大阪シルバーバーチの会 亀水忠茂

過去の霊訓の中から

                  

“物質界は生活の一側面にすぎません。あなたの生活の全体ではないのです。人間の多くが悩みが絶えないのは、無意識のうちに物質の世界にのみ生きていると思い込んでいるからです。本当はあなたと私とは同じ宇宙の中に存在するのです。霊界と地上とが水も漏らさぬように区別されているのではありません。互いに融合し合い調和し合っています。死ぬということは物的身体(一時の土塊)による認識をやめて霊的身体によって魂の別の側面を表現しはじめるということに過ぎません。” P74

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“耐え切れないほどの苦難を背負わされるようなことは絶対にありません。” P52

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“苦難から何かを学び取るように努めることです。耐え切れないほどの苦難を背負わされるようなことは絶対にありません。なんらかの荷を背負い、困難と取り組むということが旅する魂の本来の姿なのです。それはもちろん楽なことではありません。しかし魂の宝はそうやすやすと手に入るものではありません。” P52

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“あなたがた地上の人間にとっての大きな問題は、やむを得ないことかもしれませんが、人生というものを間違った視点から観ていることです。つまり、あまりにもこの世的・物質的観点からのみ人生を考えていることです。人生には確かに地上的な要素がありますが、同時に霊的なものであり、永遠に続くものなのです。その永遠なるものを地上的視野だけで眺めてはいけません。それでは十全な判断はできません。神の子には、一人の例外もなく、善悪ともに埋め合わせの原理が働くのですが、地上生活のみで判断しようとすると全ての要素を考慮することができなくなります。” 
(「シルバーバーチの霊訓」一巻 P38 スピリチュアリズム普及会発行)

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“大勢の人が真の実在であり全ての根源であるところの霊性に全く気づかぬまま生きております。こうして生きているのは霊的存在だからこそであること、それが肉体を道具として生きているのだということが理解できないのです。” P33

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すべての生命は大霊のものだということです。肉体が衰えて霊がその肉体から解放される時がくれば、人間は自然の摂理に従って死を迎えます。”

―愛する人に先立たれた者が、自らの命を絶つことは許されるのでしょうか。

 

いいえ、許されません。摂理の働きは完璧ですから、あなたはそれに忠実に従って生きなければなりません。摂理は大霊によって、すなわち完全なる愛によって統制されています。大霊はすべてのものに存在すると同時に、すべてのものを通して顕現しています。大霊によって統制されている摂理の働きを妨げる権利を有する者はいません。もしあなたが、摂理に反して自ら命を絶つとするなら、その行為に対する代償を払わなければなりません
例えば、熟さないうちにもぎ取ったリンゴは美味しくないように、あなたの霊に準備ができていないうちに霊界へ行ったなら、長い調整期間の中でその代償を払わなければなりません。愛する人々とも会えなくなります。自殺によって、あなたと周囲の人々との間に隔たりができてしまうからです。” (P166~P169)

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“あなたは、非常に強力で優れた指導霊の導きを受けています。もし、あなたが指導霊に対して完璧な信頼と信念を持つなら、すべてがうまくいくようになります。あなたは大霊の道具ですが、自由意志も持っています。人間は皆、大霊から自由意志を与えられているのです。どうか、あなたが手助けできる多くの人々がいることを忘れないでください。あなたを通して素晴らしい霊力が活用されることになるのです。その霊力の働きを信じてください。霊力は、あなたの前途に立ちはだかるあらゆる障害物を取り除いてくれます。” P181

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ルース 「天国は、どこにあるのですか。」 P162


シルバーバーチ “天国は、人間が幸せな気持ちでいるときに、その人の心の中にあるのです。”

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牧師:「この世には、なぜ多くの苦しみがあるのでしょうか。」 (P116~P117)


シルバーバーチ:“大霊の摂理は、苦しみを通してしか悟ることはできません。苦しみという厳しき試練を経て初めて、あなた方の世界を支配している大霊の摂理を理解することができるのです。 (中略)
地上に苦しみがなければ、人間は正していくべきものへ注意を向けることができません。
すべての苦しみや痛みや邪悪は、大霊の分霊であるあなた方人間が、いかにしてそれを克服していくかを学ぶためにあるのです。 もしも苦難を乗り越えるための努力を怠っているとしたら、あなた方を地上に誕生させた大霊の意図を理解していないことになります。

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“地上界は争いと敵意と不和に満ちあふれています。涙と悲惨さと流血に満ちあふれています。それでいて一人ひとりは「平和を!」と叫び続けています。そうした中で皆さんには、内部に潜在する可能性について思い出していただきたいのです。あなた方一人ひとりが大霊なのです。皆さんの内部には、大霊の無限の霊力が秘められています。それを呼び覚まし顕現させるなら、前途に立ちふさがるいかなる障害も打ち破ることができるようになります。
大霊から賜った霊力を顕現させるのです。皆さん方一人ひとりが、自由に使用できる無限の霊力を秘めた大霊そのものであることを自覚すれば、新しい時代の真の道具になれるのです。新しい時代は、漆黒の地上界にゆっくりと夜明けの光が差し込むことによって築かれていきます。いかに地位の高い人であっても、人間を頼りにしてはいけません。常に地上界の彼方へ目を向けてください。人類のためを思って導こうとしている霊たちからのインスピレーションに耳を澄ませてください。” P96

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“偶然というものは、あなた方の世界にも私たちの世界にも存在しません。大霊の摂理は完璧です。” P79


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“地上界に限って考えてみても、戦争を正当化することはできません。物質的にも、ただ破壊を引き起こすだけです。霊界側から見たとき戦争は、決して正当化することはできません。戦争は、人間は地上界を離れる時期がきたときに肉体から去るべきである、という摂理に反することになるからです。大霊の子が、よくぞ平気で神聖なる摂理を犯すものだと、私たちは呆れるばかりです。” P57

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―交霊会で笑い声があがるのは、良い影響をもたらすことになるのでしょうか。


“心が楽しければ楽しいほど、それだけ大霊の心に近いということを意味します。忘れないでください。あなた方は大霊であり、地上のいかなるものも、あなた方を傷つけることはできません。それは、私がこれまでずっと言い続けてきたことです。この世的なことに煩わされているかぎり、その真意は分かっていただけないかもしれません。この世的なことを無視しなさいと言っているのではありません。なぜなら、あなた方は地上で生活しており、社会の一員としての責任もあります。しかし、次のことだけは決して忘れないでください。あなた方は大霊であり、大霊はあなた方であるということです。あなた方の内にある大霊の霊力は、あなた方があらゆる物的なものに勝利するように導きます。
こうしたことを正しく理解するなら、それはあらゆる邪悪に抵抗し、あらゆる病気を克服し、あらゆる障害に立ち向かう力となるのです。しかしその力を活用している人間は、ほとんどいません。イエスは二千年も前に「神の王国はあなた方の中にある」と教えているのですが・・・。”P40

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―どうすれば霊媒や霊視能力者になれるのでしょうか。


“大霊のために自分を役立てようとする人間は皆、大霊の霊媒です。いかにして魂を向上させるか――これはもう改めて説くまでもないでしょう。これまで何回となく繰り返し説いてきたことではないでしょうか。
自分を愛するように隣人を愛することです。人のために役立つことをすることです。自我を高めるように努力することです。何でもよろしい、内部に宿る神性を発揮させることです。それが最高の霊媒現象なのです。こうすれば霊視能力者になれるという方法はありません。が、大霊の光が見えるように魂の目を開く方法なら教えられます。それは今述べた通りです。” P20

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―これからも、これまでのように苦難の道が無限に続くのでしょうか。


“そうです。無限に続きます。苦しみや困難という試練を通して内部の大霊(神性)が開発されます。苦難によって神性は試されるのです。金塊がハンマーで砕かれ精錬されて初めてあの輝きを見せるように、内なる神性も苦難の試練を受けて純化され、強化され、洗練されることになります。”


―そうなると、死後に天国があるという考えは意味がないのでしょうか。


“今日のあなたには天国のように思えることが、明日は天国とは思えなくなるものです。というのは、真の幸福は今より少しでも高いものを目指して不断の努力をするところにあるからです。” P225

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――ということは、憑依する霊は憑依される人間の霊の許しを得て侵入するということでしょうか。


“そうではありません。憑依されるのはその人間の内部に憑依を引き起こす原因があってのことで、それぞれの人間の問題なのです。
あなた方の心が愛と奉仕の精神に満たされているときは、あなた方を道具として用いようとする高級霊が引き寄せられます。憑依もそれと同じ法則によって発生します。法則は善の方向だけに働くのではなく、悪の方向にも働きます。最高の奉仕のために働く法則は、悪なる行為にも働くのです。あなた方は高く上がることができますが、低く堕ちることもできるのです。どちらも同じ法則(親和性の法則)の働きです。その法則は、あなた方の選択に応じて働きます。”P212

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“地上の人間にとって「死」は、恐怖の最たるもののようです。が、人間は死んで初めて生きることになるのです。あなた方は自分では立派に生きているつもりでしょうが、実際にはほとんど死んでいるのも同然です。霊的なことに対しては死人のごとく反応を示しません。(中略)
死ぬということは決して悲劇ではありません。むしろ地上で生きている方が悲劇です。大霊の庭が利己主義と強欲という名の雑草で足の踏み場もない状態になっていることこそ悲劇なのです。” P184

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“種子が暗い土の中に埋められるのは、養分を接種して発芽後の成長に備えるためです。それと同じく、人間の生命の種子が物質界という暗黒の世界に生まれてくるのは、霊界へ戻ってからの進化に備えて地上生活での体験を積むためです。
地上人生のあらゆる体験は、大きな計画の中の一つです。落胆・挫折・悲しみ・痛み・・・これらは人間的心情からすればあって欲しくないものかもしれませんが、魂の進化にとっては、とても貴重な体験なのです。 しかしあなた方は、その体験の最中にあってはそうは思えないでしょう。人生体験の価値を明確に認識できるようになるのは、こちらへ来て地上人生の一部ではなく、全体を振り返ることができるようになったときです。さまざまな逆境を通して人間性が試され、悲哀を通して魂が強化されたことを知るようになるのです。” P160

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“「復活」は生命の法則の一環です。肉体の死とともに、すべての魂は復活するのです。復活はイエス一人だけのものではなく、大霊の子のすべてに生じるものです。いずれすべての人間が死の関門を通過し、物的身体を捨て去り、霊的身体で新しい生活を始めるようになります。地上人は、すべての時を霊界での生活に備えて過ごしているのです。
イエスは自然法則に反するようなことは一度もしていません。そもそもイエスが地上界に降りてきたのは、大霊の摂理を実行するためでした。イエスのすべての行為、すべての教えは、大霊の摂理の一部でした。イエス自身こう述べているではありませんか――「こうしたことのすべては、あなた方にもできるし、あなた方はもっと大きなこともできるようになる」と。
イエスを、大霊の子供たちが近づけない天界のはるか高い位置に持ち上げるなら、せっかく彼が地上へ降誕した使命は台なしになってしまいます。なぜならイエスの地上人生の究極の目的は、「地上の人間も内在する大霊を人生の中で顕現させるなら、これほどのことが可能なのだ」ということを証明するところにあったからです。
そしてイエスは霊界へ戻った後、再び同じ姿を取って地上で縁のあった人々の前に現れました。これをキリスト教では「復活」と呼んでいます。イエス以前にも死者が生前の姿で現れた例はたくさんありますし、イエス以降にも数えきれないほどあります。
この宇宙に“特別”というものは存在しません。すべてが大霊の摂理(法則)によって統制されており、常に何かが起きているという事実そのものが、法則が実在することを証明しているのです。” P144

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――聖霊とはそもそも何なのでしょうか。


“物質界へ注がれる「霊力」のことです。キリスト教では漠然と聖霊を崇拝していますが、それが人類の誰にでも与えられるものであることは否定します。こうして皆さんと語り合うことを可能にしているのも霊力が働いているからです。その大霊の力が、ほんのわずかな時間ではあっても、霊界と地上界とが一つの目的のために一体となることを可能にしてくれるのです。”(P134)

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――人間はなぜ、神に罪の許しを乞うのでしょうか。摂理を犯せば必然的に罰が与えられると思うのですが・・・。

“許されたからといって、それで償いが済むわけではありません。代償は必ず払わなければなりません。しかし祈りによって許しを乞うということは、大霊の摂理に調和しようとする行為であり、償いの始まりです。これまでの歩みを見直し、自己を省みるところから本当の償いと霊的進化が始まるのです。” P121

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“地上生活には時として、辛さと絶望、痛みと悲惨さがともないますが、そのすべてが魂にとって永遠の旅路に向かうための準備なのです。
暗黒と光、陰と日向といった対照的なものも、実は一個の統一体の反映にすぎません。
陰なくしては光もあり得ず、光なくしては陰もあり得ません。それと同じで、困難は魂が向上するための階段です。困難・障害・ハンディキャップ—―こうしたものは魂の試練なのです。
それを克服したとき、魂はより強くなり、より純粋になり、より深くなり、いっそう進化するようになるのです。
無限の可能性を秘めた魂の潜在能力が、困難も苦痛もなく、陰も悲しみも悩みも悲惨さもなしに発現すると思われますか。発現するはずはありません。
悲哀の極みをなめ尽くして初めて、魂の奥底からの喜びが味わえるのです。生命の階段を低く下りるほど、それだけ高く上がれるのです。地上人生の陰と思える体験を重ねるほど、日向の喜びがひとしお身に沁みるようになるのです。
すべてのことが霊性進化の肥やしになります。そのうち皆さんも、肉体の束縛から解放されて曇りのない目で地上人生を振り返るときがまいります。その時、紆余曲折した出来事の中で、それらの一つひとつがちゃんとした意味を持ち、すべての体験が皆さんの魂を目覚めさせ、その可能性を引き出すことになっていたことを理解するようになるはずです。

魂にとって、正しく理解し正々堂々と立ち向かって何の益ももたらさないような体験は一つもありません。いったい、困難も試練も問題もない物的世界というものが想像できるでしょうか。そうした世界では何の進化も得られません。克服すべきものが何もないからです。あるのは堕落のみです。”
 (「シルバーバーチの教え」上巻 P109 スピリチュアリズム普及会)

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“地上人の抱く善悪の考えは、霊的成長のプロセスにおけるその時点での想念にすぎません。それは進化の過程で到達した段階を表しています。人間がさらに進化すれば、それまでの善悪の概念は捨て去られます。それは、完全なる摂理が正道から外れた媒体を通してそれ自身を顕現させようとするところから生じた不完全な発想にすぎません。私が善にも悪にも存在意義を認めるわけは、そこにあります。 (中略)

人間が“悪”と呼んでいるのは不完全性のことにすぎません。完全な大霊を不完全に表現しているということなのです。”
P85

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“あなた方が自分のことを忘れて他人のために奉仕しようとするとき、あなた方を通して大霊が働くのです。” P68

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“私たちが携わっている仕事には重大な目的があります。絶対不変の摂理の存在を証明すると同時に、地上の人間に慰めを与え、霊的知識を広めるという目的があるのです。
物質を超えた法則の存在を示すだけでなく、霊的真理を明らかにすることも私たちの仕事なのです。 (中略) 私たちは常に霊的真理の宗教的意義を示そうと努めています。なぜなら地上人類がその霊的な重要性を認識すれば、戦争や流血による革命よりも、はるかに大きな革命が生じるからです。それは“魂の革命”と呼ぶべきものです。地上のすべての人間が霊的存在としての本来の権利――霊の自由を享受する権利を手にすることになります。そのときには何世紀にもわたって人々の魂の足かせとなってきたものが、すべて取り払われることでしょう。

私たちが忠誠を尽くすのは、一つの教義ではなく、一冊の書物(聖書)でもなく、一つの建造物でもなく、生命の大霊とその永遠なる摂理です。” P41

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“小賢しい人間の浅はかな考えを捨てて幼な子のような無邪気さに立ち戻るまでは、この地上にあっても、あるいは私たちの世界へ来ても、大した進化向上は得られません。” P31

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“かくして霊的資質を十分に発揮するようになれば、その当然の結果として、豊かさと光輝と落ち着きと決意と自覚と内的安らぎが得られます。なぜならば、それは神が生み出した摂理と調和していることを意味し、さらには、各自がその一部を宿している神性の大源である神そのものと一体となっていることになるからです” P205

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“聖書にも“地球とそこにあるものすべては主のものなり”(コリント①10・26)とあります。
これは人間は地上のものは何一つとして所有できない───自分のものとはなり得ないことを意味します。地上にいる間だけリースで所有しているようなものです。永遠に自分のものではありません。
地上のゴタゴタは皆が自分がいちばんいいと思うものを少しでも多く自分のものとしようとする───いちばん悪いものを欲しがる者はいません───そこから生じております。
その結果として強欲、貪欲、私利私欲が王座に祭り上げられ、物欲第一主義が新しい神として崇拝されることになります。
地上には物欲優先の副産物が、見るも痛ましいほどはびこっております。悲劇・卑劣行為・飢餓・栄養失調・残虐行為・動物実験、こうしたものはすべて物欲を優先させることから生じる恐ろしい産物です” P181

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“そういう次第で、困難というのは霊の真の資質、神から授かった才能を発揮させるための挑戦として歓迎なさることです。皆さんの内部には地上最大の力が潜在的に宿っているのです。いかなるハンディキャップも、いかなる障害も、いかなる困難も、その潜在力で克服できないものはありません。もしもそれまでに開発したものでは敵わないほどのものであれば、祈ることによって、さらに強力な援助を要請することができます” P126

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“大切なのは取り越し苦労をしないということです。心配の念は私たち霊界から援助する者にとって非常に厄介な障害です。拒否的性質があります。腐食性があります。恐れ・心配・不安、こうしたものはその人を包む物的・精神的・霊的雰囲気を乱し、私たちが近づくのを一段と困難にします。
真理を知った者は、それがわずかであっても───たとえ多くを知ったとて、無限の真理からすれば多寡が知れています───いついかなる事態に直面しても、穏やかで平静で受容的態度を維持すべきですし、又そう努力すべきです。
全生命に存在を与えている霊力より強力なものはないとの断固たる自信に満ちていなければなりません。
何度でも繰り返し申し上げられる私からのメッセージがあるとすれば、それは“心配の念を棄てなさい。そうすれば内部に静穏が得られます。内部が静穏になれば外部も静穏になります”ということです。 (中略)
霊力は暴力という形では表現されません。霊力も常に冷静・平穏・安らぎ・落ち着いた自信の中で表現されるものです。そうした心理状態が調和を醸し出し、物質の世界と霊の世界との間の障害を取り除くのです。
それとは反対に暴力は調和を乱します。激情を噴出させます。挙げ句にその反動が自分に戻ってきます。本人にとって何一つ良いことはありません。これも物質偏重思想の副産物です。

(P169~P171)

 

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“そういう次第で、困難というのは霊の真の資質、神から授かった才能を発揮させるための挑戦として歓迎なさることです。皆さんの内部には地上最大の力が潜在的に宿っているのです。いかなるハンディキャップも、いかなる障害も、いかなる困難も、その潜在力で克服できないものはありません。もしもそれまでに開発したものでは敵わないほどのものであれば、祈ることによって、さらに強力な援助を要請することができます P126

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“霊能者や心霊治療家が人生の辛酸をなめさせられることが多いその理由の一つは、みずから苦しんではじめて他人への思いやりの心が芽生えるからです。神の道具としての道が常に酷しく、ラクをさせてもらえないのは、そこに理由があります” P121

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 “自分を取り囲む事情が険しくなってきた時――暗黒が低く垂れこめ、稲光が走り、雷鳴が轟きはじめた時は、心を静かにして、これまで自分を導いてきた力はきっとこれからも導き続けて、次に進むべき道を示してくれるはずだという確信をもつことです。
力強く前進なさい。最善を尽くすことです。それ以上のものは人間に求められていません。
しくじった時は立ち直ればよろしい。しくじるということは立ち直れることを意味します。
皆さんは不完全な世の中の不完全な存在である以上、かならず失敗を犯します。完全へ向けての巡礼の旅は永遠に続くのです。これまでに啓示された真理に感謝しなくてはいけません”
P101

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 “魂というものはいつかは必ず目覚める可能性をもっております。なぜならば魂とは大霊の一部であり、各自の内部に宿る神性だからです。それは無限なるものですから無限に発達する可能性を秘めております。それが基本の論理です。
 〝治る段階〟とは何かと問われれば、それは金塊が精錬の過程をへて不純物が取り除かれた後に見せる純金の姿と同じだと申し上げます。
 もしも人生が一本調子のものだったら、もしも光だけで闇がなかったら、もしも楽しいことばかりで苦しいことがなかったら、食べるものに事欠かず空腹というものを知らなかったら、その光も、楽しいことも、食べられることの有難さも分からないはずです。
人生の目的と可能性についての理解をもたらしてくれるのは、その両極性です。愛と憎しみは正反対であると同時に相等しいものです。愛を憎しみに変えることができるように、憎しみを愛に変えられることもできます。
 鋼(ハガネ)が溶鉱炉から取り出されて鍛えられるように、金塊が製錬されて初めて純金となるように、ダイヤモンドが磨かれて初めて輝きを見せるように、魂も辛酸をなめて初めて真の自我に目覚めるのです。それ以外に、地上で魂が目覚めそして活動を開始するための手段はありません。苦痛や困難は不幸なことのように思われがちですが、本当はそうではありません。各自の霊的進化にとってそれなりの役割があるのです” P67

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 いやしくも人のために生涯を捧げる使命をもつ者は、過酷な試練を体験しなければならないのです。もはやこれ以上は耐え切れないと思うギリギリの淵まで追いつめられ試されなければならないのです。地上のいかなる者からも救いの手は差し伸べてもらえないと思える深淵まで落ちてみなければならないのです。
 それに至って初めて魂が目を覚まし、霊界から届けられる豊かさと力と導きと叡智と愛とを受け入れる用意が整うのです。過酷な体験の目的は慈悲の心を芽生えさせることにあるのです。
なぜかと言えば、慈悲の心なくしては霊覚者も治療家も真の意味で人を救う仕事はできないからです。それしか方法がないのです。太陽が燦々と輝き、何不自由ない安楽な生活の中で、果たして自我の開発が望めるものでしょうか。試練を経ずして魂の崇高性が発揮されるでしょうか。何一つ学ぶことのない生活を送っていて、一体どういう精神的発達が望めるでしょうか。
 そのうちあなたも地上生活を振り返って〝厄介な問題こそ有難かったのだ。あの苦労があったからこそ人生の目的を悟り自我の開発の道が見出せたのだ〟と思われる日が来ることでしょう。人生の出来事の一つ一つに償いがあり、差引き勘定がきちんと行われるようになっております。神には絶対に手違いというものがありません。過去を振り返ってご覧になれば、この道にたずさわる他の全ての同志と同じく、あなたの人生も間違いなく霊の導きにあずかっていることがお分かりになります。 P35

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“いずれ皆さんもこちらへお出でになって地上生活を振り返った時は、きっとこう思われることでしょう。“いちばん大切な教訓を学んだのは生活がラクだった時ではなく、嵐が吹きまくり雷鳴が轟き稲妻が走り太陽が雲にさえぎられて、すべてが暗く絶望的に思えた時だった”と。

魂が内在する可能性を発揮するのは逆境の中にある時こそです。のんきな生活の中では霊性は磨かれません。苦しい道こそ有難いのです” P16

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“よく理解していただきたいのは、地上生活は霊界の生活と違って両極性(相対性)から成っていることです。霊界では同じ発達段階の者が同じ界層で生活しておりますが、地上ではさまざまな発達段階の者が混ざり合って生活しております。
ということは、対照的なものを見たり体験したりする機会が得られるということです。かくして光があれば闇があり、温かさがあれば冷たさがあることになります。そこに地上生活の存在理由があるのです。そうした両極の体験を通じて魂が真の自我に目覚めていくのです。
 言いかえれば地上は学校です。そこでいろいろと学ぶことによって、いつかは住むことになる霊の世界での生活に必要な教訓を身につけるのです。苦悩を味わうということは、その反対である喜びを味わえるということです。
 たびたび申し上げておりますように、地上での出来事は正反対であると同時に相等しいということがあります。つまり同じコインの表と裏の関係です。魂が自我に目覚めるのはさまざまな体験の中においてこそです。それは鋼(はがね)を鍛える過程、あるいは原鉱を砕いて黄金を磨き出す工程と同じです” P187

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“同志の方にはいつも申し上げていることですが、信仰に知識を加えることから出発して、最後は知識に信仰を加えることで終わります。地上はおろか霊界においてすら、存在する知識のすべてを手にすることは不可能です” P165

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“今あなたが人生最大の試練に立たされていることは私から改めて指摘するまでもないことと思います、しかし、いかなる困難に取り囲まれていようと、あなたはきっと切り抜けていかれることでしょう。背後に控える力が実に強力だからです。決してあなたを見捨てるようなことはいたしません。(霊的知識)

いかなる人生にも、赤裸々な現実に直面させられる時期が必ずあるものです。その時こそあなたの信念が確固たる知識の上に築かれていることを確認しなくてはなりません。
つまりその現実に直面することによって自分の存在価値を試され、いかに身近で切実な問題であろうと、それによってあなたがこれこそ実在であると信じているもの(霊的摂理)───絶対に裏切ることのない霊的原理から気をそらされることがない(迷わない)ことを立証させられるのです

その点あなたは、こうした危機において砦となるべき(霊的)知識へ導かれてその用意が出来ていたことは幸せというべきです。
ですから、あなたは決して首をうなだれてはなりません。表情と振舞いによって、あなたが霊的自由をもたらしてくれた真理をいささかも忘れていないことを示すように努力してください” P112

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“今あなたが人生最大の試練に立たされていることは私から改めて指摘するまでもないことと思います。しかし、いかなる困難に取り囲まれていようと、あなたはきっと切り抜けていかれることでしょう。背後に控える力が実に強大だからです。けっしてあなたを見捨てるようなことはいたしません”  P112

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参加者

「となると、死後の世界はどこにあるのかという問いにはどう答えたらよいのでしょうか。明確に答えるのは困難だと思いますが・・・」

 

シルバーバーチ

“死後の世界とは、要するに今生活している世界の目に見えない側面、耳に聞こえない側面のことです。死んでからではなく今の時点で霊の世界に住んでいるのです。死んでからそこへ行くのではありません。今いる場所に霊界があるのです。その世界の波長ないし振動、その他どう呼ばれても結構ですが、それをキャッチするための霊的感覚を発揮しないかぎり、それが認識できないというにすぎません。別個の世界ではないのです。宇宙全体を構成する不可欠の側面であり、地球もその小さな一側面にすぎません”

 

参加者

「その見えない世界の存在を認識するために霊的感覚を養成することも、地上に生活しているわれわれの義務といってよいのでしょうか。」

 

シルバーバーチ

“おっしゃる通りです。物質の世界の裏側に霊的側面があることを認識して はじめて本当の意味で生きていることになります。
霊的存在に気づかないかぎり、悲しいかな、霊的な意味で目と耳と口を塞がれているようなものです” P74

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“私はいつも思うのですが、地上の人々、中でもとくに霊的知識を手にされた方が背後霊の存在を実感をもって認識してくだされば、どんなに有難いことでしょう。地上の愛する者へ無益な害が及ばないように庇い、守り、導いている霊の姿を一目ご覧になることができれば、と思うのです。その影響力の大きさを知ることができたら、明日のことを思い煩うようなことは絶対にしなくなることでしょう。それで私はここに集まる同志の方にいつも申し上げているのですが、新しい一日の訪れを素晴らしい霊的冒険の到来としてよろこんで迎えることです” P65

 

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“あなた方の進むべき道は、霊界からあなた方を愛している大勢の霊が必ず示してくれます。(中略) しかし私たち霊界の者は、私たちの道具として協力してくださる地上の人々を見捨てるようなことは決していたしません。” P29

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“時おり私は地上の同志のもとを訪ねてみることがありますが、霊的知識をたずさえているはずの人が悩み、そして心配しているのを見て、不可解でならないことがあります。霊的知識は、永遠の霊にはいかなる危害も及ばないことを保証する基盤であるはずです。
霊的知識を手にした者は常に光の中に生き、明日を思い煩うことがあってはなりません。
 地上には人間が思い煩う必要のあることは何一つありません。あなたの内部には霊的兵器───非常事態や危機に際して活用できる霊的資質(霊性・霊力)が宿されているのです。その潜在力(霊性・霊力)を呼び起こし、待機している霊(守護霊・指導霊)に訴えれば、解決できない問題は何一つありません” P23

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いかなる事態も本人が思っているほど暗いものではありません。その気になれば必ず光が見えてきます。魂の奥に潜む勇気が湧き出てきます。責任を全うしようとしたことが評価されて、その分だけ霊界からの援助のチャンスも増えます。背負いきれないほどの荷はけっして負わされません P210

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“皆さん方は俗世間的な問題に関わりすぎており、そうした問題のすべての解決のカギである霊の力を十分に活用していらっしゃいません。 (中略) 美と豊かさと荘厳さと威厳と光沢と気高さと光輝にあふれた霊力そのものには際限というものはありません。ただ、人間がこしらえる条件によって制約されるのみです。どうか信念に裏打ちされた、とらわれのない(霊力の)通路、安易に信じるのではなく、これまでに得た知識を基盤とした信念――進化の現段階では無限の知識を手にすることが不可能である以上、どうしても必要となる信念に燃えた(霊力の)通路であってほしいのです。知識を基盤とした信念に燃えてください” P191

 

備考:霊の力を十分に活用するためには、流れやすい通路となるべく、知識に裏付けられた霊的摂理に対する信念(信仰)が必須条件となります。

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“地上の人間にとって苦しみは悪であり、痛みは歓迎されませんが、実質的には必ずしもそうではありません。苦は楽と同じく神の計画の一部です。苦がなければ楽もなく、暗闇がなければ光明もなく、憎しみがなければ愛もありません。作用と反作用は同じものであると同時に正反対のものです。一つのコインの両面と思えばよろしい。善と悪はともに不可欠のものであると同時に、相対的なものです。地上にはさまざまな道徳的規範があり、国によって異なります。たった一つの絶対的規範というものはありません。私たち霊にとっての価値基準はただ一つ――魂にどういう影響を及ぼすかということです。魂の成長を促すものは善で、成長を遅らせるものは悪です。そこが大切な点です。 (中略) 生命の原理、霊的真理の基本(真の我とは霊魂なり)を忘れないようにしましょう。それさえ確保しておれば、(地上世界への)存在の目的を成就していることになるからです” P198

 

“もしもあなたが何一つ間違いを犯さない人だったら、あなたは今この地上にはいらっしゃらないはずです。間違いを犯す人間だから地上に来ているのです。しくじってはそこから教訓を学ぶのです。もしもしくじらないほど完全な人間だったら、物質界に生まれてくる必要はありません。勉強のために地上へ来ているのです。しくじっては学ぶ――それが進化の法則の一環なのです” P167

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“これまでに得た(霊的)知識を基盤とした信念(信仰)――進化の現段階では無限の知識を手にすることが不可能である以上どうしても必要となる信念(信仰)に燃えた通路であってほしいのです” P192

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“案ずることはありません。あなた方は自分なりの最善を尽くせばよいのです。もうこれ以上はできないというところまで努力したら、それ以上はムキにならず、あとは私たちに任せる気持ちにおなりなさい。人間は自分にできるかぎりの努力をしていればよいのです。それ以上のことは要求しません。” P160

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“形式を越えた霊と霊との直接の交渉、地上的障害を超越して次元を異にする二つの魂が波長を合わせることによって得られる交霊関係――これが最高の交霊現象です” P149

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“スピリチュアリストをもって任じている人も、もし日常生活においてその霊的真理の意味を生かすような生き方をしていなければ、何の徳にもなりません。私たちはラベルは崇みません。大切なのは、自分はこういう者ですとみずから称していることではなくて、ふだん行っている行為です” P117

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“地上生活は霊としての存在意識を全うするという大目的(霊的成長)のために学び鍛える、そのトレーニングの場にほかなりません。挫けてはなりません。いかなる事態にあっても、不安の念をカケラほどでも心に宿すようなことがあってはなりません。今日まで支えてきた力は、これからも決して見捨てるようなことはいたしません。絶対に裏切ることはありません。もしあるとしたら、この宇宙そのものが存在しなくなります。その根源的なエネルギー、存在の支えそのものが不在となることがあることになるからです” P89

 

迷わず前進なさることです。今日は今日一日のために生きるのです。そして、過去が霊の導きを証明しているように、未来も間違いなくあなたが志願された使命を全うさせてくれるものと信じることです” P90

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“霊的資質は永いあいだ潜在的状態を続け、魂が十分に培われた時点でようやく発現しはじめるものです。それが基本のパターンなのです。すなわち悲しみや病気、あるいは危機に遭遇し、この物質の世界には何一つ頼れるものはないと悟った時に、はじめて魂が目を覚ますのです。
何一つ煩わしいことがなく、空は明るく静かに晴れ上がり、すべてがスムーズにそして穏やかに運んでいるような生活の中では、真の自我は見出せません。すばらしい霊的覚醒が訪れるのは、嵐が吹きまくり、雷鳴が轟き、稲妻が光り、雨が容赦なく叩きつけている時です。
お二人が歩まれた道もラクではありませんでした。しかし、だからこそ良かったのです。
困難にグチをこぼしてはいけません。困難は霊の拍車です。霊的知識をたずさえてそれに立ち向かうことです。霊の力は物質の力に勝ります。問題に遭遇した時はいったん足を止め、霊的知識に照らして判断し、どんなことがあってもお二人が担って生まれてこられた目的から目をそらさないでください。(中略)
あなた方はあなた方なりに精いっぱい責任を果たしておればよろしい。力量以上のものは要求されません。力のかぎり大霊の道具としての自分を有効に役立てることです。少しでも多くの霊力があなたを通して地上に顕現し、それを必要としている人たちのために力と導きと愛をもたらしてあげられるように努力してください。(中略)
これからも失敗はあるでしょう。何度もしくじることでしょう。だからこそ地上に生まれてきたのです。もしも学ぶことがなければ、この地上にはいらっしゃらないでしょう。地上は子供が勉強に来る学校なのです。完全な霊だったら物質に宿る必要はないでしょう。” P70~76

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四章 P49
“人間には一種の機械としての物的身体が与えられています。あなたはその身体を通して自我を表現している一個の霊なのです。あなたが悩みを抱くと、霊と身体との間の水門が閉ざされ、身体は生命力の補給を失うことになります。補給源とのつながりを断たれることになります。そのことに気づいて心構えを改めないかぎり、あなたの身体はその不健康な作用と反作用の法則に従いつづけることになります。心配の念はあなたの霊的大気であるオーラの働きを阻害し、その心霊的波長を乱します。その障害を取り除くまでは生命力が流れ込みません。
泰然自若の境地に至るには長く厳しい修行、過酷な試練、そして心配の念の侵入を許すまいとする不断の努力が要請されます。
無限の愛と叡智を有する神がこの摂理を創案したのです。完璧に出来上がっており、必ずその通りに作用します。心配することに費やしているエネルギーを建設的な思念へ転換すれば、健康上の問題は生じなくなります。
神の計画は完全であり、あなたもその計画の中に組み込まれているのです。あなたも自分自身を完成しなくてはいけません。そのための機会は日常生活の中にいくらでも用意されております。

 

五章 P60
“日常の問題にもちゃんとした摂理があります。それは、人のために自分を役立てる者は決して生活に不自由はしないということです。基本的には必要とするものは必ず与えられるということです。その際に大切なことは、それまでの体験によって得たものを、日常生活の中で精いっぱい生かしていくことです。そうすることの中で、神とのつながりを強化して行くことになるからです。そのつながりが強くなればなるほど、援助と力とが流れ込む通路が内面的に奥深くなって行くのです。
真理を理解した人間は沈着、冷静、覚悟が身についております。恐れるということがありません。不安の念の侵入を受けつけず、無知と迷信と悩みが生み出す暗黒を打ち消します。自分に生命を与えてくれた力、宇宙を支配している力、呼吸し活動するところのものに必需品を供給する力は絶対に裏切らないとの信念があるからです。
大切なのは、ご自分の方から神を裏切らないことです。これまでに得たもの、いま受けつつあるもの、そしてそれから生まれる叡智のおかげでせっかく宿すようになった信頼を裏切るような行為をなさらないように心掛けることです。

霊的真理にしがみつくことです。これまでに自分たちに啓示されたものを信じて物事に動じないことです。一つ一つの問題に正面から取り組み、精いっぱい努力し、済んだことは忘れることです。援助は必ず与えられます。なぜなら、お二人を愛する人たち、地上にいた時より一段と親密度を増している人たちが、お二人が難題を切り抜けるように取り計らってくれるからです。”

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霊力は条件さえ整えば、つまり一かけらの心配の念もなく、知識を基盤とした信仰と体験から生まれた確信とがあれば、時として驚異的なことをやってのけます。P34


物的表面にとらわれず肝心かなめのものにすがることです。目を逸らしてはいけません。これこそ真実であると確信したものにしっかりとすがることです。そして煩雑な物的生活の中で何が何やらわけが分からなくなった時は、大霊の力と安らぎの住む内部へ退避して、その雑念を忘れることです。そうすればその静寂の中にあなたにとって必要なものを見出すことでしょう。P45

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“もしも皆さんの行く手に暗い影がよぎるようなことがあったら、もしも困難がふりかかったら、もしも疑念が心をゆさぶり、不安が宿るようなことがあったら、そうしたものはすべて実在ではないことを自分に言い聞かせるのです。翼を与えて追い出してやりなさい
この大宇宙を胎動させ、有機物と無機物の区別なく全生命を創造した巨大な力、星も惑星も太陽も月もこしらえた力、物質の世界へ生命をもたらし、あなた方人間の意識に霊性を植えつけてくださった力、完璧な摂理として全生命活動を支配している力、その大いなる霊的な力の存在を忘れてはなりません
その力は、あなた方が見捨てないかぎり、あなた方を見捨てることはありません。その力をわが力とし、苦しい時の避難所とし、心の港とすることです。神の愛が常に辺りを包み、あなた方はその無限の抱擁の中にあることを知って下さい” P26

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“いついかなる時も永遠の霊的原理を指標としそれに頑固にしがみついているかぎり、あなたに、絶対に挫折はありません”  P217

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“地上への誕生のそもそもの目的は魂が目を覚ますことにあります。もしも魂が目覚めないままに終われば、その一生は無駄に終わったことになります。地上生活が提供してくれる教育の機会が生かされなかったことになります”

 

―地上で目覚めなかった魂はそちらでどうなるのでしょうか。

 

“これがとても厄介なのです。それはちょうど社会生活について何の予備知識もないまま大人の世界に放り込まれた人と同じです。最初は何の自覚もないままでスタートします。地上と霊界のどちらの世界にも適応できません。地上において霊界生活に備えた教訓を何一つ学ばずに終わったのです。何の準備もできていないのです。身支度が整っていないのです”

 

―そういう人たちをどうされるのですか。

 

“自覚のない魂はこちらでは手の施しようがありませんから、もう一度地上へ誕生せざるを得ない場合があります。霊的自覚が芽生えるまでに地上の年数にして何百年、何千年とかかることもあります”

 

―親しい知人が援助してくれるのでしょう?

 

“出来るだけのことはします。しかし、自覚が芽生えるまでは暗闇の中にいます。自覚のないところに光明は射し込めないのです。それが私たちが直面する根本的な問題です” P168

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“地上生活の究極の目的は〝死″と呼ばれている現象のあとに待ち構えている次のステージ(生活舞台)に備えて、内部の霊性を開発することにあります。開発するほど洞察力が深まります。霊性が開発され進歩するにつれて、自動的に他人に対して寛大になり憐みを覚えるようになります。これは、悪や残忍さや不正に対して寛大であれという意味ではありません。相手は自分より知らないのだという認識から生まれる一種の我慢です。” P125

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“そうして発達を続けていくうちに霊的真理の実相を悟って、もはやその理解のために比較対照というものを必要としなくなる段階に至ります。それは地上においても達成できるものです。つまり知的な思考による理解を超えた“悟り”を地上生活中に得ることができます。それは私たちの世界へ来てから比較対照が無くても実在が理解できるようになるのと同じ段階です。” P95

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“地上は体験学校のようなものです。その地上世界は完全ではありません。あなた自身も完全ではありません。あなたはその不完全な世界で少しでも多くの完全性を発揮しようとしている不完全な存在です。ですから、自分なりの最善を尽くしておれば、それでいいのです。それ以上のものは要求されません。” P60

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“幸いにも霊的光明をかいま見ることができ、背後に控えている存在に気づかれた方は、明日はどうなるかを案ずることなく、常に楽観的姿勢を維持できなければいけません。” P15

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自我の開発――これが人間としてもっとも大切な目的です。それがこうして私たちが霊界から地上へ戻ってくる目的でもあるのです。すなわち人間に自己開発の方法、言いかえれば霊的革新の方法をお教えすることです。内在する神の恩寵を味わい、平和と調和と協調と友愛の中で生きるにはそれしかないからです。今の地上にはそれとは逆の“内紛”が多すぎます。”P21

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“ほんとうの祈りは利己的な動機から発した要望を嘆願することではありません。われわれの心の中に抱く思念は神は先刻ご承知なのです。要望は口に出される前からすでに知れているのです。
なのになぜ祈るのか。それは、祈りとはわれわれのまわりに存在するより高いエネルギーに波長を合わせる手段だからです。その行為によってほんの少しの間でも活動を休止して精神と霊とを普段より受容性に富んだ状態に置くことになるのです。

わずかな時間でも心を静かにしていると、その間により高い波長を受け入れることができ、かくしてわれわれに本当に必要なものが授けられる通路を用意したことになります。” P198

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“私は神があなた方のいう“善”だけを受けもち、悪魔があなた方のいう“悪”を受けもっているとは申し上げておりません。”

――潜在的には善も悪もすべてわれわれの中に存在しているということですね。

“人間一人一人が小宇宙なのです。あなたもミニチャアの宇宙なのです。潜在的には完全な天使的資質を具えていると同時に獰猛な野獣性も具えております。だからこそ自分の進むべき方向を選ぶ自由意志が授けられているのです。” P194

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“お二人のこれからの人生が日向ばかりだとは申し上げられません。曇りの日もあることでしょう。時には雨にうたれることもあるでしょう。困難なことがあるでしょう。試練に出会うこともあるでしょう。人生は一本調子のものではありません。色彩もあり変化もあります。障害に出会うことでしょう。何もかもうまく行く楽しい日々もあれば、すべてが絶望的に思える暗い日々もあることでしょう。そうしたさまざまな体験の中でこそ性格が培われるのです。人生を形づくっているさまざまな体験の中で培われるのです。
もしも人生が初めから終わりまでラクに行ったら、もしも乗り切るべき困難もなく耐え忍ぶべき試練もなく、克服すべき障害もないとしたら、そこには何の進歩も得られないことになります。レースは競い合うからこそ価値があるのです。賞はラクには貰えず一生けんめい頑張ったあとにいただくから価値があるのです。そういう価値ある人間になるように努力なさい。
この世に克服できない悩みはありません。ですから、悩んではいけないのです。征服できない困難はないのです。力の及ばないほど大きな出来事は何一つ起きないのです。
一つ一つの経験から教訓を学ぶことです。難しいと思ったときは、怯まず自分にムチ打つのです。そうすればそれだけ前より強い人間となります。自分が霊であること、それが肉体を通して表現しているのだということ、そして自分という永遠の霊に傷を負わせたり害を及ぼしたりするものは決して生じないということを忘れないことです。

 

世間でいう“成功者”になるかならないかはどうでもよいことです。この世的な成功によって手に入れたものは、そのうちあっさりと価値を失ってしまいます。大切なのは自分の霊性の最高のものに対して誠実であること、自分でこれこそ真実であると信じるものに目をつぶることなく、ほんとうの自分に忠実であること、良心の命令に素直に従えることです。それさえできれば、世間がどう見ようと、自分は自分としての最善を尽くしたのだという信念が湧いてきます。そして、いよいよ地上生活に別れを告げる時が来たとき、死後に待ち受ける生活への備えが十分にできているという自信をもって、平然として死を迎えることができます。これが私からのアドバイスです。” P155

 

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“これまでに起きたことはもとより、これから生じるであろう出来ごとも、霊に目覚めた者が不安や恐怖を抱くほどのものは何一つありません。忠誠心と自信とをもち、背後より支援してくれるその力の存在を忘れることなく、真理はいかなる反抗勢力に遭っても、真理であるがゆえに耐え抜くものであることを確信して邁進すべきです。” P115

 

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“忙しい時間のいくばくかを割いて、背後霊との霊的な交流をもつことを心掛けてくださると、背後霊はとても助かるということです。
そして、これは何度も申し上げていることですが、背後霊とのつながりを求め、たとえ表面的には何の反応もなくても、霊的にはかならず何かが起きているものです。ですから、たとえばテーブルも何も用いずに何分間か、ただお二人で座って黙祷するというだけでもいいのです。言葉に出すのもいいかも知れません。が、それも必ずしも必要ではありません。
心を空にして穏やかな気持ちの中で精神を統一するだけで十分です。
その統一状態の中で霊の力が働くのです。
そうした静かな精神状態というのが、物的生活に振り回されている騒々しさに一時的なストップをかけることになります。そのわずかな時間を霊性の開拓と、自宅内での霊的存在の認識へ向けたことになります
地上の人間は静かな精神状態をもつことの効用を十分に認識しておりません。私がよく申し上げているように、あなた方にとって無活動の時が私たちにとって活動の時なのです。あなた方が静かに受身の心でじっとしている時が私たちにとって一ばん近づきやすいからです。”P101

 

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――あなたの訓えの中には恐怖心を捨てるように説いておられるものが多いのですが、実際に爆弾が投下されているときにそれを要求するのは無理です。そういう状態では怖がって当然ではないでしょうか。

 

Ⅰ.霊的成長は困難の末に得られるもの
 “おっしゃる通り当然でしょう。が、その状態こそ恐怖心を捨てる試金石(信仰を試されている)でもあります。私たちがみなさんの前に掲げる理想がひじょうに到達困難なものが多いことは私も承知しております。私たちの要求することのすべてを実現するのは容易ではありません。が、(人生の)最大の富(霊的成長)は往々にして困難(試練)の末に得られるものです。

 

Ⅱ.困難には霊力を活用すること
それには大変な奮闘努力が要求されます。が、それを私があえて要求するのはそれだけの(永遠不滅の霊的)価値があるからです。いつも申し上げておりますように、あなた方はそれぞれに無限の可能性を秘めた霊(霊魂)なのです。宇宙を創造した力(霊力)と本質的に同じもの(霊の力)が各自に宿っているのです。その(霊の)潜在力を開発する方法を会得しさえすれば、内在する霊的な貯えを呼び覚ます方法を会得しさえすれば、霊力の貯水池から汲み上げることができるようになりさえすれば、恐怖の迫った状態でも泰然としていられるようになります。
⇒瞑想などのテクニックだけのことをいっているのではなく、ベースとして霊的知識や霊的自我(本当の自分)の覚醒が必要である。

 

Ⅲ.その霊力はあなたの内部に宿っている(神の御国)
人生の旅においてあなたを悩ますあらゆる問題を克服していく手段は全部そろっているのです。それがあなたの内部に宿っているのです。イエスはそれを“神の御国は汝の中(潜在意識)にある”と言いました。神の御国とはその無限の霊的貯蔵庫(霊力の兵器庫)のことです。自己開発(霊的知識の実践と信仰による開発)によってそれ(霊の力)を我がものとすることができると言っているのです。(霊魂を)開発すればするほど、ますます多くの宝が永久に自分のもの(完全に向けての霊的成長)となるのです。
⇒呼吸法や瞑想法は手段(テクニック)であって目的ではない。霊的知識の実践と信仰によって霊的成長を図るため、霊力を呼び込む一つの手段なのである。

 

Ⅳ.人生の目的は霊的成長にある
もしも私の説く訓え(霊訓)がラクなことばかりであれば、それは人生には発展と進化のチャンスがないことを意味します。人生には無数の困難があります。だからこそ完全に向けての(霊的成長の)チャンスが無数にあることになるのです。生命は永遠です。終わりがないのです。完全に向けての成長も永遠に続く過程なのです。” P75 

 

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“何世紀にもわたって強大な霊的軍団が組織されております。霊的真理に対して絶対的忠誠心をもって臨めば、あなたの強力な味方となってくれます。/そのたった一人の人間も、霊の力を背後にすれば大きな仕事ができるのです。/おっしゃる通り、たった一人のすることです。見た目にはたった一人です。が、その背後には自分を役立てたいとの願望を抱く者にかならず授けられる強大な霊力が控えております。” P52 
(中略)
“どうかこれまで述べてきた知識の中から物的生活の背後で働いている霊的活動、あなたの身のまわりにほうはいとして存在する莫大な霊力、あなた方を善のために活用せんとして待ちかまえている霊の存在を認識してください。あなた自身の中に潜在する可能性をしっかりと認識してください。それが自我の霊的本性のもつ莫大な兵器庫、魂の宝庫を開くカギとなるからです。神の叡智は無限であるということ、宇宙の宝物は無尽蔵であるということの意味を、しっかりと理解してください。” P58

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“善はみずから報酬をもたらし、悪と罪はみずから罰と断罪を受けると私は説くのです。向上するのも堕落するのも本人の行為一つに掛かっているのです。人生のあらゆる側面を神の摂理が支配しており、それをごまかすことも、それから逃れることも出来ません。誰にも出来ません。” P49

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“霊は安心立命の境地において本来の力を発揮するものです。私たちが闘わねばならない本当の敵は無用の心配です。それがあまりに多くの人間の心に巣くっているのです。単なる観念上の産物、本当は実在しない心配ごとで悩んでいる人が多すぎます。
そこで私は、取り越し苦労はおやめなさいと、繰り返し申し上げることになるのです。
自分の力で解決できないほどの問題に直面させられることは決してありません。克服できない困難というものは絶対に生じません。重すぎて背負えないほどの荷物というものは決して与えられません。しかも、溢れんばかりの自信に満ちた雰囲気の中で生きていれば、霊界から援助し、導き、支えてくれるあらゆる力を引き寄せることになるのです。”P30

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“途方もなく巨大な星雲を見ても、極微の生命を調べても、あるいは変転きわまりない大自然のパノラマに目を向けても、さらには小鳥、樹木、花、海、山川、湖のどれ一つ取ってみても、ちょうど地球が地軸を中心に回転することによって季節のめぐりが生まれているように、全ての相とのつながりを考慮した法則によって統制されていることが分かります。種子を蒔けば芽が出る――この、いつの時代にも変わらない摂理こそ神の働きの典型です。神は絶対にしくじったことはありません。あなたがたの方から見放さないかぎり神はあなたがたを見放すことはありません。私は、神の子すべてにそういう視野をもっていただきたいのです。そうすれば取越苦労もなくなり、恐れおののくこともなくなります。いかなる体験も魂の成長にとっては何らかの役に立つことを知ります。その認識のもとに一つ一つの困難に立ち向かうようになり、首尾よく克服していくことでしょう。そのさ中にあってはそうは思えなくても、それが真実なのです。あなた方もいつかは私たちの世界へお出でになりますが、こちらへ来れば、感謝なさるのはそういう暗い体験の方なのです。視点が変わることによって、暗く思えた体験こそ、そのさ中にある時は有難く思えなくても、霊の成長をいちばん促進してくれていることを知るからです。今ここでそれを証明してあげることはできませんが、こちらへお出でになればみずから証明なさることでしょう。

こうしたことはあなたにとっては比較的新しい真理でしょうが、これは大変な真理であり、また多くの側面をもっています。まだまだ学ばねばならないことが沢山あるということです。探究の歩みを止めてはいけません。歩み続けるのです。”

シルバーバーチの霊訓(六)P205

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“苦と楽、悲しみと喜び、平静さと怒り、嵐と晴天、こうしたものがみな魂の成長の糧となるのです。そうしたものを体験し教訓を学んではじめて成長するのです。その時はじめて宇宙が無限なる愛によって支配され、その愛から生み出された摂理に間違いはないとの自覚を得ることができるのです。“まず神の国と義を求めよ。さらばそれらのものもすべて汝のものとならん。”というのは真実です。その心掛けになり切れば、つまり宇宙の摂理に不動の、そして全幅の信頼を置くことができるようになれば、人生で挫折することはありません。なぜならばその信念が内部の霊力を湧き出させ、何ごとも成就させずにはおかないからです
その霊力を枯渇させる最たるものは“心配”の念です。全幅の信頼心――盲目的な信仰ではなく知識を土台とした完全なる信念は、人生のあらゆる体験に心配も迷いも不安もなく立ち向かわせます。神の子である以上は自分の魂にも至聖所があり、そこに憩うことを忘れないかぎり、自分を焼きつくす火も吹き倒す嵐も絶対にないとの確信があるからです。”


「すばらしいことです」


“本当にそうなのです。本当にそうなのです。物質に包まれた人間にはその理解はとても困難です。魂そのものは知っていても、その物質による束縛がどうしても押し破れないのです。しかし、それを押し破っていくところに進化があるのです。人生問題を霊の目で眺めれば、その一つ一つに落着くべき場がちゃんと用意されているのです。地上的な目で眺めるから混乱と困難と誤解が生じるのです。そこで私たちの出番が必要となります。すなわち霊的真理の光をお見せするのです。
ナザレのイエスが“神の国は汝自身の中にある”と述べたのは寓話ではなく事実を述べたのです。神は全生命の中心です。宇宙は神が内在するがゆえに存在しているのです。地上のあらゆる存在物も神が内在するからこそ存在しているのです。あなた方もミニチュアの神なのです。あなた方の心がけ次第でその内部の力が成長し、発展し、開花するのです。その成長の度合いを決定づけるはあなた方自身です。他の誰も代わってあげることはできません。それが地上生活の目的なのです。
自分も神であることを自覚なさることです。そうすれば神の御国(摂理)はほかならぬ自分の魂の中にあることを悟られるはずです。それは絶対に裏切ることがありません。無限の補給源である神の摂理に調和した生き方をしているかぎり、何一つ不自由な思いも空腹も渇きも感じなくなります。といって必要以上のものはいただけません。魂の成長の度合いにふさわしいだけのものが与えられ、それよりも多くも、それより少なくも、それより程度の高いものも、低いものも受けません。それ以外にありようがないのです。” シルバーバーチの霊訓(六)P196

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“物的存在物はいつかは朽ち果て、地球を構成するチリの中に吸収されてしまいます。と言うことは物的野心、欲望、富の蓄積は何の意味もないということです。一方あなたという存在は死後も霊的存在として存続します。あなたにとっての本当の富はその本性の中に蓄積されたものであり、あなたの価値はそれ以上のものでもなく、それ以下のものでもありません。そのことこそ地上生活において学ぶべき教訓であり、そのことを学んだ人は真の自分を見出したという意味において賢明なる人間であり、自分を見出したということは神を見出したということになりましょう。
地上世界を見ておりますと、あれやこれやと大事なことがあって休む間もなくあくせくと走りまわり、血迷い、ヤケになりながら、その一ばん大切なことを忘れ、怠っている人が大勢います。私たちの説く教訓の中でもそのことが一ばん大切ではないでしょうか。それが、いったん霊の世界へ行った者が再び地球へ戻ってくる、その背後に秘められた意味ではないでしょうか。それを悟ることによって生きる喜び――神の子として当然味わうべき生き甲斐を見出してもらいたいという願いがあるのです。それは、いわゆる宗教あるいは教会、教義、信条の類い、これまで人類を分裂させ戦争と混沌と騒乱を生んできたものより大切です。少しも難しいことではありません。自分という存在の本性についての単純きわまる真理なのです。なのに、それを正しく捉らえている人はほんの僅かな人だけで、大方の人間はそれを知らずにおります。” 

シルバーバーチの霊訓(六)P180

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“地上は保育所です。訓練所です。いろんなことを学ぶ学校です。身支度をする場です。潜在している才能が最初に目を出す場であり、それを人生の荒波の中で試している所です。そうした奮闘の中ではじめて真の個性が形成されるのです。闘争もなく、反抗もなく、困難もなく、難問もないようでは、霊は成長できません。進化しません。奮闘努力が最高の資質、最良の資質、最も深層にある資質を掘り起こすのです。” 

シルバーバーチの霊訓(六)P166

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霊という必須の要素が生活を規制し支配するようになれば、何ごとが生じても、きっと克服できます。少しも難しいことは申し上げておりません。きわめて単純なことなのです。が、単純でありながら、大切な真理なのです。満空の信頼、決然とした信念、冷静さ、そして自信――こうしたものは霊的知識から生まれるものであり、これさえあれば、日々の生活体験を精神的ならびに霊的成長を促す手段として活用していく条件としては十分です。地上を去ってこちらへお出でになれば、さんざん気を揉んだ事柄が実は何でもないことばかりだったことを知ります。そして本当にためになっているのは霊性を増すことになった苦しい体験であることに気づかれることでしょう”

シルバーバーチの霊訓(六)P155

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“手にした霊的知識という杖が困難に際して支えになってくれます。その杖にすがることです。霊的知識という杖です。それを失っては進化の旅は続けられません。”

シルバーバーチの霊訓(六)P135

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“ぜひ理解していただきたいのは、大切な悟りというものは悲しみと苦しみという魂の試練を通してはじめて得られるものだということです。
人生というものはこの世だけではなく、あなた方があの世と呼んでおられる世界においても、一側面のみ、一色のみでは成り立たないということです。光と影の両面が無ければなりません。
光の存在を知るのは闇があるからです。暗闇がなければ光もありません。光ばかりでは光でなくなります。闇ばかりでは闇でなくなります。同じように、困難と悲しみを通してはじめて魂は自我を見出していくのです。もちろんそれは容易なことではありません。とても辛いことです。でもそれが霊としての永遠の身支度をすることになるのです。なぜならば地上生活のそもそもの目的が、地上を去ったあとに待ちうける次の段階の生活に備えて、それに必要な霊的成長と才能を身につけることにあるからです。”

シルバーバーチの霊訓(六)P99 (困難、悲しみ、苦しみ → 悟り)

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“実は霊の世界から地上へ引き返し、地上人類のために献身している霊の大軍を鼓舞し動かしている壮大な目的があるのです。無知の海に知識を投入すること、それが目的です。暗闇に迷う魂のために灯火をかかげ、道を見失える人々、悩める人々、安らぎを求める人々に安息の港、聖なる避難所の存在を教えてあげることです。私たちを一つに団結させている大いなる目的です。宗教、民族、国家、その他ありとあらゆる相違を超越した大目的なのです。”

シルバーバーチの霊訓(六)P90 ページトップへ


“不安のタネの尽きない世界に平和を招来するためには霊的真理、視野の転換、霊的摂理の実践をおいて他に手段はありえません。
ストレスと難問の尽きない時代にあっては、正しい知識を手にした者は真理の使節としての自覚をもたねばなりません。”

シルバーバーチの霊訓(六)P84 ページトップへ


「あからさまに言えば、取越苦労性の人は霊的に未熟ということでしょうか。」


“その通りです。真理を悟った人間はけっして取越苦労はしません。なぜなら人生には神の計画が行きわたっていることを知っているからです。・・・無用の心配をするということそのことが霊的成長の欠如の指標といえます。たとえ僅かでも心配の念を抱くということは、まだ魂が本当の確信を持つに至っていないことを意味するからです。もし確信があれば心配の念は出てこないでしょう。偉大なる魂は泰然自若の態度で人生に臨みます。確信があるからです。その確信は何ものによっても動揺することはありません。このことだけは絶対に譲歩するわけにはいきません。なぜなら、それが私たちの霊訓の土台であらねばならないからです。”

シルバーバーチの霊訓(六)P57 ページトップへ


“霊力の真の目的はあなた方のもとを訪れる人の魂を目覚めさせることです。自分が本来霊的な存在であり、物的身体は自分ではないことに気づかないかぎり、その人は実在に対してまったく関心を向けないまま地上生活を送っていることになります。言わば影の中で幻を追いかけながら生きていることになります。実在に直面するのは真の自我、すなわち霊的本性に目覚めた時です。地上生活の目的は、帰するところ自我を見出すことです。なぜなら、いったん自我を見出せば、それからというものは内部に宿る神性をすすんで開発しようとするからです。
残念ながら地上の人間の大半は真の自分というものを知らず、したがって不幸や悲劇に遭うまで自分の霊的本性に気づかないのが実情です。光明の存在に気づくのは人生の闇の中でしかないのです。”

霊訓第六巻 P32  ページトップへ


 

“魂はみずから道を切り開いていくものです。その際、肉体機能の限界がその魂にとっての限界となり制約となります。しかし肉体を生かしているのは魂です。魂は絶対です。魂とはあなたという存在の奥に宿る神であり、神が所有しているものは全てあなたもミニチュアの形で所有している以上、それは当然しごくのことです。”

霊訓第六巻P21  ページトップへ


“死んでいく人たちのために涙を流してはいけません。死に際のショック、その後の一時的な意識の混乱はあるにしても、死後の方がラクなのです。私はけっして戦争の悲劇、恐怖、苦痛を軽く見くびるつもりはありませんが、地上世界から解放された人々のために涙を流すことはおやめなさい。・・・・
しかし、たとえそうでなくても、肉体という牢獄に別れを告げた者のために涙を流すことはおやめになることです。・・・とにかく死は悲劇ではありません。・・・・
解放の門をくぐり抜けた者にとっては悲劇ではありません。私は自分が知り得たあるがままの事実を曲げるわけにはいきません。皆さんはなぜこうも物的観点から物ごとを判断なさるのでしょう。・・・しかしそれは、これから先に待ちうける生活にくらべれば、ほんのひとかけらにすぎません。あなた方は霊を携えた物的身体ではありません。物的身体を携えた霊的存在なのです。ほんのひとときだけ物的世界に顕現しているにすぎません。“ 

霊訓第五巻 P230 ページトップへ


私は常にあなたがた地上の人間とは異なる規準で判断していることを忘れないでください。
私たちの規準は顕と幽のあらゆる生活の側面に適用できる永遠に不変の規準です。時には悪が善を征服したかに思えることがあっても、それは一時的なものであり、最後には神の意志がすべてを規制し、真の公正が行きわたります。
その日その日の気まぐれな規準で判断しているあなた方は、その時々の、自分が一ばん大事だと思うものを必要以上に意識するために、判断が歪められがちです。宇宙を大いなる霊が支配していることを忘れてはなりません。その法則がこの巨大な宇宙を支えているのです。大霊は王の中の王です。その王が生み神性を賦与した創造物が生みの親をどう理解しようと、いつかはその意志が成就されてまいります。
地上の無益な悲劇と絶望の有様を見て私たちが何の同情も感じていないと思っていただいては困ります。今日の地上の事態を見て心を動かされなかったら、私たちはよほど浅はかな存在といえるでしょう。しかし私たちはそうした地上の日常の変転きわまりないパノラマの背後に、永遠不変の原理を見ているのです。

どうかその事実から勇気を得てください。そこにインスピレーションと力とを見出し、幾世紀にもわたって善意の人々が夢見てきた真理の実現のために働き続けてください。その善意の人々は刻苦勉励してあなた方の世代へ自由の松明(たいまつ)を手渡してくれたのです。今あなた方はその松明に新たな炎を灯さなくてはならないのです。

霊訓第五巻 P223 ページトップへ


“存在の実相が霊であるということが宇宙のすべての謎を解くカギなのです。”P181


牧師「この世になぜ多くの苦しみがあるのでしょうか」
“神の真理を悟るには苦を体験するしかないからです。苦しい体験の試練を経てはじめて人間世界を支配している摂理が理解できるのです。”

霊訓第五巻 P186 ページトップへ


牧師 「地上の人間にとって完璧な生活を送ることは可能でしょうか。」


“それは不可能なことです。が、そう努力することはできます。努力することそのことが性格の形成に役立つのです。怒ることもなく、辛く当たることもなく、腹を立てることもないようでは、もはや人間ではないことになります。人間は霊的に成長することを目的としてこの世に生れてくるのです。成長また成長と、いつまでたっても成長の連続です。それはこちらへ来てからも同じです。” 霊訓第五巻 P191


“・・・。が、あなたも人の子である以上、あらゆる煩悩をお持ちです。” 

霊訓第五巻 P198 ページトップへ


“私だってルースちゃんとポール君が大好きですよ。この気持ちは愛の大中心からくる愛、世界全体を支配している愛、宇宙全体を動かしいる愛、全部の生命をやさしく抱きしめ、たった一人の子供も、どこにいようと何をしていようと、絶対に見放すことのない愛と同じものなのです。それが、宇宙が始まる前から、そして宇宙が終わったあとも、永遠に霊を一つに結びつけるのです。それは永遠に変わることのない神さまの愛であり、愛の神さまです。その愛の心をお二人が出すたびに神さまの心が発揮され、宇宙の創造の仕事が続けられるのを助けることになるのです。”

霊訓第五巻 P167 ページトップへ


“意識を獲得するには物的身体に宿って誕生し、物的体験を得なければなりません。物matterから霊spiritへと進化していくのです。つまり物的身体との結合によって、物的個性を通して自我を表現することが可能となります。霊は物に宿ることによって自我を意識するようになるのです。” 

霊訓第五巻P145 ページトップへ


―ということは誰でも自分で健康を回復することができるということでしょうか。


「まさにその通りです。ただしそのためには“自分は神である。無限の創造活動の一部を担う存在である。全生命への責任を担う霊的存在である。本来は完全なる霊なのだ”と宣言できる段階まで悟りができなくてはなりません。」

霊訓第五巻 P123 ページトップへ


 

”・・・。そうしたことが多ければ多いほど類魂の進化が促進され、やがて動物の段階を終えて、人間の形態での個体としての存在が可能な段階へと進化していきます。”
「その時点で人間界へと誕生するわけですか」
”人間界への誕生には二種類があります。古い霊が再び地上へ戻ってくる場合と、新しい霊が物質界で個体としての最初の段階を迎える場合です。”
「一人の人間としてですか」
”そうです。双方とも霊魂です。双方とも自我意識をもった霊であり個性をもった霊的存在です。ただ、一方がベテランの霊で、進化の完成のためにどうしても物質界で体験しなければならないことが生じて、再び地上へやってくるのに対して、他方は、やっと人間の段階にまで達した新入生です。直前まで動物だった類魂が人間界の仲間入りをしたのです。アメ―バーの状態から始まって爬虫類、魚類、鳥類、そして動物と、ありとあらゆる進化の段階をへて、今ようやく人間へと達したのです。”
・・・・・

”・・・。一方、犬とか猫、時に猿などをペットとして可愛がるのは、一種の近親感を意識するからです。もうすぐ人間として生まれ代わってくる段階まで近づいて来ているために、動物の方でも人間の愛を受け入れようとするのです。”

霊訓第五巻 七章 P93~94 ページトップへ


 

“宗教とは自分を役立てることです。同胞のために自分を役立てることによって神に奉仕することです。”

霊訓第五巻 六章 P79 ページトップへ


「私たちの努力目標は人類が幻を追い求め影を崇めることのないように、霊的真理の実在を得心させることによって人生観を誤った信仰でなく確実な知識の上に確立し、大自然の法則に基づいた本当の宗教心を持ち、たとえ逆境の嵐が吹き荒れ、環境が酷しく、いずこに向かうべきかが分からなくなった時でも、“事実”に裏うちされた信仰心によってあらゆる試練、あらゆる苦難に耐えていけるようにしてあげることです。私たちの使命は霊的使命なのです。人間が内奥に神すなわち実在の生命を宿していることをお教えし、従って人間は動物ではなく一人ひとりが神であることを自覚し、同じ神性が宇宙の他のすべての生命にも宿っていることを知っていただくことを使命としているのです。」

霊訓第五巻 五章 P67 ページトップへ


不安は無知という暗闇から生まれます。勇気は自信から生まれます。すなわち自分は神であるとの真理に目覚めた魂はいかなる人生の嵐をもってしても挫かせることはできないとの自信です。私が教えているのはごく単純な真理です。しかし単純でありながら大切この上ない真理です。地上人類がみずからを救い、内在する神性を発揮するようになるためには、そうした霊的真理を日常生活において実践する以外にないからです。あなた方はその貴重な霊的な宝を手にされていること、それがすべての霧とモヤを払い、悟りの光によって暗闇を突き破ることを可能にしてくれることを知ったからには、自信をもって生きてください。

霊訓第五巻 P55 ページトップへ


「この交霊界も死が幻影であることを証明する機会の一つです。すなわち死の淵を霊的知識で橋渡しをして、肉体という牢獄を出たあとに待ちうける充実した新たな生活の場の存在を紹介するために私たちはこうして戻ってきているということです。何でもない、実に簡単なことなのです。

霊訓第五巻 P26 ページトップへ


 「もしもあなた方の進む道を影が過るようなことがあれば、もしも何か大きな問題が生じた時は、もしも心に疑念が生じ、迷われるようなことがあれば、どうかそれらは実在ではなく影にすぎないことをご自分に言い聞かせることです。羽をつけて一刻も早く追い出してしまうことです。忘れないでください。あなた方はお一人お一人が神であり、神はあなた方お一人お一人なのです。」 

霊訓第五巻 P22  ページトップへ


 「道を見失える者、いずこにあなたを見出すべきかを知らずに迷える者に対しては、あなたが彼ら自身の中に存在すること、あなたの無限なる霊がみずからの存在の内部にあること、まさしく天国は彼らの心の中にある――よろこびと幸せの国、叡智と悟りの国、寛容と正義の国は自分の心の中にあるという事実を教えることを目的と致しております。」   

P224 ページトップへ


「誰にも霊的才覚が宿されていることを知らずにおります。それの開発は内的安らぎを生み、人生のより大きい側面のすばらしさを知らしめます。となれば霊性そのものの開発が何よりも大切であることは明らかでしょう。これは個々の人間のプライベートな静寂の中において為されるものです。その静寂の中で、まわりに瀰漫する霊力と一体となるのです。すると、より大きな世界の偉大な存在と波長が合い、インスピレーションと叡智、知識と真理、要するに神の無限の宝庫からありとあらゆるものを摂取することができます。その宝は使われるのを待ち受けているのです。」 

(「シルバーバーチの霊訓」第四巻  第八章“質問に答える” P212) ページトップへ


「決して弱気になってはいけません。堂々と胸を張り、宇宙の全生命を創造した力、夜空にきらめく星空を支えている力、花に香りを添え、太陽を昇らせそして沈ませる力、虹にあの美しい色彩を施し小鳥にあの可憐なさえずりを与えた力、全生命に存在価値を与え、人間に神聖を賦与した力、その力がいつもあなた方を支え、守り、そして導いていることを忘れてはなりません」 

(「シルバーバーチの霊訓」第四巻  第七章 "霊媒を励ます"P199 ) ページトップへ


「・・・。これまでも数多くの困難を克服し、数多くの悩みごとを解消してきております。いつか、これまでのあなたの辿ってこられた人生を振り返りじっくりと見つめられれば、そこに霊による導きがあったことをお認めになるはずです。・・・・

問題はあなたの心のどこにも心配の念を宿らせないことです。これまで導いてくれた霊団が自分を見放すはずはないという断固たる信念を持たねばなりません。まだまだ越えねばならない厳しい道があるからです。まだまだ献身を必要とする仕事の場がたくさんあるからです。怖じ気づいてはなりません。かつてあなたがもう絶対にダメだと思ったことが霊の力によって克服されてきたように、これから先もきっとその力は凱旋を続け、あとで振り返ったとき、今のあなたには難問に思えることが他愛ない杞憂にすぎなかったことを知って、にっこりなさることでしょう。」 

(「シルバーバーチの霊訓」第四巻 第七章 “霊媒を励ます” P185 )  ページトップへ


―どうすれば霊媒や霊視能力者になれるのでしょうか。
「神のために自分を役立てようとする人はみな神の霊媒です。いかにして霊を向上させるか
―これはもう改めて説く必要はないでしょう。これまで何回となく繰り返し説いてきたことだからです。自分を愛するごとく隣人を愛することです。人のために役立つことをすることです。
自分を高めることをすることです。何でもよろしい、内部に宿る神性を発揮させることをすることです。それが最高の霊媒現象なのです。霊視能力者になる方法よりは、神の光が見えるように魂の眼を開く方法をお教えしましょう。それも今のべたのと同じです」                         

(「シルバーバーチの霊訓」第四巻 第六章 “潜在意識の機能”P175-P176) ページトップへ


他界した肉親や先祖霊からの援助を受けるにはどうすればいいでしょうか。
「あなたが愛し、あなたを愛してくれた人々は、決してあなたを見捨てることはありません。いわば愛情の届く距離を半径とした円の範囲内で常にあなたを見守っています。時には近くもなり、時には遠くにもなりましょう。が決して去ってしまうことはありません。その人たちの念があなたを動かしています。必要な時は強く作用することもありますが、反対にあなたがたが恐怖心や悩み、心配等の念で壁をこしらえてしまい、外部から近づけなくしていることがあります。悲しみに涙を流せば、その涙が霊まで遠く流してしまいます。穏やかな心、やすらかな気持、希望と信念と自信に満ちた明るい雰囲気に包まれている時は、そこにきっと多くの霊が寄ってまいります。
私たち霊界の者は出来るだけ人間との接触を求めて近づこうとするのですが、どれだけ接近できるかは、その人間の雰囲気、成長の度合、進化の程度にかかっています。
霊的なものに一切反応しない人間とは接触できません。霊的自覚、悟り、ないしは霊的活気のある人とはすぐに接触がとれ、一体関係が保てます。そういう人はスピリチュアリストばかりとは限りません。知識としてスピリチュアリズムのことを知らなくても、霊的なことを理解できる人であればそれでよいのです。とにかく冷静で受容的な心を保つことです。取越苦労、悩み、心配の念がいちばんいけません。それらがモヤをこしらえて、私たちを近づけなくするのです。」  

(「シルバーバーチの霊訓」第四巻 第六章 “潜在意識の機能”P172)  ページトップへ


その方たちは今なお実在の人物であり、地上にいた時と同じようにあなた方のことを気遣ってくれていることを忘れてはなりません。彼らはもはや言葉で話しかけることはできませんし、あなた方もその声を聞くことはできませんが、あなた方のすぐ身のまわりにいて何かと援助してくれております。自覚なさることがあるはずですが、実際はもっともっと密接な関係にあります。彼らはあなた方の心の秘密、口に出さないでいる欲求、願望、希望、そして心配なさっていることまで全部読みとっております。そしてあなた方の魂の成長にとって必要なものを地上的体験から摂取するように導いてくれております。けっして薄ぼんやりとした、影のような、モヤのような存在ではありません。今なおあなた方を愛し、以前よりさらに身近となっている、実体のある男性であり女性なのです。                  

(「シルバーバーチの霊訓」第四巻 第五章 “死んだらどうなるか” パートⅡ P131) ページトップへ


死ぬということは決して悲劇ではありません。今その地上で生きていることこそ悲劇です。
神の庭が利己主義と強欲という名の雑草で足の踏み場もなくなっている状態こそ悲劇です。

(「シルバーバーチの霊訓」第四巻 第五章 “死んだらどうなるか” パート1 P133 近藤千雄訳) ページトップへ


スピリチュアリズムの真実を知ったあなた方は、その分だけを物的なもので差し引いて勘定してみたことがおありですか。つまりあなた方は地上的なものでは計れない貴重なものを手に入れられた。霊的真理という掛けがえのない高価なものをお持ちになっている。自分が霊的に宇宙の大霊と直結していることを悟られた。神の分霊であるという事実を悟られた。その神から遣わされた使者の働きかけを受けとめる心掛けも会得された。
そうしたことに比べれば、世俗的な宝はガラクタも同然です。あなた方はこれから先も永遠に生き続けるのです。すると、この地上で学んだ知識、体験から得た叡智が、俗世で追い求めている物的なものに比して、その永遠の魂にとっていかに大切であるかがお判りになるはずです。   

(「シルバーバーチの霊訓」第四巻  第四章 シルバーバーチ霊団の使命 近藤千雄訳) ページトップへ


霊にかかわる分野において進歩が容易に得られることは有り得ません。もし容易であれば成就する価値がないことになります。霊的進化はもっとも成就しがたいものです。一歩一歩の向上が鍛錬と努力と献身と自己滅却と忠誠心によってようやく克ち得られるものだからです。霊的褒賞を手に入れるには奮闘努力がいるのです。

(「シルバーバーチの霊訓」第四巻  第三章 "再生の原理" の哲学 P90 近藤千雄訳) ページトップへ


人生の困難は魂が向上していくための階段です。困難、障害、不利な条件――これらはみな魂の試練なのです。それを一つ克服した時、魂はいっそう充実し向上して、一段と強くそして純粋になってまいります。いったい無限の可能性を秘めた魂の潜在力が困難もなく、陰もなく悲しみもなく、苦難も悲劇も体験せずに発揮されると思われますか。もちろん思われないでしょう。
(「シルバーバーチの霊訓」第四巻 第二章“苦”の哲学) ページトップへ


人間が地上にあるのは人格を形成するためです。ふりかかる問題をどう処理していくかがその人の性格を決定づけます。が、いかなる問題も地上的なものであり、物的なものであり、一方あなたという存在は大霊の一部であり、神性を宿しているからには、あなたにとって克服できないほど大きな問題は絶対に生じません。
霊性の発達は各自が抱える問題をどう処理していくかに掛かっています。物ごとがラクに順調にはかどるから発達するのではありません。困難が伴うからこそ発達するのです。

(「シルバーバーチの霊訓」第四巻  第一章 “絶対不変の摂理” 近藤千雄訳) ページトップへ


―この世に生きる目的は霊的なものを制約するものを排除し、霊的本性が肉体を通してより多く顕現するようにすることだと私は理解しておりますが・・・

「その通りです。地上生活の目的はそれに尽きます。そうすることによって自分とは何かを悟っていくことです。自分を単なる肉体であり他の何ものでもないと思い込んでいる人は大きな幻影の中で生活しており、いつかは厳しい実在に目覚める日が来ます。その日は地上生活中に訪れるかも知れないし、こちらへ来てからになるかも知れません。こちらにいるうちの方がはるかに有利です。なぜなら地上には魂の成長と進化と顕現のための条件が全部そろっているからです。人間は地上生活中に身体機能ならびに霊的機能を存分に発揮するように意図されているのです。」

(「シルバーバーチの霊訓」第三巻  第十三章 “質問に答える” 近藤千雄訳) ページトップへ


私にとって神々は永遠不変にして全知全能の摂理としての宇宙の大霊です。私にとって神とは法則であり、法則がすなわち神です。
五感に束縛されているかぎりは神の存在、言いかえれば神の法則の働きを理解することは不可能です。神はつねに完全です。ただ現在物質の世界に人間という形態で顕現されている部分の表現が不完全だということです。それが完全な表現を求めて努力しているということです。
神とは一個の身体を具えた存在ではありません。法則です。心というものは、あなた方のような身体だけに限られたものではありません。法則を通して働いているのです。
その背後の力、すべてを支えているエネルギー、途方もなく大きい宇宙の全パノラマと、人間にはまだ知られていない見えざる世界までも支配している奇な力、それを神と呼ぶのだと結びます。

(シルバーバーチの霊訓 第三巻 第十二章 “神とは” 近藤千雄訳) ページトップへ


 ”つまり実在とは人間のお粗末な五つの感覚で捉えられるものと決めてかかっている唯物的自然科学者にとっては、

霊力は存在しないことになります。

 しかし愛は目に見えず耳にも聞こえず、色もなく味もなく寸法もないのに、立派に実感があります。

それは深い愛の感動を体験した者が証言してくれます。

 たしかに愛の力は強烈です。しかし霊の力はそれよりも無限大に強烈です。”

(シルバーバーチの霊訓 第三巻 第十一章 P170 近藤千雄訳) ページトップへ

                                                                  

 

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