くのです。財産や地位ではありません。魂こそ大切なのです。地上では間違ったことが優先されております。あなたのお国では黄金の仔牛の崇拝の方が神への信仰心をしのいでおります。圧倒的多数の人間が神よりもマモン(富の神)を崇めております。それが今日のアメリカの数々の問題、困難、争いごとの原因となっております。 P12


●ここにおいでの皆さんの多くはみずから地上への再生を希望し、そして今この仕事にたずさわっておられます。地上にいらっしゃる間に自我の可能性を存分に発揮なさることです。そして最後に下される評価は、蓄積した金銀財宝で問われるのではありません。霊的なパスポートで評価されます。それを見ればあなたの霊的な本性が一目瞭然です。 P27


自我の開発――これが人間としてもっとも大切な目的です。それがこうして私たちが霊界から地上へ戻ってくる目的でもあるのです。すなわち人間に自己開発の方法、言いかえれば霊的革新の方法をお教えすることです。内在する神の恩寵を味わい、平和と調和と協調と友愛の中で生きるにはそれしかないのです。今の地上にはそれとは逆の内紛が多すぎます。 P21

 

―全てのスピリチュアリストがたどる道―
●あなた(質問者)の人生がけっして平坦なものではなかったことは私もよく承知しております。スピリチュアリズムという大きな知識を手にするために数々の大きな困難を体験しなければならない――それが真理への道の宿命であるということがあなたには不可解に思えるのではありませんか。けっして不可解なことではありません。そうでないといけないのです。 P16


その教えは私個人の所有物ではないのです。それは全ての者がたどるべき道があることを教え、その道をたどれば自分自身についての理解がいき、全生命を支配している無限の存在に気づき、各生命がその霊力の一部をいただいていること、それ故に絶対に切れることのない絆で結ばれていることを知ります。 P20


[参照]そういう人たちがたどる人生には、似通った過酷なパターンがあります。必ず人生のドン底を味わい、もはや物質の世界には頼りとすべきものが無いと諦めた土壇場で、崇高な霊的真理との出会いがあります。
魂の琴線に響く感動を味わう、その触媒となる体験を得るのがこの段階です。魂に内在する神性の火花に点火され、霊的意識が芽生え、霊界との間にリンクができます。そのリンクは一度できると二度と切れることがないばかりか、霊力がその量を増しながら、そのリンクを通して流れ込みます。(古代霊シルバーバーチ 最後の啓示 P34)

 

―スピリチュアリストは常に楽観的でなければならない―
●時にはあなた方人間にとって大へんな不幸に思えることが霊的には大へんな利益をもたらすことがあるのです。
人間は問題をことごとく地上的な視点から眺めます。私たちは同じ問題を霊的な視点から眺めます。しかも両者は往々にして食い違うものなのです。たとえば“他界する”ということは地上では悲しいことですが、霊の世界では“めでたいこと”なのです。人間の限られた能力では一つ一つの事態の意義が判断できません。ですから、前にも申し上げたように、判断できないところは、それまでに得た知識を土台として(すべては佳きに計られているのだという)信念で補うしかありません。 P18


[参照]
“これまでにあなたがたどってこられた道を振り返ってごらんになることです。間違いなく、目に見えない力による指示があなたをここまで導いてきていることに気づかれるはずです。その事実をあなたの生活の自信になさることです。これまで導いてくれた力が、これからも導いてくれないはずはない、と。”(シルバーバーチ最後の啓示 P118)


●幸いにも霊的光明をかいま見ることができ、背後に控えている存在に気づかれた方は、明日はどうなるかを案ずることなく、常に楽観的姿勢を維持できなければいけません。 P15


●そこでその時の条件下で精一杯のことをするしかないわけです。ですが、最終的な結果については私たちは自信をもっております。 P26


●これまでこの仕事にたずさわっている方々の生活において成就されたものを見ても、私たちは、たとえ一時的な障害はあっても、最後は万事がうまくいくとの自信があります。皆さんのすべてが活用できる莫大な霊力が用意されているのです。精神を鎮め、受容性と協調性に富んだ受け身の姿勢を取れば、その霊力がふんだんに流入し、人間だけでなく動物をも治癒させる、その通路となることができます。 P27

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(2017年2月用テキスト)

シルバーバーチの霊訓 七巻 十一章 “なぜ神に祈るのか”

青文字は亀水の加筆

 

Ⅰ)“永遠不変の大霊、全生命の根源、宇宙の全存在の究極の実在であるところの霊的な宇宙エネルギーであり、それが個別的意識形体をとっているのが人間です。

 

Ⅱ)豊かな宝を明かさんとしているところです 
●“万事が佳きに計らわれていること、あなたの御心のままに、全てが佳しとの確信を得てくれることを期待して、霊力の豊かな宝1)~3)のいくつかを明かさんとしているところです。”

 

●“果たすべく運命づけられている己の役割(使命)に耐えうる素質を身につけた暁に活用されることを待っているその霊力の豊かさ、無尽蔵の本性をもつ無限なる霊の存在を明かさんと欲しているものでございます。”


●“どの人間にも神性というものが潜在し、それを毎日、いえ、時々刻々、より多く発揮するために1)活用すべき才能(感応性能などの資質)が具わっていること、それさえ開発すれば、2)周囲に存在する莫大な霊的な富が誰にでも自由に利用できることインスピレーション、導き、守り、叡智など各種の形態をとる霊力)、言語に絶する見事な3)叡智が無尽蔵に存在し、活用されるのを待っているということです。人類はまだまだその宝庫の奥深くまで踏み込んでいません。ほんの表面しか知りません。(中略) 霊的能力の開発に費やしている人はほとんどいません。第一、人間に霊的能力が潜在していることを知っている人がきわめて少ないのです。”

 

Ⅲ)“神は子等に受容能力が増すに応じて啓示を増してまいります。”

 

Ⅳ)“こうして人間的活動の全分野が理解できるようになります。
(人間活動の)一つ一つが霊の光で啓蒙(その事象の意味が理解できるようになる→悟り)されていきます。”

 

Ⅴ)なぜ神に祈るのか
●“われわれの心の中に抱く思念は神は先刻ご承知なのです。
要望は口に出される前にすでに知れているのです。”

 

●“魂の憧憬と内省のための手段、つまり抑え難い気持ちを外部へ向けて集中すると同時に、内部へ向けて探照の光を当てる行為である。”

 

●“可能な限り最高のの概念に波長を合わせたいという願いの表れ。”

 

●“祈りとはわれわれのまわりに存在するより高いエネルギーに波長を合わせる手段だからです。”
⇒ 祈りは瞑想と同じで、瞑想とは送受信の関係。

 

祈りの目的は、
●“祈りには目的があります。魂の開発を促進するという霊的な目的①~③です。”

 

●“言い変えれば、祈りとは神性の一かけらである自分がその始原(神)とのいっそうの緊密なつながりを求めるための手段です。”(外部に向けて)

 

●“祈りは魂の憧憬を高め、決意をより強固にするための刺激――これから訪れるさまざまな闘いに打ち克つために守りを固める手段です。(内部に向けて)

 

●自分をよりいっそう役立てたいという真摯な願いから、改めるべき自己の欠点、克服すべき弱点、超えるべき限界を見つめるための祈りであれば、そのときの高められた波長を通して励まし決意を授かり、祈りが本来の効用を発揮したことになります。

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(2017年1月用テキスト)

シルバーバーチの霊訓 七巻 九章 “悩み多きインド” & 十章 “質問に答える”

 

―宇宙の法則は神の意志が顕現したもの―

 

●人間の世界であろうと、霊の世界であろうと、その法則によって規制されていないものは何一つ存在しないのです。宇宙は漠然と存在しているのではありません。莫大なスケールをもった一つの調和体なのです。 / つまり宇宙は法則によって支配されており、その法則は神の意志が顕現したものだということです。法則が神であり、神は法則であるということです。その神は、人間を大きくしたようなものではないという意味では非人間的存在ですが、その法則が霊的・精神的・物質的の全活動を支配しているという意味では人間的であると言えます。要するにあなた方は人類として宇宙の大霊の枠組みの中に存在し、その枠組みの中の不可欠の存在として寄与しているということです。P189

 

―霊的摂理の知識は自由をもたらす―

 

●私はスピリチュアリズムが信仰だとは思いません。知識です。P175
⇒ 霊的摂理(宇宙の法則含む)という知識を知る

 

●―スピリチュアリズムが現代の世界に貢献できるものの中で最大のものは何でしょうか。
“最大の貢献は神の子等にいろんな意味で①自由をもたらすことです。これまで隷属させられてきた束縛から解放してくれます。知識の扉は誰にでも分け隔てなく開かれていることを教えてあげることによって、無知の牢獄から解放します。日陰でなく日向で生きることを可能にします。”P174

 

●奴隷のごとく他のものによって縛られ足枷をされて生きるべきではありません。
その人生は豊かでなければなりません。精神的にも身体的にも霊的にも豊かでなければいけません。/ 霊の荘厳さ(霊的真理)の中で生きるべきです。P175

 

―霊的摂理に自分を調和させる―

 

●その力(霊力)はすべての人間に宿っています。すべての人間が神の一部だからです。この大宇宙を創造した力と同じ力、山をこしらえ恒星をこしらえ惑星をこしらえた力と同じ力、太陽に光を与え花に芳香を与えた力、それと同じ力があなた方一人ひとりに宿っており、②生活の中でその絶対的な力に波長を合わせさえすれば存分に活用することができるのです。P193

 

●あなたの思念、あなたの言葉、あなたの行為、つまりあなたの生活全体をいかにしてその法則に調和させるかは、あなたみずから工夫しなければなりません。それさえできれば、病気も貧乏も、そのほか無知の暗闇から生まれる不調和の状態が無くなります。P191

 

●地上の人間は自分の精神に具わっている③資質(能力)の使い方をほとんど知らずにいます。ついでに言えば、その精神的資質が次の進化の段階での大切な要素となるのです。その意味でこの地上生活において思念を行為の有効なさきがけとする訓練をすべきです。きちんと考えた上で行為に出るように心がけるべきです。ですが、思念の使い方を知らない人が何と多いことでしょう。わずか5分間でも、じっと一つのことに思念を集中できる人が何人いるでしょうか。実に少ないのです。P182
 凝念(有我一念)⇒ 瞑想・精神統一(無我無念)・・・平成25年9月寸感 参照

 

●たいていの場合それ(遠隔治療)は患者の睡眠中に行われるのです。その方が患者の霊的身体との接触が容易なのです。P183 ⇒ 瞑想・精神統一と似た状態

 

―霊的成長と成長度の違い―

 

●“私は神があなた方のいう“善”だけを受けもち、悪魔があなた方のいう“悪”を受けもっているとは申し上げておりません。”
――潜在的には善も悪もすべてわれわれの中に存在しているということですね。
“人間一人一人が小宇宙なのです。あなたもミニチャアの宇宙なのです。潜在的には完全な天使的資質を具えていると同時に獰猛な野獣性も具えております。だからこそ自分の進むべき方向を選ぶ自由意志が授けられているのです。” P194

 

●進化というものを一直線に進むように想像してはいけません。前進と後退のくり返しです。立ち上がっては倒れるの繰り返しです。少し登っては滑り落ち、次に登ったときは、前より高いところまで上がっており、そうやって少しずつ進化して行きます。P192 ⇒ 潮の満ち引きと似ている

 

●地上世界においても、一応みなさんは地表という同じ物質的レベルで生活なさっていますが、霊的には一人ひとり異なったレベルにあり、その意味では別の世界に住んでいると言えるのです。P195 
⇒ 地表にありながら、幽界・霊界に住んでいる(幽界の修業をこの世でしている)

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(2016年12月用テキスト)

シルバーバーチの霊訓 七巻 八章 “大きくなったルースとポール”より

 

“霊的”(スピリチュアル)と“心霊的”(サイキック)の違い
 心霊的法則と霊的法則とは少し違うのです。/同じものではありません。/純粋に物的な現象です。/とにかく霊界とは何のつながりもないのです。
 霊視がきくといわれている人でも、霊界のものは何も見えない人がたくさんいます。この場合は心霊的な能力の一部にすぎません。/生まれながらに具わっている純粋に心霊的なの能力なのです。この地上界だけの心霊的能力というのがあるのです。/五感の延長なのです。霊の世界とは何の関係もありません。
 ポール君は物的身体のほかに霊的身体も具えています。その身体には生まれつきあらゆる心霊能力が潜在していますが、それが開発され、しかも霊界の力と融合した時にはじめてスピリチュアルと言えるものになるのです。

 

死後の界層の違いは何できまるか

 地上世界も霊的な世界の一部です。なぜかというと、霊の住む世界はぜんぶが重なり合っているからです。宇宙に存在する生活のすべてが互いに重なり合い融合し合っており、霊界とか幽界とか物質界というのは一つの宇宙的生活の違った側面をそう呼んでいるだけです。ポール君はいま物質界にいますが、同時に幽界にもつながっているのです。

 

知識には責任がともなう

 知識はたしかに喜びと幸せと落ち着きをもたらしてくれますが、こんどはそれをどう生かすかという責任ももたらすのです。知識は、無知から生じる愚かな心配を取り除いてくれます。/真理を知っていながら罪を犯す人は、もっと大きな償いをさせられます。より多くを知っているということが罪を大きくするのです。

 

魂の成長には試練と経験が大切

 試練と体験を通してこそ霊は成長するのです。
 (スピリチュアリズムを知ったことによって生じる)一ばん大きな違いは、自分が一人ぼっちでいることが絶対にないということを知ったことです。いつどこにいても霊の世界からの愛と友情と親愛の念を受けているということです。最善をつくしているときは必ず霊界からの導きの力が加わっていること、あなたのもっているものから最善のものを引き出し、あなたの人生から最善のものを学び取ってくれるようにと願っている、友愛と親切心と協力精神に満ちた霊の存在がまわりにいてくれているということです。このことがスピリチュアリズムがもたらしてくれる一ばん有り難いことです。

 

愛は霊にとって酸素のようなもの

 悪意と敵意、憎しみと闘争、流血と悲劇に満ちたこの冷たく陰うつな地上生活はもう二度とご免こうむりたいと思われるはずです。
 この冷たくてうっとうしい、およそ魅力のない陰うつな地上。(シルバーバーチの最大の発見)

 

“神”の思想の進歩
 何かすごく大きな人間の男性のような姿をした神さまが宇宙をこしらえたのだという概念が、何十世紀もたった今もなお存在しています。/宇宙を創造しそして支配しているものは、男性神でもなく、女性神でもなく、とにかく形ある存在ではないのです。人間的な存在ではないのです。/宇宙は自然法則によって表現されていること、その法則の背後にある叡智は完全であること、しかし人間は不完全であるためにその完全さを理解することができないということです。人間が個体性を具えた限りある存在である以上、個体性のない無限の存在を理解することができないのです。

 

ほんとうの進歩とは
 頭がいいということは必ずしも偉大な魂、あるいは偉大な精神の持ち主ということにはならないのです。それは脳という物質のみにかぎられた発達なのです。/正しい発達とは精神的ならびに霊的な発達のことを言うのです。

 

○物質文化の発達が利己主義を生んだ

 同じ発達が精神面と霊的な面に見られないのです。人類は物質と精神と魂のうちの物質面だけが異常に成長してしまいました。他の二つの側面がそれについていないのです。それが利己主義という、地上でもっとも厄介な罪を生むことになったのです。

 

○睡眠中は何をしているか

 人生は一本調子のものではありません。色彩もあり変化もあります。障害に出会うことでしょう。何もかもうまく行く楽しい日々もあれば、すべてが絶望的に思える暗い日々もあることでしょう。そうしたさまざまな体験の中でこそ性格が培われるのです。人生を形づくっているさまざまな体験の中で培われるのです。
 もしも人生が初めから終わりまでラクに行ったら、もしも乗り切るべき困難もなく耐え忍ぶべき試練もなく、克服すべき障害もないとしたら、そこには何の進歩も得られないことになります。レースは競い合うからこそ価値があるのです。賞はラクには貰えず一生けんめい頑張ったあとにいただくから価値があるのです。そういう価値ある人間になるように努力なさい。この世に克服できない悩みはありません。ですから、悩んではいけないのです。征服できない困難はないのです。力の及ばないほど大きな出来ごとは何一つ起きないのです。
 一つ一つの経験から教訓を学ぶことです。難しいと思ったときは、怯まず自分にムチ打つのです。そうすればそれだけ前より強い人間となります。自分が霊であること、それが肉体を通して表現しているのだということ、そして自分という永遠の霊に傷を負わせたり害を及ぼしたりするものは決して生じないということを忘れないことです。
 世間でいう“成功者”になるかならないかはどうでもよいことです。
この世的な成功によって手に入れたものは、そのうちあっさりと価値を失ってしまいます。大切なのは自分の霊性の最高のものに対して誠実であること、自分でこれこそ真実であると信じるものに目をつぶることなく、ほんとうの自分に忠実であること、良心の命令に素直に従えることです。それさえできれば、世間がどう見ようと、自分は自分としての最善を尽くしたのだという信念が湧いてきます。そして、いよいよ地上生活に別れを告げる時が来たとき、死後に待ちうける生活への備えが十分にできているという自信をもって、平然として死を迎えることができます。これが私からのアドバイスです。

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(2016年11月用テキスト)

「真理は法律では縛れない」より シルバーバーチの霊訓 七巻 第七章P103~

 

―全体像を把握するには“本当の自分”を知らなければならない―

 

●私が会得した叡智の一つは、全体像を把握するということです。私は“俗世にあって俗人となるなかれ”という訓えのとおりの立場にあります。あなた方のように目先の出来事に動かされることがありません。あなた方は物質界に身を置いている以上、その日その日の出来ごとに右往左往させられても無理のないことです。 P106

 

[参照箇所 十二巻 P150]
人生体験のすべてがそれぞれに大きな生命機構の一部としての意義をもっております。およそ歓迎したくない体験――悲しいこと、辛いこと、嘆き、落胆、苦痛、痛み等々も魂にとって掛けがえのない価値をもっております。その有難さは地上にいる間は実感できません。地上人生の価値の明確な全体像が理解できるようになるのは、肉体を離れて煩悩から解放され、局部にとらわれずに全体を眺めることができるようになった時です。逆境の中にあってこそ人間性が鍛えられ、悲哀の中にあってこそ魂が強化されていることが分かります。

 

―シルバーバーチの目的―
●一人でも多くの人をわれわれの霊力の行使範囲に手引きしてあげることが目的です。これは二つの側面をもった仕事です。一つは各自が潜在的に所有する霊的原動力(霊的資質)を発動させることであり、もう一つは、その人たちを背後霊の影響下に置いてあげることです。P109

 

―霊的真理は永遠不滅の実在―
●私はいつも、昨日や今日の出来ごとによってすぐに揺らぐようなことのない永遠不変の原理を説いております。永遠の実在―不変の摂理の働きに基礎をもつ実在の一部なのです。この知識を活用することによって、決断に際して不安も恐れもなく、自分がたずさえている真理はかならずや勝利をおさめるのだという確信をもつことができます。 P115

 

<インスピレーションを通して霊的真理を伝える>
●インスピレーションと真理を次々と送り届けて、少しでも多くの人々を目覚めさせてまいります。 P107

霊界には、いついかなる時も、インスピレーションによる指導と鼓舞の手段を用意した霊の大軍が控えております。真剣に求めてしかも何一つ手にすることが出来ないということは絶対にありません。求める者には必ず救助と援助と指導が与えられます。 (中略) 霊的貯蔵庫との波長がうまく調和しさえすれば、その恩恵にあずかることができます。各自の受容力に似合った分だけを授かります。 P113

 

●私たちの勢力は、生命が永遠であること、人間は例外なく死後も生き続けること、愛に死はなく、死者への哀悼は無用であること、そして宇宙には誰にでも分け隔てなく与えられる無限の霊的叡智と愛とインスピレーションの泉があることを教えたくて戻ってくる男女によって編成されているのです。 P117

 

<霊的真理普及に努める者の心得>
●背筋を伸ばし、霊の使者として人類の霊的再生のために、すべての者が等しく自由と寛容を享受できる“新しい世界”を招来するために神のお召しにあずかったのだという誇りをもってください。人間の霊性――これは神の霊性そのものなのです・・・。 P106

 

●どんなことがあっても自分の持ち場を死守し、そこから逃げ出すことがあってはなりません。自分にあずけられた真理の宝石を死守するのです。真理を知った者の勇気ある生き方の手本を示すのです。かりそめにも“ごらんなさい。霊的真理を吹聴していた人間がこのざまですよ”などと言われるようなことのないように心掛けてください。 P107

 

霊に目覚めた者が不安や恐怖を抱くほどのものは何一つありません。忠誠心自信とをもち、背後より支援してくれるその力の存在を忘れることなく、真理はいかなる反抗勢力に遭っても、真理であるがゆえに耐え抜くものであることを確信して邁進すべきです。 P115

 

真摯なる者、謙虚なる者、ひたすらに真理を求める者、古い伝説や神話をかなぐり棄て、いったん受け入れた真理に素直に従う用意のできた者のみが、“新しい世界”の価値ある住民としての特権を得るのです。 P117

 

みなさんは何者をも恐れることなく、人類を迷信の足枷から解き放し、無知の束縛から救い出す真理の擁護者としての決意をもって邁進しなくてはいけません。 P117

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(2016年10月用テキスト)

シルバーバーチの霊訓 七巻 第六章“わが子に先立たれた二組の夫婦と語る”

 

Ⅰ)死別の悲しみ⇒ Ⅱ)霊的無知⇒ Ⅲ)背後霊との交流⇒ Ⅳ)霊的真理の啓発

 

Ⅰ) 死別の悲しみ
●本当のことを謙虚にそして真剣な気持ちで申し上げます。死は、死ぬ人自身にとって少しも悲劇ではありません。あとに残された人にとってのみ悲劇なのです。暗黒の世界(物質界)から光明の世界(霊界)へと旅立つことは悲しむべきではありません。あなたが嘆き悲しむとき、それは実はわが子を失った自分の身の上を悲しんでいらっしゃるのであり、自由の身となった息子さんのことを悲しんでおられるのではありません。息子さんは地上にいた時よりずっと幸せなのです(霊的摂理)。もう肉体の病に苦しむことがないのです。刻々と蝕まれていくということもありません。内部の霊的資質を開発し、それを何の障害に邪魔されることもなく自由に発揮し、それを必要とする人のために存分に役立てることができるのです。
あなたは見慣れたあの姿が見られなくなったことを淋しがっておられるのです。物的身体が二度と見られなくなったことを嘆いておられるのです。しかし、本当の息子さんは立派に元気で生きておられるのです。ただその手で触ってみることができないだけです。どうかその物的感覚の世界、五感というお粗末な魂の窓(物質の目)の向こうに目をやり、霊的実在(霊的摂理)を知ることによって得られる叡智(霊的な目)を身につけるように努力なさってください。死は生命(霊魂)に対してまったく無力なのです。生命(霊魂)はつねに意気揚々としています。愛する息子さんは決してあなたのもとを去ってはいません。むしろ死によって霊的にはさらに身近かな存在となっているとも言えるのです。P88

 

●どうか私の言うことを素直に信じてください。P85

 

Ⅱ)霊的無知
●私がお届けする知識によって、大ぜいの人々の人生を台無しにしている無知を一掃しようというわけです。 P86

 

●霊的知識こそが、みずからを閉じ込めている牢獄から魂を解放する大きな力となるのです。自由という名の陽光の中で生きるべきでありながら暗い魂の牢獄の中で暮らしている人が多すぎます。 P87

 

Ⅲ)背後霊との交流
●忙しい時間のいくばくかを割いて、背後霊との霊的な交流をもつことを心掛けてくださると、背後霊はとても助かるということです。これは何度も申し上げていることですが、背後霊とのつながりを求め、たとえ表面的には何の反応もなくても、霊的にはかならず何かが起きているものです。ですから、たとえばテーブルも何も用いずに何分間か、ただお二人で座って黙祷するというだけでもいいのです。言葉に出すのもいいかも知れません。が、それも必ずしも必要ではありません。心を空にして穏やかな気持ちの中で精神を統一するだけで十分です。その統一状態の中で霊の力が働くのです。そうした静かな精神状態というのが、物的生活に振り回されている騒々しさに一時的なストップをかけることになります。そのわずかな時間を霊性の開拓と、自宅内での霊的存在の認識へ向けたことになります。
地上の人間は静かな精神状態をもつことの効用を十分に認識しておりません。私がよく申し上げているように、あなた方にとって無活動の時が私たちにとって活動の時なのです。あなた方が静かに受身の心でじっとしている時が私たちにとって一ばん近づきやすいからです。 P101

 

●地上の人々が霊的な摂理を理解し、内部に具わっている霊的資質が自然に発揮されるような自然な生活を送れば、二つの世界の間にかかっているベール(五感という物質の窓)が突き破られ、すべての障害が撤去されることでしょう。その障害はことごとく人間の無知と迷信と偏見とによってこしらえられたものばかりです。 P86
[参考引用]
●人類の大半を占める人たちがまだ霊的なものを求める段階まで達しておりません。言いかえれば、霊的波長を感受する能力を発揮しておりません。ごく少数の人たちを除いて、大部分の人々はそのデリケートな波長、繊細な波長、高感度の波長を感じ取ることができないのです。(七)P30

 

●あなたが求めておられるものを叶えられなくしているのは、知らず知らずとはいえ、実はあなたご自身であることを知ってください。 P84

 

●そのうちきっと、今だにあなたを取り巻いている濃いモヤを取り除けるようになるでしょう。それを是非とも突き破らねばなりません。しかし、それは大変努力のいることです。実に困難なことです。 P85

 

Ⅳ)霊的真理の啓発・普及
●あなたも私たちと同じ視野に立って地上世界をごらんになることです。 P91

 

●あなたも他のすべての人間と同様に、為すべき何らかの仕事があってこの物質界に誕生してこられたのです。ときには内省の時をもって、果たしてこれが自分にとって“本当の仕事”だろうか、“世を啓発する”上で少しでも役に立っているだろうか、“(霊的)知識の蓄積”を怠っていないだろうか、獲得した“霊的真理を人に分け与える努力”をしているだろうか、これで“最善を尽くしている”と言えるだろうか、正直に自分に問いかけてみることです。 P90

 

●そこで私たちは考えたのです―よい道具さえ用意できれば安心と確信と自信を生み出す(霊的)知識の光をふんだんに地上へもたらすことができるであろう。そして神が意図された通りの生き方、つまり平和と協調と愛にあふれた生活ができ、神の一部としての霊性(良心)が要求するところのものを追求すること(霊的真理の啓発・普及)に勤しむことになるであろう、と。 P92

 

●それで私は霊性に目覚めた方々に申し上げるのです―勇気をもって闘いなさい。あらゆる不正、あらゆる闇、あらゆる横暴、あらゆる不公平と闘いなさい。その人の背後には人間的煩悩から解放された霊の大軍が控え、鼓舞し援助し、決して見捨てるようなことはいたしません、と。これが知識を伝達する手段をお持ちの方に私からお願いしていることです。 P91

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(2016年9月用テキスト)

―真の宝とは―

 

“おっしゃる通り当然でしょう。が、その状態こそ恐怖心を捨てる試金石でもあります。私たちがみなさんの前に掲げる理想がひじょうに到達困難なものが多いことは私も承知しております。私たちの要求することのすべてを実現するのは容易ではありません。が、最大の富(霊的宝・叡智)は往々にして困難の末に得られるものです。
それには大へんな奮闘努力が要求されます。が、それを私があえて要求するのはそれだけの価値があるからです。いつも申し上げておりますように、あなた方はそれぞれに無限の可能性を秘めたなのです。宇宙を創造した力と本質的に同じものが各自に宿っているのです。
その潜在力を開発する方法を会得さえすれば、内在する霊的な貯えを呼び覚ます方法を会得さえすれば、霊力の貯水池から吸い上げることができるようになりさえすれば、恐怖の迫った状態でも泰然としていられるようになります。
人生の旅においてあなたを悩ますあらゆる問題を克服していく手段は全部そろっているのです。それがあなたの内部に宿っているのです。イエスはそれを“神の御国は汝の中にある”(物質界と同時に、霊界にも居ること)と言いました。神の御国(霊界)とはその無限の霊的貯蔵庫(霊的叡智・霊力)のことです。自己開発によってそれを我がものとすることができると言っているのです。開発すればするほど、ますます多くの(霊的叡智)が永久に自分のものとなるのです。もしも私の説く訓えがラクなことばかりであれば、それは人生には発展と進化のチャンスがないことを意味します。人生には無数の困難(試練)があります。だからこそ完全に向けてのチャンスが無数にあることになるのです。
生命は永遠です。終わりがないのです。完全へ向けての成長(霊的成長)も永遠に続く過程なのです。” (七)P75 (P101 参照)

 

上記の三通りの方法とは、具体的に言うと、神から与えられた霊的資質である“霊的波長を感受する能力”を活用することです。この能力こそ“魂の宝庫を開くカギ”(七)P58 なのです。

 

“人類の大半を占める人たちがまだ霊的なものを求める段階まで達しておりません。言いかえれば、霊的波長を感受する能力(インスピレーションを感受する能力・霊交)を発揮しておりません。ごく少数の人たちを除いて、大部分の人々はそのデリケートな波長、繊細な波長、高感度の波長を感じ取ることができないのです。” (七)P30 

 

霊界からの声と力による導きと援助を素直に受け入れるようになりさえすれば、さほど大変なことではありません。” (七)P63

 

ただし、霊的知識がなく、無理やりこの能力を開くと地縛霊や邪悪霊の格好の餌食になりますので、くれぐれもあとさきを間違えないようにしてください。

 

シルバーバーチの霊訓を通して霊的知識を学び、人生の中でさまざまな試練や困難に遭遇し、祈りや瞑想をとおして心を開くと、善霊から“導き”や“インスピレーション”が入ってきます。このように霊的知識として学んだことを実体験をとおして叡智や悟りに変え、初めて霊的知識が身につくのです。単に知識として知っているだけでは絶対にダメで、知識を適用すること、すなわち実際に食べてみて初めて血となり肉となり、霊的知識が叡智となって身につくのです。
だからこそ、人生には無数の困難があり、実体験を通して霊的叡智を身につけるチャンスが無数にあるのです。

 

“(霊的)知識こそすべての者が所有すべき(霊的叡智・悟り)です。” (七)P50

 

“ご自分の経験から得られる叡智を道しるべとする――これが一ばんです。人間を導く上で私たちはそれを一ばんの拠りどころとしています。だからこそ説得力があるのです。” (七) P56

 

“平凡な日常生活の中で培われた霊的資質(霊的叡智)こそあなたの永遠の財産となるのです。”(十二)P33

 

[関連個所]
“どうか私がこれまで述べてきた知識の中から物的生活の背後で働いている霊的活動、あなたの身のまわりにほうはいとして存在する莫大な霊力、あなた方を善のために活用せんとして待ちかまえている霊の存在を認識してください。あなた自身の中に潜在する可能性をしっかりと認識してください。それが自我の霊的本性のもつ莫大な兵器庫、魂の宝庫を開くカギ(霊的波長を感受する能力)となるからです。神の叡智は無限であるということ、宇宙の宝物は無尽蔵であるということの意味を、しっかりと理解してください。” (七) P58

 

霊的法則に関する知識を駆使して霊的資源(霊的叡智や霊力)を活用する用意があるからです。この資源は無尽蔵なのです。それを活用して、あなたがどんな境遇に置かれてもそれを克服できるように導き支援して、あなたの存在をできるだけ有効に生かす道を歩んでいただくようにいたします。” (七) P57

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(2016年8月用テキスト)

シルバーバーチの霊訓 第七巻 第四章 “若き軍人と語る”

 

A)今、地上で争いごとが絶えない根本的な原因 ⇒ 霊的知識に対する無知

●私は今地球が必要としているのは基本的な霊的知識であるとみています。P61

 

●あらゆる地上の問題を煮つめれば、その原因はたった一つの事実を知らないことに帰着するのです。すなわち人間は本来が霊的存在であり、神からの遺産(霊的資源)を受け継いでいるが故に、生まれながらにして幾つかの権利を有しているということです。その権利は、次の生活の場に備えるために、地上生活においてその属性を十分に発揮(霊的資源の活用)させるためのものです。P64

⇒ P57参照

 

B)霊的知識の普及という大仕事

●もっと大きな戦いがあります。何世紀にもわたって強大な霊的軍団が組織されております。P52

 

●そのたった一人の人間も、霊の力を背後にすれば大きな仕事ができるのです。P53 あきらめてはなりません。真理普及というこの大きな戦いにおいて私たちの味方となった方には“敗北”はありません。P54

 

●私たちには為さねばならない仕事があるのです。偉大な仕事です。/あなた自身が手にされた知識を寛容の精神で他人に披露して、その良さを知ってもらうための努力を忍耐づよく続けてください。/一人ひとり得心させて行かねばなりません。結局はそれしかないのです。P55

 

ご自分の経験から得られる叡智を道しるべとする――これが一ばんです。人間を導く上で私たちはそれを一ばんの拠りどころとしています。だからこそ説得力があるのです。P56

 

●(霊的)知識を広めることです。P58

 

C)霊的知識の力・・・今月のHP参照

霊的法則に関する知識を駆使して霊的資源を活用する用意があるからです。P57

⇒P75の“潜在力を開発する方法”、“内在する霊的な貯えを呼び覚ます方法”、“霊力の貯水池から汲み上げる方法”とは、いづれも霊的法則に関する知識を駆使して霊的資源を活用することにある。すなわち、霊的知識を学びそれを日常生活で実践し、霊的摂理への信仰を通して内外の霊力が活用できるようになる。(亀水記)                                         

この資源(霊力)は無尽蔵なのです。それを活用して、あなたがどんな境遇に置かれてもそれを克服できるように導き支援して、あなたの存在をできるだけ有効に生かす道を歩んでいただくようにいたします。P57

 

これ(霊的知識)さえ携えていれば、人生を生き抜く上での光輝あふれる照明となってくれます。いかなる問題においても、私たちは決して地上的観点から物ごとを見ないということ、地上的尺度で判断しないということ/近視眼的無分別に振り回されることはない。/地上の人間を悩ませている問題を人間自身の受け止め方とは違った受け止め方をしていること、あなた方と同じ視野で捉えていないということを知ってください。P59

 

霊界からの声と力による導きと援助を素直に受け入れるようになりさえすれば、さほど大変なことではありません。P63

 

●第一に考慮すべきことは“動機”です。/自分の思考と行動を監視する、絶対に誤ることのない装置が内蔵されております。いわゆる道義心です。 P60~P61

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(2016年7月用テキスト)

シルバーバーチの霊訓 第七巻 第三章 “戦地でも愛読された霊訓”

 

≪死と直面した戦場で≫
―“本当の自分”は霊魂であるという認識―
●大切なのは、あなた方はもともと霊的存在であり、果たすべき霊的宿命をもってこの地上にあるという認識です。ですから、これからの新しい時代は霊的真理を土台として築かなければなりません。P44

 

―死は存在しない―
●生命は永遠にして無限であり、死は存在しないこと。人間の一人一人が宇宙の創造という大目的の一翼を担う存在であると説いているのです。人間は物的身体ではなく永遠なる霊的存在であり、年令とともに衰えることなく、内部の神性が開発されるにつれてますます光輝を増していく存在であると説いているのです。
また私たちは老化も病気も霊の成長を妨げることはないこと、死によって物的身体がもたらしていた一切の痛みと苦労と障害から解放されると申し上げております。死はけっして愛する者との間を永遠に引き裂くものでないこと、いつかは必ず再会の時が訪れること、それも、どこやら遠い遠いところにある掴みどころのない空想的な境涯においてではなく、物的世界に閉じ込められている人間が理解しうるいかなる生活よりもはるかに実感のある実在の世界において叶えられると申し上げているのです。P48

 

―背後霊の存在を認識する―
●どこにいても、まわりには物的束縛から解放された先輩霊の一大軍勢が待機し、地上へ働きかけるための手段(受容性に富む人間)を求めて常時見張りを続けており、過去の過ちを繰り返させぬために、そして平凡な日常生活から人間が叡智を学び地上生活が実りのあるものになってくれるように霊的知識を少しでも多く授けたいと願っている、そうした事実を認識して、これからの仕事に臨もうではありませんか。
われわれは愛と叡智によって導かれ、知識とインスピレーションによって支えられている、偉大にして遠大な目的のための道具であることを片時も忘れぬようにいたしましょう。P46

 

―人間には善と悪の両方の心(霊性心×本能心)がある― ・・・今月の寸感参照
●しかし同時にこの時期(第二次世界大戦)は、短かったとはいえ人間の残忍性の奥をのぞかせた時期でもありました。つまり人間の到達しうるかぎりの気高さと醜さの極限を見せてきました。言いかえれば人間の霊性のすばらしさを見せると同時に、堕落したときの極悪非道ぶりも見せつけたのです。しかし、いずれも同じく人間のしたことです。霊と肉の両極から成り立っている存在だからです。そのどちらがより強く人間を操るかによって生じる差にすぎません。霊の道を選ぶか、それとも肉の道を選ぶかの差です。P43

 

―人間にとっての最大の敵は恐怖心である―
(霊的)知識こそすべての者が所有すべき宝です。(霊的)無知は未知なるものへの恐怖心を生みます。この恐怖心こそ人間の最大の敵なのです。判断力を曇らせ、理性を奪い、いい加減な出来心で行動する人間にしてしまいます。これでは人生からよろこびと美しさと豊かさを見出すことはできません。P50

 

―やり直しのチャンスは必ずある―
●善はみずから報酬をもたらし、悪と罪はみずから罰と断罪を受けると私は説くのです。向上するのも堕落するのも本人の行為一つに掛かっているのです。人生のあらゆる側面を神の摂理が支配しており、それをごまかすことも、それから逃れることもできません。誰にも出来ません。/苦しみを味わった者にはそれ相当の償いがあり、しくじった者には何度でも更正のチャンスが与えられるのです。P49

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(2016年6月用テキスト)

シルバーバーチの霊訓 第七巻 第一章 “二つの世界が交わる場所” & 第二章 “今なぜスピリチュアリズムか”

 

霊的世界
●墓の向こうにも生活があるのです。あなた方が死んだと思っている人たちは今もずっと生き続けているのです。しかも、地上に戻ってくることもできるのです。げんに戻ってきているのです。P27

 

●たとえ私の姿をご覧になることはなくても、私はその方たちのご家庭へお邪魔していることをご承知ください。実際にお伺いしてお会いしているのです。P21

 

これは空想の産物ではありません。P25

 

●人類史上はじめて宗教が実証的事実を基盤とすることになりました。P27
 (物質化現象、交霊会、スピリットヒーリングなど、スピリチュアリズム入門、続スピリチュアリズム入門を参照)

 

●死後の存続という事実はまともな理性をもつ者ならかならず得心するだけの証拠が揃っております。P27 (アーサー コナン ドリルも同様のことを述べている)

 

霊の力
●宇宙には、資格のある者なら自由にそして存分にわがものとすることのできる、莫大な霊的宝庫が存在いたします。P16

 

●無限の宝を秘めた神の貯蔵庫から霊力を引き出しましょう。P40

 

●人間が霊的存在であることに変わりはありません。霊的資質を発揮し、霊的な光輝を発揮することができれば、不安や疑いの念などはすべて消滅してしまいます。霊は安心立命の境地において本来の力を発揮するものです。P30

 

ほんのわずかな時間でもよろしい、時には日常的な意識の流れを止めて、まわりに溢れる霊の力に思いを寄せ、その影響力、そのエネルギー、永遠なる大霊の広大な顕現、その抱擁、その温もり、その保護を意識いたしましょう。P21

 

 

苦難克服の摂理
●私たちが闘わねばならない本当の敵は無用の心配です。それがあまりに多くの人間の心に巣くっているのです。単なる観念上の産物、本当は実在しない心配ごとで悩んでいる人が多すぎるのです。そこで私は、取り越し苦労はおやめなさいと、繰り返し申し上げることになるのです。自分の力で解決できないほどの問題に直面させられることは決してありません。克服できない困難というものは絶対に生じません。重すぎて背負えないほどの荷物というものは決して与えられません。しかも、あふれんばかりの自信に満ちた雰囲気の中で生きていれば、霊界から援助し、導き、支えてくれるあらゆる力を引き寄せることになるのです。P30

 

●私たちが存分に力を発揮する上で人間側に要求したい心の姿勢 P29 ⇒ 安心立命の境地 P30
 では、どうすれば困難の中で“安心立命の境地”に入れるのか?・・今月の寸感の項、参照

 

●求めつづけるのです。きっと与えられます。要求が拒否されることはけっしてありません。ただし、解答はかならずしもあなたが期待したとおりのものであるとはかぎりません。あなたの成長にとって最善のものが与えられます。P34

 

ハイレベル スピリチュアリストの心得
●世間の中傷を気にしてはいけません。反発に動揺してはなりません。嫌悪の態度を見せられても気になさらないことです。あなた方がこの地上に生をうけたそもそもの使命に向かってひたすら努力しているかぎり、そんなものによって困った事態になることはありません。P18

 

●願わくはその豊かな恵みに応えるべく日常生活を律することができますように。その中で神の永遠なる摂理に適っているとの認識が得られますように。どうか神の道具としての存在価値を存分に発揮し、豊かな祝福をもたらしてくれた真理の光を輝かせて、人々がわれわれの生活をその真理の模範となすことができますように。P21

 

●大霊の生きた道具となるべく、日常生活においてわれわれ自身を律してまいりましょう。
われわれがその大霊の計画の推進者であることを片時も忘れず、謙虚さと奉仕の精神と、託されたその信託への忠誠心をもって臨むかぎり何一つ恐れるものはないこと、いかなる障害物も太陽の輝きの前の影のごとく消滅していくとの確信のもとに邁進いたしましょう。P40

 

●かくして各自がそれぞれの道において温かき愛悠然たる自信確固たる信念をもって生き、道を失った人々があなた方を見て、光明への道はきっとあるのだと、感じ取ってくれるような、そういった生き方をなさってください。それも人のために役立つということです。P35

 

●訓えは十分に揃っております。いま必要なのはその実行者です。P39

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(2016年5月用テキスト)

シルバーバーチの霊訓 第六巻 第十二章 “苦難にこそ感謝を”

 

―苦難の意味―
[まずは“真の自我”の自覚が必要]
“まだ自分というものを肉体だけの存在、あるいは、せいぜい霊を具えた肉体だと思い込んでいる人が多すぎます。本当は肉体を具えた霊的存在なのです。それとこれとでは大違いです。”P204 
⇒ほとんど全ての人は、せいぜい霊魂があることを漠然と理解はしてはいても、常日頃“真の自我”が霊魂であることを自覚し霊主肉従にまでは至っていない。その証拠に、物的視点から観るくせがついていて、いつも心配・不安・取越苦労が絶えない。

 

[霊的存在と霊力]
“あなたも霊であり、霊であるがゆえに神の属性のすべてを宿していることに得心がいくようになれば、前途に横たわる困難のすべてを克服していくだけの霊力を授かっていることに理解がいくはずです。”P201
⇒霊力は万能で、霊的エネルギーは色々な形をとり現象面さえも変えることができるが、我々は神の子としてその霊力を活用する資格・権利も持っている。

 

[人生の目的]
“その地上生活の目的はきわめて簡単なことです。死後に待ち受ける次の生活に備えて、本来のあなたであるところの霊性を強固にするのです。身支度を整えるのです。開発するのです。となれば、良いことも悪いことも、明るいことも暗いことも、長所も短所も、愛も憎しみも、健康も病気も、その他ありとあらゆることがあなたの霊性の成長の糧となるのです。その一つ一つが神の計画の中でそれなりの存在価値を有しているのです。”P202 ⇒人生の目的は霊的成長にある。

 

[取越苦労・心配・不安が絶えない理由]
“無駄な取り越し苦労に振り回されている人が多すぎます。私が何とかして無くしてあげたいと思って努力しているのは不必要な心配です。”P204 
⇒我々、スピリチュアリストといえども不安・心配が絶えない。それは物的世界で生活しているとついつい物的世界が実在であり、霊的世界がフィクションであって摂理が不履行になるかも知れないと潜在意識下で思っているからだ。

 

[心配・不安の弊害]
(克服できないほど強烈なものはないという霊的摂理を)“実感し実践していただくことができれば、その人は神と一体となり、神の摂理と調和し、日々、時々刻々、要請されるものにきちんと対応できるはずなのです。ところが、残念ながら敵があります。取越苦労、心配、不安という大敵です。それが波長を乱し、せっかくの霊的援助を妨げるのです。霊は平静さ自信受容力の中ではじめて伸び伸びと成長します。日々の生活に要請されるものすべてが供給されます。物的必需品のすべてが揃います。”P202
⇒取越苦労や心配、不安の心が内部の生命エネルギー(霊力)を枯渇し、補給源である外部 からの霊力の流入や背後霊からの導き・援助を気づかずに遮断しているのだ。

 

[霊的視野で観る]
霊的な目を通して眺めることができる P200 ・・・視野を一変させ、P201
⇒現象面を物的世界からの視点で眺めず、霊的知識に基づく霊界からの視点で眺め、今起こっている現象が自分の霊的成長にとってどのような意味があるのかを知る。・・・因果律を利用して、全ての現象は霊的成長につながるように霊界からの導き・援助がある。

 

[苦難克服の摂理]
いかに暗い体験も克服できないほど強烈なものはありません。あなたに耐えられないほどの試練や危機に直面させられることはありません。” P202

 

自分の力で解決できないほどの問題に直面させられることは決してありません。克服できない困難というものは絶対に生じません。重すぎて背負えないほどの荷物というものは決して与えられません。” 霊訓(七)P30

⇒これは神の摂理・約束・担保そのものであるが、この摂理がにわかに信じられないからこそ不安、心配、取越苦労が絶えないのだ。

 

[苦難への対処法]
自分で自分をコントロールする要領さえ身につければ、その無限の貯蔵庫からエネルギーを引き出すことができます。”P201 ⇒上記二つの霊的知識に信仰を加え、瞑想によって精神を統一し、心を空にして平静、静穏、受け身となり宇宙の摂理、背後霊に全託すると、インスピレーションも聞こえてきて、霊力が流入し気力がわいてくる。

 

―マトメ―
“驚異に満ちたこの宇宙が、かつて一度たりともしくじりを犯したことのない神の摂理によって支配され規制され維持されているのです。その摂理の働きは一度たりとも間違いを犯したことがないのです。 (中略) 私は、神の子すべてにそういう視野をもっていただきたいのです。そうすれば取越苦労もなくなり、恐れおののくこともなくなります。いかなる体験も魂の成長にとっては何らかの役に立つことを知ります。その認識のもとに一つ一つの困難に立ち向かうようになり、首尾よく克服していくことでしょう。そのさ中にあってはそうは思えなくても、それが真実なのです。あなた方もいつかは私たちの世界へお出でになりますが、こちらへ来れば、感謝なさるのはそういう暗い体験の方なのです。視点が変わることによって、暗く思えた体験こそ、そのさ中にある時は有難く思えなくても、霊の成長をいちばん促進してくれていることを知るからです。
(中略) これは大変な真理であり、また多くの側面をもっています。”P204
⇒苦難の体験は、霊的成長にとって必要なことだから体験しているのだ。

 

※結果として霊的成長のために、物的世界で我々は霊的摂理の実践と信仰(苦難克服の摂理)の訓練を繰り返し、繰り返しさせられていることになる。この物質界は霊的成長のための“学習の場”なのだ。

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(2016年4月用テキスト)

シルバーバーチの霊訓 第六巻 第十一章 “みんな永遠の旅の仲間”

 

霊的発達程度は全て異なっている(物質界特有の特長)
●みなさんも人間である以上各自に歩調というものがあります。進化とは絶え間ない成長過程です。成長は永遠に続くものであり、しかもみんなが同時に同じ段階に到達するとはかぎりません。P190

 

摂理の裏にも別の摂理があり、その裏にもまた別の摂理がある。真理の理解度は、霊的発達程度によって受け止め方が異なっている。
●真理は永遠不滅です。しかも無限の側面があります。なのに人間は自分が手にした一側面をもって真理の全体であると思いこみます。そこから誤りが始まります。
全体などではありません。進化するにつれて理解力が増し、他の側面を受け入れる用意ができるのです。P191

 

真理は様々な側面と深さをもっていて、真理の独占販売はできない
●高度の真理 P191

●神の顕現が無限であるからには神の真理に近づく道にもまた無限のバリエーションがあることになります。P191

 

直接的な道か迂回する道かは、霊的発達程度によって決まる
●神の真理に近づく道にも直接的に近づく道と迂回する道があります。が、それはその道を歩む本人の発達程度によって決まることです。直接的な道が歩めるようになるまでは、それが直接的な道であることが読み取れません。P192

 

苦は進化と相関関係にある
●“あなたは永遠の霊的規範を物的尺度で測り、魂の視点からでなく肉体の視点、言いかえればいま物質を通して顕現している精神だけの視点から眺めておられます。”

 

「それを災難と受け取るのも進化のある一定段階までのことだとおっしゃるのでしょうか」

 

“そうです。それを災難と受け取る段階を超えて進化すれば苦しい思いをしなくなります。苦は進化と相関関係にあります。(中略) あなたの体験の“質”を決定づけるのはあなたの進化の“程度”です。ある段階以上に進化すると憎しみを抱かなくなります。愛のみを抱くようになります。苦を感じず幸せばかりを感じるようになります。難しいことですが、しかし真実です。苦しみを何とも思わない段階まで到達すると、いかなる環境にも影響されなくなります。
P193

 

宇宙の摂理への絶対的信頼があれば苦しみを感じなくなる
●さて、苦しみとは一体なんでしょうか。苦しみとは自分自身または他人が受けた打撃または邪悪なことが原因で精神または魂が苦痛を覚えた時の状態を言います。が、もしその人が宇宙の摂理に通じ、その摂理には神の絶対的公平が宿っていることを理解していれば、少しも苦しみは覚えません。なぜなら各人が置かれている環境はその時点において関係している人々の進化の程度が生み出す結果であると得心しているからです。進化した魂は同情、思いやり、慈悲心、哀れみを覚えますが、苦痛は覚えません。P195 ⇒ カルマや因果律を通して学ぶ仲間

 

霊的摂理の理解があれば苦しい思いをしなくなる
●要するに理解が行き届かないから苦しい思いをするのです。十分な理解がいけば苦しい思い
をしなくなります。また、すべきではありません。P195 ⇒ 苦しみの意味と目的への正しい理解

 

魂の成長には苦しみの体験が必須条件  P196
●“苦と楽、悲しみと喜び、平静さと怒り、嵐と晴天、こうしたものがみな魂の成長の糧となるのです。そうしたものを体験し教訓を学んではじめて成長するのです。その時はじめて宇宙が無限なる愛によって支配され、その愛から生み出された摂理に間違いはないとの自覚を得ることができるのです。(中略)つまり宇宙の摂理に不動の、そして全幅の信頼を置くことができるようになれば、人生で挫折することはありません。なぜならその信念が内部の霊力を湧き出させ、何ごとも成就させずにはおかないからです。
その霊力を枯渇させる最たるものは、心配の念です。全幅の信頼心――盲目的な信仰心ではなく知識を土台とした完全なる信念は、人生のあらゆる体験に心配も迷いも不安もなく立ち向かわせます。神の子である以上は自分の魂にも至聖所があり、そこに憩うことを忘れないかぎり、自分を焼くつくす火も吹き倒す嵐も絶対にないとの確信があるからです。”

 

「すばらしいことです。」

 

“本当にそうなのです。本当にそうなのです。物質に包まれた人間にはその理解はとても困難です。魂そのものは知っていても、その物質による束縛がどうしても押し破れないのです。
しかし、それを押し破っていくところに進化があるのです。人生問題を霊の目で眺めれば、その一つ一つに落ち着くべき場がちゃんと用意されているのです。地上的な目で眺めるから混乱と困難と誤解が生じるのです。そこで私たちの出番が必要となります。すなわち霊的真理の光をお見せするのです。”⇒ 霊的真理の光(霊の目)で人生問題を眺めるようになる

 

自分も神である自覚と、摂理への絶対的信頼を得られれば怖いものなし
●自分も神であることを自覚なさることです。そうすれば神の御国(摂理)はほかならぬ自分の魂の中にあることを悟られるはずです。それは絶対に裏切ることがありません。無限の補給源である神の摂理に調和した生き方をしているかぎり、何一つ不自由な思いも空腹も渇きも感じなくなります。といって必要以上のものはいただけません。魂の成長の度合にふさわしいだけのものが与えられ、それよりも多くも、それよりも少なくも、それより程度の高いものも低いものも受けません。それ以外にありようがないのです。P198

 

―マトメ―
苦難や試練にあうと、地上的な目や世間の常識で判断するため、取越苦労、心配や不安ばかりで、とても苦しい思いをする

⇒ 宇宙の摂理への理解が進み、摂理への不動の信念・信仰(摂理の神への絶対的信頼)がでてくれば、背後霊の護りや導きを信じて、取越苦労や心配、不安などの雑念妄念に心が徐々に支配されなくなり、嵐の中でも神(不動の摂理)に全託した静寂・平穏な精神状態になってくる

 

⇒ そうなると、冷静に苦難や試練を霊的視野(霊の目)から眺め、インスピレーションを受けて苦難の真の意味が解って理解できるようになり、そこから悟りや叡智が得られるようになる

 

⇒ そうなると、苦しみの体験は霊的成長への必須条件ではあるが、ある一定以上に霊性が進化すると、苦難を苦難と感じなくなり、なお且つ、霊的成長もできるようになる

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(2016年3月用テキスト)

シルバーバーチの霊訓 第六巻 第十章 “あらためて基本的真理を”

―私たちの使命―

●日常生活の物的必需品を手に入れることに全エネルギーを注ぎこまねばならないときに、本来の自分とは何か、自分はいったい何者なのか、なぜ地上に生活しているのかといったことを忘れずにいることは困難なことです。P175


●ともすると俗世的な煩わしさの中で見失いがち基本的真理をあらためて思い起こさせてあげることです。P175

 

―車窓の景色―

●あなた方は霊的な目的のためにこの地上に置かれた霊的存在なのです。そのあなた方を悩まし片時も心から離れない悩みごと、大事に思えてならない困った事態も、やがては消えていく泡沫のようなものにすぎません

といって、地上の人間としての責務をおろそかにしてよろしいと言っているのではありません。その物的身体が要求するものを無視しなさいと言っているのではありません。大切なのは正しい平衡感覚、正しい視点をもつこと、そして俗世的な悩みや心配ごとや煩わしさに呑み込まれてしまって自分が神の一部(霊的存在・真我)であること、ミニチュアの形ながら神の属性のすべてを内蔵している事実を忘れないようにすることです。そのことを忘れず、その考えを日常生活に生かすことさえできれば、あなた方を悩ませていることがそれなりに意義をもち、物的、精神的、霊的に必要なものをそこから摂取していくコツを身につけ、一方に気を取られて他方を忘れるということはなくなるはずです。P175


●しかし同時に私は、もしもあなた方がそうしたことに気を取られて霊的なことを忘れ、霊の世界への備えをするチャンスを無駄にして、身につけるべきものも身につけずにこちらへ来られた時に果たしてどういう思いをなされるか、それも分かっているのです。P176

 

―“本当の自分”は霊的存在(真我・霊力)―

●あらゆる困難に打ち克つだけの力(霊=生命力=霊力 11巻P107)が自分の内部に存在することを悟って取越苦労をしなくなり、価値ある住民となることでしょうが、なかなかその辺が分かっていただけないのです。霊の宝(霊的存在・真我)は神の子の一人一人の意識の内部(潜在意識)に隠されているのです。しかし、そうした貴重な宝(霊的存在・真我)の存在に気づく人がなんと少ないことでしょう。P177


●もしも日常生活において決断を迫られた際に、あなた方のすべてが自分が霊的存在であること、大切なのは物的な出来ごとではなくその裏側に秘められた霊的な意味、あなたの本性、永遠の本性(霊的存在)にとっていかなる意味があるかということです。P178

 

―人生の目的―

物的存在物はいつかは朽ち果て、地球を構成するチリの中に吸収されてしまいます。と言うことは物的野心、欲望、富の蓄積は何の意味もないということです。一方あなたという存在は死後も霊的存在として存続します。あなたにとっての本当の富はその本性の中に蓄積されたものであり、あなたの価値はそれ以上のものではなく、それ以下のものでもありません。そのことこそ地上生活において学ぶべき教訓であり、そのことを学んだ人は真の自分(霊的存在・真我)を見出したという意味において賢明なる人間であり、自分を見出したということは神を見出したということになりましょう。

世界を見ておりますと、あれやこれやと大事なことがあって休む間もなくあくせくと走りまわり、血迷い、ヤケになりながら、その一ばん大切なことを忘れ、怠っている人が大勢います。私たちの説く教説の中でもそのことが一ばん大切ではないでしょうか。それが、いったん霊の世界へ行ったものが再び地上へ戻ってくる、その背後に秘められた意味ではないでしょうか。それを悟ることによって生きる喜び――神の子として当然味わうべき生き甲斐を見出してもらいたいという願いがあるのです。
それは、いわゆる宗教あるいは教会、教義、信条の類い、これまで人類を分裂させ戦争と混沌と騒乱を生んできたものより大切です。少しも難しいことではありません。自分という存在の本性(霊的存在・真我)について単純きわまる真理なのです。なのに、それを正しく捉えている人はほんの僅かな人だけで、大方の人間はそれを知らずにおります。P179

 

―時期の来た人―

魂にその準備ができるまでは、それ以上のものは望めないからです。肉体は治った。つづいて魂の方を、ということになるべきところですが、そこから進化という要素が絡んできます。魂がそれを受け入れる段階まで進化してなければ無駄です。P181

 

―瞑想とインスピレーション―

基本的真理にしがみつくのです。迷いの念の侵入を許してはなりません。これだけは間違いのないと確信するものにしがみつき、謎だらけに思えてきた時は、ムキにならずに神の安らぎと力とが宿る魂の奥の間に引き込もることです。そこに漂う静寂と沈黙の中にその時のあなたにとって必要なものを見出されることでしょう。P186

 

―霊界の導きを常に意識する―

常に上を見上げるのです。うつ向いてはなりません。うなだれる必要はどこにもありません。あなたの歩む道に生じることの一つ一つがあなたという存在を構成していくタテ糸でありヨコ糸なのです。これまでにあなたの本性(霊的存在・真我)の中に織り込まれたものはすべて神の用意された図案にしたがって織られていることを確信なさることです。P186

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(2016年2月用テキスト)

シルバーバーチの霊訓 第六巻 第九章 “良心の声”

―良心の声とは―
●“神によって植えつけられた霊性の一部である良心が瞬間的に前面に出て、進むべきコースを指示します
問題は、その指示が出たあとから、それとは別の側面が出しゃばりはじめることです
偏見がそれであり、欲望がそれです。良心の命令を気に食わなく思う人間性があれこれと理屈を言い始め、何かよい解決法があるはずだと言い訳を始め、しばしばそれを正当化してしまいます。しかし、いかに弁明し、いかに知らぬふりをしてみても、良心の声がすでに最も正しい道を指示しております。”P161

 

●“良心は精神的発達とつながっている場合と、つながっていない場合とがあります。
私は良心とは神が与えた霊的監視装置で、各自が進むべき道を適確に指示するものであると主張します。”P162

 

●「一人の人間は正しいと言い、別の人間は間違いだという場合もあるでしょう?」

 

“あります。が、そのいずれの場合においても、自動的に送られてくる良心による最初の指示が本人の魂にとってもっとも正しい判断であると申し上げているのです。問題はその指示を受けたあとで、それに不満を覚え、他にもっとラクで都合のいい方法はないものかと、屁理屈と正当化と弁解をはじめることです。しかしモニターによってすでに最初の正しい指示が出されているのです。”P162

 

―地上人生の意義―
●“潜在している才能が最初に目を出す場であり、それを人生の荒波の中で試してみる場です。そうした奮闘の中ではじめて真の個性が形成されるのです。闘争もなく、反抗もなく、困難もなく、難問もないようでは霊は成長しません。進化しません。奮闘努力が最高の資質、最良の資質、最大の資質、最も深層にある資質を掘り起こすのです。”P166

 

―地球外知的生命体の存在―
●“宇宙には最高界の天使的存在から、意識がようやく明滅する程度の最低の魂にいたるまでの、さまざまな意識的段階にある生命が無数に存在します。意識的生命が地球だけに限られていると思ってはなりません。地球は数限りなく存在する天体のうちの、たった一つにすぎません。 (中略) 有機的生命の存在する天体は無数にあります。ただし、その生命は必ずしもあなたがたが見慣れている形体をとるわけではありません。”P170

 

きらいな人がいない人はいない。(波長の異なる人は苦手である。)

 

1.“良心の問題”と“精神的発達の問題”を区別しなければならない。

 

2.“良心”は“精神的発達”と密接につながっている場合と、つながっていない場合(未熟な霊)とがある。

 

人  間 : 霊、霊の心、霊体、肉体の心、肉体から構成されている。
心の分類 : 物質心、植物心、本能心(動物心)、感覚・感情心、理性心、霊性心

                     ←                →
≪霊性レベルが低いと≫(未熟な霊・・・本能心(エゴ)、感覚・感情心 優位)

 

●自己中心な人ほど、他人を簡単に批判する。
・・・自分の考えが一番正しいと思っているから、他人を批判しやすい。

 

 “良心”を下記によってカムフラージュ(見せかけの良心)している。
間違った前提に立った誤った推理(ドクマ、宗教、教義など)や、偏見、欲望、屁理屈、言い訳によって持論を正当化する。

 

⇒ “良心の問題”ではなく、“精神的発達程度の問題”である。

 

≪霊性レベルが高いと≫(大人の霊・・・理性心、霊性心 優位)

 

●スピリチュアリスト同士は“良心”に基づく考えに立った人が多いが、霊的成長レベルが異なるだけで、どちらも正しいという事がある。

 

⇒ 純粋な「動機」に基づいているから。 例)参戦問題など
   但し、霊的成長レベルが異なるので必ずしも同じ考えになるとは限らない。

 

※波長の違う人は苦手ではあるが、この世は魂の修行場として、人の問題などの地上的闘争をくぐり抜けて霊的に成長しなければならない。(地上人生の意義)
シルバーバーチは教義や考え方は批判しても、人物は決して批判しなかった。
物質世界特有の“波長のあわない苦手な人”を持たない人はいないが、我々は心してシルバーバーチを見習わなければならない。

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(2016年1月用テキスト)

シルバーバーチの霊訓 第六巻 第八章 真理は無限の側面がある

 

通常意識とは別にあなたの魂が切望していたものがありました。あなたの内部で無意識に求めていたものですが、・・・。永い間あなたは何かを成就したい、やり遂げたい、我がものにしたいとう絶え間ない衝動。その心の動乱は実はあなた自身の魂の体質が生んでいたのです。P139
⇒ 時期の来た人というのは、往々にしてこういう精神状態の場合が多い。潜在意識下の本当の自分が本物、“実在の世界”を求めているのでしょう。

 

≪中心的大原理と人生の目的≫

 

●私たちの価値判断は地上とは異なります。私たちは、出来ては消えゆく泡沫のような日々の出来ごとを、物質の目でなく魂の知識で見つめます。P142

 

●いかなる魂をも裏切ることのない中心的大原理すなわち霊の原理にしがみつかれることです。P143

 

●あなたが今こそ学ばねばならない大切な教訓は、霊の存在を人生のすべての拠りどころとすることです。P143

 

●自分を人のために役立てること、これが私たちにとってもっとも大切なのです。P142

 

●地上の大方の人間があくせくとして求めているこの世的財産を手に入れることより、たった一人の人間の魂に生き甲斐を見出させてあげることの方がよほど大切です。P142

 

●あなたがもし魂の内部に完全な平静を保つことができれば、外部にも完全な平静が訪れます。物的世界には自分を傷つけるもの、自分に影響を及ぼすものは何一つ存在しないことを魂が悟れば、事実、この世に克服できない困難は何一つありません。かくして、訪れる一日一日が新しい幸せをもたらしてくれることになります。いかに優れた魂にとっても、そこまで容易に至れるものではないでしょう。P144

 

●①自分が霊的存在であり物的存在ではないこと、②地上生活の目的が霊性の開発と発達にあることをすべての人間が理解すれば、・・・。P146

 

≪動機からどちらも正しいということも有りうる≫

 

●こちらの世界では高級な神霊はまず動機は何かを問います。動機がその行為の指標だからです。P147

 

●何ごとも動機がその人の霊的発達の程度の指標となります。P148

 

≪何一つ心配なさることはありません≫ 実践と信仰

 

あなたは何一つご心配なさることはありません。愛に守られ、行く手にはいつも導きがあるとの知識に満腔の信頼を置いて前進なさることです。
来る日も来る日もこの世的な雑用に追いまくられていると、背後霊の働きがいかに身近なものであるかを実感することは困難でしょう。しかし事実、常にまわりに存在しているのです。あなた一人ぼっちでいることは決してありません。

 

「そのことはよく分かっております。なんとかして取越苦労を克服しようと思っております。」

 

そうです。敵は心配の念だけです。心配と不安、これはぜひとも征服するべき敵です。日々生じる用事の一つ一つにきちんと取り組むことです。するとそれを片づけていく力を授かります。今やあなたは正しい道にしっかりと足を据えられました。何一つ心配なさることはありません。これから進むべき道において必要な導きはちゃんと授かります。私にはあなたの前途に開けゆく道が見えます。もちろん時には暗い影が過ることがあるでしょうが、あくまでも影にすぎません。
私たちは決して地上的な出来ごとに無関心でいるわけではありません。地上の仕事にたずさわっている以上は物的な問題を理解しないでいるわけにはまいりません。現にそう努力しております。しかし、あくまでも霊の問題を優先します。物質は霊の僕であり主人ではありません。霊という必須の要素が生活を規制し支配するようになれば、何ごとが生じても、きっと克服できます。

少しも難しいことは申しておりません。きわめて単純なことなのです。が、単純でありながら、大切な真理なのです。満腔の信頼、決然とした信念、冷静さ、そして自信――こうしたものは霊的知識から生まれるものであり、これさえあれば、日々の生活体験を精神的ならびに霊的成長を促す手段として活用していく条件としては十分です。地上を去ってこちらへお出でになれば、さんざん気を揉んだ事柄が実は何でもないことばかりだったことを知ります。そして本当にためになっているのは霊性を増すことになった苦しい体験であることに気づかれることでしょう。 P154

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(2015年12月用テキスト)

シルバーバーチの霊訓 第六巻 第七章 “難しい質問に答える”

 

―低級霊の見分け方―
●それは霊媒としての修行不足―(中略) 霊媒自身の考えが出しゃばろうとするのを抑えきれないのです。P112
(専属の支配霊としてその程度なのである。ましてや、呼ばれてすぐに身元を明かす霊は徹底的に疑ってかかるべきである。疑われて腹を立てるような霊は相手にしない方がよい。それが霊を見分ける一つの尺度である。近藤千雄氏の注釈)

 

―人生の究極の目的―
人生の究極の目的は、地上にも死後にも、霊性を開発することにあります。物質界に誕生するのもそのためです。その目的に適った地上生活をすれば霊はしかるべき発達を遂げ、次の生活の場に正しく適応できる霊性を身につけた時点で死を迎えます。そのように計画されているのです。P119

 

―邪心にも因果律が働く―
1)人体をみてもその人の送っている邪悪な生活が反映している人をよく見かけます。(出席者の発言)
“当然そうなります。心に思うがままがその人となります。その人の為すことがその人の本性に反映します。死後のいかなる界層においても同じことです。身体は精神の召使ではなかったでしょうか。”P119

2)しかしそれを精神的次元で捉えた場合、嫉妬心、貪欲、恨み、憎しみ といった邪念は身体的な痛みよりも、その行為にいたらせた邪念が当人の霊と精神に及ぼす悪影響の方がはるかに強烈です。(中略)根本において支配しているのは因果律だということです。地上における身体的行為が結果を生むのと同じように、精神的および霊的次元においてそれなりの結果を生むように仕組まれた自然の摂理のことです。邪念を抱いた人が自分の精神または霊に及ぼしている影響は、あなた方には見えません。P121

3)私は憎しみを抱くことはできません。摂理を知っているからです。神は絶対にごまかせないことを知っているからです。誰が何をしようと、その代償はそちらにいる間か、こちらへ来てから支払わされます。いかなる行為、いかなる言葉、いかなる思念も、それが生み出す結果に対してその人が責任を負うことになっており、絶対に免れることはできません。ですから、いかに見すぼらしくても、いやしくても、神の衣をまとっている同胞を憎むということは私にはできません。ですが、不正行為そのものは憎みます。(中略)
そういう人は必ず罰を受けるのです。いつかは自分で自分を罰する時がくるのです。あなたと私の違いは、あなたは物質の目で眺め私は霊の目で眺めている点です。私の目には、いずれ彼らが何世紀もの永い年月にわたって受ける苦しみが見えるのです。暗黒の中で悶え苦しむのです。その中で味わう悔恨の念そのものがその人の悪業にふさわしい罰なのです。P124

 

―私たちは霊といっしょに暮している―
●しかしそのことは、私たちがあなたがた自身の心臓の鼓動と同じくらい身近かな存在であるという事実とはまったく別の問題です。私たちはあなた方が太陽の下を歩くと影が付き添うごとく、イヤそれ以上にあなた方の身近な存在です。私の愛の活動範囲にある人は私たちの世界の霊と霊との関係と同じく親密なものです。P133

 

―霊的真理の実践と信仰― (別紙参照)
21世紀に入って、霊的真理を下す時代から次の段階である“霊的真理の実践と信仰”の時代に入ったと言われておりますが、実践と信仰とは具体的にどのようなことを言っているのでしょうか。以下の霊訓にそのヒントがあります。

●知識の及ばないところは信仰心でもって補いなさいと申し上げているのです。P128

●私はつねづね二つの大切なことを申し上げております。
一つは、知識の及ばない領域に踏み込むときは、その知識を基礎とした上での信仰心に頼りなさいということです。
それからもう一つは、つねに理性を忘れないようにということです。理性による合理的判断力は神からの授かりものです。 (中略) 一見矛盾しているかに思える言説がいろいろとありますが、この合理性もその一つであり、一種のパラドックス(逆説)を含んでおりますが、パラドックスは真理の象徴でもあるのです。P135

(ここでいうパラドックスとは、合理的な判断基準である理性心と、その真逆の信じるという理性を越えた信仰心との相反する心のことです。日常生活で霊的真理を実践するにあたって理性心と信仰心が必要なようです。以下にその具体的な事例をあげます。)

●まして、ふだんの生活における“導き”の問題は簡単には片づけられません。なぜかというと、人間側はその時どきの自分の望みを叶えてくれるのが導きであると思いがちですが、実際には叶えてあげる必要がまったくないものがあるからです。いちばん良い導きは本人の望んでいる通りにしてあげることではなくて、それを無視して放っておくことである場合がしばしばあるのです。この問題は要約して片付けられる性質のものではありません。これには意識の程度の問題、つまり本人の霊的進化の程度と悟りの問題が絡んでいるからです。大変な問題なのです。P132

●ただ、理解しておいていただきたいのは、人間にとって影(不幸)に思えることが私たちから見れば光(幸福)であることがあり、人間にとって光であるように思えることが私たちから見れば影であることがあるということです。人間にとって青天のように見えることが私たちから見れば嵐の予兆であり、人間にとって静けさに思えることが私たちから見れば騒音であり、人間にとって騒音に思えることが私たちから見れば静けさであるものです。
あなた方が実在と思っておられることは私たちにとっては実在ではないのです。お互い同じ宇宙の中に存在しながら、その住んでいる世界は同じではありません。あなた方の思想や視野全体が物的思考形態によって条件づけられ支配されております。霊の目で見ることができないため、つい、現状への不平や不満を口にされます。私はそれを咎める気にはなれません。視野が限られているのですから、やむを得ないと思うのです。あなた方には全視野を眼下におさめることはできないのです。P132

(霊的真理を日常生活で実践するとは、必ずしも利他の行動のみをさすのではなく、霊訓を信じてそのように判断し決心することも立派な実践行為なのです。すなわち信仰もりっぱな霊的真理の実践行為なのです。)

 

別紙・・・“実践と信仰”に関する追加試料

全てシルバーバーチの霊訓 九巻より引用

 

知識が生み出す信仰心を土台とした絶対的な自信です。 P88

 

● 挫けてはいけません。いかなる事態にあっても不安の念をカケラほどでも心に宿すようなことがあってはなりません。今日まで支えてきた力は、これからも決して見棄てるような事はいたしません。絶対に裏切ることはありません。もしもあるとしたら、この宇宙そのものが存在しなくなります。 P89

 

● 迷わずに前進なさることです。今日は今日一日のために生きるのです。そして、過去が霊の導きを証明しているように、未来も間違いなくあなたが志願された使命を全うさせてくれるものと信じることです。 (中略) 勇気をもって前進なさい。 P90

 

● 背負った重荷も、知識から生まれた信仰があれば軽く感じられ、重さが消えてしまうものです。行く手をさえぎる苦難や困難には堂々と立ち向かい、そして克服していくべき挑戦だと思うべきです。きっと克服し、万事がうまく運ぶはずです。
見た目にいかに大きくても、物的な事態によって圧倒されるようなことがあってはなりません。この物質の世界には、その生みの親である霊の力をしのぐものは何一つ存在しないのです。
何ごともきっと克服できます。そして心が明るく弾むことでしょう。万事が落着くべきところに落着きます。
時間は永遠なのです。人間はその永遠の時の流れの中にあって、今という時間、その一瞬を大切に生きていけばよいのです。 P91

 

● 万一やる気を無くすようなことがあったら――人間なら時には意気消沈することがあるものです。――その時はいったん歩みを止めることです。そしてそれまで奇跡ともいえる形でなしとげられてきたことを振り返って、これだけのことが成就されてきたのなら、これから先もきっとうまく行くはずだという認識をもつことです。あなたに要求されるのは、そこまであなたを導いてきた霊力に対する絶対的な忠誠心と自信とをもってあなたの責務を全うすること、それだけです。あなたなりのベストを尽くすことです。あなたの力の範囲内でできるかぎりの努力をなさることです。恐れるものは何一つありません。困難はあります。が、それもきっと克服されます。毎朝が新しい霊的冒険の好機なのです。これはとても大切なことです。 P94

 

地上生活で最も大切なのは霊に関わることです。霊が主導権を握るようになるまでは調和も健康も幸福も生き甲斐も得られません。 P106

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(2015年11月用テキスト)

シルバーバーチの霊訓 8巻6章「婚約者を不慮の事故で失って」

―霊的覚醒へのプロセスの事例― 

ぜひ理解していただきたいのは、大切な知識、偉大な悟りというものは悲しみと苦しみという魂の試練を通してはじめて得られるものだということです。

[事例]・・・婚約者を不慮の事故で失って
⇒ ふとしたきっかけで・・・霊界の導き
⇒ 霊言を読んで心を動かされた。不思議な感動を覚えた。・・・受け入れる時期が来ていた
⇒ さっそくスワッハーを訪ねた・・・自己責任として判断・意志が必要
⇒ 交霊会に出席するチャンスを得た・・・偶然ではなく出席するように手引きされている
⇒ 悲しみのどん底から抜け出ることが出来た・・・霊的覚醒のはじまり

 

―死別についての知識―

死に別れについては、こういうふうに理解なさることです。(シルバーバーチ)

1.われわれ生あるものすべては、まず第一に霊的存在である

霊であるからこそ生きているのです。霊こそ存在の根元なのです。
生きとし生けるものが呼吸し、動き、意識を働かせるのは霊だからこそです。


2
.霊の一部、つまり神の一部が物質に宿り、次の段階の生活にふさわしい力を身につけるために体験を積みます。卒業後の人生に備える学校のようなもの。


3
.物的なものはそのうち色褪せ、朽ち果てますが、霊的なものは永遠であり、いつまでも残り続けます。

死は消滅ではありません。霊が別の世界へ解き放たれるための手段にすぎません。あなたはその肉体ではありません。


4
.あなたという別個の霊的存在があなたを地上で表現していくための手段にすぎません。


5
.死が訪れると個性的所有物(意識、能力、特質、習性、性癖、愛する力などの霊的属性)すべてをたずさえて霊界へ行きます。


6
.あなたが愛する人は、今なお生き続けております


7
.霊界とのコンタクトに必要な条件は、

心の静寂を得ることが出来れば、平静な雰囲気を発散することが出来るように成れば、内的な安らぎを得ることができれば、それが私たちの世界から必要なものをお授けする最高の条件を用意することになります。
受容性、受身の姿勢、これが私たちがあなたに近づくための必須の条件です。

 

“お二人はその大きな真理を我が子の死という大きな悲しみを通して見出さねばなりませんでした。それはまさしく試金石でした。
途方に暮れ、力になってくれるものが誰一人、何一つないかに思えた時に、真の自分を見出させてくれることになった触媒でした。
魂というものは、その奥底まで揺さぶられ、しかも物的なものでは一縷の望みさえつなげない状態下においてのみ目覚めるものであるというのが、基本的な霊的真理なのです。つまり物質界には頼れるものは何一つないとの悟りで芽生えた時に魂が甦り、顕現しはじめるのです。”

シルバーバーチの霊訓(九)P59

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