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大阪シルバーバーチの会 亀水忠茂

大阪シルバーバーチ読書会のご案内
人生に疲れた方、心配、不安の絶えない方、
いっしょに霊的摂理・真理を学んで人生の目的を知り、
共に限りある今生を力強く活きませんか。

第83回読書会

開催日/2017年8月1日(火)

時 間/午後7時~8時30分

場 所/大阪市立生涯学習センター会議室で

      開催します。

      大阪市北区梅田1-2-2-500 
      大阪駅前第二ビル 5階 
      電話 :06-6345-5000

内 容/「シルバーバーチの霊訓」の読書会

      「シルバーバーチの霊訓」第八巻 

      六章“あすの指導者たち”―若者にどう説くか―

      潮文社出版 近藤千雄訳
持参品/「シルバーバーチの霊訓」 

      第八巻を忘れずに持参してください。
参加費/無 料

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新規参加を希望される方は、
事前にメール連絡をお願いいたします。

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profile

氏  名:亀水 忠茂

生まれ:1950年 男性 現役企業人(製造業)
住  所:兵庫県
趣  味:読書、クラシックカメラの収集
その他:

学生時代から常に人生の目的、意義を知りたいと探求してきました。

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ご案内

 世の中あげて、科学・物質万能、拝金主義に突き進んでおります。そして五感に感じる現実のこの世界が人生の全てであって、それを謳歌するためには、どうしてもお金や地位、権力が必要と信じきって、その実現のためにはああでもない、こうでもないと、じっとしていられない毎日を送っております。そのため不安、恐怖、心配事が朝、目覚めたときから脳裏をよぎり、いつもの取り越し苦労がまた始まります。他人のことをかまう余裕もありません。

 では、はたして目に見えるこの世界や身体が唯一のものなのでしょうか。世の中で言われるように、死とともにすべては無に帰するとすれば、ほとんど苦悩の連続の人生とは一体何なんでしょうか。

 あるいは昔からいわれているように霊魂という本当の自分、本体があって、じつはその霊の力というか、気のような生命エネルギーがその肉体を動かしているのでしょうか。

 今の私たちの人生はとても短い一度きりの貴重なものです。理性に照らして納得のいく答えを今生で見出したいものです。 私は迂用曲折の末、ようやく「シルバーバーチの霊訓」の中にその答えを見つけました。人生に疲れた方、心配、不安の絶えない方、いっしょに霊的摂理・知識を学び、人生の目的・意義を知って、共に限りある今生を力強く活きませんか。

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次回読書会の霊訓の中から

  

“地上への誕生のそもそもの目的は魂が目を覚ますことにあります。もしも魂が目覚めないままに終われば、その一生は無駄に終わったことになります。地上生活が提供してくれる教育の機会が生かされなかったことになります”

 

―地上で目覚めなかった魂はそちらでどうなるのでしょうか。

 

“これがとても厄介なのです。それはちょうど社会生活について何の予備知識もないまま大人の世界に放り込まれた人と同じです。最初は何の自覚もないままでスタートします。地上と霊界のどちらの世界にも適応できません。地上において霊界生活に備えた教訓を何一つ学ばずに終わったのです。何の準備もできていないのです。身支度が整っていないのです”

 

―そういう人たちをどうされるのですか。

 

“自覚のない魂はこちらでは手の施しようがありませんから、もう一度地上へ誕生せざるを得ない場合があります。霊的自覚が芽生えるまでに地上の年数にして何百年、何千年とかかることもあります”

 

―親しい知人が援助してくれるのでしょう?

 

“出来るだけのことはします。しかし、自覚が芽生えるまでは暗闇の中にいます。自覚のないところに光明は射し込めないのです。それが私たちが直面する根本的な問題です” P168

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過去の読書会テキスト

 

今月の叡智の言葉 (2017年7月)

“知識というのは自分のものとして取っておくためではなく、他人に分けてあげるために与えられるのです。他人に分けてあげることによって、さらに知識の泉に近づくのです。知識は他人にあげることによって減るものではありません。反対に増えるのです。霊的知識を分け与えれば、それだけ霊性が豊かになるのです” 
(シルバーバーチの霊訓 スピリチュアリズムによる霊性進化の道しるべ P134)

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寸 感(2017年7月)

“死とは その2”(平成29年6月26日)(苦しみ・試練

“地上生活の目的は霊が死後に迎えるより大きな生活に備えることです”(シルバーバーチの霊訓 八巻 P133)


前回は“死の意味”について述べましたが、それではなぜ我々は今地上界にいるのでしょうか。
また、死後につづく他界のために我々は今どうしなければならないのでしょうか。
そのことに関して、少し長くなりますがシルバーバーチの霊訓から以下引用します。

 

“そのほとんどが死後への準備が何もできていないのです。みんな当惑し、混乱し、茫然自失の状態です。それでわれわれが、いろいろと手を焼くことになります。本当はそちらで霊的教育を始めるほうがはるかに面倒が少なくて済むのです”(古代霊シルバーバーチ 最後の啓示 P79)

 

―地上界の意義―
「人間はなぜ霊と精神と肉体という構成になっているのでしょうか。」

 

“それは、地球という特殊な体験を提供してくれる世界で精神的に霊的に成長するには、そういう表現手段が必要だからです。精神は、霊すなわち本当のあなたが、脳という物的器官を通して自我を表現するための媒体です。脳は、地上界の物的現象を認知する五感を具えた物的組織の中枢です。
地上界は、実にさまざまな考えや性格をもった人間が入り混じって同じ平面上で生活している、特殊な世界です。その千変万化の生活模様の中からいろいろと学ぶ機会が得られるわけです。

こちらの世界ではその点が異なるのです。こちらへ来て落ち着く先は、あなたと同じ程度の霊性をそなえた者ばかりが集まっている境涯です。当然、発達とか成長というものが地上界とはまったく異なります。
こちらへ来ると、まず地上界の避けがたい穢れ(けがれ)を払い落とすことから始め、霊の純金を出すことに努力します。どれほど純金があるかによって落ち着く先が自動的に決まります。そしてそれに磨きがかけられることによって、霊的により高い境涯へと参ります。その辺がこちらとそちらとの違いです。霊と精神が肉体に宿って同一平面上で生活するところに地上界の意義があるのです

 

「ということは、こちらとそちらでは進化の仕組みが異なるということですか。」

 

“その通りです。進化の原則は一定不変で、一瞬の途切れもなく働いております。が、その顕現の仕方が霊的なレベルの違いによって異なるということです。さきほども言いましたように、地上界ではさまざまなバリエーションの文化、考え方、性格の人間が同一平面上に存在し、互いに影響を受け合っております。無数といってよいほどのバラエティに富んだ人間と接触する機会があるわけです。こちらではそれはありません

 

「同じレベルの者ばかりでは退屈しませんか。」

 

“とんでもありません。霊的成長程度が同じで親和性のある者との交流であり、個性と能力はさまざまですから、少しも退屈はしません。地上で退屈するというのは、親和性のない者と同じ場所に閉じ込められた場合に生じるもので、たしかにうんざりするでしょう。霊的に、そして精神的に親和性のある者同士の間には、倦怠感は生じません。
こちらの世界で互いに愛し合い、同じレベルの霊性を身につけた者どうしは、人間の言語では表現できないほどの生きる喜びを味わいます。退屈するどころか、説明のしようのない喜悦を覚えます”(最後の啓示 P147)

 

⇒(物質界は異なる霊性レベルの人間が混在する世界) × (霊界は同じ霊性レベルの人間のみが同一階層に存在している世界)

 

⇒個霊として新しく誕生する物質界は、比較対照の中で試練や困難をとおして学ぶ世界で、次に進む霊界とは進化の仕組みが異なっている。

 

―物質界と霊界との進化の違い―
“そうして発達を続けていくうちに霊的真理の実相を悟って、もはやその理解のために比較対照というものを必要としなくなる段階に至りますそれは地上においても達成できるものです。つまり知的な思考による理解を超えた“悟り”を地上生活中に得ることができます。それは私たちの世界へ来てから比較対照が無くても実在が理解できるようになるのと同じ段階です”(シルバーバーチの霊訓 八巻 P95)

 

⇒ここの霊的真理の実相とは、具体的に分かりやすい事例として例えると、性も含めて顔やスタイルなどが美しいとか醜いなど、時の経過と共に過ぎ去る肉体美の容姿(虚像・仮の姿)を見るのではなく、“本当のその人である霊魂”の在り様を観ることの方がもっと大切な実の姿(実相)となります。このことは表面的な物的現象の背後で営われている霊的真理の観点からあらゆる事象を観るともいえます。すなわち、永遠のもの(実相)と一時的なもの(虚相)との違いを認識することです。

 

⇒物質界では、比較対照の中で論理的・理性的に判断する“知的な思考”によって理解します。他方、霊界では比較対照や論理的思考によるのでなく、インスピレーションや悟り、直観、啓示などによって理解します。より高い界層から綿々と下ろされてくる叡智を受け入れる段階になったときに、インスピレーションによって受け取れるようになるのでしょう。

 

⇒このように物質界は比較対照をとおして学ぶという明確な目的をもった世界であり、さまざまな霊性レベルの者が同じ平面上に存在するという極めて特殊な世界です。それはいろいろな考え方や性格をもった人間が生み出す千変万化の生活の中から学ぶためなのです。
無意識な霊が個霊として自我意識をもつためには地上界でその表現器官である肉体をまとうことが必要であり、その肉体を持つが故に物質という鈍重な粗い波動のために、精妙な波動である霊魂“本当の自分”や霊性意識が隠されてしまいます。
さまざまな霊性レベルの者が混在する比較対照の世界で、お互いがゼロになって学ぶためにも、当初は“本当の自分”とその霊性意識が潜在意識下に隠され、自分自身も含めて人間の五感には分からないようになっているのです。それは、さまざまな試練や困難の経験を通して“本当の自分”すなわち霊魂を見出し、霊的な成長をするように地上界はなっているからです。

 

―地上生活は他界への準備期間―
人生の究極の目的は、その、あなたという霊の属性を発揮することです。逃れることのできない肉体の死とともに始まる次の段階の生活にそなえるためです。/ 卒業後から始まる社会生活に必要な教育を受けるためです。勉強が十分にできていないと、小学校から中学校へ上がってから、中学校から高等学校へ上がってから、そして高等学校から大学へ進学してから苦労します。そして社会へ出てから困ります。
それと同じです。あなた方はこの世を去ったあとから始まる霊的生活のためのトレーニングを受けるために、今この世に置かれているのです。今のうちに霊的教育を受けていないと、こちらの世界へ来た時に何の準備もできていなくて、大変なハンディを背負って生活しなければなりません。/ その“宮”に宿る霊に、内部に宿る霊性ないし神性を発揮する機会を存分に与える必要があります。その霊性こそ大霊なのです。あなたの内部にひそむ大霊です。それを発揮する機会を求めるのも地上生活における義務です。そのために肉体をたずさえて生まれてきているのですから”(最後の啓示 P145)

 

⇒無意識の霊が肉体に宿ることによって自我意識をもつ魂となり、霊性を発揮しながら神に向かって成長していくという永遠の旅のスタートをこの地上界できったことになります。
新しく生まれたばかりの個霊や、再生を何度もくり返している個霊など、さまざまな霊性レベルの人間が混在し、且つ、霊性(利他愛)とは真逆の唯物拝金主義・利己主義にあふれた比較対照の世界で、さまざまな苦労や試練を重ねて霊的覚醒“本当の自分”に気づくようになっているのです。
すなわち、霊が自我意識をもつようになったこのごく初期の段階では、霊的覚醒や霊的成長をするため光と闇、幸せと不幸、愛と憎しみ、喜びと悲嘆などの比較対照という教材が必須課目となっているのです。霊的成長のスタートをきるには、どうしても地上界の比較対照の体験をとおして目が開かれ、霊的摂理を学ぶことが必要となるのです。だからこそさまざまな試練や困難が我々を待ち受けているのです。

 

“あなたは死んでから霊になるのではありません。こうして生きている今から立派に霊的存在であり、だから死後も生き続けるのです。
その地上生活での体験から教訓を学ぶことは大きな意味があります。しかも、あえて言えば、大きな教訓ほど、困難や障害、ハンディを背負った生活に耐え抜くことから得られるのです。その葛藤の中で内部の霊性が呼び覚まされるのです。
さんさんと太陽がふりそそぎ、すべてが平穏で、問題が何一つ生じないような生活の中では、霊的進化は得られません。困難に遭遇し、それを克服した時にはじめて霊性が向上するのです。鋼鉄が猛火のるつぼの中において鍛え上げられるように、あなたの霊性も苦難との闘いの中においてこそ鍛え上げられるのです”(最後の啓示 P152)

 

“私は、苦しみさえすれば自動的に人間性が磨かれるとは決して申しておりません。苦難は地上にいるかぎりは耐え忍ばねばならない、避けようにも避けられない貴重な体験の一つで、それが人間性を磨くことになると言っているのです。たびたび申し上げておりますように、青天の日もあれば雨天の日もあり、嵐の日もあれば穏やかな日もあるというふうに、一方があれば必ずもう一方があるようになっているのです。もしも地上生活が初めから終わりまで何一つ苦労のない幸せばかりであれば、それはもはや幸せとは言えません。幸せがあることがどういうことであるかが分からないからです。悲しみを味わってこそ幸せの味も分かるのです。苦難が人生とは何かを分からせる手段となることがよくあります。苦難、悲哀、病気、危機、死別、こうしたものを体験してはじめて霊的な目が開くのです。それが永遠の実在の理解に到達するための手段となっているケースがたくさんあります”(シルバーバーチの霊訓 八巻 P140)

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