大阪シルバーバーチの会 亀水忠茂

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  • 令和3年
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(平成24年12月)  “本当の自分”を知るとは

(平成25年12月) 顕幽の交信 
(平成25年11月) 意識について

(平成25年10月) 精神統一とは その二

(平成25年9月)  精神統一とは その一

(平成25年8月)  老い

(平成25年7月)  真我

(平成25年6月)  あなたは一人ではない

(平成25年5月)  本当の自分と人生の目的
(平成25年4月)  霊的なバイブレーションと物的なバイブレーション
(平成25年3月)  霊眼で観察する
(平成25年2月)  テレビニュースを最近は見なくなった
(平成25年1月)  インドは世界の宗教の“るつぼ”

(平成26年12月) 本物の霊能者とは
(平成26年11月) 本物の宝物とは

(平成26年10月) 我は神なり

(平成26年9月)  泰然自若

(平成26年8月)   内外から霊力を引き出すとは

(平成26年7月)   利他とは

(平成26年6月)   背後霊とのコンタクト方法

(平成26年5月)   霊力について
(平成26年4月)   友人の死にあたって
(平成26年3月)   魂の兵器庫を開き、神の武器をとりだすとは

(平成26年2月)   “天国は心の中にある”とは

(平成26年1月)   試練の意味

(平成27年12月) “霊的摂理の普及”

(平成27年11月) “本当の自分”霊魂はなぜ隠されているのでしょうか

(平成27年10月) 幽界の続き

(平成27年9月)   幽界の存在意義と類魂仲間

(平成27年8月)   地上に再生する目的

(平成27年7月)   霊界と物質界

(平成27年6月)   霊こそ実在

(平成27年5月)   霊的成長は孤独
(平成27年4月)   瞑想・精神の統一 その四
(平成27年3月)   瞑想・精神の統一 その三

(平成27年2月)   瞑想・精神の統一 その二

(平成27年1月)   瞑想・精神の統一 その一

(平成28年12月)  霊的知識を正しく理解した人

(平成28年11月)  霊的成長に合わせたより高度な叡智

(平成28年10月)  真の宝”とは、その宝を手に入れる“カギ”とは

(平成28年9月)  困難・試練に際して

(平成28年8月)  道具意識

(平成28年7月)  神は悪や憎しみの中にも存在する

(平成28年6月)  苦難の目的と対処法 その2

(平成28年5月)  苦難の目的と対処法

(平成28年4月)  宇宙の法則への絶対的信頼があれば苦しみを感じなくなる

(平成28年3月)  車窓の景色

(平成28年2月)  心の分類と霊的成長

(平成28年1月)  霊的摂理の実践と信仰

(平成29年12月)  幽体離脱で他界直後の母と会う

(平成29年11月)  すぐそこまで来ている新しい地球の夜明け

(平成29年10月)  本当の敵と霊的資質の発揮

(平成29年9月)  霊的時期に来た人とは

(平成29年8月)  霊的教育

(平成29年7月)  死とは その2

(平成29年6月)  死とは

(平成29年5月)  日常的な霊界との交流 その4

(平成29年4月)  日常的な霊界との交流 その3

(平成29年3月)  日常的な霊界との交流 その2

(平成29年2月)  日常的な霊界との交流 その1

(平成29年1月)  最善を尽くせばそれで良いのです

(平成30年12月)  “信念”(信仰)

(平成30年11月)  地上人生の目的は

(平成30年10月)  作用と反作用は正反対であり同じもの

(平成30年9月)  自殺

(平成30年8月)  霊訓にみる挫折克服法

(平成30年7月)  憎しみがなければ愛もありません

(平成30年6月)  奇跡と近代スピリチュアリズム

(平成30年5月)  ナザレのイエスとシルバーバーチ

(平成30年4月)  心配は摂理への信頼に反する不信行為

(平成30年3月)  スピリチュアリストにとっての“自信”とは

(平成30年2月)  劣等感と“地上で為し得る最も偉大な仕事”

(平成30年1月)  スピリチュアリストにとって“苦”とは何だろう

(令和元年12月) “地上人生の霊的成長ガイドライン”

(令和元年11月) “地上での霊的成長プロセスとカルマの解消”

(令和元年10月) “スピリチュアリストにとっての信仰とは一体何だろうか”

(令和元年9月)  キリスト教の“原罪と贖罪説”の間違い

(令和元年8月)  霊的知識への責任と信仰

(令和元年7月)  魂に自由をもたらしていく仕事

(令和元年6月)  この世にあってこの世のものとなるなかれ

(令和元年5月)  この地上を神々のように歩くことができるのです その2

(平成31年4月)  この地上を神々のように歩くことができるのです

(平成31年3月)  シルバーバーチは今も私たちに働きかけている

(平成31年2月)  インスピレーションと良心の声

(平成31年1月)  “人のために役立つことをする”の真の意味

(令和2年12月)  内外の霊力を活用する方法 他 ―霊的摂理の理解をおいて他にない―

(令和2年11月) シルバーバーチの使命

(令和2年10月) どうすれば霊的成長がはかれるか

(令和2年9月)  「気とは何か」を読んでみて

(令和2年8月) 死について

(令和2年7月)  “内部の霊性を発揮させれば”の意味

(令和2年6月) 価値あるものは苦しみと悲しみなしには手にすることはできません

(令和2年5月)  霊力とは何?

(令和2年4月)  信仰実践

(令和2年3月)  どうしたら霊的摂理への強い信仰が持てるのだろうか?

(令和2年2月) コミュニケーションとコミュニオン

(令和2年1月) 霊性の高い人は“本当の自分”を知る必要はないのでしょう

(令和3年12月) 私たちの今の地上人生とは一体何なのでしょうか

(令和3年11月) 自由意志は魂の成長度によって規制されている

(令和3年10月) 完全なる安らぎ

(令和3年9月)  心の奥深くにある内なる霊力

(令和3年8月)  もしも心配・悩み・疑いや不安の念に襲われたら

(令和3年7月)  “キリスト教の間違い”(その2)

(令和3年6月)  “キリスト教の間違い”(その1)

(令和3年5月)  あなた方は今この時も霊的世界に生きているのです

(令和3年4月)  愛とは摂理の成就なり

(令和3年3月)  愛とは感情ではありません

(令和3年2月)  霊力の通路の開き方

令和3年1月)  私はなぜスピリチュアリストになったのか

(令和4年8月) スピリチュアリストにとっての真実の祈りとは

(令和4年7月) 摂理への信仰と実践による摂理への順応

(令和4年6月) 真の心の平安とは

(令和4年5月) 霊的成長こそが地上人生の目的

(令和4年4月) ウクライナ戦争

(令和4年3月) 摂理を信じ摂理と調和して生きる その2

(令和4年2月) 摂理を信じ摂理と調和して生きる

(令和4年1月) 私たちの今の地上人生とは一体何なのでしょう その2

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▼ 項目別バックナンバー

  • 人生の目的
  • 真我
  • 背後霊
  • 霊界
  • 霊の力
  • 瞑想
  • 苦しみ・試練
  • 雑記

(令和4年5月) 霊的成長こそが地上人生の目的

(令和4年1月) 私たちの今の地上人生とは一体何なのでしょう その2

(令和3年12月) 私たちの今の地上人生とは一体何なのでしょうか

(令和2年11月) シルバーバーチの使命

(令和2年10月) どうすれば霊的成長がはかれるか

(令和2年4月)  信仰実践

(令和2年3月)  どうしたら霊的摂理への強い信仰が持てるのだろうか?

(令和元年6月)  この世にあってこの世のものとなるなかれ

(平成30年11月)  地上人生の目的は

(平成30年7月)  憎しみがなければ愛もありません

(平成30年3月)  スピリチュアリストにとっての“自信”とは

(平成30年2月)  劣等感と“地上で為し得る最も偉大な仕事”

(平成28年11月)  霊的成長に合わせたより高度な叡智

(平成28年10月)  真の宝”とは、その宝を手に入れる“カギ”とは

(平成28年8月)  道具意識

(平成28年7月)  神は悪や憎しみの中にも存在する

(平成28年2月)   心の分類と霊的成長

(平成27年8月)   地上に再生する目的

(平成27年5月)   霊的成長は孤独

(平成26年7月)   利他とは

(平成26年1月)   試練の意味

(平成25年5月)  本当の自分と人生の目的

(平成27年11月)  “本当の自分”霊魂はなぜ隠されているのでしょうか

(平成26年10月)  我は神なり

(平成25年7月)   真我

(平成25年5月)   本当の自分と人生の目的

(平成24年12月)  “本当の自分”を知るとは

(令和2年2月)  コミュニケーションとコミュニオン

(平成31年2月) インスピレーションと良心の声

(平成26年6月)  背後霊とのコンタクト方法 

(平成25年12月) 顕幽の交信

(平成25年6月) あなたは一人ではない

(平成29年12月)  幽体離脱で他界直後の母と会う

(平成27年10月)  幽界の続き

(平成27年9月)   幽界の存在意義と類魂仲間

(平成27年7月)   霊界と物質界

(平成27年6月)   霊こそ実在

(平成25年4月)  霊的なバイブレーションと物的なバイブレーション

(令和4年3月) 摂理を信じ摂理と調和して生きる その2

(令和3年9月)  心の奥深くにある内なる霊力

(令和3年8月)  もしも心配・悩み・疑いや不安の念に襲われたら

(令和3年2月)  霊力の通路の開き方

(令和2年12月)  内外の霊力を活用する方法 他 ―霊的摂理の理解をおいて他にない―

(令和2年9月)  「気とは何か」を読んでみて

(令和2年7月)  “内部の霊性を発揮させれば”の意味

(令和2年5月)  霊力とは何?

(令和元年5月)  この地上を神々のように歩くことができるのです その2

(平成31年4月)  この地上を神々のように歩くことができるのです

(平成26年8月)   内外から霊力を引き出すとは

(平成26年5月)   霊力について

(平成26年3月)   魂の兵器庫を開き、神の武器をとりだすとは

(平成29年5月)  日常的な霊界との交流 その4

(平成29年4月)  日常的な霊界との交流 その3

(平成29年3月)  日常的な霊界との交流 その2

(平成29年2月)  日常的な霊界との交流 その1

(平成27年4月)   瞑想・精神の統一 その四

(平成27年3月)   瞑想・精神の統一 その三

(平成27年2月)   瞑想・精神の統一 その二

(平成27年1月)   瞑想・精神の統一 その一

(平成25年10月) 精神統一とは その二

(平成25年9月)   精神統一とは その一

(令和2年6月) “価値あるものは苦しみと悲しみなしには手にすることはできません”

(令和元年12月) “地上人生の霊的成長ガイドライン”

(平成31年3月)  シルバーバーチは今も私たちに働きかけている

(平成30年12月)  “信念”(信仰)

(平成30年10月)  作用と反作用は正反対であり同じもの

(平成30年9月)  自殺

(平成30年8月)  霊訓にみる挫折克服法

(平成30年4月)  心配は摂理への信頼に反する不信行為

(平成30年1月)  スピリチュアリストにとって“苦”とは何だろう

(平成29年10月)  本当の敵と霊的資質の発揮

(平成29年9月)  霊的時期に来た人とは

(平成29年8月)  霊的教育

(平成29年7月)  死とは その2

(平成29年6月)  死とは

(平成29年1月)  最善を尽くせばそれで良いのです

(平成28年9月)  困難・試練に際して

(平成28年6月)  苦難の目的と対処法 その2

(平成28年5月)  苦難の目的と対処法

(平成28年4月)  宇宙の法則への絶対的信頼があれば苦しみを感じなくなる

(平成28年3月)  車窓の景色

(平成28年2月)  心の分類と霊的成長

(平成28年1月)  霊的摂理の実践と信仰

(平成27年5月)  霊的成長は孤独

(平成26年9月)  泰然自若

(平成26年7月)   利他とは

(平成26年2月)   “天国は心の中にある”とは

(平成25年3月)  霊眼で観察する

(令和4年8月) スピリチュアリストにとっての真実の祈りとは

(令和4年7月) 摂理への信仰と実践による摂理への順応

(令和4年6月) 真の心の平安とは

(令和4年4月) ウクライナ戦争

(令和4年2月) 摂理を信じ摂理と調和して生きる

(令和3年11月) 自由意志は魂の成長度によって規制されている

(令和3年10月) 完全なる安らぎ

(令和3年7月)  “キリスト教の間違い”(その2)

(令和3年6月)  “キリスト教の間違い”(その1)

(令和3年5月)  あなた方は今この時も霊的世界に生きているのです

(令和3年4月)  愛とは摂理の成就なり

(令和3年3月)  愛とは感情ではありません

(令和3年1月) 私はなぜスピリチュアリストになったのか

(令和2年8月) 死について

(令和2年1月) 霊性の高い人は“本当の自分”を知る必要はないのでしょう

(令和元年11月) 地上での霊的成長プロセスとカルマの解消

(令和元年10月) スピリチュアリストにとっての信仰とは一体何だろうか

(令和元年9月)  キリスト教の“原罪と贖罪説”の間違い

(令和元年8月)  霊的知識への責任と信仰

(令和元年7月)  魂に自由をもたらしていく仕事

(平成31年1月)  “人のために役立つことをする”の真の意味

(平成30年6月)  奇跡と近代スピリチュアルリズム

(平成30年5月)  ナザレのイエスとシルバーバーチ

(平成29年11月)  すぐそこまで来ている新しい地球の夜明け

(平成28年12月)  霊的知識を正しく理解した人

(平成27年12月) “霊的摂理の普及”

(平成26年12月) 本物の霊能者とは

(平成26年11月) 本物の宝物とは

(平成26年4月)  友人の死にあたって

(平成25年8月)  老い

(平成25年11月) 意識について

(平成25年2月)  テレビニュースを最近は見なくなった

(平成25年1月)  インドは世界の宗教の“るつぼ”

 

令和4年8月)

“スピリチュアリストにとっての真実の祈りとは” (雑記) (2022.7.22)

 

―正しい祈りは霊的成長のための手段となっています― 


(「シルバーバーチの教え」 上巻  七章 “正しい祈りとは”(スピリチュアリズム普及会発行)からの引用(理解しやすいように日本語訳に一部手を加えてあります 亀水)

 

“大霊はすべての人間の祈りを、たとえ口に出さなくても先刻ご承知であることを知ってください。” (P116)


“単なる願い事は祈りではありません。真実の祈りは重要な霊的修練(a great spirit exercise)なのです。「祈りは、あくまでも目的に至るための手段であって目的そのものではない」――これが最も正しい祈りの定義です。” (P114)

 

それでは、なぜ祈りが重要な霊的修練の手段になるのかを以下、検討していきましょう。

  1. 祈りとは光明と導きを願い求める魂の表現、叫びであり、大霊に近づこうとする魂の願望だからです。 (P119)
    ⇒ 魂の叫び・願望

  2. 真実の祈りは心を開き、魂を開いて“本当の自分”(真我)と、その内部に宿る神を顕現しようとする行為なのです。 (P120)
    ⇒ 真実の祈りは内部に宿る神を顕現しようとする行為

  3. 結果として、到達できる最も高い次元に自らの波長を引き上げることによって、少しでも高い界層の霊たちと交わるようになり、結束を固めることになります。
    真実の祈りはより高度なエネルギー(高位霊)と調和させるための手段です。 (P112)
    ⇒ 霊的波長を高め、より高い界層からの霊力を呼び込む

  4. 思念、すなわち私たちの精神は肉体の一部ではなく、霊の一部、大霊の一部なのです。(P118)
    その真心からの思念の力に高位霊たちの力を加えて、私たちの霊性レベルに応じた宇宙のエネルギー(高位霊・霊力)を動かし、活用することができるようになります。 (P119)
    ⇒ 魂を開き高位霊とコンタクトして、インスピレーションや導きを得る

  5. すべての祈りは自らを高めようとするところから発するものです。人の役に立つことを願う祈り、知識や光明、叡智や導きを求める祈り、こうした祈りはすべて魂の進化の現れです。あなたの精神は肉体の一部ではなく、霊の一部、大霊の一部なのです。そしてそれは大霊に由来する力を秘めています。しかし、あなたがその力を使用できるようになるには魂の進化が先決です。それなくして内在する大霊を顕現させることはできません。(P118)
    ⇒ 霊力を使用できるようになるには魂の進化が先決

  6. 祈りや奉仕といった魂の向上のために為すすべての実践は、あなたの霊性の進歩を促すことになるのです。 (P120)
    ⇒ 祈りや奉仕は霊性の進歩を促す

  7. 自分のことを忘れて他人への奉仕を優先すればするほど、それだけ霊性が発達(魂の進化)します。それは、あなた方一人ひとりの内部に宿る大霊が発揮されるということです。至って簡単なことなのです。 (P115)
    ⇒ 他人への奉仕によって霊性は発達する

  8. 本当の祈りは、誰かが作った祈りの文句を意味も分からずに繰り返すことではなく、全身全霊を込めて到達できる最も高い次元にまで魂を引き上げようとする行為(原因)のことです。そのとき、祈りの結果としてもたらされるインスピレーションによって魂が満たされ、霊性が強化されるのです。 (P113)
    ⇒ 真の祈りには因果律が働く

  9. すなわち、祈るという行為が原因となって思念の力を生み出し、その回答という結果をもたらすのです。この回答が具体的な霊的体験となり、成長のための重要な霊的修練 (a great spirit exercise)となっているのです。 (P119)
    ⇒ 祈りは霊的修練のための手段

―マトメー
このように全身全霊で祈るという“思念”の叫びの真の目的は、魂を開きバイブレーションが届く限りの高い界層からインスピレーションや導きなど様々な形をとる霊力を取り込むことによって、高位霊と繋がるという貴重な霊的実体験を積む修練となっているのです。
全身全霊からの真実の祈り(原因)は、 因果律に基づきその回答(結果)が貴重な霊的体験になるという重要な霊的修練として働いているのです。

 

“祈りは魂の表現です。そのことを分かりやすく説明しましょう。
祈りは光明と導きを願い求める魂の叫びです。祈るという行為そのものが回答をもたらすのです。なぜなら、その行為が思念の力を生み出すからです。その力が原因となって回答を生み出します。その回答が結果です。
霊は、あなたの祈りの言葉を待っているわけではありません。祈りに込められたあなたの思念が、ただちにそれにふさわしい界層の霊に届くのです。あなたの魂の進化の程度に応じた界層です。その霊たちは地上世界のために役に立ちたいと切望していますから、あなたの思念の力に、その霊たちの力が加わるのです。大霊の一部である思念のバイブレーションが、新たな活動を呼ぶことになります。それは、あなたの霊性のレベルに応じた宇宙のエネルギーを動かすことが可能になったということです。宇宙のエネルギー(霊力)を、あなたも活用することができるようになったということを意味しています。” (P119)

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令和4年7月)

“摂理への信仰と実践による摂理への順応” (雑記) (2022.6.30)

 

私たちが「大霊の一部」であることは霊的真理であり変えられませんが、大霊や摂理への「絶対的信仰」や「摂理への順応」については、私たちに裁量の自由がゆるされております。すなわち、霊的成長は自己責任で各自の自由意志で決められることなのです。

 

それでは、「シルバーバーチは語る」五章 “絶対的摂理の存在”(スピリチュアリズム普及会発行)から霊訓を引用し、表題タイトルについて考えてみましょう。
なお、近藤千雄訳の“信念”は、原文の“faith”から神や摂理に対する“信仰”に、また原文の“you”の「皆さん」や「あなた方」は、強調のため「あなた」に書き換えております。


“私たちは大霊が定めた摂理をお教えしようとしているのです。それを守りさえすれば物的生活に健康と幸せをもたらすことが出来るからです。” (P76)


〔これまで地上人類に知らされていなかった“重大な秘密”――永遠不変の霊的摂理――が明かされる〕


大霊は無限の存在であり、あなたはその大霊の一部です(霊的摂理) (you are part of the Great Spirit)。 もしも(大霊とその摂理への)完ぺきな信仰をもち、正しい人生(大霊の摂理にのっとった生活)を送れば、大霊の恩寵にあずかることができます(霊的摂理)
地上界の全ての人が完ぺきな信仰をもてば、大霊はそれぞれの願いを嘉納されることでしょう。魂が真剣に求め、しかも大霊に対する絶対的信仰に燃えていれば、必ずやその望みは叶えられるでしょう(霊的摂理)神の摂理はそのようにして働くのです。つまり摂理に順応した生活(to attune yourselves to the Law)を送っていれば、望み通りの結果が生じるようになっているのです(霊的摂理)。結果が出ないということは、生き方のどこかに摂理に順応していないところがあることの証拠です。” (P81)


(神とその摂理を知らないか、又は信じていないために摂理の恩寵が得られない、逆に言うと、摂理に順応して霊的に成長するに伴い、神の恩寵が得られるようになります。
ここで「完ぺきな信仰」が強調される理由として、神とその摂理への信仰が絶対的であれば、自ずと神の顕現である摂理にのっとった生活を送るようになるからです。また、神やその摂理への信仰(信頼)が強い程、不安の念が少なくなり、その結果、私たち自身の霊界への窓口が常時クリアとなって、霊界からの霊力の流入や背後霊の導きが得られやすくなります。
残念ながら、このことは霊的知識として知ってはいるスピリチュアリストの私たちといえども、それは頭の中だけになっています。それは五感をとおしての私たちの本性があまりにも強すぎ、霊の世界に比べこの物質界がとてもリアルで、波のように次から次へと押し寄せて来る地上世界特有の様々な出来事(だからこそ物質界の存在意義があるのですが)についつい目が捉われてしまい、その都度、条件反射的に頭が切り換わって物的視野で考えてしまうからです。その結果、心配や不安、恐れ、取越苦労、孤独感などが習い性になっていて、知らず知らずのうちに霊界への窓口を閉じてしまっていることに普段まったく気がついていません。そのため霊的摂理として約束されている霊界からのインスピレーションや支援、霊力などの恩寵がまるでおとぎ話であるかのように思え、導きが受け取れなくなっているのです。頭の中を無にする瞑想の本来の目的も、このどっぷりと浸かった物質界からわずかな時間であっても離れるところにあります。)


誰しも心に恐れを抱きつつ出発します。望み通りにならないのではなかろうかという不安です。その不安の念がバイブレーションを乱すのです(霊界への窓口を塞ぐことになる)。しかし「(神への)完全なる愛(信頼)は恐れを取り除く」(ヨハネ一)と言い、「まず神の国(神霊の世界)とその義(霊的摂理)を求めよ。そうすればそれらのものは皆お与えくださるであろう」(マタイ六)と言われております。
これは、遥か遠い昔、摂理を完ぺきに理解した人物(イエス)によって述べられた教えです。それを彼は見事に実践してみせたのです。あなたも、摂理が働けるような条件(摂理への完ぺきな信仰と実践による摂理への順応)を整えれば、必ずや望み通りの結果が得られます(霊的摂理) (If you allow the Law to function, then the results must come.)”。 (P82)


(自分は神の一部、神の子なのだという自覚が真に身につけば、神イコール神の顕現である摂理であるため、摂理への完ぺきな信仰と順応は至極当たり前、自然なことになります。今まで霊的無知ゆえ摂理の流れに逆らっていたものが、摂理に順応することでスムーズに摂理の流れにのりだし、霊的に進化向上することができるようになり、本来のあるべき神の姿(完全性)に少しでも近づいていくということです。言いかえれば、潜在意識の中の“本当の自分”(霊魂・真我)に宿っている神性(神)が顕現しだすということです。
幸いなことに霊的摂理を知った私たちスピリチュアリストは、“神とその摂理への信仰”と“摂理への順応”を自らの意志(自己責任)で実践することができるのです。この二つが今生の目的である私たちの霊的成長にとってとても大切なキーワードとなります。)


“しかし、もう一つ別の摂理をお教えしましょう。何の代価(原因)も支払わずして入手(結果)できるものは、この地上界には一つもないということです。”(P82)


(因果律、すなわち種まきと刈り取りのように、地上人生は“原因と結果”の繰り返しです。
このことは地上世界で成長するための必須の条件となっております。日常生活で起こってくる様々な難題や困難、苦難などの日常生活で生じる問題に額に汗して摂理への信仰や実践で努力し対処することが
原因となって、試練の克服と摂理への理解が深まり悟りとなって、霊的成長という結果を生むことになります。)


“大霊に奉仕すると言っても、それは大霊の子である地上の同胞に奉仕することになります。同胞のために役立つことをしている時、(親なる)神の無限の腕に抱かれ(母性)、その愛に包まれ(父性)、それが「完全なる安らぎ」をもたらしてくれることになります。
何の根拠もない、ただそう信じているというだけの信仰では、酷しい試練の嵐に遭えばひとたまりもなく崩れます。が、理性的認識から生まれた信仰には確固たる根拠がありますから、いかなる試練の嵐に遭っても揺らぐことはありません。
証拠を何一つ見なくても信じることの出来る人は幸せです。が、物的証拠(霊的なものも含めて少なくともこれまでに人類が知りえた科学的証拠から、宇宙は絶対的な正確さをもつ法則によって維持・管理・経綸されているという理性的な認識)を手にした上で目に見えない霊的真実、即ちこの宇宙が愛と叡智から生まれた霊的摂理によって支配されていることを悟った人は、なお一層幸せです。
その意味で、ここにおられる(ハンネン・スワッファー・ホームサークルの)あなた(シルバーバーチが当時の交霊会で説いている摂理が真理であると信じる人)“完ぺきな信仰”を持ってしかるべきです知的認識から生まれた信仰だからです。あなたは霊力の証(霊力が働いていることを明かす様々な証拠・実体験)を手にしておられます。万事うまく行くという信仰、大霊の摂理と調和して生きればそれ相当の実りを手にすることが出来る(霊的摂理)との信仰を持ってしかるべきです。
またあなたは、無知蒙昧なもの――これをあなたは“邪悪”と呼んでおられるのですが――に邪魔をされるのではないかとの不安を完全に捨て去ることが出来てしかるべきです。大霊とその摂理の保護のもとに生き、そして行動しておられるからです。” (P83)


(神の顕現である摂理は大宇宙を経綸し完全無欠で永遠不滅であるということを根拠とした、絶対不変不動の法則を担保とする“完ぺきな信仰”です。)


“完全なる愛(親なる大霊への全幅の信頼と畏敬の念)は恐れを取り除く、とイエスは述べていますが、正しい(霊的)知識も恐れを打ち払います。恐怖は無知から生じるものだからです。(大霊への)愛と(完ぺきな)信仰と(霊的)知識のあるところに恐怖心は生じません。進化した魂(完ぺきな信仰の人)はいついかなる時も恐れるということを知りません。人生のいかなる局面に際しても、自分は大霊であるがゆえに克服できないものはないとの確信(完ぺきな信仰)があるからです。
恐怖心は魂の牢獄をこしらえます。ですから恐怖心が頭をもたげかけたら、その波動に巻き込まれることなく、それを抑え込み、信仰をもってこう自分に言って聞かせるのです――「自分は大霊なのだ。地上の出来事などで動揺などしない。魂に宿る無限の霊力でいかなる困難も凌いでみせる」と。そういう(大霊の霊的な)力をあなたは授かっているのです。その無限の力を見限る(作り話として真に受けず無視する)ことほど勿体ない話はありません。”(P85)


(宇宙を経綸している霊的な力とは“神の力”、神そのものであり、私たちが生きて、且つ、自我意識があるということは、たまたまの偶然の出来事ではなく、私たちの内に例外なく神が宿っているために霊力・生命力があるからです。このことは、私たちの内部に神の無限の“霊力の貯蔵庫”を有しているという証左になります。このことを知らないか、又は、信じていないために神であるにもかかわらず、内外の“霊的な力”を引き出せず活用できないだけなのです。)


実は私が「人間に克服できないほどの苦難はない」と言う時、それは、因果律の原理から見て取り除かれてしかるべきものであれば(時期が来ておれば)という意味です。
そこで、もしも苦しみが余りにも耐え難いものであれば、こう理解してください。
それを取り除いてあげるべく私も、向上進化の歩みを止めてでも努力してみますが、むしろそれに耐え抜き、その苦境の中で悟るべきものは何かを真剣に考える方が、より賢明であるということです。(何もかもラクに片づいているうちは成長しません。)この短い地上人生のことだけを考えてはいけません。永遠の生命を視野に置くことです。
物質界の人間も、物的(存在)であると同時に、神性を宿していること(大霊を宿した霊的存在であること)を理解すれば、地上生活がどれだけ生き易くなることでしょう。悩み事は立ちどころに消え去り、障害物も取り除かれることでしょう。ところが人間は内部に宿している“霊的な力”(内部に宿る大霊)を信じません。
あなた方のいう“人間味”は地上世界でのみ通用することで、内部に宿る霊力は大霊に属するものです。
その昔イエスは「地上を旅する者であれ。地上の住民となる勿れ」と言いました。が、地上人類はその意味が理解できないために、言い変えれば、死後の存続に磐石の信仰が持てないために、摂理が成就されない(働かない)のです。
(死んだら一巻の終わりで物質界が存在の全てであり、この世はお金や権力こそが力と思い込んでいます。霊的摂理をまったく知らないか、または信じていないために霊的摂理が働かず、霊界からの恩寵や霊的な力を自らの意志で引き出すことができないのです。)


あなたは個性の強化(個性を育む)のために地上界へ来ているのです。(You are on earth to built your characters.) その強化は日々の難問にどう対処するかによって決まります。
(It is the way you face your problems that makes your character.)
その時に忘れてならないのは地上界で生じる難問には人間の魂に内在する霊力で克服できないものはないということです(霊的摂理)。いかなる難題も所詮は地上界での出来事であり、物的波動のレベルです。それに引き換えてあなたは神の一部であり、神性(神の霊的な波動)を宿しているからです。
(P86)


(不安ばかりでまったく自信のない自分自身(仮我)に思考・価値観の判断基準を置かず、自らが「神の一部」として永遠不変の摂理(神)に価値判断の自分軸を移し(真我)、守護霊や背後霊の導きに安心して自らを委ね、日常生活の中で摂理への強い信仰実践と、可能な限りの摂理への順応実践を心がけるようにしましょう。
それらを守りさえすれば摂理が働く結果、摂理が私たちを保護し物的生活に健康と幸せをもたらすようになります。それが摂理だからです。)

 

“人間はその内部に何よりも貴重な神性という富(霊の富 the riches of the spirit)を宿しています。大霊の一部です。地上のどこを探しても、それに匹敵する富や宝は存在しません。その魂の内部の鉱脈をいかにして探査し、肉体的本性の奥に埋もれたダイヤモンド(神性)を引き出すか、それをお教えしようとしているのです。そのためには霊の世界の最高の界層のバイブレーションに反応するようになっていただかねばなりません。(そのためには摂理への信仰と順応が必要条件となります。)

また、あなた方は一時として一人ぼっちでいることはないこと、周囲には常にあなた方を愛する大勢の人々が見守り、導き、援助し、鼓舞せんとして待機していることを知っていただきたいのです(霊的摂理)そうした中で霊性が開発されて行くにつれて少しずつ大霊に近づき、その摂理と調和(in unison with His Law)して行くのです。” (P83)

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令和4年6月)

“真の心の平安とは” (雑記) (2022.6.2)

 

―天国は自分の中にある―
(The kingdom of heaven is within)


今、世界中が新型コロナのパンデミックの最中にあり、ウクライナではロシアの侵略戦争によって生き地獄の様相を呈しています。加えて地球温暖化現象による世界的な気候変動によって大型台風の発生や巨大竜巻、大洪水、大規模な山火事、世界的な規模の砂漠化や海面の上昇など様々な異常気象が世界中で発生しています。
また、日本の都市部では毎日のように鉄道自殺が発生しています。
これではまるで面黒いモヤが世界中を覆いつくしているようで、このような不安の中で多くの人々が心の平安や救いを求めています。


たとえスピリチュアリストといえども、真底、平穏で“完全なる安らぎ”を未だ見出せていない方もきっと多いのではないでしょうか。
そこでいつものように真の安らぎについて、シルバーバーチはどのように語っているでしょうか。ウクライナ戦争を機会に、改めて取り上げてみましょう。


主として「シルバーバーチは語る」五章 “絶対的摂理の存在”より引用(スピリチュアリズム普及会) なお、ここでの近藤千雄訳の“信念”は、原文の“faith”から神や摂理に対する“信仰”に全て書き換えています。


大霊はあなた方すべての内部にあるのです。進化の跡をたどれば確かに人間もあらゆる生命体から進化してきており、遺伝的には動物時代の痕跡も留めておりますが、それを遥かに凌ぐ資質として、大霊から授かった神性を宿しており、それを機能させれば地上にあっても神の如き生き方が可能なのです。” (P77)


“安らぎはただ一つ、大霊と一体になった者に訪れる安らぎです。
大霊のリズムで心臓は鼓動し、大霊の意志(摂理)と一致し、魂と精神(と肉体)が(内なる)大霊と一つになっている者にのみ訪れます。そこに安らぎがあります。何故なら、そういう時は大霊の摂理と調和しているからです。それ以外に安らぎは得られません。” (P87)
There is only one peace-the peace which comes to those who are at one with the Great Spirit, whose hearts beat as one with His great heart, whose wills are at one with His great will, who are at one in soul, mind, and heart with the Great Spirit. Then there is peace, because they are in harmony with His laws. There is no other peace.  (Teaching of SB  P55)


“大霊は無限の存在であり、あなた方はその大霊の一部です。
もしも完ぺきな信仰をもち、正しい人生(摂理に順応した生活)を送れば、大霊の恩寵にあずかることができます。
地上界の全ての人が完ぺきな信仰をもてば、大霊はそれぞれの願いを嘉納されることでしょう。魂が真剣に求め、しかも大霊に対する絶対的信仰に燃えていれば、必ずやその望みは叶えられるでしょう。神の摂理はそのようにして働くのです。つまり摂理に順応した生活を送っていれば、望み通りの結果が生じるようになっているのです。” (P81)

 

上記より、「自らが大霊であるとの自覚」と、「完ぺきな信仰」、及び、「摂理に順応した生活」を送ること、すなわち大霊の顕現である摂理に絶対的な信頼をおき、自らの意志で摂理に順応した生活を送ることです。そうなると摂理と調和することになり、大霊と一つになって平安を得るようになります。
このことは、私たちの魂と心と肉体の三位一体が魂の内部に宿る大霊と一つになり、大霊とその摂理に保護され真の心の平安peaceが得られるようになるのです。
“天国は自らの内にある”とはこのことを言っています。


“イエスは二千年も前に天国は自分の中にある(the kingdom of heaven is within)と言いました。外部のどこかにあるのではないのです。ましてや混沌とした物質界には存在しません。(天国は)魂の内部に見出されるのです。” (P88)

 

それでは、「自らが大霊であるとの自覚」と、「完ぺきな信仰」、及び、「摂理に順応した生活」を送るとどうなるのかといえば、


●摂理が働けるような条件が整う。

(あなた方も、摂理が働けるような条件を整えれば、必ずや望み通りの結果が得られます。  P82  If you allow the law to function, then the results must come.  Teaching of SB  P52)


●宇宙のエネルギー(神の霊的な力)が使えるようになり、インスピレーションが入ってくる。

(皆さん方一人ひとりが、自由に使用できる無限の霊力(霊力の貯蔵庫)を秘めた大霊そのものであることを自覚すれば、・・・
「シルバーバーチの教え」 下巻 P96 スピリチュアリズム普及会)


(あなたの霊性のレベルに応じた宇宙のエネルギーを動かすことが可能になったということです。宇宙のエネルギーを、あなたも活用することができるようになったということを意味しています。「シルバーバーチの教え」上巻 P119 スピリチュアリズム普及会)


(「魂に宿る無限の霊力でいかなる困難も凌いでみせる」と。そういう力をあなた方は授かっているのです。その無限の力(神の霊的な力)を見限るほど勿体ない話はありません。  P85 )


●“本当の自分”である「霊魂」で私たちは霊界の天国(高級霊など)と繋がっていることを自覚する。
(物質界の人間も、物的であると同時に、神性(霊性)を宿していることを理解すれば、地上生活がどれだけ生き易くなることでしょう。 P86 )


(物的生命を霊的生命から切り離してはいけません。本来は別個のものではないのです。
一つの大生命があり、それに幾つもの側面があるに過ぎません。物的なものは霊的なものに反映し、霊的なものは物的なものに反映します。 P86 )


永遠の霊的な目でこの物的世界を見ることが出来るようになる。

(あなた方の思考はその地上的なものを規範にしがちですが、私たちは霊の目で見ます。P88 )


(この短い地上人生のことだけを考えてはいけません。永遠の生命を視野に置くことです。P54)


摂理の保護を受け、背後霊が私たちを護っていることを自覚するようになる。

(不安を完全に捨て去ることが出来てしかるべきです。大霊とその摂理の保護のもとに生き、そして行動しておられるからです。P84 )


(あなた方は一時として一人ぼっちでいることはないこと、周囲には常にあなた方を愛する大勢の人々が見守り、導き、援助し、鼓舞せんとして待機していることを知っていただきたいのです。P83 )


●神と一つになれば、“完ぺきな安らぎ”を得ることが出来き、その結果、天国は自らの内にあることを悟る。

  (There is only one peace-the peace which comes to those who are at one with the Great Spirit. Teaching of SB  P55)


(私はあなた方の内面(霊魂)に潜在する恒久的な安らぎを見出させてあげたいと努めております。最大の富は霊に内在する宝です。(最大の富は霊の富です)P88)
(You seek to find peace without. I try to show you the eternal peace within. The greatest riches are the riches of the spirit.  Teaching of SB  P56)


(神の無限の腕に抱かれ、その愛に包まれ、それが完全な安らぎをもたらせてくれることになります。P83 )

 

“大霊から賜った霊力(内部に宿る大霊・神性)を顕現させるのです。
皆さん方一人ひとりが、自由に使用できる無限の霊力を秘めた大霊そのものであることを自覚すれば、新しい時代の真の道具になれるのです。 (中略) 常に地上界の彼方(霊界)へ目を向けてください。人類のためを思って導こうとしている霊たちからのインスピレーションに耳を澄ませてください。 
ひるまず前進してください。これからも多くの失敗と落胆があるでしょう。しかし、そうしたときに忘れてならないことは、背後には霊団が控えていて、困難に遭遇したときには元気づけ、疲れたときには希望と力を与え、落胆しているときには魂を鼓舞してくれるということです。
見放されることは絶対にありません。大霊はご自分の使者を遣わし、皆さん方を守ってくれます。”
 (「シルバーバーチの教え」下巻 P96 スピリチュアリズム普及会発行)

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令和4年5月)

“霊的成長こそが地上人生の目的” (人生の目的) (2022.4.22

 

シルバーバーチの教え 下巻 二十一章“青年牧師との論争”P100~P143より


“自由意志(自己責任・因果律)は大霊の摂理です。その摂理は(霊的に成長ができるように)大霊の愛から造られたものであり、大霊の子供たちのすべてを平等に支配しています。” P125

1. 欠点があるのが人間

私たちがもしも欠点の無い人間であったなら、この地上世界には生まれてこなかったでしょう。


――地上の人間にとって、聖別された完璧な生活を送ることは可能でしょうか。すべての人間を愛することは可能なのでしょうか――

いいえ、それは不可能なことです。しかし、そのように努力することはできます。すべての努力は、あなたの人間性を形成するうえで、とても重要です。決して怒ることもなく、敵意を持つこともなく、かんしゃくを起こすこともないなら、あなたはもはや人間ではないことになります。人間は霊的に成長することを目的として地上に生まれてくるのです。 成長また成長と、どこまでも成長の連続です。それは地上だけでなく、こちら(霊界)へ来てからも同じです。”P121

完全であるように努力しなさい、と言っているのです。それが地上で目指すべき理想であり、内部に宿る神性を発揮する生き方なのです。 P121

 

2. 摂理の第一原理は“原因と結果”(因果律)の法則 

因果律は、“結果”から反省することによって心の成長が始まるという神の愛の摂理なのです。


――死後の世界とは、どういうところですか――


“あなた方の世界と実によく似ています。ただし、こちら(霊界)は“結果”の世界で、そちら(地上界)は“原因”の世界です。” P102
                                         
蒔いた種は自分で刈り取るのです。これは変えることができません。あなたは、今のあなたをそのまま携えてこちら(霊界)へまいります。 P107


地上人生で起きるすべてのことは、いつの日か必ず帳尻が合うようになっています。いつかは自分で天秤を手にして、バランスを調節する日がまいります。あなた方は、自分が蒔いた種を自分で刈り取るという自然法則から逃れることはできません。軽い罰で済んでいる人がいるかにお考えのようですが、そういうことはありません。 P117


いかなる過ちも必ず正さなければならないということです。もしも地上(物質界)で正さなかったなら、こちら(霊界)へ来てから正さなくてはなりません。 P126


“自分が蒔いた種は、自分で刈り取る”――あなた方は、この摂理から逃れることはできません。神の摂理をごまかすことはできないのです。 P132


●神は人間に“理性”という神性の一部を植え付けられました。私はあなた方に、その理性を使ってほしいのです。大きな過ちを犯し、それを神妙に告白することで心の安らぎは得られるかもしれませんが、“罪を犯した”という事実は変えられません。神の摂理に照らしてその歪を正すまでは、罪はそのまま残っています。それが大霊の摂理なのです。イエスが語ったという言葉をいくらバイブルから引用しても、摂理を変えることは絶対にできません。 P134

 

3. 地上世界での苦しみの意味は

“本当の自分”(霊魂)に目覚めるには、試練や困難、苦しみという厳しい体験が必要なのです。


――この世には、なぜ多くの苦しみがあるのでしょうか――


大霊の摂理は、苦しみを通してしか悟ることはできません。苦しみという厳しい試練を経て初めて、あなた方の世界を支配している大霊の摂理を理解することができるのです。” P116


――苦しみがない人が大勢いるようですが、・・・


“大切なことは霊に関わることであって、肉体に関わることではないことを理解しなければなりません。霊の苦しみの方が肉体の苦痛よりも耐えがたいものです。” P116


大霊は、すべてのものに宿っています。間違ったことにも正しいことにも宿っています。太陽の光にも嵐にも、美しいもの醜いものにも宿っています。空にも海にも雷鳴にも稲妻にも宿っているのです。美しいものや善なるものだけでなく、(欠点だらけの人間の)罪や悪にも宿っているのです。 P128


地上に苦難がなければ、人間は正していくべきものへ注意を向けることができません。
すべての苦しみや痛みや邪悪は、大霊の分霊であるあなた方人間が、いかにしてそれを克服していくかを学ぶためにあるのです。
もしも苦痛を乗り越えるための努力を怠っているとしたら、あなた方を地上に誕生させた大霊の意図を理解していないことになります。 P117

 

4. 地上での最大の罪とは

人間の生命を奪う戦争や殺戮、残虐行為は摂理に真っ向から対立する神への反逆行為です。


――地上での最大の罪は何でしょうか――


“最大の罪は神への反逆です。 神の存在を知りながら、神の意思(摂理)に背く生き方をすることです。それが最大の罪です。”P105


●地上界に限って考えてみても、戦争を正当化することはできません。(中略)戦争は、人間は地上界を離れる時期が来た時に肉体から去るべきである、という摂理に反する事になるからです。大霊の子が、よくぞ平気で神聖なる摂理を犯すものだと、私たちは呆れるばかりです。P57


●物質的な豊かさにおいて自分たちよりも劣る民族に対して今なお白人が行っている残虐行為(ジェノサイド等)は、神に対する最大の罪の一つと言えます。 P108

 

5. 摂理の実践

他人には利他愛を、自らには摂理に対する信仰(信念)という実践行為もまた必要です。


●言葉はどうでもよろしい。大切なのはあなたの行いです。 P106


●大切なことは実際の行為であり、それがすべてです。何を語るか、何を信じるかは問題ではありません。もし、あなたが何ひとつ信仰というものを持っていなくても、落ち込んでいる人を励まし、飢えている人にパンを与え、暗闇の中にいる人の心に光を灯してあげるなら、神の御心に適う行いをしたことになるのです。 P109


●地上世界は教えだけでは救われません。いくら長い教えを説いても、それだけでは救われません。大霊の子供たちが、親なる大霊の御心(霊的摂理)を鎧として、暗黒と弾圧の勢力に戦いを挑むことです。魂を束縛するすべてのものに立ち向かうことによって初めて、地上世界は救われるのです。P115


大切なのは何を信じるかではなく、何を為すかです。戦争、不正行為、飢餓、貧困、失業――こうしたことを黙認しているかぎり、(スピリチュアリズムや)キリスト教は失敗であり、イエスを模範としていないことになります。 P140


●叡智の言葉だけでなく、パンと日常の必需品を与えてあげなさい。魂と肉体の両方を養ってあげないといけません。霊を救うと同時に、その霊が働くための肉体も救ってあげるのです。 P142

 

6. 霊力に満たされる

魂の扉を開くとは、神(摂理)や背後霊を信頼し自らを委ねることです。


●しかしあなたが、自らを神に委ね、神の貯蔵庫からインスピレーションを受けるために魂の扉を開くなら、あなたの魂は古い預言者たちを鼓舞したのと同じ霊力によって満たされます。あなたはその仕事を通して、人生に落胆し、地上の片隅で疲れ果てている人々の心を明るく照らす光をもたらすことができるのです。  P118

 

7. 新しい時代の到来

地上世界は戦争の絶えない肉主霊従の物質中心主義から、霊主肉従の霊中心主義の新しい世界へ


●あなたは、今まさに崩れつつある世界に身を置いていることを自覚しなければなりません。新しい秩序による世界、真の意味での天国が到来する時代の幕開けを見ているのです。その誕生には、痛みと苦しみと涙がともなうことでしょう。しかし最後には、大霊を中心とした世界が築かれるようになります。あなた方一人ひとりが、その新しい世界を到来する手助けができるのです。なぜならすべての人間は大霊の分霊であり、大霊の仕事の一翼を担うことができるからです。 P119

 

“霊に照らして(何事も)解釈しなくてはいけません。霊こそが宇宙のすべての謎を解くカギなのです。The spirit is the key which unlocks all the mysteries.  (P228 Teaching of SB) イエスが譬え話を用いたのは、そのためです。” P111

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令和4年4月)

“ウクライナ戦争” (雑記) (2022.3.17)

 

今現在、ウクライナに19万人ともいわれるロシア兵が攻め込んでいます。その中には10代の徴集兵の若者も数多くいて、訓練という名目で始まりそのまま大義や目的も告げられないままプーチンの指示でウクライナへの侵略戦争をさせられております。
北京でのオリンピックが終わるのを待っていたかのように、欧州では第二次世界大戦以来最大規模のロシアによる侵攻が勃発しました。初めはウクライナの民間施設を避けておりましたが、遅々と進まぬ戦況のためにロシアは無差別に多数の巡航ミサイルを撃ち込み、ウクライナの多くの民間人が犠牲となっています。
圧倒的な規模の兵器と兵隊の数で、且つ、核保有国ゆえにNATO連合の他国は第三次世界大戦に発展する恐れがあるため、直接ロシアに手出しができません。
“剣をとるものは剣によって滅びる”と2000年前イエスは語っていますが、相変わらず絶えることのないこのような地上世界の戦争を、高級霊界では一体どのように見ているのでしょうか。


それではシルバーバーチ霊に語ってもらいましょう。
但し、事情が事情ですので、結果的にほとんど章全体の引用と言ってもよいぐらい、今回はとても長い文書になってしまいました。


(「シルバーバーチの教え」下巻 十八章“霊界側から見た戦争” P56~P68より スピリチュアリズム普及会発行)


●私たちは霊界が、地上の戦争によって傷ついた魂のための野戦病院のようになっては困るのです。私たちのように地上圏に降りて仕事をしている者は、地上人が救われるためには、私たちがお届けしている霊的真理を受け入れる以外にはないことを痛感しています。それは地上人みずからがすべきことであって、私たちが代わってしてあげるわけにはいきません。
摂理に反した行為がどのような結果を招くかを示し、地上で間違ったことをすると霊界でこういう事態になるということを、教えてあげるしかないのです。
霊的に何の準備もできていない魂が、霊界へ続々と送り込まれてきます。戦死者たちは、まるで熟さないうちにもぎ取られた果実のようなものです。 P56


地上界に限って考えてみても、戦争を正当化することはできません。物質的にも、ただ破壊を引き起こすだけです。霊界側から見たとき戦争は、決して正当化することはできません。
戦争は、人間は地上界を離れる時期が来た時に肉体から去るべきである、という摂理に反する事になるからです。大霊の子が、よくぞ平気で神聖なる摂理を犯すものだと、私たちは呆れるばかりです。
実は地上界のそうした愚かな行為が、低級霊たちの働きかけを許すことになっているのです。彼らは進歩と平和と調和を憎み、組織的な態勢で邪魔立てしようと画策しています。そのことを、あなた方はご存じありません。これを阻止するためには民族や国家間の対立をなくし、地上人類のすべてが大霊の子供であるとの認識を持つことです。対立を生んでいるのは地上の人間であって、大霊ではありません。すべての人間に大霊の分霊が宿っており、それゆえに全人類は等しく大霊の子供なのです。 P57


●大霊は、すべてを支配する自然法則(摂理)を設けられました。地上の子供たちは、その法則に背くようなことをしてはなりません。もし摂理にそった生き方をしないなら、破壊と混乱を生むだけです。人類は、もう十分にその結果を見てきたのではないでしょうか。皆さん方には、大霊の計画を地上界で実現するために全力を尽くしていただきたいのです。 P58


他人の肉体生命に終止符を打つ行為は、大霊の摂理に背きます。殺意を抱くと、理性が去ります。人間には大霊の分霊が宿っていますが、同時に動物的進化の名残りも留めています。人間の進化向上は、動物性を抑え、神性を発揮することによってなされるものなのです。動物性をむき出しにすると、戦争や紛争や殺し合いなどが起こります。反対に内面の神性を輝かせ互いに助け合うようになれば、平和と調和と豊かさがもたらされます。
国家とか民族とかで差別してはいけません。いずれの国家も民族も、大霊の一部なのです。大霊の目から見れば皆、大霊の子であり、兄弟姉妹なのです。私たちの教えは単純ですが、真実です。それは大霊の摂理を基盤としているからです。摂理を無視して地上界を築こうとしても、混乱や騒動が起きるだけで、最後はすべてが破綻します。 P58

●よほどの犠牲的な努力が為されないかぎり、地上ではこれからも戦争が絶えないでしょう。人類はそうなる種を蒔いてきており、蒔いた種は人類みずからの手で刈り取らなければなりません。原因と結果の法則は絶対にごまかせないのです。流血の種を蒔いておいて、平和を刈り取ることはできません。物的欲望の種を蒔いておいて、その結果を免れることはできません。
愛がほしければ愛の種を蒔くことです。平和が欲しければ平和の種を蒔くことです。至るところに奉仕の種を蒔けば、地上世界は奉仕の精神にあふれることでしょう。このように大霊の真理はきわめて単純なのです。あまりに単純すぎるために、地上で指導的立場にある人々には、その重大性が分からないのです。 P59


相変わらず“物質中心の考え方”をしているために、彼らの犠牲(大戦で戦死した人々)は無意味に終わっているのです。 P60


私たちが説いている教えは至ってシンプルなものですが、それを実行に移すには勇気が要ります 霊的真理を知り、それを実行しようと決意したとき、そして日常生活においてあらゆる問題に奉仕と無私の精神で臨むようになったとき、地上界に平和と調和が訪れます。それはいかなる党派の主義・主張からも生まれるものではありません。大霊の子供たちが霊的真理を理解し、それを日常生活に、そして政治や経済や国際問題に適用していくことから生まれるのです。
私たちは、これこそ真実であると確信した霊的真理を説いています。そしてそれを実行に移せば、きっと良い結果がもたらされるということを教えています。あなた方は物質世界にいらっしゃいます。最終的には皆さん自身が責任を負うことになります。 P62


あなた方は国や民族の概念で考えますが、私は大霊とその子供という概念で考えていることを、これまで何度も申し上げてきました。破壊のための兵器をいくらつくっても、平和はもたらされません。平和を希求する声が高まり、人々が愛と奉仕の摂理にのっとって生きるようになったとき、平和が訪れるのです。私は、一つの国、一つの民族という概念はとりません。全人類が大霊の一部であり、大霊の子供であると考えているのです。大霊の摂理を適用するようになるまでは、地上界から戦争と破壊、混乱と破綻が尽きることはないでしょう。 P63

 

――「制裁」という手段(戦争)をどう思われますか。


“私の意見はもうお分かりでしょう。生命は大霊のものであって、人間のものではありません。勝手に生命を奪うことは許されません。摂理に反します。摂理に反したことをすれば、その代償を払わなければなりません。” P64

 

――しかしこの場合は、動機が正当化されるのではないでしょうか。戦争をやめさせるためという大義があるのですから・・・。


武力という種を蒔けば、その種はさらなる武力を生むことになります。「戦争をやめさせるための戦争」だと、当事者が言っているではありませんか。” P64

 

――では、残虐な連中が無抵抗の人々を殺すのを手をこまねいて見ていろとおっしゃるのでしょうか。(Do you think we should let a bully kill innocent people?)


“あなた方はよく、そういう論理で私たちの意見を求めますが、私たちは永遠にして不変の摂理を説いているのです。最初の段階で摂理に適った手段を用いていれば、今日のような苦境を招くことはなかったはずです。あなた方は難問が生じてから、取り敢えず対策を講じて切り抜けようとしますが、それでは根本的な解決はできません。永遠の摂理に基づく手段だけが、永遠の平和・真の平和をもたらすことになるのです。” P65
(You want us to pronounce a verdict on half-way happening, but we deal with eternal principles.
If the eternal principles had been applied in the beginning, then you would not have your present difficulties. Because you have reached difficulties, you say to us: Shall we apply some measure which may, for the moment, remedy the evil which has accrued? Only eternal principles can procure eternal peace. P169  Teaching of Silver Birch)


そのうち地上人類も愛こそが邪悪に打ち勝つことを悟る日がまいります。なぜなら、愛は大霊の顕現だからです。すべての問題を愛の精神で解決しようとするなら、地上界に平和が訪れます。愛の摂理に反する欲望は、常に分裂と混沌と破綻を生み出します。根本から正す努力をしないかぎり、他のいかなる手段をもってしても永遠の平和は訪れません。 P66

 

――宇宙には戦争を正当化する理由はないのでしょうか。


ありません。戦争は地上世界に存在するだけで、霊界にはありません。人間が殺意を抱くと、同じような欲望を持った地縛霊を惹きつけることになります。” P66

 

真の平和は霊的摂理を適用することによってしかもたらされないということを、地上人類はいつになったら悟るのでしょうか。戦争はもとより、それが生み出す流血、悲劇、混沌、破綻といったものの元凶は「利己主義」なのです。 
奉仕精神が利己主義に取って代わることによってのみ、平和が訪れることを知らなければなりません。自国の物的威力を誇示しようとする古い唯物的思想を捨て、代わって互いのために生き、強い者が弱い者を助け、捨てる者が持たざる者を援助しようとすることによってのみ、平和が訪れるようになることを学ばなければなりません。 P68


●霊界へ送り込まれた人々を、心にもない口先だけの敬意(休戦記念日)で、侮辱してはなりません。和平へ向けていろいろと努力が為されながら、ことごとく失敗しています。が、唯一試みられていないのは「霊的真理」の適用という方法です。それが為されないかぎり戦争と流血が終わることはなく、ついには人類が誇りに思っている物質文明も破綻をきたすことになるでしょう。 P68

 

大霊の子供・・・人類皆兄弟姉妹

1.これを阻止するためには民族や国家間の対立をなくし、地上人類のすべてが大霊の子供であるとの認識を持つことです。対立を生んでいるのは地上の人間であって、大霊ではありません。すべての人間に大霊の分霊が宿っており、それゆえに全人類は等しく大霊の子供なのです。   P57


2.国家とか民族とかで差別してはいけません。いずれの国家も民族も、大霊の一部なのです。大霊の目から見れば皆、大霊の子であり、兄弟姉妹なのです。 P58


3.あなた方は国や民族の概念で考えますが、私は大霊とその子供という概念で考えていることを、これまで何度も申し上げてきました。 (中略) 私は、一つの国、一つの民族という概念はとりません。全人類が大霊の一部であり、大霊の子供であると考えているのです。 P63


4.生命は大霊のものであって、人間のものではありません。勝手に生命を奪うことは許されません。 P64

 

戦争の原因・・・利己主義

戦争はもとより、それが生み出す流血、悲劇、混沌、破綻といったものの元凶は「利己主義」なのです。 P68

 

戦争を無くす唯一の方法・・・霊的摂理への適応

1.他人の肉体生命に終止符を打つ行為は、大霊の摂理に背きます。 P58


2.もし摂理にそった生き方をしないなら、破壊と混乱を生むだけです。 P58


3.大霊の子供たちが霊的真理を理解し、それを日常生活に、そして政治や経済や国際問題に適用していくことから生まれるのです。 P62


4.大霊の摂理を適用するようになるまでは、地上界から戦争と破壊、混乱と破綻が尽きることはないでしょう。 P63


5.が、唯一試みられていないのは「霊的真理」の適用という方法です。 P63


6.永遠の摂理に基づく手段だけが、永遠の平和・真の平和をもたらすことになるのです。P65


7.真の平和は霊的摂理を適用することによってしかもたらされない  P68


8.そのうち地上人類も愛こそが邪悪に打ち勝つことを悟る日がまいります。なぜなら、愛は大霊の顕現だからです。 P66

 


―結論―
“大霊の摂理を適用するようになるまでは、地上界から戦争はなくなりません。”P63


【根拠】
●本当の私たちは永遠不滅の霊魂であり、国家、民族、人種の区別はなく等しく神の子であることを知ることになるからです。


●宇宙の第一摂理は“原因と結果の法則”であり、「利己主義」の結果は戦争や破綻となり、「利他愛」の結果は霊的摂理を成就することになると悟るからです。 (イエスのいう隣人愛)

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令和4年3月)

摂理を信じ摂理と調和して生きる” その2(霊の力) (2022.2.28)

 

―霊力を活用するための霊的法則―


過去、何度も“霊的な力”を活用する方法について述べてきました。
しかし残念ながらとても大切なことであるにもかかわらず、スピリチュアリストである私たちは頭では理解しているつもりでも、日常の雑事に心を奪われ一向に“霊的な力”を活用していないのが実情ではないでしょうか。宝の持ち腐れとは正にこのことです。
そこでくどいようですが、先月の寸感で引用した霊訓を用いてこのテーマをもう一度取り上げ、“霊的な力”の中味と具体的な活用方法について再度確認したいと思います。


●“辛いことや煩悩の誘惑に流されず、心の奥深くにある霊的な力(the innermost strength)を活用して困難に立ち向かおうとする人のことです。そうした精神で臨んでこそ、人間性が磨かれ強化されるのです。” (シルバーバーチの教え 上巻 P161 スピリチュアリズム普及会)


●“潜在する力(the latent power)を活用しても克服できないほどの大きな困難や障害は絶対に生じません。 他人が故意に与える困難も、内在する力を発揮して立ち向かえば必ず消滅します。あなた方は地上生活において、自分の力のほんの一部しか発揮していないことがお分かりになっていません。” 
(シルバーバーチの教え 上巻 P178 スピリチュアリズム普及会)


●“内部に宿された神性を発揮しさえすれば――高級界から受ける霊力とインスピレーションを活用する霊的法則さえ身につければ、神の意図された通りの生き方ができるようになります。” 
(シルバーバーチの霊訓 三巻 P80 スピリチュアリズム普及会)


●“一人ひとりの人間の内部には、いかなる病気も癒す力と、いかなる困難も克服する力(the power)が備わっているのですが、あなたはまだそれを理解していません。人間は窮地に陥ったときに内部の貯蔵庫から霊力を引き出すことができます。このように神の王国は各自の内部にあるのですが、人々はそれをまったく理解していないのです。その貯蔵庫から必要な霊力を引き出すためには、大霊(神)の摂理にのっとった生活に徹すればよいのです。しかし、果たして何人の人がそれを心がけているでしょうか。”
(シルバーバーチの教え 上巻 P89 スピリチュアリズム普及会)
“He possesses a reservoir of strength from which he can draw in moments of weakness. The kingdom of heaven is within. How little is that understood ! The way to contact that higher self is by living one`s life in accordance with the laws of the Great Spirit.”  (Teaching of SB P49)

 

※原文で使われている“that higher self ”という言葉は、“本当の自分”すなわち真我、霊魂、大我、インディビジュアリティのことです。そこで最後の2行は原文では、“内部の霊力の貯蔵庫である“本当の自分”(真我・ハイヤーセルフ)につながる方法は、霊的摂理に適った生活を送ることです。”となります。

 

●“あなたも摂理が働くような条件を整えさえすれば、必ずや望み通りの結果が得られます。”
(シルバーバーチの教え 上巻 P94 スピリチュアリズム普及会)


●“霊的知識から生まれた完ぺきな信仰を持たなければなりません。 (中略) あなたを包み込んでいる力、あなたを支え導き鼓舞せんとしている力は、大霊から発しているのです。その力が試練と苦難に際してあなたを支えてくれます。嵐を鎮めて晴天とし、絶望の暗闇から知識の光明へと導いてくれるのも、その力です。”
(シルバーバーチの教え 上巻 P96 スピリチュアリズム普及会)


●“人間はその内部に、何よりも貴重な神性をやどしています。あなたは大霊の一部なのです。
(中略)あなたは決して一人ぼっちではないこと、周囲には常にあなたを愛する大勢の霊がいて、見守り、導き、援助し、鼓舞しようと求めていることを知っていただきたいのです。”
(シルバーバーチの教え 上巻 P95 スピリチュアリズム普及会)
“You have the greatest riches within yourselves. You are part of the Great Spirit.”
“May you all realize that we are never alone, but always encompassed around and about by a host of those who love you, who seek to guard and guide you and to help and inspire you.”(Teaching of SB P52)

 

生命とは霊的な力そのものであり、その霊とは大霊(神)のことです。私たちの本体(真我)は霊であるが故に大霊(神)の分霊(part of God)なのです。
そして“霊的な力”とは大霊(神)の力のことであり、生命がある(生きている)ということは大霊(神)の力、大霊(神)が私たちに内在しているということになります。地上世界では、唯一、自我意識のある人間(個霊)のみがこの生命や、摂理(法則)をとおして大霊(神)を意識することができるのです。
また、霊力の働きとしての活力や元気・勇気・生命力・励まし・導き・気づき・叡智、悟り・インスピレーションなどのさまざまな“霊的な力”を受け取り活用するための条件があって、それさえ整えば高級界から直接受け取ることができるとシルバーバーチは語っています。


その条件(霊的法則)とは、霊的摂理を正しく学んで、その霊的摂理に適合した生活を送り、ごく短時間でも良いので瞑想によって心を鎮め、霊界に心の窓を開き、常に見守りつづけている背後霊を意識し語りかけることを日頃心がければよいのです。
そうすると、霊力の働きとして叡智や悟り、気づき、導きやインスピレーションなどが高級界から必要に応じて都度、送られてきます。


【私たちに潜在する力を活用する具体的な方法】
1.「シルバーバーチの霊訓」などの霊的摂理の正しい学びと、その摂理を信じて実践すること。


2.霊的摂理と背後霊に全幅の信頼(信仰)をもつこと。


3.ごく短時間でもよいので瞑想によって雑念妄想念を取り払い、無になって心を落ち着かせます。その静寂の中で霊界への扉を開け、時に、背後霊を意識し語りかけます。


4.常日頃、摂理への信仰実践で感度を上げておれば、静寂の中や日常のふとした時に導きがあり、悟りやインスピレーション、霊訓をとおしての励ましがきます。

 

次に、理解しやすいように比喩によってこの霊力の流れを解説します。


富士山(霊界)に雪や雨(霊力)が降る。
⇒ 雪解け水や雨水(霊界の霊力)が地下水脈を通って地上の人間の霊体を流れています。
⇒ 私たちの霊体を流れる霊力がちょうど静岡県 柿田川の湧き水のように、肉体のチャクラから噴出します。
⇒ チャクラから出たこの霊力の湧き水が、気(生命活力・潜勢力)の流れとなって全身に流れます。 
                                          


⇒ 時期が来て様々な試練や困難、苦しみを経験すると、霊的摂理の学びと霊的覚醒に至ります。
⇒ 信仰実践により霊的摂理に適った生活を送ります。
⇒ 廃用委縮状態にあった霊性(神性)が顕在化してきて、利他行為など霊性(神性)が発揮されます。
⇒ 霊力の通路であるパイプ(水脈)が一層太くなり、霊力が流れやすくなって背後霊との交流がより深まります。そうなると、内在する真我の霊的な力を活用して背後霊とコンタクトし、今生の目的に向け背後霊と伴に歩む地上人生となります。そうすると、霊的な力の働きとして、都度、高級界からの導きや援助、鼓舞、インスピレーションなどが入ってくるようになります。


(補足)
1.私たちの本体は永遠不滅の霊魂(真我)であり、その本体は神の分霊として元々霊界とつながっています。


2.霊力はちょうど上位(霊界)から下位(地上界)へパイプ(通路)の中を重力によって水が流れるのに似ています。この霊力の流れる水源は霊界にあって、限りある地上の井戸水と違い、神の力である霊力は無尽蔵で干からびることがありません。


3.取越苦労や心配・不安の念は、温泉でいえばちょうど炭酸カルシウムや珪華が沈殿し、水脈(パイプ)の動脈硬化を起こしたり、源泉(チャクラ)の出口を塞いでしまうのに似ています。瞑想はその垢を取り除くのに似ています。


4.地上の人間にとって天国(霊界)は実に私たちの心の中にあり、その霊性心は霊界の高級界まで繋がっているのです。

 

“あなた方の世界は、私たちからのメッセージ・霊の教えを必要としています。霊的真理についての理解、すなわち霊的摂理の存在と、自分自身の内部(霊魂)より高い世界(高級霊界)からの導きがあることを知る必要があります。そうすれば困難に遭遇したときには慰安と導きと援助をどこに求めるべきかを、学ぶことができるでしょう。” 
(シルバーバーチの教え 上巻 P49 スピリチュアリズム普及会)

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令和4年2月)

摂理を信じ摂理と調和して生きる” (雑記) (2022.1.25)

 

出典先:
シルバーバーチの霊訓 一巻 六章“役に立つよろこび”(潮文社)、及び
シルバーバーチの教え 上巻 六章“すべてを支配する神の摂理”(スピリチュアリズム普及会)


出典のそれぞれを(一巻)、(教え上巻)と略し、“あなた方”を“あなた”に置き換えています。

 

Ⅰ.たとえ常日頃霊的真理を学んでいるスピリチュアリストであったとしても、残念ながら日々の生活での実情はといえば、次々と現れては消え、消えては現れる様々な不安や心配事の連続で、夢の中や目覚めの床の中にあっては、あれはこうで、こうなるからああしてとグルグル回りの取越苦労や雑念妄想念を繰り返すばかりです。そして先の見えない不安な一日がまた始まります。
そのことをシルバーバーチは交霊会の参加者に向けて、


●どこを見ても闇ばかりで、数え切れないほどの人々が道を見失い、悩み、苦しみ、悲しみに打ちひしがれ、朝、目を覚ます度に今日はどうなるのだろうかという不安と恐怖におののきながら生きている世の中にあって、・・・。 (一巻 P106)


多くの人が心に不安や恐れを抱いて出発します。望み通りの結果が得られないのではないか、という不安です。その不安の念がバイブレーションを乱すのです。 (教え上巻 P94)

 

Ⅱ.その不安の原因となっているのは、


●あなたのようにふんだんに霊的知識に恵まれた方(交霊会参加者、スピリチュアリスト)でも、どうかすると毎日の雑事に心を奪われ、霊的実相を忘れてしまいがちです。が、それだけは絶対に忘れぬようにしなければなりません。 (一巻 P121)


物的なものだけに目を奪われている者は大きな過ちを犯しています。幻影を追いかけ、永遠の実在を忘れているからです。霊的真理といっても至って単純なことばかりです。それなのに地上界の人間は、いまだに真理を理解していません。 (教え上巻 P105)


日常の雑務に追いまくられ、一見すると物が強く霊が弱そうに思える世界では、それ(霊的摂理)は容易に思い出せないものです。 (一巻 P116)


この物質界のリアル感があまりにも強すぎて、五感で実感できるこの世界だけが全てに見え、身のまわりに現実に起きてくる様々な出来事に私たちは毎日翻弄され続けています。
それは、たとえ霊的摂理を学んでいても物質世界とは一見真逆に思える霊的知識はあくまでも物語の世界のようにみえ、一旦、日常生活に戻ると五感で実感できるこの物質界が全てであるかのように、頭の切り替えが即座に、且つ、無意識になされているからなのでしょう。
そのことをシルバーバーチは“一見すると物が強く霊が弱そうに思える世界”と語っています。

 

Ⅲ.そこで、シルバーバーチが語っている霊的摂理を再度確認してみましょう


●しかし私たちには、大自然の摂理を明かすこと以外には何の意図もありません。というのは、地上界を支配しているのは大霊の摂理以外の何ものでもないからです。それを“宗教”と呼ぼうと、“科学”と呼ぼうと、“哲学”と呼ぼうと、“神の自然法則”と呼ぼうと同じことです。
(教え上巻 P104)


地上という物的世界において生活の拠り所とすべきものはそれ(霊的摂理)以外にはないのです。霊こそ実在です。物質は実在では無いのです。
あなたはその実在を見ることも触れてみることもできないかもしれません。少なくとも物的感覚で感識している具合には感識できません。しかし、やはり霊こそ全ての根源であることに変わりありません。 (一巻 P121)


あなたは永遠の存在であることを自覚してください。生命の旅路においてほんの短い一時期を地上で過ごしている巡礼者にすぎません。 (一巻 P121)


自分が元来不死の魂であり、それが一時の存在である土塊に宿って自我を表現しているにすぎないこと。心がけ一つで自分を通じて神の力が地上に顕現するという実相を悟ることになるでしょう。こうしたことは是非とも心に銘記しておくべき大切な原理です。 (一巻 P116)


●その苦しみに耐え抜き、辛い体験を通して教訓を学び取る方が賢明であるということです。この短い地上人生のことだけを考えてはいけません。永遠の生命を視野におくことです。
(教え上巻 P98)


●人間はその内部に、何よりも貴重な神性をやどしています。あなたは大霊の一部なのです。 (中略) あなたは決して一人ぼっちではないこと、周囲には常にあなたを愛する大勢の霊がいて、見守り、導き、援助し、鼓舞しようと求めていることを知っていただきたいのです。
(教え上巻 P95)  
“You are part of the Great Spirit”、“May you all realize that we are never alone, but always encompassed around and about by a host of those who love you, who seek to guard and guide you and to help and inspire you.”(Teaching of SB P52)


●人間の心には裏切られることがありますが、霊は決して裏切りません。たとえ目には見えなくても常に導きを怠ることなく、愛の手があなたのまわりにあることを忘れないで下さい。 (一巻 P114)
“Realize always that guidance continues to function even when you cannot see it, and that the arms of love always encircle you.”(Guidance of SB  P69)


私たちの世界、この宇宙は“自然法則”によって支配され、地球そのものも含めて全ての創造物は進化向上を目指して発展しています。その法則(摂理)から逃れられるものは何一つとしてありません。
シルバーバーチは、私たちの五感で感識することのできる物的波動の世界は仮相(幻影)の世界で、はるかに精妙な霊的波動の世界こそが本当の世界、実相の世界であり、その霊的世界へは一人の例外もなく肉体を脱ぎ捨てた後に必ず移行する世界ですとも語っています。
さらには、私たちの周囲には常にあなたを愛する大勢の霊がいて、あなたを護り、導き、援助し、インスピレーションを与えようと求めていて、決してあなたは一人ぼっちではなく、摂理に自らを合わせることによって、霊界からその援助や導き、霊的な力を受け取ることができるとも語っています。

 

Ⅳ.“神の自然法則”(霊的摂理)と調和した生活


●私たちは、大霊(神)とは何かを明らかにしようとしていますが、それは摂理を通して大霊を明らかにすることにほかなりません。私たちは、大霊の摂理をお教えしようとしているのです。それによってあなた方は、摂理と調和した生活が可能になります。 (教え上巻 P105)


●一人ひとりの人間の内部には、いかなる病気も癒す力と、いかなる困難も克服する力が備わっているのですが、あなたはまだそれを理解していません。人間は窮地に陥ったときに内部の貯蔵庫から霊力を引き出すことができます。このように神の王国は各自の内部にあるのですが、人々はそれをまったく理解していないのです。その貯蔵庫から必要な霊力を引き出すためには、大霊(神)の摂理にのっとった生活に徹すればよいのです。しかし、果たして何人の人がそれを心がけているでしょうか。 (教え上巻 P89)


●賢明なる人間――叡智を身につけたという意味で賢明な人間は、摂理に文句を言う前に神の無限の愛と叡智(霊的摂理)に合わせていくようになります。 (一巻 P111)


●そうした中で霊性が開発されていくにつれて少しずつ大霊に近づき、その摂理と調和していくようになることを悟っていただきたいのです。 (教え上巻 P95)


●あなたが行うこと、心に思うこと、口にする言葉、憧れるもの、求めるものがあなたの理解した霊的真理と合致するようになるのは、生涯をかけた仕事と言えるでしょう。 (一巻 P119)

 

Ⅴ. では、摂理と調和するとどうなるのか、又、調和するための条件とは


●私たちは大霊が定めた摂理(法則)をお教えしようとしているのです。それを守りさえすれば、地上生活に健康と幸せをもたらすことができるからです。 (教え上巻 P88)
                                         
●あなたも摂理が働くような条件を整えさえすれば、必ずや望み通りの結果が得られます。
(教え上巻 P94)


●「完全なる愛は恐れを取り除く」、「まず神の国とその義(霊的摂理)を求めよ。そうすればそれらのものはみな与えられるであろう」との言葉があります。
これは、遥か遠い昔、摂理を完ぺきに理解した人物(イエス)によって述べられた教えです。
彼は摂理を実践すれば常にその結果がともなうことを示してみせたのです。あなたも摂理が働くような条件を整えさえすれば、必ずや望み通りの結果が得られます。 (教え上巻 P94)


霊的知識から生まれた完ぺきな信仰を持たなければなりません。あなたは霊力の証を手にしておられます。万事うまくいくという信仰、大霊の摂理と調和して生きればそれ相当の実りを手にすることができるとの信仰をもたなければなりません。
人間は邪悪と呼ばれるものの影響を受けてしまいます。しかしその邪悪なるものは、心の中から完全に追放することができるのです。なぜならあなたは、大霊とその摂理の保護のもとに生き、行動しておられるからです。
心に邪悪なものがなければ、善なるものしか近づけません。善なるものは善なるものが支配するところにしか存在できないからです。霊界からこの交霊の場に訪れるのは大霊の使者のみです。恐れをもつ必要はありません。あなたを包み込んでいる力、あなたを支え導き鼓舞せんとしている力は、大霊から発しているのです。
その力が試練と苦難に際してあなたを支えてくれます。嵐を鎮めて晴天とし、絶望の暗闇から知識の光明へと導いてくれるのも、その力です。あなたは進歩の正道をしっかりと踏みしめておられます。不安に思うことは何一つありません。 (教え上巻 P96)


私たちは自分に自信がなく、且つ、将来が予見できないために不安を感じ、そのため自らの未来を否定的に考えがちです。ああでもないこうでもないと際限なくグルグル回りの取越苦労や雑念妄想念を繰り返し、常に心配や不安、恐れを感じています。
もちろん予想されることへの事前の対策や精一杯の最善の努力は、“原因と結果”の法則から手を抜くことはできません。が、それさえしておれば、後はどういう結果になろうとも全ては背後霊の導きに任せておけば、結果オーライになります。何故なら霊的視点から、すなわち永遠の生命の視点から観察している方が私たちの一時的で近視眼的な物的視点よりも優っているのは自明の理なのですから。そこには私たちが予想することもできない想定外の奇跡的な出来事が発生することがあるからです。
摂理に合わせ摂理に全てを任せて、摂理からの保護を受け行動すればよいというのであれば、実際のところこれですっかり気分は楽になります。そのためには自分自身の地上的な考え方に囚われず、背後霊が常に見守り導いているという霊的摂理を信じて、軸足を自分自身から霊的摂理に移し身を全て任せるという信仰実践が摂理と調和するためには必要な条件となってきます。
シルバーバーチが言っているように“不安に思うことは何一つない”のですから、常に摂理に合わせる努力をおこたらず、摂理を味方につけ自らの自信を摂理に置くことにしましょう。

 

“その昔イエスは「地上を旅する者であれ、地上の住民となる勿れ」と言いました。
というのは、地上の人間は死後の存続など霊的摂理への信仰を持たないために、それで霊的法則が働かないのです。” (教え上巻 P98)
“Many years ago you were told to be in the world, but not of the world. Because the people of your world have not the faith, then the Law cannot be put into operation.”
(Teaching of SB  P55)

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令和4年1月)

私たちの今の地上人生とは一体何なのでしょうか” その2 (人生の目的) (2021.12.30) 

 

地上世界では、特に男性にとって世界的な大事業で成功した人を私たちの理想像として、社会的にも尊敬され生きる模範となっています。そのためにはどうすればそのような人間になれるのか、人生の生き方の手本として必ず彼らのハウツウものが出版されます。いわゆる人生の勝ち組としてもてはやされ、憧れの対象となり社会的に発言力も増して生き方のアドバイザーとなるのです。おそらくその“生き方”が正しかったからこそ、大企業の創業者となり立身出世したのだろうと当然のごとく考えるからです。
他方で、“地上の価値判断の基準は私どもの世界とは異なります。地上では物(お金など)を有難がり大切にしますが、こちらでは全く価値を認めません。人間が必死に求めようとする地位や財産や権威や権力にも重要性は認めません。そんなものは死と共に消えてなくなるのです。”(P117)や、“霊的成長をおろそかにして金儲けにうつつを抜かしていると、そちらの世界では金持ちと言われても、こちらの世界では哀れな貧しい魂になってしまいます。”(「シルバーバーチの教え」上巻 P94)ともシルバーバーチは語っています。
そこで私たち霊的真理を知った者にとっては、何をもって人生の最高の生きる目標・目的とするのか、あるいは、たった一度限りの地上人生を悔いなく価値高く生きるには、その価値基準を一体何に置くのかということが問われてきます。


私たちが今生でなすべき仕事として、「シルバーバーチの霊訓」一巻 六章 “役に立つ喜び”P105~P121(潮文社発行)には、「地上における真の偉大な仕事」が以下のとおり十件も繰り返し出てきます。(原文のYou“あなた方”を、“あなた”に差し替えて霊訓を引用します。)


① 他のいかなる仕事にも優る大切な仕事を成し遂げたことになります  P106
② それに勝る行為(仕事)は有りません  P106
③ その(霊力の)道具となることほど偉大な仕事はありません  P107
④ 人間としてこれほど実り多い仕事は他にありません  P114
⑤ これは何にも勝る大切な仕事です P115
⑥ 真の意味で偉大な仕事と言えます  P117
⑦ これは実に偉大で重要な仕事です  P118
⑧ (霊的)真理と知識と叡知と理解を広める仕事に協力していることになります  P118
⑨ これはあなたに出来る仕事の中でも最も重要な仕事です  P120
⑩ (霊側と)協力し合うことによって人生の全てが拠り所とするところの霊的基盤に関わる重大な仕事に携わることができるのです  P120


ここでいう“仕事”とは、もちろん霊的真理を知った者の義務・責任として他人へもその霊的真理を伝えるという“仕事”です。自分一人が霊的な宝ものを手にして豊かになり、個人的満足を得ているだけではいけないとシルバーバーチは語っているのです。
今回はそのことについて、もう少し考えてみましょう。


――まずは、私たちの地上人生の目的として、シルバーバーチは次のように述べています。


●地上生活のそもそもの目的は、居眠りをしている魂がその存在の実相に目覚めること(霊的覚醒)です。 P106

 

人生の最高の目標が霊性の開発(霊的成長)にあることを、ゆめ忘れてはなりません。P116


自分がいかなる存在であるのか(霊的覚醒)、何のためにこの世にいるのか(霊的成長)についての正しい認識を失わぬようにして下さい。 P121


●手の及ぶ範囲の人々に、この世に存在する目的つまり何のために地上に生れて来たのかを悟り、地上を去るまでに何をなすべきかを知ってもらうために、真理と知識と叡知と理解を広める仕事に協力していることになります。P118

 

――さらに私たちが霊的に覚醒したあと、人生の最高の目標である霊性の開発、すなわち霊的成長をするにあたってなすべきこととして、シルバーバーチは次のように語っています。


● どう理屈をこねてみたところで結局は神の創造物──人間、動物、その他何でもよろしい──の為になることをすることによって神に奉仕することが何にも勝る光栄であり、これに勝る宗教はありません。 P106

● ここに集える私たち一人ひとりが同胞の幾人かに霊的啓発をもたらすことによって、少しでも宇宙の大霊に寄与することができることの幸せを神に感謝いたしましょう。 P115

一個の魂に感動を与えるごとにあなたは神の創造の目的成就の一翼を担ったことになります。これはあなたに出来る仕事の中でも最も重要な仕事です。魂に真の自我を悟らせてあげているのであり、これは他のいかなる人にもできないことです。ただし、この仕事は(霊側との)協調の上に成就されるものです。P120

● 言いかえれば、不変の霊的実相(霊的摂理)の証を提供するためにあなた方を使用する高級霊と協力する資格を身につけたことになるのです。これは実に偉大で重要な仕事です。

(中略) 肝心なことはそれを人生においてどう体現していくかです。
心が豊かになるだけではいけません。個人的満足を得るだけで終わってはいけません。
今度はそれ(霊的真理)を他人と分かち合う義務が生じます。分かち合うことによって霊的に成長していくのです。それが神の摂理です。 P118

 

――では次に、霊的真理を他人と分かち合うことによってなぜ霊的に成長するのかについて、霊訓を引用して考えてみましょう。


● あなたが真に奉仕の精神に燃え霊的能力を人のために役立てたいと望めば、その霊力があなたを通してその人たちに流れ込み、苦痛を和らげ、調和を回復させ、マヒした関節ならばこれを自由に動かせるようにし、そうすることによって霊的真実に目覚めさせることになることでしょう。 P108


私たちに必要なのは霊の道具となるべきあなたです。豪華なビルや教会や寺院や会館ではありません。それはそれなりの機能があることは認めますが、霊の力はそんな“建物”に宿るのではありません。霊的な力は私たちにとって大切な顕幽の強大な連絡網をつなぐ人間の道具を通して流れるのです。 P114

(the power of the spirit flows not through masonry but through human instruments who
 are important to us as links in the mighty chain.)


● 心がけ一つで自分を通じて神の力が地上に顕現するという実相を悟ることになるでしょう。 P116


● これから後も人のために役立つ仕事に携わるかぎり、霊の力が引き寄せられます。 P116

 

以上引用した霊訓から、私たちの霊的成長はどうも霊界の高級霊からの霊力が私たちを通って他人に流れることとリンクしているようです。


霊的真理を地上の人間に広めるにあたって、協力関係にある霊側の高級霊からの導きや支援、叡智や悟りなどさまざまな霊力が地上界に流れ込む必要があり、そのためには顕幽の媒介となる霊界の道具としての地上の人間が霊界からの霊力の通路として絶対不可欠であることが分かります。このことはおそらく精妙な波動との違いからきており、霊力の流れる通路となることによって物質界の波動に変換する変圧器としての機能が霊界の道具(インスツルメント)である地上の人間にはあるからでしょう。


霊的真理を他人と分かち合おうとすると、高級霊からくる霊力(神の力)がその人(霊の道具)を通して流れることになり、霊力の流れである本流が太くなってきてスピリットヒーリング同様、その一部がその人にも残るようになります。
このことを具体的に述べますと、霊的真理を他人と分かち合う努力をすれば、霊界の高級霊と協同作業することになり、その結果、高級霊からの導きやインスピレーションの流れをその人(霊の道具)が受け取りやすくなって悟りや叡智が深まり、利他の行為が結果として自らの霊性も向上することになるのです。このように共存共栄で共に成長する、それが神の摂理だとシルバーバーチは語っているのです。(P118)

 

“自分がこの世に存在することの目的を日々成就できること、つまり自分を通じて霊の力がふんだんに地上に流れ込み、それによって多くの魂が初めて感動を味わい、目を覚まし、健全さを取り戻し、改めて生きることの有難さを噛みしめる機会を提供すること──これは人のために役立つことの最大の喜びです。真の意味で偉大な仕事と言えます。

地上のどの片隅であろうと、霊の光が魂を照らし、霊的真理が沁みわたれば、それでいいのです。それが大事なのです。それまでのことは全てが準備であり、全てが役に立っているのです。” (P116)

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令和3年12月)

私たちの今の地上人生とは一体何なのでしょうか” (人生の目的) (2021.12.01) 


―人生を外面からではなく、内部から見るようにしてください―

人はたまたまの偶然この地上世界に生をうけ、できるだけ苦しみや悲しみを避け、毎日が楽しく、且つ、豊かな暮らしを生涯をかけて追い求めています。そして、寿命がきたら単に消えていくだけの一回限りの人生と思い込んでいます。ところが意に反して生きるためには嫌なこと、病気をはじめ心配なことや苦労など苦しみの方が断然多いのが現実の姿です。そのため、毎日を何とはなしに不安・憂鬱な気分で過ごしています。


多くの人たちは“死んだら脳とともに記憶は消滅し、個人の一切が無に帰す”という人生観のために、死をむやみやたらと恐れるか、そうでなければ、早晩必ず死ぬという宿命を、健康同様、普段はまったく意識せず死を他人事のように思って生活しています。
しかしながら、“本当の自分”はその肉体ではなく不滅の“霊魂”であり、死後も永遠に生き続けるという霊的真理を真に悟ったならば、地上人生の意味や目的は180度一変することでしょう。
たとえ私たち霊的知識のあるスピリチュアリストといえども、物質界という幻影に取り囲まれて生活していると、いつの間にか地上的視点に陥っていますので、今一度、我に返り再確認する意味で、表題について改めて考えてみたいと思います。
いつものように、霊的真理の普及のために霊界より遣わされてきたシルバーバーチ霊は、他界からみて私たちのこの地上人生を、一体どのようにとらえ眺めているのでしょうか。

「シルバーバーチの教え」 上巻 十章“霊的進化の道を歩む神の子供たち”以下よりの引用
(スピリチュアリズム普及会発行)

 

1. 物質界という暗黒の地上世界に生まれてくる真の目的とは 


“種子が暗い土の中に埋められるのは、養分を摂取して発芽後の成長に備えるためです。
それと同じく、人間の生命の種子が物質界という暗黒の世界に生まれてくるのは、霊界に戻ってからの進化に備えて地上生活での体験を積むためです。
地上人生のあらゆる体験は、大きな計画の中の一つです。落胆・挫折・悲しみ・痛み・・・これらは人間的心情からすればあって欲しくないもの(地上的尺度)かもしれませんが、魂の進化にとっては、とても貴重な体験(霊的尺度)なのです。” P160

 

2. 永遠の基準は霊を基準としたものです 


―でも、なぜ悪人が栄えるのでしょうか。


“それもまた、地上的尺度による見方です。どうしてあなた方は、恵まれた生活をしている人の魂は不幸も悩みも苦痛も知らないと思うのでしょうか。いつも笑顔を絶やさないからでしょうか。豪華なものに囲まれているからでしょうか。紫の衣と亜麻糸の布(一流ブランド品)が、そのまま満ち足りた魂を表すのでしょうか。永遠の基準は霊を基準としたものであり、物質を基準としたものではありません。そうでないなら神の公正が存在しないことになります。” P168


―しかし、飢えに苦しみ、悪徳や低俗なものばかりがはびこる環境よりは、恵まれた環境の方が明らかに善なる動機を発揮しやすいと思うのですが・・・。


“私はそうは思いません。その証拠に、私が知るかぎりでは、地上の偉人はほぼ間違いなく低い身分の出身です。偉大な精神指導者に至っては、まず間違いなく低い階層から出ています。
葛藤を余儀なくされる困難が多いほど、それだけ魂が成長するものです(真の埋め合わせ)。
霊的自我(本当の自分・霊魂)に目覚めるのは、厳しい環境を克服しようとする闘いの中においてこそです。
人生を外面(地上的視点)からではなく、内部(霊的視点)から見るようにしてください。
P169

 

3.真の埋め合わせとは魂の次元におけるものです 


―飲んだくれや精神異常、道徳的腐敗や心身の堕落が蔓延するスラムの中に生を享けて、過酷な人生を歩まされる子供がいる一方で、美しいものに囲まれた環境に生を享けて、何の不自由もない人生を送る子供もいます。この不公平はどう理解したらよいのでしょうか。


魂の進化は、魂そのものに刻み込まれていきます。ところが地上の人間はとかく、霊的なものではなく物的なもので判断しがちです。高い身分に生まれようと低い身分に生まれようと、人のために役立つことをするチャンスは必ず与えられます。魂が内部の神性に目覚め、それを発揮するチャンスはすべての人に訪れるのです。それこそが唯一の判断基準です。 物的基準で計るかぎり、地上界は不公平だらけに思えるかもしれません。しかし、真の埋め合わせとは魂の次元におけるものであり、魂は自らを顕現させるために、あらゆる苦難を通して学ぶのです。” 
P167

 

4. 地上のいかなる体験にも必ず学ぶべき教訓があります 


苦悶と病苦と悲哀を体験した人間は、他人の苦しみに心を配る、大きな魂へと成長するようになります。
やりたい放題の人生を送り、はかない幻を追い求めている魂は、いつかは真実に直面しなければならなくなります。安楽な日々を送っている人を見て羨ましがることはありません。その行く先には過酷な人生が待ち受けているのです。
地上界にあっても霊界にあっても人間は、ありとあらゆる体験を積まなければならないようになっています。いかなる体験にも必ず学ぶべき教訓があります。あらゆる体験を乗り越えて初めて本当の自我を確立し、魂の内奥の完全性に至ることが許されるようになるのです。” P181


【参考】安楽な日々を送っている人を見て羨ましがることはありません。また、悩みや苦しみというものは相対的なものであり、金銭の多寡で悩みの有無が決まるものではないということがあなた方は分かっていません、とシルバーバーチは語っています。
地上人生の真の目的は、さまざまな霊性レベルの人間が混在する結果、唯物・拝金主義が蔓延する利己主義の物質界で、魂が覚醒し、内在する神性をできるだけ発揮して霊的に成長・進化することにあります。そのためには、苦しみや困難という試練をとおして、ありとあらゆる体験をすることが霊的成長のための絶対条件となっており、だからこそ“何もかも楽に片づいているうちは(魂は)成長しません。”(P102)とシルバーバーチは語っているのです。

 

5.この地上の試練や困難に立ち向かうには、内在する“霊的な力”を活用すること 


“内部に宿された神性を発揮しさえすれば――高級界から受ける霊力とインスピレーションを活用する霊的法則さえ身につければ、神の意図された通りの生き方ができるようになります。”
(「シルバーバーチの霊訓」 三巻 P80 スピリチュアリズム普及会)


【参考】内部の神性(霊力)を発揮する方法については、2021年8月の寸感“もしも心配・悩み・疑いや不安の念に襲われたら”を参考にしてください。


“私たちは地上人生を、地上的視点ではなく霊的視点から眺めます。賢明な人間とは、すべての体験を魂の養分として摂取しようとする人のことです。辛いことや煩悩の誘惑に流されず、心の奥深くにある霊的な力を活用して困難に立ち向かおうとする人のことです。そうした精神で臨んでこそ、人間性が磨かれ強化されるのです。” P161


【参考】賢明な人間とは、霊的視点から地上人生を眺められる人のことであり、すべての体験は霊的成長への学びとして受け止め努力することによって人間性が磨かれ強化される、とシルバーバーチは語っています。前記の心の奥深くにある内なる霊的な力とは、神の分霊として有する神の力、生命力、霊力のことであり、一人の例外もなく私たちの内奥(本当の自分・霊魂)に霊的な能力として宿しています。これあるがゆえに、神や背後霊への祈りをとおして背後霊の導きや力添え、具体的には霊界の高級界から送られてくる霊力やインスピレーションの精妙な霊波を感じ取ることができるのです。

 

6.内在する“霊的な力”を活用するには、“神とその摂理への適合と信仰”が必要です 


“その昔イエスは「地上を旅する者であれ、地上の住民となる勿れ」と言いました。
というのは、地上の人間は死後の存続など霊的摂理への信仰を持たないために、それで霊的法則は働くことができないのです。(Because the people of your world have not the faith, then the Law cannot be put into operation.:Teaching of Silver Birch  P54) ” P98
(注:和訳ではこの赤文字の箇所が抜け落ちています)


【参考】困難や試練にあっては、霊的摂理や背後霊を信じて祈り、導きや護り、救いなどの霊的法則が働きやすいように霊的摂理に適合するべく努力をすることです。

 

7.内在する神性の開発(神の顕現化)は永遠に続きます 


―これからも、これまでのように苦難の道が無限に続くのでしょうか。


“そうです。無限に続きます。苦しみや困難という試練を通して内部の大霊(神性)が開発されます。苦難によって神性は試されるのです。金塊がハンマーで砕かれ精錬されて初めてあの輝きを見せるように、内なる神性も苦難の試練を受けて純化され、強化され、洗練されることになります。” P225


―そうなると、死後に天国があるという考えは意味がないのでしょうか。


“今日のあなたには天国のように思えることが、明日は天国とは思えなくなるものです。
というのは、真の幸福は今より少しでも高いものを目指して不断の努力をするところにあるからです。” P225

 

“すなわち人間は誕生という過程において賦与される霊的遺産を携えて物的生活に入るのだということを教えてあげたいのです。生命力はいわば神の火花です。(あなたの)本性は霊です。
それが肉体と共に成長するように意図されているのです。ところが大多数の人間は肉体にしか関心がありません。中には精神的成長に関心を抱く者も幾らかいます。が、霊的成長に関心を抱く者はきわめて少数に限られております。永続性のある実在は霊のみです。もしも私たちの尽力によって人間を霊的本性を自覚させることに成功すれば、その人の人生は一変します。生きる目的に目覚めます。自分という存在の拠ってくる原因を知ります。これから辿る運命を見極め、授かった霊的知識の意味をわきまえた生活を送るようになります。いたって簡単なことなのですが、それが私たちの活動の背後に目論まれた計画です。”

(「シルバーバーチの霊訓」 一巻 P97 スピリチュアリズム普及会発行)

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令和3年11月)

自由意志は魂の成長度によって規制されている” (雑記) (2021.10.26) 


私たちは試練や困難、苦しみにあうと、どうしても不安、心配、恐れや取越苦労などに捕らわれます。その結果、心配や不安という牢獄に心が捕らえられて他のことには一切気が回らなくなります。これを心の自由度が低くなると言います。
すなわち、神や背後霊からの霊的約束や導きを忘れているか、もしくは信じておらず、心の自由度が低くなるため、一連の霊的法則や霊的約束を有効に活用することができなくなります。
そのことは、本来内在している自分の力のほんの一部しか発揮できていないことになります。
しかしながら、私たちにはそのこと自体の自覚もなく、また、分かってもいないとシルバーバーチは語っています。


つきましては、今月の寸感のタイトルである“自由意志は魂の成長度によって規制されている”に関連すると思われる霊訓を引用し、もう少し詳しくこの問題を考えてみましょう。


A)“この私も含めてすべての人間は、暗闇の中を模索して光を見いだしたとき、摂理の存在に気づいて感嘆するようになります。しかし摂理の存在に気づかないうちは、それを偶然とか思いがけない出来事であると考えます。が、改めて申し上げますが、偶然というものはありません。そう言うと、では自由意志はどうなのか、とおっしゃることでしょう。人間は自由意志を持っています。しかし、その自由意志は魂の進化の程度に支配されています。自由とはいっても、魂の成長度によって規制されているということです。
(シルバーバーチの教え 下巻 P79 スピリチュアリズム普及会)


B)“霊的段階を高く上がるほど、自由意志を行使できる範囲が広くなります。つまり現在のあなたが、あなた自身の限界をつくっているということです。しかし、あなた方は大霊の一部であるがゆえに、地上世界で生じるあらゆる困難や障害を克服することができるのです。”
(シルバーバーチの教え 上巻 P80 スピリチュアリズム普及会)


C)“とにかく挫けないことです。潜在する力(霊力)を活用しても克服できないほどの大きな困難や障害は絶対に生じません。他人が故意に与える困難も、内在する力を発揮して立ち向かえば必ず消滅します。あなた方は地上生活において、自分の力のほんの一部しか発揮していないことがお分かりになっていません。
(シルバーバーチの教え 上巻 P178 スピリチュアリズム普及会)


D)“内部に宿された神性を発揮しさえすれば――高級界から受ける霊力とインスピレーションを活用する霊的法則さえ身につければ、神の意図された通りの生き方ができるようになります。”
(シルバーバーチの霊訓 三巻 P80 潮文社)


E)“もしどの方向に進むべきか分からなくなったときには、いったん休止して心の平静を取り戻すことが大切です。そして霊界からの指導と援助を求めて祈るのです。
私たちへの絶対的な信頼と確信があるなら、与えられる援助と霊力とインスピレーションに限界はありません。” 
(シルバーバーチの教え 下巻 P87 スピリチュアリズム普及会)


F)“地上の人々が信仰心を持たないために、それで霊的法則が働くことができないのです。
Because the people of your world have not the faith, then the Law cannot be put into operation.
(Teaching of Silver Birch P54)
参考:F)は原文にはあっても和訳からは抜け落ちています。

 

【考察】
摂理や背後霊への信頼が高まると、心配や不安、取越苦労などの囚われが少なくなり、その分、心が解放され、心の自由度が広がります。すなわち、信仰心が高まると霊界からの霊的な力や高度のインスピレーション、叡智や悟りが流入し、霊的摂理の存在に気づき理解度がより高まる結果、不安や心配、恐れという心の牢獄から解放されることになります。
そして、魂が成長すると信仰心も高まり、自らの自由意志を行使できる自由度がより広くなります。


以上を整理してみますと、 (以下のアルファベットは前記霊訓のそれと一致しています)


A) あなたの自由意志は魂の進化に規制されています
● その自由意志は魂の進化の程度に支配されています。自由とはいっても、魂の成長度によって規制されているということです。


B) 私たちは大霊の一部なのです
● しかし、あなた方は大霊の一部であるがゆえに、地上世界で生じるあらゆる困難や障害を克服することができるのです。


C) 私たちは自分の力のほんの一部しか発揮していません
● 潜在する力を活用しても克服できないほどの大きな困難や障害は絶対に生じません。(中略) あなた方は地上生活において、自分の力のほんの一部しか発揮していないことがお分かりになっていません。


D) 霊力を活用する霊的法則を身につけること
● 高級界から受ける霊力とインスピレーションを活用する霊的法則さえ身につければ、神の意図された通りの生き方ができるようになります。


E) 神とその摂理への信仰、及び高級霊への信頼があるならば、霊力に限界はありません
● 霊界からの指導と援助を求めて祈るのです。私たちへの絶対的な信頼と確信があるなら、与えられる援助と霊力とインスピレーションに限界はありません。


F)霊的法則が働くには信仰心が必要です
● 正しい霊的知識に基づいた神とその摂理への完ぺきな信仰と自信と信念に満ちているなら、高級界からの霊力とインスピレーションを活用することができます。(霊的法則の活用)


【マトメ】
私たちは大霊の一部であるがゆえに、本当は地上世界で生じるあらゆる困難や障害を克服することができ完全な安らぎも得られるのですが、残念ながら私たちには大霊としての自覚が全く無く、その内在する力のほんの一部しか発揮していません。それは魂の成長度に応じて、自由意志を自らが規制しているからです。
神とその摂理、及び背後霊への信仰度に比例して、心の囚われが無くなり自由度が広がりますが、この霊的法則を働かせ活用するには信仰心が必要となるのです。

 

“地上世界が必要としているものは、人類を霊的に、精神的に、そして物質的にも自由にしてくれる単純な真理です。”
(シルバーバーチの教え 上巻 P71 スピリチュアリズム普及会)

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令和3年10月)

完全なる安らぎ” (雑記) (2021.9.30) 


―正しい霊的知識は恐れを打ち払います―


今回はとても長い霊訓の引用文となります。
その理由は、シルバーバーチが地上界へ霊的真理の普及に派遣された真髄が、ここに語られているように私には思われるからです。正に本のタイトル通り、これまで地上人類に知らされていなかった“重大な秘密”が明かされているのです。
私やあなたがいかなる人間であろうとも、その語りかける相手には一切の前提条件をつけずに語られています。唯一、そこにあるのは私たちにその内容が受け入れられるかどうか、ただそれだけが問われています。
年齢に関係なく今からでも人生の真の目的を知り、力強くこの地上世界を歩みたい方は、是非ご自身のこととしてじっくりと時間をかけ、何度も何度も繰り返し繰り返し一字一句味読されることを強くお勧めいたします。数回読み返す程度では、表面づらを読んだだけで真に理解することはできず、当然、身につけることもできません。
なお、ここでの近藤千雄訳の“完ぺきな信念”ですが、原文では“perfect faith”となっています。当時の交霊会は英国というキリスト教国で語られていますので、自分自身のことである“完ぺきな信念”よりも、本来でしたら神(大霊)に対する“完ぺきな信仰”と訳されるべきものだったと思われます。そこで、ここでは“信念”を“信仰”に置きかえることにいたしました。多くの無宗教の日本人にとっては馴染まないかもしれませんが、神とその摂理(宇宙の法則)を“完ぺきに信じて仰ぐ”という意味に受け取ってください。
また、原文の“you”という和訳は複数形の“あなた方”や“皆さん”となっていますが、ここでは“あなた”個人に霊界からシルバーバーチが直接語りかけているということを意識して、あえて“あなた方”から“方”を省き、また“皆さん”を“あなた”の単数形といたしました。

 

「シルバーバーチの教え」 上巻 六章 “すべてを支配する神の摂理” から
ーこれまで地上人類に知らされていなかった“重大な秘密”が明かされるー より 
(P93~103 スピリチュアリズム普及会発行)

“大霊は無限の存在であり、あなたはその大霊の一部です。もしも完ぺきな信仰(perfect faith)をもち、正しい人生を送れば、大霊の恩寵にあずかることができます。
地上界の全ての人が完ぺきな信仰をもてば、大霊はそれぞれの願いを喜んで聞き入れてくださることでしょう。魂が真剣に求め、しかも大霊に対する完ぺきな信仰(絶対的な信念)に燃えていれば、必ずやその望みは叶えられることでしょう。神の摂理はそのようにして働くのです。摂理に順応した生活を送っていれば、望み通りの結果が生じるようになっています。結果が出ないということは、摂理に一致した生き方をしていないことを示しています。
歴史をひもといてご覧なさい。最も低い階級、最も貧しい環境にありながら、神の摂理に忠実に従う努力をしたために道を踏み外すことがなかった人たちがいます。摂理に合わせようとしないで、なぜ神は働かないのかと不平ばかり言っている人間を相手にしてはいけません。


時には押しつぶされて不遇から抜け出せないこともあるでしょう。しかし、完ぺきな信仰に燃えていれば、いつかはきっと地上生活での困難を克服することができます。大霊の象徴である太陽に向かってこう言うのです―  「私は大霊の一部だ! 私を破滅させ得るものは何もない。永遠の存在なのだ! 無限の可能性を秘めた存在なのだ! 有限の物質界のものは決して私を傷つけることはできない!」 と。もしもこれだけのことが言えるようであれば、あなたが傷つくことは絶対にありません。
多くの人が心に不安や恐れを抱いて出発します。望み通りの結果が得られないのではないか、という不安です。その不安の念がバイブレーションを乱すのです。しかし「完全なる愛は恐れを取り除く」(ヨハネ第一の手紙四)、「まず神の国とその義を求めよ。そうすればそれらのものはみな与えられるであろう」(マタイ六)との言葉があります。これは、遥か遠い昔、摂理を完ぺきに理解した人物(イエス)によって述べられた教えです。彼は摂理を実践すれば常にその結果がともなうことを示してみせたのです。あなたも、摂理が働くような条件を整えさえすれば、必ずや望み通りの結果が得られます。


もう一つ別の摂理をお教えしましょう。それは何の代価も支払わずに入手できるものは、この地上界には何ひとつないということです。代価を支払わずに(without you pay the price)霊的能力を開発することはできませんし、魂の富(霊的成長)を蓄えることはできません。霊的成長をおろそかにして金儲けにうつつを抜かしていると、そちらの世界では金持ちと言われても、こちらの世界では哀れな貧しい魂になってしまいます。


人間はその内部に、何よりも貴重な神(性)を宿しています。あなたは大霊の一部なのです。地上のどこを探しても、それに匹敵する宝や富は存在しません。私たちは、魂の内部の鉱脈を探査し、肉体的本性の奥に埋もれた霊のダイヤモンドをいかに引き出すか、それをお教えしようとしているのです。
そのためには霊界の最高の界層のバイブレーションに反応するようになっていただかなくてはなりません。あなたは決して一人ぼっちではないこと、周囲には常にあなたを愛する大勢の霊がいて、見守り、導き、援助し、鼓舞しようと求めて(して待機して)いることを知っていただきたいのです。
そうした中で霊性が開発されて行くにつれて少しずつ大霊に近づき、その摂理と調和していくようになることを悟っていただきたいのです。(as you unfold your own spirit, realize that you are being drawn  closer to the greatest Spirit of all, becoming more in unison with his Law.)


あなたは、大霊の子である地上の同胞に奉仕することによって大霊に奉仕することになります。同胞のために役立つことをしている時、大霊の無限の腕に抱かれ、その愛に包まれ、それが完全なる安らぎ(perfect peace)をもたらしてくれることになります。
何の根拠もなく、ただ信じるというだけの信仰では、厳しい試練の嵐が吹けばひとたまりもなく崩れてしまいます。しかし、正しい霊的知識から生まれた信仰には確固たる土台がありますから、いかなる試練の嵐に遭っても揺らぐことはありません。
証拠を何一つ見なくても信じることが出来る人は幸せです。しかし、この宇宙が大霊の愛と叡智から生まれた霊的摂理によって支配されていることを信じることができる人は、なお一層幸せです。
その意味で、ここにおられる(ハンネン・スワッファー・ホームサークルの)あなた(シルバーバーチの霊訓を信じることができる人)は、霊的知識から生まれた完ぺきな信仰をもたなければなりません。あなたは霊力の証を手にしておられます。万事うまくいくという信仰、大霊の摂理と調和して生きればそれ相当の実りを手にすることができるとの信仰を持たなければなりません。
人間は邪悪と呼ばれるものの影響を受けてしまいます。しかしその邪悪なるものは、心の中から完全に追放することができるのです。なぜならあなたは、大霊とその摂理の保護のもとに生き、行動しておられるからです。
心に邪悪なものがなければ、善なるものしか近づけません。善なるものは善なるものが支配するところにしか存在できないからです。霊界からこの交霊の場に訪れるのは大霊の使者のみです。
恐れをもつ必要はありません。あなたを包み込んでいる力、あなたを支え導き鼓舞せんとしている力は、大霊から発しているのです。その力が試練と苦難に際してあなたを支えてくれます。嵐を鎮めて晴天とし、絶望の暗闇から知識の光明へと導いてくれるのも、その力です。あなたは進歩の正道をしっかりと踏みしめておられます。不安に思うことは何一つありません。
「完全なる愛は恐れを取り除く」とイエスは述べていますが、正しい知識は恐れを打ち払います。恐怖は無知から生じるものだからです。(大霊への)愛と信仰と知識のあるところに恐怖は居すわることはできません。進化した魂は、いついかなる時も恐れることがありません。人生のどのような局面に際しても、自分は大霊であるがゆえに克服できないものはない、との確信があるからです。
恐怖心は魂の牢獄をつくります。ですから恐怖心が頭をもたげかけたら、その波動に巻き込まれることなく、それを抑え込み、信仰をもってこう自分に言って聞かせるのです―  「自分は大霊なのだ。地上の出来事で動揺などしない。魂に宿る無限の霊力でいかなる困難も凌いでみせる」と。あなたは、あらゆる困難を克服する力を授かっているのです。その無限の力を見限ることがあってはなりません。
大霊の法則は、物的なものと霊的なものの両方を支配しております。宇宙という大霊の王国には、そうした区別はありません。物的生命を霊的生命から切り離して考えてはいけません。本来は別個のものではないのです。一つの大生命があり、それに幾つもの側面があるに過ぎません。物的なものは霊的なものに反映し、霊的なものは物的なものに反映します。
大霊の摂理に一致した生き方をしているかぎり、克服できないような困難は生じないということを知らなければなりません。遭遇している困難や障害が取り除かれてしかるべきものであるなら、私たちの力で排除できないものはありません。


もしも苦しみが余りにも耐えがたく思われるときには、こう理解してください。私たち霊界の者は、あなたの苦しみを取り除くために自分自身の進化の歩みを止めて努力します。しかしあなたとしては、その苦しみに耐え抜き、辛い体験を通して教訓を学び取る方が賢明であるということです。この短い地上人生のことだけを考えてはいけません。永遠の生命を視野におくことです。
物質界の人間も、物的であると同時に、神(性)を宿していることを理解すれば、どれほど地上で生きやすくなることでしょう。悩みはたちまち消え去り、障害物も取り除かれることでしょう。ところが人間は内在している霊的な力(神)を信じません。あなたのいう“人間らしさ”とは地上界だけに属するものですが、霊力は大霊に属しているのです。


その昔、イエスは「地上を旅する者であれ。地上の住民となる勿れ」と言いました。地上人はお金を持っている人間ほど悩みが無いと思いがちです。“悩み”というものが相対的なものであることに気づかないのです。大霊の摂理を金銭(お金の多寡)でごまかすことはできません。
あなたは人間性を強化するために地上界へ来ています。それがなされるかどうかは、遭遇する難問にどう対処するかによって決まります。内在する霊力によって克服できないような問題は、地上には生じません。なぜなら、いかなる難題もしょせんは地上的・物質的なものにすぎないからです。あなたは大霊の一部であり、神(性)を宿していることを忘れてはなりません。(and you are part of the Great Spirit, divine.)
真の幸福とは、大霊と一体になった者に訪れる安らぎのことです。それは心が大霊のリズムで鼓動し、大霊の意志(摂理)と一致し、魂と精神が大霊と一つになっている状態のことです。大霊の摂理と調和しているから安らぎがあるのです。それ以外に安らぎは得られません。
この私にできることは、その摂理についてお教えすることだけです。イエスは二千年前に「天国はあなたの中にある」と言いました。外部のどこかにあるわけではありません。ましてや物質界の喧騒の中には存在しません。それは魂の内部に見出されるものなのです。


神の摂理は絶妙なバランスを保ちながら完ぺきに働いていますから、いかにそれをごまかそうとしても不可能です。どのような人間も、罰せられるべきものが見逃されたり、報われるべきものが見落とされたりすることはありません。物的な目で永遠を判断してはいけません。より大なものを見ないで小さなものを裁いてはいけません。
束の間の地上的な喜びと永遠の霊的な幸福とを混同してはいけません。地上的な喜びは安っぽい一時のものに過ぎません。あなたは地上的な観点から考えがちですが、私たちは霊的な目で見ます。あなたを喜ばせるために摂理を曲げて説くわけにはまいりません。
霊界から地上界に戻ってきた者(交霊会に出現した霊)に尋ねてごらんなさい。誰もが「摂理は完ぺきです」と答えるはずです。そして二度と地上へは再生したがりません。あなたは外部に安らぎを求めようとしますが、私はあなたの内部にある永遠の安らぎ(the eternal peace)を見出させてあげたいと努めています。最も価値あるものは内在する霊的宝なのです。


常に何かしら不満を抱いている人がいるものです。それは地上世界だけでなく、こちらの世界でも同じです。彼らが満足できないのは、自分がもっと完ぺきになれると思っているからです。神の道具として、まだまだ十分ではないと思っているからです。まさに人間は、自己との闘いを通して自らの不完全さを克服し、神性の開発が可能になるのです。”

 

前記の霊訓の中で、“あなたは大霊の一部です”は6回、“完ぺきな信仰”は5回、“安らぎ”は4回、そして“摂理と調和した生活”は9回も繰り返しシルバーバーチは語っております。
よって、これら4つの言葉は、正しい霊的知識としていかに重要なキーワードであるかが分かります。
内在する霊力とは、私たちの内には神(大霊)を宿しているという意味です。また、摂理(法則)とは神の顕現であり、摂理と一致した生き方をするとは、内外の摂理の神と一体になるということです。


それでは今回明かされた“重大な秘密”について以下纏めてみます。
Ⅰ. 霊的摂理が働く条件  

  1. “あなたは大霊の一部です”の自覚。 (P95)
    神(大霊)を宿しているために、私たちには“内在する霊力”、すなわち生命力(神)があるのです。

  2. 神とその摂理への信仰(信頼)で、不安や恐れの念を抑え込む。 (P93)

  3. 霊的摂理を正しく理解し、摂理に一致・調和した生活をおくる。 (P93)

  4. あなたは決して一人ぼっちではないこと、周囲には常にあなたを愛する大勢の霊がいて、見守り、導き、援助し、鼓舞しようと求めていることを知り、霊界の最高の界層のバイブレーションに反応するようになること。 (P95)

“正しい霊的知識から生まれた完ぺきな信仰をもたなければなりません。あなたは霊力の証を手にしておられます”と、シルバーバーチは交霊会で語っておられます。
しかしながら、私たちは霊的真理を学んでいるからといって、いきなり“完ぺきな信仰”をもつことはできません。また同様に、いきなり“私は神(大霊)である”との確信を持つことは絶対にできません。その証拠に、知識はあっても私たちにはいつまでも不安、恐怖心や心配が居すわっているからです。いくら霊的知識を学んでいても信仰心が十分ではなく、いつまでたっても地上的観点から物事を見るくせは、そう簡単には変わらないということです。


では、一体どうすれば霊性が開発されて“神とその摂理への完ぺきな信仰”をもつことができるのでしょうか。
ここにそのヒントになると思われることをシルバーバーチは同じ章で次のように語っています。

 

Ⅱ. 霊性が開発されるには・・・
1.霊性の開発には代価の支払いが必要です  
“何の代価も支払わずに入手できるものは、この地上界には何ひとつないということです。”(P94) (Without you pay the price.)


この地上世界では、汗水を垂らして自ら努力をしなければ何も変わりません。物質界での「原因と結果の法則」は、行動や実践がなければ何一つ変わらないということです。

2.それでは、いかにして霊性が開発されるのでしょうか

  • ①“あなた方一人一人の内部に宿された霊性が発達(開発)するのは、日常生活で生じる問題をいかにして解決していくか、その努力をしている時です。何もかも楽に片づいているうちは成長しません。”  (P102) 

  • ②“あなたは人間性を強化(霊性の開発)するために地上界へ来ています。それがなされるかどうかは、遭遇する難問にどう対処するかによって決まります。” (P99)

    ③“まさに人間は、自己との闘いを通して自らの不完全さを克服し、神性の開発が可能になるのです。” (P100)


3.そして、少しづつ摂理と調和しながら“完ぺきな信仰”を目指します。
“そうした中で霊性が開発されていくにつれて少しずつ大霊に近づき、その摂理と調和していくようになることを悟っていただきたいのです。” (P95)

 

この地上世界で私たちは試練や困難、苦しみなどの様々な体験をいたします。その都度、摂理に照らし合わせて信仰実践で心配や不安の念を抑え込む努力をして、摂理と一致・調和するように心掛け、少しずつ“神とその摂理への完ぺきな信仰”を目指すことになります。そのためにはどうしても霊的摂理を適用する実体験と確認作業が必要となり、長い学びの時間がかかります。
次に、このことをもっと詳しく検討してみましょう。
試練や困難、苦しみがないと私たちは霊訓を求めないし、霊的知識が心に入ってこず、結果として摂理は学べず身につかないのです。丁度、のどが乾かないと飲みたくないのと同じことです。
ところが、シルバーバーチは試練や苦しみにあって、心配や不安の念を一切もたないようにと強く私たちに要求しています。その理由は内外の霊力が身体へ流入するのを不安のオーラが妨げるからです、と述べています。
試練や困難、苦しみは霊的知識の学びや霊的成長には必須だが、心配や不安の念を一切もってはいけないという矛盾に、私たちは一体どう対処すればよいのでしょうか。心配や不安、苦しみのないものは、試練や困難とはいわないのではないでしょうか。
この矛盾を解決するためには、霊的約束や背後霊の見守り、導きや援助を信じるという神やその摂理への信仰が必要となってきます。
つまり日常の試練や苦難は、実は摂理への“完ぺきな信仰”を目指して信仰実践の訓練をしていることになります。スピリチュアリストだからといって、因果律やカルマ、さまざまな試練、困難や苦しみから逃れることはできません。逆に言うと、スピリチュアリストだからこそ霊界から導かれて、霊性の発達に必須の何が正しい霊的知識なのかを様々な苦の体験を通して学ばされるのです。


私たちがいかに弱くて間違いを犯しやすい未熟な人間であろうとも、例外なく決して一人ぼっちではありません。私たちを愛している大勢の霊が見守りや導き、援助しようと求めていることをシルバーバーチによって知らされました。
ここで見落としがちですがとても大切なこととして、“摂理と調和した生活”をしているかぎり、霊界からの護りや導き、援助などが得られるという霊界からの約束を固く信じることも、“摂理に調和した生活”そのものである、ということを決して忘れてはいけないのです。


Ⅲ. 永遠の安らぎ(the eternal peace)
前記の霊訓から“安らぎ”を列記すると、
● あなたの内部にある永遠の安らぎ(the eternal peace)  (P100)
● 大霊と一体(一つ)になった者に訪れる安らぎ(only one peace)  (P99)
● 摂理と調和(一致)しているから安らぎがあるのです  (P99)
● 大霊の無限の腕に抱かれ、その愛に包まれ、それが完全なる安らぎ(perfect peace) をもたらしてくれます (P95)

  となります。


私たちは大霊(神)の一部なのです。私たちの内部にその大霊を宿していることを自覚して、大
霊の意志である摂理と私たちの意志(魂と精神)を一致・調和させることが大霊と一体となるこ
となのです。そしてこのように大霊の一部として“摂理と調和した生活”をおくることによっ
て、摂理を味方につけ、摂理から保護されることになり、魂の内に“完全な安らぎ”を見いだ
すことができるとシルバーバーチは語っています。


次に、霊的成長のたどる道は次のようになります。


「シルバーバーチの霊訓」を何度読んでも霊的摂理や約束をすぐに忘れてしまう。
⇒ 何遍も繰り返し読み返すことによって、あくまでも知識として覚える。
⇒  それでも物事を地上的視点で見るため、一向に心配・不安の念が絶えない。
⇒  結果として、いくら霊的知識はあっても日常生活で霊的摂理が実践されていない。
⇒  神やその摂理に対する信仰が不足している。
⇒  正しく霊的知識を学び、信仰実践で摂理と調和する努力を日常生活で続ける。
⇒  霊的摂理の正しさや、霊的な証拠を繰り返し確認する。
⇒  霊的摂理に対する“完ぺきな信仰”へと少しずつ近づく。
⇒  摂理の神と一体感をもち、愛に包まれて“完全なる安らぎ”を見いだす。

 

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令和3年9月)

心の奥深くにある内なる霊力” (霊力) (2021.8.27)

 

“心が楽しければ楽しいほど、それだけ大霊の心に近いということを意味します。
忘れないでください。あなた(方)は大霊であり、地上のいかなるものも、あなた(方)を傷つけることはできません。それは、私がこれまでずっと言い続けてきたことです。この世的なことに煩わされている限り、その真意は分かっていただけないかもしれません。
この世的なことを無視しなさいと言っているのではありません。なぜなら、あなた(方)は地上で生活しており、社会の一員としての責任もあります。しかし、次のことだけは決して忘れないでください。あなた(方)は大霊であり、大霊はあなた(方)であるということです。あなた(方)の内にある大霊の霊力は、あなた(方)があらゆる物的なものに勝利するように導きます。
こうしたことを正しく理解するなら、それはあらゆる邪悪に抵抗し、あらゆる病気を克服し、あらゆる障害に立ち向かう力となるのです。
しかしその力を活用している人間は、ほとんどいません。イエスは二千年も前に「神の王国はあなた(方)の中にある」と教えているのですが・・・。”
(シルバーバーチの教え 下巻 P40 スピリチュアリズム普及会発行)


霊が肉体をまとい地上に生をうけることによって始めて自我意識が芽生え、私たち一人ひとりが個性を育み、完全(神)をめざすことになります。
私たちの内奥に潜在しているこの個霊こそが“本当の自分”であり、その“本当の自分”(霊魂)の身体をとおしての表現内容は非常に未熟で未完成ではありますが、前記シルバーバーチの霊訓のとおり私たちは一人の例外もなく大霊そのものを個霊の内に宿しているのです(神の分霊・神の火花)。そして私たちの生きる力、生命力はその大霊から来ているのです。表現方法を変えると、全ての生きものをとおして大霊がこの物質界に顕現しているといえます。
この大霊の一部を宿しているということが、あらゆる可能性をもった霊的な力(生命力・神)を私たちの内に有しているという担保(保証)となっており、それが霊的真理なのです。
そしてこの神の力、霊的な力を正しく理解し用いるならば、邪悪に抵抗し、あらゆる病気を克服し、あらゆる障害に立ち向かうなど、宇宙最大の万能の霊力を活用することができるのです。
その活用方法は、前回の“寸感”(2021.8月号)で述べたとおりです。


「うつ病」とは、強烈なストレスが長い期間続くために“霊魂、心、肉体”の三位一体の調和が乱れ、その結果、霊魂から来る生命エネルギー(霊力・気)の流れが遮断され活力が枯渇し生きる力(生命力)が減少して、肉体の脳が機能不全におちいるのです。部屋の中で心の内に一人閉じこもり、家族も含めて人との接触を一切断つというのは、対人関係がこの活力エネルギーをさらに一層消耗することになるからであり、本能的にとる一種の自己防衛反応なのです。

 

“内部に潜在する可能性について思い出していただきたいのです。あなた方一人ひとりが大霊なのです。皆さんの内部には、大霊の無限の霊力が秘められています。それを呼び覚まし顕現させるなら、前途に立ちふさがるいかなる障害も打ち破ることができるようになります。
大霊から賜った霊力を顕現させるのです。皆さん方一人ひとりが、自由に使用できる無限の霊力を秘めた大霊そのものであることを自覚すれば、新しい時代の真の道具になれるのです。     
(中略) ひるまず前進してください。これからも多くの失敗と落胆があるでしょう。しかし、そうしたときに忘れてはならないことは、背後には霊団が控えていて、困難に遭遇した時には元気づけ、疲れたときには希望と力を与え、落胆しているときには魂を鼓舞してくれるということです。見放されることは絶対にありません。大霊はご自分の使者を遣わし、皆さん方を守ってくれます。” 
(シルバーバーチの教え 下巻 P96 スピリチュアリズム普及会)

 

試練や困難に遭遇した時、何と言っても私たちに必要なことは、霊的視点に立ち戻り霊的摂理や背後霊への絶対的な自信や信頼、信仰をもつことではないでしょうか。
すべての地上体験は他界後に備えての“本当の自分”(霊魂)の成長のための肥やしなのです。シルバーバーチが語っているとおり、霊的摂理に順応し背後霊を味方につければいかなる試練をも克服し、勝利することができるという“信仰”が実践できるかどうかにかかっています。
手を抜かず自分なりに努力した後は、絶対に裏切ったり見棄てたりしないという背後霊や霊的な力を信頼して、霊界からの導きに全てを任せようではありませんか。

 

“一人ひとりの人間の内部には、いかなる病気も癒す力と、いかなる困難も克服する力が備わっているのですが、あなた方はまだそれを理解していません。人間は窮地に陥ったときに内部の貯蔵庫から霊力を引き出すことができます。このように神の王国は各自の内部にあるのですが、人々はそれをまったく理解していないのです。
その貯蔵庫から霊力を引き出すためには、大霊(神)の摂理にのっとった生活に徹すればよいのです。しかし、果たして何人の人がそれを心がけているでしょうか。”
(シルバーバーチの教え 上巻 P89 スピリチュアリズム普及会)

 

“とにかく挫けないことです。潜在する力(神の力・霊力)を活用しても克服できないほどの大きな困難や障害は絶対に生じません。他人が故意に与える困難も、内在する力(神の力・霊力)を発揮して立ち向かえば必ず消滅します。あなた方は地上生活において、自分の力のほんの一部しか発揮していないことがお分かりになっていません。”
(シルバーバーチの教え 上巻 P178  スピリチュアリズム普及会)

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令和3年8月)

もしも心配・悩み・疑いや不安の念に襲われたら” (霊力) (2021.7.30)

 

―内外の霊的な力を活用するための霊的法則― 

コロコロととても移ろいやすい私たちの心は言うに及ばず、いろいろと移り変わり過ぎ行くこの地上世界にあって、一体何が本当であり、一体何が永遠不変の本物なのでしょうか?


試練・困難・苦難は例外なく誰にでも必ずやってきます。そのため何となくも含めて常に不安や悩み・心配・恐れや疑いなどを感じ、習い性とまでなっております。先が見えず自信がないからです。
シルバーバーチは困難や苦難を受け、それらを克服することによって始めて魂“本当の自分”は強化され成長すると語っています。また逆に、霊界に戻ってからの進化に備えて、困難・苦難を体験し霊的に成長するため、わざわざ鈍重な肉体をまとって物質界という暗黒の世界に出生してきたとも述べており、むしろ困難や苦難を歓迎しなさいとまで語っています。
もしそうであるならば、私たちが不安、心配、悩みや疑いの念を宿した時に、いかにして立ち向かうかシルバーバーチ霊から学んでみましょう。


“私たちは地上人生を、地上的視点ではなく霊的視点から眺めます。
賢明な人間とは、すべての体験を魂の養分として摂取しようとする人のことです。
辛いことや煩悩の誘惑に流されず、心の奥深くにある霊的な力を活用して困難に立ち向かおうとする人のことです。そうした精神で臨んでこそ、人間性が磨かれ強化されるのです。” 
(シルバーバーチの教え 上巻 P161 スピリチュアリズム普及会発行)


“内部に宿された神性を発揮しさえすれば――高級界から受ける霊力とインスピレーションを活用する霊的法則さえ身につければ、神の意図された通りの生き方ができるようになります。”
(シルバーバーチの霊訓 三巻 五章 P80 潮文社発行)
(“If you would but allow that divinity which is within you to rise to the surface, if you would but learn the laws which are responsible for the full flowing of power and inspiration from higher spheres, you would begin to live as the Great Spirit intended that you should.”: Wisdom of Silver Birch  P43)


ここで“心の奥深くにある霊的な力を活用して困難に立ち向かう”(“But seek to use the innermost strength to face difficulties” Teaching of Silver Birch  P107)とありますが、この最も内側の、すなわち“本当の自分”(霊魂)の生命力である霊的な力を活用するには具体的にどのようにすればよいのでしょうか。
また、“高級界から受ける霊力とインスピレーションを活用する霊的法則さえ身につければ”(“if you would but learn the laws which are responsible for the full flowing of power and inspiration from higher spheres,” Wisdom of Silver Birch  P43)ともありますが、霊的法則とはどのようなもので、またそれがどうすれば身について、霊的援助である霊力やインスピレーションを受け取ることができるようになるのでしょうか。


今回はこの“霊的な力を活用するための霊的法則”の内容について、シルバーバーチの霊訓 十一巻 二章からヒントになると思われる箇所を抜き出してみましょう。


以下、シルバーバーチの霊訓 十一巻 二章より引用 潮文社発行


“あなたの人生思想の根幹となるべき霊的知識にまず絶対的自信を置くことです。そしてその知識だけでは処理できない事態が生じた時は、それに信仰(信念)を加えるのです。手にされた知識を根拠とした信仰です。信仰は、筋が通っていて論理性があり、納得のいくものであれば、その役目を果たします。(“Faith has its part to play when it is reasoned, logical and credible.”:Light from SB P143)
背後霊の存在を信じることです。機が熟した時に必要な援助があります。条件が整い、正当な必要性がある時は、背後霊は地上に物的な結果を生じさせる力があります。私たちもそれを何度もお見せしてきました。これからも必要に応じて行使します。
霊的知識を人に説く時は、背後霊は決して見棄てないことをよく言って聞かせてください。ですから、人間の方から背後霊を見棄てないように、ということも言い添えて下さい。” P33


“確固たる霊的知識に裏打ちされた完ぺきな信頼と自信と信仰(信念)がある時はその通路が開いており、受容性が高いのですが、そこへ不安の念が入り込むと、とたんに雰囲気が乱れて、通路を塞いでしまう要素が生まれます。
取り越し苦労は(霊的)無知の産物です。霊的知識をたずさえた者(スピリチュアリスト)が不安の念を抱くようなことがあってはなりません。同じく、悩みの念も、その中身が何であれ、成就されるはずのものを成就されなくしてしまいます。
私は何時も交霊会の開会に際してこう述べています─── “心配、悩み、疑い、不安の念のすべてを、しばし、わきへ置きましょう”と。霊力が存分に、そして自由に流入するのを、そうした念が妨げるからです。私たちを信頼してください。きっと道をお教えします。扉を開いて差し上げます。” P47


“霊的実在についての知識を手にした者(スピリチュアリスト)は、不安・心配・悩みの念を宿すようなことがあってはなりません。この種の感情は陰湿な性質を帯びております。活力に満ちた霊的エネルギーが届けられる通路を塞いでしまいます。生き甲斐ある人生にとっての必須の要素(霊力)が流入する上で不可欠な調和状態を妨げ、乱してしまいます。
視点を何時も永続性のある価値をもつものに置くこと(霊的視点)が大切です。” P51


“あなたはあなたなりに自然に振舞ってください。そうすれば霊側としての役目を果たします。その準備としてまず、“静寂の時”を持つように心掛けて下さい。日常生活の喧騒から離れた状態へ身を引くのです。すると内部の霊力がより大きく顕現して、人のために仕事をする上で必要な落着きと調和と愛と寛容が整います。
あせってはいけません。じっくりと構えるのです。” P56


[参考] この“内部に霊力”が存在する具体例として、困難・苦しみの最中にあってとても消極的になっている時に、発想の転換で物事の捉え方、心一つの置きどころによって、“目から鱗が落ちる”かのようにたとえ一時的ではあっても心は真逆の積極的となり、急にモリモリと活力が内から湧き出てくることからも分かります。
魂・心・肉体が三位一体となり調和がとれて、霊力(気)の流れが良くなるからです。


“心配してはいけません。心配の念はロクなものをもたらしません。心配の念は魂を蝕みます。心配の念は精神も錆びつかせます。心配の念はせっかくの霊的援助の通路を塞いでしまいます。” P59

 

以上の霊訓から、内部すなわち“本当の自分”(霊魂)からくる生命力(霊力)と、外部すなわち背後霊から送られてくる霊力が存在することが分かりましたが、その霊力を引き出し活用するために求められる条件(霊的法則)となるものを前記の霊訓からまとめてみましょう。


【内外の霊力を活用するための4つの条件】(霊的法則)

条件1.霊的摂理に絶対的な自信を置き、それに信仰を加える
● 霊的知識にまず絶対的自信を置くことです。そしてその知識だけでは処理できない事態が生じた時は、それに信仰を加えるのです。 P33
● 確固たる霊的知識に裏打ちされた完ぺきな信頼と自信と信仰(信念)をもつことです。 P47


条件2.背後霊を信頼する
● 背後霊の存在を信じることです。 P33
● 私たちを信頼してください。きっと道をお教えします。扉を開いて差し上げます。 P47


条件3.物事を霊的視点から眺め、心配、悩みや不安の念を宿さない

● 視点を何時も永続性のある価値をもつものに置くことが大切です。 P51
● 私たちは地上人生を、地上的視点ではなく霊的視点から眺めます。 (SBの教え 上 P161)
● 不安の念が入り込むと、とたんに雰囲気が乱れて、通路を塞いでしまう要素が生まれます。
霊的知識をたずさえた者が不安の念を抱くようなことがあってはなりません。 P47
● 霊的実在についての知識を手にした者は、不安・心配・悩みの念を宿すようなことがあってはなりません。 P51
● 心配の念はせっかくの霊的援助の通路を塞いでしまいます。 P59


条件4.静寂の時をもつ(瞑想・精神統一)

● 静寂の時を持つように心掛けて下さい。あせってはいけません。じっくりと構えるのです。 P56


以上の条件1~4を実践することによって、霊的法則として霊力を活用することができるようになります。すなわち、思いもよらなかった新たな展開やインスピレーションという形で霊界からの支援や叡智、導きを受け取ることができるようになります。
地上世界は“本当の自分”(霊魂)の霊的成長のためにあることを自覚し、霊的摂理を盾にして背後霊の援助のもと、逃げずに困難・試練に立ち向かうことが大切です。それには人の目で観る地上的視点から、シルバーバーチの目で観る霊的視点に切り替えて眺めることが必要となります。


この霊力の活用にあたって関連する大切な霊的知識として、やはり同じ十一巻 二章よりその一部を列記してみましょう。


“が、あなたがもし私と同じ位置に立って(霊的視点から)眺められたら、明日はどうなるかについての一切の心配も恐れも不安も消えてしまうことでしょう。あなたの背後には宇宙最大の霊力が控えているのです。その力は決して裏切りません。” P30


“それ(霊力)は絶対に裏切ることはありません。
あなた方は人間としての最善を尽くしておればよいのです。それ以上のことは要求いたしません。そして今のラテン語の通り、決して悲観的にならないことです。” P34

 

【霊力活用のプロセス】(霊的法則)
困難・苦難にあって、心配・不安・悩みや疑いの念を宿す

⇒ 消極的になって活力(生命力・霊力)が失われる

⇒ 読むそばから忘れているので、霊的摂理(SBの霊訓)を繰り返し味読する

⇒ 物事の判断基準を自我からその霊的摂理に置き換え、信仰実践する

静寂の時をもち、物事を地上的視点ではなく永遠の霊的視点から眺める

⇒ 霊的摂理の約束を堅く信じて、不安の念を宿さないように心掛ける

背後霊や霊力は決してあなたを見捨てないので、信頼してその導きにまかせる

⇒ 摂理への信仰に比例して背後霊の導きや内外の霊力が流入し、活力を取り戻す

⇒ 試練や困難を通して霊的摂理を自分のものにする
(この一連のプロセスの実体験を何度も繰り返す)


⇒ 神の意図された生き方、すなわち地上人生の目的である真・善・美、利他愛の方向へと魂が強化され成長する

 

“しかし同時に、知識には責任が伴うことを忘れてはなりません。あなたには崇高な(霊的)真理が託されているだけではありません。崇高な力、神の力、あらゆる可能性をもった生命力(霊力)そのものも託されているのです。” P43


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令和3年7月)

“キリスト教の間違い”(その2) (雑記) (2021.6.23)

 

―特に「エホバの証人」について― 

敬虔なエッセネ派であったと思われるユダヤ教徒のナザレのイエスが、はたして十字架上で死んだのかどうかは明確な証拠がないために判りませんが、磔刑によって私たち人類の罪を背負って死んだというキリスト教の身代わりの“贖罪説”は、旧約聖書が出来上がるはるか以前のバビロンにあった昔話“アダムとイブの物語”を“原罪”に関連づけて、巧妙にこじつけられ創られた“救済の教義”なのです。また、教祖に多い話として新約聖書にも記されているマリアの処女降誕の話や、東洋から来た三人の博士の話、盗賊とともに処刑され、その後、甦って墓の前に現れるという今から4000年前のバビロンの神“ベル”の話など、ハガバットキーダーや異教などから借用された話が聖書には多いのです。
325年と787年のニケア公会議で為政者(ローマ皇帝コンスタンティヌス一世など)の政治利用を目的として、あくまでも一人の人間であったナザレのイエスを神の座に祭り上げるため、前に記したように太古から伝えられた諸国のさまざまな伝説や神話、昔話、寓話などを寄せ集め書き加えられて現在の福音書や聖書は出来上がっているのです。(詳しくは「現代人の処方箋」P90~ M・H・テスター著 潮文社発行)
原典はバチカンの地下に収納されていると伝えられてはいますが、誰も見たことがないのです。

 

神の聖なる書ではなく、このように加筆修正され創作された人工の産物である「聖書」の一字一句を、比喩のたとえ話も含めて「エホバの証人」のように“神の言葉”としてそのままリアルに受け止めて信じ、且つ、人工的に創作された古代の物語の字面そのままを現代の日常生活で実践するという幼稚な愚を決しておかしてはいけません。ましておや、“エホバの証人”のようにこじつけて数字合わせで「最後の審判」(ハルマゲドン)の年を預言することは間違っており、その結果、「最後の審判」の年を何度も変更せざるを得なくなっているのです。これでは実のところを何も知らされていない無学無知な古代や中世の人々と信者は何ら変わらないということになります。

 

ナザレのイエスは霊的真理への理解が完璧で、現在に至るまで地上の誰よりも優れておりました。また、地上世界で最大限に発揮したその霊能力を自らのためには決して使わず、人のためにのみ使用しました。人間としての最高の模範を示された方でした。
しかしながら、ナザレのイエスのようなヒーリング能力や、いろいろな霊能力も決してイエスだけの専売特許ではなく、過去様々な人々によって行われてきました。これはイエスが聖書の中で、“よくよくあなたがたに言っておく。わたしを信じるものは、またわたしのしているわざをするであろう。そればかりか、もっと大きいわざをするであろう。”(ヨハネの福音書14:12)と述べられているとおりです。
一人間にすぎない私たちが、神であるはずのイエス・キリストよりももっと大きなわざが行えるなど、聖書の中にはキリスト教の教義とは矛盾する話も数多く見受けられますが、都合の悪いことには一切目をつぶり、“神の言葉”だからと盲目的に無理やり屁理屈で正当化しているだけなのです。

 

人は自分のまいたものを、刈り取ることになる。”(ガラテア6:7)という話も同様です。
キリスト教の教義として、他人の罪(原因)の身代わりとなって第三者(ナザレのイエス)がその罰(結果)を引き受け、当の本人にとってはその罪が無かったことにするなどということは、宇宙の根本原理である因果律(原因と結果の法則)に真っ向から反することであり、絶対に出来ないありえないことなのです。そうでなければ神の公正が保たれなくなります。罪の結果が自動的に自らに返ってきてその間違いに気づき、反省するからこそ私たちは精神的に成長できるのです。また、それこそが地上人生の目的なのです。
聖書の中でイエスも語っているように、実際の行為に至らなくても邪念を思っただけでも罪になるので、キリスト教の信者は常に罪意識に捕らわれてしまい、その罪の責任を屁理屈をつけて他人(神の子・イエス)に転嫁するというキリスト教の十字架の贖罪説から常時離れられなくなるのです。

 

「最後の審判」(エホバの証人のハルマゲドン)の話でもそうですが、人の犯した間違いや様々な犯罪行為にたいして神はわざわざ町を火で焼き尽くしたり、あるいは嫉妬と怒りに燃えた神をなだめすかすためにアブラハムに最愛の子の血の生贄を要求するようなそんなちっぽけな安っぽい、且つ、怒りっぽくて、疑い深い人間的な神ではありません。イエスが生贄となって十字架上で血を流して死んだという贖罪の教えも、よくよく考えてみると霊的に無知な古代人による、恐怖の神をなだめるための生贄の血の儀式とまったく同じことではないでしょうか。
さらにまた、大宇宙を創造し法則を維持経綸している神は、すぐに忘れてしまうために何度も繰り返しお願いしなければなかなか聞いてもらえないような認知症気味の老人でもありません。
キリスト教では神の恩寵(永遠の命・楽園)はイエスを神の子と信じた者だけに与えられると説いていますが、その代表例がハルマゲドンで恐怖心をあおっている“エホバの証人”です。何と情けない公正に欠けるケチ臭い神にキリスト教の教義や組織はしてしまっているのでしょうか。

 

シルバーバーチは交霊会で次のように語っています。
“イエスが愛と慈悲と優しさに満ちた父のごとき存在と説いた大霊(神)のご機嫌を取るために、なぜ(生贄の)血を流さなければならないのでしょうか。地上の人間は、一人の例外もなく、自分の努力で性格を築き、自分の努力で霊性を進化させていくために地上界へ来ているのです。

(シルバーバーチの教え 上巻 P154 スピリチュアリズム普及会)

政治利用や宗教組織を維持するために、人の手で捏造創作された「聖書」の話や人工の「教義」に、何も知らない無学無知の当時の人々と違い、インターネットで容易に霊的知識が学べる21世紀の理知的に進歩した私たち現代人は、決してこのような幼稚な作り話に盲目的になって洗脳されてはならないのです。
自分たちだけが選ばれた神の選民であり、そうなるために生命が助かる方法などをわざわざ考え出す必要は毛頭ないのです。私たちの“本当の自分”は永遠不滅の神の分霊(霊魂)であり、イエスに限らず全ての人は神の子ゆえ死は単に肉体を脱ぎ捨て霊体に置き換わるだけで、もともと“本当の自分”は死んでも死ねないからです。

 

“エホバの証人”をはじめとする熱狂的な信者で神の再臨、すなわち「最後の審判」(ハルマゲドン)を強く信じたまま他界すると、“最後の日”は待てど暮らせど一向にやって来ないため、何百年何千年といつまでたっても墓の中でラッパの音が鳴るのを待ち続けるということになります。そうなると地縛霊同様、霊人は幽界や霊界への次のステップへとスムーズに移行することができなくなるという悲劇(いわゆる成仏できない)に見舞われることになります。
このように間違った宗教の教義や神学は死後の霊的目覚めの妨げとなり、その悪影響は地縛霊が憑依現象をおこしている地上世界に限らず、霊的世界をも巻き込んだ大変由々しき事態となっているのです。

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令和3年6月)

“キリスト教の間違い”(その1) (雑記) (2021.5.27)

 

―人間の善悪の心と最後の審判― 

1848年に米国のハイズビルという村のフォックス家で、史上初めて霊界の霊人と地上の人間がラップ音の回数を文字化することによって、お互いに交流するという事件が発生しました。

これを契機に、その後の英国をはじめとする高名な学者達の詳細な科学的研究によって、死後の存続が事実であることが証明されました。現代では数々の証拠によって霊界の存在はすでに十分証明がなされているところです。偏見に囚われず、且つ、真面目に少し調べてみれば、すぐに判明することです。

しかしながら、いまだにキリスト教はこの事実を認めず、霊媒や霊能力は悪魔(サタン)の仕業と忌み嫌い、死後の世界(霊界)の知識を学ぶことを頑なに拒絶しています。「聖書」の中から一歩も外に出ようとしないのです。

そこで、キリスト教の教えを“霊的摂理”に照らして少し検討してみましょう。 キリスト教やその亜流の「エホバの証人」などが主張しているように、人はいわれのない「原罪」をもって生まれてきているのではありません。ナザレのイエスを神の一人子と信じる者だけがイエスの十字架上の贖罪によって罪を許され、「最後の審判」(ハルマゲドン)で天国に引き上げられ、「永遠の命」を得ることができるのでもありません。これでは神の公正が存在しないことになります。

さらに、「最後の審判」(ハルマゲドン)で信者以外は地獄の炎で焼き尽くされるか、永遠の苦しみにあわされると説いていますが、真実は全ての人間は神の子であるが故に、たとえ死にたくても絶対に死ねないのです。なぜなら、私たちの“本当の自分”はもともと永遠不滅の霊魂だからです。私たちは神の分霊であり神の一部を内在しているからです。神とのこの絆はいかなることがあっても永遠に切れることはありません。だからこそ私たちは永遠不滅であり、神と人間に対するイエスの仲介なども本来不要なのです。イエス同様、私たち全ての人間は一人残らず神の子なのですから。

イエスの語った“神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ。”(ルカによる福音書17:21)とは、私たち人間には“神が内在する”という意味なのです。

 

死とは、あくまでも単に肉体を脱ぎ棄てるだけのことなのです。私たちのこの肉体とは地上世界で自我意識を表現するために必要となる衣装道具なのです。そして霊界へは霊体を纏って行くのです。

永遠からみるとほんのわずかな時にすぎない間、私たちは地上世界で霊的成長のスタートを切り、死後、例外なく本来の霊界に戻って地上時代の個性をもって永遠に成長し続けるのです。

だからこそ、ペットも含めて真に愛する人同士は霊界で再会できるのです。

 

キリスト教で教えているように「最後の審判」(ハルマゲドン)が来ると、今まで墓の中で待機していた人々も含めて「天国と地獄」行に人間は分けられるのではないのです。 私たちはあくまでもバイブレーションの原理で、類は類を呼ぶというとおり、その親和力によって自らが引寄せる界層に行くだけのことです。何故そうなるのかと云うと、地上界であろうと霊界であろうと、そこには厳然と因果律が働いているからです。自己責任で人は蒔いた種(原因)のとおりのものを自分で刈り取る(結果)ことになるのです。

 

神に対峙する悪魔(サタン)もいません。

悪魔と呼ばれているものの実体は、霊的に未熟なため今だに地上界と幽界の接点(中間境)に捕らわれている貪欲で本能的欲望のとても強い地縛霊や低級霊のことなのです。 “悪”とは摂理に反する、あるいは摂理から遠くかけ離れた不完全な状態のことであり、本能心に近い自己中心のことです。そしてこの利己心は全ての人の心の内にもあるのです。

また、神性(善)すなわち良心(利他の心)も人間である限り全ての人の心の内にあります。

それはすべての人は神の分霊であり神が内在しているからです。要はその顕現程度の差なのです。この善悪の両極の心が人間にはあるからこそ、比較対照によって物事の良し悪しを判断することができるのです。光だけだと暗闇(陰)という概念がまったく理解できません。憎しみがないと“本当の愛”というものが理解できません。一つの概念を理解するためには、相反する体験が必要となります。この善悪両極の心が同一人物にないと、摂理(真理)を理解し利己から利他へと霊的成長ができないからです。人間は苦しみや困難という試練をとおして内部の神性が開発されるようになっていて、少しでも高いものを目指してこの苦難の道は無限に続くのです。
(シルバーバーチの教え 上巻 P225 スピリチュアリズム普及会)

人間が天使と根本的に違うのは正にこの点にあります。天使にはもともと悪の心は無いのです。人間だけに悪の心(摂理に反する心)があり、サタンと呼ばれているのも堕落天使のことではなく、霊的無知なため死後もなお死んだことが自覚できない霊的に未熟な地縛霊のことなのです。死後直後の世界はバイブレーションが粗いため物質界と非常によく似ているので、霊的に無知だと死んだことが自覚できず、特に貪欲で本能的欲望が強いとすぐ近くの物質界に囚われてしまい、幽界への次のステップに一向に進めないのです。そして地上の同じような波長の似た人間に同調し憑依するのです。

 

“身は霊界にありながら、意識としては完全に地上で生活しており、しかも下降の一途をたどっています” 
(シルバーバーチの教え 上巻 P170 スピリチュアリズム普及会)

 

対人関係や困難、苦しみ、悲しみ、病などの様々ないやなことを体験し、その比較対照をとおして霊的摂理を理解し、獣性から神性へと霊的に進化できるように、いろいろな霊的発達段階にある人々が混在する相対の世界;地上世界(物質界)が創造されました。  他人の苦しみ(闇)が理解できるのは、自らもその苦しみを経験しているからこそです。地上人生の目的も正にそこにあります。

 

“種子が暗い土の中に埋められるのは、養分を摂取して発芽後の成長に備えるためです。 それと同じく、人間の生命の種子が物質界という暗黒の世界に生まれてくるのは、霊界に戻ってからの進化に備えて地上生活での体験を積むためです。 地上人生のあらゆる体験は、大きな計画の中の一つです。落胆・挫折・悲しみ・痛み・・・これらは人間的心情からすればあって欲しくないものなのかもしれませんが、魂の進化にとっては、とても貴重な体験なのです。” 

(シルバーバーチの教え 上巻 P160 スピリチュアリズム普及会)

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令和3年5月)

“あなた方は今この時も霊的世界に生きているのです”(雑記)(2021年4月26日)

 

今世界中で新型コロナが蔓延し、内紛、民族の迫害、殺戮、戦争、領土の争奪、貧困、独善的な覇権主義など様々な悲劇が地上世界を覆いつくしております。他方、国内に目を向けると、世界の中でも特に豊かな社会であるにもかかわらず、毎日のように親子間も含めた殺人事件や自殺、性的被害や貧困問題、権力闘争等々が起こっております。大は戦争から小は虐待やいじめまで、正に地上世界は唯物拝金主義や利己主義の結果が生む様々な悲劇や不幸にあふれかえっています。はたして私たちはこれでも本当に進歩しているのだろうかとつい考えさせられます。


“なぜ人間は戦争をするのでしょうか。それについて皆さんはどう思いますか。なぜ悲劇を繰り返すのでしょうか、その原因は何だと思いますか。どうして人間の世界には悲しみが絶えないのでしょうか。
その最大の原因は、人間が物質によって霊眼が曇らされ、五感という限られた感覚でしか物事を見ることが出来ないために、万物の背後にすべてを一つに結びつけている大霊が存在していることが理解できないからです。人間は何かにつけて“差別”をしようとするため、そこから混乱が生じ、悲劇が生まれ、そして破壊へと向かうことになるのです。
前にも申しあげたように私たちは、あなた方が“野蛮人”と呼んでいるインディアンですが、あなた方文明人が忘れてしまった大霊の摂理を説くために戻ってまいりました。あなた方文明人は、物質界にしか通用しないシステム(唯物拝金主義)の上に人生を築こうと努力してきました。教育と教養を求め、大霊の摂理からかけ離れた文明をつくりあげようとしてきました。
人間世界が堕落してしまったのは、そのためなのです。古い時代の文明が破滅してしまったように、現代の物質文明は完全に破滅状態に陥っています
そのかけらを一つ一つ拾い上げて、永遠の霊的摂理の上に今一度築き直す、そのお手伝いをするために私たちは戻ってきたのです。それは私たち全員に大霊からの愛が流れており、その愛であなた方を愛しているからです。”
(シルバーバーチの教え 上巻 P31 スピリチュアリズム普及会)

 

あなた方は今この時も霊的世界に生きているのです。物質界での生活は永遠の人生におけるほんの束の間の時にすぎません。これが私たちからのメッセージの根幹をなすものです。
Our message always is that you are living now in the world of spirit, that the world of matter is but one reflection of an eternal life. (P24 Teachings of Silver Birch by A.W.Austen)


そのこと(今この時も霊的世界に生きている)にいち早く気づいた方が真理に忠実な生活を送ってくだされば、私たちの仕事もいっそうやりやすくなります。霊界からのメッセージに耳を傾け、心霊現象(シルバーバーチの交霊会など)の中に霊的真理の一端を見いだした人々が、我欲を捨て、可能なかぎり自らの魂を引き上げてくださるなら、なおいっそう大きな成果を上げることができるでしょう。”(シルバーバーチの教え 上巻 P37 スピリチュアリズム普及会)

私たちの身体は肉体と霊体の二重構造からなっており、肉体から霊体へのバイブレーションの切り替え次第で、今この時も意識して霊的世界とコンタクトを取ることが可能なのです。
但し、そのためには低級霊に憑依されないためにも霊的知識が必須であり、我欲を捨て、魂をできるだけ高めておくことはいうまでもありません。

なにも寝ている時だけ霊体で霊界に行くことができるのではありません。この場合は霊的世界のことはほぼ覚えておりませんが、それは顕在意識のキャパシティが小さすぎて意識に上がってこられないからだといわれております。
しかしながらそんな睡眠中ではなく、日々の生活の中で覚醒しながら意識して霊的世界に耳を傾けようではありませんか。その目的は、シルバーバーチが交霊会で私たちに約束しているように、霊界からの導きやインスピレーション等をとおしてより高度の叡智や悟りを届けてもらうためです。それは霊力の働きによるもので、それには制限がないそうです。
霊的知識のある私たちは、その内外の霊力を積極的に引き出すために、霊訓で述べられている“今この時も霊的世界に生きている”ことを積極的に意識する必要があります。何故なら、スピリチュアリストといえども頭(顕在意識)では知識として理解しているつもりでいても、この物質世界の五感の感覚があまりにも強烈すぎて霊眼が曇らされ、見えない霊界は死後の世界であり、死んでから初めて霊的世界に行くものと無意識に潜在意識の中で思い込んでいるからです。

“地上の道具(霊媒)が私たち霊界の者に正しい通路(the right channels for us to use)を準備してくれるならば、地上界へ届けられる叡智にも、インスピレーションにも、霊的真理にも、限りはありません。地上界を満たすべく用意されている強大な霊力にも制限というものはないのです。” (シルバーバーチの教え 上巻 P37 スピリチュアリズム普及会)

そこで霊界とコンタクトをとるためには、霊力やインスピレーションが届けられるための“正しい通路”を準備しなければなりません。摂理が働くような条件、それには不安や心配の念を極力とりはらい、心を静寂(精神統一)に保ち、我欲を捨て可能な限り自らの魂を引き上げることが求められます。そして霊的真理に忠実な生活を送り、心を高めて内在する大霊を顕現させる努力、具体的には霊主肉従・利他愛の実践・様々な困難や試練に対して摂理を適用する信仰実践の生活が、“正しい通路”を準備することになります。
物質界に限らず霊界でも通用する不滅の叡智や霊的真理をインスピレーションをとおして得る、すなわち高級霊からの精妙なバイブレーションに反応(波動をキャッチ)することができるのは、大霊の分霊として私たちの内部には霊力の貯蔵庫があり、神性(霊性)という霊的資質(受発信機)が内在しているからなのです。
私たちが地上世界にあっても、なお且つ、霊的世界を強く意識して今を生きるということは、地上生活を“霊的な目”で眺め、霊界や守護霊・指導霊などの背後霊を普段もっと身近に感じとり、霊界からの導きや交流をとおして背後霊と伴に、より高みを目指して地上人生を歩むということなのです。


“もし、地上の子供たちが(霊的)摂理の働きの中に霊力(霊の働き)を見いだすことを学べば、その昔、人々を鼓舞し、洞察力と勇気、奉仕への熱誠と願望を与えた霊力を今日でも活用することができるのです。” (シルバーバーチの教え 上巻 P50 スピリチュアリズム普及会)


神が顕現したものが摂理や霊力や慈愛であり、その摂理は霊力によって維持・経綸されています。この霊力が働くと、叡智や悟り・導き・救い・慰め・励まし・力づけ・勇気・インスピレーションなどの形で私たちに届けられます。
この霊的摂理を知識として学び、その霊的知識に忠実に“信仰実践”して生きるなら、日常生活のさまざまな局面で霊力が流れ込み、とても嫌なことも含めて“たまたまの偶然の出来事”としてこれまでは捉えてきた思わぬ展開が、霊的摂理に照らすと実は霊界からの導きや私たちを鍛えるための試練であったということに気づきます。そうなるとそれが悟りや叡智、励ましとなってモリモリと勇気や活力が湧いてきます。そして霊的にも成長することができるようになります。
このことが内外に存在する霊力を今日でも引き出して活用することができるという意味なのでしょう。ここでも摂理への“信仰実践”がとても大切なキーワードとなります。


“一人ひとりの人間の内部には、いかなる病気も癒す力と、いかなる困難も克服する力が備わっているのですが、あなた方はまだそれを理解していません。人間は窮地に陥ったときに内部の貯蔵庫から霊力を引き出すことができます。このように神の王国は各自の内部にあるのですが、人々はそれをまったく理解していないのです。
その貯蔵庫から必要な霊力を引き出すためには、大霊(神)の摂理にのっとった生活に徹すればよいのです。しかし、果たして何人の人がそれを心がけているでしょうか。”
(シルバーバーチの教え 上巻 P89 スピリチュアリズム普及会発行)

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令和3年4月)

“愛とは摂理の成就なり”(雑記)(2021年3月22日)

 

“私たちが忠誠を捧げるのは教義でもなく書物(聖書)でもなく教会でもありません。宇宙の大霊すなわち神とその永遠不滅の摂理です。”
(シルバーバーチの霊訓 四巻 P98 新潮社)

 

イエスは地上人類を救済する霊界の審議会の責任者として、今も地上界へ働きかけ、次の言葉を私たちに語り続けておられます。

 

“イエスは言われた、「心をつくして、精神を尽くし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ」。これがいちばん大切な、第一のいましめである。
第二もこれと同様である、「自分を愛するようにあなたの隣人を愛せよ」。
これらの二つのいましめに、律法全体(摂理の全体)と預言者(神の使い・イエス他)とが、かかっている。” 
(マタイによる福音書 22章 37~40) 

 

(And he said to him, “You shall love the Lord your God with all your heart, and with all your soul, and with all your mind. This is the great and first commandment.
And a second is like it, you shall love your neighbor as yourself.
On these two commandments depend all the law and the prophets.”   MATTHEW 22:37-40)

 

第一のいましめ:神を愛せよ(神=摂理への完璧な信頼)
第二のいましめ:隣人を愛せよ(利他愛の実践)
上記二つの愛のいましめに律法全体(all the law)はかかっている。

 

“全ての宗教の根幹でありイエスの教えの集約でもある、かの愛の名言(愛とは摂理の成就なり)は、全生命の主、無限の創造主たる大霊の名において私たちもその真実性を宣言するものです。” 

(シルバーバーチの霊訓 11巻6章 P162 新潮社)

 

The great message of love, which has characterized all religion, and which was epitomized in the teaching of the Nazarene, is still the one we proclaim in the name of the Great Spirit who is the lord of all life, the infinite creator.  More Philosophy of Silver Birch  P211 by Tony Ortzen) 

 

神は摂理・霊力・慈愛として顕現しています。
新約聖書での和訳はall the law を「律法全体」と訳されておりますが、「法則の全体」すなわち「摂理の全体」をも意味しています。そのため、愛の名言the great message of love は、上記二つの愛のいましめに「摂理の全体」はかかっている(on these two commandments depend all the law)と理解することができます。
そうなると、“愛とは摂理の成就なり”となります。

 

宇宙法則の根本原理は“原因と結果”の因果律にあります。
自らの罪(原因)は物質界、霊界を問わず自動的に清算(結果)させられます。
キリスト教でいうように、イエス・キリストを神の子と信じる者はイエスの十字架上の死によってイエスが身代わりとなってその罪を背負ったことになるので、その人の罪は赦されるという教えは、因果律の目的からするとありえない話なのです。

 

それでは何故ありえないのでしょうか? 

 

自分の犯した罪の結果が自らに返ってくることによって、始めて人は痛みを理解し反省をして、自ら償いをすることができるからです。また、それが公正・公平でもあります。こうして低い段階から反省を繰り返すことによって、徐々に魂は成長できるように摂理はなっているのです。埋め合わせの法則や、償いの法則としての敗者復活のチャンスも与えられています。
このように因果律は霊的成長のために神の慈愛から生まれた根本摂理なのです。
もしもキリスト教のようにイエスが他人の罪を背負ってその人の罪が帳消しになるのであれば、その人はいつまでたっても反省できず成長もできないことになります。地上人生の目的は、私たちの本体である霊魂の成長にあるからです。
もしもイエスによってのみ他人の罪の身代わりとなってその罪が赦されるのなら、神はえこひいきする人間的な神であり、神やその摂理の公平性、平等性や正義はなくなります。

 

また、“自分を愛するようにあなたの隣人を愛せよ”とは、霊的に見て私たちお互いは人種や国境を越えて神を共通の親とする魂の兄弟姉妹だからです。
理解しやすい例として、霊的な視点で他人を見るとき、我が子や我が親、我が祖父母、我が兄弟姉妹としてみると腹も立たなくなり、慈しみの心になるのとよく似ています。
私たちは神の創造された人間や動植物、自然を愛し、人の役にたつことによって、神に奉仕することになります。

 

以上の理由により、二つの愛のいましめを守ることは、霊的摂理を成就することになり、摂理と調和・順応して生きていることになるのです。
ナザレのイエスが2000年前に地上にもたらした“愛の理念”は、正にスピリチュアリズムそのものだったのです。

 

“かっても、大きな仕事をたった一人で始めた人がいました。その名をナザレのイエスと言いました。そのたった一人の人間が愛を基本理念とした新しい宗教の規範を地上にもたらしました。”
(シルバーバーチの霊訓 7巻 P54 新潮社)

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令和3年3月)

“愛とは感情ではありません”(雑記)(2021年2月25日)

 

唯物拝金主義社会に住んでいる私たちごく普通の人間にとって、イエスのいう“汝の敵を愛せよ”の利他愛は、霊的摂理の理解なしにはとてもできるものではありません。
“愛とは摂理の成就なり”(イエスの言葉)
ここでいう“愛”とは“真善美”、すなわち“愛と誠と調和”の愛であり、単なる好き嫌いの男女の恋心・恋愛の愛とは違います。
そこで真の愛についてもう少し考えてみましょう。

 

―愛とは感傷や感情ではありません―
“人は毎日の生活の中で、その行動がしぜんに愛の人であるようにならねばなりません。
愛とは感傷や感情じゃありません。
愛とは“善”を見ること、“神”を見ること、生活を通して“因果の理法”を理解することです。
愛するとはすべての人に寛容であること、日常生活のすべての出来事に我慢があることです。
すなわち辛抱・思慮深さ・親切とか柔和、そうあることです。
以上のすべての生活を一言で包含した言葉が―――愛、これです。”
(「自己を癒す道」ホワイト・イーグル P114 でくのぼう出版)

 

―霊的資質と愛―
“かくして霊的資質(霊性心)を十分に発揮するようになれば、その当然の結果として、豊かさと光輝と落ち着きと決意と自覚と内的安らぎが得られます。なぜならば、それは神が生み出した摂理と調和していることを意味し、さらには、各自がその一部を宿している神性の大源である神そのものと一体となっていることになるからです。”
(シルバーバーチの霊訓 十一巻 P205 新潮社)


神が顕現したものが、摂理=霊力=愛です。だからこそイエスは、“愛は摂理の成就なり”と語っているのです。さらにシルバーバーチは、イエスは摂理を完璧に理解していたとも語っています。

摂理と調和するということは、神と一体化するということであり、魂に宿る霊的資質(霊性心)を発揮するとは、“内在する神”を顕現させるということです。


摂理への絶対的な信頼や信仰
があれば摂理や霊界の背後霊に全託できるため、霊力の窓が開き霊力が流入する結果、心に余裕がでてきます。
今の自分は間違いを犯しやすく、とてもみじめな小さな存在でたとえ非力ではあっても、自らを摂理と調和(同化)することによって、宇宙を経綸している摂理とそれを維持している霊力を味方につけ強くなることができるのです。
イエスも聖書の中で、自分自身は取るに足らない非力な存在であるが、霊界を味方につければ強くなれると述べている場面があります。意識して霊的摂理と調和している限り、その摂理と背後霊が守ってくれるからです。
自らが水面上でアップアップして溺れているのに、他の溺れている人を救う余裕など持てるはずはありません。


そこでまずは、摂理に絶対的な信頼・信仰をもって“信仰実践”で生きることがファーストであり、全てに優先されます。何度も述べますが、その霊的摂理の中には守護霊や指導霊などの背後霊による導きや救いへの信頼もはいっています。
そして摂理への信頼度に応じて霊力の窓の開き具合は決まり、霊的成長度も並行して進みます。


摂理を正しく理解し、摂理と調和して霊的資質(霊性心)を発揮するようになれば、豊かさと光輝と落ち着きと決意と自覚と内的安らぎが得られます。その結果として寛容や我慢、辛抱、思慮深さ、親切、柔和、忍耐の人となり、愛の人となります。

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令和3年2月)

「霊力の通路の開き方」(霊の力)(2021年1月22日)

 

これまでこの“寸感”コーナーで何度も“霊力の活用”について述べてきましたが、この活用方法に関して普段理解しているようで実は実践できていないとても大切な点を、改めて明確にしてみたいと思います。

 

まずは“霊力を活用”するにあたって、その流れを順番に記していくと次のようになります。

 

1.“本当の自分”(霊)を強く自覚する
⇒2.霊的摂理に絶対の信頼を置き、摂理実践の努力をする
⇒3.自分の身の周りに起こる事象を霊的視点(霊的摂理を基準として)でとらえる
⇒4.ベストを尽くしたあとは、我を捨て摂理や守護霊に全てを全託する
⇒5.心配や不安がなくなる
⇒6.霊力の通路が開かれ、霊力が流れるようになる
⇒7.インスピレーションが入ってきて、時期が来ると導きのドアが開かれる

 

※ この霊力の通路を開くにあたって、心配や取越苦労という不安の念(オーラ)が霊力の流れを止め霊界からの支援を遮断するということは、知識として頭では理解していますが、現実には不安や心配の念が絶えません。
それでは、一体どうすればこの不安の念を取り除くことができるのでしょうか。
それには霊的摂理に絶対的な信頼・信仰・信念を置くことです。具体的には、シルバーバーチが永遠不変の真理・摂理として語っている言葉を信じて、それを信仰実践することなのです。
それでは以下、その裏付けとなる霊訓を上記の番号別に引用してみましょう。

 

1.“本当の自分”はその身体ではなく、霊なのです 

 

●物的なものだけに目を奪われている者は大きな過ちを犯しております。幻影を追いかけ、永遠の実在(霊)を忘れているからです。 
(シルバーバーチの教え 上巻 P105 スピリチュアリズム普及会)

 

●あなたがおっしゃるのは「物的なもの」という意味だと思いますが、それはその実在(霊)を包んでいる「殻」(身体)のようなものにすぎません。
(シルバーバーチの教え 上巻 P197 スピリチュアリズム普及会)

 

●本来のあなたは、地上で肉体器官を通して自我を表現している「意識体」(霊)なのです。
(シルバーバーチの教え 上巻 P211 スピリチュアリズム普及会)

 

あなた方は今もこの時も霊的世界に生きているのです。物質界での生活は永遠の人生におけるほんの束の間の時にすぎません。これが私たちからのメッセージの根幹をなすものです。
(シルバーバーチの教え 上巻 P37 スピリチュアリズム普及会)

 

2&6.霊的摂理に全幅の信頼を置き、それを実践して摂理を味方につける 

 

確かな霊的知識に基づいた、(摂理への)完璧な信頼と自信と信念に満ちている時は、霊力の通路が開かれ、霊力が受け入れやすくなります。が、そこへ不安の念が入り込むと、とたんに雰囲気が乱れ、通路をふさいでしまいます。
取越苦労は無知の産物です。霊的知識を知った人は、不安を抱いてはいけません。同じく悩みの念も、その中身が何であれ、達成できるものを達成できなくしてしまいます。
私はいつも交霊会の開会の時に、こう言うのです。
“心配、悩み、疑い、不安の念をしばらく脇へ置きましょう”と。
霊力が十分に、そして自由に流れ込むのを、そうした念が妨げるからです。
(シルバーバーチの霊訓 十一巻 P47~48 新潮社)
(Light from Silver Birch by Pam Riva  15:Mediumship  P151)

 

3.物事を霊的視点(霊的摂理)でとらえる 

●私たちは地上人生を、地上的視点ではなく霊的視点から眺めます。賢明な人間とは、すべての体験を魂の養分として摂取しようとする人のことです。
辛いことや煩悩の誘惑に流されず、(大霊の分霊として)心の奥深くにある霊的な力(魂に宿る霊力)を活用して困難(辛いことや嫌なこと)に立ち向かおうとする人のことです。そうした精神で臨んでこそ、人間性が磨かれ強化されるのです。 
(シルバーバーチの教え 上巻 P161 スピリチュアリズム普及会)

 

4&7.摂理と背後霊(守護霊・指導霊)に全託する 

 

私たち霊を信頼してください。
道を教えてあげます。ドアを開いてあげます。
閉め切られたドアをノックして開かない時は、あきらめなさい。
ノックしてすぐに開いた時は、真っすぐに突き進みなさい。
それがあなたにとって正しい道です。私たち霊は、そういう形でしか援助できないのです。
良い知恵をしぼって導くことでしか援助できないのです。あせってはいけません。
快く私たちの協力者になるだけでよいのです。そうすれば、私たちの役目を果たします。
(シルバーバーチの霊訓 十一巻 P48 新潮社)

 

●閉め切られたドアを、忙しく叩いてはいけません。自然に開くのを待つのです。
宇宙全体だけでなく一人ひとりの人間にも、きちんとしたプランがあります。そのプランが実現していくのです。私たち霊はそのプランのもとに、私たちの方法で私たちのタイミングで行動するしかないのです。人間の都合に合わせることは出来ません。
その理由の一つは、人間にはどうなるのが一番良いのかの判断が出来ないからです。
物質的にも精神的にも霊的にも、あなたに何が一番望ましいかを判断するには、私たち霊の方が有利です。
待つのです。ドアは開かれます。これまで何度も開かれています。
(シルバーバーチの霊訓 十巻 P172 新潮社)

 

5.ベストを尽くしたあとは背後霊に導きを全託し、摂理の約束を信じて心配や取越苦労をしないこと

 

一かけらたりとも心配の念を宿してはなりません。まったく無用のことです。心配の念は敵です。魂をむしばむ敵です。絶対に侵入を許してはなりません。
これまでに啓示された真理(霊的摂理)に全幅の信頼を置き、それを基盤とした信念に燃えることです。あなたにはスピリチュアリズムという知識があります。それを基盤とするのです。
つまり理性に裏づけられた確信、信じるに足る根拠を持った信念に燃えることです。あとのことは万事うまく行きます。真一文字に進んでください。あなたはあなたなりにベストを尽くしておればよろしい。
(シルバーバーチの最後の啓示 P26 ハート出版)

 

【霊力の受けとり方のマトメ】
以上の霊訓から、私たち霊的知識を学んだ者は何事も仮我(自我)にもとづいて眺める地上的視点(物質中心主義)から、真我(霊)すなわち実在の世界から眺める霊的視点(霊中心主義)に考え方をシフトし、霊的摂理や背後霊(守護霊・指導霊)に絶対の信頼を置き、摂理とその約束を信じて全託し味方につけることです。そうすれば不安や取越苦労もなくなり、自動的に内外の“霊力を活用”することができるようになります。
繰り返しになりますが、霊力の窓を開き“霊力を活用”するには、霊的摂理に絶対の信頼を置き、それからはずれないように信仰実践することが最も大切となります。

 

“かくして霊的資質(霊力)を十分に発揮するようになれば、その当然の結果として、豊かさと光輝と落ち着きと決意と自覚と内的安らぎが得られます。なぜならば、それは神が生み出した摂理と調和していることを意味し、さらには、各自がその一部を宿している神性の大源である神そのものと一体となっていることになるからです。”
(シルバーバーチの霊訓 十一巻 P205 新潮社)

 

“真の幸福とは、大霊と一体になった者に訪れる安らぎのことです。それは心が大霊のリズムで鼓動し、大霊の意志と一致し、魂と精神が大霊と一つになっている状態のことです。大霊の摂理と調和しているから安らぎがあるのです。それ以外に安らぎは得られません。”

(シルバーバーチの教え 上巻 P99 スピリチュアリズム普及会)

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令和3年1月)

「私はなぜスピリチュアリストになったのか」(雑記)(2020年12月24日)

 

今回はいつもとは内容を変えて、私自身のことをお話しさせていただきます。
もしも、私の経験が少しでも何かの参考になりましたら幸いです。


“私たちが携わっている仕事には重大な目的があります。絶対不変の摂理の存在を証明すると同時に、地上の人間に慰めを与え、霊的知識を広めるという目的があるのです。物質を超えた法則の存在を示すだけでなく、霊的真理を明らかにすることも私たちの仕事です。
その仕事の前途に立ちはだかるのは、誤った宗教的教義(キリスト教の教義)によって築かれた組織です。何世紀にもわたって続いてきたものを元に戻さなくてはなりません。偽りの教義を土台として築かれた上部構造を取り壊さなくてはならないのです。
私たちは物的世界の子供たちがどのようにすれば霊的真理の光に浴し、伸び伸びと生きることができるか、どのようにすれば人間的産物である教義への隷属状態から抜け出せるかをお教えしようとしているところです。もとよりそれは容易なことではありません。なぜなら、いったん宗教的束縛を受けるようになると、迷信の厚い壁を真理の光が突き抜けるには、永い永い時間を要するからです。”(シルバーバーチの教え 上巻 P40 スピリチュアリズム普及会発行)

 

私は50歳になる少し前にインターネット閲覧中に、意図せずそれまで全く知らなかった「心の道場」(現スピリチュアリズム普及会)に出会い、そこで名前だけは以前より聞いて知っていた“シルバーバーチ”にめぐり会ってから、スピリチュアリストとして今月の1月で丁度71歳になりました。
40歳ごろまでは、小学四年生の頃からのクリスチャンでした。(きっかけは“ものみの塔”の小冊子からで、ちなみに両親は無宗教。)
学業は中高一貫教育のキリスト教主義の学校でしたので、六年間毎日昼休みを利用してボランティアで開催された聖書研究会に参加し、牧師でもあった数学の先生から新訳聖書の解釈を学びました。
その影響で中学時代から宗教部に所属し、毎日往復の通学電車の中では新約聖書を熱心に繰り返し読み、高二の時にはプロテスタントの洗礼も受けました。(どちらかというと無教会主義に近い)
また、大学の頃まで毎日曜日にはその先生の教会(幼稚園)に通っていたことからも、キリスト教一辺倒であったことが容易に想像できると思います。
社会人となってからもキリスト教(イエス・キリスト)に生涯を捧げる強い決意をしておりました。


父の経営する会社に入社しビジネスの世界に入ったのは、大学病院を退職し丁度30歳になったときでした。社長である父はそのずっと前より地方移住による長期不在で、ビジネスの事は何も分からないまま入社しました。入社直後にすべてを任せていた社長代理の番頭格の社員が突然の脳梗塞による長期入院・不在となり、一切の引継ぎもなく数年後にはそのまま自然退職となりました。
企業規模による大小はもちろんあるにしても、これを皮切りにありとあらゆるビジネス上のトラブルに見舞われるようになりました。
一つ終わればまた次にと、まるで待ち構えているかのように別のトラブルがやって来るという、これには本当にあきれるくらいで、今となっては“見えざる世界”から試練・困難をとおして教育を受けさせられていたかのようでした。


弊社は小規模の会社でしたので、全て自分一人で対処しなければなりませんでした。
例をあげると詐欺取引、裁判沙汰、リストラ、外部の労働組合の介入、社員の使い込み、手形の不渡りと計画倒産、大口債権回収の困難さ、銀行の貸し渋り、在庫の評価損、まったく時代に合わなくなっていた会社の事業は赤字で、そのため早急に経営の柱を別に創らなければ倒産の危機にあるなど、数え上げたらきりがありませんでした。


ただ本当に不思議なことに、精一杯の努力をすることは当然のことですが、最悪の真っ暗闇になりかけたギリギリの時に、まったく考えも及ばず想定することさえできなかったような奇跡的な展開によっていつも自壊するかのごとく解決するということの連続でした。それこそ奇跡の連続で、これだけは今でも間違いなく何一つとして自分自身の力によって克服できたのでは決してないと自信をもって言えます。


その都度、これでもかこれでもかというぐらいに自らの未熟さ・非力さを真底見せつけられ、打ちのめされてプライドはとうに地に落ち、消極心一辺倒であったその一連のトラブルがほぼ一段落したころ、遠藤周作の本「沈黙」ではありませんがクリスチャンであるにもかかわらず悶々としてずっと救いを求めていました。もっと正確に言いますと、キリスト教徒であるのにいざとなれば何の力にもならず、問いかけに対する応えや心の救い、慰めはいっこうに来ないと少し疑問を持ち始めていた、というのが正直なところでした。今となって分かることは、他界の知識がなく土台となる霊的なものがごっそりと抜け落ちていたからだったと思います。


そのようなときに顧問会計士の先生からのアドバイスで、経営の指南役として稲盛和夫氏(禅僧)の盛和塾の講演テープ一式を購入しました。
その講演中に名前が出てくるヨガの第一人者であった故中村天風師の天風会へ早速入会し、ご自宅が近所で唯一生存されていた直弟子の老師から個人的に瞑想法(安生打坐法)やプラーナ(霊力)を取り入れる呼吸法他を直々に学びました。そして数年を経て、これもまた稲盛氏の講演テープの中に出てくる「シルバーバーチの交霊会」の話から冒頭に述べた“シルバーバーチ”へと、まるで一つずつステップを踏むかのように順番に導かれていきました。
スピリチュアリストとなった今では理解できる霊界の“見えざる手”によって、10年以上かけてキリスト教の“教義による牢獄”の洗脳から徐々に解かれていきました。


本当に不思議なもので、あんなに次から次に来ていたビジネス上のトラブルがある時期を境にしてパタと来なくなりました。と同時に、会社の次の柱にすべくいくつか種を蒔いていた事業が芽を出し始めました。そして今では業界の理事長を経験し、また薬事功労により厚生労働大臣表彰までいただくようになりました。
今から振り返ってみますと、ビジネス上の試練・困難は、頑固に洗脳された仮我を打ち砕くために必要なプロセスであったのだと確信しています。


これら洗脳解除の一連のステップが終了すると、それからは、本来であればサタンの誘惑として絶対拒否していたキリスト教でいうオカルトの世界、霊界の知識をこれまでの経験を肥やしに、素直になって砂漠に水のごとく霊的摂理を学び直すという次の段階に入っていったように思います。


世の中には何一つ偶然は無いと今では摂理として知っていますので、一旦、キリスト教義を学んで熱心なクリスチャンとして育ち、次に、その洗脳を解くために必要なプロセスを仕事を通して行なうという一連の流れも又、たまたまの偶然の出来事ではなく、何らかの使命・目的があってそういう道を歩むことが予め計画され、必然であったように思います。
それは、シルバーバーチが霊訓の中で語っているキリスト教の教義の間違いがどこにあるのか、“教義の牢獄”という洗脳の恐ろしさを自らの身をもってより深く理解し、今だ“教義の牢獄”に閉じ込められている人々のために、その経験をこれから生かすためであったように思います。
そしてそのこと、すなわち“霊的摂理”に照らして教義の間違いを理性的に指摘することをとおして、宇宙の法則として経綸している“霊的摂理”の存在を証明し、明らかにして広めることにあるのではないかと思います。


なお、この「寸感」の更新は、次回以降、毎月から不規則となりますことをご了承下さい。

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令和2年12月)

内外の霊力を活用する方法 他

―霊的摂理の理解をおいて他にない―(霊力)(2020年11月25日)

 

今回は前回の続編になりますが、「シルバーバーチの教え」上巻(スピリチュアリズム普及会発行)から“霊力を活用する方法”を中心に霊的摂理について学んでみましょう。前回の寸感と一対のものとしてとらえて下さい。

 

●すぐそこまできている新しい世界を一日でも早く招来するために、バイブレーションを物質界のレベルに近づけて降りてきました。その目的は、大霊の摂理を教え、その摂理に忠実に生きるなら、あなた方の心は大霊の恵みをふんだんに受けられるようになることを教えてあげることです。P57

 

●地上の人間が大霊が意図した本来の生き方をするには、摂理を理解する以外にないからです。(中略) 居眠りをしている魂を目覚めさせ、大霊の摂理にそった生き方をさせてあげるために、ともに努力しようではありませんか。それ(摂理にそった生き方)が地上の人間にとって大霊と一体となる道だからです。P36 ・・・霊的摂理


⇒ 大霊と一体となる道=大霊の摂理にそった生き方=霊的摂理を理解する以外にありません

 

●もし、地上の子供たちが摂理の働きの中に霊力を見いだすことを学べば、その昔、人々を鼓舞し、洞察力と勇気、奉仕への熱誠と願望を与えた霊力を今日でも活用することができるのです。P50


⇒ 霊的摂理にそった生き方(大霊と一体)をすれば、摂理の中で働いている霊力を活用できるようになります。

 

●地上人生において大霊から授かった霊的資質(神性・霊性)を発揮するならば、誰もが大霊の力(霊力)を活用することができるようになるのです。P148


⇒ 霊的資質(霊性心)を発揮すれば、霊力を活用することができます。

 

●私たちは地上人生を、地上的視点(物的な目)ではなく霊的視点(霊的な目)から眺めます。賢明な人間とは、すべての体験を(霊的視点から)魂の養分として摂取しようとする人のことです。辛いことや煩悩の誘惑に流されず、心の奥深くにある霊的な力を活用して困難に立ち向かおうとする人のことです。そうした精神で臨んでこそ、人間性が磨かれ強化されるのです。
摂理は完璧であり、自動的に働きます。誰ひとり摂理から逃れることはできません。自由意志そのものでさえ摂理の一つであり、その摂理の働きは一定の進化の段階に至っている者には明瞭に見て取ることができます。P161


⇒ 霊訓から摂理を学び、そこから魂を鼓舞し霊力を得て、洞察力と勇気をもって困難に立ち向かうことができます。・・・これらの霊的摂理は自動的に働きます。

 

●ですから、とにかく挫けないことです。潜在する力(霊力)を活用しても克服できないほどの大きな困難や障害は絶対に生じません他人が故意に与える困難も、内在する力(霊力)を発揮して立ち向かえば必ず消滅します。あなた方は地上生活において、自分の力のほんの一部しか発揮していないことがお分かりになっていません。P178 ・・・霊的摂理


⇒ 私たちは内在する霊力(大霊)を自覚せず、従って活用・発揮もしていません。

 

●あなた方の世界は、私たちからのメッセージ・霊の教え(霊的知識)を必要としています。
① 霊的真理についての理解、すなわち霊的摂理の存在と、
② 自分自身の内部(本当の自分・霊魂)と、
③ より高い世界(霊界)からの導きがあることを知る必要があります。
そうすれば困難に遭遇したときには慰安と導きと援助をどこに求めるべきかを、学ぶことができるでしょう。P49


⇒ 摂理の理解と、“本当の自分”(霊魂)の覚醒と、背後霊からの援助は霊力活用の三条件。

 

●スピリチュアリズムを知ったということは、地上では推し量ることができないものを手にしたということです。
① 大霊の(霊的)真理についての貴重な(霊的)知識を得たということです。
皆さんは、自分の魂が大霊の偉大なる魂とつながっていることを悟られたのです。すなわち、
② (本当の)自分が大霊の一部であることを知ったということです。
③ 霊界から派遣されているメッセンジャー(高級霊)のバイブレーションに、いかにして反応するかを学ばれたのです。
それほどのものに比べれば、物的なものはいかに高価なものであっても、まったく価値はありません。今は物質界にいる皆さん方も、これから霊の世界で計り知れない歳月を生き続けます。
そして、この交霊会(シルバーバーチの霊訓)を通して得た知識や叡智が、地上で物的身体のために一生懸命に求めていたものよりも、はるかに貴重なものであることを(霊の世界で)実感するようになります。
(物的世界における)何事も“見かけの結果”だけで判断してはいけません。
あなた方は物的な目で眺めることしかできないのです。霊的な目でみることができれば、人間は一人の例外もなく完全に公平な扱いを受けていることが分かるはずです。
私は時おり人間の祈りに耳を傾けてみることがあるのですが、もし大霊がその願いを叶えてあげたらかえって不幸になるだろうと思うことがあります。P58


物的な目で意識している自分(仮我)が強く願い求めていることが、霊的な目でみて本人(真我)の霊的成長のためになっていないことが多い。

 

●暗黒と光、陰と日向といった対照的なものも、実は一個の統一体(創造・進化発展のためにある摂理)の反映にすぎません。
陰なくしては光もあり得ず、光無くしては陰もあり得ません。それと同じで、困難は魂が向上するための階段です。困難・障害・ハンディキャップ―こうしたものは魂の試練なのです。
それを克服したとき、魂はより強くなり、より純粋になり、より深くなり、いっそう進化するようになるのです。無限の可能性を秘めた魂の潜在能力が、困難も苦痛もなく、陰も悲しみも悩みも悲惨もなしに発現すると思われますか。発現するはずはありません。P109

 

●霊的段階を高く上がれば上がるほど自由意志を行使できる範囲が広くなります。つまり現在のあなたが、あなた自身の限界をつくっているということです。しかし、あなた方は大霊の一部であるがゆえに、地上世界で生じるあらゆる困難や障害を克服することができるのです。
P81


⇒ 霊的成長とともに、死も含めて物的なものに捕われることが少なくなり、魂が自由を享受し自由意志を行使できる範囲が広がっていきます。

 

―マトメ―
あくまでも霊的摂理にそった生き方を遵守するという前提の上ではありますが、霊力を活用するための三条件(本文中の①~③)とは、霊訓によると次のとおりとなります。

 

条件

① 霊的摂理についての正しい霊的知識が必要。(摂理の働きの中に霊力がある)
② “本当の自分”(霊魂)の覚醒(霊的資質の発揮)
③ より高い世界からの援助や導きを求める。(高級霊のバイブレーションに反応する)


地上の人間に霊的真理を明らかにするために高級霊団から派遣されてきたシルバーバーチの語る内容(●印)は全て霊的摂理であり、“摂理にそって生きる”とは正にその摂理を信じて日常生活で実践する(信仰実践)なのです。そうすれば、霊訓の中で約束されているように“霊の力を活用”するという摂理が自動的に働くようになります。

 

“あなた方はすでに(霊的)知識を持っています。霊的真理を手にしています。真理を知った者には、それ(霊的真理)を実践に移す責任がともないます。その責任を果たしてこそあなた方は、より優れた大霊の道具(使者・創造の一翼を担う者)になれるのです。” P72

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令和2年11月)

-シルバーバーチの使命-(人生の目的)(2020年10月29日

 

友人のブログからの抜粋“地上での生活を精いっぱい生きるにはどうすればよいか、最も為になる生き方の知恵を探し求める”
このことは誰しもに共通する問いかけですので、この人生の課題を一緒に考えてみましょう。

 

古代霊シルバーバーチ曰く、私たちの地上世界は
● 数々の心痛、難題、苦悶、災難、逆境の渦巻く世界
● 冷ややかで荒涼とした陰鬱な暗い世界です。
(シルバーバーチの霊訓 十一巻 P202 & P215 新潮社)

 

“あなた方文明人は物質界にしか通用しない組織の上に人生を築こうと努力してきました。言い変えれば、大霊の摂理から遠くはずれた文明を築かんがために教育し、修養し、努力してきたということです。人間世界が堕落してしまったのはそのためなのです。古い時代の文明が破滅してしまったように、現代の物質文明は完全に破滅状態に陥っています。” 
(シルバーバーチの教え 上巻 P33 スピリチュアリズム普及会)

 

人間は死後の存続に盤石の信念がもてないために摂理が成就されないのです、ともシルバーバーチは語っています。
そこで、唯物拝金主義の悲惨な地上世界を救うために根本的、且つ、唯一の方法として丁度2000年前のイエスのように、霊界から“摂理”の普及に高級霊(シルバーバーチ霊)が派遣されてきました。
高級霊シルバーバーチの使命は宇宙の法則、すなわち霊的摂理(真理)がどうなっているのかを地上の人々に教えることにありました。(シルバーバーチの教え 上巻 P22 スピリチュアリズム普及会)
その霊的摂理は地上人生のあらゆる面に応用が利き、私たちの魂と精神と身体を暗闇の牢獄から解放してくれます。

 

しかしながら、霊的知識のある私たちでさえ“あなたは神である”といわれてもまったく自覚がもてず、真底から霊界を信じて普段意識してはおりません。そのために“完璧な信念”がもてないので霊訓をいくら読んでも右から左にスルーしてしまい、すぐに忘れて思い出せず日常生活に霊訓で学んだ摂理がまったく活かせていないのが実情ではないでしょうか。そのことは試練や困難がきたときに、つくづく身をもって思い知らされます。
そこで地上生活を価値高く生きるために決して忘れてはならない基本的な霊的摂理を、大変長くなりますがシルバーバーチの霊訓から抜粋し、再度確認したいと思います。
潜在意識にまで透徹するぐらい何度も何度も繰り返し熟読し、実生活でこの霊的摂理を実践・確認ができるようにお互い頑張りましょう。

 

-これまで地上人類に知らされていなかった“重大な秘密”が明かされる-

 

大霊(神)は無限の存在であり、あなた方はその大霊の一部です。もしも完壁な信念を持ち、正しい人生を送れば、大霊の恩寵にあずかることができます。
地上界のすべての人間が完璧な信念を持てば、大霊はそれぞれの願いを喜んで聞きい入れてくださるでしょう。魂が真剣に求め、しかも大霊に対する絶対的信念に燃えていれば、必ずやその望みは叶えられることでしょう。
神(大霊)の摂理はそのようにして働くのです。摂理に順応した生活を送っていれば、望み通りの結果が生じるようになっています。結果がでないということは、摂理に一致した生き方をしていないことを示しています。

 

歴史をひもといてご覧なさい。最も低い階級、最も貧しい環境にありながら、神の摂理に忠実に従う努力をしたために道を踏み外すことがなかった人たちがいます。摂理に合わせようとしないで、“なぜ神は働かないのか”と不平ばかり言っている人間を相手にしてはいけません。
時には押しつぶされて不遇から抜け出せないこともあるでしょう。しかし、完璧な信念に燃えていれば、いつかはきっと地上生活での困難を克服することができます。大霊の象徴である太陽に向かってこう言うのです――「私は大霊の一部だ。私を破滅させるものは何もない。私は永遠の存在だ。無限の可能性を秘めた存在なのだ。有限の物質界のものは決して私を傷つけることはできない!」と。もしこれだけのことが言えるようであれば、あなたが傷つくことは絶対にありません。

 

多くの人が心に不安や恐れを抱いて出発します。望み通りの結果が得られないのではないか、という不安です。その不安の念がバイブレーションを乱すのです。しかし「完全なる(大霊への)愛は恐れを取り除く」(ヨハネ第一の手紙四)、「まず神の国(霊界)とその義(摂理)を求めよ。そうすればそれらのものはみな与えられるであろう」(マタイ六)との言葉があります。これは、はるか遠い昔、摂理を完璧に理解した人物(イエス)によって述べられた教えです。彼は摂理を実践すれば常にその結果がともなうことを示してみせたのです。あなた方も、摂理が働くような条件を整えさえすれば、必ずや望み通りの結果が得られます。

 

もう一つ別の摂理をお教えしましょう。それは何の代価も支払わずに入手できるものは、この地上界には何ひとつないということです。代価を支払わずに霊的能力を開発することはできませんし、魂の富を蓄えることもできません。霊的成長をおろそかにして金儲けにうつつを抜かしていると、そちらの世界では金持ちと言われても、こちらの世界では哀れな貧しい魂になってしまいます。

 

人間はその内部に、なによりも貴重な「神性」を宿しています。あなた方は大霊の一部なのです。地上のどこを探しても、それに匹敵する宝や富は存在しません。私たちは、魂の内部の鉱脈を探査し、肉体的本性の奥に埋もれた霊のダイヤモンドをいかにして引き出すか、それをお教えしようとしているのです。
そのためには霊界の最高の界層のバイブレーションに反応するようになっていただかなくてはなりません。(すなわち)あなた方は決して一人ぼっちではないこと、周囲には常にあなた方を愛する大勢の霊たちがいて、見守り、導き、援助し、鼓舞しようとして待機していることを知っていただきたいのです。そうした中で霊性が開発されていくにつれて少しずつ大霊に近づき、摂理と調和していくようになることを悟っていただきたいのです。
あなた方は、大霊の子である地上の同胞に奉仕することによって大霊に奉仕することになります。同胞のために役立つことをしているとき、大霊の無限の腕に抱かれ、その愛に包まれ、それが完全なる安らぎをもたらしてくれるようになります。

 

何の根拠もなく、ただ信じるというだけの信仰では、厳しい試練の嵐が吹けばひとたまりもなく崩れてしまいます。しかし、正しい霊的知識から生まれた信仰には確固たる土台がありますから、いかなる試練の嵐に遭っても揺らぐことはありません。

 

証拠を何ひとつ見なくても信じることでがきる人は幸せです。しかし、この宇宙が大霊の愛と叡智から生まれた霊的摂理によって支配されていることを信じることができる人は、なおいっそう幸せです。
その意味で、ここにおられる(ハイネンスワッファー・ホームサークルの)皆さんは、霊的知識から生まれた完璧な信仰を持たなければなりません。皆さんは霊力の証(参照:スピリチュアリズム入門、続入門 スピリチュアリズム普及会発行)を手にしておられます。万事うまくいくという信念、大霊の摂理と調和して生きればそれ相当の実りを手にすることができるとの信念を持たねばなりません。

 

人間は“邪悪”と呼ばれるものの影響を受けてしまいます。しかしその邪悪なるものは、心の中から完全に追放することができるのです。なぜなら皆さんは、大霊とその摂理の保護のもとに生き、行動しておられるからです。
心に邪悪なものがなければ、善なるものしか近づきません。善なるものは、善なるものが支配するところにしか存在できないからです。霊界からこの交霊の場に訪れるのは大霊の使者のみです。恐れを持つ必要はありません。あなた方を包み込んでいる力、あなた方を支え導き鼓舞しようとしている力は、大霊から発しているのです。
その力が試練と苦難に際してあなた方を支えてくれます。嵐を鎮めて晴天とし、絶望の暗闇から知識の光明へと導いてくれるのも、その力です。皆さんは進歩の正道をしっかりと踏みしめておられます。不安に思うことは何ひとつありません。
「完全なる愛は恐れを取り除く」とイエスは述べていますが、正しい知識は恐れを打ち払います。恐怖は無知から生じるものだからです。(大霊への)愛と(摂理への)信念と(霊的)知識のあるところに恐怖は居すわることはできません。進化した魂は、いついかなるときも恐れることがありません。人生のどのような局面に際しても、自分は大霊であるがゆえに克服できないものはない、との確信があるからです。
恐怖心は魂の牢獄をつくります。ですから恐怖が頭をもたげかけたら、その波動に巻き込まれることなく、それを抑え込み、信念を持ってこう自分に言って聞かせるのです。――「自分は大霊なのだ。地上の出来事で動揺などしない。魂に宿る無限の力でいかなる困難も凌いでみせる」と。あなた方は、あらゆる困難を克服する力を授かっているのです。その無限の力(霊力)を見限ることがあってはなりません。

 

大霊の法則は、物的なものと霊的なものの両方を支配しています。宇宙という大霊の王国には、そうした区別はありません。物的生命を霊的生命から切り離して考えてはいけません。本来は別個のものではないのです。一つの大生命があり、それにいくつもの側面があるにすぎません。物的なものは霊的なものに反映し、霊的なものは物的なものに反映します。
大霊の摂理に一致した生き方をしているかぎり、克服できないような困難は生じないということを知らなければなりません。遭遇している困難や障害が取り除かれてしかるべきものであるなら、私たちの力で排除できないものはありません。
もしも苦しみが余りにも耐えがたく思われるときには、こう理解してください。私たち霊界の者は、あなた方の苦しみを取り除くために自分自身の進化の歩みを止めて努力します。しかしあなた方としては、その苦しみに耐え抜き、辛い体験を通して教訓を学び取る方が賢明であるということです。この短い地上人生のことだけを考えてはいけません。永遠の生命を視野におくことです。

 

物質界の人間も、物的であると同時に神性を宿していることを理解すれば、どれほど地上で生きやすくなることでしょう。悩みはたちまち消え去り、障害物も取り除かれることでしょう。ところが人間は内在している霊的な力を信じません。あなた方の言う人間らしさとは地上界だけに属するものですが、霊力は大霊に属しているのです。

その昔、イエスは「地上を旅する者であれ。地上の住民となるなかれ」と言いました。地上人生は、お金をもっている人間ほど悩みがないと思いがちです。“悩み”というものが相対的なものであることに気づかないのです。大霊の摂理を金銭でごまかすことはできません。
あなた方は人間性を強化するために地上界へ来ています。それがなされるかどうかは、遭遇する難題にどう対処するかによって決まります。内在する霊力によって克服できないような問題は、地上には生じません。なぜなら、いかなる難題もしょせんは地上的・物質的なものにすぎないからです。あなた方は大霊の一部であり、神性を宿していることを忘れてはなりません。

 

真の幸福とは、大霊と一体になった者に訪れる安らぎのことです。それは心が大霊のリズムで鼓動し、大霊の意志と一致し、魂と精神が大霊と一つになっている状態のことです。大霊の摂理と調和しているから安らぎがあるのです。それ以外に安らぎは得られません。
この私にできるのは、(その)摂理についてお教えすることだけです。イエスは二千年前に、「天国はあなた方の中にある」と言いました。外部のどこかにあるわけではありません。ましてや物質界の喧噪の中には存在しません。それは魂の内部に見いだされるものなのです。
(シルバーバーチの教え 上巻 P93~99 スピリチュアリズム普及会)

 

私たちはお金や幸せを求めて外の世界(地上世界)で修養や努力をしてきましたが、真の安らぎや幸せは実に自らの魂、すなわち“本当の自分”の中にあったのです。只、物的なものに隠されていて、気づいていなかっただけなのです。丁度、メーテルリンクのチルチルミチルの青い鳥と同じことを、それぞれの地上人生で体験しているのです。

 

先にも“私たちは霊界を真底信じていないから”と述べましたが、上記のようにシルバーバーチがここまで明確に繰り返し繰り返し何度も何度も摂理を語っているにも関わらず、なぜその言葉が一切心に残らないのでしょうか。
それは、五感で知覚しているこの地上世界があまりにもリアルにみえるために、知覚認識できない霊的世界のものは反射的に物質界では通用しない別物として無意識に受け止めているからではないでしょうか。
では、一体どうすれば“完璧な信念”がもてるようになれるのでしょうか。
霊訓の中で述べられてきたことから考えてみましょう。

 

―霊的成長のプロセス―

  1. 霊的摂理を読んで知識はあっても、実感・自覚がもてない。
  2. では、どうすれば自覚がもて、摂理への信念につながるのか。
  3. その霊的摂理を日常生活で自ら実体験するしかない。
  4. それには、道具としての苦しみや試練、困難という代価が必要となる。
  5. その試練や困難にあたって、この摂理を何度も何度も読み返し、それを適用する。
  6. 摂理を信じて実践した結果、試練や困難を克服する成功体験となる。
  7. このような体験を何度も何度も繰り返すことによって少しずつ信念化につながっていく、

となります。

 

本来、神の摂理に物質界と霊界との区別はないはずです。何故なら、物質界も霊界も大宇宙の一部といえ、且つ、私たち一人ひとりの“本当の自分”は神性を内在する“霊”そのものだからです。だからこそ“本当の安らぎ”(天国)は外の物質世界(唯物拝金世界)にあるのではなく、私たちの魂に内在している神と一体となったときに見出されるのです、とシルバーバーチは語っています。
この“本当の自分”(霊魂)に内在する神と一体となるとは、神が顕現している摂理と一致して生きることに他ならず、これが冒頭のブログの問いかけに対する解なのです。

 

“居眠りをしている魂を目覚めさせ、大霊の摂理にそった生き方をさせてあげるために、ともに努力しようではありませんか。それ(摂理にそった生き方)が地上の人間にとって大霊と一体となる道だからです。
そうした生き方ができれば、人々の心は安らぎを覚えることでしょう。”
(シルバーバーチの教え 上巻 P36 スピリチュアリズム普及会)

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令和2年10月)

“どうすれば霊的成長がはかれるか”(人生の目的)(2020年9月28日)

 

―高級霊のバイブレーションにいかにして反応すべきか―

 

私たちは地上に霊力をもたらします。地上の同志を鼓舞し、導き、心の支えとなります。飢えた魂にエネルギーを注ぎ、病に苦しむ人に癒しを与え、すべての人にインスピレーションと啓示と真理と叡智をもたらします。それが私たちの仕事なのです。人間の側に理解力と受容力が備わっていれば、それに応じて霊力で満たしてあげることができます。
(シルバーバーチの教え 上巻 P73 スピリチュアリズム普及会)

 

●個人から国家までエゴ丸出しの世の中でコロナ禍もあり、社会や地球環境は今混乱しております。霊訓の中でシルバーバーチは、“現在の物質文明は完全に破滅状態に陥っています”と語っていますが、当時がそうであるならば現在は何をか言わんやです。
個人的には家族も含めたあらゆる人間関係、お金、仕事、病気や気象変動等々、様々な不安なことや心配なことが山のように私たちの周りを取り囲み次から次にと絶えることがありません。
物質的には少なくとも私たちは豊かになったにも関わらず、さらにもっとより多くの物を得ようとする物質万能主義の社会環境の真只中にあって、スピリチュアリストといえどもチョット油断するとすぐに唯物拝金主義の暗闇にすっかり取り込まれてしまい、心配や不安、不信、何となく憂鬱な気持ちなど絶えることがありません。
今あるのは全て因果律による結果とはいえ、一体、何故次から次へと様々な問題が発生してくるのでしょうか。また、それにどう対処すればよいのでしょうか。


“価値あるものは苦難と悲哀なくしては成就しません。その教訓を地上人は、体験という唯一の方法によって学ばなければなりません” 
(シルバーバーチの教え 上巻 P44 スピリチュアリズム普及会)

 

●「シルバーバーチの霊訓」を何度か読んだだけで、もうシルバーバーチの語っていることが理解できたと決して早合点してはなりません。
何故なら、生涯にわたる日々の様々な“体験という唯一の方法”によってのみ、始めてシルバーバーチの霊訓が理解でき、真にその霊的価値が理解できるからです。また、霊的知識に対する理解力や知識の内容にも一つ一つ段階があり、私たちの受け取れるレベルに応じた際限のない無限の奥行、深みが霊界の宝庫にはあるからです。だからこそ霊的成長には長い時間が必要となるのです。決して一足飛びにはまいりません。成長には一歩ずつ日常のコツコツの積み重ねが必要なのです。肉体を持つがゆえの様々な喜怒哀楽の地上体験をとおして摂理を学ぶことが私たちの地上人生の目的なのです。そのためには一度限りの人生では間に合わなくて、繰り返しの地上人生が必要となってくるのでしょう。
また同時に、ゆめゆめ誤解してはならないのは、シルバーバーチは単に霊的真理を送り届けるメッセンジャーであって、決してシルバーバーチ教の教祖ではないということです。あくまでもその語っているところの宇宙の摂理、霊的真理のみに目を向けるべきであり、メッセンジャーとしての評価とは別ものなのです。
生涯をかけてとことん吟味し実体験して身につけていく霊的真理を中途半端なままで離れ、他にもっと良い道や人物を探し求めてウロウロと脇道にそれていくのは、気持ちはとてもよく分かりますが、もったいなくもあり時間の無駄だと私自身の体験を通して今では思っております。


それでは、いかにすれば霊界からのより高次の霊的真理が受け取れるようになるのでしょうか。そのための条件をシルバーバーチは次のように語っておられます。


あなた方は今この時も霊的世界に生きているのです。物質界での生活は永遠の人生におけるほんの束の間の時にすぎません。これが私たちからのメッセージでの根幹をなすものです。
そのことにいち早く気づいた方が(霊的)真理に忠実な生活を送ってくだされば、私たちの仕事もいっそうやりやすくなります。霊界からのメッセージに耳を傾け、心霊現象の中に霊的真理の一端を見いだした人々が、我欲を捨て、可能なかぎり自らの魂を引き上げてくださるなら、なおいっそう大きな成果をあげることができるでしょう。
(私たち霊界からの知識や奉仕は地上の人々よりも大きいのです。)
これまで私たちが成し遂げてきたものは、これから成就可能なことに比べれば、ほんのささやかなものでしかありません。大霊の働きに限界というものはないのです。
地上の道具(your instrument)が私たち霊界の者に正しい通路(provide the right channels)を準備してくれるならば、地上界へ届けられる叡智にも、インスピレーションにも、霊的真理にも、限りはありません。地上界を満たすべく用意されている強大な霊力にも制限というものはないのです。” (シルバーバーチの教え 上巻 P37 スピリチュアリズム普及会)

 

●原文のthe right channels とは、正しい周波数(波長、波動)に合わせるという意味があります。すなわち、高級霊のバイブレーションはどのようにすれば受信できるかということです。
そのための私たちの条件とは、前記の霊訓から


A.霊的真理に忠実な生活(faithful to the knowledge)
B.我欲を捨てる(forget Self)
C.自らの魂を引き上げる(rise to the highest heights)、となります。

 

A. 霊的真理に忠実な生活

 

地上の人間が大霊が意図した本来の生き方をするには、(霊的)摂理を理解する以外にないからです

 (シルバーバーチの教え 上巻 P36 スピリチュアリズム普及会)

 

●私たちは肉体をもって地上という物質界にあっても、同時に、今の時点ですでにもう一つの体である霊体を使って霊界でも生きているのです。
そして、背後霊の導きや護りを意識的に受けとめ、霊的真理を理解し摂理に忠実な生活を送るためには、唯物主義と利己主義の“この世にあって、この世に染まらない生き方”、すなわち摂理を理解し摂理に適った生き方を心掛けることが必要であり、それには物質の世界霊の世界との間の障害(壁)を努力して取り除くことが求められます。その霊の世界の障害(壁)となるのは、

 

Ⅰ)心配の念を棄てなさい 

 

大切なのは取り越し苦労をしないということです。
心配の念は私たち霊界から援助する者(背後霊)にとって非常に厄介な障害です。拒否的性質があります。腐食性があります。恐れ・心配・不安、こうしたものはその人を包む物的・精神的・霊的雰囲気を乱し、私たち(背後霊)が近づくのを一段と困難にします。真理を知った者は、それがわずかであっても───たとえ多くを知ったとて、無限の真理からすれば多寡が知れています───いついかなる事態に直面しても、穏やか平静受容的態度を維持すべきですし、又そう努力すべきです
全生命に存在を与えている霊力より強力なものはないとの断固たる自信に満ちていなければなりません。
何度でも繰り返し申し上げられる私からのメッセージがあるとすれば、それは“心配の念を棄てなさい。そうすれば内部に静穏が得られます。内部が静穏になれば外部も静穏になります”ということです。” 

(シルバーバーチの霊訓 十一巻 P169 潮文社)

 

Ⅱ)心配の念を棄てるにあたっては、背後霊に全幅の信頼を置きなさい

 

“一つの仕事を始めると、遅かれ早かれ難問が生じるものです。しかし克服できないほど大きな問題は生じません。先のことを心配してはいけません。私も大きな歯車の歯の一つにすぎません。歯車は確実に回転します。それを動かしている力は物質界と霊界とを包含する大字宙を経綸している力(霊力)なのです。その力が森羅万象を生み出したのです。星雲を、太陽を、惑星を、大洋を、大海を、山を、花を、小鳥を、動物を、そしてあなたがた人間を生み出したのです。それほどの大きな力が、あなた一人の人生に手こずるわけがありません。私たちは人間の挫折を見たくて戻ってきたヤジ馬ではありません。私たちがお持ちした霊力はすでに地上に根づいております。その力を阻止できるものは地上には存在しません。背後霊に全幅の信頼を置きなさい。” 

(シルバーバーチの霊訓 十二巻 P161 潮文社)

 

●実は、私たちは決して一人ぼっちではないのです。単に物質界との波長の違いで五感には見えない、聞こえない、触れられないだけなのです。各自には例外なくそれぞれの守護霊・指導霊などの背後霊がついていて、私たちに“障害”(壁)さえなければ霊界からさまざまな形の霊力を働かせることができるのです。
しかしながら、そうはいっても私たちは普段背後霊をまったく意識せず、気づきもしておりませんので、言われてみても急にはなかなか背後霊に全幅の信頼を置くことができないのが実情です。
霊的摂理を学びながら努力して繰り返し霊界を意識し、背後霊に気づく数多くの体験がそのためには必要となるでしょう。

 

B.我欲を捨てる

 

●原文のforget Self とは物的欲望に捕らわれない、すなわち物的視点で四苦八苦している顕在意識の自分(仮我)に捕らわれないこと という意味なのでしょう。

“地上のゴタゴタは皆が自分がいちばんいいと思うものを少しでも多く自分のものとしようとする───いちばん悪いものを欲しがる者はいません───そこから生じております。
その結果として強欲、貪欲、私利私欲が王座に祭り上げられ、物欲第一主義が新しい神として崇拝されることになります。
地上には物欲優先の副産物が、見るも痛ましいほどはびこっております。悲劇・卑劣行為・飢餓・栄養失調・残虐行為・動物実験、こうしたものはすべて物欲を優先させることから生じる恐ろしい産物です。” 

(シルバーバーチの霊訓 十一巻 P181 潮文社)


“あなた方文明人は物質界にしか通用しない組織の上に人生を築こうと努力してきました。言い変えれば、大霊の摂理から遠くはずれた文明を築かんがために教育し、修養し、努力してきたということです。人間世界が堕落してしまったのはそのためなのです。古い時代の文明が破滅してしまったように、現代の物質文明は完全に破滅状態に陥っています。” 

(シルバーバーチの教え 上巻 P33 スピリチュアリズム普及会)

 

C.自らの魂を引き上げる

 

●可能なかぎり自らの魂を引き上げるには、さまざまな利他愛の実践と奉仕の生活がありますが、なかでも霊的真理を学んだ私たち地上のスピリチュアリストにしかできず、且つ、霊界から強く求められていることは、“霊的真理の普及”にあります。

 

“自分の知り得たこと(霊的知識)を他の人々に授けてあげることこそ、私にとっての奉仕の道だと心得ているからにほかなりません。(霊的)知識にも一つ一つ段階があります。その知識の階段を一つ一つ昇って行くのが進歩ということですから、もうこの辺でよかろう、と階段のどこかで腰を下ろしてしまってはいけません。”

 (シルバーバーチの教え 上巻 P36 スピリチュアリズム普及会)

 

“自分が手にした真理を次の人へ伝えてあげる――それが真理を知った者の義務です。それが摂理なのだと私は理解しております。” (シルバーバーチの教え 上巻 P35 スピリチュアリズム普及会)

 

“皆さんとともに、そういった居眠りをしている魂を目覚めさせ、大霊の摂理に耳を傾けさせてあげるべく努力しようではありませんか。それが大霊と一体となった生き方への唯一絶対の道だからです。” 

(シルバーバーチの教え 上巻  P36 スピリチュアリズム普及会)

 

“超然とした態度、俗世にあって俗世に染まらない生き方を心掛け、自分の霊的本性、神から授かった潜在的可能性を自覚して、せめて皆さんだけでも、小さいながら霊の灯台となって、導きの光を放ってあげてください。” 

(シルバーバーチの霊訓 十一巻 P172 潮文社)

 

霊的摂理を正しく理解し、背後霊と供に宇宙を経綸している絶大な霊力を背景にしているとの自信に満ちて“霊の灯台”となることが、結果として大霊の火花を顕現することになり、さらなる高みへと魂を引き上げ霊的成長へと自らに返ってくることになります。

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令和2年9月)

「気とは何か」を読んでみて(霊力)(2020年8月27日)

 

最近、湯浅泰雄氏の「気とは何か」(NHKブックス)という本を見つけて早速読んでみました。読みすすむ中で、とても腑に落ちる点が多々ありました。
それは古来より“心と生理と身体”の三つの関連を扱ったインドのヨーガや中国の気功の東洋医学と、心身二元論を基とする近代西洋医学との根本的な違い等々でした。
つきましては、湯浅泰雄氏の「気とは何か」から“気”に関する大切と思われるポイントの一部を参考までに以下列記してみます。(●印、Pページ)

 

●「気」というエネルギーの作用は、通常の意識と感覚をこえた立場で心理―生理―物理(心―からだ―もの)という三つのレベルに変換してその効果をあらわすものだということになる。要するに、「気」とは主観的であると共に客観的であり、心理的であると共に生理―物理的であるような生命体に特有の未知のエネルギーである、ということになる。(P32)

 

●大宇宙とは自然界である。したがって気というエネルギーのはたらきが、間接的にせよ、何らかの形で経験可能であり、また検出可能なものだとすれば、小宇宙としての人間と大宇宙の間には、意識されないレベルで潜在的エネルギーの交流があるということになる。気にみちみちた自然界は単なる物質の世界ではなく、生きた生命的自然としてとらえられてくるであろう。・・・人間の本質はいわば、自然から生かされて生きる受動的―能動的存在なのであって、自然を征服し支配する近代的な「工作人」ではない。要するに、東洋医学の人体の見方の背景には、自我中心の近代の人間観とは非常に違った、自然中心の人間観があるのである。(P80~83)

 

●本山氏はさらに、経絡現象が起こる部位が皮膚の表皮ではなく、その下の真皮の層であるらしいことをつきとめた。つまり経絡は、体液系の中で作用しているシステムなのである。・・・
体液が最も多く貯えられている場所は皮下組織の部分なのである。(P101)

 

●気の働きやその訓練は、無意識の領域を通じて、心理的レベルから生理的レベルに向かって一種のエネルギー変換、つまりエネルギーの性質変化の作用を行っているようである。(P143)

 

●無意識は情動(コンプレックス)が生まれてくる場所である。気功師が自律神経の作用を自由にコントロールできるということは、したがって、無意識領域の心理作用を意識に統合し、コントロールできることを意味する。瞑想の訓練と同じように、情動やコンプレックスを昇華し純化できるということである。(P148)

 

この本の中で述べられている近代西洋医学の根本的な問題点として、人間の身体(臓器)を機械的な物と捉えているところにあります。また、健康状態は数値化することによって、血液や尿などの検査分析結果からすべて管理できるものと信じ込んでいます。そこには心と身体は別ものの二元論からなり、“気”の働きを左右する心(精神)の身体への影響がごっそりと抜け落ちているのです。“病気”から文字通り動力源である生命エネルギーの“気”が抜け落ちて“病”を捉えているのです。

 

今から40年以上も前の話になりますが、国立大学の医学部の先生をお招きしての少人数の座談会で、先生ご自身の臨床経験から“ガン”は精神的なものが原因(引き金)となっているように個人的には感じているが、このようなことを発言すると教室では総スカンをくうので公には話せないと、ここだけの話として正直な気持ちを述べておられたのを今でも鮮明に覚えています。その当時からみると少しは病に対する心(ストレスなど)の比重も上がってはきていますが、医学会の本流というか基本的な姿勢は今でも相変わらず変わっていないように思います。
「本当の自分」とは“霊魂”であり、それが肉体を纏って地上生活を送っているということがまったく無視され自覚されていません。いわば住人である主人(霊魂)がどのような性格で道具としての心や身体をどのように使っているかを抜きにして、従者としての道具である肉体という家屋の修理のみに終始しているのです。霊魂や精神の世界は宗教の扱う分野であって、近代西洋医学である科学の世界にはまったく馴染まない別物としてタブー視され、見えざる明確な境界線が暗黙の内に引かれているように思われます。それは、霊の世界は実証できても再現性(誰がしても追試が可能)という点では、科学の“定義”にあてはまらないからです。

 

無神論者が大多数を占めている現代社会では、人間の尊厳を重視する緩和医療やホスピスなども増えてはきていますが、死んだらすべては終わり(永遠の別れ)なので基本的には本人がいかなる状態であろうとも、何が何でも生かし続けるという考え方の延長線上で、特に日本の医療はなされているように思います。大多数の霊的無知状態にある私たちや社会もまた、その考えを支持しているからです。
ある意味、無理もありません。1900年代になってシルバーバーチが下りてくるまで、他界(霊界)に関する霊的知識(霊的摂理)が肝心かなめのキリスト教などの宗教も含めてまったくといってよいほど無く、キリスト教でいうサタン(悪魔)や一部の霊覚者以外は捉えようも無いオカルトのオドロオドロした魑魅蒙昧な闇の世界だったからです。(例:魔女狩りなど)
カルマの問題は別にあるにしても、シルバーバーチは「本当の自分」である“魂”が健全であれば、その道具である精神(心)や身体も自動的に健全になると霊訓の中で語っているのとはまるで真逆の世界に近代西洋医学はあります。

この観点から述べますと、巷に流行りだしているホリスティック医療にしても、「本当の自分」である“霊魂”という視点と“霊的知識”がスッポリと抜け落ちているようでは、肝心かなめのものが無いことになり、私たちスピリチュアリストにとっては近代西洋医学と団栗の背比べのような気がしてなりません。

 

“気”についての個人的感想
この本の中で、間接的ではありますが本山博氏の“気”や“経絡”の科学的証明がなされ、自律神経は不随意運動であるにもかかわらず、気功の修練によっては意志の力で自律神経をコントロールできるようになると述べています。
また、ヨーガと気功共に共通して古来より「瞑想」や「呼吸法」の大切さが強調されてきましたが、これらの修行を繰り返すことによって、潜在意識にある自律神経支配下の脈拍などもコントロールすることができることから、湯浅氏は潜在意識すなわち無意識の領域(自律神経も含む)まで“気”の影響は及んでいると考えておられます。
この本で語られている“気”は“霊の力”すなわち大宇宙を維持経綸している内外の生きた生命エネルギー(霊力)が霊体を経て肉体に顕われたものとして、そっくりそのまま置き換えてもよいと思います。

 

私は瞑想を繰り返すことによって今では随意にシビレに似たピリピリ感が頭から四肢へ順次降りてくることや、随意に鳥肌を立てることができるようになりました。あくまでもこれらは瞑想中に発生したものですが、確かに私のこのささやかな体験からも、自律神経のコントロールは可能ではないかとの考えを以前よりもっていましたが、この度それが確認できました。
また、“気”を身体に受けると赤外線効果で温かくなるという本のくだりは、スピリチュアリズム普及会の公開ヒーリングに参加すると、ヒーラーが手をかざすことによって全身がポカポカと温かく感じられることから、それはヒーラーの手をとおして外部から“霊力”すなわち“気”が身体に流れ込んでいる結果と合点できました。

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令和2年8月)

“死について”(雑記)(2020年7月27日)

 

自我意識をもった私たち人間にとって、例外なく早晩やってくる“死”は人生最後のテーマですので、「シルバーバーチの霊訓」(新潮社発行)からその“死とは”について探ってみることにしましょう。
まず初めに、誤解のないようにお断りしておかなければならないことは、シルバーバーチは霊訓の中で、神の存在を信ぜず無神論者といえども信心深い宗教者よりもはるかに霊性が高い人はいくらでもいると語っておられることです。また、地上の寿命の長さと霊性の高さとは関係がないとも明言しておられます。


最近、石原慎太郎と曽野綾子の対談による本、「死という最後の未来」(幻冬舎発行)を読みました。お二人とも日本では知らない人はいないぐらい有名な作家で、常識人でありいわば日本人としての知識層を代表する作家です。
この本はざっくり言って、仏教徒(無神論者)とカトリック教徒とのそれぞれの立場からみた“死”に対する意見交換のようでもありました。それは死ねば全ては無に帰すのか、生命は死後も続くのかの対極の話題でした。


それでは、少し長くなりますがお二人の“死”の捉え方の違いを、この本「死という最後の未来」から引用して対比させてみましょう。

 

石原:いや、死ねば(意識が)なくなると思います。意識がなくなったら知覚できないわけだから、何も捉えることができないでしょう。・・・
死ぬことは「虚無」なんですよね。何もない。だけど「虚無は虚無として存在する」とね。それしか言いようがない。・・・
虚無も存在するということですからね。死んでしまったら、虚無でしかない。・・・
お釈迦様が言った「色即是空 空即是色」は時間と存在に関する究極といってもいいアフォリズム(注:歴史的な偉人や世界的に有名な人物が述べた金言)です。死んで時間が途絶えたら、すべてがなくなるんですよ。・・・
人生の先を示唆してくれる人が、誰かいないものかと。・・・
僕は最後の最後まで絶対にあきらめたくない人間だから、今、非常にあがいている。・・・
僕は日々、切迫するぐらい、死について考えざるをえなくなっていますね。やっぱり同年代の親しい仲間が、ばたばた死んでいきますしね。これはつらい。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

曽野:私にしてみれば、死んだら終わりと思っている人は、ある意味、怖い。お金が欲しいから泥棒をするとか、癪に障るから人殺しをするとか、放火するとか、自分の欲望のまま実行してしまうということが、私にはよくわからない。死について学べば、少なくとも、こういう考えには及ばないんですよ。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

石原:死ぬときは意識が失せるわけだから、結局、何もかもがわからなくなって、捉えられない。そういう怖さと悔しさのようなものがありますね。


曽野:命は続くらしいです。その生き方によって、報われるということになっています。現世での生き方によって、天国に行く人と地獄に行く人とに仕分けられるんだそうです。・・・
天国と地獄の中間に煉獄というところがあって、そこで罪の償いをして天国に行くようです。天国に行く予備空間といわれていますね。


石原:来世もありますか?


曽野:あるという考えです。でも未知ですから、来世があるとか、死別した会いたい人に会えるかもしれないとか、そういう希望はあるかもしれないし、ないかもしれなし、絶望があるかもしれない。

石原:そういった考えは、仏教にはないですな。お釈迦様はまったくそのようなことは言っていない。仏教での来世は平安時代末期に浄土宗の法然が、人々の恐怖を救うために言い出したんです。極楽というものがあって、南無阿弥陀仏と唱えれば救われると。今でいえば一種のセールス。釈迦自身は、来世とか輪廻転生とか、天国とか地獄などとはひとことも言っていないんです。だから僕は、死とは「最後の未知」だと思っていて、何とかそれを知りたいわけです。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

曽野:私は成仏ということが、よくわからないのです。


石原:成仏というのは、仏教、法華経では涅槃というんです。非常に安らかな、とにかく安心立命した形で逝くということ。
僕は火の玉についても、いくつか話を聞いているんです。あれも人の想念の現れだと思います。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

曽野:私は霊魂というものはあって、不滅かなと思っております。・・・
信じる人たちは、不滅の前の一瞬という言い方をします。この世に生きて、たくさんのことを考え、喜び、悲しんできたことが、死によって終わる、バタリとその働きをやめてしまうということはないと思いますね。


石原:そうですか。僕は息を引きとったら、一瞬で魂もなくなるとおもいますけどね。瞬時にチリ芥になる。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

曽野:「人間の死は決して、命の消滅ではなくて、永遠に向かっての新しい誕生日」という意味ですね。これはカトリック教徒の全員の中にあるものなんです。


石原:それは、魂は永遠であると話していた、それですね。僕は、死は死であって、一瞬にして消滅すると思っているから、対極にある考えだけど。


曽野:もちろん、それはそれでいいんです。人それぞれであっていいと思う。


石原:それでも死んだら自意識が失われて、知覚もなくなって、何もわからなくなるわけだから、意味がない、空しいだけだ。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

曽野:「Life is a mere journey」と、外国人のシスターがよく言っていましたが、生涯は単なる旅路にすぎない。その旅路を行く。

 

以上がこの本からの抜粋です。
それでは次に、同じ仏教徒で禅僧でもある京セラ名誉会長 稲盛和夫氏による本や講演会の中で、時々話に出てくる古代霊 シルバーバーチは“死”についてどのように語っているのか、「シルバーバーチの霊訓」の十二巻 十二章“落ち穂集”P217~P226 (新潮社発行)から、項目番号付きで引用してみましょう。

 

(93)“生”を正しい視野で捉えていただきたい。その中で“死”が果たしている役割を理解していただきたいと思います。人間はあまりに永い間、死を生の終わりと考えて、泣くこと、悲しむこと、悼むこと、嘆くことで迎えてきました。私たちは是非ともその無知───死を生の挫折、愛の終局、情愛で結ばれていた者との別れとみなす無知を取り除きたいのです。
そして死とは第二(霊界)の誕生であること、生の自然な過程の一つであること、人類の進化における不可欠の自然現象として神が用意したものであることを理解していただきたいのです。死ぬということは生命を失うことではなく、別の生命を得ることなのです。
肉体の束縛から解放されて、痛みも不自由も制約もない自由な身となって地上での善行の報いを受け、叶えられなかった望みが叶えられる、より豊かな世界(霊界)へ赴いた人のことを悲しむのは間違いです。

(94)苦痛と老いと疲労と憂鬱から解放された人をなぜ悲しむのでしょう。暗闇(地上世界)から脱して光明(霊界)へと向かった人をなぜ悲しむのでしょう。霊の本来の欲求である探求心を心ゆくまで満足できることになった人をなぜ悼むのでしょう。それは間違っております。その悲しみには利己心が潜んでおります。自分が失ったものを嘆いているのです。
自分が失ったものを自分で耐えていかねばならないこと、要するに自分を包んでくれていた愛を奪われた、その孤独の生活を嘆き悲しんでいるのです。

(95)皆さんもいずれは寿命を全うしてその肉体に別れを告げる時がまいります。皆さんのために尽くして古くなった衣服(肉体)を脱ぎ棄てる時が来ます。土の束縛(肉体)から解放されて、死の彼方(霊界)で待ち受ける人々と再会することができます。
その目出たい第二の誕生にまとわりついている悲しみと嘆き、黒い喪服と重苦しい雰囲気は取り除くことです。そして一個の魂が光と自由の国(霊界)へ旅立ったことを祝福してあげることです。

(102)大半の人間は地上だけが人間の住む世界だと考えています。現代の生活が人間生活のすべてであると思い込み、そこで、物的なものを、いずれは残して死んでいかねばならないものなのに、せっせと蓄積しようとします。
戦争、流血、悲劇、病気の数々も、元はと言えば、人間が今この時点において立派に霊的存在であること、つまり人間は肉体のみの存在ではないという生命の神秘を知らない人が多すぎるからです。人間は肉体を通して自我を表現している霊魂なのです。
それが地上という物質の世界での生活を通して魂を生長させ発達させて、死後に始まる本来の霊の世界における生活に備えているのです。


―平然と死を迎えるには―
(112)世間でいうところの“成功者”になるかならないかは、どうでもよいことです。この世的な成功によって手に入れたものは、その内(死後)あっさりと価値を失ってしまいます。
大切なのは自分の霊性の最高のもの(霊性心・良心)に対して誠実であること、自分でこれこそ真実であると確信するものに目をつぶることなく、本当の自分自身(真我・霊魂)に忠実であること、良心の命令に素直に従えることです。
それさえできれば、世間があなたをどう見ようと、自分は自分として最善を尽くしたのだという信念が湧いてきます。そして、いよいよ地上生活に別れを告げる時が来たとき、死後に待ち受ける生活(霊界)への備えが十分にできているという自信を持って、平然として死を迎えることができます。

 

≪亀水のコメント≫
●個の意識は死後も生き続けます。“死”とは“本当の自分”(霊魂)が単に肉体を脱ぎ捨てる現象です。すなわち“死”は鈍重な肉体という土の牢獄から“本当の自分”を解放するプロセスなのです。仮の宿にすぎない肉体に付属する脳で意識は作られるのではなく、個別意識は霊魂に属して育まれます。
物質の素材(土)には例外なく寿命があります。肉体に付属する脳は霊魂(精神・心)と肉体をつなぐ中継器官にすぎません。脳とは肉体を動かし五感を感じ取り霊魂(真我)に伝える媒介器官なのです。霊は物質界に肉体を纏って出生してくることによって初めて自我の表現が可能となり、個別意識をもつことができるようになるのです。
“本当の自分”とは霊魂(個別意識)であり、その身体には霊体と肉体の二つがあって、肉体を脱ぎ捨てた死後、バイブレーションの異なる霊界ではその霊体を纏って生活するのです。

 

●死んだら全ては終わりと思い込んでいる人の自殺や殺人など自由意志による強制的な“死”は、自らまたは他人の地上人生を無理やり奪うことになり、神と神の摂理(自然法則)に真っ向から逆らうことになります。そのため、進化向上のためにある因果律によって自動的にその結果を地上にいる間、あるいは他界後の霊界で刈り取る(清算する)ことになります。
決して肉体の“死滅”をもって“生命”(個別意識)は終わらないからです。すなわち私たちは決して“虚無”にはならないのです。地上で体験したことは“本当の自分”(霊魂)に全て残るのです。
もしも死んだら虚無になって全てが終わりチリ芥となるのであれば、「善因善果・悪因悪果」は地上世界にいる間にその結果(刈り取り)が出てこず免除されるとすれば、摂理違反の殺人や最近の国家レベルの殺人ともいえるような時代錯誤の覇権主義で人民の魂を弾圧したり、異民族の魂を迫害したりする悪徳の限りは“やり得”となってしまいます。
“やり得”や“逃げ得”では、大宇宙の根本摂理である因果律は“結果”が生じず欠陥のある法則となってしまい、法則の完全性や神の公平性とは矛盾することになります。そのことはすなわち、摂理(法則)としての全能の神は不完全で、且つ、非力であるということを意味してしまいます。
神の叡智、すなわち大宇宙の根本摂理と私たちの限られた知識による思い込みとでは、どちらが本当かは自明の理といわざるをえないと思われます。

 

(14)“地上というところは内部の魂が芽を出し開眼し発達して、肉体の死後に始まる次の段階の生活に耐えられるだけの霊力をつける、そのための体験を得る場所です”
(シルバーバーチの霊訓 十二巻 P37 新潮社発行)

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令和2年7月)

“内部の霊性を発揮させれば”の意味

 (霊力)(2020年6月26日)(SBの霊訓 12巻 P147 新潮社)

 

シルバーバーチの霊訓 十二巻 十一章“力強く生きるための叡智”(P146~153)の中から、表題の意味するところを霊訓(項目番号付)を引用しながら検討してみましょう。
(青文字は人間の未熟さを指摘している箇所)

 

Ⅰ.私たち地上の人間は例外なく皆、未熟です!
(22)その日一日、その場の一時間、今の一分・一秒を大切に生きることです。明日のことを思い煩うことなく、“今”という時に最善を尽くすのです。あなたが煩悩を持つ人間的存在であり、未塾であることは、神は先刻ご承知です。だからこそ地上に来ているわけです。もしも完全であれば、今そこに存在していないはずです。地上生活の目的はその不完全なところを一つでも無くしていくこと、それに尽きます。


(11)あなたが人間であり、それゆえに転ぶこともあることは私も知っております。
ですが、悩みごとが次第に大きく感じられてきた時、そこでしっかりと踏みとどまり、いかなる悩みごと(地上生活の尺度・影)も、実在である霊の光(神の分霊である永遠不滅の霊魂)を曇らせることはできないのだという認識を新たにすることができれば、心晴れやかとなり絶対に克服して見せるとの信念が湧いてまいります。

 

シルバーバーチの霊訓によると私たち人間は、
● あなたは人間であり、それゆえ転ぶこともあります。十二巻 P147(11)
● あなたは煩悩をもつ人間的存在であり未熟です。十二巻 P150(22)
● 人間である以上は煩悩を完全に閉めだすことはできません。十二巻 P74(20)等々


シルバーバーチが指摘するまでもなく、私たち人間はとても未熟で弱い存在です。二つの心(本能心と良心・霊性心)が内にあり、さまざまな煩悩や葛藤に襲われることが多く、本能心(利己心)にまつわる誘惑にかられ、間違いを犯すことも常です。平凡な一人の地上人として、とてもじゃないが清く正しく強い人間ではありません。その証拠に心配や不安、取越苦労や猜疑心が絶えないからです。


Ⅱ.お互い未熟ゆえ、地上は困ったこと、厄介なことだらけです
(21)人生体験のすべてがそれぞれに大きな生命機構(※進化発展するという大きな基本計画)の一部としての意義を持っております。およそ歓迎したくない(嫌な)体験───悲しいこと、辛いこと、嘆き、落胆、苦悩、痛み等々も魂にとってかけがえのない価値を持っております。
その有難さは地上にいる間は実感できません。
地上人生の価値の明確な全体像が理解できるようになるのは、肉体を離れて煩悩(人間的弱点・欠点)から解放され、局部に捉われずに全体を眺めることができるようになった時です。
逆境の中にあってこそ人間性が鍛えられ、悲哀の中にあってこそ魂が強化されていることが分かります。 

(シルバーバーチは語る P184 新潮社)

 

※all the experiences of human life are part of the great scheme.
  (Teachings of SB  P107)

 

(10)霊的知識を手にした者にとって大切なことは、二度とこの世的な悩みごと(地上的尺度)のために塞(ふさ)ぎ込むようなことがあってはならないことです。悩みごとは影にすぎません。実在ではないのです。実在は霊です。霊とは内部の神性です。それがあなたに生命を与えているのです。内にも外にも霊に勝る潜在力(霊力・生命力)は存在しません。
これは実に厳しい教訓ではあります。が、もし楽に達成できるものであれば、求める価値はないことになります。両手に花(楽して成長)とはまいりません。何かを成就せんとすればまず自我を鍛えないといけません。鍛錬の必要のないほどのものであれば、自我の開発にはつながりません。

 

(29)地上は困ったこと、厄介なことだらけです。価値観を見失い、優先すべきものを履き違えている者(唯物拝金主義者)が多すぎるために、暗く陰うつで、しかも暴力沙汰の絶えない、悲しい世界となり果てております。善の勢力と悪の勢力とのせめぎ合いが果てしなく続いているのです。
そうした中で私たちが一ばん頼りにするのは、霊的真理に目覚めた人たちです。邪悪な勢力の攻撃にもたじろぐことなく堂々と対処できるのは、内部に秘められた霊力(2020年5月寸感の“霊力とは何?”を参照)と、すでに発揮しておられる霊的能力(インスピレーション・霊交・霊的知識など)のおかげです。

 

Ⅲ.では、それらの逆境や障害を克服する方法は?
(12)地上での生活は一日一日が挑戦課題であり、いかなる次元の問題であれ、自ら克服すべきものとして受け入れるべきです。内部の霊性さえ発揮させれば、前進(克服)を阻むものは何一つありません。

 

●そこで“内部の霊性さえ発揮させれば”の具体的な発揮方法について、いっしょに考えてみましょう。
ここでいう“内部の霊性”とは神性のことであり、神の分霊そのもの、すなわち霊魂の核(神・霊)となっているもので、私たち人間には例外なく潜在しております。

 

では、この内部に宿る霊(神性・霊の力)を引き出すには、

  1. まずは自我の思考を今までの地上生活の尺度(肉主霊従)から、真の実在である大我すなわち“本当の自分”(霊魂)が主人であると強く自覚し、霊主体の“霊主肉従”に切り替えること。(前記の10)

  2. そして、日常生活をできるだけ意識し努力して“霊主肉従”で生きること。具体的には真我と霊界を意識した霊的視野で物事を俯瞰し、行動することです。(前記の10)
    その意味するところは、本能心や感覚感情心などに振り回されている肉体に付属する心から、“本当の自分”(真我・霊魂)が主人でありその心、霊性心(良心)に思考のスイッチを切り替えるということです。

    但し、五感の現象世界にどっぷりとつかっているわが身にあっては、いくら頭では理解しているつもりでも霊的摂理とは一見真逆のような地上世界(物質界)では、机上の空論のように思えて摂理の実践は決して口で言うほどそんなに容易なことではありません。
    しかしながら、逆にいうと摂理への調和が容易ではなく困難を伴うからこそ真の値打ちが理解できるのです。過酷な試練・困難の中で霊的真理の正しさを身をもって体験し、霊的摂理を納得して身につけることが次の世界にそなえるための本来の地上生活の目的(霊的知識と成長)なのです。
    必要な道具は始めから全てそろっております。あとはその霊的摂理を受け入れるかどうか、考え一つに私たちの人生の全てはかかっているのですが、残念ながら時期が来ていないと霊的なものは受け入れることはできないのです。

  3. 試練・困難にあたって霊的視野のよって立つ判断基準は、シルバーバーチを媒介として神霊界から降ろされてきた“霊的摂理”(シルバーバーチの霊訓)を土台とするのです。
    但し、私たちの知識・理解力や経験には所詮限度というものがあってたかがしれており、当然のことですが、試練の中で摂理への信仰(信念)も同時に必要とされ、そのために試され強化されることになります。

マトメとしていままでのくり返しになりますが、“内部の霊性さえ発揮させれば”とは、永遠不滅の“本当の自分”(真我・大我・霊魂)に立ち戻り、“霊的摂理”に順応すべく霊主体の「霊主肉従」にスイッチを切り替えることだったのです。
この切り替えることによってこの幻影の地上世界にあって、背後霊の護りや導き、さらには宇宙最強の霊力を意識的に活用できるようになるのです。
(とても分かりやすい例をあげると、ちょうど映画の“スターウォーズ”にでてくるジェダイのオビ=ワン(守護霊)や“フォース”(霊力)のようなイメージであり、その意味で私たちはスカイウォーカーというよりもスピリットウォーカーのようなものです)そうすることによって、私たちはあらゆる試練・困難を克服することができるとシルバーバーチは明言しています。

 

神は大宇宙の法則(摂理)として顕現していますが、その摂理にのっとって生きること。すなわち、霊的摂理に納得した上は、信じて実践することです。神の霊的摂理は完璧であり、そこには顕幽の世界の区別はなく例外も一切ありません。
“内部の霊性さえ発揮させれば”とは、今までのように無知からとはいえ霊的摂理を無視して逆らった生き方をするのではなく、“本当の自分”(霊魂)を意識して摂理に順応し、同時に高級霊や霊力を積極的に味方につけるということです。
そうすれば少しずつ少しずつ時間をかけて霊的摂理が自らに体現してくるようになってきます。
そして、このことが“内部の神性が発揮される”生活を送っているということになるのです。

 

―高級霊に感応し味方につける方法―

 

(48)自分の内部に宿る威力(霊力)を認識し、それを活用しさえすれば、克服できない困難というものはありません。それをいかにすれば活用できるかとなると、まずその能力を開発しなければなりませんが、ただ開発しただけではだめです。高い波長に感応できるものでなければなりません。ではどうすればよいのか。それは日常生活の中身を人のために役立つもので満たしていくことです。そう努力することで霊性を高めるのです。自己中心的で世俗的すぎると、波長は低いものにしか感応しません。自我を滅却して利他的なことに無心に精励するほど、高い波長のものに感応するようになります。そのとき内部の神性が発揮されるのです。

(シルバーバーチの霊訓 十二巻 P160 新潮社)

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令和2年6月)

“価値あるものは苦しみと悲しみなしには手にすることはできません”

 ―地上ならではの教訓を学ぶには、それなりの避けがたい条件というものがあります―(苦しみ・試練)(2020年5月27日)


表題(シルバーバーチの霊訓 十二巻 P79)の意味するところを、シルバーバーチの霊訓 十二巻 五章“向上進化の原理”(P74~79)から霊訓を引用(項目番号付)しながら検討してみてみましょう。
  (青文字は魂の成長を示す箇所で、⇒以下は亀水の追加コメント)


(20)魂が完全に打ちのめされるほどの出来事は決して生じません。一つ一つの出来事は、いかに困難を極めるものであっても、魂を一層成長させるための手段と心得て下さい。
現実に数多くの問題と困難に取り囲まれているあなたにとっては、そういう受け止め方は決して容易なことではないでしょう。が、その場限りの捉え方(地上的尺度)ではなく、永遠の価値を持つ尺度(基準)があることを忘れてはいけません。それが霊的真理です。
疑念(煩悩や困難)に襲われた時はその(霊的)真理にしがみつくことです人間である以上は煩悩(人間的弱さ・欠点)を完全に閉め出すことはできません。が、だからと言ってその煩悩を怠慢の言い訳にしてはなりません。(霊的真理にしがみつくという)心構え一つで煩悩を力に変えることができるのです。


⇒  地上生活の尺度(拝金唯物主義)⇔ 永遠の尺度(霊的真理)

(21)光と闇、日向と日蔭は一つのものの二つの側面です。
闇がなくては光の存在が分からず、日陰(新型コロナウィルス)がなくては日向(日常生活・健康)のありがたさもわかりません。人生の苦難も魂の成長を促すための手段なのです。困難・障害・不利な条件、こうしたものはみな(克服すべき)魂の試練です。それを一つ一つ克服するごとに魂は一段と強さを増し、一段と清さを増し、一段と深みを増し、一段と霊格を高めるのです

⇒困難・障害・不利な条件は魂が成長するための地上世界ならではの要件であり、その一つ一つを克服するごとに魂は成長していきます。

(22)地上生活での体験を、(霊的真理を尺度にして)素直に受け止め素直に理解すれば、どれ一つとして魂を向上させないものはありません。いったい困難のない世界、試練も痛みも苦しみもない生活が想像できるでしょうか。そこには克服すべきものが一つもなく、したがって進歩もなく、ただ堕落あるのみです。


⇒霊性レベルの異なる人間が混在するが故の地上世界ならではの試練・困難・痛み・苦しみ等を体験し、霊的真理を学んで魂が成長するための学校として地上世界が創られております。

(23)物的身体に宿っているあなたは地上生活を尺度として物事を受けとめます。地上を去った私たちは地上生活を無限の生命の中のホンの一瞬として位置づけます。みなさんは何事につけ焦点を間違えております。
苦しんでいる人を見て同情し、その痛みを一刻も早く取り除いてあげたいと思う気持ちはごく自然な情として私も咎める気持ちは毛頭ありません。
しかし、その時のあなたは“苦しみ”という観点からのみその人のことを考え、苦しみの中で過ごす時間(一瞬)は、その“苦しみの償い”として得られる(永遠の)霊的な喜び(霊的成長)に比べれば、実に些細なもの(苦しみ)に過ぎないことにお気づきになりません。


⇒ 私たちは無病息災・家内安全・開運招福など、人生の苦難、障害、不利な条件を何とかできるだけ避けようと神仏に祈願します。そうなることが幸せな人生であると信じ込んでいるからです。(地上生活の尺度)
しかしながら、シルバーバーチによると地上世界特有の試練や困難は魂の成長にとっては必要不可欠の条件となっております。そのために“本当の自分”(霊魂)が成長できる最適の道を、出生前にわざわざ計画して生まれてきているのです。
それ故、地上世界では苦しみの最中で考え、行動し、どう試練や困難を受け止めるかが問われることになりますが、やむおえないこととはいえ、どうしても地上生活の尺度で判断し行動しがちです。
しかしながら、いち早く霊的真理に目覚めた私たちスピリチュアリストは、試練や困難、不利な条件にあって逃げずに霊的成長のチャンスととらえ、一人ではなく背後霊が常に共にいて導いてくださるので必ず克服できるとの強い信念(信仰)を持ち続け、霊的摂理に順応するように霊界の時期が来るまで精いっぱい努力をするべきなのです。


シルバーバーチによると、試練や困難に対する「償いの法則」や「埋め合わせの法則」が因果律として歴然と正確に働いているために、永遠につながる成長に比べれば地上人生で苦しみの中で過ごす時間は“ホンの一瞬”であり、実に些細なものにすぎないと語っています。但し、当事者にとってはとてもつらく長く感じられ、その真の有り難さは地上にいる間は実感できないとも述べています。(シルバーバーチの霊訓 十二巻 P150)
心配や不安を抱えた未来はとても長く感じられるものですが、過ぎ去った困難や過去の嫌なことは一瞬の思い出となっているのとちょうど同じことなのです。

 

(32)人生が両面性(両極性)から成るということは挑戦(克服)の機会があるということであり、障害や不利な条件に立ち向かうことになるということですそうでなかったら素晴らしい内部の神性(霊魂)は永遠に発現する機会がないことになります。


⇒霊的真理を知った者は、障害や不利な条件など世間でいう嫌な事から逃げずに、あえて立ち向かい取り組む必要があります。すべての出来事は偶然ではなく、霊的成長への不可欠の道だと知らされているからです。世間一般では地上生活の尺度によって嫌なことは拒否し、避けるのが当然であり常識ですが、正にこの点が“みなさんは何事につけ焦点を間違えております”とシルバーバーチが(23)で指摘していることなのです。
試練・困難に対しては霊的摂理に順応するように逃げずに甘受し、正面から取り組む覚悟で努力をすると、今度はインスピレーションや霊界のタイミングで“導きのドア”が開かれるなど、背後霊からの支援が入ってくるようになります。正にそれこそが下記【マトメ】の(34)に語られている“魂が進化し強化される道”なのです。

 

【マトメ】
(34)“賢い人間”とは
1)体験のすべてを魂にとって益になる方向へ転換しようとする人、
2)試練や誘惑から逃げようとせず、内部の力の限り(最善)を尽くして困難の克服に当たる人です。
その意気込みの中でこそ霊性(霊魂)が進化し強化されるのです。

 

以上これまでの霊訓を集約すると、魂を成長させる要因としては次のようになります。


1.疑念(試練・困難)に襲われた時は霊的真理にしがみつくことです。(前記の20.参照)
2.困難・障害・不利な条件、こうしたものはみな魂の試練(成長の糧)です。(21.参照)
3.地上生活での体験の全てを、霊的真理を尺度にして素直に受け止め素直に理解すること。(22.参照)


“地上生活の問題は人間みずからの努力で解決していかねばなりません。問題が生じないように私たちが処置を施してあげるわけにはいきません。地上生活の本質そのものが絶えず問題と取り組むようにできているのです。それと正面から取り組むのです。
内部に潜む霊力を引き出して(2020年5月寸感の“霊力とは何?”を参照)精いっぱい頑張るのです。そして、それでもなお十分でない時にはじめて、もう一歩踏み込んで、(霊界の)無限の宝庫からの援助を求めて祈るのです”(シルバーバーチの霊訓 十二巻 P69)

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令和2年5月)

“霊力とは何?” (霊の力)(2020年4月23日)


超ミクロの世界では、私たちの肉体を構成している最小単位の原子一個の大きさを甲子園球場にたとえると、その中心に位置する原子核はビー玉一個をグランドの真ん中に置いた程度の大きさで、その球場の外周を電子が回っているのに相当するのだそうです。
また、究極の構成部品である素粒子は、大きさがゼロだと考えられており、超ミクロの視点から観察すると、人間の身体はほとんどスカスカの空っぽ状態で“無”と大差ないようです。
ついでに物に触れる感触とは、接触面でのマイナス電子同士の反発力によって、触覚として感じとっているそうです。
さらに超ミクロの量子力学の世界では、古典物理学のニュートン力学で考えられてきた私たちの五感の常識を超えた異質の世界が展開されています。この量子論によると、私たちの体や身のまわりの物体をつくっているのは、「小さなかたい粒」ではなく、空間と一体化した「場」という奇妙な存在の“うごめき”だそうです。


他方、超マクロの世界から観察すると私たちがいる「天の川銀河」には地球型惑星が数百億個も存在していて、その意味では「天の川銀河」だけからみても地球はチリのような無きに等しい存在なのです。
またこの宇宙の構成比率はというと、未知のダークエネルギー(暗黒エネルギー)が68.3%を占め、未知のダークマター(暗黒物質)が26.8%、そして私たちが唯一認識できている原子は残りのたった4.9%しかないのだそうです。
さらに一般相対性理論によると、この宇宙空間や時間も伸び縮みする“物質的な存在”であり、私たちスピリチュアリストにとっては仮相の世界として常識ですが、この“三次元の空間は幻かもしれない”という説まで最近注目を集めているようです。 (以上、“ニュートン”2020年4月号より)


このようにいくら唯物・科学万能の世界といっても、この物質世界でさえ私たちにとっては未だにほとんど何も分かっていないことだらけであり、私たち人類は物質的にはごく限られた可視光線の波動の範囲内をわずかに五感で認識しているにすぎないという、とても限られた存在なのです。
ちょうど中世の天動説のように、私たち人類やこの地上世界が存在の全てであって、私たちの地球を中心として宇宙は存在し回っているかのごとく漠然と無意識に考えているのではないでしょうか。その証左として、五感には見えず科学的に証明されていないという理由だけで、調べもせずに霊界の存在や高度の地球外生命体(波動の違いも含めて)など存在するはずはないと頭から否定していることは、冒頭のことをふまえるととても偏見に満ちた狭い思考であって、正に典型的な“井戸の中の蛙”の話のように思われます。
それではこれら超ミクロからマクロまでの諸事象は、はたして無秩序でカオス状態にあるでしょうか。否、「宇宙の法則」は明らかにカオス状態ではなく、因果律をはじめとして自然界は正確に秩序をもって規律と調和が維持され厳格な法則として経綸されております。現時点で私たち人類にとっては理解できていないことが単に多いだけということになります。


それでは本題に戻りますが、シルバーバーチによると様々な霊界もこの物質界も大宇宙の一部であり、元はといえば根元的な力“霊力”によって創られ規律正しく維持運用されていると語っています。私たちの肉体という形態が保たれているのもまたこの霊力のお陰であり、それもせいぜい100年足らずであり、用がすめば霊魂が抜け出て分解し元の土の成分に戻ります。この肉体の死には一切例外はありません。しかも、肉体の付属器官である脳から生じた“心”もまた肉体の死とともに一切は無に帰すと、何ら調べもせずに偏狭な固定観念で洗脳され勝手に信じ込んでおります。
そして現代の私たちは傲慢にも、科学で証明できない神(霊力)や霊界なんかあるものかとばかりに物質偏重思想で凝り固まり、その結果として個人や国家を問わず利己主義で、その実、目先のことに日々追われ様々な事象に翻弄され不安の中で生きております。


それではシルバーバーチのいう、霊界や物質界を問わず全ての根元である“霊力”とは一体何なのでしょうか。
シルバーバーチの霊訓 十一巻 四章“既成宗教のどこが間違っているのか” P112~P145よりみてみましょう。


【霊力とは何?・・・その特性について】
特性1 霊力とは大霊(神)から発せられる生命エネルギーです。(P127)

生命のあるものには霊があります” (P141)


“無限なる霊は無限の表現形態を取ります” (P144)


霊力は大霊から発せられますから、神性を帯びております。ですから本来は霊力による啓示(霊的真理)の方が教義(既成宗教のドグマ)に優先されるべきなのです” (P127)


※大霊(神)から発せられる霊力は霊的摂理・法則として顕現し、この法則の背後には大いなる大霊の愛があります。
また、霊力は霊界、物質界を問わず全ての根元的な源、パワーであり、この無限なる霊の力は千変万化の表現形態をとることができます。

 

特性2 私たちの内にも外にも霊力は存在しています。(P113)


・私たちの内に内在する宇宙最大の力、霊力を宝の持ち腐れにするなかれ。・・内部
・さらに祈りによっても背後霊から霊力を呼び込むことができます。・・・・・外部


※特性2の意味するところは、“本当の自分”とは今地上生活を送っている肉体の自分(仮我)ではなく、神の分霊として霊的成長のために出生してきた永遠不滅の霊魂(真我)であり、類魂仲間が背後霊として常に寄り添い全面的に支援し導いてくださるということです。


“皆さんの内部には地上最大の力(霊力)が潜在的に宿っているのです。いかなるハンディキャップも、いかなる障害も、いかなる困難も、その潜在力で克服できないものはありません。
もしもそれまでに開発したものでは敵わないほどのものであれば、祈ることによって、さらに強力な援助を要請することができます” (P126)


あなたは一人ぼっちではないのです。大軍の一員なのです。われわれの背後、見えざる次元には、多分あなたには想像もできないほど進化した霊の大集団が控えているのです。
あなたも、私も、そして私達と志を同じくする者(霊的真理の普及をする者)は、いつでもその援助を授かることができるのです” (P112)


われわれの背後には宇宙最大の力、大霊の霊力が控えております” (P141)


“私はここで満身の力を込めて断言いたします。(神の道具として)真理普及という大義に身を捧げておられる皆さん方は、宇宙最大の力(霊力)、生命力そのものの援助にあずかることができるのです。それ(霊力の援助にあずかること)はもはや義務(責任)ともいうべきものと心得るべきです。すなわち、それ(霊力)を(励んで)賢明に、有意義に使うのです”(P136)
“I tell you with all the strength that I can command that all of you, who strive to serve, have access to the greatest power in the universe, one that is life itself.
It is a responsibility. Use it diligently, wisely.”
(More philosophy of Silver Birch  P155)


“私たちは(大霊の道具として)そちらから提供していただくものより多くのものをお返ししております。それが私たちの義務(責任)なのです” 
(シルバーバーチの霊訓 十一巻 P156)

 

特性3 霊力には運命を変える力があります。(P138)


霊の力は物質に勝ることを忘れないことです。霊が王様で物質は従者なのです”(P131)


“このサークルの方なら、必要とあらば私たちが物質を操ることができることをご存知です”(P132)


霊の力は物質に勝ることを忘れないことです。霊界から働きかけやすい条件さえ提供してくれれば、いかなる障害も、いかなる困難も、いかなるハンディキャップも、霊の力で克服できないものはありません” (P138)

“心配、悩み、疑い、不安の全てをしばらく脇へ置きましょう”と。霊力が十分に、そして自由に流れ込むのを、そうした念が妨げるからです。
私たち霊を信頼してください。きっと道をお教えします。扉を開いてさしあげます“ 
(シルバーバーチの霊訓 十巻 P47)


※霊力が働く援助の方法には一定の決められたパターンがあります。
霊界のやり方で霊界のタイミングで“ドア”が開かれるという、私たちの想像を超えた思わぬ展開で導き“運命を拓く”力が霊力にはあります。

 

特性4 私たちは大霊(神)からの遺産である霊力を発揮することができるのです。(P113)

“それが魂を刺戟して、地上への誕生とともに賜った遺産である内部の神性をますます発現したいと願う気持ちにさせるのです。
うなだれてはいけません。教会や礼拝堂や寺院よりも、あなた方の方がはるかに大きな仕事ができるのです。皆さんは霊力を発揮することができます” (P113)


皆さんは宇宙最大のエネルギー源(大霊)とのつながりが持てるのです。これまでに知られた物的世界のいかなるエネルギーよりも壮大です。崇高なエネルギーです。それをあなた方を通して流入させ、恵み深い仕事を遂行することができるのです
(シルバーバーチの霊訓 十巻 P37)


※ここでいう恵み深い大きな仕事ができるとは“霊的真理を普及する”ことであり、その普及活動は霊力を発揮していることになるのです。

 

【マトメ】
この地上世界にあっては、霊力の働きがあってこそ全てが存在できております。
私たち一人ひとりがいま生きているということは、その霊力が働いている何よりの生きた証拠なのです。
スピリチュアリストにとっての“霊の力”を具体的に顕すと、“霊界からの導き、護りや援助”、及び“霊的摂理”、“悟り”や“叡智”、“心身の癒やし”等々であり、これらは全て形を変えた霊力の愛の働きによるものです。
霊訓によると私たちは宇宙最大の力、大霊の霊力という霊的遺産を内に所有しており、このような“霊力の働き”を引き出したり、外部(背後霊・高級霊)から呼び寄せて利用することができるのですが、ほとんど全ての人はこのことにまったく気づかず、さらには霊的知識として知っているはずの私たちスピリチュアリストでさえもそのことを信じずすっかり忘れていて、常日頃、霊力を積極的に、且つ、有意義に活用しておりません。正に宝の持ち腐れ以外の何ものでもなく、もしも心配・不安が絶えないようでは、これでは霊的な無明と何ら変わらないことになります。


私たちにとって最も身近で親しみのある「霊の力」とは、“霊力による啓示”すなわち「霊的摂理」のことであり、具体的にはシルバーバーチを通して高級霊界から降ろされた霊訓や霊的約束になります。
日常生活を霊的摂理と調和させ信仰実践することによって、信じる程度に比例して霊界への通路が広がる結果、それらの霊言が生きた“言霊”となって、霊魂 ⇒ 精神 ⇒ 身体へと霊力(生命エネルギー)が流れ込みます。
さらにはまた霊界からの支援の“ドア”が開かれ、導かれて“運命を拓く”ことができるようにもなります。
何度もくり返しますが、“霊力を有効に使う”とは“霊力による啓示”としてシルバーバーチを通して高級霊界から降ろされた「霊的摂理」に日常生活を順応させ、それを信仰実践することだったのです。正にそのことが人生の目的である霊的成長へと繋がるのです。
ここはひとつ幼子のごとき素直さで、私たちの父親でもある先輩霊シルバーバーチの霊訓に全幅の信頼を置き、千変万化に変化する宇宙最強の“霊の力”を積極的に利用して、お互い是非とも人生を力強く生きようではありませんか。


私たちは霊力そのものに全幅の信頼を置き、それを唯一の拠り所としております” (P123)

 

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令和2年4月)

“信仰実践” (人生の目的)(2020年3月27日)


前月の“寸感”では“霊的摂理への信仰”についてお話しました。
そこで今回は様々な試練や困難、障害にあたって、津波のように寄せては返す不安や摂理への疑い(不信)の念に対して、下記の三つの霊訓を繰り返し、繰り返し熟読し、幼子のようになってその霊訓にすがりつき、是非とも“信仰実践”することを強くお勧めいたします。
この“信仰実践”による試練克服の体験を積み重ねることによって、はじめて“霊的摂理への信仰”を強くすることができ、魂の成長につながります。
それこそが試練・困難の真の目的なのです。


“確固たる霊的知識に裏打ちされた完ぺきな信頼と自信と信仰(信念)とがある時はその通路が開いており、受容性が高いのですが、そこへ不安の念が入り込むと、とたんに雰囲気が乱れて、通路を塞いでしまう要素が生まれます。
取り越し苦労は無知の産物です。
霊的知識をたずさえた者が不安の念を抱くようなことがあってはなりません。

同じく、悩みの念も、その中身が何であれ、成就されるはずのものを成就されなくしてしまいます。
私は何時も交霊会の開会に際してこう述べています─── “心配、悩み、疑い、不安の念のすべてを、しばし、わきへ置きましょう”と。霊力が存分に、そして自由に流入するのを、そうした念が妨げるからです。
私たちを信頼してください。
きっと道をお教えします。
扉を開いて差し上げます。

閉め切られた扉をノックしてみて開かない時は、あきらめることです。
ノックしてみてすぐに開いた時は、真っ直ぐに突き進まれるがよろしい。
それがあなたにとって正しい道なのです。

私たちとしてはそういう形でしか援助できないのです。良い知恵を絞って導いてあげるということでしか援助できないのです。
あせってはなりません。
快く私達の協力者となってくれるだけでよいのです。
そうすれば私たちなりの役割を果たします”
(シルバーバーチの霊訓 十巻 P47)

 

“閉め切られたドアを忙しく叩いてはいけません。
自然に開くのを待つのです。
宇宙全体だけでなく一人一人の人間にも、きちんとした計画(プラン)があります。そのプランが実行に移されて行くのです。
ここにおいでの皆さんには何度も申し上げていることですが、私達はそのプランのもとに、私たちのやり方で私たちのタイミングで事を運ぶしかないのです。
人間側の都合に合わせるわけにはいかないのです。
その理由の一つは、人間には自分にとってどうなるのが一ばん良いかが判断できないからです。物質的に、精神的に、そして霊的にあなたに何が一番望ましいかを判断するには、私たちの方が有利な立場にあります。
待つのです。

きっとドアは開かれます。
これまでも幾度となく開かれてきております

(シルバーバーチの霊訓 十巻 P172)

 

一かけらたりとも心配の念を宿してはなりません。まったく無用のことです。心配の念は敵です。魂をむしばむ敵です。絶対に侵入を許してはなりません。これまでに啓示された真理に全幅の信頼を置き、それを基盤とした信念(信仰)に燃えることです。あなたにはスピリチュアリズムという知識があります。それを基盤とするのです。
つまり理性に裏づけされた確信、信じるに足る根拠を持った信念(信仰)に燃えることです。あとのことは万事うまく行きます。真一文字に進んでください。あなたはあなたなりにベストを尽くしておればよろしい 

(シルバーバーチ最後の啓示 P79 ハート出版)

 

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令和2年3月)

どうしたら霊的摂理への強い信仰が持てるのだろうか? (人生の目的)(2020年2月26日)


霊的知識があるはずの長年のスピリチュアリストが心配や不安、取越苦労をする原因は一体どこにあるのでしょうか? また、逆境にあって肝心かなめのシルバーバーチが霊訓の中で約束した援助、すなわち霊界からの支援や導きへの全幅の信頼がなぜ持てないのでしょうか?
常日頃、霊訓に親しんでいるはずのスピリチュアリストでありながら、困難に直面してシルバーバーチの約束をすっかり忘れている、あるいは信頼していないということは、それを真(ま)に受け止めて真底から信じていないからではないでしょうか・・・。ひょっとすると、架空の別世界の話だと心のどこかで無意識に思い込んでいるのかもしれません。

シルバーバーチが交霊会で語った霊的支援の約束に対する私たちの不信をシルバーバーチも認めています。 その証左に参加者に向かって、“霊的知識のある者は一かけらたりとも心配してはいけない”と何度も何度も交霊会のつど、その根拠とあわせて繰り返し指摘しているからです。これはなにも当時の交霊会参加者に限っての話ではありません。私たちもまた正にそうなのです。大霊の計らいに絶対的な確信と信念を抱いてはいないということです。

霊的摂理への信仰と心配・不安は逆比例します。ではどうすればその信仰を高めることができるのでしょうか?
私たちのこの不信の原因は、霊界が見えない聞こえない世界であり、その実像が私たちの物質界とはあまりにも異なる異次元の世界だからではないでしょうか。且つ、霊能者でもない私たちはたとえ霊的知識はあっても“霊的な実感”がきわめて少なく、そのために霊界は知識の上だけの世界になっているのだと思われます。

ここでシルバーバーチによって明かされた霊界の姿を、思いつくままに列記しますと、下記のように私たちの世界とはことごとく真逆の世界となっています。

【物質界】(闇の世界)                   【霊界】(光の世界)
異なる霊性レベルの人が混在する世界  ⇔ 住んでいる界層は同じ霊性レベルの人のみ
五感で感じとる世界                 ⇔ 五感では感じとれない思念の世界
本能心中心(肉体・利己主義)           ⇔ 霊性心中心(霊体・利他主義)
死んだら全て終わり(唯物主義)       ⇔ 死んでからが永遠の実在の世界
物的財産は与えれば減る          ⇔ 霊的財産は与えれば増える
一人ぼっち                        ⇔ 地上では守護霊(背後霊)との二人三脚
人生に目的はない                   ⇔ 人生は次の霊界に備えるための学びにある

物質界の存在理由は、この地上という闇の世界(唯物主義)の中で光(霊的摂理)の存在を知り、初歩的な霊的摂理を効率的に学ぶことができるところにあります。

心配・悩み・不安を感じるような大きな困難・試練は霊的成長にとっての必須条件ではありますが、それに対処する霊界からの支援や導きへの霊的約束の知識はあっても、それを信じきる“不動の信念”にはとてもじゃないが一足飛びには辿り着くことはできないのです。
知っていることと、信じて実践することとは別物なのです。

 

●霊的成長は一歩一歩、少しずつ少しずつしか進歩しない。

⇒ その間、地上的な心配や不安と、霊的摂理への信頼(信仰)とは常に背中合わせ。
  すなわち、日常生活での人の言動や自らの猜疑心にとても左右されやすいため、心は地上世界と“霊訓の世界(霊界)”を何度も何度も行ったり来たりしています。まるで綱引きをしているかのようなものですが、当然のことながら唯物・科学万能主義の圧倒的な地上パワーに引きずられることの方が多いのが実情です。(肉主霊従)


霊的な進歩は着実でないといけません。近道というものはないのです。一歩一歩をしっかりと足固めしながら進まないといけません。一歩進むごとに次に進むべき方角が開けます。
これまでに啓示していただいたものを基盤として、ひとまずそれに甘んじるのです。
そしてもしも疑問が生じたら――きっと生じるものです。あるいはもしも疑念が湧いたら――必ず湧くものです。そしてもしも困難が厄介な頭をもたげはじめたら、慌てず我慢するのです。霊の力は物質に勝ることを忘れないことです。霊界から働きかけやすい条件さえ提供してくれれば、いかなる障害も、いかなる困難も、いかなるハンディも、霊の力で克服できないものはありません (シルバーバーチの霊訓 十一巻 P138)

 

物質界という地獄のような闇の世界で、艱難辛苦を経て“本当の自分(霊魂)”に目覚め、唯一物質界に向いていた心を真逆方向である霊的世界に向けて少しずつ方角を変えながら、一歩ずつ一歩ずつ霊訓に書かれてある霊的摂理を自ら確認しながら、着実に霊性進化をするようになっているのです。この地上世界に向いていた角度を180度変える近道というものは決してありません。それがゆえに、その“境地”に至るまでの過程で私たちは物質界と“霊訓の世界(霊界)”を行ったり来たりして、心配と不安が絶えないということになるのです。

霊訓を何度読んでも右から左へと読むしりから霊的知識はすっかり抜け落ちてしまい、なかなか身につかないものです。ちょうど心配・取越苦労などの雑念妄想念という心の雑草の中へいくら摂理の種を蒔いても一向に根づかないのと同じことです。だからこそ忘れる以上に何度も何度も読み返すことです。そして幼子のごとくその霊的真理にしがみつくことです。

 

●次に、私の考える信仰を高める具体的な方法について参考までに述べてみたいと思います。

 

1.まずは、五感にも見える形で救いの言葉を「シルバーバーチの霊訓」の中に求め、今の自分の心境にぴったりの箇所を繰り返し、繰り返し熟読し暗記すること。

 

2.この時、次元や時空を越えてシルバーバーチ自身(又は背後霊)が霊界から直接、自分自身に語りかけて導いていると自覚し受け止めること。

 

3.霊訓の中で語られているシルバーバーチの言葉は「霊力」という生命力そのものであり、時期が来ておればこの言霊(ことだま)が生命エネルギーとして“本当の自分(霊魂)”に流れ込む結果、魂が感動し、心は励まされ癒やされて元気が出てきます。

 

4.と同時に、かかる時間の長短はあっても、いま心配の元凶となっている逆境・試練の“真の意味”を「悟る」ようになり、勇気がでて冷静になって時間はかかっても克服することができるようになります。

 

5.しかしながらとても残念なことですが、自分を取り巻く周りの出来事があまりにも強烈で実感があるために、この時の霊的な感動はすぐに忘れてしまいます。そのため常日頃何度も何度も繰り返し霊訓を読み返す必要があります。

 

6.霊訓を潜在意識にまで透徹するぐらいに繰り返し熟読することによって、その内、その場その場の情況に応じて霊訓の言葉が潜在意識下から表面意識(顕在意識)上に浮かび上がってきます。あるいはまた「シルバーバーチの霊訓」の該当箇所に出会います。これは背後霊が霊訓の言霊をとおして霊界から導いているからです。

 

“霊界がドアを開ける時期”が来ておれば、想定外の奇跡的な霊的展開を実感することができます。そして、この経験を何度も何度も時間をかけて積み重ねることによって、少しずつ少しずつ霊界への確信、“不動の信仰”へとつながってゆくのです。
このように霊的知識は自らの試練・困難の中で実体験(実感)してみないと決して身につかないものです。だからこそ時間がかかり根気と努力と勇気が必要となるのです。霊的成長は決して安易なものではありません。苦労・努力の末に得られるのです。
心配・不安・恐怖・取越苦労などの原因となる自分を取り囲む全ての地上的な出来事は、宿命又は因果律から来ているかのどちらかであり、その目的とするところは突き詰めれば全ては自分自身のカルマの解消と霊的成長のためにあります。

 

このことで特に肝に銘じておかなければならないことは、願いや希望への精一杯の努力は日々なさねばなりませんが、あとは“霊界がドアを開く時期”や“人知を越えた導き(手段や方法)”は背後霊にまかせればよいのです。時間はかかっても収まるところに自然と収まり、結果オーライとなります。
目的は霊界や霊的摂理の内容を自ら実感体験し理解することにあります。いくら霊的知識があっても知識だけでは絶対にダメなのです。試練・困難の中で霊訓に書かれてあることを実践し、実体験しない限り決して身につきません。
やむおえないこととはいえ、どうしても物事は物的視野で捉えがちですが、様々な出来事は霊的視点で客観的に観察し、霊界の導きと時期を捉えることが絶対に必要となります。が、このことも初めの内は、過去を振り返ってみて初めて理解できるようになるのでしょう。

 

―最後に―
試練・困難にあたって、自分自身の考え、すなわち不安・心配事を延々と自問自答し続けるのか、あるいは「シルバーバーチの霊訓」に書かれてある“霊的援助”を信じて、そちらの考え方をとるのかの選択が問われることになります。両者のうち、どちらの考え方が試練・困難に対処する“正しい選択”なのかが問われているわけです。
よくよく冷静になって考えると、不安に取り囲まれた自分自身の考えなどたかがしれております。所詮、物欲第一主義で目先の短期的なことにしか考えが及ばないからです。全体像の今という長期的視野でものごとをとらえることができないということです。
「霊的真理」はもしもそれが本当に永遠不変の真理であるならば、どちらが正しい考え方かなどいうに及びません。自明の理ですが、簡単なようでいてとても勇気が必要でそれができないのです。
となると、突き詰めるとどこまで霊訓に書かれてある「霊的真理」を信じきれ、試練・困難にあたってそれを実践するかという問題にいきつきます。試練・困難に対峙するにあたって、自らの取越苦労を捨て、シルバーバーチの語っている“霊的援助”の方を信じて実践するかが正に問われているのです。
霊訓を読みながら試練・困難にあたる、この摂理の実践をしてみない限り、いつまでたっても決して“霊的実感”は得られないということです。

 

あなたを愛する人々、そしてあなたの心臓の鼓動や呼吸と同じくらい身近にいて世話を焼いてくれている人々が、あなたを見放すはずがないとの信念に燃えて下さい。 
内的な平安と静寂、自信と決意、そして、すべては大霊が良きに計らってくださるとの悟りは、そうした認識の中においてこそ得られるのです
。 
もとより、私の申し上げていることがそう簡単に実行できるものではないことは、私自身も先刻承知しております。が、霊的なことの成就が容易であろうはずがないのです”
(シルバーバーチ最後の啓示 P79 ハート出版)

 

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令和2年2月)

“コミュニケーションとコミュニオン”(背後霊)(2020年1月28日)


インターネットによる霊的摂理の普及活動は「時期の来た人」への霊的覚醒や霊的成長を目的としており、スピリチュアルヒーリングによる遠隔治療と同じ霊力の原理で働くため、両者は共通しているといえるでしょう。
そこで、MHテスター氏が交霊会でシルバーバーチに尋ねた遠隔治療の諸問題について、シルバーバーチは何と答えているでしょうか。とても参考になりますし、また重要な内容でもありますので、大変長くはなりますがその交霊会の記録から学んでみましょう。
(Lift up your heart P158~164)

 

「古代霊シルバーバーチ最後の啓示」 P22~28 ハート出版より 括弧内は亀水追加

 

テスター 「私が今かかえている問題は、コミュニケーション(語り合い)とは違った意味でのコミュニオン(触れ合い)のことです。(心霊)治療家としてこのコミュニオンが大切だと思うのですが、私にはそれが実感として感じとれなくて、暗中模索の状態です。 私の治療の仕方は今まで通りでよろしいでしょうか。もし他に試みるべき手段またはテクニックがあれば、教えていただきたいのですが・・・・・・」

 

“これはとても大切な問題(質問)です。霊(霊人)が物質(地上人)と関わり合うには無限といってよい段階があります。その中で、コミュニオンはコミュニケーションに優ります。 
コミュニオンというのは意識の高まり、ないしは深まりがもたらす魂の触れ合いのことで、霊視とか霊聴といった伝達手段によるコミュニケーションよりも実感があります。あなたの治療体験を振り返ってごらんになれば、何もしなくても自然に分かるようになってきたことにお気づきのはずです。その証拠に、患者にいちいちどこがお悪いのですかなどと尋ねる必要を感じないまま治療に入っているケースが多いはずです。 さらには、病気そのものの状態だけでなく、その原因まで直観的に分かってしまうことがあるはずです。それだけ進歩なさったわけです。私の意見としては、霊視や霊聴(コミュニケーション)よりはコミュニオンの能力を発達させるほうが大切だと思います

 

テスター 「よく分かります」

 

これ(コミュニオン)はスピリチュアルな手段の最たるもので、そうなることが望ましいのです。といって、私は他の能力がだめだと言っているのではありません。霊的な触れ合いが得られるようになった時は、霊界の相当高い界層にまで入り込んでおります”

 

(中略)

 

テスター 「こうして時折この交霊会で信念を再確認できることは有り難いことです」

 

“その通りです。神の意志を機能させるためには道具がいります。チャンネルになってくれる人間です。そういう人の協力を得なくてはなりません。命令はしません。あくまでも協調です。協調によって神の意志を成就していくのです。
難しい問題があり、悩みがあり、時にはうっとうしい気分になることがあっても、あなたは神の豊かな恩寵を受けられた方です。予定された道を歩んでおられます。使命を立派に果たしておられます。人のために役立っておられるということですe )それさえ心掛けておられれば、あとは時が至ればすべて落着くべきところに落着きます
一かけらたりとも心配の念を宿してはなりませんb)。まったく無用のことです。心配の念は敵です。魂をむしばむ敵です。絶対に侵入を許してはなりません。
これまでに啓示された真理に全幅の信頼を置き、それを基盤とした信念(信仰)に燃えることですa )。あなたにはスピリチュアリズムという知識があります。それを基盤とするのです。つまり理性に裏づけされた確信、信じるに足る根拠を持った信念(信仰)に燃えることです。あとのことは万事うまく行きます。真一文字に進んでください。あなたはあなたなりにベストを尽くしておればよろしいc )

 

テスター 「遠隔治療のことですが、私はこれまで私なりのやり方でやってきて、時たま良くなったとの手紙を貰う程度で、果たしてどこまで効いているのか実感がなかったのですが、今までどおりでいいのでしょうか。改善するとすればどういう点でしょうか」 

 

“今までどおりで結構です。遠隔とはいえ、直接手を触れて治療するのと同じ効果があります。理由は簡単です。あなたに治療を申し込むことによって患者との間にリンク(つながり)ができ、それが霊力の通う通路となります。その通路(道具)として霊に使われる以外に、あなたには何もできません。
つまりあなたは、通信機(送受信機・WEB)のような役割を果たすだけです。霊の触媒となるといってもよいでしょう。霊医が合成する治癒エネルギー(霊力・霊的摂理)があなたという人格(通路)を通して患者(時期の来た人)に届けられるわけです。
効果を上げるためには、あなたの受容力を高めるしかありません。受容力が高まれば、霊団との一体化が深まりますd )。これには時間と努力を要します。
これまでの経過を振り返ってごらんなさい。霊団との一体化が今までになく深まってきていることにお気づきになるはずです。いかがですか”

 

テスター 「かつては想像もできなかったほど(一体化が)深まっております」

 

それとともに“悟り”も深まります。すると今度は“明察力(察知する能力)”が芽生えてきます。治療家の仕事は手で触れてみることのできないもの、計量器で計ることのできないエネルギー(霊力)を扱う仕事です。
ですから、察知する能力がいります。そのエネルギーの潜在力は無限ですから、その中から患者に適合した最高のものを調合する必要が生じます。
霊側から治療家(スピリチュアリスト)に要求するのは、最善(ベスト)を尽くすということだけです。霊側も最善を尽くし、お互いの協調の中で、医学に見放された(救いを求める)
人々を救ってあげるのです。もしもそれで何の反応もないとしても、それは治療家の責任ではありません。患者(受け取る側)の責任です。霊的にまだ治るべき段階に至っていなかった(時期が来ていなかった)ということです。こうしたことはみな霊的法則の働きによって自動的に決まることなのです”

 

―地上界と霊界を結ぶ二種類の霊交についてー

 

1.霊体の有する才能による霊視・霊聴などの伝達手段によるもの・・コミュニケーション

 

2.受容力の高まりに伴う霊との同調による気づきによるもの・・・・コミュニオン
  背後霊と一体化(同調)しており、コミュニケーションよりも実感があって優れている

 

以上、霊交の仕方には霊視・霊聴など霊体の持って生まれた才能(霊能力)を使っての伝達手段(コミュニケーション)と、霊的な同調(attunement)による「直観」や「インスピレーション」などの気づき(awareness)によるもの(コミュニオン)との二種類があります。
コミュニオンとは霊との一体化、霊的な波動の同調・共鳴のことであり、霊的な触れ合いが深まる結果、磁気力にも似た吸引力の法則が働くともいえます。
  その磁気力あるいは受容力を高める方法として、前記霊訓の中で語られているものを以下に列記します。(該当する箇所は前記霊訓の末尾にアルファベットで表記)

 

a )霊的摂理を学んでその霊的摂理に全幅の信頼を置き、理性に裏付けられた確信、根拠をもった信念(信仰)に燃えること

 

b)霊的摂理への不動の信仰によって、心配の念を宿さないこと

 

c )霊的摂理に沿って最善(ベスト)を尽くすこと

 

d ) 決して一人ぼっちではなく、守護霊・指導霊などとの一体化を意識すること(祈ること)

 

e ) 生活を規律正しくし、その才能を人のために使用すること霊主肉従と利他愛の実践

 

背後霊との一体化を進めこのコミュニオン(霊的な触れ合い・同調)を深めるためには、長い時間をかけた霊的知識の学びや実践による数多くの霊的体験が必要で、加えて摂理への信仰を高める不断の努力が絶対条件となります。
物質界の私たちはあまりにも近視眼的なため、その場その場でコミュニオン(背後霊との触れ合い)が実感として感じ取れないものですが、背後霊との一体化が深まっていることはこれまでに辿ってきた過去の経過がそれを証明しています。
すなわち、一見偶然の連続のようにみえる数々の出来事も、霊的知識で観察すると霊界から背後霊が導いていることに気づくようになります。

 

この受容力を高める努力を長年続けていると、背後霊との一体化が高まり、前記の霊訓によると次のような霊能力の向上を辿るようにもなります。
このことは「シルバーバーチの霊訓」をより深く理解(深読み)することができ、さらにはインターネットによる霊的真理の普及にあたってきわめて大切な要素となります。

 

⇒ 霊的エネルギー(霊力)の受容力が高まる結果、霊的摂理への気づき(悟りや叡智)が深まります。

 

⇒ 洞察力が芽生えてきます。

 

⇒ 「直観」力や「インスピレーション」力が高まります。
これは背後霊の意識と一体となり、霊的な同調が得られるようになるからで、オクターブの原理同様、たとえ次元の違いで波長の高さは異なっていても、同じ音としてテレパシーで感応するからです。

 

以上、これまで背後霊(高級霊)との霊的な触れ合いについて学んできましたが、ここで地縛霊による憑依現象との違いについて簡単に述べてみます。

 

地縛霊、低級霊による憑依の場合 
● 本人に霊的知識なしか、単なる知識程度
● 本人の同意なし
● 本人の自覚なし(カルマによるものや我欲から気づかずに本人自身が呼び込んでいる)

 

背後霊(高級霊)との霊的な触れ合いの場合 
● 身についたしっかりとした霊的知識あり(実践と信仰への努力を長年行っている)
● 背後霊との霊交を望んでいて、本人の同意あり

● 霊的知識に基づいて背後霊の導きを明確に意識している

 

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令和2年1月)

“霊性の高い人は“本当の自分”を知る必要はないのでしょうか”(雑記)(2019年12月25日)


博愛主義で社会奉仕に全人生を捧げた世界的にも有名であった人々であろうと、まったく無名な市井の人々であろうと、“本当の自分”(霊魂)に目覚めていなくても自然と利他愛が身についている“霊性の高い”人は身近にもおられます。もちろんキリスト教の関係者にも当然のごとくおられます。多分、このことは過去生に起因しているのでしょう。
但し、キリスト教徒は別としても、そういう人々は必ずしも死後の世界を信じているわけではなく、また無宗教で霊的な側面に興味や理解を持っているわけでもありません。


シルバーバーチは当時のキリスト教社会の中にあって、“本当の自分”(霊魂)に目覚める必要性を何度も何度も強調しています。“本当の自分”(霊魂)を知ることが、地上人生の究極の目的だとまで断言しています。ということは真面目で熱心なキリスト教徒といえども、“本当の自分”に気づいていないということでしょう。


“本当の自分を見出すこと、それが人生の究極の目的だからです” 
(シルバーバーチの最後の啓示 P36 ハート出版)


それではなぜ“本当の自分”に目覚めることが人生の究極の目的なのでしょうか。
それは“本当の自分”(霊魂)を知ることによって魂が目覚めそして魂が活動を開始する、すなわち霊的なものを求めはじめるからです。魂が活動を開始するためには、まずは魂が目覚める必要があるのです。


“魂も辛酸をなめて初めて真の自我に目覚めるのです。それ以外に、地上で魂が目覚めそして活動を開始するための手段はありません” (シルバーバーチの霊訓 十一巻 P67)


相対のこの地上世界では霊的摂理を学ぶために、一旦、“本当の自分”は肉体を纏って過去生とともに隠される必要があるようです。が、シルバーバーチによるといつまでも“本当の自分”に気づかないで地上人生を終えることは、霊的摂理を学ぶという今生の目的を達成できなかったことになるようです。


“本当の自分”(霊魂)に目覚めていなくとも、もともと霊性レベルの高い人と、霊性レベルがたとえ低くても辛酸をなめて“本当の自分”(霊魂)に目覚めた、間違いや失敗を犯しやすく嘗ては利己主義(自己中心)であった人とは、当然霊性の高さはイコールではありません。
しかしながら、今生のこの地上人生の中では一体どちらが大切で重要なことなのでしょうか。たとえ博愛主義で利他愛や奉仕精神に富んだ霊性のとても高い人であっても、“本当の自分”(霊魂)や霊的な側面を一切何も知ることなく他界したとすれば、霊的に見てそれで目的に適った地上人生だったと果たして云えるのでしょうか? 
というのも、非常に愛情豊で霊性レベルが高くても“本当の自分”が霊魂であるという自覚もなく、霊的な側面にまったく興味や関心のない方々が世間には非常に多いのです。それどころか、そのような霊的な話をするといぶかしがられ、気持悪く思われたりします。


地上世界ではいくら霊性が高くても艱難辛苦の苦の体験は例外なく平等にやってきます。が、とても不思議なことに、私の経験では霊性が高くても時期が来ていなければ、やはり霊的な側面は受け取れないようです。


では、これに関してシルバーバーチは一体何と述べているのでしょうか?


交霊会の参加者:物質中心の考え方をしているために、一生涯、霊的なものに気づかずに終わる人が大勢います


シルバーバーチ:そういう人のことを気の毒に思ってあげないといけません。せっかくの地上人生を無駄にしたのです。真の自我を見出せずに終わったのです。 
(シルバーバーチの霊訓 十一巻 P41)


ここでは“霊性の高さ”は一切問題となっておりません。今生の地上人生の間に“真の自我”(霊魂)を見出すかどうか、ただそれだけです。


“あなたの地上生活は霊の幼稚園のようなものと思えばよろしい。真の自我である霊が私たちの世界つまり霊界での生活に備えるために、この地上で学習をするのです。しかし現実には、あまりに多くの人間が何の備えもなくやってまいります。そのため、こちらで改めて教育しなければなりません。地上でも、学校へ行かなかった大人に基本から教え直すのは難しいものですが、こちらへ来た人間に基本的な霊的教育をするのは、それよりはるかに困難となります” 
(シルバーバーチの霊訓 十一巻 P127)


霊性が上がれば、すなわち神性が開発されれば従属的に利他愛はほっといてもついてきます。
人に尽くし利他愛や奉仕精神にあふれた人になることを目標に今生を生きれば自然と霊性が上がるので、それさえできておれば“本当の自分”を知ることや、霊的摂理についての知識や信仰は必要がないとまでは言いませんが、どうしても重要性のトーンが下がってしまいます。


これはあくまでも私の考えではありますが、神性の発露の利他愛は霊性の高さの結果論なのです。神性の発露を決して軽視しているわけではありませんが、あくまでも発露であって、大切なことはいくら霊性が高かろうが、地上人生にあっては“本当の自分”(霊魂)を知り、魂が活動を開始して霊的成長を図る、すなわち霊的摂理を学びその知識を基盤とした摂理への信仰を不動のものとすることが、今生で何よりも優先されるべきことだろうと私は思っています。


“人生には二つの大切な要素があります。一つは(霊的)知識であり、もう一つは信仰(信念)です。(霊的)知識の裏付けのない信仰は〝折れた葦〟(マタイ12・20その他)のようなもので、いざという時に頼りになりません。が、(霊的)知識に信仰を上のせする───これが最高の組み合わせです。
あなたは人生とその意義についての理解をもたらしてくれた(霊的)知識はすでにお持ちです。
が、それとて、これから先あなたが入手していくべき(霊的)知識に比べれば、ほんのひとかけらに過ぎません。そこでその不足を補うための信仰というものが必要となります。
しかしそれも、あくまで事実に即した(霊的)知識を根拠とした信仰です。軽々しい信仰、理不尽な信仰、知性を侮辱する様な信仰ではなく、事実を根拠とした信仰、つまり、かくかくしかじかの事実がある以上はそう信じてもよいはずだという論拠をもった信仰です。それはあなたにとって大切なものです” (シルバーバーチの霊訓 十一巻 P136)


霊界からこの相対の地上界へ出生してきたということは、類魂を代表して霊的摂理を学びさらなる霊的成長を図るためであり、その霊的摂理を学び理解しやすいようにとわざわざ相対(両極)の舞台・学校が創られているのではないでしょうか。


“ただ私が置かれている立場上、すべての問題をその根底にある霊的な意義という観点から申し上げるしかないのです” (シルバーバーチの霊訓 十一巻 P82)

 

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令和元年12月)

“地上人生の霊的成長ガイドライン”(苦しみ・試練)(2019年11月26日)


前回に引き続き地上人生での霊的成長のプロセスについて、シルバーバーチの霊訓 十一巻 二章 「霊媒的能力」の中の“別の日の交霊会である霊媒に次ぎのような励ましの言葉を述べた―” (P45~P48)からみてみましょう。


A)地上人生の目的を成就するにはバラ色の人生ではダメなのです。
魂を目覚めさせるような“苦の体験”がどうしても必要となります。 例えば危機的体験、悲しみ、別離(死別)、病気などの絶望的段階や危機的状態に陥る体験などです。


“魂も辛酸をなめて初めて真の自我に目覚めるのです。それ以外に、地上で魂が目覚めそして活動を開始するための手段はありません” (シルバーバーチの霊訓 十一巻 P67)

 

この世には自分自身も含めて他に頼るものはないと悟り、科学万能の唯物主義に染まった自我(エゴ)を手放すことによって、これらの“苦の体験”が“魂の琴線”に触れる触媒となり、時期が来ておれば霊的なものを受け入れる準備が整い求めるようになります。

 

B)それでは、一旦、“苦の体験”から“本当の自分”(霊魂)に目覚めたなら、それ以降“苦”は無くなるのでしょうか?

 

残念ながら“本当の自分”(霊魂)に気づくか気づかないに関わらず、“苦”は常にやってきます。そしてそれが“心配の念”となって霊力や霊界の背後霊からの導きやインスピレーションの通路を塞いでしまいます。
このことは常日頃私たちも程度の差はあれ似たような体験をしています。私たちは何かとても大きな心配ごとがあると心はそれに捕らわれて他のことは上の空になってしまいます。他のことを受け入れる心の余裕が無くなるのです。これと原理は同じです。
このように心配・不安の感情は霊力が存分に、そして自由に身体に流入するのを妨げてしまいます。そして気の元(霊力)が流入しなくなるので、元気が無くなり顔にもそれが現れるのです。
そのためにシルバーバーチは何度も何度も繰り返し“心配してはいけません”と、交霊会のつど魂に目覚めているはずの参加者に毎回語っています。私たちにもまったく同じことがあてはまります。苦難・逆境は必要であり避けられませんが、心配してはいけないとシルバーバーチは諭しています。この“心配してはいけない”には情状酌量の余地、例外となるケースは一切無いのです。


霊的実在についての知識を手にした者は、不安・心配・悩みの念を宿すようなことがあってはなりません” 
(シルバーバーチの霊訓 十一巻 P51)

 

C)たとえ“本当の自分”(霊魂)に目覚めていても、大小さまざまな艱難辛苦がやってきます。それは、何一つ難問がないようでは霊的真理を求めず、また摂理が理解できないからです。
私たちの霊的成長には終わりはなく、内部の神性をより多く発揮すべく、進化と発達と開発のための不断の努力をしいられるということです。
地上世界ならではのいろいろな苦難や試練をとおして叡智や悟り、ゆるぎない摂理への不動の信仰を地上人生の間に身につける必要があります。それは人間関係も含めて両極の世界だからこそ、短い地上人生の間に大きく魂は成長することができるからなのです。

もしも私たちの毎日がバラ色の平穏な日々であれば、科学万能の唯物主義世界の中にあってスピリチュアリストといえども地上人生を謳歌し、幻に目がくらんでとてもとても霊的なものを求めたりしないでしょう。もしも仮に関心を持ったとしてもいつまでも続かないでしょう。これでは地上人生が光だけで楽しいことばかり、空腹というものを知らなかった一生で終わり、霊的摂理を学び成長するという本来の目的は達成できなくなってしまいます。
まさに光(霊的摂理)を求め見出すのは闇(苦)の中においてこそだからです。だからこそ一難去ってまた一難と、次から次へと波のように“苦”がやってくるのです。


それでは“本当の自分”(霊魂)に目覚めたあと、霊界から導かれ救いを得るには、A)絶対に避けられない“苦の体験”と、B)“一切心配してはいけません”との矛盾を、どのように私たちは解決すればよいのでしょうか。
この矛盾に対処するシルバーバーチの言葉を以下、同じ霊訓の個所(P47)から纏めてみましょう。


1.確固たる霊的知識に裏うちされた完ぺきな信頼自信信仰をもつこと。


2.(霊界の)私たちを信頼してください。きっと道をお教えします。扉を開いてさしあげます。


3.(霊界から)私たちは私たちのやり方私たちのタイミングで事を運びます。


4.あせってはなりません。快く私たち(霊界側)の協力者となってくれるだけでよいのです。そうすれば私たちなりの役割を果たします。


5.そして、(霊力の)通路を塞いでしまうことのないように、細心の注意をもって(不安の念を)監視しなければなりません。


となります。苦難や逆境の目的・意義は、霊的摂理を学び、それを裏付けにした摂理や霊界(背後霊)への信頼(信仰)を強化するという教育の一環だったのです。


“無知から生じる無用の心配の念が無数の人間の心に巣くっております。心配というのは想像の世界にしか存在しないものです。実在しないということです。それで私は心配の念を棄てなさいと繰り返し申し上げるのです。解決できない問題というのは絶対に生じません。重すぎて背負えないほどの荷は与えられません。常に明るく確信に満ちた雰囲気の中で生活していれば、必ずや援助し導いてくれる勢力を呼び寄せます” (シルバーバーチの霊訓 十二巻 P190)


艱難辛苦の大きな意義は、背負えない荷は背負わされないことや、背後霊の護りや導きがあり、必ず克服できるという霊界からの約束を信じて、心配しないという信仰の訓練・養成であったのです。


今いる私たちのこの両極の世界、地上世界での霊的覚醒と霊的成長には一定の定められたパターン(ガイドライン)があります。
例えば、“本当の自分”(霊魂)に気づくには1.苦の体験と、2.霊的なものを受け入れる用意のあること(時期に来ていること)が絶対条件となります。


また、一旦、“本当の自分”(霊魂)に気づいたあとは、地上世界(相対の世界)ならではの苦難や試練をとおして霊的摂理を学び、叡智や悟りをへて、霊的知識に裏うちされた本物の信仰を身につけ、さらなる霊的成長を図らなければなりません。
くり返しますと、家庭や仕事、社会活動などの日常生活を営む中で、例外なくさまざまな苦難や困難がやってきます。私たちスピリチュアリストはそのつど霊的摂理へ戻り霊的約束への信仰によって、この苦難・困難への克服体験を積み重ね、はじめて我が血となり肉となって摂理への理解や信仰が真に身につくのです。物質界での苦(闇)があるからこそ霊的摂理(光)の価値が判り、それを理解することができます。四苦八苦の“苦”の中で摂理を理解するために、わざわざ地上世界に出てきたのです。正に摂理を理解するためにこそ“苦”があるのです。


困難と障害は霊性を発達させ進化させていく上において必要不可欠の要素なのです” 
(シルバーバーチの霊訓 十巻 P21)


何度も何度も鍛えられてはじめて、かって発揮されたことのない、より大きな霊性が発揮するのです” (シルバーバーチの霊訓 十巻 P22)


ちょうど霊的摂理の机上(書物)での学習と、実生活をとおしてその霊的知識を実習する、すなわち実践(応用問題を解く)をすることになるのです。もちろん逆のコースも真なりです。
“苦”の意義を知りこの霊的な教育課程を効果的に、且つ、十分に身につけるためには地上人生の間にまずは“本当の自分”(霊魂)に気づいて、魂は目覚めておかなければならないのです。魂が活動を開始するために目覚めが必要となるからです。 (シルバーバーチの霊訓 十一巻 P67) 但し、目覚めたからといっても確信に至るまでには数多くの霊的体験が必要で、相当長い期間を要することになります。


同時にまた、シルバーバーチは私たちに次のようにとても力強い励ましの言葉も述べておられます。


“時おり私は地上の同志のもとを訪ねてみることがありますが、霊的知識をたずさえているはずの人が悩み、そして心配しているのを見て、不可解でならないことがあります。
霊的知識は、永遠の霊にはいかなる危害も及ばないことを保証する基盤であるはずです。
霊的知識を手にした者は常に光の中で生き、明日を思い煩うことがあってはなりません。
地上には人間が思い煩う必要のあることは何一つありません。
あなたの内部には霊的兵器――非常事態や危機に際して活用できる霊的資質(霊的感応性能)が宿されているのです。その潜在力を呼び起こし、待機している霊に訴えれば、解決できない問題は何一つありません
 (シルバーバーチの霊訓 十巻 P23)

 

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令和元年11月)

地上での霊的成長プロセスとカルマの解消”(雑記)(2019年10月26日)

 

ー地上人生で魂は目覚めなければならないー


●───あなたは人類全体が霊において繋がっているとおっしゃっていますが、大半の人間はそのことに気づいておりません。その霊性を発見するためになぜ目覚めなくてはならないのでしょうか。そこのところがよく分かりません。

“表面をご覧になって感じられるほど不可解な謎ではありません。理解していただかねばならないのは、人間は肉体を携えた霊であって霊を携えた肉体ではないということです
物質が存在出来るのは霊による賦活作用があるからであり、その霊は神性の火花として存在のすべて、生命を表現しているあらゆる形態の根源的要素となっているのです。
 改めて申し上げるまでもなく、地上へ誕生してくる目的は各自の魂の成長と開発と発達を促進するような体験を積み、肉体の死後に待ち受ける次の段階(霊界)の生活に相応しい進化を遂げることです” 
(シルバーバーチの霊訓 十巻 P39)


●“本当の自分(霊魂)を見出すこと、それが人生の究極の目的だからです”
(古代霊シルバーバーチ最後の啓示 P36)


●――物質中心の考え方をしているために、一生涯、霊的なものに気づかずに終わる人が大勢います。


“そういう人のことを気の毒に思ってあげないといけません。せっかくの地上人生を無駄にしたのです。真の自我(霊魂)を見出せずに終わったのです” (シルバーバーチの霊訓 十一巻 P41)

 

A)私たちは地上人生でカルマを作り続けている(原因をつくっている)

⇒ 私たちは欠点だらけで過ちを犯しやすい。 


●“あなたは人間である以上いろいろと間違いを犯します。弱点をお持ちです。長所ばかりではありません。人間味の本質は欠点があるということなのです。だからこそ地上へ来ているのです” 
(シルバーバーチの霊訓 十一巻 P17)


●“もしもあなたが完ぺきに振る舞える方だったら今この地上にはいらっしゃらないでしょう”
(シルバーバーチの霊訓 十一巻 P31)


●“あなた方に一点の非の打ちどころのないものを要求するつもりはありません。よく間違いを犯すものであることを承知しております。人間であるがゆえの煩悩によって過ちを犯しがちであることは十分承知いたしております” 
(シルバーバーチの霊訓 十巻 P153)

 

B)その結果として、苦難や逆境を招くことになる(埋め合わせと懲罰の法則)


⇒ もしも時期が来ておれば、その苦難・逆境をとおして霊的真理に出会い、“本当の自分”(霊魂)を見出して霊的成長ができるようになる。


●“霊に関わるもの、あなたの永遠の財産であり、唯一の不変の実在である霊に関わるものに興味を抱くようになるには、それを受け入れるだけの用意ができなくてなりません。そこで鋼と同じような試練を受けることが必要となるのです。苦を味わわねばならないということです” 
(シルバーバーチの霊訓 十巻 P22)


●“何一つ難問がないようでは霊的真理は理解できません。困苦の真っ只中に置かれてはじめて触媒が働くのです” 
(シルバーバーチの霊訓 十巻 P22)


●“困難と障害は、霊性を発達させ進化させていく上において必要不可欠の要素なのです
(シルバーバーチの霊訓 十巻 P21)


●“魂が真の自我に目覚めるのは太陽が光り輝いている時ではありません。バラ色の人生の中では霊性は発揮されません。危機、困難、障害、妨害の中にあってこそ発揮されるのです。それが魂に潜在する神性を自覚する唯一の触媒を提供してくれるのです”
(シルバーバーチの霊訓 十巻 P19)

 

C)霊界からの導き(霊的覚醒と霊的成長)


⇒上記のA)とB)をくり返す(原因と結果の法則)ことによって、時期が来ていれば以下の霊的成長プロセスを辿ることになる。


カルマ(原因) → 苦難・逆境(結果) → 霊的学びと霊的覚醒 → 信仰実践 → 霊的成長→ カルマ → 苦難・逆境 → 霊的学びと霊的覚醒 → 信仰実践 → 霊的成長 → ・・・(これが生涯続く)

これら一連の出来事は、相対の物質界にあって霊的成長に必要なプロセスであり、霊界からの背後霊の援助と導きがあったことが後で振り返ってみて理解できるようになります。

 

●“地上の人々、中でもとくに霊的知識を手にされた方が背後霊の存在を実感をもって認識してくだされば、どんなに有り難いことでしょう” 
(シルバーバーチの霊訓 十巻 P65)


●“過去を振り返ってご覧になれば、この道にたずさわる他の全ての同志と同じく、あなたの人生も間違いなく霊の導きにあずかっていることがお分かりになります” 

(シルバーバーチの霊訓 十一巻 P36)

 

D)霊的知識をたずさえた者に心配は一切無用です


⇒霊的覚醒を経て霊的知識を得た者は、霊界から常に守られていることを自覚し、その背後霊からの導きやインスピレーションを受け取りやすくするために、霊力の通路を塞ぐ原因となる“不安や心配の念”を宿すようなことがあってはなりません。

 

●“霊的実在についての知識を手にした者は、不安・心配・悩みの念を宿すようなことがあってはなりません。この種の感情は陰湿な性質を帯びております。活力に満ちた霊的エネルギーが届けられる通路を塞いでしまいます。生き甲斐ある人生にとっての必須の要素(霊力)が流入する上で不可欠な調和状態(霊、精神、肉体の三位一体)を妨げ、乱してしまいます” 
(シルバーバーチの霊訓 十一巻 P51)

 

●“心配してはいけません。心配の念はロクなものをもたらしません。心配の念は魂を蝕みます。心配の念は精神も錆びつかせます。心配の念はせっかくの霊的援助の通路を塞いでしまいます
(シルバーバーチの霊訓 十一巻 P59)

 

●“取り越し苦労は無知の産物です。霊的知識をたずさえた者が不安の念を抱くようなことがあってはなりません。同じく、悩みの念も、その中身が何であれ、成就されるはずのものを成就されなくしてしまいます”
(シルバーバーチの霊訓 十一巻 P47)

 

●“そのあなたが落胆したり明日はどうなるかなどという不安をいささかでも宿すようなことがあってはなりません。あなたはすでにこれまでも数々の危機をくぐり抜けてこられました。これからもイザとなれば必ず道が開けます
(シルバーバーチの霊訓 十一巻 P49)

 

●“皆さんは気落ちしたり悲観したりする必要はどこにもありません。信念(信仰)に基づいた希望に胸をふくらませて、常に楽観的であらねばなりません”
(シルバーバーチの霊訓 十一巻 P54)

 

E)それでは私たちのなすべきことは


⇒ 私たちのなすべきことは、その日一日、精一杯の努力のみ。

 

●“人間としての最善を尽くしてさえいればよろしいということです。それ以上のものは要求しません。たとえ倒れてもまた立ち上がることができるのです”
(シルバーバーチの霊訓 十巻 P140)

 

●“ご自分で精一杯のことをする───私たちから皆さんに要求するのはそれだけです。
もしもあなたが完ぺきに振舞える方だったら今この地上にはいらっしゃらないでしょう”
(シルバーバーチの霊訓 十一巻 P31)

 

●“向上とは不完全さを洗い落とし、完全へ向けて絶え間なく努力して成長していくことです。それは今日一日を大切に生きるということだけでよいのです
(シルバーバーチの霊訓 十巻 P34)

 

●“過ぎ去ったことは忘れることです。すでに後ろのものとなりました。前にあるものが大切です。言うまでもなく、今あなたが味わっている結果を生み出した原因は過去にあります。しかし同時にあなたは、これからの結果を今作りつつあるのです。良いタネを蒔くように努力なさることです”
(シルバーバーチの霊訓 十一巻 P17)

 

F)地上最大の貢献とは


⇒ 地上世界最大の貢献とは、他の人の“本当の自分”を悟る(魂の目覚めの)お手伝いをすることです。
この“霊的摂理の普及”は地上の何ものにも代えがたい程の価値があります。
利他愛の実践そのものである“霊的真理の普及”は、霊的知識のある私たち地上人にしかできないことであり、それこそが霊界側が強く私たちに切望していることなのです。

 

●“私たちは霊的な世界から物的な世界へ向けて影響力を行使しなければなりません。そのための通路として霊媒(地上人)を使用しなければなりません
(シルバーバーチの霊訓 十一巻 P47)

 

●“あなたがもしたった一人だけでも霊的真理に目覚めさせることに成功したら、それだけであなたの全人生が生きがいのあるものとなります” 
(シルバーバーチの霊訓 十巻 P157)

 

●“あなたは他人のために役立つ(魂の目覚めのお手伝をする)ことができるという測り知れない光栄に浴していらっしゃいます。それがあなたにとって地上における最大の貢献です。あなたはそのために生まれて来られたのです”
(シルバーバーチの霊訓 十一巻 P31)

 

G)カルマの解消


⇒ 今生で作った様々なカルマは、人が“本当の自分”(霊魂)を見出し、霊的成長ができるお手伝いをすることによって、結果として自らのカルマも打ち消すことになります。
何故ならば、それは“魂の救済”という霊界からみて地上世界最大の利他行為であり、神の子を導くことによって神に奉仕することになり、その結果が自動的に自らに返ってくるからです。

 

●――精神的にも霊的にも意識が向上した人が過去の罪(カルマ)を地上生活中に奉仕の生活によって償うのは可能でしょうか。


もちろん可能です。それが地上に生まれてくる、そもそもの目的なのですから。
難しく考えることはありません。いろんな霊的意識が目覚め、なぜ地上にいるかが分かれば、 それからの人生は償うべきものをどんどん償う人生となります” 

(古代霊シルバーバーチ最後の啓示 P81 ハート出版)

 

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令和元年10月)

“スピリチュアリストにとっての信仰とは一体何だろうか”(雑記)(2019年9月27日

 

【地上世界の現象に心が捕らわれて霊界の存在にまったく気づかない】

本当に毎日毎日、大小さまざまな事が自分自身の周りに起こります。加えて特別に嫌なことがあると心配や不安、悩みや疑い、取越苦労、怒りとなって、いつも心のどこかに引っかかっており、機会あるごとに表面意識に出てきて、何となく憂鬱になります。そしてこの雑念妄想念があたり前の習い性にさえなっています。

 

いくら書物で長年霊的知識を学んでいても、またそれを理性で十分理解しているつもりでも、現実のこの地上世界では五感の目には見えず、耳にも聞こえず、奇跡的な物理的心霊現象が周りで発生しているわけでもなく、まるで霊界は存在しないかのごとくで、あえて隠されているようにさえ思われます。それは“本当の自分”(霊魂)が肉体で隠されているのとまったく同じことです。
それ故、スピリチュアリストといえども普段は霊界を意識さえしていません。当然、守護霊のこともです。
科学万能・唯物拝金主義世界の中にあって、霊能者でもない限り五感でとらえられない世界を常に意識することはとても困難が伴います。だからこそ、現象面にとらわれやすくて雑念妄想念や不安、取越苦労が絶えず、一見絵空事で現実離れしているような霊的知識は何度読んでも一向に頭に残らないのです。丁度、岩盤唯物観念が精妙な霊的知識を常に跳ね返しているようなものです。その意味で、唯一、艱難辛苦や逆境がこの岩盤観念の波動の力を弱める働きをするのでしょう。

 

ここで新約聖書の中に出てくる十二弟子の一人、トマスの心境が思い出されます。
イエスの復活をその槍の傷跡に実際に指を突っ込むまでは信じられない、と仲間の弟子たちに話していたところ、イエスが現れて傷跡を見せられ“あなたはわたしを見たので信じたのか。見ないで信じる者は、さいわいである” (ヨハネの福音書 20章29)と諭される話があります。私たちも基本的にはトマスとまったく同じ心境です。
21世紀の現在、この物理的心霊現象が少ない理由として、20世紀初頭の世界的な科学者たちによって霊界の存在は既に科学的に証明済みであり(スピリチュアリズム入門:スピリチュアリズム普及会発行)、現代の私たち人類は次の段階として、霊的摂理を学びそれを日常生活に実践して霊的な成長を図る時代へと進んできているからだといわれています。(シルバーバーチの霊訓 十一巻 P57)

 

【避けられない苦難や逆境の人生】

私たちの地上人生の目的は霊的成長にあるといわれております。従って、逆境や苦難、試練は絶対に避けられません。その体験をとおして霊的に成長するために、わざわざこの物質界に出生してきたからです。
とても辛いことですが、この物質界でさまざまな艱難辛苦や逆境をとおして“本当の自分”を見出し、霊的成長をすることが“人間の進化の道”となっているからです。だからこそ苦難はありがたいものであり、むしろ歓迎すべきことですとシルバーバーチは語っています。ここが家内安全、無病息災などを祈願するご利益宗教との根本的な違いです。
                                         
“逆境の中にあってこそ人間性が鍛えられ、悲哀の中にあってこそ魂が強化されていることが分かります” (シルバーバーチの霊訓 十二巻 P150) 

 

【心配してはいけません】

但し、シルバーバーチは霊訓の中で、“一かけらの心配の念も持ってはいけない”と何度も何度もくり返し述べています。そして、直面する問題に対しては霊界からの導きがあり、必ず解決するので、精一杯の努力をしたあとは、解決する時期と結果は背後霊にまかせて、霊的摂理への“信仰”をもち続けなさいと語っています。

 

【摂理への信仰に必要な二つの心】

それでは、その“信仰”とは一体どういうものなのでしょうか
いうまでも無く、“信仰”とは信じることであり、信頼とか信用する、信念とかに置きかえることもできます。
では、どのようにすれば神への信仰が持て、強めることができるのでしょうか?
ここからは、神への信仰を神の意志が顕現している摂理への信仰に置き換えて述べてみます。

  1. “本当の自分”は霊魂であり、永遠の霊的存在であるという強い自覚をもつこと。
    “(私たちの)生命が永遠の霊的存在であるとの、もはや争う余地のない事実を基盤とした信念(信仰)であらねばなりません” (シルバーバーチの霊訓 十一巻 P54)だからこそ“本当の自分”は霊魂であることを知ることが摂理への信仰の基盤にとって必要であり、且つ、苦難と信仰は表裏一体で、これ故に霊的知識を学び霊的成長ができるようになるのです。

  2. “幼な子”のように素直な心になること
    シルバーバーチは神から与えられている理性の大切さを強調し、徹底的に霊的摂理を吟味するとともに、理性では判断できない未知なことは摂理に裏付けられた信仰をもちなさいと述べています。そのためのヒントとして、“幼な子”のように素直な心になりなさいとも語っています。

    “真理というものは童子(幼な子)のごとき素直な心になり、無知が生んだ過去の誤った概念(キリスト教教義など)から解放された時には、いとも簡単に理解できるものです”
    (シルバーバーチの霊訓 十二巻 P148)

    “小賢しい人間の浅はかな考えを捨てて幼な子のような無邪気さに立ち戻るまでは、この地上にあっても、あるいは私たちの世界へ来ても、大した進化向上は得られません”
    (シルバーバーチの教え 上巻 P31 スピリチュアリズム普及会発行)

    これは聖書の中で「一体天国ではだれがいちばん偉いのですか」と問われて、イエスが“心をいれかえて幼な子のようにならなければ、天国にはいることはできないであろう。”
    (マタイによる福音書 18章3)と語った言葉と相通じるものがあるように思われます。

【時期が来ていないと霊的摂理は受け入れられない】
では次に、霊界や霊的摂理への“信仰”についてここで考えてみましょう。
私たちには、あまりにもこの地上世界が現実的で物質的実感があるので、まるでそれが全てであり、肉体の死とともに土に帰り五感から消えると全ては無に帰するかのようにさえ思われます。そこで、いっそのこと物質界や霊界など一見抽象的で漠然としている言葉には捕らわれず、自分自身を信じるか、かたや高級神霊のマウスピースとして語っているというシルバーバーチの霊的摂理(真理)の方を信じるか、もっと分かりやすくいうならばシルバーバーチは真理を語っていると信じるかということに、単純化して考えると理解しやすくなります。
あくまでも霊訓をとおして霊的真理を学んだ上での話ですが、シルバーバーチは霊媒のバーバネルの潜在意識にすぎないと判断し、自分自身しか信用できないと考えるなら、それではそうすればよく、それまでの話です。
かたや間違いを犯しやすく常に心が揺れ動き、ひ弱な存在で未熟な自分自身にとても不動の信念を置くことができないと内観する一方、私たちにはときに真逆のように思えることでも、シルバーバーチの語る「宇宙の法則」は本当であり、永遠不変の摂理であると理解・納得できるのであれば、その不動の摂理・法則に自分自身の判断基準をおけばよいのです。
但し、「言うは易し、行うは難し」で、世間では常識となっている自分自身の見方を手放すということは口でいうほど容易なことではありません。いくら理性では理解しているつもりでも、霊界という一見現実離れした霊的知識をまるごと信じ日常生活で実践することは、地上世界の現象面に強く縛られている五感からくる感覚・感情がついてこれないからです。いわゆる頭では理解しているつもりでも、体がついてこないという話です。

 

ときどきインターネット上に、「シルバーバーチは信用できない、だまされてはいけない。」とのコメントが出てきますが、説いている内容のことでなければ、シルバーバーチはご自身に関することは一言も語らず、あくまでもより上層界の高級神霊から下ろされた叡智をマウスピースとして語っているにすぎない、と述べています。それも、宇宙の摂理とはこのようになっています、との理解を深めるための内容のみに徹しており、私利私欲につながるような自分自身に関することは一切何も語っていません。
地上の霊媒?をとおして誰でも知っているような歴史的有名人の名をかたって出たがっている多くの幽界の低級霊や地縛霊ばかりの中で、繰り返し何度問われても話の中味で判断してほしいと、シルバーバーチは3000年前の地上人生の身元すら60年間にもわたって頑固に明かしておりません。中味がなにも無いので権威付けのために、聞かれもしないのに簡単に有名人の名をかたって出てくるからかい目的の情けない低級霊とはまるで真逆です。
要はシルバーバーチの語っている霊的摂理、すなわち「原因と結果の法則(因果律)」や「神とは法則です」、「愛は摂理を成就する」等々、古からいわれてきている基本的な“宇宙(自然)の法則”が真理であると認めるかどうか、他方、それらの法則はデタラメで不完全であると判断するかどうかのきわめてシンプルな問題なのです。
しかしながら、いくらシンプルではあってもシルバーバーチがいう「時期が来ていないと受け入れられません」と述べているように、それを無理強いしてもまったく意味がないのです。

 

“霊的真理というものは、それを受け入れる用意のある人にしか理解されないことを銘記しなければなりません。叡智は魂がそれを理解できる段階に到達するまでは受け入れられません
(シルバーバーチの霊訓 二巻 P204)

 

“私たちがお届けするのは、神の叡智とインスピレーションの宝庫から取り出した崇高な真理です。といって私たちはそれを無理にも信じていただこうとは思っておりません。私たちの言う通りにしなさいとは申しません。宇宙の大霊との調和にとってこれ以上のよい方法はないと断言しているのでもありません。
私たちが断言すること、私たちの精一杯の思いを込めて断言するのは、霊の真理はいかに厳しい理性と知性と体験によって試されても、それに耐え得るものであるということです”
(シルバーバーチの霊訓 十一巻 P15)

 

【摂理への信仰を高める方法】
シルバーバーチの語った霊的摂理に関して、もしも理性で理解できる範囲内のことはすべて真理として受け入れることができるのであれば、あとは今は理解できない、もしくは未知で分からないこともそのシルバーバーチが語っているのだから未だ見ずともその“霊的知識”は信用できると信じ、それを日常生活で実践することが摂理への“信仰”なのです。
私たちの理解できる範囲内のものは所詮極めて限られたものであり、自分にとって何がベストなのか高々100年たらずの地上人生で世俗の垢にどっぷりと染まっている自分自身には実はほとんど何も分からない事ばかりで、迷いの多いこの地上人生で力強く不動の心で生きるためには、どうしても普遍の法則(摂理)を土台とした不動の信念(信仰)が必要とされます。

 

“物質に包まれて生きているこの地上では、全知識を得ることは絶対に不可能です。こちらへ来てからでもなお不可能です。そこで私は、知識の上に信仰を加えなさいと申し上げるのです。理性に裏うちされた信仰、知識を基盤とした信仰は立派です” 
(シルバーバーチ最後の啓示 P194 ハート出版)

 

ああでもないこうでもないと私たちの思案は堂々巡りで、常に心配、不安、取越苦労、自己顕示欲や嫉妬心などの心に振り回されている自分自身があり、かたや中には私たちの見方とは真逆に思えることも、霊界からの永遠の視点で述べていると語っているシルバーバーチの霊的摂理の方に自らの判断基準を置くのか、そのどちらを選ぶかの岐路・選択する責任が私たち霊的知識を知った者には求められています。
具体的に述べると、自分が今強く握りしめている心配や不安、怒りや嫉妬心や疑いなどの執着心から、シルバーバーチの言葉を信じて(信仰)、その日その日の一日摂理にそって可能な限り努力をした後は、霊訓の約束に従い思い切ってその問題を常に個々人を見守っている霊界の守護霊や高級指導霊などの背後霊に預け、心の中からそれを手放すということです。そうすれば導きやインスピレーションが入って来やすくなり、それをキャッチすることができ道に迷う事もなく導かれていきます。この時に求められているのは、正に“幼な子”の素直な心そのものの信仰なのです。但し、人や事象に向いていた心を手放し、霊界に我が身を預けるということは苦難や問題が大きければ大きい程、それに比例して非常に実践困難となり大きな勇気を必要としますが、逆に言うとその成果も非常に大きくなり、信仰が強化され霊的に大きく成長するというとても大きな成果が得られることになります。

 

―困難に遭遇した時の手順―

  1. 判断基準を霊的摂理に置き、その日その日の一日、摂理に沿って精一杯の努力をします。
  2. あとは霊界の守護霊・指導霊に我が身も含めて全てを預け、時期が来て“導きのドア”が開くのを辛抱強く待ちます
    このときには待つという忍耐が求められますが、結果として忍耐力、寛容心、赦し、信仰心などが鍛えられます。

※このようにシルバーバーチの語る霊的約束を信じて守護霊に我が身を全託するということは、霊的摂理と調和して生きるという摂理の実践そのものなのです。

 

【約束を信じて“導きのドア”が開くのを待つ】

世俗的な自分自身の見方や行動をとらずに、霊的摂理に対しては“幼な子”のように素直になって守護霊や指導霊など霊界へのまったき信頼・信仰をもって臨めば、霊的約束は今度は保護・監督者でもある霊界側にその約束を果たす責任や履行義務は移ります。
この時に決して忘れてならないことは、その“導きのドア”が開く“時期や結果”に関しては背後霊に全てをまかせ、それを全て受け入れるということです。なぜなら本人にとってそれが最善の道だからです。
この信仰を実践する上でとても大切なことですので、大変長くはなりますが下記に霊訓から引用致します。

“皆さん方のように霊的知識を手にした方でもうっかりすると忘れがちなことですが、私たち霊界の者はあくまでも私たちにとって都合のよいタイミングで私たちの方法でしか仕事ができないということです。
 言いかえれば、あなた方の都合に合わせてあなた方の方法でするわけにはいかないということです。地上へ働きかけるには、極めて微妙で繊細な影響力、この上なく複雑な取り扱いを必要とするバイブレーションを行使しなくてはならないからです。
 ところが人間は何かとせっかちであるために、往々にしてその性急さが、本来ならもっと楽に叶えられるはずの条件を阻害して、結局は実現を遅らせることになります。
私たちから要請したいのは受容性に富み、確信に満ち、冷静でのどかな精神、それに、とにかく自分にとって一番良いものがもたらされるのだ───ただしその機が熟した時に、ということを一点の疑念もなく洞察できる能力です。
 それにしがみつくのです。あせってはなりません。地上世界の一ばん困った点は、何かにつけてせっかちであることです。
 私たちが皆さんを目覚めさせるまでにどれだけの時を費やしたかご存じでしょうか。霊に関わることは““早く片付ける”ということが不可能なのです。無限なる叡智が案出した摂理に従わねばならないのです。
 もう一度繰り返します。真理は何度繰り返し述べてもよいでしょう。私たちは私たちのやり方で私たちのタイミングで事を運びます。あなた方の都合に合わせて行うわけにはいかないのです。
 霊的にみてどうなることが自分にとって一ばん良いかは、人間自身には正しく判断できません。人間の祈りを聞いておりますと、その願いどおりにしてあげたら霊的にはとんでもないことになると思われるものがよく見られます。
そこで私たちの判断に基づいて皆さんにとって一ばん良い形で援助します。指導してあげます。けっして裏切りません。見放しません。見捨てるようなことはいたしません”
(シルバーバーチの霊訓 十巻 P166)

 

私たちを信頼してください。きっと道をお教えします。扉を開いて差し上げます。閉め切られた扉をノックしてみて開かない時は、あきらめることです。ノックしてみてすぐに開いた時は、真っ直ぐに突き進まれるがよろしい。それがあなたにとって正しい道なのです”
(シルバーバーチの霊訓 十一巻 P47)

 

そしてこの信仰実践にとって大切なことは、守護霊や指導霊の存在を強く意識し、決して一人ではなく、霊的成長のため一緒にことにあたっていて、霊界からの励ましや指導、導いてもらっているという意識や自覚を折に触れあえて持つ努力をすることがとても大切な要素となります。(シルバーバーチの霊訓 十一巻 P26)
これはあくまでも地上世界にいる私たちだけの単にカルマの解消という個人プレーだけではなく、私たち個々の所属する類魂全体の成長や今生の目的・使命にかかわっている霊界も含めた団体戦であり、そのため類魂仲間を代表してコーチ役に守護霊が指名され、霊界から遣わされているからです。
はじめはおっかなびっくりかもしれませんが、その都度何度も何度も霊的原則(霊訓)に戻るという体験を積み重ね、時間をかけることによって導きのヒントを送り続けてきている守護霊の配慮に気づき、霊的摂理への“信仰”や守護霊との絆が一層強固なものとなっていきます。これを是非とも自ら体験する必要があります。

 

“あなたの人生思想の根幹となるべき霊的知識にまず絶対的自信を置くことです。そしてその知識だけでは処理できない事態が生じた時は、それに信仰(信念)を加えるのです。(中略)
背後霊の存在を信じることです。機が熟した時に必要な援助があります条件が整い、正当な必要性がある時は、背後霊は地上に物的な結果を生じさせる力(霊力)があります。私たちもそれを何度もお見せしてきました。これからも必要に応じて行使します。霊的知識を人に説く時は、背後霊は決して見棄てないことをよく言って聞かせてください。ですから、人間の方から背後霊を見棄てないように、ということも言い添えてください

(シルバーバーチの霊訓 十一巻 P33)

 

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令和元年9月)

キリスト教の“原罪と贖罪説”の間違い(雑記)(2019年8月13日)

 

―霊的真理からみた真の創世記―         青文字は私の解説
                                                                  
旧約聖書 創世記
第一章

 

 はじめに神は天と地とを創造された。
2 地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。
3 神は「光あれ」と言われた。すると光があった。
4 神はその光を見て、良しとされた。神はその光とやみとを分けられた。
 ⇒光とやみの相対の世界、物質界を創造された
5 神は光を昼と名づけ、やみを夜と名づけられた。夕となり、また朝となった。第一日である。

 

中略

 

26 神はまた言われた、「われわれ(高級神霊)のかたちに、われわれにかたどって人を造り、これに海の魚と、空の鳥と、家畜と、地のすべての獣と、地のすべての這うものとを治めさせよう」。
27 神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。 ⇒人間は神の分霊である

 

中略

 

第二章

 

中略

 

7 主なる神は土のちりで人を造り(肉体)、命の息(生命力・霊力)をその鼻に吹きいれられた。そこで人は生きた者となった。
8 主なる神は東のかた、エデンに一つの園(天国・霊界)を設けて、その造った人をそこに置かれた。
9 また主なる神は、見て美しく、食べるに良いすべての木を土からはえさせ、更に園の中央に命の木と、善悪を知る木とをはえさせられた。
 ⇒ 神は何故、その実を取って食べてはいけない木をわざわざ一番目立つ中央に生えさせたのか。そこには全知全能の神の意図、目的が必ずあるはずである

 

中略

 

15 主なる神は人を連れて行ってエデンの園に置き、これを耕させ、これを守らせられた。
16 主なる神はその人に命じて言われた、「あなたは園のどの木からでも心のままに取って食べてよろしい。
17 しかし善悪を知る木(⇒自己責任が生じる)からは取って食べてはならない。それを取って食べると、きっと死ぬであろう(⇒肉体は土にかえる)」。
                                         
中略

 

21 そこで主なる神は人を深く眠らせ、眠った時に、そのあばら骨の一つを取って、その所を肉でふさがれた。
22 主なる神は人から取ったあばら骨でひとりの女を造り、人のところへ連れてこられた。
 ⇒神はその肉体を守るために本能心を人に与えた
23 そのとき、人は言った。「これこそ、ついにわたしの骨の骨、わたしの肉の肉。男から取ったものだから、これを女と名づけよう」。
24 それで人はその父と母を離れて、妻と結び合い、一体となるのである。 (本能心と肉体)
25 人とその妻とは、ふたりとも裸であったが、恥ずかしいとは思わなかった。(自我の心と肉体が素っ裸の状態)

 

第三章
1 さて主なる神が造られた野の生き物のうちで、へび(利己心、自己中心の象徴)が最も狡猾であった。へび(利己心)は女(本能心)に言った、「園にあるどの木からも取って食べるなと、ほんとうに神が言われたのですか」。
2 女(本能心)はへび(利己心)に言った、「わたしたちは園の木の実を食べることは許されていますが、
3 ただ園の中央にある木の実(善悪を知る木⇒自己責任が生じる)については、これを取って食べるな、これに触れるな、死んではいけないからと、神は言われました」。
4 へび(利己心)は女(本能心)に言った、「あなたがたは決して死ぬことはないでしょう。

 

5 それを食べると、あなたがたの目が開け、神のように善悪を知る者となることを、神は知っておられるのです」。
6 女がその木を見ると、それは食べるに良く、目には美しく、賢くなるには好ましいと思われたから、その実を取って食べ、また共にいた夫にも与えたので、彼も食べた。
 ⇒人間には自由意志が与えられている証拠
7 すると、ふたりの目が開け、自分たちが裸であることがわかったので、いちじくの葉をつづり合わせて、腰に巻いた。(自我意識の目覚め)
8 彼らは、日の涼しい風の吹くころ、園の中に主なる神の歩まれる音を聞いた。そこで、人とその妻とは主なる神の顔を避けて、園の木の間に身を隠した。
 ⇒善悪を知り、神の命令に背いた罪を自覚した
9 主なる神は人に呼びかけて言われた、「あなたはどこにいるのか」。
10 彼は答えた、「園の中であなたの歩まれる音を聞き、わたしは裸だったので、恐れて身を隠したのです」。
11 神は言われた、「あなたが裸であるのを、だれが知らせたのか。食べるなと、命じておいた木から、あなたは取って食べたのか」。
12 人は答えた、「わたしと一緒にしてくださったあの女(本能心)が、木から取ってくれたので、わたしは食べたのです」。 ⇒彼は命令に背いた理由を神の所為にして、他人(女)に自己の責任の転嫁をしている・・・彼の自己中心を表している。人間の成長は未熟な自己中心からスタートする。

 

13 そこで主なる神は女に言われた、「あなたは、なんということをしたのです」。女は答えた、「へび(利己心)がわたしをだましたのです。それでわたしは食べました」。
⇒やはり女も自己の責任の転嫁を神の造られたへびの所為にしている・・女(本能心)の自己中心を表している
14 主なる神はへび(利己心)に言われた、「おまえは、この事を、したので、すべての家畜、野のすべての獣のうち、最ものろわれる。おまえは腹で、這いあるき、一生、ちり(唯物主義)を食べるであろう。 (⇒肉主霊従)
15 わたしは恨みをおく、おまえ(へび・利己心)と女(本能心)とのあいだに、おまえのすえと女のすえとの間に。彼(利他心・霊性心)はおまえのかしら(利己心・自己中心)を砕き(⇒霊的解放)、おまえは彼(霊性心)のかかとを砕く(噛みついて手間取らせる、妨害する)であろう」。
16 つぎに女(本能心)に言われた、「わたしはあなたの産みの苦しみを大いに増す。あなたは苦しんで子(物質界に属するもの)を産む。それでもなお、あなたは夫を慕い、彼はあなたを治めるであろう(霊性心が本能心を治める ⇒ 霊主肉従)」。
17 更に人に言われた、「あなたが妻(本能心)の言葉を聞いて、食べるなと、わたしが命じた木から取って食べたので、地はあなたのためにのろわれ、あなたは一生、苦しんで地から食物を取る(⇒物質界での艱難辛苦、逆境をとおして成長する道)
18 地はあなたのために、いばらとあざみとを生じ、あなたは野の草を食べるであろう。
19 あなたは顔に汗してパンを食べ、ついに土に帰る、あなたは土から取られたのだから。あなたは、ちりだから、ちりに帰る(肉体が土に帰る)」。
20 さて、人はその妻の名をエバと名づけた。彼女がすべて生きた者の母だからである。
21 主なる神は人とその妻とのために皮の着物(物質界でまとう形態:肉体)を造って、彼らに着せられた。
22 主なる神は言われた、「見よ、人はわれわれ(高級神霊)のひとりのようになり、善悪を知るものとなった。 ⇒肉体をまとって物質界に出生することによって霊は自我意識がもてるようになった。そして高級神霊への道が開かれた
彼は手を伸べ、命の木(生命力・霊力)からも取って食べ、(未熟で怠惰なまま天国で)永久に生きるかも知れない」。
23 そこで主なる神は彼をエデンの園(天国・霊界)から追い出して、人が造られたその土を耕させられた(⇒相対の世界、物質界での苦労)
24 神は人を(霊的成長のために物質界へ)追い出し、エデンの園(天国・霊界)の東に、ケルビム(天使)と、回る炎のつるぎ(試練、苦難、逆境)とを置いて、命の木の道(霊的覚醒への道)を守らせられた。

 


 

人が善悪とは何であるのかを知ることがはたして罪になるのでしょうか。
私たちが今存在しているこの地上世界は物質界という相対の世界であり、光とやみ、善と悪、愛と憎しみ、幸不幸、健康と病、裕福と貧困など、いやがおうにも両方を体験することになります。いろいろな霊性レベルの人間が混在するこのような比較対照の世界で、自らの辛い体験をとおして学び、反省することによって、思いやりや同情心などの利他愛が育まれてくるのではないでしょうか。また善悪に対する自由意志による選択権があるからこそ、自己責任をとるといえるのではないでしょうか。さらには肉体についている本能心(利己)から、神性を発揮する霊性心(利他)に至るまで、いろいろな段階を通過して人間は精神的に成長していくのではないでしょうか。
もしもそうであるなら、それらの観点から聖書の「創世記」の内容を今一度吟味検証してみましょう。

キリスト教では“へび”は神に敵対する悪魔(サタン)の象徴であり、アダムとイブの失楽園の物語を人間の呪われた“原罪”の根拠として捉えています。
しかしながら、霊的真理の観点からみると、それとはまったくの真逆で、この物語は人間が神の操り人形(ロボット)ではなく、善悪を判断選択する自由意志(自己責任)を持ち、自ら進化向上して高級神霊となる道を歩むことができるようになった、とても祝福された寓話となるのです。
進化向上の手段・道具として、悪の象徴としてのヘビ(利己心・本能心)もまた神が造り与えられたことを決して無視してはいけないのです。
地上的な観点から神を人間的な怒りの神としてとらえているのか、他方、霊的視点で人間の進化向上の道を創世記に観るのかの違いが真逆の話となってきます。

 

【創世記の重要ポイント】
●神はその光とやみとを分けられた。(1:4)
⇒ 人間を創る前に全知全能の神は両極の世界、相対の物質界をまず初めに創られた。では、何のために創られたのか、その目的は?

 

●神のかたちに人間を創造された。(1:27)
⇒ 次に、神の分霊としての人間を創られた

 

●エデンに一つの園を設けられた。さらに園の中央に命の木と、善悪を知る木とをはえさせられた。(2:8,9)
⇒ 神がその実を取って食べてはいけないという二種類の木を、わざわざどこからでも見える中央にはえさせたその目的、意図とは・・・人間の自由意志を表すために木をはえさせた

 

●あばら骨で女を造った。(2:22)
⇒ 肉体を護るために物質性を帯びた本能心を与えた

 

●神がへびを造られた。(3:1)
⇒ ここでの“へび”は利己心(自己中心)の象徴であり、決して堕天使の悪魔(サタン)を創られたのではない・・・人間と異なり天使には悪の心がなく堕落のしようがない
                                         
●木の間に身をかくした(3:8) 
⇒ 善悪を知り、神の命令にそむいた罪意識を持った証拠

 

●(3:12)
⇒ 人(彼)は実を食べた責任を、神が造られた女の所為にして、神と女(妻)にその責任を負わせようとした。これは人は生まれながらにして自己中心(利己)であることを表している

 

●へびが私をだましたのです(3:13)
⇒ 女は実を食べた責任をへび、すなわち神が造られた野の生き物の所為とし、間接的に神に責任をなすりつけている。このこともまた自己中心を表している。人(彼)も女もお互いにすべて他人にその責任を擦り付けている。人間の成長は未熟な利己性から始まるという意味

 

●主なる神はいわれた、「見よ、人はわれわれのひとりのようになり、善悪を知るものとなった。」 (3:22)
⇒ 人は物質界で善悪を知り、自由意志によってそれを選択することによって因果律をとおして自己責任をとり、自らの力で進化向上する道がここに開かれた。・・・天使の進化の道とは異なる

 

●彼は手を伸べ、命の木(霊の力)から取って食べ、永久に生きるかも知れない。(3:22)
⇒ エデンの園(天国・霊界)でいつまでも何不自由なく怠惰で未熟なまま永遠に生き続けないように、進化向上のできる物質界に追い出した。(再生を繰り返す目的)

 

●神は人を追い出し、エデンの園の東に、ケルビム(天使)と、回る炎のつるぎ(試練・困難・逆境)とを置いて、命の木の道(霊的覚醒の道)を守らせた。(3:24)
⇒ 霊的成長のために物質界に追い出し、試練や困難、艱難辛苦を経ることによって霊的に覚醒し、進化向上するようにした。・・・人間の進化の法則

 

へびや女は自己中心や本能心の象徴であり、善悪、光と闇、愛と憎しみ、霊性レベルの違いなどの相対の世界、物質界という人間が進化向上できる舞台(学校)を神が創られた。すなわち、未熟な利己(本能心)を神の摂理からとおく離れた悪と捉え、利他を摂理(神の心)に合致した善と捉えるのです。この善悪の比較対照があるからこそ、人間は善が理解でき成長することができるのです。

 

何度も同じことのくり返しにはなりますが、上記の創世記のストーリーを纏めると、

  1. 神は光とやみ、善と悪、愛と憎しみ、健康と病気、幸不幸、お金持ちと貧困などの相対の世界、物質界を創られた。

     

    “人生は全て比較対照の中で展開しております。光も闇もともに神を理解するうえでの大切な要素です。もし光と闇とが存在しなければ、光は光でなくなり闇は闇でなくなります。つまり光があるから闇があり、闇があるから光があるのです。同じく昼と夜がなければ昼は昼でなくなり夜は夜でなくなります。愛と憎しみがなければ愛は愛でなくなり憎しみが憎しみでなくなります。その違いが分かるのは相対的だからです。しかし実は両者は一本の棒の両端にすぎないのです。元は一つなのです。しかしその一つを理解するには両端を見なければならないのです。それが人生です。光と闇の両方がなければなりません。温かさと寒さの両方がなければなりません。喜びと悲しみの両方がなければなりません。自我を悟るにはこうしたさまざまな経験が必要です” (シルバーバーチの霊訓 一巻)P71

     

  2. 善悪を知る実のなる木を生えさせた ⇒ その実を取って食べるかどうかは人間の自由意志(自己責任)にまかせられた。
  3.  

  4. 善悪を知る実を食べた ⇒ 善悪を知った ⇒ 自我意識をもった ⇒ 罪意識をもち神から身を隠した  ⇒自己の責任を他人の所為にした(自己中心)
  5.  

  6. 相対の世界で回る炎のつるぎ(艱難辛苦・病)を通過して苦しみぬいた末に、霊的覚醒(本当の自分;霊魂に気づく)に至る道を創られた。“本当の自分”に気づいた後、命の木からその実(生命力・霊の力)をとって食べる(流れ込む)ことができるようにした。
  7.  

  8. 相対の世界(物質界)への再生を繰り返すことによって、未熟な利己から神性の利他へと進化向上を図り、高級神霊となる人間の進化の道を創られた。

これが「天使の進化の法則」とは異なる「人間の進化の法則」なのです。

 

“この宇宙には、物的身体による体験をもたない高級霊(天使)の界層が存在します。そういう種類の霊にしかできない宇宙経綸の仕事があるのです。一度も地上の人間のような形態を持ったことのない高級霊です。その界層での成長にとって地上的顕現は不必要なのです。居ながらにして高級霊で、宇宙の上層部に所属しています。光り輝く存在というのがそれです。現実にそういう存在がいます” (シルバーバーチの新たなる啓示 P124 ハート出版)

 

悪は未熟という意味であり、キリスト教の教義でいう人間の“原罪”というものは作り話で本来存在しておりません。そうなると、私たち“人類の原罪”の身代わりとなったナザレのイエスの十字架上の贖罪説もまったく意味のない作り話ということになります。
人間は悪人も善人も霊性進化の段階の違いだけであって、神の分霊として例外なく死後も永遠の命をもつ巡礼途上の霊魂なのです。十字架上の身代わりによる贖罪説は、自己責任という霊界も含めた宇宙法則の根本原理である因果律(原因と結果の法則)に真っ向から反する、キリスト教会の組織を維持するために人間が作り出した人工の教義(ドグマ)そのものなのです。

 

“自然の摂理(因果律)によってきちんと公正が行きわたっております。必ずしも地上生活中にそうなるとはかぎりませんが、その場合は霊界において精算されます。そういうものなのです” (シルバーバーチの霊訓 十巻)P125

 

但し、ナザレのイエスについて、ここではっきりしておかなければならないことがあります。
シルバーバーチの霊訓を引用しましょう。

 

“ナザレのイエスは今なおわれわれのこうした仕事(霊的真理の普及活動)の背後の中心的指導者として活躍しておられます” (シルバーバーチの霊訓 十一巻)P87

 

―結論―
神はまず初めに、光とやみの世界、すなわち善悪の相対の世界、物質界を創られた。
肉体をまとって物質界に誕生することにより霊に自我意識をもたせ、自由意志による善悪選択の自由を与えて自己責任をとらせ、人間に成り立ての未熟な霊魂が利己から利他へと徐々に神性を発揮し、高級神霊を目指して向上するという人間の進化の法則を創られたのです。

“意識を獲得するためには物的身体に宿って誕生し、物的体験を得なければなりません。
物matter から霊spiritへと進化していくのです。つまり物的身体との結合によって、物的個性を通して自我を表現することが可能となります。霊は物に宿ることによって自我を意識するようになるのです” (シルバーバーチの霊訓 五巻 P145)

 

注)ここで引用されている“女”とは、地上世界でいう性差の男女ではなく、本能心(エゴ・自己中心)の象徴として比喩で語られています。

人間の霊的成長にとって地上の性差は一切関係なく、事実、再生を繰り返す過程で何度か男女入れ替わって出生してきております。

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令和元年8月)

“霊的知識への責任と信仰”(雑記)(2019年8月1日)

 

―オースティンが、死後にも生命があることを知って、浅はかな人間は地上的生命を軽んじることにならないだろうかという意見を述べたのに対して

シルバーバーチ;
“知識が増えるにつれて責任も大きくなることをわたしが繰り返し説いてきたことはご存知でしょう。霊的知識を手にすれば、その時点からその活用の仕方に責任が付加されます。その知識の分だけ生活水準が高まらないといけません。高まらなかったら、その代償を支払わされます。ごまかしは利きません。知識を授かったからには、言い逃れは許されません。宇宙の機構がわかり、生命の秘密が明かされたからには、隣人に対して、世の中に対して、そして自分自身に対して、より大きな責任を付加されたことを自覚しないといけません。生活が豊かとなり、神聖さを増し、人のために役立ちたいという願望が内部で燃えさからないといけません。
 もしもそうならなかったら、その知識はその人のものになり切っていないことを意味します。素通りしていっただけだったことになります。知識がそこにあることを知りつつそれを活用することができないでいると、それによって逆にその人の霊性が弱められ、害をこうむることになりかねません
 大霊の摂理はごまかせません。たとえ高等そうな理屈を並べてもダメです。皆さんがスピリチュアリズムと呼んでいる霊的知識は、この宇宙という生命機構の中で人類がどういう位置を占めているかを自覚させてくれます。もしそれが正しく自覚できなかったら、その人はせっかくの教訓を学ばなかったことになり、その代償を支払わされることになります。それを真理のせいにしてはいけません。自分が悪いのです。たとえ自分を素通りしたにすぎなくても、真理は真理です。真理は理屈で歪げられるものではありません。真理は真理であるがゆえに真理なのです” (スピリチュアリズムによる霊性進化の道しるべ P227  普及会発行)

 

霊的知識のある人は心配する必要はみじんもありません、という高級神霊シルバーバーチの霊界からの約束を含め、私たちがたとえ普段自覚してはいなくても、霊的知識に対する責任は私たちの想像以上にとても重いようです。
霊的知識に対する責任という点で、罪(カルマ)の大きさが霊的無知な場合とは違ってきます。すなわち、摂理を知っていながら利己心から実践しない、又は摂理に反することを知っていてするという“原因”の種を蒔くと、刈り取りの“結果”は霊的無知な人よりも因果律からペナルティが大きくなるということです。たとえ真に受け止めず霊的知識が素通りしていっただけでもです、とシルバーバーチは語っています。
霊的摂理を知った者は、神から与えられているとても大きな特権を知り、それを活用する権利があると同時に、自他に対する義務(責任)をも負っているという表裏一体の関係にあります。
宇宙の法則は因果律という絶対的な公正・公平で支配されており、霊的摂理を知っているスピリチュアリストだから特別に大目に見るということは絶対にありません。むしろ逆になります。
分かりやすい例として、何も知らない幼子が本能のままに罪を犯すのと、善悪の判断のできる大人が同じ罪を犯す場合との罪に対する責任の重さの違いなのです。特に、霊的なことに関しては、本体の霊魂に関することだけに、その責任はもっと大きくなるのです。
真理は真理であるがゆえに真理として、たとえ素通りしたにすぎなくてもその霊的知識に対する責任の重さに応じて因果律は働くということです。これには取越苦労や心配、不安に対してシルバーバーチが語った霊界からの約束の言葉もまたまさしく霊的知識であり、当然その中に含まれています。

 

“が、あなたがもし私と同じ位置に立って眺めたら、明日はどうなるのかについての一切の心配も恐れも不安も消えてしまうでしょう。あなたの背後には宇宙最大の霊力が控えているのです。その力は決して裏切りません”(霊的知識) (十一巻)P30

 

これらの霊的知識を知ったあとその言葉を信じるかどうか、すなわち素直に受け止め神から与えられているその権利を信じて行使するかどうか、または右から左にその知識を素通りさせてしまうかは、自由意志をもつ人間の自己責任の問題ということになります。が、そのことにはお構いなく、真理は真理であるがゆえに真理なのです、とシルバーバーチは語っています。

 

それではここでその霊的知識とその責任に関し、摂理への信仰が人生の目的である霊性進化にどのように関わってくるのかについて考えてみましょう。

 

いくらスピリチュアリストと自負していても、私たちのような平凡な人間はお互い罪や間違いを常におかしがちです。だからこそ地上に修行に来ているのですとシルバーバーチは語っています。既にイエス・キリストの誕生より2000年も経っていますが、いまだに戦争や極端な貧困、迫害など、国家、個人を問わず世界中で発生し、たとえ局所的とはいえエゴのぶつかり合いで、まさに地獄の様相を呈しています。

 

その結果、必然的にやってくる
Ⅰ.さまざまな人間関係の衝突や嫌なこと、苦難、逆境などの試練・困難に遭遇することになります。そこから教訓を学ぶことが大切で、地上世界ではそのことがカルマの解消、霊性進化、成長の手段・目的にもなっています。

 

“問題が生じるのは当然の成り行きです。地上は困難と挫折と障害と逆境に遭遇させられる場所なのです” (十巻)P150

 

“皆さんは不完全な世の中の不完全な存在である以上、かならず失敗を犯します”(十巻)P102

 

進歩は困難に遭遇した時に得られるのであって、気楽な生活の中では得られません。それぞれの魂が内在する力を引き出すための努力をするように何らかの試練の時に遭遇するというのが、進化における不可欠の過程の一つなのです” (十巻)P204

 

Ⅱ.他方、困難に対しては取越苦労や心配をする必要はないとシルバーバーチは語っています。

 

人生のすべての相を支配している永遠の霊的原理をかい間見るという光栄に浴した者は、明日はどうなるのかという不安を抱く必要はみじんもありません” (十巻)P197

 

一かけらとも心配の念を宿してはなりません。まったく無用のことです。心配の念は敵です。魂をむしばむ敵です。絶対に侵入を許してはなりません。これまでに啓示された真理に全幅の信頼を置き、それを基盤とした信念(信仰)に燃えることです。あなたにはスピリチュアリズムという知識があります。それを基盤とするのです” 
(シルバーバーチ 最後の啓示 P26 ハート出版)

 

苦難、逆境は霊的成長に不可欠だが一切心配する必要はないとは、あたかもシルバーバーチは火を煽っておいて、水をかけるという一見矛盾するかのような言葉を語っています。
が、その意図するところは、背後霊の導きを含め霊的摂理への信頼・信仰を私たちに強く求めているのです。

 

Ⅲ.困難や逆境に遭遇すると霊的知識を求め、そこから摂理への信仰を深め、霊力の通路を開き背後霊に導かれ克服することが霊的学びとなります。

 

“確固たる霊的知識に裏うちされた完ぺきな信頼と自信と信仰(信念)とがある時はその通路が開かれており、受容性が高いのですが、そこへ不安の念が入り込むと、とたんに雰囲気が乱れて、通路を塞いでしまう要素が生まれます。取越苦労は無知の産物です。霊的知識をたずさえた者が不安の念を抱くようなことがあってはなりません。同じく、悩みの念もその中身が何であれ、成就されるはずのものを成就されなくしてしまいます” (十一巻)P47

 

霊的摂理を信頼することで取越苦労や心配・不安になることをやめ、背後霊の導きを信じて霊力の流入を図る必要があります。このことも霊的摂理への信頼というりっぱな信仰実践なのです。この信仰とは霊的真摂理を土台とした“信念”のことです。

 

Ⅳ.地上は、内部の神性(利他愛)を可能な限り発揮する機会を提供する場所なのです。

“地上というところは予備校ないしはトレーニングセンターであって、その目的は内部の神性(利他愛)を可能なかぎり発揮する機会を提供することである、ということです”(十巻)P200

 

次に、これらのことを具体的な事例をあげて見てみましょう。

 

受け入れる時期の来た者が、不治の病や取越苦労・心配・不安・恐れ・悲しみにおちいる(肉主霊従)
⇒ シルバーバーチの霊訓に導かれ霊的真理に出会い“本当の自分”(霊魂)を知る
⇒ その霊訓で取越苦労や不安、心配をする必要はないとシルバーバーチは慰め、語っている
⇒ すなわち、私たちは霊界からの導きや護りへの信頼というかたちで信仰が問われている
⇒ 日常生活で繰り返しその摂理への信頼が試され、都度霊訓に戻り霊界への信仰が次第に強化、深まっていく
⇒ 徐々に自分自身を霊界(背後霊)に預けることができ、慰めや救いを得て心に余裕が生まれてくる
⇒ 利他の心が芽生え、いまだ同じ暗闇の中にある人のために役立ちたいという願望へとつながってくる
⇒ その結果が真理の普及活動や、人に対しての忍耐や寛容、赦しとなって利他愛(神性の発揮)の行動として現れてくる
⇒ 日常的にやって来るさまざまな試練・逆境に、霊的摂理や守護霊・指導霊などへの信頼(信仰)で対処することが徐々に早くできるようになる(霊主肉従への転換)

 

スピリチュアリスト自らの立ち位置が、地上世界中心(肉主霊従)か霊界中心(霊主肉従)かは、取越苦労や心配・不安の強さがそのバロメーターとなっています。物質的観点から考えるか霊的視点から観るのかの違いです。
この地上世界にあって、逆境の最中に置かれても不動の信仰(信念)で霊界中心(霊主肉従)となり、泰然自若となるには、一朝一夕には絶対にできるものではありません。私たちには試練・困難の局部しか見えず、霊界までも含めた全体像がどうしても見えないからです。
当時、交霊会を開催するたびに既に霊的知識があり、且つ、霊的世界のベテランであるはずの参加者に対して、シルバーバーチは同じことを毎回々繰り返し語っていることがそのよい例です。
私たちのようにこの世の世事にどっぷりとまみれながら、霊的摂理への不動の信仰をもつにはとてもとても長い期間にわたる修養・努力が必要となります。それには都度霊訓に立ち戻り、霊的知識をあらゆる日常生活で活用する、すなわち適用実践して少しずつ信仰が深まるという長期にわたる日々の努力の地道な積み重ねが必要となります。生涯をかけて修養・努力をするといえるかもしれません。

 

“あなたの人生思想の根幹となるべき霊的知識にまず絶対的な自信を置くことです。そしてその知識だけでは処理できない事態が生じた時は、それに信仰を加えるのです。手にされた知識を根拠とした信仰です。 (中略) 背後霊の存在を信じることです。機が熟した時に必要な援助があります。条件が整い、正当な必要性がある時は、背後霊は地上に物的な結果を生じさせる力があります”(霊的知識) (十一巻)P33

 

この寸感を、心を込めて熊本のE.Tさんに贈ります。

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令和元年7月)

“魂に自由をもたらしていく仕事”(雑記)(2019年6月24日)

 

“お互いの協力によってこれまでに成し遂げた成果を私たちは心から喜び、これからさらに多くの魂に自由をもたらしていく仕事にも自信をもって臨んでおります” (十巻 P161)


この“魂に自由をもたらしていく仕事”とは、注意していないと何となく読み過ごしてしまいそうな大変シンプルな言葉ですが、私たちの地上人生にとって実はとても深い意味があり、人生を左右するほどの非常に重要な言葉なのです。
私たちはこの地上で憑依の問題も含め、日常さまざまな困難、試練、逆境に遭遇します。


そのため、“地上には暗黒と疑念と当惑と絶望の中で生きている魂が多すぎます。私たちはそういう人たちに手を差しのべねばならないのです。神の愛の存在を教えてあげなければならないのです。精神的に生まれ変わって豊かな生きがいある人生を送る、その原動力となる霊力の存在を知らしめなくてはならないのです” (十巻 P169)


ここで述べられている“霊力の存在を知らしめる”とは、“霊的摂理の存在を知らしめる”、すなわち“霊的知識の普及”のことなのです。何故なら、神=霊力=霊的摂理だからです。


私自身に振り返って考えてみましょう。
私が、いかに信仰心が足らずいまだ未熟で力不足といっても、仮にもし霊的知識がまったく無かった人生だったとしたら、多分私はビジネスの世界など私を取り囲む環境の中で取越苦労や心配、不安など消極心一辺倒になっていて、ひょっとしたら鬱病になっていたかもしれません。現に霊的摂理に出会うまでの私がそうでした。そして誰にも会いたくなく、一人で部屋に閉じこもって自宅から一歩も外に出たくなくなっていたかもしれません。今では想像することも困難なぐらいとても考えられない人生ですが、霊的無知からくるとはいえきっと悲惨なことになっていたでしょう。それこそ霊的砂漠の人生そのものです。
それが、長年にわたる暗い影の谷間をとおってやっとの思いでたどり着いた霊的知識のお陰で、“本当の自分”を知り、死の向こうにこそ“実在の世界”があり、決して一人ぼっちで生きているのではなく、それどころか今生の人生の目的まで見出し、今では自信を持って生きがいある人生を送ることができています。
さらに動機が善で私心が無ければ、摂理の普及活動に限らず霊界の高級霊から絶大な支援や力、奇跡的な導きが得られることも知らされました。霊界のタイミングでことは運び、決して自分の希望する通りではありませんが、それは結果として自分自身にとっての最善の道であることも経験をとおして知りました。


“私たちから要請したいのは受容性に富み、確信に満ち、冷静でのどかな精神、それに、とにかく自分にとって一番良いものがもたらされるのだ───ただしその機が熟した時に、ということを一点の疑念もなく洞察できる能力です” (十巻 P166)


苦難は他界後の世界に備えた自分自身の霊的成長のためにあり、決して背負えないほどの荷は背負わされず、最後には万事うまくいくことも知っています。
さらに、もしも疑念や不安に取り憑かれたときは、過去の数々の奇跡的な導きの実体験を思い出すこともシルバーバーチによって知らされました。
もしもこれほどの有り難い“霊的摂理”を知らなかったならば、間違いなくとても惨めな人生を送っていただろうと本当に心より感謝に堪えません。“本当の自分”を見出し、地上世界の暗闇から解き放たれ自由の身になったからです。よくぞ今生で時期が来て霊的摂理へ導かれたものです。
そうであるならば、次なる課題はその摂理への信仰(信念)を100%にすることです。なぜなら魂が自由になる程度は、信仰の深さと完璧に比例しているからです。決して信仰心は一律なのではなく、叡智同様、一気に得られるようなものではないのです。
と同時に、暗い影の谷間を通りいまだ暗闇の中に閉じこめられている摂理を受け入れる準備のできた“時期の来た人”に、この永遠不滅の宝石である霊的摂理を伝えることが私の仕事となっています。
シルバーバーチは霊的無知と迷信、不安という闇の牢獄の中に閉じ込められている人に向けて、摂理普及の大切さを次のように語っています。


その目的は、受け入れる用意のできた地上の人間を霊的に、精神的に、そして身体的に真に自由にしてあげることです” (十巻 P147)


これが人間の霊的開放、すなわち“魂に自由をもたらしていく仕事”のことなのです。

 

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令和元年6月)

この世にあってこの世のものとなるなかれ”(人生の目的)(2019年5月31日)

 

―地上世界はなぜ存在するのか―


―はじめにー
この地上世界(物質界)も霊界も、その目的とするところは私達の霊的成長につきます。
但し、霊界での成長方法は地上世界とは異なるようですが・・・。
そして、最終的にカルマの解消を終え、十分に霊的成長を積むと地上世界への再生の必要がなくなり、神の使徒 高級神霊として宇宙の創造進化に寄与する神霊界へと進むようです。

 

人生の目的:地上世界(物質界)へ再生してくる目的は、1.個人的なカルマの解消と、2.仲間である類魂全体の霊的成長のため といわれております。

 

類魂と再生:“本当の自分”(霊魂・インディビデュアリティ)は何回か再生を繰り返しています。また、同じ類魂仲間の他のインディビデュアリティも同様にそれぞれ再生を何回か繰り返しているために、類魂仲間全体としては相当数の地上体験を共有して持つことになります。そういう意味では、幽界からやり直しのために直接戻ってくるものも含めると、何百回、何千回と再生人生を生きてきていることになるのです。

 

本能心:地上世界(物質界)では五感の世界が全てであり、物質中心、拝金・科学万能主義で肉体の死とともに自らも無に帰すとの考えが強烈に占めています。
霊が肉体をまとうことによって魂となり、自我意識(個性・パーソナリティ)をもって自己表現ができるようになりますが、その肉体を守り維持するためには、お金や地位(支配力)、衣食住、性欲などが必要と考えます。その原動力となる本能心(利己心・一種の動物心)は、肉体を護るための自己防衛本能として神から与えられているのです。

 

試練と霊的覚醒:地上世界では、精妙な波動の“本当の自分”(霊魂)は肉体という鈍重な物質の波動で覆い隠されてしまいます。そして、絶望のどん底にみまわれ、この世には救いはないと知って初めて自我の意識が弱くなり、“本当の自分”に気づくように摂理はなっているようです。

 

“霊的巡礼の旅に立たれた方はみな、同じパターンを体験なさるということです。
困難・難題・危機・逆境・失望・挫折、こうしたものを体験させられます。時には失意のドン底に落とされ、あたかもすべての望みが断たれ、奈落の底の暗闇の中に置かれたような、一条の光明も見出せない状態となることもありましょう。しかし、そうした時こそ魂が目を覚まし、真理を受け入れる用意が整うものなのです。奈落の底からの霊的向上が始まります。ゆっくりとして遅々たる歩みです。それも、必ずしも着実とはかぎりません。時には逆戻りすることもあります。が、光明へ向けて向上し続け、ついに暗黒から脱け出ます” (十巻 P146)

 

この肉体という粗い波動で“本当の自分”が隠されること自体に大きな目的があるのです。
粗い波動の世界だからこそ、地上世界は相対(対照)の世界となりえるのです。そうして暗闇があるから光が分かり、憎しみがあるから愛が分かり、病があるから健康が分かります。
このように地上世界は対極をとおして、真・善・美の愛や誠、調和を経験・理解するためのベーシックな学校・舞台装置なのです。

 

―地上世界(物質界)とは―
霊界は同じ霊性レベルの者同士が同じ界層で生活している世界であり、他方、私達の今住んでいるこの地上世界は唯一、霊性レベルの異なったいろいろな界層の霊魂が混在している世界です。だからこそ、地上世界はその共通項としての最低レベルの波動に基準は合わされているのです。それならば、この地上世界の目的は一体何なのでしょうか。

 

地上世界の意義:地上世界(物質界)は最も波動の粗い界層の世界であり、粗い波動の肉体(魂の衣料)をまとうことによって知覚は五感に限定され、結果として霊界の精妙な波動を妨害し“本当の自分”(霊魂)を隠してしまいます。その目的とするところは、1.さまざまな霊性レベルの霊魂が平等に混在できるようにするため、また、2.両極の相対の世界で摂理(真理)を一から学ぶためなのです。

 

利己が優先する世界:物質世界特有のこの唯物・拝金主義のために、利己が優先し世の中は地獄の様相を呈することになります。当然、私達も程度の差はあっても地獄の苦しみを体験することになります。
それは、限られたお金や資源の奪い合い、支配欲、物欲、性欲などの本能心が優位となる世の中だからです。その結果、食うか食われるかの弱肉強食の経済競争、戦争、極度の貧困、嫉妬や憎悪などの対人関係等々の問題を生んでいます。死んだら全てが終わりであり、そのためには自分のことが最優先で、自分さえよければよいとの考えが人種や男女の差を越えて根底に蔓延している世界だからです。

 

地上世界は学校:地上世界はまさに、人間になりたての霊魂や未熟な霊魂の霊的成長を図るために、霊性レベルの異なる霊魂が交じり合い、相対の世界で様々な喜怒哀楽の体験を積んで摂理・真理が理解できるようにとわざわざ創られた霊界の予備校なのです。自分自身を見るためには、他人という鏡の存在が必要だからです。
人間にとって、この物質世界がないことには進化のスタートがきれず、霊的成長ができないという避けることのできない登竜門なのです。

 

地上は困難に遭遇する世界:私達は肉体をまとっているため、額に汗して働くことが必要となり、死別、病気、事業の倒産、貧困、事故、嫉妬などありとあらゆる様々なイヤな苦しい体験をすることになります。そしてその苦しい体験が後々霊的摂理を学び理解するためのとても貴重な教材・教訓となってくるのです。逆にいうと、この体験を積まないことには霊的成長ができないので、男女の別、様々な環境を求めて何度も何度も再生人生を繰り返すことになります。

 

“問題が生じるのは当然の成り行きです。地上は困難と挫折と障害と逆境に遭遇させられる場所なのです。地上生活のそもそもの目的は、伸び行く魂が、危機においてはじめて呼び覚まされる潜在的資質(霊性)を発現するために、さまざまな事態に遭遇することにあるのです”
(十巻 P150)

 

他方、他界後、幽界の下層でみられるような地上臭から一旦抜け出ると、肉体がないためにそれを維持するのに必要であった本能心(利己心)は必要なくなるか、力が弱くなります。
従って霊界では利他心になりやすく、ましておや気心の知れた同じ霊性レベルの霊魂同士が同じ界層に住んでいるので、地上世界のようなお金や性欲、人の問題での衝突やいさかいはなくなります。
ということは、肉体を維持するためお金で世の中が回る自己中心の過酷な物質界にあって、利他愛に努めることの方が、肉体がらみの悩みが一切ない霊界よりも、はるかに利他愛の実践はハードルが高く困難を伴うように思えます。イエス・キリストは“(波長の合わない)汝の敵を愛せよ”と教えました。正にそこにこそ対照によって学ぶ物質界ならではの存在理由があるのです。
霊界では全体が利他という流れにそって利他愛に努めているのに対して、物質界の私達は自らも含めて利己主義という激流に逆らって、霊主肉従の利他愛で滝を登ろうとしている“鯉のぼり”のようなものです。

 

【マトメ】
人間の進化は、最も低いレベルの物質界にあって利己心(本能心)から始まります。
何が真であり、何が善であり、何が美であるのかを理解するためには、まずは真逆の世界を経験する必要があり、そのためにこそ波動の粗い地上世界(物質界)が創られました。
千差万別の成長レベルのため考えが異なる人々の混在する世界で、厳しく過酷な経験をとおして両極を知り、霊的摂理が理解できるようになって始めて、より多くの神性の顕現を目指す霊的成長のスタートをきることができるようになるのです。

そこが、神の分霊として両極の心を持ち自由意志にまかされた結果、善悪や愛憎、様々な辛苦を味わうことになる私達人間と、悪の心を持たない天使との決定的な違いなのです。

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(令和元年5月)

“この地上を神々のように歩くことができるのです” その2(霊力)(2019年5月1日)

 

シルバーバーチ不滅の真理 十一章“霊力とは? 神とは?”P199~202 ハート出版から
●「神とは・・・」


霊の力は、あなた方が“神”と呼んでいるもの、そのものなのです”    P200
“私にとっては神とは法則であり、法則がすなわち神です”         P214
“神とは一個の身体をそなえた存在ではありません。摂理・法則です” P217

纏めますと、神(大霊)= 霊力(生命力)= 摂理(法則)となります。
ということは、前回の寸感で述べた“自然の摂理と調和して生きれば”、自動的に神や霊力と調和して生きることになるのです。
そして、この“調和して生きる”とは、結果として人間の方から内外の霊力(神)の波長に合わせる努力をしていることになるのです。


●「霊力とはどんなものでしょうか・・・」

 “霊の力は目には見えません。人間界で用いられているいかなる計量器でも計れないものです。長さもなく、幅もなく、高さもなく、重さもなく、色もなく、容積もなく、味もにおいもありません。ですから常識的な地上の計量法でいけば霊力というのはこの世には存在しないことになります。つまり実在とは五感で捉えられるものと決めてかかっている唯物的自然科学者にとっては、霊力は存在しないことになります。
 しかし、愛は目に見えず、耳にも聞こえず、色もなく、味もなく、寸法もないのに、立派に実感があります。それは深い愛の感動を体験したものが証明してくれます。確かに愛の力は強烈です。しかし、霊の力はそれよりも無限大に強烈です。
 
 あなた方が生き、呼吸し、考え、反省し、判断し、決断を下し、あれこれと思いをめぐらすのも、霊の力があればこそです。物を見、音を聞き、動き回り、考え、言葉をしゃべるのも、霊の力があればこそです。あなた方の行動のすべて、存在のすべては霊の力のお陰です。
 物質界のすべて、そしてその肉体も、生命力にあふれた霊力の流入によって、存在目的指針生活とを与えられているのです。
 物質界のどこを探しても、意識の秘密(霊力・生命力)は見つかりません。科学者、化学者、医学者がいくら努力してみたところで、生命の根源は解明されません。それは物質そのものの中には存在しないからです。物質は、それが、一時的に間借りしている宿に過ぎません。
 
 霊の力は、あなた方が“神”と呼んでいるもの、そのものなのです。もっとも、その神を正しく理解していただけないかもしれませんし、誤解してその意味を限定してしまっておられるかもしれません。ともかくその霊力が、かつては火の固まりであったものを今日ご覧になっておられるような生命あふれる緑の地球にしたのです。
 その霊力が土塊から身体をこしらえて、それに生命を吹き込んだのです。魂がまとう衣料です。地上のあらゆる生命を創造し、自然界のあらゆる動き、あらゆる変化を支配し、四季を調節し、一粒の種子、一本の植物、一輪の花、一本の樹木の生長にまで関与している力、要するに千変万化の進化の機構に全責任を負っているのが、霊力なのです。
 それが雄大であるゆえんは、物質界に限られていないところにあります。すなわち無数の物的現象を通じて絶え間なく働いているだけでなく、見えざる世界の霊的活動のすべて、今のあなた方には到底その存在を知ることのできない、幾重にもつながった高い界層、そしてそこで展開する、これまたあなた方の想像を絶した光輝あふれる生命現象に至るまで、その霊力が支配しているのです。
 
 しかし、いかに雄大であっても、あるいは、いかにその活動が驚異的であるといっても、それにも制約があります。すなわち、それが顕現するには、それに適した器、道具、霊体、通路、霊媒──どうお呼びになっても構いません──そうしたものが無ければならないということです。
壮大な霊の流れも、そうしたものによる制約を受けるのです。地上にどの程度のものが流れ込むのかは、人間側が決定づけるということになります。

 私がつねづね、心配の念をはらいなさい、自信を持ちなさい、堅忍不抜の精神で生きなさい。神は絶対にお見捨てにならないから、と申し上げてきたのは、そうした雰囲気、そうした条件のもとでこそ霊力が働きやすいからです。(霊力の働きやすい条件)

 地上的な力はいつかは衰え、朽ち果てます。人間が築く王国は儚いものです。今日は高い地位にいても、明日は転落するかもしれません。しかし霊の王国は決して滅びることはありません。霊の尊厳は不変です。神の力は決して衰えません。ただし、その働きの程度を決定づけるのはあなた方であり、現にいつも決定づけております。

 スピリチュアリズムを少しばかりかじった人は、よく、なぜ霊界の方からこうしてくれないのか、ああしてくれないのかと文句を言うようですが、実際には、そうしたことを言う人ほど、霊界からそうしてあげるための条件(霊力の働きやすい条件)を整えてくれないものです。

 この苦悩に満ちた世界、暗闇と不安におおわれた世界にあって、どうか皆さんには灯台の光となっていただきたい。あなた方の自信にあふれた生きざまを見て人々が近づき、苦悩の最中における憩いの場、聖域、波静かな港を発見することが出来るようにしてあげていただきたい。
皆さんはそういう人たちの心の嵐を静め、魂の静寂を取り戻してあげる霊力(霊的知識)をお持ちなのです” (シルバーバーチの不滅の真理 P199 ハート出版)

 

霊力の働きを前回の“寸感”も含めて、縷々霊訓で見てきました。
このように霊力(生命力)は物質界に限らずありとあらゆる生命現象、森羅万象の作用機能全てを請け負っているようです。
但し、人間はロボットではなく自我意識をもった神の分霊として、積極的に霊力を受け取ったり、発揮するかどうかの選択権が人間の自由意志の裁量に任されているのです。これがあるからこそ、自己責任という因果律をとおして自主的に霊的成長ができるようになっているのです。

 

“霊力は無限です。が、そこからどれだけのものを受け取るかは、あなたが現在までに到達した霊格の程度によって決まります。その受容力を少しでも増すことを心掛けることです。そうすれば、それだけ多くの霊力が流入し、その驚異、その美しさ、その安らぎ、その治癒力を発揮してくれることになります” (十巻 P163)

 

“実際にはむしろ宿命的な進化のための備えとして、多くの痛みや苦しみを味わうことによって霊が豊かになるという考え方の方が正しいのです” P204

 

このように多くの苦しみや苦難、逆境、試練、困難を経なければ魂は成長できないように摂理はなっております。そのため、霊的知識に無知で暗闇に満ちたこの漆黒の物質界にあって、我々が霊的真理普及の良き道具、“灯台の光”となるためには、霊的成長に伴って人の痛みが分かるためにも解決困難な多くの痛みや苦しみを自らも体験し鍛え上げられる必要があります。
スピリチュアリストといえども容易に解決できない程の試練・逆境が霊的成長には不可欠であり必然的にやって来ますが、決して取越苦労や心配、不安という邪念が心に宿るスキを与えてはならないと、既に霊的知識を持っている交霊会の参加者にさえシルバーバーチは繰り返し繰り返し何度も何度も諭しております。
常にやってくる試練・逆境の最中にあっても、暗闇を灯す“灯台の光”として輝き続け、表情や振る舞いによって、霊的真理をいささかも忘れていないことを示すように努力することが私達には求められております。また、私達の自信にあふれた生きざまを見て人々が波静かな港を発見できるようにしなければなりません。

 

では、私達スピリチュアリストは試練、逆境に対してこの矛盾、この困難な課題をどのようにすれば解決できるのでしょうか。
その唯一の解決方法は、“自然の摂理と調和して生きさえすれば、神は決してあなたを見棄てません。背負えないほど重い荷を背負わされることはありません。万事うまくいきます。”という霊的約束、摂理への強い信念・信仰を持ち続けることにあるのです。
私達スピリチュアリストには、このようにして都度、霊的摂理(神)への信仰が試され、自らそれを確認し立証することが霊界から求められているのです。なぜなら、知識や経験をとおして私達の知っていることには所詮限りがあり、霊界の高級霊からみるとほとんど何も知らないといってもよい程で、そのため自らよりも永遠不滅の森羅万象を支配している摂理(宇宙の法則)にどうしても頼らざるを得ないからです。
但し、地上世界に蔓延しているとても強固な唯物・拝金主義に対抗して、その真逆の霊的摂理に信を置くことができるようになるためには、霊訓で語られているように“それがあなた方の精神構造の一部となり切るまで”(不滅の真理 P157)、すなわち潜在意識に透徹し自分自身の考えとなるまで、繰り返し繰り返し霊訓を何度も何度も読み返すことが必須要件となります。

 

次に、霊力が働きやすい条件に努めることによって、霊界のシルバーバーチが物質界の私達に望んでいることは一体何なのでしょうか。私達にとってキーとなるとても大切なポイントですので、もう一度前回のホームページの霊訓から引用してみましょう。

 

あなた方の協力を得て為さねばならない仕事が山ほどあるのです。(霊的真理普及の)目的意識を忠実に持ち続けることによって、私を援助していただきたいのです。 (中略) だからこそ、みなさんの私への忠誠心、確信、なかんずく、大胆不敵な心、つまり恐怖心、悩み、心配を精神に根づかせないように心掛けることで、私の力となっていただきたいのです。 (中略) 世の中には、あなたのように霊的摂理を手にした者による救いを求めている人が大勢います。あなた方は、そういう人を援助し、使命を果たす備えができていなければなりません”
(シルバーバーチ不滅の真理 P157 ハート出版)

 

霊的摂理(神)に調和して生きれば、霊訓で約束されているとおり高級霊の支援や導きが得られるので、保護者であり、且つ、連帯保証人でもある高級霊(いわば魂の父親)との共同歩調で試練・困難・逆境には対処し、そのための必要条件となる心配・不安・取り越し苦労は努めて捨て去り、山ほどあるなさねばならない仕事、すなわち“霊的真理の普及”へと取り掛かろうではありませんか。
また、不安、心配、取り越し苦労、悩み等を霊的摂理への信仰で捨て去るそのこと自体が、正にシルバーバーチに忠誠を捧げ、援助、力になっていることの証となるのです。

 

今まさに、地上世界は歴史的に見ても重大な時期を迎えているのです。皆さんの目の前で“新しい歴史”が刻まれつつあるのです。魂の最終のゴールである“自由”の獲得への道を、あなた方が整備してあげているのです。
皆さんには霊的貢献の分野があります。大霊の子が人生の嵐の中を生き抜く上での正しい基盤を手にすることができるように、この霊的真理を普及させないといけません
(シルバーバーチ不滅の真理 P220 ハート出版)

 

この霊的真理普及の実践(利他愛)によって、大胆不敵な心や摂理への信仰を一層強化し、高級霊の強力な援助を受けながら内外の霊力を積極的に活用して、神々のごとくこの地上を闊歩しようではありませんか。

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(平成31年4月)

この地上を神々のように歩くことができるのです”(霊力)(2019年3月25日)

 

“人間のすべてに大霊が宿っております。確かに人間はありとあらゆる形態を通して進化して来て動物時代の名残りも宿しておりますが、それよりもはるかに高尚な神性が宿されており、それを機能させ発揮させることができれば、あたかも神々が地上を闊歩するがごとくになります” (シルバーバーチの霊訓 十二巻 P81)

 

ここでいう、“高尚な神性が宿されており、それを機能させ発揮させることができれば、あたかも神々が地上を闊歩するがごとくになります”は原典(Teachings of Silver Birch  P48)では、


Greater than all those things are the powers of the Great Spirit within you which, if you would but allow them to function and to express themselves, would enable you to walk the earth like gods.


となっております。
近藤千雄氏は、ここでは原典の「大霊の力」を「神性」という訳で表現されておられます。
他方、武本昌三氏の訳によると、“その霊力を働かせ発揮していきさえすれば、あなた方はこの地上を神のように歩くこともできるのです。”と訳されておられます。
字面だけではこちらの和訳の方が原典に沿っているように思えます。


では、ここで“霊力”(神の力)とは具体的にどのようなものなのでしょうか。
少し長くなりますが霊訓を引用しながら、霊力についてみてみましょう。


“人間のすぐ身のまわりに片時も休むことなく打ち寄せる、より大きな、素晴らしい霊の世界のエネルギー(霊力)があることを教えに来たのです。そうした数々の障害を破壊し、莫大な霊力――すべての存在に活力を与えるダイナミックな生命力をすべての人間が自由に享受できるようにするためです。その生命力がこれまでの人類の歴史を通じて多くの人々を鼓舞してまいりました。今でも多くの人々に啓示を与えております。 (中略)  
目にこそ見えませんが、霊の力こそ本当の慰めを与え、魂を鼓舞し、元気づけ、(そして)導きを必要とする人々に方向を指し示してあげる不変の実在(霊的摂理)があることを、その霊力立証してくれます。 (中略)
私たちが提供するのは、霊の力です。あらゆる困難を克服し、障害を乗り越えて、真理の光と叡智と理解力を顕現せしめ、神の子らに恒久的平和を築かせることができるのは、霊の力を措いてほかには無いのです”
(シルバーバーチ不滅の真理 P137 ハート出版)


霊訓に何度も何度も繰り返し出てくる言葉として、神性(霊性)や霊力(神の力)、霊的摂理(自然の法則)などの言葉がありますが、実はこれらはすべて目的や顕れ方に応じて表現方法を変えただけであり、愛の神・大霊の意志が顕現したものなのです。


それでは、一体どうすれば我々一人ひとりに「内在する神性」やこの「内在する霊力」を働かせ、発揮することができるのでしょうか? そのヒントとなる言葉がやはり霊訓の中にあります。


自然の摂理と調和して生きていれば、健康、幸福、霊的明るさ、精神的特性という形でその恩沢を受けます。それは、内在する神性を発揮していることにほかならないからです”(十巻 P77)
この和訳は、原典(Light from Silver Birch P46)では以下のようになっております。


If you live in harmony with these natural laws, you will derive the supreme benefits that come in health, well-being, spiritual radiance and mental excellence because you will be expressing some of that latent divinity within you.


従って、“自然の摂理(自然の法則・霊的摂理)と調和して生きていれば”、内在する神性・霊力を発揮していることになります、ということなのです。
すなわち、この“自然の摂理と調和して生きる”とは、霊的摂理を日常生活で生かすことなのです。具体的には霊主肉従、利他愛の実践(霊的真理の普及)、試練や苦しみの甘受などを日常生活で実践することが挙げられます。
我々はもともと宇宙最大の霊力という“大きな力の貯蔵庫”を有しているのですが、霊的なことに対してまったく無知あるいは不信なため、“本当の自分”(霊魂)に気づかず、その霊力を大きく働かせる方法、すなわち発揮する方法を知らないというだけなのです。
当然です。霊的無知だと、“本当の自分”に気づいて“神(自然)の法則”(霊的摂理)に調和して生きるという霊主肉従の生活ができないからです。もちろん守護霊や背後霊の導きにも気づきません。
また、ここで特に強調しておきたいことは、自分自身の持てる知識では測り知れない様々な出来事は、摂理への信仰で対処するということも“霊的摂理に調和して生きる”ということになるのです。
試練や困難、逆境に対して、霊界からシルバーバーチを通して届けられた試練の意義、励ましや心構え、霊的約束の言葉を堅く信じて(信仰)、勇気をもって試練・困難を真正面から受け止めるということが、正に“霊的摂理に調和して生きること”そのものであり、結果として試練を克服し、地上人生の真の目的である霊的成長へとつながるのです。


“バイブルにも“汝の信仰に知識を加えよ”とありますが、私は反対に“汝の(霊的)知識に(摂理への)信仰を加えよ”と申し上げます” (十巻 P86)


霊力について具体的な働きの事例が前出の霊訓の中で語られております。

霊的摂理に調和し、それを信じ実践していくことによって、お互い神々(高級霊)のごとくこの地上世界を闊歩しようではありませんか。

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(平成31年3月)

“シルバーバーチは今も私たちに働きかけている(2019年3月4日)(苦しみ・試練)

“私は実はインディアンではありません。あるインディアンの幽体を使用しているだけです。それは、そのインディアンが地上時代に多彩な心霊能力をもっていたからで、私がこのたびの使命にたずさわるように要請された際に、その道具として参加してもらったわけです。私自身の地上生活はこのインディアンよりはるかに古い時代にさかのぼります。
このインディアンも、バーバネルが私の霊媒であるのとまったく同じ意味において私の霊媒なのです。私のように何千年も前に地上を去り、ある一定の霊覚を具えるに至った者は、波長の全く異なる地上圏へ下りてそのレベルで(発声器官を通して)交信することは不可能となります。そのため私は地上において変圧器のような役をしてくれる者、つまりその人を通して波長を上げたり下げたりして交信を可能にしてくれる人(霊媒)を必要としたのです” 
(シルバーバーチの霊訓 8巻 P10)

 

“これまで私は、あなた方のとして、守護者として、指導者として接してまいりました。
いつもすぐ側に待機していること、私がいかなる霊格をそなえた存在であろうと、それはあなた方人間との親密な接触を妨げることにならないこと、あなた方の悩みや困難に関心を抱き、出来るかぎりの援助の手を差しのべる用意があることを知っていただきたいと思ってまいりました。

 

よろしいですか、私は確かに一方では永遠の真理を説き、霊力の存在を明かさんとする教師的存在ですが、他方、あなた方お一人お一人の親しい友でもあるのです。あなた方に対して親密な情愛を抱いており、持てる力で精一杯お役に立ちたいと努力いたしております。

 

どうぞ、困ったことがあれば、どんなことでもよろしい。いつでもよろしい。この私をお呼びください。もし私に出来ることであれば、ご援助いたしましょう。もし私に手出しの出来ないことであれば、あなた方みずからが背負わねばならない試練として、それに耐えていくための力をお貸しいたしましょう 
(シルバーバーチ不滅の真理 P31 ハート出版)

 

何らかの目的で高級霊が地上界で物理(物質化)現象を起こすためには、他界して間無しの幽界の霊人を使うそうです。それは地上圏の波動に今だ近いので物理(物質化)現象には幽界の霊の方が適任者となるからです。
冒頭の霊訓の意味は、私(光り輝く霊体)はレッドインディアンではなく、レッドインディアンの幽体という体をとおして、霊媒バーバネルの肉体(の声帯)を動かし、声として霊界通信を降ろしてきました、ということなのです。
意思や思念を物質界の人間に五感で分かるように表現するには、形態としての身体がどうしても必要となるからです。

 

他方、霊と霊との直接の交流には直感的洞察力というインスピレーション(霊感・感応)を使います。その場合、五感に訴えるような波動の粗い物理(物質化)現象は必要なくなるのです。これは人間も本質は霊的存在だからこそ霊同士の交流が可能となるからです。本来、霊と霊との直接の交流には霊界の代理人である地上の霊媒は必要ないのです。だからこそ一人で祈っているので、祈りには地上の仲介人(霊媒)は必要ないのです。
基本的には本人の霊性レベルに応じた霊の世界と交わるわけですが、どんな人間にも神の分霊が宿っており、その神性心からくる魂の奥底からの波動は高級霊にも伝わるのです。

 

シルバーバーチは、“いつもすぐ側に待機していること、私がいかなる霊格をそなえた存在であろうと、それはあなた方人間との親密な接触を妨げることにならない”と霊訓で語っています。
シルバーバーチは50年前にバーバネルを通して交信してきた過去の人ではなく、霊的摂理の普及を目的とした霊団の一人として、時間や空間を越えて今もすぐ側にいて、生き生きと生きた存在として私たちに働きかけています。

現在では、その降ろされてきた膨大な霊界通信の内容も活字となり、書物をとおして我々は霊的知識を得ることができるようになりました。そのため、一種の物理(物質化)現象である幽界や物質界の特殊な霊媒の身体を使った自動書記や霊界通信などの光り輝く高級霊からのこれ以上の通信はもはや必要でなくなりました。人類の進化のレベルはそれを越えるまでには今だ至っていないからです。
これからの時代は、それらすでに降ろされた霊的摂理を直接読みとき、守護霊や指導霊からのインスピレーションや導き、護りを受けながら、霊的摂理を日常生活で実践し、摂理に対する信念(信仰)を強化することによって、霊界の宝物庫から直観的洞察力(インスピレーション)をとおして叡智や悟りを手に入れる時代に入っています。いわば霊と霊との直接の交流によるのです。もはや地上の特殊な霊媒による仲介は必要でなくなったのです。だからこそシルバーバーチは直接、“この私をお呼びください”と語っているのです。

 

この事に関して、シルバーバーチを通して降ろされた教えは教えとして、私たちは気づかずにちょうどキリスト教の“ナザレのイエス”のように、シルバーバーチを無意識に神格化して、手の届かない何か遠い、遠い存在に追いやってはいないでしょうか。
その第一の理由として挙げられるのは、神界にいる光り輝く高級霊シルバーバーチは地上世界のわれわれとは霊格や波動の違いでもう二度と交流(交信)はできないとの無意識の固定観念、偏見があるからではないでしょうか。
ここで決して忘れてはならないのは、当時の交霊会の時ですらシルバーバーチはすでに神界に所属していた光り輝く存在だったという事実です。

 

“高い界から低い界へ向けて通信を送ることはできます。その方法は以心伝心によります。言葉はしゃべりません。音声を発するための物的な器官がないからです。思念対思念による交信です” (シルバーバーチの霊訓 十巻 P98)

 

わたくしたちはシルバーバーチを父親のように慕い、心から尊敬し愛しています!
地上世界は幼稚園のようなもので、霊界は大人の世界だといわれています。
わたくしたち一人一人はたった一人でどこに行くのかも分からず、不安でメソメソ泣きながらもなんとか自分の道をトボトボと歩いているちょうど3~4歳ぐらいの幼子のようです。
一旦、徹底的に探究し試してみて真実性を確信し、シルバーバーチと繋がりができたのなら、天真爛漫な素直な幼子となり、満腔の信頼をもって冒頭の言葉を信じ、大人の霊であるシルバーバーチに手をひいてもらおうではありませんか。

「あなたがたのうちで、自分の子がパンを求めるのに、石を与える者があろうか。魚を求めるのに、へびを与える者があろうか。このように、あなたがたは悪い者であっても、自分の子供には、良い贈り物をすることを知っているとすれば、天にいますあなたがたの父はなおさら、求めてくる者に良いものを下さらないことがあろうか。」 
(マタイによる福音書 7章7節)

 

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(平成31年2月)

インスピレーションと良心の声(2019年2月3日)(背後霊)

新年にあたって本年の目標を、“霊界と背後霊をより身近に感じること”にしました。
そのため“過去の寸感”の中から、特に「背後霊」と「瞑想」の項目より、あらためて交信手段としてのインスピレーション等についての再確認を行いました。
結論からいって、当然と云えば当然ですが、やはり何といっても他界との交流には霊性の開発・発達が最も大切でした。
上記の“寸感”を読み返して、霊訓やM・Hテスターの「背後霊の不思議」から関連する引用箇所を纏めますと以下のとおりになります。

 

テーマ・・・いかにして背後霊を認識し、背後霊と交流(交信)するか
“形式を超えた霊と霊との直接の交渉、地上的障害を超越して次元を異にする二つの魂が波長を合わせることによって得られる交霊関係――これが最高の交霊現象です”
(シルバーバーチの霊訓 九巻 P149)

 

●音叉のように背後霊と波長を合わせる方法について
―直観的洞察力(インスピレーション)の磨き方―
1.霊的真理の学びと、霊性の開発(利他愛の実践)が最優先
2.瞑想の実行
3.守護霊や指導霊などの背後霊を常に意識すること

 

まずは、
1.“霊的真理の学びと、霊性の開発(利他愛の実践)が最優先”に関して
他界との交流には霊的知識の必要性はいうまでもありません。
何故なら多くの地縛霊や、低級なからかい霊が常に同調するチャンスを待ち構えているので、特に霊媒体質者であれば憑依(地縛霊と同調する)される危険性があるからです。ですから、霊的真理の学びは霊界と波長を合わせるにあたっての絶対条件となります。低級霊ではなく、高級霊と波長を合わせようとするなら、受け手の自分自身がその波長に応じた霊的成長をしていなければならないからです。
同じ瞑想を繰り返していても、もしも霊的無知であれば背後霊の働きが理解できないので、インスピレーションや導きを単なる気のせいや思いつき、又は、たまたまの偶然で済ませてしまいます。また、瞑想の目的も単に気分がすっきりしてストレスの発散にとても良いという効果だけで満足してしまいます。
霊的真理の学びと併行して瞑想を深めていくと、インスピレーションに限らず一見偶然のように思える物事の展開や人との出会い、難しい問題の解決方法の閃きや展開など、あらゆる事象を利用して霊界側が働きかけていることに段々気づくようになってきます。
単なる偶然が重なっただけなのか、“導き”のドアが正に開いたのかの理解力の違いとなってきます。
霊性の開発すなわち霊性が発達するにつれ、バイブレーションをキャッチするチャンスが増えるようになってきますので、交信には霊性そのものの開発が何よりも大切ということになります。が、その霊性の開発には近道はなく、長く、そして根気のいる生涯にわたっての道のりとなります。

 

第二の質問(投書)

  • 「愛する人(霊)がそばにいることを、一瞬ですが、ありありと感じることがあるという話を聞きますが、それがただの想像や気のせいではなく事実その人であるという確認はどうすれば得られるのでしょうか。」

 

シルバーバーチ  

  • 霊的資質の一つである直観的洞察力(インスピレーション)を磨くしか方法はありません。洞察力(インスピレーション)は霊が自己を表現する手段でもあります。それが精神に刻み込まれると、こんどは脳に伝えられ、そこで初めて認識されます。こうした過程で表現と認識が行われているのです。
    霊性が発達するにつれて、霊界のバイブレーションをキャッチすることが多くなります。それまでは、ほんの瞬間的な印象をキャッチするだけです。
    それがどの程度の真実味があるかは、本人の直観的判断力に待つほかはありません。気のせいだと思うのであれば、そう思えばよろしい。その人はそこまでの人だということです。
    精神的に、そして霊的に、地上の人間の受容力と直観力が開発されれば、霊的顕現が容易になり、同時にその顕現の度合いがはっきりしてきて、“確実”の段階に至ります。
    前にも申し上げたことですが、霊性の開発に近道はありません。長く、そして根気のいる過程です” 
    (シルバーバーチの新たなる啓示 P166 ハート出版)

 

となれば霊性そのものの開発が何よりも大切であることは明らかでしょう。これは個々の人間のプライベートな静寂の中において為されるものです。その静寂の中で、まわりに瀰漫する霊力と一体となるのです。すると、より大きな世界(霊界)の偉大な存在と波長が合い、インスピレーションと叡智、知識と真理、要するに神の無限の宝庫からありとあらゆるものを摂取することができます。その宝は使われるのを待ち受けているのです”
(シルバーバーチの霊訓 四巻 P212)

 

巷にある相談所や霊界サロンのように、霊界の導きや交信は安易、且つ、インスタントに金銭という対価で他人にみてもらったり、判断してもらうたぐいのものではなく、あくまでも自分自身で自ら霊性を開発・発達させることがまずもって何よりも大切で、根本的な解決策になります。

 

次に2.“瞑想の実行”に関して
無我の境地に入れば、当然そこに背後霊からインスピレーションがひらめく。」
(背後霊の不思議 P179 新潮社)

世界中のあらゆる宗教で瞑想することが薦められております。その理由は、取り乱した雑念妄想念を排除し心を静寂にするためです。フリーズしたパソコンの主電源を強制的に切って、本来の心を取り戻すということです。この心を静寂にするために精神を統一する、すなわち“頭を空っぽにする”のです。従って、何も考えないことですから、何も思いつきません。一切の思考を止めているからです。
但し、言うは易しで、この雑念妄想念などの思考を止めることはとても難しいことなのです。が、何事も練習です。その雑念妄想念を無視し追っかけないことです。
雑念妄想念の代表格である心配や取越苦労、不安、恐怖心などは粗い波動のオーラの壁(雑音)を造り、背後霊からの精妙な波動(澄音)の侵入をブロックしてしまい、インスピレーションや導きを受け付けなくしてしまいます。そのために“頭を空っぽ”にして、一時的に雑念の発生元となっている自分自身(仮我)を消すのです。すなわち意識を持ちながら(覚醒状態で)睡眠中のような無意識状態に入るのです。
この頭空っぽの時には必ずしも、インスピレーションが入ってくる必要はありません。インスピレーションが入ってくるのは必ずしも瞑想中とは限らないからです。
M・H・テスターは霊界との“コミューン”(交流・コンタクト)をはかればよいのであって、決して霊界とのコミュニケーション(交信・通信)である必要はないといっています。
頭空っぽの状態とは、背後霊に心を開いた状態ということになります。すなわち背後霊との間に心の触れ合い(コンタクト)ができていることになるのです。ということは、無声の声とは背後霊とのコミューン(交流)を正に図っている状態そのものなのです。何も起こらなくてもそれでよいのです。仮我に抑え込まれていた“本当の自分”(真我)が、その時に潜在意識から表面意識に出てきているのだと思われます。
霊的真理の学びと共にこの瞑想を繰り返すことによって、日常生活や仕事中に閃きやインスピレーションが容易に入ってくるようになり、背後霊の“導き”にも明確に気づくようになってきます。

 

またシルバーバーチも、“心を空にして穏やかな気持ちの中で精神を統一するだけで十分です。その統一状態の中で霊の力が働くのです。そうした静かな精神状態というのが、物的生活に振り回されている騒々しさに一時的なストップをかけることになります。そのわずかな時間を霊性の開拓と、自宅内での霊的存在の認識へ向けたことになります。地上の人間は静かな精神状態をもつことの効用を十分に認識しておりません。私がよく申し上げているように、あなた方にとって無活動の時が私たちにとって活動の時なのです。あなた方が静かに受身の心でじっとしている時が私たちにとって一ばん近づきやすいからです
その直前にこうも述べています。“背後霊とのつながりを求め、たとえ表面的には何の反応もなくても、霊的にはかならず何かが起きているものです” (シルバーバーチの霊訓 七巻 P101)

 

その瞑想のやり方としては色々と方法があるようですが、参考として私のやり方を述べてみます。
できるだけ同じ時間帯、例えば雑念妄想念の比較的少ない夜明け前の朝一番など静かな環境で、やはりいつも同じ椅子にリラックスして座り、音を遮断し部屋を薄暗くして目を閉じ、頭を空っぽにします。ですが、絶対に雑念妄想念が出てきます。そのため慣れないうちはヒーリング音楽や川の流れなどの自然の音を一心に聴いたりして雑念を取り除くというのも効果的です。雑念を排除して音に一心となることを有我一念と云いますが、そこから意識して聞くのではなくバックグランド音楽として無我一念となり、次に頭空っぽの無我無念へとステップを踏んで誘導していくのです。詳しくは寸感の「瞑想」の項目を参照にしてください。
これがM・H・テスターの語っている“宇宙の生命力の源に霊力プラグを差し込む”方法であり、“死によって隔てられた二つの世界の交信を可能にしてくれる霊的法則の存在を知った者” (シルバーバーチ不滅の真理 P123 ハート出版)ということになります。 
但し、何度も同じことを繰り返しますが、M・Hテスターは「心霊知識をよく身につけた上でないと霊的生命源にむやみにプラグを差し込むのは危険このうえない。」(背後霊の不思議 P86 新潮社)とも述べています。初心者や中途半端な知識の方はくれぐれも気を付けてください。
他界と交流するためには、霊的真理の学びから始めるという優先順位を決して間違えてはいけないのです。
特に霊媒体質者であれば、中途半端な霊的知識、霊能力へのあこがれや興味本位、霊能者(霊媒体質)としての特権・差別意識をもっていると、低級霊にその心を利用されるおそれが大いにでてきます。インスピレーションといえども、常に霊的知識と論理、理性のフィルターにかけることが絶対条件となります。だからこそ霊的真理の学びが大前提となるのです
すなわち低級霊からのものか守護霊からのものかの判別が必要となり、欲望からくる摂理違反行為の甘い声で囁くそそのかしや言い訳は、低級霊からきていると思って間違いないのです。が、所詮は自己責任で判断・行動しなければなりません。

 

3.“守護霊や指導霊などの背後霊を常に意識すること”に関して
こちらが意識しようがしまいが、一人一人に常に守護霊や指導霊が付き添い、庇い、守り、導いています。そして、インスピレーションや閃き、悟りなどもすべて霊界からきているのであり、良心の声も監視装置としての神の声と云われていますが、実はその多くは背後霊からきているようです。本人自身の心から来ているものは極めて稀、すなわちほとんど無いとシルバーバーチは断言しています。

 

参加者

  •  「良心の問題ですが、これは純粋に自分自身のものでしょうか、それとも背後霊の影響もあるのでしょうか。」

シルバーバーチ

  • “あなたがた人間は受信局と送信局を兼ねたような存在です。純粋に自分自身の考えを生み出すことはきわめて稀です”(シルバーバーチの霊訓 八巻 P38)

私にはどれが良心の声でどれが背後霊からのものなのかまったく区別がつきません。
私は良心の声は内在する神の声、すなわち神の分霊である霊性心から来ている“本当の自分”の声だと思っており、二人称で語り掛けてくる外部からの声は守護霊や指導霊などの背後霊の声だと思っています。ところがシルバーバーチによると、良心の声と思えるものも大部分は背後霊から来ているようです。となると背後霊は常に私に寄り添っている、というよりも内在しているかのごとく常に私と行動を伴にしている、と考えられるのではないでしょうか。
大きな自我、類魂仲間の守護霊はそれほど身近な存在だったのです。

 

“私はいつも思うのですが、地上の人々、中でもとくに霊的知識を手にされた方が背後霊の存在を実感をもって認識してくだされば、どんなに有難いことでしょう。地上の愛する者へ無益な害が及ばないように庇い、守り、導いている霊の姿を一目ご覧になることができれば、と思うのです。その影響力の大きさを知ることができたら、明日のことを思い煩うようなことは絶対にしなくなることでしょう。それで私はここに集まる同志の方にいつも申し上げているのですが、新しい一日の訪れを素晴らしい霊的冒険の到来としてよろこんで迎えることです”
(シルバーバーチの霊訓 十巻 P65 )

 

もしも霊的知識をもって背後霊を意識するならば、単なる思い付きや閃きとしてではなく、的確なアドバイスや導きを霊界から受けとることができるようになります。但し、我欲でもってああして欲しい、こうして欲しいと勝手な要求は絶対にしないことが大原則です。

 

「本当に我欲を捨て切り、無我の境で精神を統一すれば、その時点における最善の策が一瞬のうちにひらめくはずである。もしもひらめかなかったなら、あるいはその策を採用してうまく行かなかったとしたら、その原因は精神の統一が充分でなかったか、それとも完全に無我になりきっていなかったかのいずれかである。
精神統一には訓練が必要である。また我欲を捨てるということも容易なわざではない。
が、ぜひともやらばければならないことであり、修得すればこれほど価値のあるわざはほかにないといってよい。」
(背後霊の不思議 P180 新潮社)

 

“問題に直面した時はそれをどう処理するかの決断を下さねばなりませんが、そんな時にいちばんお勧めするのは、瞑想状態に入って魂の奥へ引きこもり、神の声に耳を傾けることです” 
(シルバーバーチの霊訓 八巻 P220 )

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(平成31年1月)

人のために役立つことをするの真の意味(2018年12月31日)(雑記)


―霊性開発のチャンスに感謝する―
パーシー・ウィルソン  「かなり前の話ですが、霊界の友人から“人のため”の意味を常識的な解釈とは逆に考えないといけないと言われて、はっと目が覚めました。人のために役立つことをしている時は、その相手の人からそういうチャンスを与えてもらっているのだ、と考えるようになりました。」

シルバーバーチ “まさにその通りですよその人のおかげで自分の霊性を発揮することができているのです。自己達成とは霊性の開発のことです。そしてその(霊性の)開発は人のために役立つことをしてこそ成就されるのです。
そこに物理的法則霊的法則の違いがあります霊的な富は、他人に分け与えるほど、ますます豊かになるのです進化・成長・進歩といったものは、自分を忘れて他人のために役立つことをすることから得られるのです” 
(シルバーバーチの新たなる啓示 P150 ハート出版)

 

―この世は利己中心主義―
自分(利己)のことよりも相手(利他)のためになることをする。ましておや、人のことをするチャンスを与えてもらっているのだから相手に感謝すべきだという、これほど世間の一般常識から外れた真逆の言葉もありません。
自分の身内や知り合いの範囲内であればこの言葉もある程度理解できますが、この物質世界では基本的に動機は全て自分にとって損か得かで世の中は動いています。精々、ギブ アンド テイクでしょう。
小は個人レベルから、中は団体組織や企業、大は国家単位で全てそうです。国家といえどもエゴ丸出しの露骨な自己中心的な動きをするありさまです。死後の世界を否定し、死んだら終わりで無に帰し、地上世界での豊かさはお金や物、支配力によって得られるという拝金・唯物中心主義の世界では、結果はどうしてもそうなるのです。

 

―利他は霊性の開発につながる―
シルバーバーチの霊訓を読むと、霊界の実在と常に世間の常識とは真逆のこの利他中心主義を勧める言葉があちこちに出てきます。それが我々の“地上人生の目的”にさえなっておりますが、これは一体どういうことを意味しているのでしょうか。

スピリチュアル ヒーリングの場合でも、ヒーラーが導管となって霊界からのヒーリングエネルギーが流れるときに、その生命エネルギーの一部がヒーラーにも留まると霊訓の中に書かれてあります。決して神は霊界の代理人のことを忘れてはいないのです。

“かくして霊力があなた方を通過する際にかならずその一部があなた方の中に蓄積されて参ります。そしてそれが、あなた方自身の霊的な糧となりましょう”
(シルバーバーチの霊訓 一巻 P190)

 

―冒頭の霊訓の具体的事例―
スピリチュアル ヒーリングでは生命エネルギーが流れますが、霊的真理の普及活動に関してもまったく同様のことが云えます。それでは、本文冒頭に述べられている霊訓の具体的な実例を上げてみましょう。

霊的摂理・知識を先に知った者の責任・義務として、以前の自分自身もそうであったように同じ暗闇の中にいる人にその光の在りかを伝えようと、“シルバーバーチの読書会”を開催する場合もこのスピリチュアル ヒーリングとまったく同じことがそっくりそのまま当てはまります。“地上世界でもっとも重要で、且つ、偉大な仕事”と云われているのが“霊的真理の普及”だからです。
読書会の開催にあたって、その都度、事前準備として、会に参加される方には是非とも霊界の叡智と霊力に満たされて帰れるように、まずは読書会で輪読する“シルバーバーチの霊訓”の当該箇所を誰よりも熟読し、その意味を正しく深く理解しておく必要があります。
あわせて次回までの一ヶ月の間、常日頃並行して読んでいる他の霊訓箇所からそれと関連(リンク)する霊訓に導かれ、当該箇所を理解する上でのヒントとなったりします。また、同時に次回の“寸感”で取り上げるテーマとその内容などがインスピレーションというかたちでその時に示されてきます。
このようにして得た知識を当日の読書会で解説し、同時に読書会案内用のホームページで“寸感”として掲載することができているのです。もしも、月一度の定期的な読書会を開催していなければ、単に自分だけの範囲内で霊訓の本を読んでいるだけで、このような叡智や悟りにつながる一連の深い学びは絶対に得られなかったでしょう。現にこの“寸感”の文章自体も正にそのことの証左です。
これらのことは“霊的真理の普及”を目的としているからこそ、霊界からの援助や支援が得られている報酬なのです。これが“人のためにすることは自らの霊的成長に直結する”という典型的、且つ、とても分かりやすい好事例です。
本来、このように宇宙の摂理はお互いに共存共生できるような仕組みになっているのです。

 

―地上人生の目的は霊性の開発にある―
「人のために役立つことをしている時は、その相手の人からそういうチャンスを与えてもらっているのだ」との参加者からの発言に対して、シルバーバーチは“まさにその通りですよ”と応えています。
このことをさらに拡大解釈すれば、イヤな思いをさせられた相手、試練・困難の元凶となった相手に対しても、導きや救いを求めて霊訓を読み、信仰と霊的摂理の実行に努めた結果、解決しそこで得られた叡智によって霊的に成長することができたのだから、その貴重な体験のチャンスを与えてくれたイヤな相手、当人自身はまったく気づいていなくとも結果としてイヤな役を演じてあなたに成長するチャンスを作ってくれた相手に対しても、許しと感謝をしなければならないということになります。なにせ他界後に唯一持ち越せる霊的成長という貴重な財産を相手からいただいたのですから。

 

―霊界は利他の心しか必要でなくなる―
地上世界で必要とされたもの、又は生涯をかけて得たもので、他界後も残るものは一体何なのでしょうか?
肉体の無い霊界では、肉体があるが故に必要となる食べ物、住まい、セックス、支配欲、お金や営利を目的とする会社など、まったく不用となり存在する意味が無くなります。それらは全て肉体(物質界)に属しているものであって、地位や肩書も含め肉体の死とともに消失してしまうのです。そのため肉体の維持に必要であった利己心(自己中心)は霊界では不用となり、最も幼稚で最低レベルの霊性ということになってしまいます。
実はこれは霊界に限らず物質界でもそうなのですが、思念は見えず、時間軸もあるために気づかないだけなのです。

 

―この利他を実践するために必要なことは―
何とか聖者の本とか、いろいろと精神世界の本が本屋の専門コーナーに並べられ売られています。それらの本には“本当の自分”が霊魂であり、神の存在と博愛の心の大切さ、瞑想の奨励など共通して述べられております。それらはそのとおりでしょう。が、奇特な人を除いて凡夫にすぎない我々にとっては、自らを忘れて“人のために役立つことをする”ことが“悟りへの道”だと云われても、自分自身に心身共に余裕があれば別なのでしょうが、なかなか実行できるものではありません。これら精神世界の本をいくら数多く読んで理解し、平時には知識として誰よりもよく知っていても、“いざ鎌倉”となった時には、何の力にもならないという経験をされたことがおありだと思います。これは一体どういうことなのでしょうか。

それは“本当の自分”(霊魂)の真の自覚がなく、且つ、霊的知識の基礎・土台ができていないからです。

神とは、本当の自分とは、死の意味や他界後はどうなるのか、また霊界の実情と物質界の存在意義は、あるいは今生での試練・困難の意味を含めた人生の目的は一体どうなっているのか、守護霊や背後霊が果たして本当にいるのか等々、これらのことが体系的に相互に関連しあって一本の太い幹となった霊的摂理の知識がないことには、実践にあたっての心のよりどころ、裏づけとなる基盤、岩盤土台が無いということになります。この土台がないと、丁度、砂地に建てられたために液状化現象で倒壊する家屋のように、心がぐらつき摂理を実践するための霊力が流れないのです。

一言でいって利他中心主義を実践するには、その根拠、担保となるしっかりした霊的知識という基盤と、摂理に対する信仰が絶対に必要となります。

 

その根拠・担保となる正しい霊的摂理を霊界から下ろしてきているのが「シルバーバーチの霊訓」であり、その摂理を体系的に分かりやすく解説しているのがスピリチュアリズム普及会や、スピリチュアリズム研究ノートなのです。

 

―利他にあたっての基本姿勢―
“人のために役立つこと”の基本姿勢として、シルバーバーチは次のように交霊会で語っています。

 

●“私のいう愛とは慈悲の心、奉仕の精神、犠牲的精神、要するに自分より恵まれない者のために自分の能力の範囲内で精いっぱい援助しようとする心を言います”(シルバーバーチの霊訓 八巻 P126)

 

●“あなた方としては、一人ひとりが、できうる範囲内で霊的知識を広めることを心かければよろしい” (シルバーバーチの新たなる啓示 P186 ハート出版 )

 

“他人のために尽くす行為をする人は他人から尽くされる、というのが霊的摂理の一環なのです。そして、他人のためになる行為が大霊の目に止まらないことは絶対にありません”
(シルバーバーチの新たなる啓示 P34 ハート出版)

 

 

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